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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全1023件 321~340 17/52ページ
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高校の同級生をレイプし孕ませ、あげくの果て絞殺してまんまと逃げおおせた田崎つくるは、両刀使いでなんと次の標的はプールで知り合った大学後輩の若い男だった。毎週末男ふたりで料理をして、なにをしてから、幻想的な感じの連続殺人の描写に私は心底ガクブルしたのであった。読み進むにつれ、つくるの犯罪に気づいた娑羅が中年の刑事と手をつないでいるのをつくるに見せるシーンはこの小説のなかで最も緊迫したシーンのひとつで美しい。連続殺人鬼の更なるターゲットはフィンランドへ逃げたクロであり、殺人鬼つくるとの再会シーンも緊迫感が漂う。ふたりの娘をかばうクロ、夫と子供、犬を車で逃走させ、自分ひとりでつくると対峙するクロの姿は感動的だ。最後の標的は中年刑事と手をつないだいた娑羅だ、ギネスにのるぐらい人が多い新宿駅で決着をつけるぜ。 | ||||
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何やら村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』はすごいことになっている。要するに村上春樹が村上春樹中毒に陥っていて、ノーベル文学賞候補にその名があげられるほどの大御所になってしまうと、それを諫言する編集者が不在だということか。そして小説に出てくるすべての登場人物と語り手までが、会話や語りにおいて訳知り顔的で、これ見よがしに浅はかな知識をひけらかしまくってしまい、そのことごとくがスベッているように感じられ、これはまさに有吉弘行の言うところの、おしゃべりクソ野郎とクソスベリ芸人の物語だ。見てはいないが、もしかして松本人志の『R100』もこれと同じ状態なのだろうか。それとも村上春樹はわざとそうやっていて、今や日本人のすべてがそういう状態になっているということを主張したかったのか。そういう意味では衝撃的な小説だ。 主人公の多崎つくるが色彩を持たないのは、高校時代の仲良しグループの4人の仲間が、すべて『黒子のバスケ』の「キセキの世代」風に名前に色が含まれていて、そいつらから絶交された後に大学時代にお友達になった灰田くんも、灰田くんのお父さんの昔話に出てくる緑川さんも、同じく名前に色が含まれているのに対して、つくるくんには色がついていなくてさびしいなあ、高校時代は学業もぱっとしないし、性格もおとなしいし、これといって特徴がないんだよなあ、みんながうらやましいなあ、ボクもみんなみたいに色彩を帯びた人になりたいなあ、と思っているんだが、でも名前に色のついた人たちは、みんな思いっきりおしゃべりクソ野郎でクソスベリ芸人ではないか。つくるくんもお助けおねーさんの沙羅ちゃんも、似たような感じといえばそうなりがちだが、普段は無口な会社の部下の坂本くんまでが、いきなり「若輩の身で差し出がましいようですが、少し口をはさませていただいでいいでしょうか?」と断ってから、知ったかぶりの知識ひけらかし競争に割って入ってくるのには、読んでいて思わず笑ってしまった。まあ多崎つくるの「タザキ」の「キ」は黄色の黄だし、木元沙羅の「キモト」の「キ」も黄色の黄と考えれば、どちらも最初からちょっとだけ色彩を帯びていたのかもしれない。 物語の中で最大の知ったかぶりの知識ひけらかし野郎を演じている灰田くんは、その知識のひけらかしすぎ具合があまりにもうざすぎるらしく、どうやら作者の村上春樹から直々に天誅を加えられたようで、つくるくんが高校時代の仲良しグループ内の女の子二人を、おかずにしながら夢精しかけた時に、灰田くんが割って入ってきてつくるくんの勃起したちんぽをくわえこみ、灰田くんの口の中につくるくんが射精してしまう、という嫌な役回りをあてがわれてしまう。お前えらそーにしゃべり過ぎだよ!ちんぽでもくわえて黙っていろっ!ということか。そして実際それからしばらくして灰田くんは行方知れずになってしまうわけだが、語り手も語り手で、村上本人の下品でグロい性格を反映した箇所もなくはない。「シロは普段は無口だが、生き物が好きで、犬や猫の話となると顔つきががらりと変わり、夢中になって話し込んだ。獣医になるのが夢だと本人は言ったが、彼女が鋭いメスを手にラブラドルの腹を切り裂いたり、馬の肛門に手を突っ込んだりしている情景が、つくるにはどうしても想像できなかった。」ここで「どうしても想像できなかった」情景を想像しているのは誰なのか。語り手なのだろうか。それともどうしても想像できなかった情景をつくるくんが想像しているわけか。あるいはそれを読みつつある読者なのか。村上春樹は彼の本を読んでいるプチブルジョア的な小市民の読者に、ちんぽをくわえた灰田くんの口の中に精液が溢れ出す光景や、清楚な美人のシロちゃんが「ラブラドルの腹を切り裂いたり、馬の肛門に手を突っ込んだりしている情景」を想像させて喜んでいるわけか。 村上春樹はその手のプチブルジョア的な小市民を嫌悪しているのだろうか。こんな箇所もある。「レクサスの受付にいたのと同じ、名古屋でしばしば見かけるタイプの女性だ。整った顔立ちで身だしなみがいい。好感も持てる。髪はいつもきれいにカールしている。彼女たちは何かと金のかかる私立女子大学で仏文学を専攻し、卒業すると地元の会社に就職し、レセプションか秘書の仕事をする。そこに数年勤め、年に一度女友だちとパリに旅行し買い物をする。やがて前途有望な男性社員を見つけ、あるいは見合いをして結婚し、めでたく退社する。その後は子供を有名私立学校に入学させることに専念する。」とお得意の浅はかな知識のひけらかしつつ、皮肉っているつもりなのだろうか。そういえば物語の中で、唯一ほとんどおしゃべりクソ野郎役を演じなかった清楚な美人のシロちゃんは、強姦され妊娠して流産して、大好きなピアノ演奏にも、その才能の限界を感じさせられ、美人でなくなり、そんなふうにしてどんどん不幸になっていき、しまいには殺されてしまう。うんちくのひとつもしゃべれねーやつは死んでしまえ!ということなのか。その殺人事件も未解決のまま放置され、そのままその存在自体もフェードアウトしてしまうわけだ。 その彼女がかつてピアノで弾いていたのが、リストの『巡礼の年』という曲なのだが、それに関して三流音楽評論家の解説みたいなのが物語の随所にちりばめられて、その手の浅はかな知識を真に受けてしまう人用の箇所なのだろうが、緑川さんが田舎の中学校の音楽室で弾いてみせた『ラウンド・ミッドナイト』の箇所もそうなのだが、かつての仲間の居場所に巡礼していき、そこでうんちく話をして和解し、東京近辺では夜に徘徊して、おしゃれなバーやレストランで飲んだり食ったりしながら、アーバンな気分を味わいつつ、沙羅ちゃんと謎解き探偵もどきの会話を楽しみ、何やらそういう雰囲気に浸かるような話にはなっているわけだが、やはり印象としては薄っぺらい話だろうか。これで村上春樹がノーベル文学賞を取ったらすごいか。 | ||||
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 ↑ホントの一流の作家は自分の著作にこんなタイトル付けない。 自分は森村誠一、原田康子が好きですが 彼らの本のタイトルは非常にシンプルです。 | ||||
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巡礼を始めようとするあたり、ちょうど真ん中位のページからおもしろくなって真夜中なのに一気に読んだ。しかし読了後にはあまり残る物はない。時間に余裕がある時に、図書館で借りて一回くらいは読んでもいいレベルの本。実際、図書館で借りてきて2日で読んだ。それなりに生きているが少し社会から疎外感がある成熟した大人になりきれない主人公、不思議な感じの女性、高校時代のグループ交際、幻想的非日常的な経験、性的描写、精神的病を持つ若い女性、小説のテーマと合致する音楽、少しだけ希望を残すレベルのエンディング。う〜ん、いつもの春樹だ。 | ||||
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やっとこの本を読める時間が出来ました。 半分も満たない時に見るのやめようかと思いましたが、 後半期待して頑張って最後まで読みました。 はっきりいって、なぜ本が売れるのか理解が出来ません。 そしても、もう見なくてもいいです。 | ||||
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なぜか酷評されているコメントが多いのですが、わたしはとても気に入りました。 確かに、一人称の「僕」で語られ、突如として不思議なキャラクターが登場するファンタジーが魅力の、 村上さんの有名なこれまでの代表作とは違う小説です。 村上春樹の新作、という姿勢で読むと、がっかりされる方が多いかもしれません。 本の真ん中あたりまで、ぐっとこらえて読んでいくと、残りは一気に読み進みます。 ここまで有名な作家が、また新しい世界をひらいていくのは容易なことではないです。 これを読んでまた、村上さんのこれからの活動がとても楽しみになりました。 | ||||
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主人公の男の精神年齢が、12歳ぐらいに思えるほど軽い巡礼だ。 いい大人や、社会人が読む小説ではない。 こんな小説が良いなんて言っている人は、本当に恥ずかしいと思わないと駄目。 この小説は、人間とは人生とは社会とは何なのか全然わかっていない奴が書いたもの。 | ||||
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全部読んだ。真水に近いウイスキーだ。「ケミストリー」ってたぶん「錬金術」のことだよ。察して差し上げろ。「ビックバン」って、意味ないから安心してくれ。 つまり確信犯の詐欺である。罪はまあまあ重い。「犯罪をおこなったものは10年以下の懲役に処され、犯罪によって得たものは没収(19条)または追徴(20条)される(Wikiネタ)」。 525円で、角川スニーカー文庫で出すとよい。もしくは、フリー配布してくれ。 さて、「不思議と」、「なぜか」、「分からない」 という形容が頻繁に出てきます。作者兼主人公がこんなことを乱発するおかげで、読者もそうなります。 最初のページから3ページくらいを、もう、10回くらい読みましたよ。適当に暗記しましたよ。そのまま引用するとアレなんで、わたしなりに暗記したものを括弧付きで書いてみましょう。 「多崎つくるの死への思いが純粋すぎて、具体的に形象化する方策が見つからなかった、なのかも知れないのだろう(たぶん)」 作者は本気で死のうと思ったことはないことがいきなり露見します。自殺なんてインターネットを調べれば、覚悟とロープとドアノブと椅子があれば可能です。8m以上のロープをつけてマンションから飛び降りとかしなくても、楽勝です。後遺症の残ったぼくが言い切ります。つくる君はGoogleで調べることができなかったようですね。未遂もしてないみたいですね。ほっとしました。 このあと学生時代孤独でウツになった旨が告白されます。 しかしウツの人は「朝から起きて歯磨き」なんてしませんし、大学なんて行けるかよっ。 「家に帰ると、壁にもたれて、死について、或は生の欠落について考えた」 一度でもウツになられた方はおわかりのように、そんなお洒落なウツはございません。一ヶ月くらいトイレに行くだけは起き上がる程度の布団蓑虫になりますからね。ウツ十年選手のぼくが言い切ります。まあ、彼にウツとか欠落はないのでしょう。んなこたあ、かいてないからな。 世界のリアルがリアリティを失い、すべてが無に帰し、存在しなくなり、「鯨の胃袋」に飲まれて「ひどく淀んだ日付を持たぬ日々を送った」つくる君。 世界に絶望しているらしいんですが、リアリティのあるリアルさがまったく伝わってこないまま、「鯨に飲まれるように」見事な比喩にすべてが煙に巻かれてしまいます。 つくる君の心象と、作者のメタレベルの心象をミックスして意図して書かれているのか、作者天然の「化学変化(錬金術)」なのか分からないところも又、分かりません。 もう少し進むと、模型の駅の描写があります。一見、中学生の書いた作文に見えますが、意図的に叙情的な描写を避けているのかも知れません。模型ですからね。でもまあいらないくらいにつまんない描写です。しかしつくる君は駅をつくらないとつくる君にならないため、キーとなるはずです。しかし「なにかが欠落」していることはなく、とても素っ気なく、まるで不思議となぜだか、「現実と空想がミックスされて、その興奮のあまり痙攣し」て失禁して射精してそれを飲んでしまうくらい、つくる君と作者の距離がありません。 この書き方は、フランツ・カフカを意識しているのでしょうか。しかしカフカは身振り描写や言葉遊びを大切にする技巧派です。カフカっぽい失敗作を意識して、作者が意図的に書いたというのならよく分かります。それ以外の答えは「不思議と分かりません」。こんな感じで、分かっていながら詐欺にはまりますから、みなさんどうぞ。あとは・・・すごく長いなあ。 あといらないつっこみが多いのに、必要なつっこみがありません。括弧付きで(だろう)とか「それ冗談よ」と書かれると、阿呆向けに親切になって書かれているのか、それに突っ込むべきなのか、頭の中に「なぜ」の記号がいちいちつくため読むのに困ります。地の文が全部つっこみどころなので、読み進めるのに苦労します。会話と地の文との差違なんてほぼないな。 文は至って平易です。一、二秒くらいで一行読めますね。流し読みして飛ばすくらいでokでしょう。めんどくさいと三行くらいまとめて読めます。これはセンター試験とかで使った技ですねえ。パラグラフリーディング(シュタイナー)です。もちろん、ゲームの中の主人公のように、へ移行世界を妄想してください。そして読み飛ばしても大丈夫。なぜなら、つくる君は魔法が使えるのです。読まなくても今度だけは読んだことにしてくれるという。セックスもウイスキイも同じさっ☆彡音楽のように聞き流そうぜっ。深読みしようとすると、阿呆のような時間がかかります。理解しようというのが、無為な試み。 テクスト全体の作りが、親切を装った不親切なんだと思います。それもその不親切は、技巧とテクスト表記のレベルでであって、物語と比喩のレベルではありませんよ。後者は作家の自由ですから、しかとします。しかし前者は想定された読み手のためにあるはずのものなので、本が好きなぼくは徹底的に読もうとしてしまいます。比較対象に、カフカを原文で読んでみなさい。翻訳でもいいけどね。ちゃんと読めるように書いてあります。ハルキ先生のは、もうテクストとして読めませんね。ひどく不親切。分かるようで実は意味なんてないという詐欺です。それが『涼宮ハルヒの欠落』です。ああ、「村上ハルキの欠落」だってえ。どうでもいいじゃないか、なぜかはわからないが。ようはケミストリーさっ☆ 最後まで読み切りましたけどね。 読ませたいのか、読んで欲しくないのか。チュウニとかオナニーとかラノベとか言うことは当たり前なのでほっといても、これ読み物としてどうなんですか、と不思議になります。 もう一度言います。物語と比喩、これは理解できるものではない。なぜなら『涼宮ハルキ先生の憂鬱』の中にも答えがないから。 文学とは、美とはなにかに近いかな。まあ物語とは伝統的形式ですが、常に進化してますからね。比喩はなにかからの跳躍だとしたら、元の何かを書けないための所産であり、まあ深い意味はない(しりたきゃロラン・バルトでも読むといい)。 しかし読ませるための技術、或はその誠意、これが今回のハルキ先生には感じられない、ということだけ、それこそが感じられる。つまりつくる君=ハルキ先生の欠落です。ハルキが書いた。文句あるか、ということですよ。ジャイアン・リサイタルですよ。まあ娯楽じゃないんだな。でも資本主義的には成功しているんだな。そしてノーベル賞という名誉も作者は欲しいんだな。 単なる平易な、なくてもいいような、国語の教科書的な紋切り型の、青空に突然開いた夜空みたいに無乾燥な風が吹く、そんな説明文が九割、毎晩ゲーテとシラーとが茶漬けを啜るように互いにフェラチオしあったくらいにひどい、そんな巧みな比喩が一割。こんな薄いウイスキーは飲めない(だろう)。比喩が読みたいなら、海外の古典を読む方がいいな。ボードレール、リルケ、ビューヒナー、ツェラン、…。 全部が隠喩なのだ! とか言う方は、きっとなぜか不思議と分からないままに、エックハルトとかヴィトゲンシュタイン晩年とかメヒティルトとかも理解できるんでしょうねえ。うらやましい。 『涼宮ハルキ』シリーズ、餡抜き鯛焼きですけど、太鼓判を押してでも、おすすめします。 | ||||
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村上春樹すきです。 高校生の頃に読んだノルウェイの森は、良くわからずとりあえず読んだ感じだった。29歳くらいで読み直したら全く違った世界だった。 この作品も10年に一回くらい読み直したい作品になった。これを読んだとき、ちょうど友人とうまくいっていなくて悩んでいた。そんな自分と重なる部分もあり、不思議な気持ちになった。そしてなぜか救われた。 読む人の気持ちしだいで物語りは違ったものになる。だからおもしろい。 | ||||
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この作品が発売時、大変な話題になったとき、何故あんなに酷い悪罵が賛同され市民権を持ったのか、私の周囲の数人(すべて読み巧者だ)に尋ねてみた。人格の問題はさておき、誰もが読解力の問題だと言う。村上春樹氏の文章は平易に見えて実は暗喩に満ちている。平らかな進行の裏にある複雑な心象を読み解くことに、彼の小説の醍醐味はあるのだが、しかしその存在を感じ取ることさえ、ほとんどの人はできないのだと。小論文添削の専門家によると、大部分の人には「行間を読む」能力がないらしい。唯一つの感情(楽しい・悲しい・切ない・恐い等)を予め約束された作品に接し、所期の目的を達したら「感動した」と称揚するだけの連中にとって、村上春樹は荷が重過ぎる。彼が提示するメッセージはより多面的であり、簡単な言葉に帰納させてくれない。それは彼の全存在と同じ重量を持つ世界観の反映であり、お話として面白いか否かは二義的なことなのだ。 彼の小説の登場人物は誰一人自立していない。全員が作者の分身であり、異なるfacetの代表として操り人形のように考え、会話し、行動することで、各々の役割を分担している。だから誰彼の言動への論評は(遊びとして以外には)意味がない。筋書きを楽しむ娯楽作品ではないのだ。問題は作者の意図が有効に提示されたか否か、である。私は終盤の処理に弱さを感じた。しかし概ね作品に寄り添い心を共鳴させ得た、と思う。 以下は批評と無関係な、個人的な感懐である。 「私たちが私たちであったことは決して無駄ではなかったんだよ」(p.320) 「失われてしまったいくつもの可能性と、もう戻ってくることのない時間」(p.343) ここでも私は心に響く言葉をいくつも見つけた。そして私の高校時代を、あれからの数十年を思った。私はかけがえのないものをいくつも失い、引き換えに、新たなかけがえのないものに出会った。生きていくとは、結局のところ何なのだろう。 | ||||
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現在の日本で村上春樹を読んで感動できなかった、なんて言ってしまうと、もうそれだけで村八分にされてしまうのでしょうが、ああ、これってまたあのはぐらかしの手法ね、というのが正直な感想でした。そうしたどっちつかずのはぐらかしが世界でも受けているとは思うのですが、私にとっての文学とは、それを読むことにより、私の生き方の角度を何度かでも曲げてしまうようなものですので、この作品は単なるエンターテイメントであり、文学とは言えないと思います。 | ||||
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レビューで星ひとつの酷評を書いてるドリーさんが、何故24000近くも「参考になった」とされているのか、それを確認したくて本書を完読したのは私だけでは無いと思います。(あの書評はすごいですね。) "己が故郷の何かと繋がっている事"は自己の確立に欠かせない事だと思います。どんな遠くまで行こうとも、生まれ育った土地や人との繋がりというのは、見えない烙印のように切り離せないものです。 歳を重ねて行けば人との縁が切れる事もあり、孤独を感じない人なんていない。だからつくるの孤独と、自身の経験を重ね合わせる読者もいるでしょう。つくるの話を読むことで、今まで気付かなかった、気付かないようにしてきた感情を、掘り起こされてしまう人もいるのではないでしょうか。また自分は何のために生きてるのか、とか、金太郎飴の大量生産型教育を受けてきた日本人なら誰でも感じる「没個性」に対する苦悩も、つくると共鳴するところがあるかもしれません。 段々感じてくる拭いきれない違和感は、つくるさんが自分に酔いすぎてるところでしょうか。突然別れが来る事は、生きていればそう珍しい事でもない。村上春樹が書くとお洒落だなと。あとこのつくるさん、結構こだわりやひとりよがりなところがあるのに、ある面では極端に人任せな面も。それが男(のロマン?)ってやつなのかな。 でもなんだかんだ思っても、結構飽きっぽい私が一日集中して読みきった位、本書は面白かったと思います。 | ||||
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学生時代から春樹ファンです。じわじわ春樹ワールドにつかりながら読み進めました。 | ||||
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謎めいたことが知りたくて、最後までついつい読んでしまいました。 | ||||
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タイトル通りのストーリー。 どういう本?って聞かれたら、このタイトルをそのまま言えばいい。 作品の立ち位置としては、『スプートニクの恋人』や 『アフターダーク』と同じ、次の長編のための習作って ことになるんだろうけれど、でも今回はちょっと長め。 読んでいてまず感じたのは、懐かしさ、かな。 『太陽の南、太陽の西』に似てるし、最近の、 村上さん本人言うところの「総合小説」的なスケールの 大きさはなくて、ひたすらシンプルで純粋な「喪失」の物語。 『太陽の西~』の島本さんとハジメくんに代わって、 本作では男3人女2人の5人グループが、「奇跡のような 完璧な時間」を共有するわけだけど、人数が多いせいか、 この5人の一体感を描く場面が少なくて、そのせいで、 それを失ってしまった主人公の喪失感が今ひとつ伝わってこない。 あまり出来がいいとは言えない『太陽の西~』ですら、 あんなにひりひりするような胸苦しさを感じたのに。 正直つくるくんと、白根さん、黒埜さんの3人でよかったような。 まあ、本作は「色」がテーマになっているので、ある程度 頭数をそろえる必要があったんだろうけど。 あとね。フィンランドね。つくるくんは、その「巡礼」の旅の 途中でフィンランドに行くわけだけど。 『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』の中の(これも長いな)、 『スプートニクの恋人』についてのインタビューで、 ギリシャを舞台にした理由について、村上さんは、 「海外に行くと、その体験が何年かかけて自分の中で消化されて、 アウトプットとして出てくるんです」みたいなことを言ってた。 『遠い太鼓』にフィンランドに行ったエピソードがあるから、 なるほど、元ネタはこれか、なんて思ったり。 あとさ、ラップトップ! 古いよ。 高村薫の「ズック」に通じるものがあるな。こそばゆい。 | ||||
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文体にはやはりなじめないところもあるが、今まで読んだ作品のなかでは一番引き込まれた。三十代半ばに読んでいたかった。だけど、五十代の今だからそう思えるのかもしれないし、六十代の村上だから書けたのだとも思う。 | ||||
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外野に勝手に騒がれてしまう作者だが、批評している方々は一体何が不満なんだろうか? 「項羽と劉邦」を執筆し、当時代の解釈を司馬遷に対抗した司馬遼太郎のように何かしらモノを書けばよいと思うのだが・・・ とても面白く読ませて頂きました。 | ||||
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私は村上春樹は初心者ですが、この作品も、ハルキ流メタファーとそれらを読み解く楽しみは確かにありました。ただ、結局、インターネットで解説を見つけてしまい、それで納得してしまいましたが、、。 | ||||
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タイトルが面白いですね。 まずはタイトルに惹かれました。 買ってみて読んでみて、推理小説を読んでるような気がして 最後まで面白く読めました。 高校時代の美しい友情と、社会人になってからの人間関係が 全く別物であること、または継続しづらいものがある事を強く強調している、 印象深い構成、ストーリーの小説ですね。 主人公の若者の心理は、覚悟、決断はいかほどのものだったのか? 想像を絶する世界です。 よくも自殺しないで生きながらえたものだ、と感心します。 そして中年になって、やっと自分に素直になることができて、 高校生時代のあの出来頃と探っていく行動力にもただならぬものが感じられます。 現実には、あのように、きれいに話が展開するだろうか? 以前の仲間があのように、熱い気持ちでリアルに語れるだろうか? 今少し、なあなあになったり、劇的な変化がその仲間たちに起こっていたり するのではないだろうか? だから、あんなに皆が20年近くも前の事をクリアーに思い起こせて、共通の 話題にできるものだろうかと、疑問も抱かせます。 しかし、この物語、話の後編が期待できるかもですね。 この30代の主人公の人生のゆく末がとても気になりますから。 恋人との行く末があり、人生はどう展開するのか?想像しているうちが花ですかね? | ||||
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村上文学の世界にまた一つ新しい面が出たように思えた、ますますフアンになりそうな気がする。 | ||||
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