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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全1022件 421~440 22/52ページ
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この本は購入して何度か読めば良かったと後悔してます。 灰田の行動の意味、多指症のメタファー等考え抜かれた構成に驚かせられます。 色んな人の解釈を読むと、灰田がフェラチオした部分を、現実とするか精神世界の出来事とするかで大きく話が異なるように思えます。 | ||||
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1Q84のようなラストに向けてのカタルシスの爆発はないが、静かで内省的なお話だと感じました。 自分には十分楽しめました。個人的には"パン屋再襲撃"を思い出しました。 1Q84に「真実というものは大方の場合、強い痛みを伴うものだ。」というセリフがありました。歴史は何らかの欠落(穴)を個々人に埋め込みます。人は歴史によって否応なく埋め込まれた欠落によって"嫌悪感"や"気持ち悪さ"を感じるからこそ、その記憶を無視したり、自分の耳に心地よいお話を信じ込んだりするのではないでしょうか。しかし、沙羅が言うように「記憶をうまく隠せたとしてもそれがもたらした歴史を消すことは出来ない」のです。 歴史が様々な問題を引き起こしている現在だからこそ、"自分自身を知るため"にも歴史を見つめることが必要なのだと感じました。 | ||||
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初めて噂の村上作品を読んだが、意味不明、全然面白くなかった。読み終わるまで時間がかかったのは、作品に引き込まれなかったからだと思う。 | ||||
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多崎つくるの巡礼は彼の巡礼なのだけれど、同時に、戦後日本についての巡礼でもあるのかなと感じられました。 それは1Q84でそうであったように、明らかな答えを提示するものではありませんが、認めざるを得ない絶望とまだ残る希望が巧みに描かれていたようにも思えます。 読んでいる最中僕は、この物語にはひょっとして本当の主人公がいないのではないかと訝しんでいました。その疑問へのひとまずの答えが、巡礼に多重の意味があるということであり、その一つの意味が、日本を描いたという事ではないかと思ったという訳です。 しかしそうやって読むのは、小説を、あるいは文学を読むという点ついては、意味の無い事だとも思います。 ですから、そういった「勘ぐり」の読み方から離れても、僕にはこの作品は、楽しめるものだったことを書いておかないといけないでしょう。 本を閉じた今、蘇る言葉や場面が、いくつもあります。つまり僕は、それらを確かに体験しました。この事をはっきり書く事で、この作品への評価の理由としたいと思います。 蛇足、話は変わりますが、この先の村上作品には、よりシリアスな同性愛者の主人公が出てくるかもしれないですね。そういう葛藤を含んだ小品も読んでみたいなという意味も込めて、書き添えるところです。 | ||||
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私、村上春樹氏の書き物を読むのは、この本が初めてです。 入院中で暇潰しに買ってきてもらったのですが、 (内容を詳しくは記せないですが) 最初の3ページぐらいで、 『うん? この話おもしろいのかも?』と取り込まれてしまって、 一日で一気に3分の1を読んでしまいました。 で、半分越えて、なかなか晴れない疑問に痺れをきらし、 『結末を読んでやろうか』ってなりました。 それでも、我慢して読み進んでると、残りのページが少なくなるにつれ、 『こっからどういう風に帳尻合わせんだ?』ってなってきて、 最後… 『そりゃねーだろ?』ってなりました。 以上、投薬の効果なのか、 自分でも何を伝えたいのか解らなくなったので失礼します。 | ||||
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このアマゾンのレビュー欄の賛否両論ぶりが面白いですね。 怒っている人は、「村上春樹の本」というものに期待が大きすぎるのでは? 美しい音楽を聴くように、海外のおしゃれなカタログ雑誌を読むように、 現実にはありえないような、めぐまれた人たちのおしゃれで、思索的な生活を するすると読んで満足したらいいんじゃないでしょうか。 現実にはありえないほどのおしゃれな台詞がちりばめられているからと言って、 小説を読んで怒るのは、ちょっと不思議な感じがします。 もちろん、私も、この小説が傑作だとは思わなかったし、 何か得るところがあったとも言い難いとは思うのですが、 良くも悪くも完成した世界であり、 このような話は他の方には書けないもので、 彼の本を買うのは、それを味わいたい方々なので、それでいいんだと思います。 ところで、この本は、今までの村上氏の本に比べると、 具体的な描写や固有名詞が多いのが気になりました。 「名古屋」という土地も、今までなら「ある地方都市」だったのではないでしょうか。 これが、大阪でも広島でも金沢でもなく、「名古屋」であることに大きな意味があるのでしょうか。 (トヨタの企業城下町であることに意味があるのか?) そして、レクサス、ポルシェ、父親の形見のタグホイヤー、フィンランドの陶器メーカーのアラビア社。 不動産業者だった父親から遺贈された自由が丘のワンベットルームのマンション。 電鉄会社に安定した職を持つエンジニア。 豊かさを示すの記号の洪水。 うん、確かに、不快を感じる人は感じるかもしれない。 (ちなみに、名古屋在住の人は、この小説の舞台になっていることをどう感じているのでしょう?) でも、「たかが小説」じゃないですか。 そんなに怒らなくてもいいと思います。 | ||||
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初めて読んだ村上作品「1Q84」が非常に面白くて、 文体にも惹かれたのだった。 で、ニュースでバカ売れしてるということで、ミーハーも手伝って 期待して読んだこの本。 さすが、孤独に対する描写一つとっても、詩的でそれでいて鋭い。 心情描写が相変わらず秀逸だ、さすが村上春樹と思った。 ただし、描写、表現に関してのみ。 内容はバカバカしくて割愛するが、登場人物数人についてだけ コメントしておく。 まずドイツもコイツもまるで魅力がない。 主人公君が学生時代に友達に関係をいきなりすっぱぎられたのは かわいそうだしそりゃ誰でも傷つくだろう。 でも今36。まだ孤独ごっこか? しかも巡礼とやらに行くのは年上の彼女の強いお勧めと お膳立てのおかげで他力。 その割には苦労もせずモテる。 大人の女が魅力感じる人と本気で思っているのか。 次にその彼女。 有能で美人でいっぱしのこと言う割りには別に男作ってる。 うじうじした主人公が巡礼に行かないと話が成り立たないから無理に 設定したのだろうけど、実際こんなおせっかい女うっとしいだけ じゃないのだろうか。 「男を別に作ってる」という現実的な設定のおかげでキャラが安っぽい。 そして会いに行った昔の友達たち、特にフィンランドまで会いに行った女。 言い訳の数々が漫画チック。 別れ際にこの女もそれはそれはすばらしい表現で主人公を励ますものの、 全然言葉に重みが無い。 設定がもっと突飛だった1Q84の登場人物は魅力的で感情移入できたのに この差はなに? | ||||
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村上春樹作品独特の言い回し、現実ではありえないでしょっていう登場人物たちの会話、など、今回の作品が、いつもよりリアルに近い分、逆に鼻についた件は多くの低評価レビューの方と同じです。 (私はつくるとおそらく、同じ年に生まれた36歳です。つくるたちのような会話は一切したことがありませんし、おしゃれなバーでお酒を飲んだこともありません。ずっとピアノを習っていましたが、ジャズもクラシックも最低限しか聴かず、J-POPに夢中でした) でもこれは春樹作品の文体の魅力と言ってしまえば納得できます。 普段江国香織さんの文章を好んで読む私ですが、いつも似通っていると思うものの、これよこれこれが読みたかったのよ、という感じではないでしょうか。 今回の作品は読みやすすぎて、さらりと読んでしまいましたが、両評価レビューを拝見して、謎が多い、伏線張りすぎて回収できていない.、と言う意見にふむふむと共感しながらも、ちょっと待てよ、私達著者に答えを求めすぎているんではないかと改めて思い直しました。 最近のドラマも漫画も音楽も、きちんと答えが用意されているものが多く、私たちはそんなふうに答えをもらえることに慣れてしまっているのではないでしょうか。 もっとわからないままの所を自分で楽しむのもありかと思えてきました。 例えば、作中では一切そんなことは匂わせてませんが、つくるが、本人も思っているように自分も知らない闇の部分があり、「頭と意識」、もっと言うなら体と心が分離して、自分でも知らないうちに、シロをレイプしていた、とか考えると、急にとっても恐ろしい話に思えてきませんか? 途中で出てきた、多指症のお話も、最初唐突に思えましたが、あれって、指は五本でちょうどいい、五人グループがちょうどよかった、というところにつながってきますよね。 6本指のピアニストは、うまく指を操れない、いらない余分な指、存在しないはずの人(色彩のない影のつくる?)、がいたからグループは破綻し、シロはしんでしまった。 そんなふうに考えてみたら…? これはあくまで私の新しい想像ですが、そんなふうに読者に書かれていない部分をいろいろ考えさせる作品だと思えば、読者が思っている以上に、著者は計算してこの作品を書いているのかもしれません。 それにしても、夢の中でセックスをして射精する、というパターンは、さすがにちょっとまたか、と感じました。 「風の歌を聞け」に登場する、鼠がいつか話していたように、一度もセックス描写のない、春樹作品も読んでみたいと思いました。 | ||||
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面白くないわけではないが、なんかパンチにかける。 自己満足の中で終わっている気がしてならない。 | ||||
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毎日、少しづつ読んでいたのですが、毎晩待ち遠しいほど、楽しみの内容でした。私はおもしろかったです。 もともと村上春樹の小説は好きで、ノルウェイの森からずっと読んでいるのですが。 さすが、村上春樹というかんじです。 多崎つくるが死にたかったという、18、9才の話しから始まるのですが。 悲しみや絶望というものが、これほどのものとは。 人は生きている中で、そういう気持ちに陥ることがあると思うのですが、 悲しみという名前で呼ぶには深すぎる悲しみを言葉にする村上春樹の描写力、その主人公の心の動きに共感して、心にじーんと沁みました。 見た目では同じように見える人間でも、ある出来事によって心の中は大きな変化が起きている。人生が変わるほどの。 そういった挫折や絶望を、私もそういう若い時に感じていました。 そういう時は、哀しい音楽を聴いて癒されていました。 そして、村上春樹の小説を読んだりして。 村上春樹の小説は音楽のようです。 哀しさや絶望を、音楽を聴いたり本を読んで、感傷に浸ることによって、癒されるということがあるのです。 現代的な若者ではあると思うのですが。 小説の中の出来事や会話や人物でさえも、全てメタファーといってもいいくらい、どうでもいいことで(私にとっては)、 どう感じたかが大事なのです。 外で起きる革命より、内で起きる革命の方がはるかに大きなことなのです、個人の場合。 この小説は個人の話しだと思う。前作などとは違って。 ミステリーやドキュメンタリー小説が、劇的に変化する状況を追うように、 村上春樹の小説は、心の変化や動きを旅するものなのです。 多崎つくるは、筆舌できないほど絶望していて、トラウマとなって、けれどそれでも愛に希望を見いだし、獲得していこうとする物語だと思う。 それは、私もすごく共感できる内容です。 なので、レビューの評価が低いのが驚きなのですが。 普段はあまりレビューを書かないけど、あまりにもひどいので。 そういう意見を見ててもおもしろいのですが。 私みたいに、この本が好きな読者もいます。 小説家が命を削って書いている本を、たかがレビューくらいで、論破している気になって、 村上春樹がわからないのなら、読まないでもいいと思う。特に社会では支障はないので。 フランス映画が好きな人と嫌いな人がいるみたいなもんで。(私は好きですが。) CG多用のSFアドベンチャーの映画が好きならそれでもいいし。(私は嫌いですが。) あとは好みの問題だ。 人は色々な感性や得意なものを持っていて、その多様性で世の中成り立っているので。 「村上春樹、好きじゃないんだよねー」という人がいたら、「単純でわかりやすい人なんだな」と思うし。 「村上春樹、好き」という人がいたら、「おっ、やるなこいつ」とは思うけど。複雑で面倒くさい人かも。私もか。 村上春樹好きなのは、アーティストが多い気がしますけどねー。 | ||||
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あっさり読めて楽しめる感じですが、結末が中途半端ですっきりしない。かといって続編が読みたい衝動には駆られないそんな感じでした。 | ||||
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ようやく読みました。途中までは、かなりポール・オースターっぽいというか、そっくりですね。影響を受けすぎなのか、もとから似ているのか。たぶん、両方なのでしょう。でも、最後のほうのまとめ方は、ポール・オースターのほうがだんぜん上手いです。あっちは鳥肌ものですが、村上さんのほうは、あらら、ですね。 シロは自殺したとすると、またかと言われると思って、殺されたってことにしたんでしょうね。いろいろはっきりさせないラストは別にかまわないんですが、本筋と関係ないところなので、そこは顔見知りでもなんでもない犯人が捕まったとでもしておいて良かったのではないでしょうか。 全体としては、シロの存在感が希薄で、どうしてそこまで仲間がこだわったのか、今ひとつ伝わってきませんでした。恋人や灰田も含めて、あとから考えてみると、自分の愛する人は理由もなくいなくなってしまう、とすっきりまとめたほうが良かったのかも、とか思ってしまいました。なんか中途半端。でも、まあまあ面白かったです。 | ||||
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年老いても、あの数年間の学生時代は鮮明に思い出される。 あの時代の輝きや蹉跌。みんなそれらを乗り越えて今があるんだな。 もう一度ゆっくりほろ苦さとともに思い返すのも、いいかもしれない。 | ||||
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昔は読み終わった本のレビューを熱心に書いていたのだけど、いつの頃からか、こうやって匿名で文章を書いたって、ちゃんと名前と顔を晒して人様からお金を貰っているプロの作家の文章に比べたら、その時点で何を語ろうとすでに負けているということに気付いてしまい、もうずっとレビューを書かずにきた。だけど、村上春樹の新作がまた話題になり、そしてベストセラーとなって売り切れ店続出と聞いて、久し振りにアマゾンのレビューを読んでみたら、相変わらずの賛否両論。そして、批判的な人たちの意見も相変わらず、 「村上春樹は終わった」「過去の作品の焼き回しに過ぎない駄作」「相変わらず雰囲気だけの空疎な小説」「やっぱり安物の三文ポルノ小説だ」…… この人たちに「じゃあ、どうしてまた彼の小説を買うの?」と聞いてみたい。みんなが買わなければ、彼の小説が話題になることもベストセラーになることもないのに。きっと、そんないち早く買って読み、そしてひたすら上から目線で批判的なレビューを書いてやる!という人たちが、村上春樹人気を支えている一勢力だという側面も少なくないと思う。もともと村上春樹って、「自分が社会の多数派に属していると絶対的に信じて疑わない人たち」が大嫌いな作家で、もともとそんな人たちに向けて小説なんか書いてないし、そんな強固な信念を持って本名も顔写真も晒して敢えて批判を怖れずそれでも小説を書くという彼の信念のまえでは、やっぱり匿名の書きっ放しのレビューは全て色褪せてしまうと思う。 と、だからこそもう匿名でレビューを書くのなんか止めようと決めていたのだけど、そんな人たちのレビューがあまりにも多いので、思わずまた書いてしまいました。 | ||||
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村上春樹の作品を読むには少しコツ?がいる。 評判の悪い彼の小説はいつもそうなのだけど。 読者が想像を広げる空白の部分が多いのだ。 完結した物語を期待する読者には手抜きに思えるだろう。 ストーリーを自分で補完できる楽しみを、多様な展開を 自分で作る出すことができない読者には可也苦痛! 創作能力が高い読者は逆に面白くできるんだろう。 でもこれって小説なんだろうか? | ||||
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私は私なりの「春樹さんワールド」の中で自由に楽しみました。そう、とても想像を膨らませて! | ||||
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まず言っておきたいのですが、僕は「イカ臭派」です。確かにカフカを読んだ時は、とにかく現実にいながら現実からぶっ飛んだファンタジーに電撃を受け、それこそ電光のように気がついたらよみ終えていました。しかし、それ以外の作品はどれもページをめくる手も文字を読む目も冷めた恋心のようにノリません。もしかしたらカフカを読んだ当時が高校生という思春期真っ只中だったからもしれません。今読むとやっぱり比喩がまどろっこしすぎて鼻につく、というのが正直な感想です。 ただ、「春樹さんの文章が英語だったなら…」と想像してみると、また趣がちがうんじゃないかな。。。 東洋と西洋の趣きがうまくミックスされていそうで、ノーベル賞も納得できるかもしれない。 でもやっぱり日本語だと鼻につく。だって言葉ってそのものに歴史があって、周りに文化があって成り立ってるものでしょ?やっぱり「ふん、キザなセリフ」「口説い」って文句をあてはめちゃうな〜 しかし、ということはということは、そういう意味で日本文学的に新しい、とか、キザ文がここまで売れたことに新しさがある、ということかな〜 そういう意味で☆三つつけたけど… もしそれだと西洋輸入の感が強すぎるということでやっぱり鼻持ちならない!日本語に親しむ日本人としては、もっと伝統を掘り下げて、良さを抽出して、それを新しいものとミックスさせ昇華させた、って感じのものがみたい、読みたい!それならもっと気持ちよく鑑賞できると思う! | ||||
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現実と空想の中間に心地のいい境地が有りそうです。空海の境地を思わせますね。 | ||||
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村上春樹さんは、(過去の作品からもわかるように)精神症状によほど関心があって、人物と自己を観察している人物だなあと思います。 精神症状を精神医学の述語では語っていないので、それを識らない人にはわからないかもしれないが、なかなか密度の高い観察眼です。 精神症状を精神医学のことばで語らないこととは、便利な刃物で安易に世界を切り取らないということかもしれません。 無粋なことを書いてしまうが、「解離」と精神科医が呼ぶ現象を、実に上手に巧みに書いていたことも印象的であった。 読み手にある種のセンスがないと楽しめない作品かもしれません。 | ||||
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1)似ているが、結末は大きく違う 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んでから、 Amazonの本作のレビューを、ひと通り目を通してみた。 その中に、漱石の『こころ』と似ているという指摘があった。 (blue_skyさん) そう言われてみれば、そうかな、と思った。 多崎つくるも、先生も、長年の胸のつかえを、 他者に語る点は、似ている。 語る時期も、おたがい、同じくらいの年齢だし。 ただ、物語の結末は、だいぶ違う。 多崎つくるは、生きていく道を選ぶし、先生は死を選んでしまう。 それは、手紙で告白すること(こころ)と、 じかに会って話をすること(多崎)の違いによるものか、あるいは、 自分の内面のストーリィの描き方の違いで、差が出たのか。。。 2)自我についてのアプローチの違い 漱石は、たとえば男女の三角関係や遺産相続など、 自我が、あらわに なりやすいシチュエーションを設定し、 主人公の心の不自由さ、不可思議さを描き出そうとしたと思う。 それに対して、村上春樹は違うアプローチをしている。と言っても、 たまたま、『The Long Goodbye』(レイモンド・チャンドラー)巻末に 書かれている同氏の解説を読んだので、そう思ったんだけどね。 チャンドラーの作品評は、 そのまま村上春樹自身の作品評に、あてはまるんじゃないかなぁ。 やや長くなるけれど、抜粋させていただく。 「チャンドラーは自我なるものを、一種のブラックボックスとして設定したのだ。 蓋を開けることのできない堅固な、それもあくまで記号的なとして。 自我はたしかにそこにある。そこに十全に機能している。 しかしあるけれど、中身は「よくわからないものなのだ。 そして、その箱は、蓋を開けられることをとくに求めてはいない。 中身を確かめることを求めているわけでもない。 そこにそれがある、ということだけひとつの共通認識としてあれば、それでいいのだ。 であるから、行為が自我の性質や用法に縛られることはない。 あるいはこうも言い換えられる。 行為が自我の性質や用法に縛られていることをいちいち証明する必要はないのだ、と」 以上『The Long Goodbye』(665ページ) | ||||
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