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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全1022件 921~940 47/52ページ
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「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」とても長いタイトルで最初は、全然意味がわからなかった。しかし、今の自分にはとても良く理解できているし、こんな簡単なことだったのかと頭を悩ませていた。文章は解りやすくどんどん進んでいった。内容も一人の青年をとりまく周囲の友人関係の話で、興味深い物語だ。今回は、ネットで予約をして購入したから、販売当日から読むことができたが、そうでない人はどうなのだろうか?書店で手に入れることができたのだろうか。他の評価を見るとそんなに高くはないが、私的にはいい評価をつけたいと思います。主人公の多崎つくるの行動力そして過去をさかのぼって問題を知り解決することに感心した。その中から・・・・・・。 「限定された目的は人生を簡素にする」 「記憶を隠すことはできても、歴史を変えることはできない」 最後まで読んで解ったことがある。これはラブ・ストーリーだということだ。やはりいつ読んでもラブ・ストリーはいいものだ。この小説の評価は高い。とても解りやすくて優しい内容に対してそして飽きない文章に・・・・・・。 | ||||
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あくまで個人的な話… 村上春樹の作品は人を落ち込ませもするし、元気にもする。それは人の本質を描いているから。人の痛いところを余すところなく描いているから。人の欲望を包み隠さずえがいているから。そう思います。 主人公に名前がついたことで、より自分に身近なものと感じた。 数ある村上春樹作品の中でもよりリアリティーが感じられる作品。より人を落ち込ませ、より人を元気にする力をもった作品。 抽象が具体へ一歩進んだ、村上春樹らしくもあり、らしくなくもある作品。 私は大好きです。自分自信を見つめなおさせられ反省し、いきる活力をもらいました。 | ||||
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読まず嫌いだった村上春樹作品。 本屋さんに積んであったので、話の種に読んで見ました。 うーん、、、この世界観は、彼の作品を読めば何か開けてくるのでしょうか? 一冊ではわからないのが普通? そう…読んでも謎が謎に覆いかぶさり、本当に些細な違和感が、 読み終わったあと、塊となって心に残る。 だから感情に揺さぶられないし、感想も具体的に思い浮かばない。 それが私の初村上春樹作品の感想です。 うーん… | ||||
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どうにも長編となると無駄に力が入ってボロが出る、というのが村上春樹の印象なんですが。この規模の作品は面白いですね。 ただ、「巡礼」ってほどかな?とは思いました。かつての友人を順番に訪ねて一人一人昔の誤解を解いてるだけというか。 当時一人でグチグチ死ぬほど悩むんだったら、もっと行動起こすべきだったのでは?とか思ったり。まぁ、そこでアクティブにガンガン攻められないあたりが、村上春樹の奥ゆかしさなのかもしれませんが。 深いかと言われると疑問ですが、淡い感じはします。結末もはっきりしませんしね。 | ||||
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村上春樹の大ファンです。 彼の作品にはいつも、強烈な匂いと温度、強すぎる光や暗すぎる暗闇が立ち込めており、私はその感覚が大好きで彼の作品を読んでいました。 今回は、そういった描写が少ない気がしました。 彼の作品には強烈な個性を持ったキャラクターが登場するのですが、 いつもなら匂いや温度、声の質、その人物が立つ場所の描写までがリアルに描かれていたので、 どんなに現実離れした人物であってもすんなり受け入れることができたのですが、 今回はどういう訳か「人物設定」みたいなものばかりで、人物の立体感がないまま話を読み進めることになりました。 また、いつもなら「奇妙なエレベーター」とか「変なホテル」とか「ずっと昼寝していたい庭」とか、村上さん作品特有の「場所」が登場するのですが、今回はあんまり好きな「場所」が無かったです。 文庫本開くだけで、あったかい暖炉の火にあたったり、美味しいスパゲッティを食べれたり、埃臭い閉ざされた部屋に入れたり… そういう読んでるだけで宝物になるようなキラキラした文章に、また出会いたいんだけどなぁ。 | ||||
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皆さん、読み終えるのが早いですね。 私は仕事の合間などに読んでいるので、まだ「2」を読み終えたところです。 ですので、まず、さわりのところまでの印象を書いておこうかと思います。 まず、表紙。 カラフルな鉛筆のような、煙突のようなものが並んでおり、タイトルの「色彩をもたない」とは逆になっているところが面白い。 で、書き出し。 本の帯に「ある日ふと思い立って、数行書き始め、どうなるかわからないまま半年書き続けた」とあるように、 出だしは主人公のいきなりの虚無宣言で始まるという、まるで漫画版のエヴァンゲリオンのような始まり方。 物語の冒頭が「死」から始まるという出発は、最終的に「生」へと転化されるであろうと予測でき、期待が高まる。 でも、最初の数行で、個人的な話で申し訳ないのですが、自分が書いた小説と同じ始まり方、語り口だったため、 妙にコミットされてしまった。 私の年齢も主人公とほぼ同じ。つまり同年代の心の空虚感が描かれている、と思った。 それなりに生活できる、物質的に豊かな団塊ジュニア世代は、ある種のマニュアル神話の中で幸福を追求する人生を求められる。 でも、そこには常に空っぽな自分を感じては来なかっただろうか? たぶん、高校生ぐらいで何か熱狂的のなれるもの、信じられる安定した世界観を欲しがったはずだ。 しかしそれは、幻想でしかなく、逃避でしかないことに、社会に出ると気づかされる。 私は三十代を前にして、どうやら鬱になったらしい。 メンタルクリニックにも行かずに耐えていたので、長いこと苦しかったのだが、 昨年あたりから病院を進められ、確かに鬱だったということがわかった。 どうしてそんなところに落ちこんだかというと、どのように生きていいのかわからなくなったからだ。 正解が見えない。しかし、正解なんてないのだ。 だからとにかく試行錯誤してきたのだが、何か進むべき運命が、巨大な無意識の塊の奥から語りかけていることは感じていた。今、それがなんなのか、理解できるようになってきた。 この作品の主人公は自殺に失敗して、死のことばかり考えていた。 私も死のことばかり考えて、自殺に何度も失敗した経験があるので、その辛さや痛みはわかる。 そして、無為にならざるを得ない日々をすごさねばならなかった。しかし、その無為と思われる時間というものは どうやら必要なのだと、最近河合隼雄氏の著作を何冊か読んでわかった。 河合隼雄氏は、すでに数十年前のインタビューでね四十代を前にして我々世代が危機に陥るだろうことを指摘している。 そして、今の我々は、自分の内的宇宙の存在ほ包含して、進まなくてはならないようだ。 この「2」までを読み終えてみて、なんだか河合隼雄氏の指摘した課題を村上春樹氏も感じているようだと思った。 読み終えたら、改めてまた追記として感想を書いてみるつもりだが、今のところ私は、この作品は読みやすく、優しい、 綺麗な文章だと思って評価している。 だだ、星をひとつ減らしたのは、それほど強いインパクトがあるテーマではなかったから。 やはり私は村上氏には、アフターダーク的な新たな試みを期待してしまうので。 でも、この作品、村上春樹さんにとっては、必要な過程のように思える。 何かの区切りのために、必要だったのではないだろうか、と感じられる。 | ||||
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「巡礼の年」というフレーズに惹かれ、『海辺のカフカ』以来、久々の購入です。 文体に引き込まれ、一気に読了しました。 読了直後の感想は ・技巧的には最高傑作であろう。 ・脱線や物語に不要な虚飾が廃されている。 ・春樹作品らしい、現在の主人公とパラレルな世界(一応今作は過去のエピソードということになってるが、過去作品と同じく心象風景的な側面のものと捉えた方が良いかもしれない)が挿入されて展開されるストーリー。 今作ではかなり早い段階で、現在の主人公の物語一本に収束する。その点に村上春樹自身の成長が感じた。 ・『国境の南、太陽の西』で描こうしたテーマ。それにもう一度取り組んだ作品? というものです。 他のレビューで書かれている程、不親切で投げっぱなしという印象は受けませんでした。 そのような疑問の答えや最終的な結末を暗示させる隠喩や象徴が作品中に散りばめられていますし それを探しながら、もう一度読むというのもまた楽しいのではないでしょうか? | ||||
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こんな終わり方でいいわけ?てきな残念感。期待してしまった分だけ残念。 | ||||
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名古屋。物が豊かで、変化はなく、とても壮大な退屈な街。私も住んで居ましたが、地元の人にとっては、何でもある、私にとっては何もない街でした。そこに留まった彼らには、色彩はあったが、色彩時間なかったのではないか。街のネオン、看板は色彩だ。しかし、看板やネオンは平面で、ここに出てくる登場人物はできる限り奥行きなく描かれている。クロとの再会のシーンは、ゆらぎや甘さがある。だから、本の厚みもこれ以上はあってはいけない。あくまで表面的に。 出てくる音楽はリスト。アラウについて触れられているが、リヒテルは趣味じゃないのかな。特徴的なのはシベリウス。フィンランドが巡礼のクライマックスに選ばれている。 この本の理解に、シベリウスの次のような言葉が不可欠なのではないだろうか? 「皆さんが、色とりどりのカクテルを差し出すとき、私は透明な水を差し出しているのです」 現代音楽、技巧に満ちた楽曲の中で、シベリウスの音楽は20世紀のそれに聴こえない透明さがある。交響曲5、7。 あの震災以降、色を失った景色の中で、透明な水をまずは一杯、差し出したのではないでしょうか。 | ||||
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すでにamazonの書評上にいくつもの優れた書評があるため、敢えてこの書評が必要かというと疑問だが 自分の感じたことはここまでの書評内にも表れている。 僕はいま31歳で、多くの読者のように村上春樹の作品を読んできてるし、16歳のときにノルウェイの森に感動した経験をもつ。今度の作品では、ノルウェイの森とかの先にあるものが、そこにあるのではないかという期待のもとに作品を手に取るのだが、同時に、同じような感動を味わいたいという矛盾した期待もある。 昔の感動を思い浮かべると、それが薄まった感動を味わっているように感じてしまう。 よくいえば、いつもと同じでいいと感じるし、悪く言えば、いつもと同じなのだ。 この作品をいま10代で村上春樹の作品を初めて読むような読者は、僕が昔に味わったような感動を感じるかもしれない。 | ||||
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例えば『海辺のカフカ』とか、例えば『1Q84』とか。 渾身の一作、という印象を全く受けない。『1Q84』の休憩、みたいな。 それでも村上春樹は村上春樹なので、メディアも騒ぐし売れるには売れる。 じゃあ誰でも書けるのかというとそうではないし、 ストーリー性という意味ではさすが!と思った。やっぱり凄い。 灰田の下りは消化されないんですね。 | ||||
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一通り読んでみてやはり著者村上春樹のストーリーテラーとしてのレベルの高さ、センスの高さを感じ取ることができます。色を持つ4人とそれに関わる多崎つくるの物語は、どこかしら不思議な点を感じさせます。そして誰にでも訪れるであろう人間関係の不和とそこからの復帰が今回の主要テーマで、読む人を選ぶ趣はあるものの、やはり著者の人間観察の鋭さと、根底を流れる精神の奥深さを感じさせます。今回の作品は物語的な面白さを追求したというよりは、何が言いたいのかに重きを置いた作品であるといえる、とそう思います。その点を探りながら読んでみると、著者の考え、言いたいことが理解できるのではないでしょうか。 | ||||
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はじめて村上春樹の世界観に触れて、面白くときにヒリヒリと傷むような感じがして揺り動かされた。 そして、次の新しい小説はもう用意されていると思えてならない。 | ||||
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気軽に読めて、そして読後、外に出て風景のひとつひとつが、世界が、愛おしいものであることを再確認したくなる小品。リストの「巡礼の年」をかけながら読むと更に良いかも。 | ||||
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とても温かい、勇気のわく1冊でよかった。 登場した4人の昔の友達の16年後の様子、その一人ひとりが、自分の中にすべてある様な気がして、はっとしました。 車のディーラーで表面的に成功している友達、啓発セミナーのような会社を興して「やる気」を商品にしてる友達、クリエイティブなことを追及している友達、そして、自分の存在を許せなくなっている友達。 こういう要素、全部自分の中にあります。 そして「いいじゃんそれで。」と村上春樹さんに言われているように感じました。 特にディーラーの友達は、ありありと情景が思い浮かび、伝わるメッセージがものすごく明確でした。私の表の顔とかぶる。 主人公が東京にいて、友達が名古屋にいる。 ちょっと時間をかけたら、すぐに会える距離にいる友達。でもほとんど会いにいかない。 これって、日常生活に疲れてなかなか気づかない、自分の内側にいるいろんな性格をした自分に会いにいかないことと、同じに思えました。 震災後、何がなんだかわからないまま過ぎた時間を超えて、春に届いた村上さんからのエールでした。 ありがとう。と言いたいです。 | ||||
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オレは夢のなかでの性交を重視している そこでやったら現実でやったと同じだ!!! ユング心理学=河合隼雄の次ですね。 どんな親しい仲の友達でも本人がほんとうのことを話さないかぎり理解できない を童話をモチーフで物語るという モダン小説ですな。 戦隊モノと白雪姫がでます。 オウムの小型化はアカの企業セミナーなんでしょう | ||||
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まず「1Q84」の話をしよう。 今の時点で「1Q84」は未完の大作となってしまっている。4部構成となるはずだった「1Q84」は、3部までしか発表されておらず、この新しい小説が出てきたことから考えて、おそらく最終巻は発売されないだろう。 「1Q84」は明らかに駄作だった。まずなにより不必要に長い。つまりは不必要な文章がやたらと多かった。村上もそのことに自分で気づいたのだろう。それで最終巻の執筆をしなかったのではないか。 そして「1Q84」の最終巻の代わりに出てきたのが、ブランニュー作品としての本書ということになる。 さて、この本を読んでみた感想だが「1Q84」を上回る駄作だとしか言いようがない。 なんなのだろうこの文章は。まるで躍動感がない。あのはるか先までジャンプするかのような比喩表現がもたらす、村上春樹の躍動感あふれる文章は、この本からは全く感じられない。ひょっとしてゴーストライターでも使ったのかと思うほどだ。 もっとも★一つはいささか辛すぎる。期待の大きい村上だからこそこの辛い評価なのであって、他の無名の作家なら★を4つくらいつけてもいい小説ではあるのだが。 村上は「カラマーゾフの兄弟」のような全体小説を書きたいと、かねがね言っていた。ともかくこの小説はその全体小説ではない。 永い村上春樹のファンとして、彼が燃え尽きていないこと。村上春樹の集大成となる筈の全体小説が、いずれ読めることを願うのみだ。 | ||||
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とてもよかったことをいくつか。(ネタばれかも) ・ピアノへの憧憬 ・世代的に共感できる点が多かった ・他にも、親しみ(半・憧れ)のある地名が出てきて良かった ・つくる君の立ち直り ・いくつか出てくる、心象を表現することの難しさ (理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない、の流れか) ・つくる君のお父さんの名づけのエピソード ・フィンランドのくだり。缶ビールを思わず開けました ・フィンランドで思い出された情景 ・新宿駅のくだり ・最後の1ページ 鼻についたり、引っかかった箇所もいくつかありますが、書いてもしょうがないので割愛させていただきます。 本人が、いつの間にか長くなっていた、というのも分かるような感じの荒々しさ(粗さ?)も 感じました。 彼の作品をもともと好きな人は、なるほど、今回はこういう感じなのか、ふむふむ、とか言って読めばいいと思います。もう読みません、という人も見かけましたが、今回はささっと書きました、っていう 感じだし、そういう意味でもおもしろかったのでは?ファンを裏切らないために書こう、ということを村上春樹さんご本人は思っていても、ある種の作家というのは、そういうものではない筈なので、こういうことは仕方ないのかもしれないな、とか思っちゃいました。 というか、ハルキストの方たちは、本当に村上春樹さんの作品がすきなんだなーと感心しました。 ファンじゃないんだけど、村上春樹って読んだほうがいい?っていう人も、誰とも話せない何かがあるなーっていう人は読んだらいいのかな、と思う。最近は特に自分自身も世間も、すべてがオープンであることが、良い状態、という強迫観念が、感染しすぎっている(この作品は、そうではない、ということを言いながら、沙羅という女性によって明らかにしようとする、という矛盾があるんだけども。ああいう矛盾した人が自分に関わってくる、というのも、この世界の真実だよね)。 そんでもって、おもしろい本を読みたい!っていう人は、予備知識無く読んだら、どきどきしながら この作品は読める、作品だと思います。 読後、その人は言うでしょう、「よく、わかんなかった」もしくは、「オチが、なーんだ」って感じとか。 本をつくる、と、駅をつくる、が違うのはそこのところ。 駅はバリアフリーにも配慮して、使う人すべてに等しく安全でなければならない。 でも本は違います。誰にとっても安全な本なんてない。 もっと言えば、毎回おもしろく、自分にあう読書なんてない。 理解できない人間がいるのと同じで、理解できない本がある。 誰と誰が気が合うのかなんて、誰にも分からないことなので、 それぞれ自分のやり方で、その人に言葉や何かを投げてコミュニケーションとるわけですよね。 読書、というのは、そんなもので、 誰にとっても有用な読書、というのはないんですから。 村上春樹さんの本は、その世界にはいると、ハードボイルド・ワンダーランドに入っていける、 という装置が仕掛けられているのが特長だと私は思っているのですが、 その装置、という意味では、今回もカチッと作用しました。 だけれども、3点なのは、それでもやっぱり粗いところが感じられたからですが、 流れとしてはとても気持ちよく夢中になって読めました。 | ||||
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生きていても死んでいることもあって、死んでいても生きていることがある、そんな肉体と魂の話という読後感です。 30も後半になれば必ず人生を左右する出会いがあり、別れがあり、恋愛とか狭義ではない魂と魂の深い結びつきであったからこそ、引きちぎられるような別れもある、そういう諦観の中で生きている(生きざるをえない)人には響くプロットです。 何人かがご指摘のとおりおそらくモチーフが国境の南太陽の西に近いですが、モチーフやひとつひとつのエピソードやキャラ設定ではなく、作者の伝えたい心理学的な無意識(あっちとこっち)の世界のつながりを意識すると、メッセージが深く伝わります。 全体の構成が古典「クリスマスキャロル」に近く、オムニバス的に過去の人との出会いを通じて、いまの自分を取り戻すものの、結局相手を考えるがゆえに受身のような選択をする主人公が歯がゆかったです。ただそれも単なるつくるの婚活の物語にしなかったところに、ありきたりの恋愛小説から脱却しようとする作者の狙いなのかなと思いました。 人から深く傷つけられたこと、同時に相手も傷ついたこと、しかしそれは悪意の出来事ではなく偶然であったがゆえに、誰かを悪者にできず、ずっと苦しんできたことがすっと氷解するようでした。このカタルシスこそが村上春樹の求めている小説の作用だとしたら狙い通りですが、喪失感を抱えたまま生きるという、救済のない(もしかしたら作者的には救済かもしれませんが)現代人の生き方そのものの哀しみを同時に得ました。 関係ないですが物語の進行役として、サラさんが妙に自覚的な発言でつくるを導くのですが、こういう自覚的な女性ってそんなにたくさん(パーティで紹介してもらえるほど)いるものなのでしょうか・・・。 なお、青山の骨董通り周辺は村上春樹小説によく登場しますが、ここ通るたびに、「この土地の何があっちとこっちの世界の入り口の象徴として彼を惹きつけるのか」かを考えます。 | ||||
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名前に色の名前を含む5人の仲良しグループの中で、 ひとり色を持たない多崎つくるが突然グループから決別させられ、 36歳になってその理由を確認するため、友人一人ひとりを巡礼していく。 途中殺人で死んでる友人や、突然出てくるホモ等ミステリアスな展開がありますが、 けっきょく犯人もホモの行方もなにも解決せず、全てがうやむやに終わるところは、 いつも通りの村上春樹作品らしい真骨頂でした。 | ||||
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