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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全1022件 981~1000 50/52ページ
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氏の作品は全て読んでいるファンですが、できるだけ冷静にレビューを書こうと思います。いくらかネタバレを含みます。 読後感は「国境の南、太陽の西」に似ています。つまり、切ない終わり方であり、明快な解決は与えられないんだけど、主人公がひとつの哀しみを通り過ぎて、それでも尚も生きつづけているという体温みたいなものが、確実に伝わってきたということです。 構成や展開に奇想天外な要素はないし、度肝を抜くような仕掛けはなく、氏の系譜のなかでは寧ろ異端の、静やかなリアリズム作品ということができるかもしれません。ただ、そのように構成なり題材なり手法なりが静やかであるからといって、読み手の心が「静やか」なままであるとは限りません。主人公の切なさに感応してしまった、自分の物語のように感じてしまったという点では、少なくとも私にとって、この作品は近年のベストです。 思想やメッセージ(時には結論さえも)が、かなり直接的に語られ、思わせぶりな部分が少なく、恐らくは文学作品を読まない層に向けて書かれている点は、好き嫌いが分かれると思います。こんなのは(高尚な)文学じゃないと切り捨ててしまうかも人もいるだろうし、励ましをストレートに受け取って涙を流す人もいるに違いありません。個人的には「人はまず駅を作らなくてはならない(駅にならなくてはならない)」という比喩が、とても素敵だと思いました。つまり、相手がどう出るにせよ、環境がどうであるにせよ、迎え入れるだけの準備は(まず自分から)始めなければというメッセージです。 それにしても「世の中には実に沢山の人が生活している」ということと、「その沢山の人は代替不能の個人から成っている」ということを、かくもリアルに実感させてくれる小説というのは、本当に尊いと思います。新宿駅の描写など、特にそう感じさえましたし、主人公や幼なじみが大人への階段を辿っていく様、慈善と偽善の間を揺れつつ過去に惹かれながらも、否応なく歩みを進んでいく様子は、誰の人生にも多かれ少なかれ重なってくるのではないかと思います。 減点要素もあります。主人公が、もしかしたら自分は気付かぬうちに、別の自分の手によって何かを殺したり損なっているかもしれないと考察する場面です。これは「海辺のカフカ」でも扱われた命題で、その焼き直しであると思われますし、むしろ「カフカ」よりも踏み込みが浅いです。いくつか「この手の考察は、過去の作品の主人公もしてたけど、彼ら(彼女ら)のほうが熟考してたんじゃないかな」と思わせる点がありました。 それでもなお、私が評価を4とするのは、氏が直接的に、真っ直ぐに、主人公を励まそう、それによって読み手を元気づけようとしているように感じたからです。難解なもの、入り組んだもの、複雑怪奇なものを書こうと思えば書ける作者が、あえてストレートにものを書くと、かくも温かな世界が広がるのかという感動がありました。少なくとも私は、主人公と「巡礼」をして良かったと思っています。 | ||||
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続編があるかもしれないのでそちらに期待すべきかも・・・・・ 沙羅にフラれたつくる君の死への葛藤がみられるかも・・・・・ 「ノルウェイの森」の延長線上にある「射精小説」かも・・・・・・ 36歳にもなったええ男が「なんやねん!」って感じのつくる君だけど、本書を英訳するときにJay Rubinさんのような翻訳者は4人のカラフルメンバーのネーミングをどう訳すのかなって気がした。まず、これが最初の印象。赤松はRedpineか?青海はBluesea!わっ綺麗。白根がWhiterootだとどうもピンとこないし、黒埜はBlacksand-beachならハワイっぽいな。アローハ! 「巡礼の年」から想像するに、当初、宗教的なものだなって思った読者にとっては、サプライズな感じ、みたいだったな。でもこれが今回のメインな音楽。 またまた今回もお食事シーンがいろいろと出てくる(ホーム・ドラマでもないし・・・・)。中央線新宿発松本行きの特急が午後9時ちょうど、時間通りに発車していったのを確認してから近くのレストランに入ったつくる君。ミートローフとポテトサラダを注文するのはいい。半分残すのもいい。で、その半分残した理由が「ただ食欲がなかったのだ。」って、なんでやねん!食欲がなかったなら、レストランに入るなっちゅうの。 無理に文春に義理立てすることもなかったのに・・・・・。もっと時間かけて、いいもの書けばよかったのに・・・・・。 | ||||
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物語自体はシンプルで文章も難解ではなく、すんなりと読み進めることができます。 村上春樹ブランドに恥じない丁寧に磨かれた文体で、印象に残る言い回しもいくつかあります。 基本となる物語は誰もが体験しうる内容で、大なり小なり共感できる部分があると思います。 高校の頃の親密な友人グループからの締め出し、昔とは決定的に変わってしまい元には戻れない関係。 本当の自分を解放するための行動。 作者の過去の作品「国境の南、太陽の西」や、他の作品に出てくる喪失感のようなようなものを今回も感じとる事ができます。 不満な点もいくつかあります。 まず、全てを明瞭に語ることなく読者の想像にゆだねるような結末。(これについては、読む前からある程度覚悟はしていましたが。) 次に、自分は主人公の年齢に近い37歳ですが、出てくるアイテムに少し違和感を覚えました。 ラップトップパソコン?ブルックス・ブラザーズ?エルヴィス・プレスリー? 作者が自分たちの年代に擦り合わせきれていないのか、意図的に配置しているのかはわかりませんが、 そのようなアイテムが出てくるたびに自分達の年代の話ではなく、もう少し上の世代の話を聞いている気分になりました。 さらに、これは「1Q84」を読んだ時にも感じたのですが、終わり方が少しくどい印象を受けました。 個人的には後半の数ページは省いても良かったと思います。 (素人が一度読んだだけでの感想ですので、全くの見当外れであったらお許しください) 最近の村上春樹氏の作品には、昔の作品にあったような強烈な中毒性が薄らいでいるように感じられるのが少し残念です。 でもこれは作品のせいじゃなく、自分が変わったからかもしれせん。 村上春樹氏の作品を読んだことのない若い人には響く可能性もあります。 | ||||
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村上春樹は私にとって、一度深く愛し、その後決別した作家だ。 青春時代に愛した村上さんは、社会に出てからも付き合い続けるにはあまりに脆弱すぎたのだ。 今回、この本を読んでみたのは友達に触発されたからだが、はっきり言うと村上さんはある年齢で成長を止めてしまったんだなぁ、という、決別したときと同じ思いしか感じなかった。 また、この内容なら、もう少し簡潔にできたはずでは、とも思った。心理描写が少ないのにこの量は少し冗長すぎる。 (逆に、心理描写を付け加え、作品中のすべての伏線を回収しようと思ったら、二冊構成ぐらいにしないとおさまらないだろう) 村上さんは、イニシエーション以前〜イニシエーションまでを描くのは恐ろしく巧い(と感じさせる)が、イニシエーション後については、彼は描かない。イニシエーション後が彼にとって未知の世界だから描けない、なのか、自分のイニシエーション後観を不特定多数の他者に見せたくないから描かない、なのか、どちらかわからないけれど。 しかし、今後も、イニシエーション後を描け(か)ない作家で居続けるのであれば、彼はノーベル文学賞を取ることなどできないだろう。 | ||||
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『1Q84』以外の小説は一通り(中には複数回読み返した作品も)読んでいる、なんちゃってハルキストです。 ※『1Q84』は手に取らなかったのではなくて、私には全く合わなくてかなり前半部分で挫折してしまいました。 『1Q84』で自分の中の春樹さんは「終焉」でしたが、今回も「挑戦」し、敗北。題名からかなり不安でしたが。 読後感はよろしくありません。謎解き、という程でもなくて、何となくモヤモヤした感じでずるずるいく感じかな。 舞台が名古屋である必要はありませんでした。素直に東京近郊でよかったのでは。「名古屋感」出てないし。 あと「友人になりたいな」「好きになりそうだな」という登場人物も特にいませんでした。魅力がないのですね。 全体的に「くどいヤツ」ばかり出て来ます。善だとか悪だとか以前に、皆が皆、鬱陶しい感じで「う〜む」と唸り。 月影の如き喪失感を描きたかったのか。紅蓮の如き情熱や欲望を描きたかったのか。鼠や羊もいないしな。 「若い日は秒殺で過ぎてゆくのだな」と感じました。春樹さんは勿論、読者の己も年を重ねているわけで(当然)。 老獪、熟練の「技」はあるのだろうけれども、贅肉が付き過ぎか。もうヒリヒリする様な「若さ」は描けないのでは。 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(1985年)』が個人的に一番好みの作品でした。本作はストレス。 もう私も「卒業」の時期なのかも。あとは音楽だとか旅だとか走ることだとかのエッセイ系を期待して読みます。 | ||||
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主人公・多崎つくるくんとは同い年、 村上春樹さんの作品は二十歳のころに読んだ 「ノルウェイの森」以来。 つまりファンではない一般読者です。 学生時代、親友たちから突如絶縁されたつくるが 新しい恋人の助言で旧友たちと再会し、 真相を突き止めながら再生へと向かう話でした。 友人たちとの会話は大変読みやすく、 喪失と再生のニュアンスも文章からじんわり伝わります。 ただ、生と死に関する文章は哲学的で よくわからず、モヤモヤします。 村上さんのファンの方はいままでで 一番読みやすいとおっしゃいましたが、 軽く読めるところと難解なパートが交互にあり、 ちょっと戸惑いました。 著者名を伏せて純粋に物語に触れたとしたら、 普通というか。絶賛でも酷評でもない、中間。 自分がストーリーテリングの劇的なものに 慣れすぎてしまったからかもしれません。 もしくは、作者や作品の話題性が大きすぎて 純粋には作品に入り込めていないかも。 | ||||
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3月中に、題名が発表になり、題名を見て、「巡礼の年」という言葉に大変想像力を刺激された。本書の中でも言及されていたが、リストの「巡礼の年」を思い出したし、本書ではなんのほのめかしもなかったが、リルケの詩「巡礼の巻」を連想したからだ。しかも「巡礼」→十字軍という事柄さえ思い浮かべたが、そういう高尚なものとはまったく無縁で、著者には、そのような教養、古典の下地(したじ)もないようだった。 簡単に言えば、本書は、"毎度の"ストーリーのみでできあがっている(400字詰原稿用紙換算、700枚前後)。 主人公、多崎つくるが、大学の2年に、高校時代からの親友4人から、理由を明かされないまま絶交を言い渡され、死を考える。そんななか、後輩の男と知り合い、リストの「巡礼の年」と、それにまつわるエピソードを知る。以上のような経歴を、小説の現在である時間の恋人に語って聞かせ、彼女の勧めと協力で、なぜ多崎が4人の友人に絶交されたかを探っていく。あいだにはさまれる、「行方不明」「殺人」。推理小説のようには、犯人も理由も明かされない。それは、あくまで、物語をミステリアスにするための装飾である。 ちなみに、高校時代の4人の親友の名前が、白、黒、赤、青、という文字が名字に入っているが、これは、中国神話の四神で、司っている東西南北を表す色である。これは、小説(庄司薫とか(笑))やゲームなどに、結構使われている。そして本書では、やはり思わせぶりの装飾の域を出ていない。 小説が文学であるためには、それが事実であるかどうかという意味ではなく、リアリティというものが必要である。また、エンターテインメントであるためには、該博な知識が必要になってくる。本著者のように、ただ感覚的なものだけで押していくと、なにを語っても抽象的になり、数作はそれでもいいかもしれないが、やがて、自己模倣の隘路へと入り込んでいく。日本の文壇からは完全に無視されている著者であるが、ただバカ売れしている書き手に対する嫉妬からだけとも言い得ない。このような「お話」は、文学とは言えない。ただそれだけである。 それにしても、大学生にもなって、高校時代の仲間に絶交されただけで、死を考え、結局それを実行できない人物というのは、昨今、追い詰められて、どんどん死んでしまう小中学生が存在する現実に対して、どうなんでしょう? 著者はニュースすら見ていないのかもしれないと勘ぐってしまう。 綿矢りさは、十代で女子高校生の世界を描き注目されたが、十年経った今も、女子高校生の世界を描いている。このぶんで行けば、十年後も描いているかもしれない。同様に、とうに還暦すぎた村上春樹が、いまだ、高校時代の人間関係で傷つき死を考える青年を描いているのを見ると、これは、70歳になっても、こういう世界を描き続けるのかな、と人ごとながら思う。まあ、行けるところまで行ってください(合掌)。次は、どのような興味深い題名でも、Amazonで予約をしてしまうという愚は犯さないようにしますから。 | ||||
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ネタバレ注意 六本指の人物や灰田の父親が出会ったという悪霊憑きの緑川、 彼らは一体何者なの? そしてシロのおかしくなった原因は? 「永久に謎のままだと思う」とか「ギリギリの状況だったの」とかの言葉だけで片付くか?多崎つくるがレイプ犯?にされ共同体から切り捨てられたことの問題が。 これじゃシロはただの狂った女でしかなくなる 共同体の色彩を持つ仲間たちにおいても掘り下げて描いてないから人物像が薄すぎて愛着がわかない 共感も応援も出来ない 色を含む名前の登場人物の発想はいいのに背景が薄っぺら過ぎてアイデアを生かしきれてない 勿体ない もっと内容を濃くしないと読後「?」の状態になる そうならない為にはこの倍の量を描くべきだったでしょうね とにかく主人公にしても「主人公の優等生」的な人物で何ひとつ感情移入しなかった クールでどこか影があり何不自由ないのに自分自身に自信がもてずあるのは不満だけ そして自分の魅力に気付いてないちょっと浮世離れした存在… どの小説見ても大体ミステリアスでクールな典型的な「主人公の優等生」ばかり まぁここまで辻褄合わせをしない丸投げの小説も珍しい 人のオーラ(色)が見える特殊な人間がいて緑川のような男が他にも存在し灰田やシロのような犠牲者を次から次へと選んで悪霊のバトンタッチが行われるという内容なのかもしれないけどそれにしてもラストの失速はちょっと考えられない 伏線の回収どころか終盤で訪れたフィンランドの情景と共にあやふやにまとめたという感じ 多崎つくるは水曜の夜に沙羅に会うことなく自殺してしまうと思ったけどそれも起こらずハッキリしない とにかく作者が描きたいことだけをかいつまんで描いたという印象 六本指の人とか新宿駅の有名な写真に対しての反論とか 沙羅との会話も一見知的でおしゃれに見えるけど幼稚なオウム返しには一体なんの意図があったんだろう そして文中の説明では運命共同体とも言えるあの5人の絆の薄さ、物語の空っぽさには寒気すら感じた ノーベル文学賞?とんでもない! そんな作品 | ||||
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少年時代から青年、大人に至る過程で誰もが経験するモラトリアムとアイデンティティの葛藤の物語。 テーマとしては村上さんの小説によく登場しますが、今回は今回で改めて面白く読めました。 いつまでも高校生の話、という話ともいえますが、村上さんの「物語」にとっての永遠のテーマなのかもしれません。 そこにしか物語がないのか、と言われれば、そうではないかもしれませんが、自分んははこの村上さんの小説にいつも気付かされます。 ナイーブすぎる37才のつくる君、そうでもないかなと思います。 | ||||
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☆ネタバレ含みます。ご注意ください☆ とても読みやすく、一気に読めました。 集合無意識の世界と通じるやりとりがリアルに描かれていて、そこが個人的にツボでした。 苦く傷ついた思い出を胸の奥底に沈めて蓋をして、何もなかったことにして人生を歩んでいるつくるに「記憶は消せても、歴史は変わらない」と自分の過去に向き合うチャンスをくれる沙羅。 その沙羅が旅行代理店の企画担当というのもぴったりです。 巡礼の旅はここから始まるのですから。 相変わらず、誠実でクレバー、理屈っぽくマイペースな主人公という設定はお決まりですが、積極性を持って自己変容を遂げていく要素は今までの作品の中ではあまりなかったように思うので、そのプロセスも新鮮でした。 また、自分のことを「僕」ではなく「おれ」と呼んでいるのも珍しいですし、鉄道オタクなところも面白いキャラクター設定です。 いつもの「やれやれ」をつくるではなく、沙羅ちゃんのほうから言われちゃうところも笑いました。 途中から、「ノルウエイの森」が懐かしく思えてきました。どことなく似ています。 学生時代の大切な友人を失うという設定が一致。 北欧の深い森や川、規則的で孤独な東京の生活、学生寮などシンボルチックなアイテムが共通すること。 どことなく登場人物が重なること。 ユニークで包容力のあるクロ(エリ)レイコさんのように思え、ユズ(シロ)の悲壮感はそのまま直子に。しっかりした沙羅さんは緑が大人の女性に成長したらこんな感じだったんじゃないかな、などと勝手に想像しながら読みました。 おまけに、ラストはどちらも電話のシーンで、この二人の恋路はいかに?というところで終わっています。 これは意図されたものなのでしょうか。 「ノルウエイの森」以外の作品からの繋がりも、随所に見られます。なんというか、ディズニーランドで隠れミッキーを探しているような感じ。 ファンにとっては、そういう勝手な解釈や想像を楽しめるのも魅力ですね。 読み進めながら、過去にご縁があって今では会えなくなった人々や失った情景を思い出して懐かしさとせつなさでいっぱいになりました。 でも「ねぇ、つくる、あの子は本当にいろんなところに生き続けているのよ。」と言ったエリ。そして、つくるが伝えたかった言葉「過去には戻れなくても、すべてが時の流れに消えてしまったわけじゃない。」 それを聞けて、私も救われました。 お話の中では集合無意識が闇のダークな部分として描かれていますが、同じ世界に光も存在し、そちらと繋がることもできるんだと、そう締めくくられていると私は解釈しました。 読み終わって、何かに突き動かされているような気がしています。 私も変容しなさい、と言われているのかもしれません。 | ||||
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ひどい作品でした。 以下ネタバレを含みます。 結局は1Q84のレビューで書いたことの繰り返しです。 私は世界の終り〜とアフターダークといくつかの短編だけは肯定的に評価します。アフターダークは意図的に未完結にしたという感がありますが、それでも都市の暗黒部分というテーマは大部分象徴的に表現されていると感じるからです。 ですがこの作品においては、色に関した名字の人物もその他の事も、やはり全てにおいて、深い意味はありません。 例えば作中に灰田の父親の話が出てきますが、特にその後展開はなく、ただエピソードを投げ出すだけです。それが作品の中で象徴的に機能していればいいものの、私には深いものは全く読み取れません。 私が(大げさかもしれませんが)絶望を感じるのは、何よりも作者である春樹氏にエピソードを展開して話を膨らませ最終的に解決する気が全くなく、そのような創作上の意識故に、実際その後物語は何の展開も見せない、ということです。 作中に夢の話がいくつか出てきますが、(物語の)作者は無意識に流されるよう漠然と夢のような情景を書くのではなく、意識的にその夢をコントロールして物語を大団円に持っていかなければならない、と思っています。(ただ、上に書いたことは絶対的に全ての作品に当てはまる理念であるとは考えていません)。 そのように通常はたとえ謎のような作品でも物語としては完結させるべきと思っていますが、春樹氏ご本人がこれでいいと思っていらっしゃる以上、どうしようもありません。 とにかく最後まで読んだということで、星二つです。 | ||||
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うーん、どこかで読んだことあるぞこんな話、という気持ちになった。 大きな流れも細かいディテールも違うのに、出来上がった全体は何か、見たことあるなにかに見える。 主人公が代わり映えしないのはいつものことだからいいとして、そのほかの登場人物にいまひとつ奥行きを感じない。4人の元親友も新しい恋人も消えた年下の友人も。 死に囚われるほどに苦しんだ絶縁も、あっさりと「ごめん」「許す」で乗り越えたし。 最後の最後でつくるが時間の経過について意見を述べるけど、それがこの話のいいたいことだとしたらこの本はあまりに薄い。 もっと大長編にすればいいのに。ロシア文学みたいに。 (年齢がほぼ同じで、20歳前後にきつい時期があって、とか個人的にシンクロする部分があったので面白かったけど) 1Q84のBOOK4は、どうなってるんですかねぇ。出るんですか、村上さん? | ||||
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いっきに読み終えました、現実的な内容の小説です(でも、村上春樹らしい作品です)。 なんとなく、大好きな「国境の南、太陽の西」に似た印象を持ちました。 村上作品は音楽で彩られていますが、今回はフランツ・リストの「ル・マル・デュ・ペイ/巡礼の年」が象徴的に使用されています。 この曲が醸し出す雰囲気は、この小説の読み方を示唆しているような気もします。 ちなみに、読後感は「国境の南〜」のほうが好きです(「色彩を持たない〜」は、なんか悲しすぎる…)。 ・ ・ ・ 自分は「つくる」から狂気を感じました。 ・ ・ ・ 追伸)村上さんはもう自らすすんで小説を書く気がないのかな・・・。 | ||||
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こんなくだらない本買って損しました。何を伝えたいのか理解不能。村上春樹って本当に才能あるのですか。 なぜ、世間が評価し続けるのか全くわからない。 | ||||
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読み終わって「ノルウェイの森」の世界に引き込まれそうになった。 そっと隣に置かれたもののように感じてしまった。 誰かが理解し続けている不条理。 それでも守るべき者のために闘ってきた人の営みがあったのだろう。 一人のさりげない死がみんなの心をつなぐすべであることの悲しさが最後まで続く。 音楽に彩られたこの作品は透き通った湖のように深く静まりかえっている。 | ||||
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村上春樹という作家を、他と比較して語るほどの力量を僕は持ち合わせていないので、毎回単純に彼の新刊を楽しみにしている。 今回の作品も、村上ワールド全開とまではいかないまでも、レトリックや言い回し、受け答えの仕方、研ぎ澄まされた文体、どれをとっても彼一流のものだった。 確かに、答えは用意されていない。しかし、それは初めから何となく予感できたし、そうであってほしいとさえ思う。 人は、音楽に癒やしを求めることができる。耳に入ってくるのだ、美しいメロディが。第九の歌詞の意味はわからなくても、最終楽章でカタルシスに達する人はたくさんいる。 しかし、絵画はどうだろうか?美しいメロディを単純に許容できる脳が、絵画になると、意味を読み取ろうとしてはいないか?もちろん、アメリカの1800年代の風景画のように、荘厳な風景画は、ある意味敬虔な感覚を呼び起こさせる。単純にだ。 村上作品は、絵画を鑑賞するのに似ている。底では自分で意味を見つけていくほかはないのだ。解釈は見る人に委ねられているのだ。だから、死やメランコリィなどの灰色のイメージと登場人物の名前における色彩との対比もできるわけだ。喪失感や厭世観を超えたところにあるのは、やはりヒトへの愛だった。 待った甲斐がありました。この作品に出会えたことに感謝します。 | ||||
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庄司薫と言って憶えている人はもう少ないのかもしれません。7年も待って青の物語が出版されたときには心底失望したものです。物語を紡ぐ力がもうこの人には残っていないのだなと思いました。それからしばらくして「風の歌を聴け」そして「ノルウェイの森」で、その物語りの続きに出会った思いがしました。30年も前のあの思い込みは見当はずれではなかったと確信できました。 現代の魂への気遣い。ノーベル賞を受賞しようとしまいと私はこの小説が好きです。 | ||||
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一部の名古屋から上京してくたくたな生活を送っている村上春樹ファンにとっては―少なくとも私にとっては―サプライズな新作でした。 主人公たちの高校時代の描写で、名古屋弁喋ってないのは変だろって突っ込みは野暮なので、 というよりマトモに喋らせたら、彼らの輝ける神秘性が根こそぎ失われるのでナシってことでお願いします。 このお話にとっては、これといって特徴がない、保守的などこかの地方都市が、 主人公の光芒の地であればそれでよい、といったような意味合いしか欲されていません。 ナゴヤが深い謎とメタファーに満ちた魔法の地、なんてことがある訳ないのです。あってたまるかい。 いきなり冒頭から主人公がアグレッシブに死にかかっているところから始まります。 鬱な主人公はいつもの事なので、そのまま読み進めると、青春時代の苦しい過去の出来事を経て、 鉄道駅を作る会社に勤める、30代の独身貴族が出てくるわけです。やっぱりね。 物語は高校時代の、主人公含め男3人と女2人の、奇妙なほどに完璧で神々しい友情の思い出と、 それらをある一本の電話により、取り返しがつかないまでに全てごっそり失って、 現在の主人公が浮かない顔で東京をぼそぼそめそめそと、しかし例によって美味しそうな飯を食べながら、 地味に(そして浮世離れに)生活する様とが交錯して描かれていきます。 大学時代に主人公が出会った、物語性に満ちた預言者のような後輩の青年や、 生きものである人間が身体を精神と対話させるための、儀式的な美を込めたスポーツ描写も出てきます。 そして例によって、年上で官能的で理知的な女性と、スマートな肉体的お付き合いをしていて…なのですが、 主人公が動き出しそうな予感を感じて、ここまでにばら撒かれた謎が回収されそうかなーと本の厚みを確かめてみると、 もう結構進んでしまった事に気づくでしょう。 べつだん彼にご大層な謎なんてないのです。お話にも、仕掛けも謎もないのです。(星が4つなのは当初の期待の方向が違ったせい) 主人公は、内っかわに宿り続ける過去に、振り回され、痛めつけられ、対峙さえできず、 心底嫌になって、とうとう『未決』の箱にぶっこんだという大人風対処について、例の年上美女が、 あなたずっと箱の中にいるのよ、と女神の啓示を下されまして、 主人公はさいしょ恐る恐ると、やがてすさまじくアグレッシブに『未決』と向き合い、 あの失われた友情をほどいていこうと、かつての友にアプローチしていきます。そして不可解であったことが解明していくと、 それは残酷な事実として意味を成し、より深く頑迷な苦しみとなって主人公を戸惑わせ、後悔させ、内っかわを苛むのです。 外側から彼を見れば、いい年して何やってんの、としか見えません。お金にも女にも困っていないんでしょ、ふうん。 それでも彼の内っかわは、毎日禿鷹に臓物を食い千切られても闇夜が明ければ再生するプロメテウスのように、 繰り返し繰り返し傷つき、悪夢にうなされ、そしてまた性懲りもなく傷つくために目を覚まします。 彼は死ぬことができなかった。自らで終わらせることもできず、常に鮮明な痛みに巻き戻されながら頭は年を取り、生き続ける。 それはおそらくどこにでもいる、若い時に自殺を考えたことがある、30代のぱっとしない、人生うまくいかない日本人と(おおよそ)同じ。 他人に聞かせたらドン引きされるか説教されるかしそうな過去を持っている、ただそれだけの主人公。 しかし、プロメテウスは火を持ってきた男です。 つくるは駅を作る男です。文明の動脈を愛する人間です。 その情熱も、内っかわを焦がすはげしい痛みの一つであることを、忘れるはずはないのです。 | ||||
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1987年の暮れに偶然書店の店頭で『ノルウェイの森』上下巻を緑と赤の綺麗な装丁に惹かれて予備知識無しに買って帰り、その物語世界と文体に完膚なきまでに魅せられて以来のオールド・ハルキストです。ハルキストだからこその苦言を呈させていただくものです。 当時出版されていた全著者を一気に買って読んでわかったのは、大変失礼ながら村上春樹さんの著書は作品により、魅せられる読者が限定されるようだということ。羊シリーズは当時自分にはどうしてもその魅力を理解できませんでした。 それ以来25年余り、長編では『ダンス・・・』や『世界の終りと・・・』、短編集では『回転木馬のデッドヒート』、エッセイでは『もし僕らのことばがウィスキー・・・』など、素晴らしい著書の数々を長年に渡って楽しませていただきました。しかしながら、あの『ノルウェイ・・・』の神がかった凄さを超える作品に出会えまま四半世紀を過ごしてまいりました。『ノルウェイ』には、登場人物の全ての皆さんが、本当にそこに存在しているかのような神がかったリアリティがありました。 前作の1Q84も実は失礼ながら妻は読ませていただいたのですが、自分は手にとることができませんでした。 今回、久しぶりの長編ということで初版1刷を購入させていただき、読ませていただいたところ、久しぶりに接する『ノルウェイ・・・』のような失われた自分探しのストーリー。「もしかしたら『ノルウェイ・・・』を超える世界を体験させていただけるのではと、久しぶりに夢中でページを繰り始めました。 しかし・・・、私は悟りました。『ノルウェイ・・・』はひとつの奇蹟であって、あれを超える村上センセイの作品にはもはや出会えないのだという事を。 十分引き込まれる物語世界ではあったのですが、それぞれの登場人物の人物造形が、『ノルウェイ』ほど完璧ではなかった。紗羅は緑ほど魅力的に描かれていなかった、シロは直子ほどのリアリティを残念ながら感じられなかった。永沢さんやハツミさんやレイコさんのような素晴らしい魅力二に満ち溢れたバイプレイヤーも見当たらなかった。 しかも、未解決で残された疑問の残され方があまりにも杜撰ではないでしょうか。絞殺されたシロさんのこととか。 ハルキストの皆さんの多くには、『ノルウェイ』の再体験をずっと追い求めてきた方が多いのではと拝察致します。 村上春樹様の文体で展開される世界に魅力される永遠のファンとして、この作品にはあえて苦言を呈させていただくものです。 | ||||
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相変わらず性描写が詳細過ぎて全面にお薦めは出来ません。 次回作があるなら是非性描写なしで19章のような表現で文字数の多い作品を期待したいです。 それくらい最終章が良かった! | ||||
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