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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全1023件 461~480 24/52ページ
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みんな話し合おうねと背中にそっと手を添えてくれたような印象を受けました。 でも、一回読んだだけではわからないのが村上春樹です。 しばらくしてまた読んでみたいと思います。 | ||||
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いつもながらあっという間に春樹の世界に引き込まれ、一気に読んでしまいました。相変わらず、わからないところもいっぱいあります。シロは何故つくるに強姦されたと言わなければならなかったのか、また何故あんなにあっけなく殺されなければならなかったのか、灰田君はどうなってしまったのか・・・・小説を書くことが旨くなってしまった村上さんは、はたして文豪なのかそれとも流行作家なのか、いまだに確信が持てません。 | ||||
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満を持して、村上春樹の新作を読んでみました。めちゃ売れてるって評判かどうかは知りませんが、ハルキストとしては読まないわけは無いものでして、ただ、やたらとTVとかで取り上げられたり、それもアイフォーンの新作と同じような流行りモノ扱いで、しかも小娘がわかったような感想を(それも当然的はずれな)述べているのが流れていたので。これはまずいと。そもそもお前らちゃんと読み込んでいるのかと。みうらじゅんがキル・ビルの当時言っていた「おれはこういうの好きだけどおまえら大丈夫か?」的な危機感をもって、きっちり読み込んだ上でウザイほどのハルキスト視点からレビューを書いてやろうと。王様のブランチ的なうすら浅い毒にも薬にもならない感想をテレビで撒き散らかす層と、齋藤孝氏のような「これは僕のなめた孤独とは違う」といったアンチ春樹視点の層のいずれをもカバーしうる渾身の(そして長文の)レビューを書いてやろうと。今回の作品は、もちろん楽しみではあるのだけれど、それ以上に村上春樹を愛し、その作品を広く啓蒙する一ハルキストとしての使命を感じながら読み込みました。 僕自身(一人称ボクは基本です)の春樹歴は、ノルウェイはむしろ後のほうで「風の歌を聴け」や1973年のピンボールあたりから始まっています。世界の終わりや羊三部作はそれはもう読み込んだものです。彼の良さは短編にあると僕は考えていますが、その話はまた別の機会に。念の為に言っておくと、「読み込む」というのは、最低でも10回程度は通しで、それ以外にも描写をメモしたり人物像に自分なりの設定を上積みしてみたり、その話の続きを想像したり、あまつさえ続編を自分で書いてみたりする工程を含みます。巷で人気のレビュアーさん(長文のアレです)は、これは断言しても良いのですが、読み込んでいます。微に入り細に入り描画をメモしているでしょうし、言わずもがなカートヴォネガットとかレイモンドカーヴゃーもフィッツジェラルドも大好きなはずです。そこらへん理解して、アンチ春樹を装った村上春樹ヘッズの春樹愛の吐露としてあのレビューを読むとじつに味わい深いのですが、一般人には理解しづらい行動なので、その視点からもう一度件のレビューを読んでみることをお勧めします。おそらく彼は今頃12*回目の「通し」の途中でしょう。 まあそれはさておき。まず前提として、村上春樹作品はファンタジーなのです。朝おきたらベッドの中にかわいい双子のおんな子がいたなんて普通実生活ではありえる状況じゃないです。もちろん、ジャズバーにいたら自然と女が寄ってきて、全然そんな気ないのに、ちょっと会話してたらもう部屋に連れ込めてる的な状況のように、数多の奇跡が重なれば、もしかしたらありえなくはないかもしれない(まあ、僕自身はないですが)状況も含めてファンタジーなのです。程度の問題なのですが、これをトールキンに置き換えてみましょう。僕たちのだれもが、伝説の魔法使いと知り合える機会ないように。古の血を受け継ぐ王から竜にさらわれた王妃を取り戻す使命を受けることがないように。ジャズのレコードがかかっているムーディな部屋で、ワインを果物ナイフで開けようとするシーンをファンタジーとして愉しむべきだと思うのです。それをセリフが大仰すぎるとか、ゴブリンみたいなああいったわかりやすい小悪党がとか、ドラゴンなんて実在しないしとかいうことは、その世界観を愉しむ機会を逃していると思うのです。この80’s的なオシャンティーな世界観を、僕らのようにその次代を生きてきたのならば懐かしく、そうでないのなら、例えば僕たちがグレート・ギャツビーを読んでジャズ・エイジの狂騒を想うように、ただ自由にたのしめばよいのです。その上で、いい歳して白いテニスシューズを履いてみたり、髪を短く刈ってみたり、柔らかい革のローファーやらニットタイやらブルックス・ブラザーズのシャツやらで、「どうせまた変な本よんで影響されたんだろ」的な周囲の生暖かい目線をたのしめばよいのです。余談ですがこういった文脈の「変な本」枠に村上春樹作品がジャストミートなのは認めます。実際に僕も周囲の人から指摘されたことがありますし、一般人には理解し難い行動であることも認めます。でもそれもいやな気分じゃなかったのです。まあさすがに女性とバーに行ってスカしたことを言いかけたはよいけれど、春樹作品の女性のように「宇宙と同じように?」的な優しい返し方はされず、冗談にして逃げたはよいけれど、明日からきっとみんなが影で笑ってるんだろうな。ちょっと恥ずかしいかもしれないな。あの人絶対言い触らすよ。あれ?なんか話が痛い方向になってるぞ。まあとにかく、村上春樹ワールドを素直にたのしみましょうということです。あまり痛々しくない範囲で、読んだ本や観た映画にいちいち影響される「思い込みの激しい」「ちょっとバカっぽい」生き方のお供に村上春樹作品は相性が良いのです。けっこう楽しいものですよ。 そういうリラックスした姿勢で読んでいれば、「村上さんの登場人物は避妊しないんですか?」といったピントのハズレた(非難しているわけじゃないですよ。ただそれをいうと「登場人物は靴履かないんですか」みたいなことも成立してしまいますし)考えが浮かぶより先に、空想上のオシャンティーな登場人物と、それとは程遠い昔の自分との対比を思い浮かべ、苦笑いしながらそのギャップを楽しめるのです。最初から最後まで戸惑いまくり、気後れしまくった思い出に浸りながら、あの人はいまどうしているのだろうとか考えて、もしこの登場人物のように振舞えたらどんなによかったろう。今思えば別れることになったのはアレが原因だなとか…。 どうも話が変な方向にいってしまうので、前置きはこのへんにして。多崎つくると彼の孤独について語ってみよう。 まず冒頭から。 ―――用事のない限り誰とも口をきかず、一人暮らしの部屋に戻ると床に座り、壁にもたれて死について、あるいは生の欠落について思いを巡らせた。彼の前には暗い淵が大きな口を開け、地球の芯にまでまっすぐ通じていた。そこに見えるのは堅い雲となって渦巻く虚無であり、聞こえるのは鼓膜を圧迫する深い沈黙だった――― これはちょっと考えてみて欲しいことなのですが、君は(二人称キミも基本です)孤独を感じたり、辛いことがあったりしたときに、それを文章にしてみたことがありますか?それも、場合によっては誰かが読むかもしれない文章にです。おそらく無いでしょう。これをやってみるとわかるのですが、不思議なほど表現が大仰になったり、思春期こじらせた中学生が書いたみたいになったりするのです。自分にとってネガティヴな感情を文字にした場合、必要以上に表現が耽美であったり、抽象的であったりするのです。これは自己防衛本能的なものだと思うのですが、そういった意味合いで冒頭2ページはちょっとびっくりしたのです。 これまでの村上作品は、よくも悪くもファンタジーでした。感情移入するにしても、自分に重ね合わせるものではなく、「世界観の中で」という前提のもとでのことだったのです。それがどうでしょう。この作品ではいきなりのリアリティです。誤解がないように書き加えると、決して状況がリアルだと言っているのではないのです。村上春樹的な中二病的な書き出しが、じつにその中二病的な意味合いでリアルに感じたのです。もちろん、その根本にある原因はいつもどおりです。 高校時代に仲の良かった友達に突然縁を切られ、その理由も告げられなかったということなのですが、普通もうちょっとみっともなくじたばたするものだと思いますし、人間不信に陥り、他人とうまく関係が築けないけれど社会生活には特に支障がないというのも不自然です。 ハルキストとしては、その辺りはむしろ安心できることなので、ホッとしつつ読み進めます。そして冒頭の山場ともいうべきバーのシーンです。恵比寿のバーとか、チーズかナッツでもつまもうとか、三度目の食事でセックスとか、もうこれでよいのです。この春樹節を愉しむのです。ケミストリー程度で引いていてはまだまだです。君もはやくこっちに来いよ。だいたい誤解を恐れずに決めつけるならば、おまえら本当はこういうの大好きだろ。「風の中でマッチwwwww」とかいいながら、程度はもうちょっと軽めでもこそばゆいこと言っちゃったことくらいあるだろ。相手が合わせてくれる保証があるなら(ま、この前提もめちゃくちゃだが)恵比寿のバーじゃないにしても多少やらかしたことあるだろ。と。 いかんいかんちょっと熱くなってしまいました。「斜に構えるより全力で」は座右の銘ですからご容赦を。 まあ、実際にこれをやってみようと思うと(普通思いませんか?はやくこっちに来いよ)えらいことになるのです。 僕「それが存在し、存続すること自体がひとつの目的だった・・・」 女「はい?」※半笑いです!眼の奥に「これはいい物見せてもらった。おもしろいからみんなに教えてあげなくちゃ!」という文字が見えてます。あー さて、気を取り直して。こういうこと全般に言えることなのですが、リアルな童貞像とかリアルなぼっち像を書いたとしたら、それは小説として成立しないのです。普段着られるモノではファッションショーにならないように。コナンの訪れる場所で毎度殺人事件が起こるのは、そういうものだからです。多崎つくるくんのオシャンティーなヤリチンぶりを揶揄することは、建設的な姿勢とは言えないのです。「絶望的な牢獄」上等、「人の心は夜の鳥なのだ」いいねえ。こっそり密やかに。墓標もなく。こういった表現は、この世界観の中ではむしろ居心地の良いものであるのです。トム・ブラウンのコレクションのように、方向性とセンセーションを提供しているものを、そのまま受けとってしまうと場違いな80’s発言をバーかましてしまったり、パンツの丈が異常に短くなったりしてしまうのです。突き抜けたものとして、そこから少しだけテイストを頂いて、つまらない日常に華を添えるのです。えーとなんの話でしたっけ。リアリティが無くてよしという話でした。ところがです。ところがこの作品ではです。いやなところにリアリティが顔を出してくるのです。例えばつくるくんの友人アカです。この人物像をリアリティが無いという人は、成功した経営者を知らない人です。GMOの社長のインタビューとか見るとこんなもんじゃありません。さらに、サラ金屋から出資してもらってビジネスセミナー屋を立ち上げるとか、もう妙な生々しさを感じます。 彼の行動をとってみても ・こめかみを指先でとんとんと叩いた。「シェフと同じだ。肝心なところはレシピには書かない」(この程度は僕もやってるかも) ・指をぱちんと鳴らした。「するどいサーブだ。多崎つくるくんにアドヴァンテージ」(今度やってみよう。やめたほうがいいかな) これくらいなら残念なことにリアリティがあり過ぎます。あ、もちろん村上作品としてはってことですが。 実はこの登場人物に僕はちょっとした親近感を感じてしまっていて、それは、背が低い事や秀才タイプ(我慢我慢)であることはもちろん、服装の趣味もやばいくらいにピンときます。ニットタイにしろ、この間買った鹿革のローファーにしろ絶対こいつ影響されただろって思われてるなーまいったなー。あ、僕はゲイじゃないです。念のため。 彼もまた多崎つくるとは違うある種の孤独感を述べるのですが、そのなかでも「あいつのやっていることがどうしても好きになれない」と思われていることを自覚している部分は、とてもよくわかる気がするのです。 アオはある意味予想通りなのです。体育会系出身のレクサスのセールスマン。コナンが旅行に行って楽しく遊んで帰ってきたみたいな感じです。あの距離の置き方は、久しぶりに会う昔の友人のそれですね。実際あんなやりとりは、だれでも一度はしたことがあるでしょう。 村上作品に於いては、リアリティのある登場人物は、物語上重要ではないことが多いのですが、今回はいろいろといつもと違うので、今後どうなるか楽しみです。え?次作?と思った人。慌てずに読んで下さい。 多少ネタバレになるのですが、灰田・緑川のあたりは、カフカやねじまき鳥のような空気感で進行します。が、これは一切回収されない伏線です。どうなってるんだよ!伏線を撒くだけ撒いて回収なしかよ。LOSTかよ。と。こう考えてはどうでしょう。これは「つくる三部作」の一作目だと。そう考えるとこの作品は、羊三部作における「風の歌を聴け」なのです。ここのところなかったほどの言葉や表現の若々しさ(村上春樹的にってことね)もそう考えると合点がいきます。沙羅やクロの若干非現実的な存在感もそうです。自説を述べると、羊三部作はロードムービーなのです。地理的な移動というより、女性から女性へ旅が続くタイプのロード・ムービーなのです。今回もその手法をとるのであればそれもまた符合します。 何もかもを都合よく解釈するメンタルは、ハルキストには欠かせない資質といえますが、どうでしょう。これはたのしみな展開じゃありませんか。この生きづらい世の中を、楽しんでみようじゃありませんか。言われてみれば、この物語の結論の希薄さは、「風の歌を聴け」に通じるものがある気がしてきませんか。沙羅のつくるに対する励ましや肯定は、以前見た景色に似ていませんか。おもしろきこともなきよをおもしろく。の精神です。ついでに、すみなすものはこころなりけり。です。 この物語は寓話じゃありませんし、救済も結論もないのです。でもどうですか。僕たちの世界では、永遠の救済なんてあるはずもなく、すべての結論もまた然りです。宇宙はゆっくりとした、それでいて力強いヴェロシティーで、僕たちはその中をただ流れていくのです。そこに偶然生じた特別なケミストリーを大事に譲っていくことで、僕らはその存在を定義されるのです。(ちょっと感化されたかも。我慢してください。) さて、この書評も終盤にさしかかりました。文学をどう愉しむかは、人それぞれです。そしてその多様性は、作品のひとつの評価軸と言ってよいでしょう。もちろんそれは、いろいろな側面から見ることができる、読者の想像力を掻き立てると肯定することも、テーマがわかりづらいと否定することもできるものですが。僕はこの作品を、10代から大好きで一緒に生きてきた村上春樹作品のひとつとして読みました。それはこの作品に対する接し方のひとつであると思うのです。君がこの物語をどう捉えるか、どう読み込むかもまた、この作品のひとつの側面といえます。この本を読んだ人の数だけこの作品の側面があると。そう考えると、もう一度別の見方で読みなおしてみようと思ってしまうのです。今回敢えてクロと沙羅については、詳しく言及しませんでしたし、僕がどう感じたかも書くことを控えます。読んでみて下さいと。もし付け加えるのならば、おもしろいからではなく、興味深いからと言い添えるでしょう。どう感じたかを教えて欲しいとも。 最後に、この作品についてとても興味深いお話があるので、それを書きましょう。 友人の母親がこの作品をミステリーと捉えて、犯人は(たぶんシロの件だと思います)だれ?と言ったのです。もちろん、単に文字通りの意味合いではなく、当然わかるよねといった意味合いでです。これはじつに興味深い見解で、というのもこの作品をマルホランド・ドライブのように捉えて、前提条件から見なおさざるを得ないものとする、おもしろい見方だと思ったのです。芥川龍之介の「藪の中」のように、誰かが嘘を付いていると考えると、多様な読み込み方ができるのです。 この話を聞いた時、はっとさせられました。 こんな長文を書かなくても、たった一行で読んでみたいと思わせる。そう気付いたのです。 やれやれ、僕みたいなバカじゃなくて彼女がレビューを書くべきだ。 *適当に挙げた数字じゃないですよ。なんの数字かわからないなら本作品をもう一度「読み込む」こと。ディテールが大事なんです。 | ||||
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私は村上春樹作品が好きないわゆる「ハルキスト」なので、今作もそれなりに楽しめました。村上作品の空気感、言い回し、どの作品にも共通する主人公の孤独感?も含めての村上節が自分の好みに合っているから楽しめるんだろうなーというのが正直なところです。謎が謎のままで終わるのも、登場人物が非現実的な話し方なことも、癖があるけどどうしてもリピート買いしてしまう食べ物のような感じで好きなのです。 今作はあまり長い小説ではありませんし、過去の作品に比べるとテーマが比較的分かりやすく、むしろ少し現実世界にに近づいていってるんじゃないか?と思いました。(主人公が「はっ」とするところなど。。。)私としてはもっと非日常的で、理屈の通らない夢のような展開のある過去作品の方が好みではあります。なので彼の長編を読み終わった後の様な満足感はなく、村上節に短時間浸れて楽しかった〜位の軽い読後感、でした。 もともと村上作品は誰にでも好まれる「味」では無いような気がするので、好きな人であれば今作も楽しめるのではないでしょうか。 | ||||
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人気の本のため書店での購入ははばかられたあのでアマゾンで購入出来助かりました。 | ||||
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文学というのは、分かりやすいストーリーかどうか、登場人物が個々の読者から見てイケてるかというような視点で見るものなのでしょうか。なぜ文化や民族を超えて歴史の評価に耐えうる作品とそうでない作品があるのかということについて考えてみたら、良い作品かどうかという評価軸が分かると思うのですが。 あくまで私見ですが、一つには文体、もう一つは言葉の美しさ、そして、読者に想像や考える余地を与える引っ掛かりを持っているか、この辺りが「違い」なのかなと思います。 村上作品には文体の美しさがあり、言葉に対するこだわりと美しさが追求されています。そしてまた、村上作品には、必ず「分かるようで分からない」部分というのがあって、これが私たち読者の想像力や思いを広げ、深い読後感を持たせる大事な部分なのだなと、そしてそれは名作家に共通なのだと思います。 そういう意味で、本作もとてもよかったと思います。また、シンプルに面白かった、とも言っていいと思います。これまでの作品よりも物語性が重視されているような気が感じがして(そんなに大きな変化ではないけど)、何か新しい試みなのかなと思ったりもします。 ただ、「この作品の後に、ねじまき鳥や、1Q84級の重い?深い?長い?作品が来るのだろうな」、ということも感じました。彼の作品は「長い作品は(比較的)掘り下げが深く、中編の作品は(比較的)掘り下げが浅い」ように思います。本作品「他崎つくる」は、比較的掘り下げが浅いというか、軽いというか、そんな作品だと思います。 まるで規定枚数が少ないので、書き足りない、書ききれてない、と作者も感じながら書いているかのように感じました。単行本に規定枚数などないでしょうが。人によっては物足りないと感じられる方もおられるかもしれませんね。 しかし、こじつけではなく、読後感が次作(別に続編という意味ではない)への期待を含む、いい意味でのスッキリしなさを持っていると思いました。 単にストーリーがドキドキハラハラするとか、泣けるかどうかというような観点で作品を選ぶ方には、本書を含む村上作品はオススメでないのは事実です。 | ||||
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村上作品に初めて挑戦。 前々から読んでみようと思ってたし、世間の評判もあって、期待値も高く、アンチ村上の意見がある事も全く知らず、慎重にじっくり読んだ。 おかげでずいぶんと時間がかかってしまった。 他の作品は読んだことないけど、レビュアーのコメントを読んでいると、村上作品てけっこう似たような話が多いのかな。 今回みたいに謎を深めまくって、いくつも未回収の布石を残してあっけなく終わったり、登場人物がそろって変に理屈っぽいしゃべり方をしたり、深刻なようで、はたから見るとけっこうお洒落で余裕があるように見えなくもない孤独感が漂ってたりするんだろうか。 それだとちょっとなぁ…。 今作での一番の感想は、せめて放った謎はある程度納得のいく形で(はっきりと明らかにしなくてもいいけど)落ちをつけてほしい。 灰田、彼のエピソードはなんだったんだろう? 後半全く出てこなかったけど。 「彼の父親の話はやはり彼自身の体験で、本当は死のバトンを受け継いでいて、彼には田崎つくるの内面を読みとる力があって、夢のなかにも介入することができて、つくるの性欲を受け止めるってことはそっちの人格もあって、省するというのは口実で、シロの事に関わりがあって、実はもうこの世にいなくて、巡礼の旅の中で図らずともそれを知ることになる」 などと、あれこれ想像する余地を読者に残したつもりかもしれないけど、半ば物語の核心に無関係な扱いなら、登場させる必要性がよくわからない。 だったらちゃんとストーリーの本筋と関連づけて真相を示唆してくれた方が好きだ。 内容は率直に言って面白かったし、話にも引き込まれた(過去の親友たちに会いに行く場面はつくるよりも読んでる俺が緊張した笑)だけに、終わりかたが残念。 読んでるときは楽しめたけど、読み終わるとあまり心に残らないかも。 露骨な性描写も終わってみると、一体なんだったのかと思ってしまう。 途中まで色々予想したけど、リアルすぎる夢やら夢精やらの理由が話の核心とあんまり関係なさそうだし、結局つくるははただの変態性欲者って結論でいいんですか、村上氏? | ||||
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終わりかたが、にくいね。でも、夢中で一気読みしてしまいました。 | ||||
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初めて村上春樹の本を読んだという村上春樹デビューの方には賛否両論あるかも知れませんが、子供には目の毒だなと思うような大人の過激な描写が含まれています。大人の目から見ても独特の世界観があるので、昔からのファンの方には受け入れられるかも知れませんが、初めて読んだという方には最後まで読破できなかったという方も居るのではないでしょうか?個人的には最後の恋人の浮気かもしれないシーンの解決がなされていないので消化不良にも思えますが、巡礼を経験したことにより過去に蹴りがついて前へ進んでいこうと多崎つくるが思えたのでしょう、と受け取ることも出来るのでおそらく恋人とは別れて1人の人生を歩んでいくであろう多崎つくるの心の内面を掘り下げて描写されていて現代人における同級生の役割のような等身大の姿にも見えますし、ある消極的な男性が過去と向き合い、過去になお鮮やかに写っていた友人たちいや、親友5人組とのエピソードがそれぞれの生活感の中で生き続けているという証が多崎つくるにもたらした影響の大きさという面では、別れることになるであろう元彼女との関わりは意味のあるものであったと思います。ただ、女性蔑視ともすると受け取られがちな性描写には辟易する読者も居るかも知れません。その点を1つだけ星を下げて、星4つとさせていただきます。 | ||||
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読み終わったときの感想を村上春樹風にいうと、 虚無感が彼女を襲った。それはジャイアントコーンを開封する際、その頭部にあたる部分を間違えてちぎり取ったときのようだった。 読んでいると、意味もなく中2感溢れるとてもくどくて比喩にしても分からねぇよ!な比喩にわんさか遭遇します。 「まるで」「ように」「みたいに」が推定、40回はでました。 正直開始10ページでやめたいと思いました。が、なぜここまで売れたのか知りたかったので読みすすめました。 しかしながら最後まで私はその答えにたどり着くことはできませんでした。ちょうど深く青い海の真ん中に放り出され、行く当ても無くさまよい続けるように(村上春樹風)。 私は村上春樹に畏敬の念をこめて比喩使い(レトリックマスター)と呼ぶことにしました。 | ||||
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ソフト?ハードボイルド&SFを組合せたような村上ワールドを楽しみました。 | ||||
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作者は、自らが心震える何かを探すため、深い場所を掘り続けている。 決して孤独を探しているわけではないだろう。 しかし、彼が心震えた何かは、何故か孤独の影が付きまとっている。 理由は分からない。 彼の小説を読むことは、彼の内面を覗き見るのと同じ行為だと思う。 逆に、彼は小説に自らの内面を無防備にさらけ出していることになる。 そのためか、私にはいつも生々しい読書体験となっている。 | ||||
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唐突な性描写とかあいかわらずワンパターンなんですけど、中盤からの引き込みは凄いですね。 削って削って無骨ではなく洗練されていく文章表現はさすがです。 ただ、以前の様に不思議ワールド全開ではない内容で、ごまかしが効かなくなったというか、ちょっと俗っぽくなった印象も受けました。 作中にノーベル賞に関しての記述があり、毎回候補に噂されている著者としての遊び心も感じられて、その辺が、印象がかわったという感想にもつながったのかな。 そして、有能な女性が主人公の友達の身辺調査をした時に、「フェイスブック、グーグル、ツィッターなどインターネットを活用した」と自信たっぷりに答える所は、有能さが全く伝わらん!、とちょっとおかしかったです。 そんな突っ込み所が散見された(目についてきた)今作ですが、中盤からラストまで夢中になって読めたのは確かです。 追伸 : 読後、アマゾン見たら渾身のボロクソレビューが載っててそれはそれで面白かった。 | ||||
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「巡礼の年」という題目で小説を書くと、というお題を出されれば、 彼ほどの小説家ならこれくらいの小説は書ける。 語り口のスマートさが好きで、ストーリー性は全く期待していないこの私が、 ラストがどうなるかを楽しみに読んだのは初めて。 期待を裏切られたかどうかは言わない。いや、言えないのだ!! | ||||
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普通に面白かった。 ここまでたたかれて賛否両論になるんだから、やっぱりみんな気になるんでしょ?村上春樹。と、思う。もしこの本が村上春樹が書いたものじゃないとしたら、やっぱりでも、普通にミステリー小説としても良く出来ていると思う。 解決がない話(灰田はどうして?とか、同性愛の問題は?とか、誰にじゃあレイプされて殺されたの?とか)いろいろ、謎は残るけど、 ノルウェイのときだって、最終的には、結末はこんな感じで謎なままだったしね。 それがこの村上春樹の手法なのではないかな。 ノーベル文学賞とか、いろいろあるから、みんな過度な期待や過度に叩いたりしすぎだけど 村上春樹の持つ「ロマンチスト」で「ナルシスト」な部分って、同性に嫌われるかもしれないけど、ホントはみんなうらやましいんじゃないのかなって思ったりしてね。 やっぱり読後感は「ノルウェイの森」に似てるね。 心を病んだ女性、 同性愛の問題、 長年にわたり解決できない主人公、 モテるけど苦しむボク 孤独 愛 苦しみ みたいな。。。 でも、やっぱりわたしは村上春樹が好きなんだよな。 なんでなんだろう? 突っ込みどころがいっぱいあるのもわかるんだけど、私はやっぱりこの人が好きだ。 この人の持つ世界観、普通にミステリー小説として読み進めたくなる文章力、あまりにも解決策がないこの世の無常、 このあとどうなったのかどうしても知りたいけど、結末を決して書かないところ、 どうしようもない問題のひとつである同性愛の問題 やっぱりでも、これは好きとしかいいようがないからどうしようもないし ミーハーだけど、やっぱり彼が生きているうちに、ノーベル文学賞をとらせてあげたい。 だって好きだから。 この、完全無欠じゃなく、突っ込みどころ満載なこの人の作品が大好きで 日本人として、誇りだから。。。 | ||||
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読み始めてしばらくすると、どんどん吸い込まれるようにはまっていきました。これからも村上春樹の本を読んでいきたいです。 | ||||
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読み終えるまでにすごく時間がかかった。村上春樹に飽き飽きしたかんじ。会話以外の部分の文体がどの作品も似てくるのは、各作家の特徴としてやむを得ないとしても、登場人物の話し方がどの作品も似ているのは読んでいて耐えられなくなった。文を含みを持たせた形で終わる話し方など、こんな話し方をする人ばかりがこの世の中にいるわけではないのに、なんでみんな同じ話し方をするのか、と思い、その不自然さが非常に不愉快に感じてしまった。読み始めたから最後まで読んだものの、苦痛を感じながら読み、読後には「もう村上は当分結構」と思った。 | ||||
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村上春樹さんの話題の小説です。登場人物に色彩の名前を与えるなどの技巧を凝らした作品です。青年期の内省的な葛藤を中心に描いた作品で、ミステリー仕立てで、過去の心の闇を解き明かしていくような展開になっています。青年の心の闇のようなものを描いて、どこか大人になりきれていないような作家の作品のような仕上がりになっていて、物足りななさも感じました。メタファーは多用されている感じですが、ややまどろっこしい感想は持ちました。 | ||||
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誰も言わないので、言います。 村上春樹はノーベル文学賞を絶対に受賞できません。 その理由は明白です。 露骨な性交描写が彼の好みだからです。 男性週刊誌に連載されるようなエロ小説と同類です。 そこが彼の最大の汚点であり、ノーベル文学賞の品位にもとります。 今回の新作も、性懲りもなく同じ愚を犯しているようです。 いくら気取ったことを書いても、いくら深淵そうなことを述べても、品位のなさが露呈されてしまいます。 それにしては、女性に人気があるのが不思議ですね。 彼は、あきらかにアンチ・フェミニストでもあるのですから。 うまく女性を騙しているとしか言いようがありません。 ただ、星ひとつをあたえるとしたら、直喩がうまくなってきたところですね。 村上春樹直喩集が出たら、ちらっと読んでみてもいいかなと思います。 | ||||
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かつて「風の歌を聴け」を読み始めてコケて以来一冊も読んでません。 今回はTVで行列作ってるの見てよくやるわいって白けてました。 出版社の売り方が余程上手なんだろうョってかんじ。 だけど。だけでも。何気なくこちらのレビュー読んでいて急に興味を 持ちました。何だかかんだぁ言いながら読むんだよね。 又コケるであろうから中古本にしました。 ものすごくきれいな本が届きました。 読み始めたら。意外にも。これが面白かった。 タイトルの「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の意味も 読んでいくうちわかりました。 「大学ニ年生の7月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど 死ぬことだけを考えて生きていた。」で始る村上ワールドに浸りました。 読みながら付箋を付けた箇所は22。 アカ、アオ、シロ、クロと名前に色彩を持つ同級生四人と色のないつくる君。 大学で親しくなった後輩は灰色。発想がユニーク。卒業後の職業もアオは 車のディーラー。アカはビジネスセミナーの代表取締役と今の時代そのもの。 つくるは長年の夢でもあった鉄道の駅舎作り。このつくる君という人物設定も 「冷静でいつもクールに自分のペースを護る多崎つくるくん。」とか 「僕にはたぶん自分というものがないからだよ。これという個性もなければ、 鮮やかな色彩もない。・・・」そのつくる君は大学2年の時、突然、その仲良しの 同級生四人から決別をされる。理由もわからず。 後年その理由を尋ねるために地元名古屋へ戻る。恋人のすすめもあって。 アオ、アカに会いクロに会うためフィンランドに飛ぶ。理由はわかる。 そうしてその恋人とうまくいくのか。わからないまま。この本はおわる。 何が原因でという謎解きみたいな。ミステリー仕立てで。それで最後まで けっこう面白く読んじゃったみたい。後編書くつもりで終わらせたのかしらんね。 でも。まあ。自分でこうやって記載し始めると。サラサラ読めただけあって。 軽いといえば。軽いほうの小説なのかしらんね。孤独と言っても。いい家の ぼっちゃん風が悩んでるだけ。と言ってしまえば。それまでだけど。 途中出てきて。レコード残して。引っ込んじゃった。灰色さん。 こいつが。いや。この灰田さん。印象的。どうなっちゃったか。知りたいョ。 「巡礼の年」ってクラシック好きな方なら。タイトル見ただけで。ピンとくるとか。 こちとらはピンとこなかった。ヘンなタイトルって。おもっただけ。 ラザール・ベルマンのリスト「巡礼の年」が今売れてるらしい。 そうなんだよね。読みながら。如何いう曲なんだろうって興味持ったし。 途中で検索までしてしまったョ。手持ちのクラシックの全集には入ってなかったし。 わざわざ購入するのは考えもんだし。聴きながら。読んだら。又違った趣きが あるのかも。とにもかくにも。村上春樹ワールド。二冊目はちゃんと読みました。 | ||||
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