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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年



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【この小説が収録されている参考書籍】
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価: 3.41/5点 レビュー 1023件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.41pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全1023件 681~700 35/52ページ
No.343:
(1pt)

シベリア超特急 

主人公が名古屋出身だとか、
計5名の高校時代男女仲良しグループ親の職業が、
産婦人科医院経営、名古屋大学教授、税理事務所経営、不動産会社経営だとか、
主人公の母の趣味がブルックスブラザーズとポロだとか、
父が不動産会社経営だったのに、主人公、独身会社員36歳がワンルーム(名義は本人らしい)住まいだとか、
仲良しグループ一人が、銀行→サラ金→怪しい人材育成会社の社長となって、ニヒル(でも身長は160cm)に豹変したが、
匿名で養護学校に寄付していた事を“知った”、、とまるで、弘兼憲史漫画なみの設定とか、
英訳を今回も意識しまくって、「 エレベーターで鳴ってる音楽の様に? 」などと、B級映画の決まり文句が垂れているとか、

そーゆー設定と表現を差し置いて、
ストーリーが退屈でどこかで観た、聴いたような「切り貼り」「孫引き」の列挙
、、、を我慢して最後まで読んで「なにこれ?」の怒り、がここを賑やかにしていると思いました。

“ ベストセラーは今後絶対に買わない ”と心に刻んだ人の数は甚大で、
 その数は今後、出版界に実害が及ぶ程ではないでしょうか。
 それが大袈裟ではないと思わせるほどの、空費な¥1785です。 
 
  


色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年Amazon書評・レビュー:色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年より
4163821104
No.342:
(4pt)

1Q84に近いものがある

1Q84で見た表現や構成が散見される。
ただ1Q84は最初から一気読みしたくなるような、スリリングな展開だったが、こちらは終盤になるまで(シロの一連の事件が出てくるまで)そういった気持ちにはなりにくい。

個人的には自分をカラーレスだと思っている多崎つくるが、巡礼を経て開眼する過程が読んでいて面白かった。
それとクロとの昔話。その甘酸っぱさと、36歳のクロの肉体をクロスさせた書き方も感情移入しやすい。
パーソナリティが多崎つくる寄りの人なら尚更共感できるはず。

またアカのダーティーな場面から、一気に北欧の澄んだ情景に移るあたりの揺さぶりも大変心地よいものだった。

ラストは2つの疑問が残されたままになるが、この内容の場合、これはこれでいい終わり方なんだと思う。
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年Amazon書評・レビュー:色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年より
4163821104
No.341:
(5pt)

個人的で、小さくて、だからこそ誰にでも繋がる小説。

インタビューなどは見ないまま読み終えたのですが、「1Q84」が非常に全体的で大きな意味を持つ作品であったのに対して、
とても個人的で小さな作品であるな、と感じました。

そして勿論「1Q84」も村上春樹さんにしか書けないものであったとは思うのですが、
こういった「多崎つくる」のような非常に個人的な作品こそを、なんとなく皆本当は求めているのではないかと思うのです。

村上作品で印象的な、例えば茹で上がったスパゲティ、シャキシャキのレタスが挟まったサンドウィッチ、
そして、秘密を分け合える女の子と性、自分にしか分からない痛みと傷。

全部が都合の良い物である事には違いありません。
急に女の人が自分に手を差し伸べる事だって、そんな事あるものかと思うものでしょう。

でも、僕たちは、そんな「都合がよく、とんでも無いこと」に出会うことがままあるのです。
絶対に有り得ないことではないのです。
勿論女性の件だけでは無く。
きっと誰もが「お、ラッキー!」と思うことがあった筈です。

僕たちは程度の差こそあれ、
自分だけにしか分からない素晴らしい事に出会い、
そして自分だけにしか分からない事件に遭遇し、
自分だけにしか分からない傷を負います。

そして、自分にしかわからないと「誰もが」思っているからこそ、
僕たちは深いところ、それこそ井戸の底で繋がれるんだと言う気持ちになるのです。
その事を静かに教えてくれるのが、村上さんの作品であり、もっと言うなら世にある「物語」というものなんだと。

そして、今回の作品で村上春樹さんはその傷に「真っ向から立ち向かう」姿勢、責任を描いていると思いました。

今までの作品では個人的な傷を負った登場人物が、その原因の追求を避けるまま暮らしていました。
その中で他者と出会い、傷つけ、また傷つけられ、最後に仄かな救いを受けるというように。

しかし、今回の主人公多崎つくるは、「死ぬことだけを考えていた」ほどの傷を追わせた相手たちと、実際に立ち向かい、
自分の傷の意味を知るのです。
そして、その姿を見て、僕たちはまた自分の人生を重ねあわせ、思い返し、
話したこともないけれど、この作品を読んだ誰かと繋がれるのです。
それは素晴らしい読書の体験だと思います。

サリン事件の取材を行った「アンダーグラウンド」以降、村上さんは「責任を取ること」を非常に強く考えていらっしゃるのかなと思います。
今までの作品では、人に強く関わらなかった人々が、人に関わるようになりました。
「1Q84」では、父と、母、そして主人公たちの子供。血族というものが描かれていました。
これまでは、家族や血などは関係なく、個人としてありたいと言う人たちが多く描かれていたのとは対照的に。

個人的に「多崎つくる」は「ノルウェイの森」に対する、責任の取り方なのでは無いかなとも思いました。
ワタナベトオルが、自分だけに閉じこもらず、彼の傷の意味を知り、そして行動していればどうなっていたのか。
それがあれば、たとえ木元沙羅との今後がどうであれ、彼は生きていけるのではないかということ。
勿論村上さんがそう思って書いたのでは無いと思いますが・・・。

関わらなさから関わりへ。
責任を取るということ。

多くの人がただ「イイネ!」や「参考になりました!」と言うボタンだけ押して、ただ笑って、何も責任を負わない今。
テーマは変われど、昔からユニークやユーモアは変わらず、
そして、傷に正面から立ち向かう今回の作品。とても素晴らしいと感じました。
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年Amazon書評・レビュー:色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年より
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No.340:
(3pt)

ムラカミさん、あなたの巡礼は終わりました。ごくろうさま。

かなり面白くなる可能性があった作品だと思います。
「巡礼」が意外とあっさり成立し、最初の巡礼で、
最大のナゾの理由がわかってしまうのが残念なような。

途中挿入される緑川というピアニストに「鼠」の面影を感じ、
懐かしく思いました。放り出されて消えるキャラですが、
それはそれでいい。

最大の残念は、シロ、灰田、両二名を作者があまりに
投げ捨てたことで、プラス沙羅と会わずに終わるのは…。
最低限の小説マナーは守ってますが、二時間ドラマが
大好きなわたしには、「え?犯人だれだったの?」
とかなり欲求不満です。

二時間ドラマなら、

灰田が「つくる」のシロへの射精のゴールキーパーなら、
シロをレイプし、のち恋人関係を装い殺したのは灰田。
そして二時間ドラマスペシャルならクロがフィンランドへ
シロの「遺書」を持ち逃げしていたというフィンランドロケシーン
が入りますかね。

ムラカミさん、小説家としての巡礼は完全に終わりました。
もう、小説を書かなくていいですよ。

傷がある→いい女に癒される

デビュー以来のパターンにいまさらなにをかいわんや。
島耕作と同じで、多くの人の妄想を救ってあげた功績は
国民栄誉賞でしょうか。おつかれさま。
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No.339:
(1pt)

やれやれと僕は言った

これは本当に我々の村上春樹が書いた小説なのか。

 『国境の南』の、語り手の僕が経営するバーを訪れた高校時代の知人から、かつて魅力的だった少女について「彼女はもうかわいくない」「子供が彼女を怖がる」と告げられる場面。ゾッとしたし、時の流れの痛切さが感じられた。

 誰の学生時代にでもいた憧れの対象。とくべつにモデル的に身体造形が優れているわけでも女優的に顔面造形が優れているわけでもなく、彼女は彼女自身にフィットしていて、自然な魅力を発していて、単独的なかわいさを備えた、自分自身の感性を持っていたあの同級生。その変質。彼女はもうかわいくないと、誰かの口からきいてもにわかには信じられないし、ゾンビのように変わり果てた姿など想像もしたくない青年的憧憬の対象の喪失。これはいかにも村上小説に典型的な展開でもあるけどそこに排他的な魅力があった。

 ただ今作において、完全に相似的な設定で、高校時代の仲間(レクサスの営業だったか自己啓発セミナーの主催者だったか)から、共通の知人であり、かつて美しかった女(シロ)について「彼女は美しくなくなっていた」としらされるとき、そこにはあからさまな乾燥した既読感しか感じられない。かつてあれほど傑作ばかりを連発していた村上春樹の劣化版自己模倣。「彼はもういい作家じゃない」のだろうか。

 村上氏は「文学的に後退したと思うひともいるかもしれないけど、僕にとっては新しい挑戦」と自著を語っているらしいが、たしかに後退している。

 吉本ばななにさえ失敗作と評された『スプートニク』や、個人的には野心的失敗作と感じた『カフカ』、衝撃的なほど精彩を欠いた前作を比較してさえ、はるかに文学的には後退している。村上氏自身は聡明な方なので、そのこと自体はよくわかっておられるだろう。村上氏は、新作を書くたびに前作の方がよかったと言われ続けているという趣旨のことを述べられている。確かに『ピンボール』を好きな読者が『ノルウェイ』に違和感を持ったり、『ノルウェイ』が好きな読者が『ダンス』に違和感持ったり、そういうことはあるだろう。ただ今作について村上氏自身としては「文学に後退」と述懐しているわけだ。作品は読者のものであるという初歩的なルールを踏まえれば、後退した作品であってもそれを喜ぶアホ読者もいるだろうと、そういうことなのだろうか。

 そもそも村上氏の小説は「ある事件のあと、彼女は損なわれた」「ある出来事のあと、彼はその時以来、別人になった」と、ある事件、ある出来事の内容を明示的には語らず核心部分を空白化し曖昧な表現で暗示することでリアリティをつくりだすタイプのフィクションだった。それによって村上氏の小説は写実表現に辛苦してきたあらゆる文学と切り離された特権性を持ちえていた。『ノルウェイ』だけが一般的な意味における写実主義的手法によって書かれているが、それはむしろ例外だったはずだ。そして「やれやれ」と呟きながら天下国家よりマクロ的視座より、マルクス主義より安保闘争より、資本帝国主義打破より、ワイシャツのアイロンがけやスパゲティの茹で具合に個人的優先を見てリアリティを感じるところに新鮮な過激さとアンチオーソリティアピールがあったのではないか。

 逆に今作は、強姦され妊娠して自分から生理を止めるために拒食症になり浣腸までして自身の体から生と性を抜ききろうとした女が殺されるという、完全にベタな意味で過激な内容のリアリティ小説として書かれている。つまりかつてとはフィクション内でのリアリティの確保の手段が完全に逆になってる。そのとき見いだされるのは、村上氏の、一般的な作家としての想像力不足と筆力の限界にすぎないのではないか。

 もうひとりの村上である例の流行作家なら「圧倒的な、寒々しいほどのリアリティ」と呼ぶかもしれない類いの現実感にすら届かない、作家志望のハルキスト大学院生が書いた程度の、つまり、駄作に過ぎない。

 これが本当に我々の村上春樹が書いた小説なのか。

 彼は、傑作『ねじまき鳥』の産褥で作家としての資質を使い切ってしまったのか。おそらくそうなのだろう。それ自体はやはり、素晴らしいことだ。村上氏は『ねじまき鳥』を書くにあたって、自身のすべてを投じたと述べられている。その結果、作家が自らの才能を枯渇させたとしてもやはりそれは讃えられるべきことだ。

 ただ今作ほどの低質な作品をあえて出版する目的はなんののだろう。作家の死後、タンスから出て来た未定稿を誰かが勝手に死後出版したというレベルの小説を、なぜ「文学的に後退」してまで出版するのか。ホステスに貢ぐ金が足りないとか、そんなチャーミングな事情でもあるなら納得できるけど。

 蓮實重彦が『羊』を「退屈だと断言できる」としたとき、そこに籠っていた自身の文学者としての野心に基づいた文学的仮想敵に対する挑発も、今作においては差し向けられることはないであろう。なぜなら今作は、はじめて小説というものを手にした小学生以外のあらゆる読者にとって、ハーレクインしか読んだことない主婦以外のすべての読者にとって、単に退屈なだけの小説であろうから。華麗なレトリシアンであろうとする蓮見氏は、駄作を駄作と呼びはしない。紳士的に余裕の笑みを浮かべて「作家の新たな挑戦を支持したい」などというのではないか。おそらくかつて村上春樹をたたくことで文学評論家面していた連中も、アンチムラカミビジネスはもやは成立しないことを知るだろう。アンチ論陣をはるほどの好敵手たりえない。村上春樹は既に輝きを失った歴史上の人物になってしまったのか。

 村上氏は、死ぬまでラッパを吹き続けたマイルス・デイヴィスをライフモデルとしているとする。晩年のトランペッターが体力的に衰弱することで技術を落としたことから、自身は水泳やさまざまなフィットネスで体力の温存をはかられているようだ。体力も盤石なことで、不慮の死によって安部公房のようにノーベル文学賞を取りこぼすこともしないだろう。

 ノーベル文学賞受賞にそなえて国際的に社会的な発言の機会もました。どうやら裏があると米国内でもすでに露見しているボストンテロについてさえ素早く雑誌に寄稿するほどだ。チェチェン人容疑者は喉を裂かれて声も発せないのに犯行を自供したとされる。村上氏が代弁する声はこの時、壁の側に立っているのではないか。

 広告的価値が絶大なノーベル賞を受賞したあと、若い読者が最初に手に取るかもしれない一冊が、『世界の終わり』でも『風』でもいいけど、今作でないことを私は切に願う。我々のだれも、村上氏の小説をファッションとして読んでなどいなかった。今作を読んで感動したという若い読者もいるようだけど、昔の小説を読んでほしいと願う。もし文学といわれる何ものかにはじめてアプローチする若い読者がこの小説を手に取ったとしたら、それは残念なことだ。もしその若い読者がこの小説からなにがしかのインスピレーションをえたとしても、ある種の機会喪失なのは確かなことだと思う。

  この小説を読む価値はない。

 アラン・フルニエ『ル・グラン・モーヌ』が売れていた頃のパリに滞在していたフィッツジェラルドは、それをより洗練された語りでリライトして、タイトルまで見事にパクリ(オマージュ?)である小説『ザ・グレート・ギャッツビー』を書いた。村上氏は、ある種の喪失感を擬人化したモーヌやギャッツビーの、さらなるリライトを行ったアレンジ名人であったはずなのに、この小説には誰も出て来ない。ネズミも、ヨシユミさんも、ミドリも、五反田君も、クミコも、加納マルタも、僕でさえでてこない。たしかに灰色なのだ。

 例によって、夢の中での性行為や殺人行為が現実にリンクしてしまうという平行二元世界の神話的交差で小説を織る手法だけは健在ではあるものの、それを結局「象徴的な殺人だった」などと自己解説してしまうほどに頽落してしている。

 この「象徴」という言葉には強く失望した。

 ドル箱作家に「象徴」などという軽卒な用語を禁める編集者はいなかったのだろうか。村上氏の小説はこのような、まるで現代文の試験で「この説話文の趣旨を六字で述べよ」と質問されたときの模範解答みたいな、一点透視的に安易な要約を避けることで成り立っていたのではないか。おこがましくも進言させていただくがこの「象徴的な殺人」という一節はぜひ削るべきではないか。読者をなめているのではないか。なめてるのだろう。

 河合隼雄との対談で理論的な著作は読まないようにしていると語っていた村上氏であったが、たしかに、生半端に精神分析など勉強してしまって世界がユング的にフロイト的にラカン的に図式化されてしまった小説など読みたくもないので、その不勉強は作家の資質を損なわないための身養生だったかもしれない。いまの村上氏は勤勉な作家になって「象徴」などという言葉を日本刀のように振りかざすようになったのだろうか。対象aとか現実界とかいいださないだけ安心するべきなのだろうか。

 「多崎つくるには行くべき場所はない」をリフレインしてわざわざ意味深に傍点ふる必要もない。

 現代文学の有用性を信じないわけではないけど時間の洗礼をうけていないものを読みたくない、人生は短いのだ。ナガサワさん、あんたは正しかった。
 
 


色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年Amazon書評・レビュー:色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年より
4163821104
No.338:
(5pt)

ストーリー展開で生じる一つの疑問!!!

<ストーリー>
高校時代になぜか気が合った5人の友達。

しかしある時、なぜか「多崎つくる」はこのグループから除け者にされてしまう。それはどうしてか? 

16年の時を経て、「多崎つくる」が旧友と再会し、その謎を解いていくストーリー展開である。

<こんな人に読んでほしい>
'・村上春樹さんの本は難しそうだからと敬遠していた人

'・過去、村上春樹さんの作品を読んだが、よくわからなかった人

こういう方にとっては、今回の作品は非常に読みやすいと思います。

<ストーリー展開で生じる一つの疑問>
ストーリーの中で、大学で友達になった灰田くんが登場する。その灰田くんの父親の話が途中で出てくる。

この内容が後でつながってくるのかと思っていたが、全くつながってこなかった。果たしてこの内容は必要だったのだろうか?
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No.337:
(5pt)

小説のなかのキャラクターや生活に腹をたててもしょうがない

満たされてないのはわかりますが、これはあくまでフィクションです。
それに腹をたてて、アマゾンでルサンチマンを披露しても滑稽です。

半面、いい加減なレビューが多いが正直しょうがないとも思います。これだけPRされて売れれば・・・・。
本来手にとるべきでない層も手にしてしまう難しさがある。

元々は高級で品の良いクラブが、人気になっていくうちに
お洒落じゃない品のない人達が群がってきて、大衆化されて、元々来てた人たちが来れない、行きたくなくなる
そういうのと、今の村上春樹は近いものを感じます。アマゾンのレビュー欄が象徴的です。このような
レビューは以前であれば、ありえませんでした。これは凄くイメージダウンだと思います。あのクラブにはダサイ格好した
人たちが集まってくるから、もう行くのやめようぜみたいな・・・。

恐ろしいことですね。
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No.336:
(1pt)

いろいろ書かれていますので、いいたいことはこれだけ

ファッション村上?言いえてみょうですねw
壁と卵の発言とかもそうだけど、建設的なことが一つもないよね
卵を壁にぶつけたら、中身空っぽだったという感じ
人生に疲れた人間て、結構、いろいろ考えてるもんよ?

一足飛びで小金もちになったから、その過程がすっぽり抜け落ちたんだね、むしろかわいそう
70年代思春期の大学生がそのまま大人になるとこういうふうになるんだなぁとしか思わないな
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No.335:
(5pt)

人間味あふれる春樹作品

10年以上の春樹ファンです。昔は村上春樹というと「好き」「嫌い」がはっきり分かれていて、「好き」な人はたいてい「猛烈に好き」なので、ファン同士で独特のきずなみたいなものがありました。最近はなぜか「こいつ絶対読書しねえだろう」と思えるようなチャラい学生やツンツンした女子までがファッション感覚で春樹を語っていて、抵抗を感じます。多分そういう人が春樹を読んでも、結局「意味わからん!!」っていうふうになると思います。

今回の作品も、いつもどおり読者を裏切らない春樹ワールドでした。でも、春樹を読んでいて涙がほろほろ出たのは、これが初めてのような気がします。結構、主人公を含め登場人物の言動や考え方が淡々としているので、読者も冷静さを失わないで読めるのが常なんですが、今回はちょっと違いました。主人公の繊細さや孤独感、彼を囲む人々の深い思慮が、今までの作品よりもいっそう切実に感じられ、終盤、感極って思わず涙するシーンがありました。昔からの春樹ファンには伝わると思いますが、「いつもの春樹プラス、人間同士の愛情や尊敬、思いやりと優しさがぐっと深まったような作品」です。
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No.334:
(1pt)

またか。。。

大学生のときにノルウェイの森を読んで嫌悪感を抱いてから、10年あまり月日が経ちました。
社会人となり、今なら少しは村上春樹というものが楽しめるのかなと思い、時間的余裕があったので手にとってみました。

やはり、またかと。。。
村上ワールドがやってきた途端、途中で読むのを止めました。
ノルウェイの森のときと同じような嫌悪感に襲われました。
あざとすぎて、流暢で、それでいてくどい人物描写。
なにも共感の得られない薄っぺらで魂のない登場人物達。
誰かから又聞きしたような海外の自慢話を流暢に語ってくるちょっとウザイ人に無理やり付き合わされているような感覚。
真綿で首を絞められているように少しずつ、それでも確実に嫌悪感に変わっていく自分の心の変化を敏感に感じることができます。
登場人物の魂のない薄っぺらい荒唐無稽なセリフが出てくるたびに不快指数が上がっていきます。

映画「ソドムの市」を観てもたいして感情的にならない私が、これだけ嫌悪感を感じるのは珍しく思います。
いっそ映画「アルマゲドン」のように嫌悪感を通り越して笑えればいいのにと思いますが、村上春樹の嫌味たらしい文章はそれをさせてくれません。
感情移入ができずどこか客観的に読んでしまうように書かれているような感じがします。
こんなにも人の感情を乱す文章を書けるというのは、なにかしら強い魅力があるのでしょう。
熱狂的なファンがいるのもうなずけます。
ただ、ファッション的に村上春樹を読んで、なんとなくいいねとTVでコメントしている人達が私には理解できません。
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No.333:
(1pt)

山田悠介+田中康夫

「なんとなくクリスタル」って当時お洒落な単語を並べただけの無価値な小説が有ったが作者は県知事になりました。
この小説はその嫌味に例えると大統領クラスです。
この本の正しい扱い方は、嫌なことが有った時、小便をかけた後ジッポーオイルで燃やし尽くしながら自作の社会を呪う呪文を唱える事です。
そういう意味ではローリングストーンズの「悪魔を憐れむ歌」以来の傑作でしょう。
単純な事を難解な言い回しに変換しお洒落イズムをぶち込んだら春樹小説の出来上がりです。
小学生レベルの語彙しか持たないベストセラー作家と手法が似ていると思ったのは私だけ?
何が言いたいかと言うと、この小説を読んでも私には何も残らない。
ただ春樹の小説を読んだと言う記憶しか残らない。
本当に春樹小説を心から愛読している人はいるのだろうか?
ただ単に春樹小説を読むことに異議を見出しているのではなかろうか?
面白いと言わなければ、お洒落社会から取り残されるという恐怖心が働いているのではなかろうか?
面白く無いものは面白く無いでいいのではなかろうか?
なかろうか?の4連発を使わせるとは、さすが春樹。
単純に言えば「なんとなくクリスタル」と同じクラスの無価値文学。
文学と言うのもおこがましいが・・・
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No.332:
(1pt)

買って読む程の価値は無かった

ページを捲れども捲れども世界観が掴めない。
いかなる内容の小説であれ、普通は読み進めると共に背景が見えてくるものだが、全く見えて来ない。

こういう本を読み進めるのは苦痛ですね。
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No.331:
(2pt)

買って損したなあ。

出版社の巧妙な戦略に乗せられ、まんまと買ってしまいました。

発売当日まで、担当の編集者と社長しか内容を知らなかった?
・・・。

面白ければなんの文句もありませんでしたが、この程度の内容で
そんなことされれば、そりゃあ怒るさ。
他のレビュアーは書いてなくても、みんなそう思っているはず。

すごい不満だったのは結末。こんなにだらだら物語を展開しておきながら
肝心の結末を書かないとは!!
だからこんなに、ブーイングのレビューが吹き荒れているんだと思います。
今回で相当、株を落としてしまったから、著者と出版社は次回は相当
頑張らないとだめだと思います。
(それぞれに何億円もの印税と書籍売上を稼いだでしょうからね)
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No.330:
(4pt)

村上春樹さんのファン

すぐに欲しかったのに売り切れでした。過去の出来事を見つめなおすことは大切なんだなあ。
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4163821104
No.329:
(4pt)

雰囲気最高

何やら酷評の嵐が吹き荒れているので擁護レビューを。
中身が無い、または現実的じゃなくてイラつくという理由で叩かれていますが、村上春樹さんの小説って総じてそういうものだと思います。
私は村上春樹さんの大ファンですが、なぜファンかというと幻想的な雰囲気の心地良さと文章のテンポの良さが群を抜いているから。
この小説もそうです。
分かりやすい確固たるメッセージ性やオチはありませんが、読んでいるときの気持ち良さは抜群でした。
歌詞が無く、心地良いインストゥルメンタルの曲を聴いているときのような。
もしくは、居心地の良い喫茶店で茶をすすっているときのような、そんな気分になれると思います。
仮に村上春樹さんの小説に分かりやすいメッセージ性やオチがあったら、恐らくその"感じ"が台無しになってしまうんじゃないでしょうか。
絵画で言えば写実性がない抽象画みたいなものかと。

ただ、今作は村上春樹さんなりの新しさは感じられませんでしたね。
すでに読んだことあるような…既視感を覚えてしまいました。
そんな理由で星マイナス1です。
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No.328:
(5pt)

自分のことを振り返って考えたよ

読みながら、ある部分の主人公の感情について、自分のそれに近い経験の時の状態を思い出していました。

面白い本や楽しい本を読むときは何も考えなくていいんですが、
むしろ考えることを忘れさせてくれるんですが、
なんかこの本はところどころひっかかるところがありました。

「国境の南」もそんな感じだったような。

生きるのが難しくなるようなことはあるけど、
自分の気持ちをよく見れば、なんとかなる。

似たような状況の人が読めば生きる力になると思います。

話の構造は「キルビル」みたいだなあ、と思いながら読んでました。
描くタッチは静かで美しいですね。「フィンランド」がよく合ってます。
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No.327:
(5pt)

私は面白かったです。

お値段もそれほど高いとは思われません。作家が時間をかけて書いた作品を、購入者である読者は、それこそあっという間に読み終えてしまって、また違う作品に興味を移して行くのですから、これほどの贅沢はないと思います。昔は、村上春樹さんの作品を読むと、自分がすごくダメな人間に思えて嫌になってしまいましたが、「1Q84」を読んでからというもの、こんなヘンテコで面白い作品を書く人だったんだと、考えを新たにしました。この作品にも、個人的に心を打つ言葉がいくつかありました。優れた作家というものは、人の心が持つ秘密をたやすくあばき出すのでしょう。それはとても怖いことではあるけれど、快いことでもあり、だから私は本を読むことをやめられないのかもしれません。
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No.326:
(5pt)

色と音と…五感で読む。

本書は、「自己の悩みの解決」や、「伏線が回収されるエンターテイメント」などを期待される方には不向きな作品だと思います。
読了して、すっきりとするわけではありませんし、むしろ、読後に「今までは気づかなかった悩み」に気づいてしまう、ということもあるかもしれません。ジャンル分けは必要ないと思いますが、言うなれば、純文学なので。

今までの村上春樹さんの作品と同様に、今回もいくつかの楽曲が出てくる(しかも今回は題名にまでなっている)のですが、やはり聴いてみたくなります。リストのピアノ曲をネットでダウンロードされた方も多いのではないでしょうか。
鳥の鳴き声も出てきますね。美味しそうなお料理も。
また、今回は色を持った名前(そういう名字って結構あるんだなあ)がキーになっています。(しかもこの色の組み合わせは四方(四季)に通じている気もするのですが。)
フィンランド(行ったことありませんが)の夏の深い緑と風を、自分の五感をフルに活動させながら、読む…。
村上春樹さんの作品が好きな人は、そういう読み方を堪能されたのではないでしょうか。

そして、普段はそれほど気にしないようにして暮らしていながらも、実際には自分のすぐ近いところにある「生(性)と死と孤独」について、また考えずにはいられない…。

そのようにして、今回も作品を楽しませていただきました。
ありがとうございます。
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No.325:
(4pt)

前作の水準には遠く及ばず、ノーベル賞受賞作品には値しない

とその時、どこからか微かに聴こえてきたのは、リストの「巡礼の年」のあえかな響き。「ロ短調ソナタ」では豪放磊落に叩きまくっていたラザール・ベルマンが、ここでは自らが発する繊細な音色をいとおしみつつ聴き入っている。かつて死せる吉田秀和翁が初めて見出したロシアの眠れる獅子のリリシズムに、作家は改めて出会ったのだ。

晴朗明晰のうちにも悲愴なモーツアルトの音楽のような文章を書いた漱石、ハイドンのような典雅な調べに激情を内封した鴎外、荷風、由紀夫、バッハのフーガのような螺旋運動を繰り広げる健三郎、「春の祭典」のごとき猥歌を高唱する健次。優れた小説においては、引用された音楽の引用ではなく、踊るように歩行する散文自体が音楽の響きを奏でる。

村上選手も好調な時にはハープシコードで弾いたスカルラッティのような軽快な律動で私たちを酔わせるのだが、今回はいくら耳を澄ませても妙なる調べは聴こえてこなかった。それはもしかすると彼が脳内に英語で記した幻の原文を、精妙な現代日本語に丁寧に置き換えることを怠ったからかもしれない。

けっして上出来とは思えない比喩の繰り返しや、突然消え去る登場人物の謎を読者をしり目に平気で置き去りにする恣意と乱暴さについて目くじらを立てるのは大人げないとしても、前作の影を引きずったように突然投げ出される「悪霊」「悪霊のようなもの」とはいったい何だろう。というより、説明責任を放棄されたそれらの奇妙な用語と概念は、村上ワールドのワンダーとリアルにいちじるしくなじまない難解さと生硬さを持っているようだ。

はじめは処女の如くおずおずと開始されたこの物語は、例によって脱兎の如く曖昧模糊とした予定調和の森に飛び込んで、恐らくは二度と姿を現さないだろう。いずれにしても本作は前作の水準には遠く及ばず、残念ながらノーベル賞受賞作品には値しない。
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年Amazon書評・レビュー:色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年より
4163821104
No.324:
(5pt)

空っぽの容器

主人公のつくるくんが、自分が空っぽの容器のようだと、自信を持てずにいるところに共感しました。

自分には差し出せるものは何もなく、巡礼によって大切にしていた関係がこわれてしまった理由はおおむね腑に落ちたものの、相も変わらず無個性な自分。

でも、差し出せるものがないとか、自分を空っぽの容器のように感じていても、今も昔も自分のことを大切に思ってくれる人がいる。

自信を持つ勇気が大事だなって、背中押された気になりました。

世事に疎く、社会現象長蛇の列だそうですが、そんなに売れてるならこの本から前向きな力を受け取る人が多くいたらいいなと思います。
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