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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全1022件 661~680 34/52ページ
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1Q84より軽く、1つのエピソードだけで構成された小品だと感じました。 この雰囲気、好きです。 | ||||
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1Q84は、これまでの文芸的要素に、エンタテイメントの良さが入り、良い作品でしたが、 なんでしょうかね、今回のは。 前半読むのが苦痛でした。なんの興味も惹かれない。 人物を描いたと、本人はおっしゃっていましたが、なんとも中途半端。 村上春樹がやるべきではない分野に入り込んで、素人のやるようなことをやってしまった、という感じ。 いつもの文芸的な書き方も、今回の作品の中にあっては、なにも感じる物を得られませんでした。 地の文も誰の視点なのか不明。 ラストもなんだかなあ。 思わず舌打ちしてしまいました。 そんな作品、初めてです。 | ||||
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この小説もそうですが、村上春樹の場合、自分を主人公に投影していている感がどうしても強く、引いてしまいます。 上方落語協会の役員みたいな容姿なのに、「都会的でオシャレにモテたい僕」という欲望を常に抱えている思春期の男子だと思います。 先日の京都大学での講演で、会場に入って行く時の服装をみて、やはりな、、、と思いました。 キャップを前後ろにかぶって、ベストセラー作家だけど軽やかでアメリカンな僕を気取っておりました。 ご自分の容姿レベルをしっかり把握している大人の男性は、あんな格好はできません。 とにかく、またしても、主人公と村上春樹自身の、「おしゃれでモテたい僕」欲望が強くリンクしている、なんとも恥ずかしい本作です。 | ||||
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ふつうに面白かった。 いつもの村上作品です 特別な小説ではないので、特別な本の売り方はしないほうがよい。 作者、出版社どちらの意向かしらないけど… | ||||
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日本中のこれだけの人間が絶賛する作品なのだから、何かしらの モノはこの作品の中に埋まっている。 それを感じる事ができれば、それは良かった事。 感じることができなければ、それはあなたとこの本の相性が 合わなかったってだけの事。 この本のケミストリーを感じることができなかっただけの話。 それでいいじゃない。 3年後に読んでみたら、また違った印象を持つよ。 | ||||
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「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んで美しい文章で綴られた結末の無情さと寂しさに、しばらく小説は読まなくていいや〜とのことで1Q84はパス。 久しぶりに村上春樹さんの小説を手に取りました。 表現豊かで読みやすい文章は相変わらず。何よりも楽しく読めました。 ネタバレ交えて茶化したレビューを書いている人がいますが、そう言うスタイルなのは昔からですし今更と言う感じ。 (氏の描く男性主人公たちには女性が自然と寄ってきますがw) まあ、小説なんてそんなものですよね。 それに、ファッションで読まれている小説なんて日本なら昔からどの時代でもありますよ。 不景気が続いている今に2000円弱の本が100万部売れてる、というのがニュースになっているだけだとおもいます。 さて、読み終わってみたが今回は後読感はあまりよくない。それほど感動はしなかった。ふーむって感じ。 なんでだろうね?と、いわれればヒロインの女性があまりかわいげがないとかいろいろありますが、描ききってない部分に納得できないところが「ちょっと」あり、あれ?これで終わり?というのがおおきかったな〜。 | ||||
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登場人物たちの吐くセリフがいちいちかっこつけすぎの気取りすぎの無闇矢鱈な比喩表現使いまくりーのでとてもじゃないですが心穏やかな気分で読めたもんじゃありません 寒気を催すような言い回しが全編にわたって炸裂しているのでとても人にはオススメ出来ません でも、こういうくどい言い回しを多用する小説に感銘を受ける人もやっぱりいるんでしょうねえ | ||||
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フロイト、ユングが創始して河合隼雄が日本に紹介した夢分析の要素をナラティブ(物語)として意識的に小説に取り入れたのは日本人ではこの人が初めてかもしれない。でもどう考えても今回の作品は聖書じゃあるまいし100万部の内容ではない。そして出版社に持ち上げられたのか本人は京都大学にガム噛みながら帽子を逆さに被って颯爽と登場したかのように思っているかもしれないが単純に父親の団塊世代の加齢臭臭い男のエレキの若大将がバンド練習風景にいくふうにしかみえず、じつにじつに痛い風景だった。そして最大の山場はノコノコ世間に登場して偉そうに国家観の無さ、反イデオロギーを一生懸命に「本気で、信じて」語ってた。 今まではまさか本気ではないだろう。わざとこのように書いていると思ってそこに最大の魅力を感じていたが、実際の作者の思想が本当にそうだったのはビックリしてしまい、今までの作品が一気につまらないものになってしまってた、、。 昔はオシャレだった「ニューヨーカー」なんかにボストンのテロの事を寄稿してたけどテロリストには何も語らず論考せず、はっきりいって思考停止してたんじゃなかろうか。で、最後には耐えるしかないんだと。今回皮肉にもそれら空っぽな思想観が村上文学の種明かしとなり、あのダサいメタファーもマジだったんと、、、。読者はおおいにがっかりしたんじゃなかろうか。 しかし100万部の文学。今の世の中、勝者総取り、中間層はすべて敗者。 大衆小説ってやっぱり俺は無理でしたね、、。 と思えてそれだけは収穫。 | ||||
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読書家であることを自負する友人から薦められ、初めて手に取った村上春樹さんの作品でした。 私が普段から読むのは、とても肩がこる文学小説(和洋問わず)と、肩がこらずに読める時代小説です。 文学小説を読むのは、それらの作品は登場人物の心や感情の動きがとてもよく描かれていることが多く、またそれらはとても繊細かつ複雑にまざりあって、世界を構築しているのが好きだからです。 時代小説を読むのは、書いている方が実際にあった物事に自分なりの解釈をいれて面白く書いていることを見て楽しんでいます。 とまぁ、長々と自分がなにを普段読んでいるか書いた理由は、この作品が「糞ほども」面白くなかったからです。 なんかやたら主人公の葛藤などを書いている(ように見えないこともない)が、まったく私には彼の「孤独」が把握できません。 どんだけ仲が良かったかしりませんが、友人グループに絶交されただけで陥る孤独感ってなんですかね? たとえば、彼が天涯孤独の身の上で、唯一心の頼りとしていた家族のような方々に絶交された、とかならある程度わからなくもありません。 100歩ゆずって、小さなことでも人は孤独になれる、ということを示唆したいのだとしても、主人公の生活のどこに「孤独」を感じればいいかわかりません。だって、普通に生活して、バーにも通って、女性と知り合って、はたから見れば孤独どころか、順風満帆すぎて、どこぞのネット用語でいうなら「リア充爆発しろ」だと思います。 なぜか他のレビューでは、繊細な心理描写的なことがよく書かれていますが、こんな自己陶酔なだけの描写なら、もっと描写を減らして、読者に考えさせるほうがよっぽど面白いです。この描写をもし「天才的」というのであれば、天才=ただのオナニストでしょう。 がんばって読み進めて感じたことはただ一つ。なんだかんだでドラマチックには作られてるし、テレビ映えはするんじゃないかな、ということ。改めて、この本を小説として考えず、脚本と考えると、思ったよりもしっくりくるのでは。 特に常人では理解の及ばない表現もあるので、そういうのが得意な韓流ドラマにしてしまえば、世のおばさま方にうけるのでは? まぁ、私はこの方の作品は今後まっぴらごめんですし、この本を薦めた友人には二度と「読書家」などとほざくなと注意しておくことにします。 | ||||
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☆ひとつのレビュー 超笑た。 昔、ノルウェーの森 でノックアウトされて以来、起き上がることができません。 が、こんなに大笑いできる 本 なら読んでみたくなる。 そか、爆笑本 かー | ||||
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本編よりも面白いレビューなどと言われる位、レビューも花盛りですね。アマゾンはレビューを書籍化すれば、相当稼げるのにと以前から思っていました。それはさておき村上春樹の作品に過剰な期待をしすぎる方が多すぎるのでは?私は過去の作品も全て読んでいますが、常に読み始める時のスタンスは他の小説、書籍と区別せず話題に成っているいないも意識しません。そう言った観点から本書は、支払った対価以上の有意義な時間を私に与えてくれたと思っています。どんな「色」に感じるかは読む方次第だと思います。 | ||||
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実際に本を持ってる人、読んでる人を見た事がない。 ほんとに売れてるのかすら分からない。 視聴率と同じような話かも知れない。 | ||||
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傲慢ヅラした白豚野郎のオナニーを見せつけられたかのような気分でした。もっと具体的に言うとトップリードのコント以下の作品ですね。 | ||||
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読みやすかつたし次の展開が気になる作品のように感じられました | ||||
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著者の本は『ノルウェイの森』と『スプートニクの恋人』しか読んだ事がありません。 どうも村上春樹ワールドは孤独感や喪失感に満ちている気がして手を出せずにいました。 少しネタバレになりますが、主人公の多崎つくるが 仲間から存在を否定されて心に負った深い傷は読んで辛かったです。 16年経った今もなお疼く傷。 読み手がいつかどこかで味わい、時間の経過でやっと忘れ去った傷を探し出し、 もう一度辛さを思い出させる感じがしました。 色彩をもたない多崎つくる。 彼は自分のことを 『自分というものがない。個性もない。鮮やかな色彩もない。 こちらから差し出せるものを何ひとつ持ち合わせていない。 いつも自分を空っぽの容器みたいに感じている。』 といいます。 つくるの巡礼という行為によって、 何かしらの希望や救いが見出せたらと思いましたが、 結局のところ救いようがないまま読了を迎えた感じがします。 自分にとってはキツい本でした。 | ||||
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この作品、楽しく読めましたが、やはりいつもの村上春樹節。 なぜか感じる文化部のノリ。 カフカほどではないにしても、読了後に感じる、 『おい!お前!これから全力で校庭10周な!!!!』 感はありませんでした。 たまぁーには違う作品、、、読みますよ。 なんだかんだで吸い込まれてますから。。。 | ||||
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この小説の主人公は「多崎つくる」という男性である。駅舎の設計の仕事をしている。 多崎つくるは色彩を持たない。彼の元に集まる人々はいずれもその名前に色が含まれているが、一方で彼の名前には色が含まれていない。人々は彼に近づき、触れ、そして通過していく。まるで彼自身が駅であるかのように。 多崎つくるにはこれといった特徴がない。他人より特別に秀でているところもなければ、特別に劣っているところもない。どこにでもいるような普通の人間に過ぎない。彼を取り巻く色彩豊かな人々と比べると、つくるはあまりにも凡庸だ。 しかし、と僕は思う。凡庸なものもある程度は必要なのではないだろうか? 絵画だってそうだ。キャンバス一面に様々な色が、それこそ隙間なく塗られているのはあまり風情があるとは言えないし、強烈過ぎる。ほんのちょっとした余白を作り出すことで、色はその個性を最大限に発揮することができるのだ。 そのようなコントラストが最も素晴らしい形で機能していたのが、小説の前半で出てくる高校時代の小コミュニティだ。アカ・アオ・シロ・クロ、そしてつくるという、男三人・女二人で構成されたこのグループは、奇跡と呼べるほどの強固な結び付きを保持し、高校卒業まで彼らはほぼ常に行動を共にした。男女混合グループであれば恋愛沙汰に発展するのが普通だろうが、それぞれがほのかな恋心を抱くことはあっても、それが露顕することは一切なかった。恋愛感情という強烈な発色を、余白であるつくるが吸収していたのだ。彼の功績によって、グループは分裂も崩壊もすることなく、秩序を保ち続けることができた。 東京への進学をきっかけにつくるはグループを離れることになる。一方で他のメンバーたちはいずれもが地元に留まることを選択する。物理的にグループと離れていたつくるであったが、帰省時には元通りグループに加わることができた。とくに変化は見受けられなかった。 しかし、どれほど完璧なグループでもいずれは崩壊する。シロをレイプしたかどにより、つくるはグループから追放されてしまう。つくるには自らがそのような犯行に及んだという自覚がまるでなかったが、錯乱状態にあるシロを守るためにはつくるが犠牲になるしかなかった。彼は異端者だったのだ。メンバーの中で唯一色彩を持たず、地元を捨てていたのだから。 シロが精神に変調をきたすことになったその原因は、彼女が本来志望していた獣医学校への進学がかなわず、不本意ながら音楽大学へと進んだことである。彼女は自らの音楽の才能を開花させることができず、限界に突き当たってしまったのだ。 だが、もしもつくるが東京になど進学せず、地元に留まっていたとしたら? 高校時と変わりなく、彼が余白となり、シロの感情の発色を吸収することができていたとしたら? シロは数年後、何者かにより殺害されてしまう。証拠は何一つなく、犯人は見つかっていない。つくるはこの事件を知り、「シロを殺したのはもしかすると自分かもしれない」と考える。もちろんつくるが現実の手で、現実のシロを殺めたわけではない。だがある意味では彼はシロを殺したのだ。彼女の近くにいて、彼女の感情の発色をつくるが吸収していたとすれば、シロは精神に変調をきたすこともなかったし死ぬこともなかったかもしれない。もちろんこれは仮説に過ぎない。彼が近くにいたとしても結果は同じだったかもしれない。だがしかし、少なくともつくるが彼女への精神的作業を放棄したことは事実だし、そういった意味では彼はシロの殺害に関与した「加害者」なのである。そして、シロを守ることに疲れ、彼女の元を離れてしまったクロもまた「加害者」の一人なのである。 シロの事件はあまりにも現実味を欠いている。おそらく作者である村上氏は、この事件を現実世界に属するものとしてではなく、精神世界に属するものとして描いたのだろう。そしてその世界は、もう一つの現実でもなければ現実の対極にあるわけでもなく、常に現実と並列して存在しているのだ。 彼の過去の作品内で「夢の中から責任がはじまる」という言葉が出てくる。「夢」という言葉を「想い」という言葉に変換すると、より分かりやすくなる。我々は常に言葉にならない言葉を抱えている。その言葉は現実に放出されることはない。客観的にはその言葉は現実には存在しないのと同じだし、もちろん現実的な責任を負うこともない。だが、それにもかかわらず我々は「痛み」を感じる。遠い異国で起こった戦争に対し、あるいは事件や災害で被害に遭った人々に対し、どうしようもない「痛み」を感じる。自分には直接的な関係がないというのに。 そしてこれは小説にもあてはまる。本を開き、そこに広がっている世界は、現実の自分とは何の関わりもない。だが、それにもかかわらず、時として我々はそこにまるで自分の物語が描かれているかのような印象を受ける。そしてどうしようもないような感情の震えに襲われることになる。考えてみればこれはおかしな話だ。作者は僕のことなど知るはずがない。にもかかわらず、現実的には何の繋がりもない僕の心を震わせることができるのだから。 きっと我々は目には見えないどこかで繋がっているのだ。普段はそれぞれがそれぞれの穴の中で独立して生きているけれど、その穴の底を掘っていくと、やがて地面から水が溢れ出してくる。それは世界へと繋がる水脈だ。その水の温かさや冷たさに触れるということ、そして同じようにこの水に触れている人間が他にもいるのだと感じるということ、それこそが読書体験であり、村上氏が信じている「物語の力」なのではないだろうか。 我々は現実を生きている。そして時間の空いているときに、ほんの短時間ではあるが、本を開いて小説の世界へと入っていく。そこで我々は様々な感情を落とし、拾い、やがて本を閉じる。そして再び現実の世界へと復帰する。本を開く前とは少しだけ違う自分になって。 電車が駅へと停まり、乗客を降ろし、拾い、次の駅に向かって走り去っていくように。 | ||||
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かなり面白くなる可能性があった作品だと思います。 「巡礼」が意外とあっさり成立し、最初の巡礼で、 最大のナゾの理由がわかってしまうのが残念なような。 途中挿入される緑川というピアニストに「鼠」の面影を感じ、 懐かしく思いました。放り出されて消えるキャラですが、 それはそれでいい。 最大の残念は、シロ、灰田、両二名を作者があまりに 投げ捨てたことで、プラス沙羅と会わずに終わるのは…。 最低限の小説マナーは守ってますが、二時間ドラマが 大好きなわたしには、「え?犯人だれだったの?」 とかなり欲求不満です。 二時間ドラマなら、 灰田が「つくる」のシロへの射精のゴールキーパーなら、 シロをレイプし、のち恋人関係を装い殺したのは灰田。 そして二時間ドラマスペシャルならクロがフィンランドへ シロの「遺書」を持ち逃げしていたというフィンランドロケシーン が入りますかね。 ムラカミさん、小説家としての巡礼は完全に終わりました。 もう、小説を書かなくていいですよ。 傷がある→いい女に癒される デビュー以来のパターンにいまさらなにをかいわんや。 島耕作と同じで、多くの人の妄想を救ってあげた功績は 国民栄誉賞でしょうか。おつかれさま。 | ||||
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でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の話を無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず、何も理解してないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて行動する連中です。彼らは自分が何か間違ったことをしているんじゃないかなんて、これっぽちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。彼らは自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い当たりもしないような連中です。彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、何の責任も取りやしないんです。僕が本当に怖いのはそういう連中です。 | ||||
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10年以上の春樹ファンです。昔は村上春樹というと「好き」「嫌い」がはっきり分かれていて、「好き」な人はたいてい「猛烈に好き」なので、ファン同士で独特のきずなみたいなものがありました。最近はなぜか「こいつ絶対読書しねえだろう」と思えるようなチャラい学生やツンツンした女子までがファッション感覚で春樹を語っていて、抵抗を感じます。多分そういう人が春樹を読んでも、結局「意味わからん!!」っていうふうになると思います。 今回の作品も、いつもどおり読者を裏切らない春樹ワールドでした。でも、春樹を読んでいて涙がほろほろ出たのは、これが初めてのような気がします。結構、主人公を含め登場人物の言動や考え方が淡々としているので、読者も冷静さを失わないで読めるのが常なんですが、今回はちょっと違いました。主人公の繊細さや孤独感、彼を囲む人々の深い思慮が、今までの作品よりもいっそう切実に感じられ、終盤、感極って思わず涙するシーンがありました。昔からの春樹ファンには伝わると思いますが、「いつもの春樹プラス、人間同士の愛情や尊敬、思いやりと優しさがぐっと深まったような作品」です。 | ||||
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