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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全1023件 581~600 30/52ページ
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春樹さんの著書はすべて読んでいて(翻訳も)、インタビュー記事などもついつい気になってチェックしてきた読者ですが、今回の新刊が出るに当たっては、過度な期待はしていなかったせいか(ワクワクはしていましたが、「今までで一番の作品が出るかも!」とは全く思ってなかった)、特にがっかりもしなかったし、思ってたより良かったなぁ、『1Q84』より好みかも、と思えて、自分の中では好きな作品のわりと上位にランクインしました。 だから、多くの低評価のレビューを読んでいて、そこまで失望するほど酷くはないのでは…という気持ちになってしまいました。小説は出逢うタイミングによって感じ方が違ってくるものだし、勿論、人それぞれ好みの問題もあるし…。今作も、何年も経ったら、評価も変わってくるのかもなーと感じています。 そもそも、「絶対に村上春樹を読むべきではない人種」は、世の中にかなりたくさんいると思うし、本来、この小説は、大げさにベストセラーなんかになってしまうこと自体がおかしいのだから、この世間の騒ぎっぷりは、本当に異常で馬鹿馬鹿しいこと限りないです。村上春樹のただの一小説に過ぎないのに。「合わないものは、合わない」、当然です。 とは言え、大した戦略なんてしなくても、本人が目立たない努力をしたとしても、もはや絶対に騒がれることからは逃れられないだろうし、ある意味、本を出すたびボコボコに叩かれることは間違いないので、春樹さんも気の毒です。ご本人は、殆ど言いがかりに近いような、見当違いの非難でも、もう慣れっ子だろうし、悪評すら肥やしにしてしまいそうなタフな方なんでしょうけど、きっとそれなりに疲れるだろうな、と心配になります。 でも確かに、アンチ春樹の人が、どういうところに嫌悪感を抱くのかは、レビューを読んでいて、なるほどねぇ、と納得はしました。 正直、私も、今回は、主人公には多少イラッとはしました。こんなことは初めてですが。沙羅も嫌いなタイプで、もう少しマシな女性の設定にはできなかったのか?少しも魅力がわからなかったし。それに、現在の日本社会との微妙なズレの感覚も確かに否めないし、現代のこの世代の描き方にもやや無理がある様で、違和感は感じてしまいました。 それと、瑣末なことですが、私も愛知で生まれ育ってきた者ですが、うーん…何だかニセ愛知っぽい、と引っかかりました。ついでに、名古屋の若い女性の生き方(仕事、結婚、その後…)のくだりは、変なイメージを勝手に植えつけられては迷惑だと感じたし、何となく実は女性一般を一段下に見ているのでは、と感じてしまい、少し不愉快でした。 でもやはり、そのような幾つかの引っかかりは、このお話の中では大きな問題ではないので取っ払うことにして、主人公の深刻な苦しみはわかる気がするし、どんな人でも、生きるということは生半可なことではないと思うので、何を苦しいと思うかというより、どれだけ苦しんだか、ということを受け止めると、「甘ったれてる」とか、「取るに足らない話」とか、軽々しく扱う気にはなれませんでした。きっと個々の人生、苦しみは、比較できるものではないし。この物語を通して、心が癒されたと感じる人もいると思います。(素直に読めば、心に響くものが感じられると思うんだけど…今までとは違う特別な何かを求めてしまうため、純粋に読めなくなっている読者も多いのかも?) それに、今作も、作家として真摯な姿勢で臨んだのだと思うし、やはり敬意は示したいです。 これからも過剰な期待はしないし、目新しい奇抜な変化は求めないし、荘厳で長大な集大成的な作品を無理に書いて欲しいとも望んでいません。変に偉そうに悟りを開いたように語る老人になってしまったら何だか嫌だし、ガツガツした露骨な野心も見たくないです。 作品が長くて物語のスケールが大きければ優れているというわけではないし、石頭のカタブツ作家にはなってほしくないので、ある程度の、「軽さ」みたいなものも、失わないでいてほしい気がします。今作は、今の感じでちょうど良かったと思うし、あくまでも個人的な物語で、安心しました。 「この時期だから!」と、世界のムラカミを主張したようなギラギラの作品じゃなくて良かったです。 個人的意見ですが…『ねじまき鳥』が、テーマとしても普遍的で、一番、春樹さんの個性にもしっくり調和していて、深く掘り下げることに成功していたように感じています。あの辺りが大きな成長期であり、作家として脂の乗っりきった時期だったのではないかと。 嫌いとか受け付けないとか言っている人も、何だかんだ言って、わざわざ読んで、いちいち文句を言わずにはいられないほど、「無視できない存在」なわけだから、やはり村上春樹は「興味深い」と思います。私も、生涯、読み続けてしまうことは間違いないです。 ただ、現役の日本人作家の中ではダントツに興味深い作家だと思っていますが、ノーベル文学賞に関しては「取らなくて良い」と思ってます。正直、春樹さんの良さ、面白さは、そういうところとは離れたところにあると感じてきたので。もし結果的に受賞したら、「よかったね!すごいね!」と嬉しくは思うかも、というのが本音です。 今後、彼がどこに向かっていくにしても、のんびり見守っていきたいです。 好き嫌いというより、一作家人生に興味を持ってしまった以上、「ふーん、そうかそうか」と、何が来ても、どうなっても、丸ごとありのままを一応、受け取るつもりです。そんな風に思える作家は、そんなに多くはいません。 私みたいな読み手は少数派かもしれませんが、色んな批評があって、オーバーに持ち上げられたり、極端にけなされたり憎まれたり、それがあまりにも激しくて、そういう点も含めて、面白いよなー…と思ってます。ここまで有名になると、誰にも理解できないような孤独もあって大変だとは思いますが、しぶとい春樹さんなら大丈夫だと思うので、今後の動向が楽しみです。 | ||||
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1Q84が面白かったので、購入したけど、、、 私には難しすぎた。。。 最初の何ページかで諦めそうになったけど、なんとか読み終えた。 感想は、、、、何とも言えない。。。。 | ||||
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手に入りました お得感みっちりです 読みやすいようなので買わせていただきましたが まだ読んでいません | ||||
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すごく書き直したんだろうし、「計算」されている 感じがひしひしとしました。それは、文章が計算されている だけではなくて、内容・作家としての自己評価、 今後の路線、今までのファンに対する過去作品からの伏線など。 もはや内容がどうということではなくて、 村上春樹という商品やアイコンに対する応答として、 こういうものを続行していかねばいけないという点だけで 回っているようなものなのですよね。 それがいわゆる「ブランド」ということだと思いますが、 作家が忘我して、叩き付けるようにして伝えたいメッセージがある、 そういうものを文学・芸術とするなら、限りなくそれは希薄です。 一応作家としての旬はすぎていることは明らかで、 それを延命させる商業的な装置のなかで作品自体が空洞化している気がしました。 はっきりいってこれより面白い本は、書店でホコリをかぶっている新書なんかにも もっと有ります。工芸的に「きれい」な仕上がりですが、 すぐれた文学作品とは到底思えませんでした。 *私は「村上春樹」が誰かも知らずに、ほぼ30年前に「羊をめぐる〜」を新刊で 買いました。それから数10年ファンになった者です。その上で、もはや以上にような感想しかわきません。 | ||||
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国営放送のニュース番組でも異常に宣伝しまくっていました。 AKB総選挙や少女時代来日がトップニュースで伝えられたのを思い出しました。 韓流アイドルの文学版ってとこですか? | ||||
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今回の内容は、僕自身には、かなりヒリヒリする内容でした。 喪失と再生、暴力、予期しない運命。モチーフとしての森、死。 以前からつながりあるものが、新たに配置され、 結論がないことは、答えを模索する物語が次に用意されているような予感を感じさせます。 村上春樹の作品を酷評するレビューが目立ちますが、流行で買って読んでる人にとっては、当たり前の話のように感じます。 そもそも、彼の小説が、本当の意味で、これほど多くの人の共感を呼ぶものか、僕は以前から、はなはだ疑問です。 物語を書くということは、魂の一番深いところに降りていくということを、村上春樹は最近講演で語っています。 彼を、神格化する必要はないと思いますが、魂の深いところに興味がなければ、村上春樹を無理に読む必要はないように思います。 | ||||
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「売れている本」と知らないで、知人が貸してくれたので読んだ。 もし最初から話題の本と知っていれば、不満を感じたのかもしれない。他の方のレビューにもあるように、ストーリーはありきたりで(過去の村上作品のつぎはぎ。簡単に次の展開が予想できる。)、でてくる登場人物はステレオタイプ的で魅力もなく(特に主人公)、ミステリーな部分にオチはない。 しかしそういう部分も差し引いても、私はまぁおもしろかった。 というか、久しぶりに文学作品を読んだ、と感じた。 表面的なストーリーは、世界観を明らかにしていく上での小道具にすぎない。アカ、アオ、ときて、中間色のミドリ。シロ、クロときて、中間色のグレー。 白と黒の中間色であるグレー(灰田)は、あらゆる意味でのグレー(中間地点)を意味する。過去と未来、現実と夢、男性と女性、死と生。そして存在自体も、あやふやな(主人公の記憶のなかでしか語られない、現在には登場しない)存在として登場する。灰田の行方が不明なのは、不明であること自体が物語のなかで重要であるからだ。 主人公は色をもたないが、実は、白と黒とグレーも色味をもたない。 外国で暮らすクロが「私のことをもうクロって呼ばないで。」というのは象徴的な事柄だ。 白は、実は光の強さ(明度)で黒になりうるし、黒もまた、白になりうる。そういう意味において、シロはクロであるし、クロはシロである。また、二人は灰田(中間地点)である、といいかえることもできる。 白と黒とグレーは、3人でひとつの世界をなす。主人公を夢精に導き、現実から夢へ、現実から過去へと絶え間なく姿を変えていく。 シロも灰田も、現実のなかで唐突に行方をくらませる(あるいは唐突に死ぬ)。しかしシロは現実と夢のはざまで(言い換えるのなら主人公の妄想世界のなかで)けして死ぬことはない。何度も主人公の夢に登場し、誘惑し、虚構(過去)の世界へといざなう。 しかしクロだけは、生き残って現実を生きている。もう黒ではないのだ。そこから出ましょう、生き残ったものとして、そう働きかける。現実に抱擁した胸の感触は、もう性的な意味合いをもたない。それは現実世界の象徴だ。主人公を虚構、過去、死から連れ出す確かな現実として、何度も彼女の胸の温かみが描かれる。 6本目の指についても、主人公の高校のグループが5人であったことと無縁でない。 6本目の指は、「余計なもの」「5つの秩序を破たんさせるもの」としての意味をもつ。 つまりそれは、5人組を崩壊させたものと等しい。5人組を崩壊させたものは、クロ(柚木)にとりついた悪魔だ。切り離しても、切り離してもついてくる、不吉な影として「6本目の指」という存在が繰り返し象徴的に使われる。 それはもしかしたら、6人目のメンバーだったのかもしれない。あるいは6本目の指には「緑川(ミドリ)」という名前が与えられていたのかもしれない。 影のようにつきまとう過去、現実との対峙、人と人とのつながり、そういったものが象徴的に描かれる。木元沙羅というのはおそらく沙羅双樹の樹を意味するが、それも現実の女性というよりは、象徴的な存在に近い。主人公の眠りを見守るもの、としての。 白と黒とグレーだけの色のない「つくる」が、そこから抜け出し色彩(現実)を獲得していく物語。 情けない主人公の成長にポイントをあてた物語だと思えば、ご都合主義のありきたりなストーリーや、都合のいい女性たち、ステレオタイプな登場人物にも納得はいく。 万人受けはしないかもしれないが、文学とはそもそもそういうものだ。 | ||||
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ネタばれします。これから、期待に胸ふくらませて読まれる方はご注意ください。 過去の作品も最近の「海辺の〜〜」「1Q84」「色彩〜〜」などにも共通するウンザリなイライラポイント。 ●ストーリーに関係なく、またかよ、クラッシック音楽。ヤナーチェクの次は、リスト。うんざり。 ●ストーリーに関係なく、服装を細々描写する。 「細いピンストライプの白地のシャツに、茶色のニットタイ。シャツの袖は肘のところまでまくり上げられている。 ズボンはクリーム色のチノパンツ、靴は茶色の柔らかい皮のローファー、靴下はなし。」読んでて面白いか? ●ストーリーに関係なく、日常の生活を書く。 「シャワーを浴びて髪を洗い、食後には必ず歯を磨いた。毎朝ベッドをメイクし、シャツには自分でアイロンをかけた。」 →身支度を整えでいいじゃん。 ●ストーリーに関係なく、性交シーン。 ●ストーリーに関係なく、哲学を飾り程度に入れ込む。デコんじゃねえよ。おっさんが! ●ストーリーに関係なく、料理、調理を書き込む。カベルネ・ソヴィーニオン、コーヒーの入れ方などなど。どうでもいいわ! ●ストーリーに関係なく、鉄道や駅の説明。よく調べたな。興味ないけど。 ●灰田、ストーリーに必要?(毎週末、男がお泊りに来て、一緒にクラッシックを聞き、お食事をし、お話するWWWキショ!) ●夢のシーン、いらないし多過ぎ。 ●可哀想なレイプ、殺人などの被害者がいる。 ●「その、そんな、そのように、そうでなくとも、それ、そういう、それから、」多過ぎ。 ●バラエティー番組みたいに、今までのおさらいの記述がある。 初見の読者は、スーリーが分からないから、書かれてある文は、とりあえず読む。 村上春樹には、「読み損」部分が多い。 つくる・・多崎作。父親は、不動産会社経営。 「父親は大型のメルセデス・ベンツにしか乗らなかった〜〜黙っていても三年ごとにディーラーがやってきて、 最新のフル装備モデルと取り替えていった〜〜父親が自分でその車を運転したことはない。いつも運転手がついていた。」ドンダケ!!! アカ・・父親は、名古屋大学経済学部教授。 アオ・・いいとこの子らしいが、父親の具体的記述なし。(面倒で読み飛ばしたかも) シロ・・父親は、産婦人科医院経営。 クロ・・税理事務所経営。 沙羅・・大手旅行会社、海外パッケージ旅行プランニング担当。 ラーメン屋のせがれとか、フリーターとかいないぞ! 疑問点 小説の中の謎、 1.シロがなぜ、「つくるにレイプされた」とウソをついたのか、理由が曖昧。 2.仲間も、なぜ、不自然なシロの供述を疑わしいと思いつつ、つくるをハブったのか不明。 後付けの弁明のような部分があるけど、よく分からない。 3.なぜ、5ヶ月間死ぬことだけを考えるまでに追い詰められたつくるに、「レイプ犯に仕立てた」と仲間は誰ひとり教えなっかったのか? シロには知られずに、つくるに仔細を教えても問題はない。つくるは理解し、名古屋の4人の仲間から離れ、東京で一人で新たな生活を始めるから。 無駄を省き、あらすじ。《ネタばれ、注意!》 駅の設計が仕事のマザコン野郎「つくる(36歳)」は、ニ回目のデートでHができた沙羅(38歳)に背中を押される。 高1から続く仲良し5人グループから、二十歳の夏休みに突然、ボッチにされた。その理由を、当時の仲間3人に会いに行き、教えてもらう。 (シロは、30歳で絞殺されていた。捜査難航で犯人不明。)「自分が仲間の美人の方シロのレイプ犯にされていた。」 しかも、仲間は、犯人が「つくる」でないとほぼ確信していた。 大学生の当時、自殺まで考えるほど思い悩み、以後十六年間しっくりこなかった可哀想な「つくる」ちゃん。謎は、解明された、と本人は納得。(読者は納得せず) 【36歳】の情弱な金持ちのボンボン「つくる」は、頑張って沙羅に告ったけど、振られそう。 「振られたら、死んじゃう」と涙ぐんで、駄々をこねている。 <お・し・ま・い> | ||||
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よっぽどキライな題材でなければ、ハルキさんは何でも5starです。参考にならなくてごめんなさい。なんだろな、宇宙人の宇宙での話しだと思って、いつも読んでます。あ、好きなんですよ。本当に。 | ||||
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読書というのはとても個人的な動作だと思う。 なので、様々な意見があるのは当たり前で、全員が全員 「すごくいい」と言ったなら、実は村上春樹を昔から愛読するものは ちょっとがっかりするのである。 だから、「俺にはわかんねえ。こんなオシャンティ野郎の話」と言われると ああ、そうですか、とにっこり笑ってしまうのは、実際 正直な感情ではある。 では、村上春樹の物語を好きになる読者というのはどういったタイプで、逆に駄目な人はどういう人かを考えてみた。 まず、優劣は全く無関係にして 「登場人物の誰かに感情移入しないと読めない」タイプの人には、あまり向かないようだ。 誰かになりきって、その人と感情を同化させるタイプ。 こういう人には、ほんとうにわからない らしい。 自分がその登場人物の誰かでなくてもいい、第三者的に物語を俯瞰できるタイプなら楽しめる要素があると言える。 それはその人の性質であり、押しつけられるべきものではないと思うから、自分でそれを判断し、読者になるかそうでないか、指針にしていただければと思う。 私は「羊を〜」からの読者である。数えてないが だいたい二十年くらいにはなるかと思う。 言い方は陳腐だけれど、村上春樹の世界が、確かにあると感じている。 その扉を開けて、地下深くに降りて行く階段を 冷たい壁に手をやりながら一段一段と降りて行く、 決して上りでもなく平坦なドアのむこうでもなく、地下に降りるイメージです。 夢の中の世界で、よく登場する場面やその時によって名前は違うけれど似たような登場人物があるとして その空気感に一度魅了されてしまうとする。 本が出版されるたびに、そのドアをあけ その世界を楽しむことができる。だから新刊を心待ちにする。 もちろん誰でも出入りは自由なのですが。 そして、ある時そのドアが世間で高く評価され 話題になり、誰もが押し寄せて 土足で踏み込み「つまらん。くだらん」と言い捨てるものが現れる、それに賛同し挙句にごみを散らかしながら出て行くものも出てくる。 最悪です。 もし、そう言ったことが原因でそのドアが閉じられたら、と思うといたたまれない。 村上春樹はもう日本語では書かない、なんて事になったら・・・・ 昔「ノルウェイの森」でも同じような〜でも今よりは規模は小さかったかもしれないけれど〜騒動があったから、今度もきっと大丈夫だろう。二度目だし。 でもあの時も彼は相当傷ついていたように見えた。 でも、 騒ぎに乗っかって新刊を買う非愛読者層 対して 古本を買う 真のファンもいたり。 そういう構図もあるので、あえて一概に否定できない。 売れれば 出版社は嬉しいのだし、その経済効果力は何よりも強い。 そしてこの本に関して。 ものすごく好き と言えるかと言うと、そうとも言い切れなかった。装丁もごく普通。 私の中での一番はやはりまだ「世界の終りと〜」であり、次に「ねじまき鳥〜」が来る、これは是非手元に置いておきたい一冊と言えるかと言うと、その範囲ではなかった。 住む家の許容量が原因なのだけれど、最初は図書館で借り、文庫になってから買うつもりだったが、テレビその他のメディアが取り上げて内容をちょくちょくばらすので、仕方なく買い求め、読後は我が区の図書館に寄贈する。 そして文庫になったら再び買って、蔵書とする予定である。 | ||||
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村上氏の小説は初めて読んだ。今までなんとなく敬遠してきた…というかたぶん自分にははまらないと思っていたし、小説というのも最近は読んでみたいものも価値のありそうなものにも出会っていなかったし、でもまあ、世間であれだけ騒がれているのだから、とりあえず読んでみようと期待もせずに手に取った。タイトルも村上氏の小説のタイトルの中で最長だと聞いたし、タイトルにも若干惹かれた。途中で挫折する可能性120%くらいで読んだせいもあったかもしれないが、まったくの期待外れでGWの休みで読み通してしまった。「色彩をもたない」理由ははじめのところで意味がわかって、それが伏線になり最後で本当の理由がわかる。「巡礼の年」もいくつかの伏線をもって随所に出てきて最後には深く意味をもってくる。小説にはたぶんいろいろな解釈があるだろうし、それこそ「好き」か「嫌い」の世界しかないかもしれないが、全体の印象としては、私は村上氏の世界観や表現は嫌いではなかった。筋書きや設定が若干唐突すぎると思うところもあったが、多崎つくるに自分を重ね合わせている若者は意外に現代には多いのではないかと思った。良いも悪いもなく、解釈はあなた次第…という透明すぎるメッセージ、だからこそ結局何がいいたくてどうしたいのかがわかりにくい、それこそが村上氏が伝えたかったメッセージなのではないかと思ったりもした。結論や解釈はしないほうがいい。そんな風に感じた珍しい本だった。それが、村上春樹という人を象徴しているようにも思えて、なかなか興味深かった。他の本も読んでみようかな… | ||||
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ここに書かれていることは、動くということだと思います。考えることや解釈することではなく。 すべてが必然性の中にあるような 哀しくも雄々しいストーリー 田崎つくるは、その動きの最後でついに理解します。 「ぼくはこれまでずっと、自分のことを犠牲者だと考えて来た。(中略)でも本当はそうじゃなかったのかもしれない。」。 彼女をおいこんだのは、名古屋という一地方都市の中で、色彩を放つことのなかった自分の、一人東京へ出て行くという行為だった。それがボランティアというか、セツルメントというか、そういうものを通じて生じた美しい共同体を破壊したのであり、それをもっとも体現していたユズを壊す行為だったということを。象徴的につくるがユズを犯し、また殺したといえるということを。 ユズは施設の地域の子どもたちにピアノを教えているとき、生き生きとしていたとあります。それは、ユズの見た未来と理想がどこにあったかをしめしています。つくるはその未来を共有できなかったから、東京に出て、駅の設計をし、他の三人はユズとともにそれを守ろうとして名古屋に残る。自分はここにいていいのかと反問しつづけていた若いつくるには薄々わかっていたはずです。それを認めたくなかっただけです。つくるが抜けた時点でそれはもう守られないことが決していた。ユズの事件とそれによるつくるの追い出しはそれをはっきりさせただけです。男のうち、一人はトヨタのディーラになり、もう一人はバランスをくずして、そして一人の女性は外国へ。ユズ自身も壊れて悲惨な死をとげる。つくるはそのことを閉じ込めたままで、東京で生きのびる。 つくるの、真実にむきあう行為が、遅すぎた今になってやられたから、アカが生き延びて、彼らのよりつどった施設に寄付をつづけていること、つくるが今になってもどってきて、自分はいきのびた、一方的な犠牲者などではなかったこと、何も残らなかったわけではなかったこと、などなどが明らかになります。だから、それらのことはなかったことになってしまう何ものかなどではなかったわけです。新たなつながりの予感も見えます。 事柄の意味はいまだに薄明の中で、姿を現してはいません。 でも、つくるの巡礼行為は、何かを少し明らかにし何かが少し変わる予兆をもたらしたのだと思うのです。 前作三部で、諸民出の異様なキャラクター牛河をみごとに描いた村上氏ですが、今回は普通の中流階級の人々の話を書きました。過去には「特別」だったかもしれませんが、彼らの今のありかたは中流階級としては「普通」です。 圧倒的多数の中流階級でない諸民が、こうした人々を自分たちとは違う人だと思うのもまた当然なのですが、それでもここから何かをくみとることはできるのではないでしょうか。また、実際に中流階級の人々にとっても。 村上氏にはぜひ健康に留意して、全体小説、総合小説を実現してもらいたいと思います。 | ||||
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村上春樹の作品は大衆娯楽作品のような容物に入った文芸作品だということを理解していない人が多い。 言葉も易しく、都会的な設定が多いので「ガリレオ」でも読むように期待して読む人にとっては、"中途半端なストーリーにフラストレーションが溜まる”。しかしこれは娯楽の色付けをされた文芸作品であり、オチを付ける必要も、起承転結で”チャンチャン♪”と終わるようなものではない。 また主人公が金持ちでオシャレだからその程度の孤独であり、現実味がないというのは、貧乏じゃないから蟹工船が理解できない、過酷な状況にいないからアウシュビッツの手記を読めないと言っているのと同じで、それを補うのが想像力であり物語の楽しみ方とは本来そういうものであるはず。 難解な哲学的な意味合いを孕んだ作品であり、一度読んだだけではまだまだ理解に及ばない作品である。 | ||||
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村上春樹の小説もエッセイもすべて読んで来ました。自分とリアルタイムの優れた小説家だと思っているからです。 今回の小説はラストも納得出来ず、次回作でもあるのかいな〜と思いました。 内容はありません。でも文章だけでこのような小説が一冊書ける村上春樹は凄いと思いました。 何だか才能も尽きた感がありました。 | ||||
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一週間で100万部突破 なぜだか分からない 販売政策の勝利? それだけ踊る人が居る今の日本? 時間を立体的に組み上げてる それは分かるけど・・・ 普通の小説じゃ無いですか 当たり前だけど 人間てさみしい生き物なんだなー それが読後感 | ||||
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悪い出来では無いですよね。 灰田君はどこに言ったんだろ?とは思いますけどね。実際のとこ。 でも、いろいろムツカシイ事言って「評価1」を付ける人が増えてるけど、そんな言うほど悪くは無いです。 100万部売れる作品では無いとのお叱りなのでしょうが、言うまでもなく「こんなもんか、ムラカミちゃん!」っていう層が買って読んでるから、こんなに売れちゃう訳ですもんね。 なんか、作り込みが雑と言うか、詰が甘いと言うか気になるところはあるんだけど、「実は、俺が気付いてないだけで、何かあるのかも。だって、ムラカミハルキだもん」と思ってしまうところがありますよね。実際のとこ。彼のスゴイとこで。今回ハンサムだったのには驚きましたが。 もちろん、何も無いのかもしれないけど。 が、しかし、ドリーさんのコメントは見ものだった。 確かに主人公は孤独でも、いつもきちんとセックスパートナーがいることは物語り上大きいかもしれない。 女にまったく相手にされない、孤独な中年男性の物語では物語自体成り立たないかもしれない。 そして、実は非正規雇用で将来とか、結婚はおろか、明日の生活にも不安を抱き、自ら好んだ訳では無いのに孤独な生活を送っている若者ってもはやスタンダードになっているのかもしれないもんね。 新しいもの、みんなが支持するものをとりあえず手にしておきたいという最近の日本の世相を反映した現象なのかもしれませんね。 そういった意味では、ちょっと恐ろしい事態なのかもしれませんね。 そういった意味ではドリーさんのコメントは勇気ある反骨心と言えるかもしれない。 さはさりとて、作品自体の出来は星三つ以下では無いと思うので、是非この作品が無事に星三つ以上で評価される事を期待しております。 作品と現実との違いは指摘しつつも、星三つ以上。みたいな評価になるといいなぁと思います。 続編というか、別タイトルで出そうですよね。これ。 | ||||
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私は、「風の歌を聴け」の、群像新人賞以前からの愛読者ですが、いっとき、心離れた時期もある…それは、あまりに、スピリチュアルに振れたこと、残酷な描写が生理的に受け入れ難かったことと、ブームになってしまったことの反動かな…でも、全作読んでます、な、ま、そんな読者です。 今回、1回目に読んだ時は、肩すかしをくらったような気分でした。簡単すぎて。 でも、2回目読もうとおもったのは初期作品に通じる懐かしさからでした。 3回目読もうとしたのは、やっぱり、なんか、フックがあったからです。 で、今、思うのは、あんまり、皮相的なレビューに、振り回されるのは、やめません?ってことです。 今、流行ってる皮相的な見解は、面白いけど、 的外れかな? そこは、どーでもいいとこでしょ?!って、気がします。 読みやすい、ツッコミやすいリスクを犯して伝えようとしてる春樹さんの力量を感じてしまいました。 それは…読む人の力量かな…とか。 私は、ワンダーランド最高かなの評価な人ですが、なんか、春樹さんに試されてるような気がして、ちょい、やるな、オヤジ、みたいな、ね。 | ||||
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人は本当に自分の事をわかっているようだが知っているのはほんの一部分だけのような気がする事に改めて気付いた。 かくいう私も最近の日々は本当の自分を知らない、いやわからないと言う事が続いていたのだが、この本を夢中になってあっという間に読み終えた。後半部分のフィンランドへの探求の旅の中で、つくるやユズに思いを寄せるエリさんの心中には思わず感動した。 所詮人は自分の事すらわからないのだから、他人を解ろうとすること自体愚かなのだと、少しだけ悟った気分・・・かな?? | ||||
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初めて村上春樹さんの本を読みました 何だか不完全燃焼です・・・続編が出るのかな? でも、とても面白かったです。 | ||||
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今★5つをつければ確実にアンチ春樹たちに「レビューは参考になりませんでした」爆撃を食らうに決まっている……!! しかし信者(ファン)には引けない時というのがある。それもこれもあのドリーとかいう滝本竜彦フリークみたいなやつの文学性が欠如した三文文章がいかんのや。まあそれはともかく。 今作は結構熱中して読めました。前作1Q84が個人的にヒットではなかった分、結構興奮しながら読みました。二日くらいで読了しましたね。 1Q84に関して言えば、アレは村上春樹入門用の新読者に向けられた小説なのであって、一応春樹さんの大抵の作品を読んでいる自分にとっては、少々物足りない作品でした。ビッグ・ブラザーに対するリトル・ピープル――現代という時代においては、人の個性というものを殺していくのは巨大な一人の独裁者ではなく、個の小さき人々の群れなのだと思われます――そして空気さなぎ(自我を後天的に、恐らくは意志的に養えるポッド)といったギミックはそれなりに挑戦的なモチーフであるようには思われましたが、しかしやはり最終的なカタルシスに欠け、予定調和的な部分の見られる作品であったように思われます。しかし今は1Q84の話は置いておきましょう。 今作は何より文体に勢いがありますね、そして、現代という時代に寄り添うような様々な物が小説中に現れました。SNS、スマートフォン、グーグル……などなど。 主人公が抱えている問題が二十代の初めくらいに起こった出来事に起因している、といった設定も、どこか今の新しい人間、つまり若者という読者にむけられた作品であることを示すサインであるように思われます。つまり、春樹さんは新しい物事や、新しい人々、若者という、“新しさ”を主軸とした物語を書かれているということです。御年が六十を越えてなお小説に対して持っている挑戦的な姿勢というのは、これは実に見習うべきものでありましょう。 登場するキャラクターも実に瑞々しい存在でした。ヒロインの一人である沙羅、これは短篇集『神の子どもたちはみな踊る』に出てきた『蜂蜜パイ』の登場キャラクターの一人、沙羅と同じ名前ですね。ただ、1995年において恐らくは5歳かそこらだった沙羅が三十代の後半になっているという設定を春樹氏が考えるとはあまり思えないので、偶然の一致かもしれません。 個人的には、クロのキャラクター像が気に入っております。聡明な皮肉屋でありながら、自分の恋愛感情にできるだけ正直にあろうとするその健気さというのは、あたかも十代か二十代の小説家が対象とするようなキャラクター像に思われます。本作の後半を読みながらに思ったのは、「何だこのラノベに出てきそうなキャラクターは」とかいう感想でした。1Q84のキャラクターである「ふかえり」にも同じようなことを思いましたが、まあそれはいいです。ちなみに僕はラノベ好きです。中学生の頃はラノベと海外文学を交互に読みまくっていました。 他にも登場するキャラクター。アカやアオ。そしてシロといった、彼らや彼女らにまつわるエピソードにはそれぞれ興味深いものがあります。率直に言って、何度か読み返したくなるようなそういうエピソードです。 もっと言うならば、それらのエピソードは「いきいきと」しています。読者のニーズなどに合わせて振り回されるようなキャラクター像ではなく、そこには「生きた」キャラクターの息遣いが感じられます。こういう生命感というものは、凡百な作家には当然書けないものです。とにもかくにも、この小説はいわばキャラクターありきの小説です。彼らの重みのある存在感や、その語り、そして人生といったものを個別に味わい、そして想像をふくらませる媒介にするというのが、この小説の楽しみの中心にあるもののように思われます。 | ||||
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