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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全1023件 761~780 39/52ページ
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たつるが、この本をようやく手にした時、テレビからは100万部売れたとのニュースが流れていた。そして1週間が過ぎた。人はどうしてとり憑かれたようにハルキの本に群がるのだろう。まるで牛が水を飲み、馬がものを食べるように、あるいはゾンビランドの住人のように、いやこの気色悪い連想は止めておこう。自らがその一人であるから。いづれにしても3年ぶりのご馳走はゆっくり楽しむに限る。 たつるは、つくるに思想性は求めない。思想とは社会事象の何かを提示し、その是非を判断し、因果関係と相関関係を整理し、そして何よりもその解決策とビジョン、そこに至る方策が示されなければならないからだ。ここにはそれはないし、エンターティンメント小説として、どれほどのものかが問われるだけだ。それはハルキの社会的場面での言動に譲るべきだ。 さて、読み進む。友人たちは、青春、朱夏、白秋、玄冬、五行思想からの借用か色付の名前を持つ。つくるは色彩を持たない。Colorlessだと自他とも称している。しかし、Invisibleとは言っていない。さすれば、何かの実体があれば、光の反射を受けて目に見えるものがあるはずである。色彩に遠いものとすれば、クロとシロそしてハイとなる。これはキーワードパーソンに違いあるまい、つくるの分身であろう。やはり地下深いところで繋がっていた。そしてEmptyからの脱出を図っている。あるいは素敵な価値あるEmptyを目指して。 ハルキの小説には、日活ロマンポルノ映画と同じく、決まりごとのようにPeriodicalに性的場面が出てくる。相手は少女と年上の女性。「ノルウェイの森」も「海辺のカフカ」も「1Q84」もそうだ。そしていつも勃起と大量の射精、まるで馬のように。今回も同一だ。つくるの新しい相手は、年回りからいって本人に失礼だが丁度、米倉涼子みたいな魅力的な人だ。なぜ、いつもエロ小説もどきの展開があるのだろうか。そこには深い訳があるはずだ。生と死と性、それは人間にとって大事な事柄だ。喪失の恐れがあるのだろう。或いは過去のあの頃の懐旧か。 つくるは、嫉妬と喪失についても語っている。そうサリエリがモーツァルトに嫉妬し(映画アマデウスで)毒殺を試みたように嫉妬は他者に危害を与えかねない忌まわしきものだ、大事なものを喪失した場合は深い悲しみとなり自害を考える。子供のない寂しさよりも子供を失った時の悲しさは計り知れない。 推理小説でもない、謎は未解決である。あるいは解は本人もわからないのかも知れない。年上の女性との仲はいったいどうなったのだろう。勃起不全は直ったのか。ハルキがどこまでも骨太いテーマとして、エロ小説に堕しない小説を書き続けるなら分岐点はそこにある。性的場面のない小説で万人を楽しませるか。でなければなぜ、品格を失う危険まで冒してまでそこに拘るのか必然性を明らかにする。それがつくるに代わっての巡礼の年になるであろう。それを見届けるまでは、愛読者として、たつるはこのサークルから逃避することはない。 追記) たつるは長い二日間の眠りから覚めて、あらためて思う。つくるの巡礼で現実の社会の何事かがいささかでも変わり得る力を与えるのか。小市民の内省への囁きはあっても、社会的メッセージはない。ハルキの読み方に間違いのないことを再度確認し、期待と空しさを感じる。もっと自由を語れ、そこには無限の希望があるはずだ。 | ||||
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私は、村上春樹さんの「ノルウェイの森」と「1Q84」と本作の3冊しか読んだことがありません。 村上春樹さんのファンでもアンチでもなく、ただ話題になっている新刊という理由で、暇つぶしの為に本を購入し、読了しました。 感想を申し上げると、この作品のテーマは「過去への決別」ではないでしょうか。言い換えると、孤独や喪失感からの克己というか・・・。 「ノルウェイの森」と同じテーマだと感じました。決して、同じテーマを書くのが、悪いなんて思いません。作家として表現したいことの一つを複数の作品で描くことに私は、むしろ賛成です。が、しかし、1987年に作者が37歳に頃、37歳の主人公が、1968年頃学生時代の思い出を描いた「ノルウェイの森」と、2013年に作者が64歳の現在、36歳の主人公が95年頃の学生時代の思い出と現在を描く近作に、発展のようなものは感じることができませんでした。 発展よりも、むしろ後退してます。 物語の冒頭は、特有の「比喩の長回し」がありますが、途中から作者が変ったかのごとく変化する文体(良い意味ではなく)、複線を張りすぎて、収集が付かない物語(それでもなんとかまとめようとしてた「1Q84」)、等。 64歳の作者の世代論みたいなことは置いといて、村上春樹さん限界でしょう。本当にお疲れ様でした。80年代的な文章を読みたい時に、またあなたの過去の作品を多くの人が手に取るでしょう。 | ||||
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私は熱狂的なハルキストではありませんが、これまで氏の作品を多く読んできました。 ここでの評価があまりにも低いので今回は覚悟して読みましたが、何の何の、悪くないです。 テレビや新聞であまりにも騒がれすぎて、レビューを書かれている方の中には普段こういった小説をあまり読まれない方も多いのではないでしょうか? 村上氏の作品は、胸がすくようなわかりやすいエンターテインメント小説とは違います。 扱われているテーマも、一定の年齢と経験を経なければ理解が難しい部分があるかと思います。 ある程度、読む人を選ぶ作品なのではないかと思うのです。 これから購入しようとされている方は、ぜひフラットな気持ちで手に取っていただきたい。 読んで合えば良し、合わなければそれも良し、です。 合う合わないはお薬と同じ。飲んで(読んで)みなければわかりません。 | ||||
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広告を参考に購入しましたが、思ったほどではない。描写は、素晴らしいのだが話は、駅は人の生き方の通過点であり、人生は駅を作る作業と同じである比喩を判るまでが途中だれる。あと伏線回収が不十分で、読み終わった後に消化不良のような気持ち悪いわだかまりが残る。誰かもわからない、どんな選択が待ち受けているかもわからない。それが、人生という村上春樹の狙った技法なのかもしれないと割りきらないと面白くないと思います。 | ||||
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出だしは、推理小説か? ――と思うような謎が提示されて…その謎の答えを知りたくて読んでいきました。 終わりのほうに「悪霊呼ばれたものの正体は永遠にわからないだろう」と書いてあって「…えっ!? そんな馬鹿な!」という気分です。 どう考えても納得のいかない憶測が少しあったかと思ったらそこで終わり! この中途半端な感じをブンガクと呼ぶのでしょうか? そもそも、主人公の多崎つくるが「何故、色彩を持たないのか」、「何故、向かうべき場所がないのか」それに「何故、そういう性格になったのか」がまったく語られておらず、理解も納得もできないので、「こういう男がいました〜」と本一冊を使って説明されても、「だから何?」という感じです。 でも、こういう雰囲気が好きな方もいらっしゃるんだろうと思います。わたしはまったく理解できませんでしたが。 星は、一つだってつけたくないですが、一つが最低なのでしかたなく。 | ||||
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20ページほど読んだところで投了。 『1Q84』もそうだったけど、文章表現がまわりくどい&水増しした感じがして個人的にはイライラしてしまう。 そのわりに性的な描写は露骨だったりしてどうも好かん。 | ||||
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1おい春樹どうしたんだよ?と言う言葉が当てはまりそうな小説です。長編ではなく中編ですね。 処女作の「風の歌を聴け」の時のレベル程度の小説になっています。中編ではあまり評判が良くなかった、「アフターダーク」より面白く無かったです。 2とは言ってもつくるが他の仲間から疎外された、あたりまではまずまず良かったと思います。 3春樹さんは日本国内ではGReeeeNみたいにメディアに出ないのにノルウェーなどでは講演、読書会なんかしてノーベル賞が欲しいのがミエミエですね。 3国外の題名は「フィンランドの森」にしたら10月に吉報が来るかも知れませんね。 4灰田くんがつくるの精液を飲んでやさしく綺麗にする、なんてあるのにはビックリ仰天で食欲が無くなりました。 5「巡礼の年」って偏差値が低い私は四国八十八ヶ所巡りだと思ってました。クラシックの題名なんですね。ほんとに私は馬鹿でした。 でもマイナーなクラシック音楽なんかばっかり書く事は俺はクラシックとジャズや酒の名前はお前たち読者より知ってるぞ、と言う優越感なのでしょうか? 6春樹氏の小説では必ずと言っても良いくらい忽然と消える人がいますが、灰田君はどうなったのしょう?まあ灰田君は どうなっても良いけど1Q84の天吾君の不倫相手の人妻はどうなったのか知りたいです。 7前半面白くて後半の閉めを失敗してるので今回は★3としました。 | ||||
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私は今までの小説で一番いいと思いますが。 読みやすくて内容が深い。彼がずっと目指してきたことが、ここまで実現されたか!と感動しました。 そしてこの作品の品格の高さが評価され、今度こそノーベル賞…という流れを期待しますけどo(^-^)o 村上春樹の小説は大好きですが、今まで「それでも嫌なこと」がいくつかあったのですが、それがクリアされたので大満足です。 例えば、今までのは、読後感が半端で物足りず、ずしんとこない/知的な人物が無駄に愚かな行為をしすぎて納得いかない/作者のうんちくのひけらかしを控えてほしい(こんな人物がこの音楽についてこんなこと言うわけないとか)/謎を残して終わることがずるい/結構偏見バリバリで公平さに欠けるところがあると思う/等が不満だったのですけど。 今度はいい感じです。 「海外では評価が高かった作品」みたいなところに落ち着くんでしょうかねー。どこまで売れるのか楽しみ♪ | ||||
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とりあえず文学を「言葉で表現された認識の提示」とすると、この作品に見られるそれは新規かつ有効であって、更に今を生きる人々に必要だと思える。それはどこかの国で政治的な救済を書くよりずっと困難で創造的な文学的に良い仕事だ。ノーベル文学賞にふさわしい仕事だ。 この物語もまた多くの村上作品と同様に恋愛小説だ。我々にとって恋愛は人生の大きなテーマだ。生物の二大本能の「個体保存の本能」を「生きたい」と表現するなら、「種族保存の本能」は「子供が欲しい」となる。「子供が欲しい」は「恋愛したい」「異性にもてたい」「性的魅力をアピールしたい」と解体できる。なんと多くの人がこの本能に突き動かされて生きている事に無自覚な事か。主人公もまたこの二つの本能に無意識に従って生きている。無論、彼の理性は絶えず周囲の環境を把握し対処しているが決して十分ではなく正確ですらない。 例えば、タイトルからしてそうだ。「色彩を持たない多崎つくる」とあるが、シロとクロ(灰色もそうだ)は色かもしれないが「色彩」とは言わない。高校の仲間五人のうち「色彩」の名にふさわしいのは実はアカとアオだけなのだ。五人は正五角形のようだったと文中語られるが、「巡礼」の結果、彼は錘のような存在だった事が明らかになる。ならば、五人の関係は逆四角錘と表現されるべきだ。確かに正五角形よりその方が安定している。また、夢の中で「色事」をなす三人が単なる色で色彩でない事も作者が意図していないはずがない。さらに言えば、物を作る行為は色彩や白や黒の陰影を支配する光と無関係ではいられない。例えそれが自然の光から遠い地下鉄の駅でも。ならば、実は”つくる”は四つの色をコントロールする存在だったのか?関係は正四角錘型だったのか?或いはそれが無意識に感知され破壊、更に復讐を試みられたのがあの事件だったのか?それとも、事件現場が正しければ灰田の仕業?謎は深まるが、可能だと思われるシロの姉に対する訪問は行われない。結果、読者は解決を拒否された謎として受け止める事を余儀なくされる。作者の意図に強制されて。 もし、この作品が推理小説として書かれたならあまりにも多くの謎が未解決でデタラメな作品だと評する事も出来る。だがこれは、「文学」だ。世界の全てを理性で把握できると考える「近代的認識」を越え、決して全部は充分に把握できないんだよと新しくて有効で絶望的な現実認識を我々に突き付ける。 前作のように大部でなく、相変わらず面白く、美しく知的で興奮する。物語としても文学としても成功しているこの作品こそノーベル文学賞にふさわしい。 | ||||
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はっきり言って、なんでこんな本が売れてるの? 色々な話題がみんな投げたら投げっぱなしで、最後にうまくつながるのかと思って読んだのに、解決しないままで、勝手に主人公の中でめちゃくちゃ勝手な解釈して、はい終わり なんだこりゃ? 読み終わったあとに悶々としただけだった 久々に村上春樹の本を読んだけど、やっぱりこんなもんかと思った | ||||
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思わせぶりなだけで、結局何にもわからないし、のこらない。 それが良いんじゃないと言う方もいるのでしょうが、私にはモヤモヤが残るだけで、どうもいけません。 登場人物が…言い方が良くないかもしれませんが、みんなスカした奴に見えて、全く心に響きません。 泣く子も黙る売れっ子作家さんだということは十分わかっていますが、私には合いませんでした。 | ||||
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突然起こった納得のいかない出来事。それが主人公・多崎つくるのその後を大きく決定づけた。 これは彼がその出来事に立ち向かい、消化していくお話。 テーマもシンプルで読みやすかったです。 静かで、つくるの喪失感も共感しやすいものだっただけに心にしみいります。 つくるは昔から駅が好きで、大人になり駅の設計の仕事をしている。 駅というものはは終着駅でない限り、ほとんどが通過点。 これまではみんなまるで駅を通過するようにつくるの元を通過していった。 でも、あの人だけはここを終着駅にしてほしい。 最後はもどかしい終わり方だっただけに、そう願わずにいられない。 つくるは自分だけが持ってないものを気にしすぎて、自分が持っているもののかけがえのなさに目が向いていなかった。 この巡礼は自分自身を見つける旅でもあったのかもしれない。 きっと大丈夫、あなたにはあなたの色がある。今はつくるにそう言葉をかけてあげたい。 静けさと孤独感に耐えられない人もいるでしょう。退屈に感じる人もいるでしょう。 変にベストセラーになってしまったことが評価を下げている気がしてもったいない。 これは本来、こんな売れ方をするべき本ではないのだと思うのですが・・・。 なんだか村上さんが気の毒に思えるのは私だけでしょうか? | ||||
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この小説では、友人からの突然の裏切りや、連絡が取れなくなる等といった、多くの人が経験し傷ついたことがありそうな、普遍的な問題に取り組んでいます。そういった問題に対して、村上春樹さんが長年取り組んできた、多面的な世界の見方を使う事によって、答えを出しています。 神秘主義に走りがちだった過去の作品に比べると、スマートな小説です。その分、芸術家らしい破天荒さや、不道徳さはなりを潜め、節度ある作品になっています。 愛と優しさのある、良いテーマだとは思うんですが、村上春樹さん独特の、洗練され都会的なスキマのある文体が、こういうテーマにはあまりマッチしているとは思いませんでした。 この作品を読むと「神の子供はみな踊る」は奇跡的なバランスのとれた凄い作品だったなぁ、とあらためて思い返されます。 村上春樹という、日本文学の偉大な作家のピークはもう過ぎてしまったのかなぁ、と少し寂しい気持ちになりました。 | ||||
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本書の読後感は、決して良好なものではなかった。 はっきり言ってしまえば、むしろ、その真逆であり、 本書を読み終えた後に身体に残ったのは、不快な「徒労感」のような気分だった。 自分にとって印象的であった事柄を、幾つか書き留めておきたい。 まず、本書のある部分において、人物造形の掘り下げの甘さのようなものを 感じないわけにはいかなかった。 一例を挙げる。灰田が、主人公の前から姿を消した理由が明らかにされていない。 こうした、「尻切れトンボ」のような処理が、この作品の、小説としての質を 高めているとは私には思えない。 むしろ私はこのことに対して、否定的な印象しか持つことができなかった。 「徒労感」といってしまってもいいような不毛な印象を本作品から受けた 最大の原因は、この物語が「死者」を中心に回っているという、 本作品の構造そのものにあるように思う。 この物語の発端は、主人公の「親友」たちの裏切り行為だった。 長い時間が経過したあとに、本書の主人公は、真相を得るために、 かつての「親友たち」を訪ねる決心をする。 だが、裏切りの張本人が既にこの世にいないため、主人公が得た情報は、 真相の「アウトライン」だけだった。 かつての「親友」たちの弁明からは、 死者の周りをむなしく空転し続けているような印象しか受けることができなかった。 しかも、「向こう側」にいってしまった死者(主人公のかつての「親友」の中の一人だ) は、これまでの氏の作品によく見られたように、彼岸から、饒舌なメッセージを 読み手に投げ与えてくれるわけではない。 その人物像はおぼろで、読者として、彼女の明確な像を心の中に浮かべることに 困難を覚えた。 また、彼女が、犯人のわからない誰かによって命を奪われていたという設定からは、 「作為」すら感じられ、違った意味での虚しさを感じないわけにはいかなかった。 死者(あるいは死にゆく者)を土台に物語が組み立てられる構成は、これまでの 氏の作品には繰り返し採用されたものであり、目新しいものではない。 だが、互いが親友同士であると信じていた五人の若者たちの「背信劇」 の張本人が、既に死んでいて、この世にいない、という今回の設定は、 この死者の存在感が薄いことも相まって、 読者としては、かなりキツい思考の操作を強いられることになった。 今回の「死者」の「起用方法」は、「瑕」というよりは、 「作品として根本的に駄目な部分」と言ったほうがよいのかもしれない。 それを修正するには、小説そのものを、土台から、 根本的に直さなければいけないような類の。 ボリュームがあるとは言えないこの物語の中で、 (人物造形の細部に関しては幾つかの疑問が残ったものの) 印象的で興味深いキャラクターを次々に繰り出してくる作者の手腕には、 いつもながら、舌を巻かざるを得なかった。 だが、すべてを読み終えた後に私が感じたのは、 作者の企みを捕まえることができなかったという、「不充足感」と「徒労感」だった。 「不充足感」の中には、本作の、作品としての出来栄えに対する「疑念」も含まれている。 | ||||
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1Q84みたいなのはもちろん期待していなかったが、それにしても文字通り色彩がないというか、すべてが淡々と進みすぎて、最後読んでて「あ、終わっちゃった」という感じ。本当に空気みたいだった。なくなって(読み終わって)やっと「あ、読んでたんだ」と思ったというか。抽象的比喩もあまりなかったので、読んでる側も頭使わずに読めるからか?もちろん全体としては面白かったが、手放しで面白かったー!というのもなかった。あとからじわじわと来るのかもしれないが。しかし、読後に意外にも「ガッカリ」という気持ちも無いのが空気っぽいというかなんというか...読んで損は無いとは思う。 | ||||
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同じテーマを繰り返しながらその内容を深めていく彼の作品も、とうとうここまで表現するようになったかとひたすら関心。1Q84がなぜあんなに売れたかは謎だが、今作こそより多くの人に読まれるべきなんじゃないかと愚考する次第。人間、人生というものをこんな平易な文章でここまで掘り下げて描けるというのは驚き以外の何者でもない。心が震えました。 | ||||
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村上作品はほとんど読んでいます。 文体はとてもやさしくきれいで、あまり難解なところはなく、すらすら読めます。 登場人物も村上作品の中では庶民的、というか、親しみやすい人物ばかり。 ただコアな村上ファンにとっては物足りないところもあるかもしれません。 確かにテーマや構成は以前にも似たような作品があり、繰り返しのように思えるかもしれません。 それでも、わたしは読んでよかったなぁと思います。 終盤はどうしても311の震災を連想せずにいられませんでした。 生き残った者達はそれぞれの持ち場で生きていくしかない・・・ 「駅」という「メタファー」がとてもすてきでした。 | ||||
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他の方が既に書かれているように「国境の南〜」などに似ている テーマかも知れませんが・・・ 愛する家族や友人を事件・事故・いじめ・地震・テロなどで失い 苦しんでいる残された人たちへ、助けてあげられなかったと苦しんで いる人たちへのメッセージだったのではないかと思いました。 「つくる」とは「生きる」ということなのではないかと・・・ ホームで電車を眺める行為は、坦々と生きることの難しさを表現して いるのではないでしょうか。 自信がなくて、自分を過小評価して苦しんでいる人たちへ、様々な トラウマに苦しんでいる人たちへ、河合先生との会話を思い起こしながら、 書き上げた作品なのではないかと思います。 | ||||
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大学生の頃からかれこれ15年ぐらい村上作品を読んでいます。 彼の作品の中では比較的読みやすい方に分類されるのではないでしょうか? わたしたちは誰もが多かれ少なかれ、つくるくんのような、誰かに傷つけられたままの心を引きずっていて、それでもなお人と繋がることでしかその傷を癒すことはできません。 つくるくんは幸い、さらに出会ったことでその傷に気づくことができて彼なりにそれを受け入れるところまでできました。 さらを愛しているって最後に電話で告白するところがすごく感動したし、勇気をもらいました。 村上春樹の作品によく出てくる魅力的な中年の女性みたいになれたらいいなって、読むたびにいつも思います。カフカの佐伯さんとか。 | ||||
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結論から言うととても面白かったです。 村上春樹さんの小説ははじめて読みました。 文章力がものすごく冴えていると思いました。 現代活躍する作家の中では図抜けた存在ではないでしょうか。 とにかく文章が美しく、巧みなので、読むのが遅い自分でも感心しながらスラスラ読めました。 彼の昔の作品は読んだことがないので、比較できません。 ただ、才能を得た文学者は、自らに降り注ぐインスピレーションを文字に変換する預言者だと私は思っています。 その預言が読む者にとって光であることもあり、雨であることもあり・・・。 今回の作品は多くの方が酷評されていて、私もそれを踏まえてよみました。 私には素直に良い作品でしたし、フィンランドの明るい夜のようにピカピカの光を、そこにみせてもらいました。 | ||||
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