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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全1022件 701~720 36/52ページ
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すぐに欲しかったのに売り切れでした。過去の出来事を見つめなおすことは大切なんだなあ。 | ||||
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本当つまりませんわ。 この本を読んでも虚無感に苛まれるだけでした。 プラスになることは一切無く何も残りません。 ただ時間を浪費したということだけ。 凡人が書いたものなんてこの程度でしょう。 ゲームをした方がセーブデータという形に残り遥かに有意義でしょう。 あまりの駄作っぷりに表紙を見るだけでイライラしますので後でゲオで売却しようかと思います。 ☆5を付けている者は出版関係者かと思われます。 皆様騙されないようにしましょう。 これに数時間注ぎ込むのならばCoDBO2を買った方がいいですよ。私はこのシリーズの大のファンで毎年海外版、字幕版、吹き替え版の3本購入している程です。オススメです。ただし低スペックかつ過疎っているwiiU版は控えましょう。 偉人の自伝以外の小説は説得力が無く浅知恵の駄作しかないのです。 お金の無駄ですわ。知識も付く、達成感のあるゲームをやりましょう。 | ||||
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何やら酷評の嵐が吹き荒れているので擁護レビューを。 中身が無い、または現実的じゃなくてイラつくという理由で叩かれていますが、村上春樹さんの小説って総じてそういうものだと思います。 私は村上春樹さんの大ファンですが、なぜファンかというと幻想的な雰囲気の心地良さと文章のテンポの良さが群を抜いているから。 この小説もそうです。 分かりやすい確固たるメッセージ性やオチはありませんが、読んでいるときの気持ち良さは抜群でした。 歌詞が無く、心地良いインストゥルメンタルの曲を聴いているときのような。 もしくは、居心地の良い喫茶店で茶をすすっているときのような、そんな気分になれると思います。 仮に村上春樹さんの小説に分かりやすいメッセージ性やオチがあったら、恐らくその"感じ"が台無しになってしまうんじゃないでしょうか。 絵画で言えば写実性がない抽象画みたいなものかと。 ただ、今作は村上春樹さんなりの新しさは感じられませんでしたね。 すでに読んだことあるような…既視感を覚えてしまいました。 そんな理由で星マイナス1です。 | ||||
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村上春樹さんの本は今までノルウェイの森しか読んだことがありませんでしたが 今回、冒頭を流し読みして興味を抱き、購入に至りました。 ※下記ネタバレを含みます。 結論から言いますと、人を本気で好きになれない人、 また、その人を好きになった人を対象に描いたもので、 上記のような経験がある人にも読んで欲しい本だと思いました。 前者がつくるくんで、後者が沙羅なのではないかと。 本気で好きになれないのは、その先にあるかもしれない孤独が怖いから 本気で好きになれるのは、孤独を幾度と乗り越え理解した経験からの強さがあるから 経験を人生の道と例えるなら、 その経験を積んでいて理解していた沙羅は、 つくる君が今どこの道にいるのか、どこで立ち止まったままでいるのか分かっているように思いました。 だからこそ、早く自分と同じスタートラインまできてほしい 自分を追って、本当の「多崎つくる」にまっすぐ見て欲しいと思い 進むべき道の選択肢を与え、導き、その道をつくる君が巡礼という形で 廻ったのではないかと感じました。 つくる君が信心深い巡礼者であるならば 例えるなら沙羅は聖なる存在で 懺悔できる神様みたいな対象なのではないか、と。 だからこそ、彼女から言われたとおり聖地を巡礼して 最後に彼女の元に戻ってきた。 すべて今まで抱えていたものを禊落として、やっと0の自分に生まれ変わって 沙羅と同じ位置に立って、そこで「本当の多崎つくる」として告白をする。 最後はご想像にお任せします、という終わらせ方が憎いですが、 私はきっとうまくいったと確信しています。 村上春樹さんの作品はノルウェイの森しか読んだことがありませんが、 その本より今回出された本の方が好みです。 この本を読んで、私も沙羅のように 器の大きい女の人になりたいと思った作品でした。 また、つくる君に感情移入した方だけではなく クロや沙羅に感情移入出来た女性の方もなんとなくすっと 禊落とされるような気持ちになるのではないでしょうか。 | ||||
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とその時、どこからか微かに聴こえてきたのは、リストの「巡礼の年」のあえかな響き。「ロ短調ソナタ」では豪放磊落に叩きまくっていたラザール・ベルマンが、ここでは自らが発する繊細な音色をいとおしみつつ聴き入っている。かつて死せる吉田秀和翁が初めて見出したロシアの眠れる獅子のリリシズムに、作家は改めて出会ったのだ。 晴朗明晰のうちにも悲愴なモーツアルトの音楽のような文章を書いた漱石、ハイドンのような典雅な調べに激情を内封した鴎外、荷風、由紀夫、バッハのフーガのような螺旋運動を繰り広げる健三郎、「春の祭典」のごとき猥歌を高唱する健次。優れた小説においては、引用された音楽の引用ではなく、踊るように歩行する散文自体が音楽の響きを奏でる。 村上選手も好調な時にはハープシコードで弾いたスカルラッティのような軽快な律動で私たちを酔わせるのだが、今回はいくら耳を澄ませても妙なる調べは聴こえてこなかった。それはもしかすると彼が脳内に英語で記した幻の原文を、精妙な現代日本語に丁寧に置き換えることを怠ったからかもしれない。 けっして上出来とは思えない比喩の繰り返しや、突然消え去る登場人物の謎を読者をしり目に平気で置き去りにする恣意と乱暴さについて目くじらを立てるのは大人げないとしても、前作の影を引きずったように突然投げ出される「悪霊」「悪霊のようなもの」とはいったい何だろう。というより、説明責任を放棄されたそれらの奇妙な用語と概念は、村上ワールドのワンダーとリアルにいちじるしくなじまない難解さと生硬さを持っているようだ。 はじめは処女の如くおずおずと開始されたこの物語は、例によって脱兎の如く曖昧模糊とした予定調和の森に飛び込んで、恐らくは二度と姿を現さないだろう。いずれにしても本作は前作の水準には遠く及ばず、残念ながらノーベル賞受賞作品には値しない。 | ||||
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お値段もそれほど高いとは思われません。作家が時間をかけて書いた作品を、購入者である読者は、それこそあっという間に読み終えてしまって、また違う作品に興味を移して行くのですから、これほどの贅沢はないと思います。昔は、村上春樹さんの作品を読むと、自分がすごくダメな人間に思えて嫌になってしまいましたが、「1Q84」を読んでからというもの、こんなヘンテコで面白い作品を書く人だったんだと、考えを新たにしました。この作品にも、個人的に心を打つ言葉がいくつかありました。優れた作家というものは、人の心が持つ秘密をたやすくあばき出すのでしょう。それはとても怖いことではあるけれど、快いことでもあり、だから私は本を読むことをやめられないのかもしれません。 | ||||
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映画を1本見たような感じです。 私なりに、村上春樹小説の好きなところを考えてみました。 推理ものでもなく、かといってベタな恋愛どっぷりものでもなく、 社会派で正義感をふりかざしてもいないけど、 日常からちょっと外れた(変わった)事件が起きて、 それに向かって解決をしていく、という筋書きなんだ, という結論に至りました。 バランスが良くて読みやすい、というところです。 それにしても村上春樹さん,走ったりして体を鍛えているからでしょうか。 感性が若い!!と思ったのがこの作品の感想です。 | ||||
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「国境の南、太陽の西」と読後感が似ていた。切ないといえば切ない気持ちになるのかな。 いい大人がいつまでも引きづりすぎじゃないかと思うがそれもそれで村上春樹らしい。 | ||||
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以前から村上春樹さんの作品は愛読させていただいており、その新刊ということでさっそく購入しました。 まだ読んでいませんが、カバーもおしゃれで、タイトルも内容の面白さを感じさせてくれるような題なのでオススメです。 | ||||
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他人に流されてファッション感覚でブランド作家の新刊を並んで買って読書するからそうなる。高い金払ってガッカリさせられた。ワハハ。 | ||||
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大多数の小説、村上作品を読んでいます。それを踏まえての感想になります。 いつもどおりの登場人物がいつもどおりの台詞を吐いています。登場人物に血が通っていないんですね。 実に気持ち悪い。やはり僕には村上作品は肌に合わないようです。 ただ、読めばすぐにそれとわかる確固たるブランドを築いている点は事実として認めざるを得ない。 ただ、これまで読んだ小説の中で、村上作品ほどつまらないものも珍しい。カンガルー日和、回転木馬だけですね。 | ||||
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ノルウェイの森以来読んでみました。 こんなにつまらない小説をこれだけ売りさばく手法はノーベル経済学賞ものですよホント。 | ||||
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ラストでモヤモヤする読者も多いようですが、このストーリーは、つくるが新しい場所へ向かうために自己と世界に対する認識を新たにするプロセス(いやぁ、青春ですね)が中心なので、あの結末で問題ないでしょう。数年前まで高校生だった私には、おもしろく読めました。 私なりに要約すると、以下の通りです。/たまたま与えられた場所が最高に心地よくて、そこのメンツが大好きで、そこで形成されたアイデンティティが何よりの自己認識だった。でも自分の夢を叶えるべく外の世界に出たら、今までの場所からは完全に追放されてしまった。帰るべき場所を失い、そのショックから死にたくなったりもしたけど、巡礼の年月(いわば殉死した自分に向き合い、弔う旅)を経ることで、最後にはまた誰かを欲することができる幸福感に包まれる。 | ||||
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こんな物に群がる人達の存在が信じられません。 全くの資源の無駄です。 題名も表装も本文も真っ白なら価値が無限大に広がるという物です。 | ||||
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あまりの人気で釣られて読んでみたが人気の理由がわからない。 評価は☆2つ 理由としては下記に記載する。 '@表現方法 比喩などの表現方法が多く、非常に読みにくい。 現代文学であるのに対して、著者があえて難しい表現をして文才があるように見せてるだけ 使用する漢字についても同様のことがいえる 'A展開 どこがとは書かないが(ネタバレになってしまう為)矛盾点がある。なにより中途半端である。 そして私が一番気に入らないのは最後。 終わり方として最低だった。展開を読者任せにするにしても中途半端であるし、展開を想像させるほど心躍っての終盤ではない。 以上の2点 | ||||
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「ねじまき鳥」「カフカ」など、 イラっとする作品もありましたが、 ここへきて、暗喩として投げっぱなしに見えていたことが、 ようやっと、小説のなかで見える形で像を結んできたなあ、 と、偉そうにも思いました。 村上春樹の小説は、どれもこれも、 「ファンタジー」のように、つかみどころのないところが 魅力だったのだけど、それを脱皮したのではないか、 ということです。 翻訳については、 『心臓を貫かれて』など、なまなましいドキュメントを上梓したこともあり さらには、『アンダーグラウンド』では、自ら、インタビューを行なって、 「現実」を描きました。描いたというよりも、 「現実と自らを結びつけた」という気がします。 これまでの「ファンタジー」としての小説と、 「現実に人が抱えている痛み」を、結び付けて作品化したのが、 この『多崎つくる』ではないかと。 フィンランドの森の風景も、匂いも感じられるような小説を、 村上春樹の作品で、読めるとは思ってなかった。 いいですね。 | ||||
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国境の南、太陽の西の主人公を独身にして、ちがう性格の男性にしてみたらって 具合で村上春樹らしい本でした。 まあ 期待以上でもなく、期待以下でもなく、やはり、主人公は村上春樹が描く、 教養を備えた なぜか女性から色々と近寄ってこられる男性でした。うらやましい。 | ||||
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読み終えるに,それほどまでの凄さは感じないまでも,文学のおもしろさはこういったところなんだろうなぁ〜,としみじみ思うわけです.文学にはロジカルな納得感の説明は必要なく,読み手が読み手の感じ方でどう捉えるか,言わば感性の問題のように感じています.特に文学を理解していない(理系の)小生にとって,あるがままに受け止めればいいと理解しています.作品自体に賛否両論あること自体は当たり前の事だと感じるわけで,あえて驚くべき事はその反響の大きさだと言うことくらいでしょうか... これまでの作品同様,今回の『田崎つくる〜』にも共通している小説全体に横たわる 『ヒトの孤独感』,『絶望感とそこからの脱却』,『ヒトを支える心の根幹の在り方』,そう言ったモノが現実社会との融合の中で描かれているような印象で,読み終えると寂しいような,もの悲しいような,でも何か見出すモノがあるような,不思議な思いになるのが村上文学の特徴であるように感じています.つくるが受けた仕打ちと,ここから生じた孤独感,絶望感,疎外感は多くの人が経験したことがあるように感じており,ここから抜け出せないヒトはある面で自ら命を終えてしまったり,他人への暴力といった形で自己の欲求を発散したりしますが,その多くの場合,何らかのきっかけで立ち直ることも少なくありません.絶望の淵に至った主人公のつくるは,偶然知り合った友人や時間の経過に助けられ,その危機から脱するわけですが,その危機から脱することができなかったかつての友人は不幸な末路をたどり,その最終的な結論は述べられないまま本書は終わります.つくるの年上の彼女との交際の行方も尻切れトンボで終わる当たり,ちょっと消化不良であるように感じるのも,文学的な技法の一つだそうです.続編に期待しましょう! 個人的には,最終章でつくるが新宿駅で時間を潰し,新宿発松本行き最終の『あずさ』(馴染みある,日頃よく使う列車なだけに)を見送りながら物想いに耽るあたりは,なんだか共感をそそがれる思いで,何とも言え無い気分になりますね.自身,甲府から都内や横浜への出張で『あずさ』,『かいじ』には頻繁に乗車するので(多いときは週3往復したことすらあったので),慣れた田舎暮らしと言えど,甲府に帰るときにちょっと寂しい思いに浸ることが無くはありません.また,つくるの家庭事情も自身のそれに似ているような,そんな印象で捉えてしまいます.実はこういった背景を持ち,同様な感覚になる人が多いように主人公を設定しているように思えます.これらの時代と人間設定が多くの読者に共感を与える理由なのかもしれません? 本書のテーマ,読んでみて思うに,種々考えさせられる昨今の人間模様のように捉えています.話題に乗り遅れない意味でも,読んでみて良い書籍だと思いますね! | ||||
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読後、聴いたことのない曲が頭の中に流れた。そして、シロにとって「人生の生きる価値」は、負担だったのだろうか、と思いを巡らした。彼女は、死のトークンを引き受け「前もって決められた場所で、前もって決められた時間に」死んだ。彼女の霊は途絶えていた仲間の傷と傷を繋ぎ、抑圧していた昔の調和をえぐり出していく。彼らは、かつて「痛みと痛みによって、脆さと脆さによって」繋がっていた、と展開する… 今も曲が流れ、目を閉じると彼女が白く輝いて見える。これが、死のトークンを引き受けた者のある種の色とある種の光なのだろうか。音と光の中、余韻に浸る作品だ。 | ||||
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満を持して、村上春樹を読んでみました。めちゃ売れてるって評判だし、本屋でも下品なぐらい平積みされてるし、アイフォーンの新作かってぐらいの長蛇の列がテレビで流れていたので、あんまりウザイから読んでみたのです。 読んでみてすぐに王様のブランチで本仮屋ユイカとかが「うーん・・・なんか難しいとこもあったんですけど・・・最後にすごい村上さんから明るい励ましのメッセージをもらったようで元気になりました!」ってぶりっ子然な感じでなんの生産性もないコメントをしているのがなんとなく目に浮かび・・・。その脇で谷原章介が「うんうんそこが村上作品の魅力だよねー」とスカした感じで頷いてる光景が脳裏によぎりました・・・。王様のブランチで褒められている小説はたいがいろくでもないという相場は決まっております。だから変な期待を持たずに読み終えることができました。あらかじめ言っておくと、ボクは村上作品のいい読者ではありません。ノルウェイの森も途中やめにしてるし、アウターダークも途中退場、まともに読んでるのは象の消滅っていう短編集と風の歌を聞けぐらいで、1973年のピンボールなんか朝おきたらベッドの中にかわいい双子のおんな子がいたー!って時点で床に叩きつけています。言わずもがなカートヴォネガットとかレイモンドカーヴゃーもフィッツジェラルドも読んでいないし、ちょっと周りがもてはやしているから読んでみよう。でもいまいち良さがワカランなぁぐらいのレベルなのです・・・。しかし「風の歌を聴け」をはじめて読んだときは衝撃をうけました。その主人公のあまりのオシャンティーぶりに全身から血の気が引きそうになったのを覚えております。だって・・・あれだぜ・・・。ジャズバーにいたら自然と女が寄ってきて、そんで全然そんな気ないのに、ちょっと会話してたらもう部屋に連れ込めてるんだぜ? そんでワインのコルクを果物ナイフの先っぽでこじあけようとしてんだぜ? 果物ナイフでだぜ!? 「ビーフシチューは好き?」とか女に聞きながらだぜ・・・。コルク抜きとかつかわないんだぜ・・・。なんか石田純一が女の前でりんごを果物ナイフで切ってそのままナイフにのせて食べるって言ってたのと同じレベルの、スカシっぷり・・・じゃね?ジャズのレコードがかかってるムーディな部屋でだぜ・・・。しかもそのムードのまま、しっぽり、やれちゃうんだぜ。しかもやってる最中に、「あなたのポコチンはレーゾンディートルね」とか言われちゃうんだぜ? なにそれ? レーゾンディートルってなにw? クソ意味不明なんですけどw ググる気にもなんないんだけど・・・。仮性包茎のこと? ここでノックアウトされるものはハルキニストになり、ここで「ちっ」と舌打ちするものはアンチ村上に転ずる、と言われております。ボクは、舌打ちするほうだったのでアンチとは言わないまでも、そんなオシャンティーな村上作品に対し、どことなく嫌悪感を抱いておりました。齋藤孝氏が「これは僕のなめた孤独とは違う」と言っておったのが、大多数のアンチ村上の意見なのではないのでしょうか。 さて、じゃあ本作は主人公、多崎つくるくんはどうかというと、これもまた案の定、孤独です。まず冒頭二ページでこんなんです。 ―――用事のない限り誰とも口をきかず、一人暮らしの部屋に戻ると床に座り、壁にもたれて死について、あるいは生の欠落について思いを巡らせた。彼の前には暗い淵が大きな口を開け、地球の芯にまでまっすぐ通じていた。そこに見えるのは堅い雲となって渦巻く虚無であり、聞こえるのは鼓膜を圧迫する深い沈黙だった――― ぼっちです。これは共感がもてます。大学生なので深刻です。これは辛い自体です。しかし、いちいち言い方がおおげさなのが玉にキズです。暗い淵が地球の芯にまでって・・・いくらなんでも深すぎです・・・。しかも「渦巻く虚無」とか「深い沈黙」とか「生の欠落」とかいちいち出てくる単語が思春期こじらせた中学生が書いたブログに出てくる言いまわしみたいでイカ臭いです。「深い沈黙」が聞こえる・・・ってのも意味がわかりません。 しかしそんな瑣末なことにいちいち目くじらを立ててもしょうがないでしょう。大事なのはなぜ彼がぼっちになったか?ということです。そこも読み始めてすぐに説明されます。高校時代に仲の良かった五人組と、突然「おまえとは縁を切る」と言われたらしいのです。 それ以来、人間不信に陥り、他人とうまく関係を築けなくなったということがわかってきます。 と、ここまで読んでいくと、「泣けてくるほどのぼっち小説ではないか!」と思ってしまいますね。 しかし、すぐにその予想は鼻先でピシャっとやられます・・・。読む進めていくうちに、「あ、これはおいらとは違う」といつもの村上カラーが炸裂してきます。20ページぐらいで主人公は恵比寿のバーで女と喋っています。もうどこかで見た光景です。しかもそのバーに入った理由が「とりあえずチーズかナッツでもつまもうと思ったから」です。こんな軽い理由で恵比寿のバーに入れる人間をボクは同じ血が通っているとは思えません。しかも、会話もこんな感じです。 つくる「それが存在し、存続すること自体がひとつの目的だった・・・」 「たぶん・・・」 女 「宇宙と同じように?」 つくる「宇宙のことはよく知らない」 「でもそのときの僕らには、それがすごく大事なことに思えたんだ。僕らのあいだに生じた特別なケミストリーを大事に譲っていくこと。風の中でマッチの火を消さないみたいに」 女 「ケミストリー?」 つくる「そこにたまたま生まれた場の力。二度と再現することのないもの」 女 「ビッグバンみたいに?」 つくる「ビックバンのこともよく知らない」 「け、け、け、け、け、ケミストリー・・・・!」「い、いま、なんつったこいつ・・・!?」「け、け、ケミストリー!?!?」「ま、まじか・・・そんな尻こそばゆい単語・・・始めて聞いたんだけど・・・なにそれ・・・すっごいむずがゆいんだけど」「背中ぞわぁってするんだけど・・・すごい・・・変な汗出てきたよなんか・・・」「しかも、なんかケミストリーって言ったあとで、風の中でマッチの火をどうたらこうたらって、すごい恥ずかしい比喩表現上乗せしちゃってるよ・・・。恥の上塗りだろこれ・・・なんだよケミストリーってこええよ」「こんなやつバーで隣にいたらタコ殴りにしてるよ・・・」「しかもなんかあれだよ・・・女の子がせっかく『それは宇宙なのかなぁ?』とか『ビックバンみたいな感じ?』って必死で合いの手を差し伸べてくれてんのに全部『それは知らない』の一点張りだよ・・・。会話合わせる気ねぇよこいつ・・・どんだけ宇宙ネタ嫌いなんだよ・・・・。こんなやつ絶対モテねぇよ・・・。 その後も頻繁に「ケミストリー」とつぶやくつくるくん。ケミストリー押しがすごいです。ところがモテてしまいます。なぜか、このつくるくん。二十歳で童貞だったわりには、女の子とはしっぽりしけこめてしまうのです。しかもその調子が、いつもの村上節です。心に大きな空洞をかかえたまま、他人に心を開いてないのにもかかわらず、ちゃっかり女は寄ってくる。いつものやつです。というか村上春樹の小説のキャラクターってこんなんばっかりじゃね? しかも童貞喪失のときに―――初めての体験だったが、それにしては何もかもがスムーズに運んだ。最初から最後まで戸惑うこともなく、気後れすることもなかった―――p132って、こんな都合のよろしい童貞っていらっしゃるかしら? 「村上さんの登場人物は避妊しないんですか?」というファンの質問に対して「うーん・・・いちいちゴムつけるとこ書くのめんどくさいでしょ」みたいな発言をしていたのを思い出しましたが、いくらめんどくさいからといって童貞をこんな女のあつかいに長けたサオ師みたいに描くのはやめていただきたい。あまりにもリアリティをシカトしすぎです。童貞を舐めないでいただきたい。「ヤリチンヤリチン」とずいぶん批判されてきたのに業を煮やしてか、やっとこちら側に擦り寄ってきたかと思いましたが・・・またこれです・・・やってることはやっぱりヤリチンです。 いろんなところに目をつぶってみても開始何ページ目かでボクはあまりのオシャンティーぶりに卒倒しそうになりかけました・・・・。嫉妬とはーーー世界で最も絶望的な牢獄だったーーーとか、人の心は夜の鳥なのだーーとか、彼は荒ぶれた闇の中で消え入るように息を引き取り、森の小さく開けた場所に埋められた。人々がまだ深い眠りについている夜明け前の時刻に、こっそり密やかに。墓標もなくーーとかいちいち目を覆いたくなるような、ゴミ箱からほのかに漂ってくるようなスペルマ臭い言い回しとも必死で戦いました。 ところが、多崎つくるくんひとりならまだしも、つくるくんの友人がこれまたひどい・・・とくにアカはひどい。女に「友達に嫌われた理由を探してみたら」と言われたので、十年ぶりにつくるくんは昔の友達のところへ尋ねるのですが、このアカってやつが、なんというか、もういろいろこじらせちゃってます。ビジネスセミナーのコミッショナーなんですけどね。もうなんかビジネスセミナーのコミッショナーだからなのかあれなのか、身のこなし、言葉の節々から、自己陶酔感がただよってるんですよ。もちろん応対するのは昔の友人(つくる)ですが、それにしても自分大好きオーラでまくってます。だってこれですぜ。 アカ語録。 アカは笑った。「嘘偽りはない。あのままだ。しかしもちろんいちばん大事な部分は書かれていない。それはここの中にしかない」、アカは自分のこめかみを指先でとんとんと叩いた。「シャフと同じだ。肝心なところはレシピには書かない」 「あるいはそういうこともあるかもしれない」とアカは言った。それから愉快そうに笑って、指をぱちんと鳴らした。「するどいサーブだ。多崎つくるくんにアドヴァンテージ」 アカは言った。「俺は思うんだが、事実というのは砂に埋もれた都市のようなものだ・・・」 福山雅治なら許されます。ガリレオのときの雅治なら許されます。しかし、それ意外は、断じて許されません。無論。こういうことを言って、「おめーいてーよなんだよそれ。鋭いサーブだってなんだよw」「なにが多崎つくるくんにアドヴァンテージだよw」なんていう人間はひとりもおりません。自然なのです。「封を切ってしまった賞品の交換はできない」とか「まるで航海している船の甲板から、突然ひとりで夜の海に放り出されたみたいな気分だ」とか村上小説の登場人物は総じて、もういちいちなにかしゃべるときは、気の利いたこと、おしゃれな比喩を言わないとすまない性格だと肝に銘じたほうがよさそうです。 しかしここまでこの書評を読んできて、話の内容がいまいち見えないという人も多いでしょう。ものすごくざっくばらんにネタバレしますと、多崎つくるくんが友達と再会を通して知った自分が絶好された理由とは「シロというおなじ五人グループの女の子をレイプしたから」というとんでもないものでした。つまりすごく雑に流れをまとめるとこうなります。 オス!おいら多崎つくる!なんかよくわがんねーけど、すげえいきなり友達から絶好されちまった!――――→なんかそれがきっかけで自信もなくしたし、人間不信になっちまった!――→でも職場で知り合った女(沙羅)がすごいいい女で、結婚してーって思った!――→でもなんか女から「友達に再会してみたら」って言われたんで会ってみることにした!ーー→友達に何年かぶりに会って理由聞いたら、おれが勝手に友達(シロ)をレイプしたことになってた!――→なんかもっとよく聞いてみたら、シロ死んでて(好きだったのにショック)、しかもちょっとメンヘラだった!!!――→外国に住んでる友達に聞いたら、なんかメンヘラだったシロを救うためにやむなくついた嘘だってことがわかってきた!――→怒ろうかと思ったけど、すごい謝られたし、なんかすごい「ずっと好きだった」とか「自信を持ってー!」って言われたから「うん、おで頑張る!」ってなった!――――でも沙羅浮気してた・・・。沙羅に振られたらたぶんおいら死んじゃう・・・電話してみたけど・・・反応よわい・・・おいらを選んでくれんのかなー・・・うーん、やきもき・・・。―――→完!!! うーん・・・この物語になにを感じればいいのでしょうか・・・。読んでしばらく考えてみましたが、なにひとつ感想が浮かんできませんな・・・。作品にちりばめられたメッセージ「あの頃の思いがどこかに消えるわけじゃない」とか「自信を持ってー」「あなたはあなたのままでいいのよー」とかも、なんというか鼻息で一掃したくなるようなしろものだし。なにが面白いんだろうと思ってアマゾンで星5のレビューとか読んでみたら、けっこう「自信をもらいました!」っていう感想が多くありまして、意外に多崎つくるという主人公に感情移入している人が多いことに気づくのです。個性のない、なんのとりえもない、そんで自信がもてない、自己評価が異様に低い、こういう人は世のなかにたくさんいますし、この小説を読んで主人公に同化して「よっしゃ、なんか自信出てきたわ」ってなる人は、それはもちろん悪いとは言いませんが、そういう人はもともとかなり健康なお方なのではないのかと思いました。生きづらさを感じている若者へのエールって書いてる人もいたけど・・・いやーすれてないですなみなさん・・・。まさに生きづらさを感じている者の代表として言わせてもらいますとボクは読んでるあいだ、終始、「多崎つくると俺は違うからなー」と思っておりました。だってあれだぜ。ラストで恋人からの電話を待ってる時にオリーブグリーンのバスローズきてカティーサークのグラス傾けながらウィスキーの香りを味わってんだぜ? オリーブグリーンってクソ緑だぜ? 趣味悪くね? そんで「孤独だ・・・・」とかつぶやいてんだぜ? 石田純一なの? 孤独ってこんなオシャレだっけ? こんなやつに感情移入なんかできませんわな・・・。しかもこの小説の着地点も、シロというミューズを失った主人公が沙羅という新しいミューズと出会うという、「けっきょく恋愛だよねー」としか言い様がないイラッとくる結論だし。なぜイラッとくるかといえば、「それができない人はどうするの?」と読んでいて頭に疑問符が湧いたからであります。これを救済とか、救いととるなら、こんな残酷な救いはありませんな。沙羅という見ただけでズキューンとなる女に物にしないと自信を取り戻せないなんて・・・。そんな女に出会えないのが大多数の人生なのに・・・。なんでこれをよしとしているんだろうって思ってアマゾンのレビュー読んでたら、ひとりぼっちな男が救済されて元気出すにはやはり沙羅のようないたれりつくせりな女性に手伝ってもらわないと、、というかこんな女性に救済されたいなぁ、、とくたびれ果てた男どもが勝手に妄想するのが沙羅なんです。って書いてあって、あぁなるほどと納得いたしました。これはつまり、孤独なサラリーマンの妄想小説なのですな・・・。いやー・・・そんなイカ臭い妄想には付き合っていられません・・・。 | ||||
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