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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全1023件 901~920 46/52ページ
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他の方が仰っているように、ある意味村上氏のこれまでの仕事のラップアップみたいな感じを抱きます。最近の長編化傾向に若干面倒さを感じていたところですし、私は好感持ちました。他方、大事な人を失い、再度生きることを立て直すという、青春期的で明確な喪失感と再生の物語だけではなく、高村薫氏的な、中年が磨り減っていく喪失感や、再生もへったくれもない袋小路感を、この村上氏が書き始めたらどんな作品になるのだろうという期待も、読者になって25年、そろそろしてしまいます。 | ||||
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作家は、晩年になって熟成し、ますます深みを増した傑作を生み出すタイプと、 やおら筆の勢いが落ちてしまい、急激に作品が色あせていくタイプとありますが… 忌憚のない意見を述べさせていただくと、この本書を手に取って感じたのは、 間違いなく後者でした。 村上春樹さんの本を、20代はじめより愛読し続けてきました。 近年は「昔のほうが面白かった」「登場人物から何から昔は勢いがあったのにな」 と、薄々感じてはいましたが、この本書でついに確信しました。 “村上春樹さんは終わった”と。 村上春樹さんの新作と聞けば、どうしても昔の栄光からつい読みたくなってしまいます。 そして買っては「あれ…なんか妙な方向に走ってるな」 と、違和感を覚えることの繰り返し。 しかし、それも今回で読み収めとなりそうです。 ダンスダンスダンス、ノルウェイの森、羊をめぐる冒険、ねじまき鳥などの小説、 そしてギリシャミコノス島での日々を書き連ねた、明るくユーモアの混じったエッセイ。 あの時代の村上春樹さんの作品は、もう今後は出てこないのでしょうね。 盛りを過ぎ、細々と消えゆく才能とは、なんと切ないものかと思います。 この作品から感じたのは、村上春樹さんの老いでした。 どんな作品であっても村上春樹さんそのものをリスペクトし、受け入れられるほどの器量。 または村上春樹さんと同じ目線、感性がなければ、 本書に対して拒絶反応の方が強いと思います。 全盛期の村上春樹さんの小説は、何度も読み返したくなります。 今でも何度も読み返します。 しかし、近年の村上春樹さんの作品は一度目を通したらもう充分。 読み返すことは全くありません。 そんな現実が切ないです。 | ||||
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発売前から異常に盛り上がっているので、もしアフターダークのような小説だったら、かなりバッシングを受けるだろう、と心配していたのだが、思ったより普通の小説なので胸をなでおろした。珍しく村上春樹は明確な主張を明示してるのに、この本に戸惑う人が多いようだ。 村上春樹の小説は料理的であり音楽的であると思う。レストランの客は美味しければいいのであって、新しい料理じゃないから怒る人はいない。またコンサートを聴きにきた人には感動する演奏すれば優れた音楽家であり、今迄にない曲を書けないから二流の音楽家だという事はない。音は昔からあっても音の響きは自分しか出せないものを作りたいとエッセイにあった。 この小説は東日本大震災で喧伝される事になった絆について書かれてると思う。表面的な繋がりでなく真の絆とは何かが書かれている気がする。それに同意出来るかどうかは別にして。 それにしても登場人物の家族の話が多くて驚いた。初期の頃は主人公の家族すら殆ど書かれてなかったのに。家族が隠れたテーマかもしれない。 | ||||
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タイトルの色彩を持たない〜ってのが面白い謎になっていると発売日前にテレビの女子アナウンサーが言っていた どんなものだろうかとそこだけ(本体にそこだけ)期待したが実際は大したものではなかったので残念だった なんか業界が必死にマーケティングするのが見えてしまって萎えてしまうので過大な宣伝は辞めて欲しい もうハルキストと呼ばれる人達が買い続けてればいい 村上春樹が書いたから評価されるのであって決して面白い小説ではない 子供達にもあまり見せたくない内容なのでテレビでアッピールは本当に辞めろ | ||||
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これだけ話題になると、 一応読んでおいた方がいいのかな? ひょっとしてすごい小説なのかな? と思う人がいるかもしれないが、 そういう人は読む必要性はまったくない。 世の中にはこんな本より、 おもしろい本や読むべき本はいっぱいあり、 人生が有限であることを考えると、 短い人生の中で、この本に数時間あてるのはもったいない、 というのが私が読んだ結論です。 悪くはないと思うけど、ぜんぜんよくはない。 読むのがバカらしくなって、 途中でやめてしまった「1Q84」なんかより、 最後まで読めるだけかなりいいかもしれない。 この本を読んでおもしろいと思うのは、 村上春樹作品を今まで一度も読んだことのない大学生ぐらいか。 村上春樹作品を読んだことがある人は、 中身が100万部とか売れるようなものではない。 暇つぶしにいいかっていうと、 それだったら池井戸潤でもいいし、東野圭吾でもいいし、 いくらでもこんな本よりおもしろい小説はいっぱいある。 今回、村上さんは最近駄作続きだったので、 私的には村上春樹作品の最高傑作だと思っている、 「ノルウェイの森」みたいなものをもう一度書けないかと思い、 挑戦してみたけど、「ノルウェイの森」の劣化版というか、 モノマネというか、でも底が浅い作品になってしまいましたといった感じか。 | ||||
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読み始めてすぐに、 ジョナサン・キャロルの「黒いカクテル」を思い出しました。 「黒いカクテル」は、 人の魂は神によって5つに分けられている 5人が揃って完全体になると、色のある光を放つ という設定のダークファンタジーで、悪意に満ちた作品です。 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」と 「黒いカクテル」には、 主人公は30代男性 主要登場人物は男3人女2人の5人組 高校時代の人間関係が彼らの人生に決定的な影響を及ぼしている 人(あるいは5人1組の人)は色を持っている などの共通点があります。 また、どちらの作品でも、 人間の指はなぜ5本なのかということを、 登場人物がことさら言及しているシーンがあり、 これも印象的でした。 | ||||
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まず、本作が内容などの情報を規制して人の気持ちを煽ったり、既に50万部刷られる事が決定したというニュースを耳にしたり、 というような事にうんざりさせられたりしたが、発売日の夕方に本屋さんを覗くと存外たくさん積まれていたので ”思い切って” 手に取ってみた。 思えば、新人文学賞受賞のニュースとともに「風の歌を聴け」を読んで以来、村上春樹は僕を成すもののひとつになった。 本を開けばいつでもどこでも、その世界に入り込めた。 この間「村上春樹」で飯を食ってるようなものには一切触れなかったし、好んで村上さんの生活を思わせるようなニュースも遠ざけ、 (高倉健さんが私生活をいっさい見せないように気を使われている事に敬意を表します)ただひたすらに、その世界の中で想いに耽っていました。 発売とともに買い込んで、永らく本棚に積んであった「1Q84」を、ついこの間何とかやっつけて、それでも、 「そんなに毎回毎回、良いのができるっていうのもなあ」とか「自分の中の何かが変わってしまったのかなあ」 などと思ったりしながらの今回の新作でした。 この喪失感もいずれ忘れて行くのだろうか。 | ||||
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本作のこれまで作品との決定的な相違点は、主人公が職業を得て、その職業が仮のものでなく天職だという点にある。これまでの主人公も職業に就いてないことはなかったが、その職業は便宜的に設定され、ほぼ形骸化していた。主人公は、たとえば予備校講師にしろ、学校の教師にしろ、一応職業に就いてはいたものの、その職業に大して関心を持つことができずにいるし、その所属する組織なり共同体に本質的には所属することができずにいる。村上春樹の物語は、そもそもその所属することへの不可能性、違和感が推進力として作用してきたわけだが、本作の主人公多崎つくるは、駅をつくるという職業を、天職として、それ以外にはあり得ないものとして保有し、また、その職業として必要不可欠な組織上の関係をそれなりに健全に全うしている(全うしようとしている)。 ここでポイントになるのは多崎つくるの「駅をつくる」という職業だが、村上春樹がその職業に暗喩として込めた意味を読み取るとすれば、それは、村上春樹における「小説を書く」という職業を寓意してると読み取るのが、素直な読み方だろう。 「駅」が、目的地へ人を運ぶために必要不可欠だという合目的的存在であること、あるいは建造物としての個性が必要以上に求められない(駅という機能を最優先する必要がある)点、なによりターミナルとして交通を整理する点、駅という存在は、思考において小説の果たす役割をかなり率直に比喩している。 そういう理解で物語を理解しようとすれば、本作は「多崎つくるの巡礼」にまつわる物語でありつつ、ある意味では「村上春樹の巡礼」の物語として読むことも可能だ。 そのことは、主人公多崎つくるが、ある日とても仲のよかった友人達に、一方的に理不尽に関係を切られるというプロットからも読み取れる。村上春樹は「風の詩を聴け」でデビューし「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」と完成度の高い3作品を上梓するが、芥川賞の選考ではほとんど箸にも棒にもかからず、その後、彼の代表作となってしまう「ノルウェーの森」では、要約すれば「チープで悲劇的で気取ったリアリズム小説」として、大々的に批判され、決定的に日本の文壇から疎外されてしまう。彼は、文壇に一切関与しようとしなかったが、あるいはそれが一因ともなって、当時の文壇関係者に徹底的批判される。それは、本作において理不尽に一方的に関係を切られる多崎つくるの置かれた心境に、重ねて読むことが難しくない。(このときの心境は、例えば「考える人」2010年夏号のインタビューに詳しい)知っての通り、村上春樹は批評的な側面においては、世界的な評価を得て日本に返り咲いた作家だ。 つまり多崎つくるの物語は、ある時期の村上春樹の物語として読むことができるのだ。 ネタバレを含んでしまうので、これ以上本作とこれまでの作品との相違は明示しないが、本作における多崎つくるの問題との対峙の仕方は、これまでの村上春樹作品が有することのなかった、力強いポジティヴィティを有している。 「神のこども達はみな踊る」は、村上春樹にとってターニングポイントを迎えた作品だったが、そういった視点において、本作はもうひとつのターニングポイントとなる作品ということもできそうだ。 「神の・・・」以降の作品で、彼は「責任」について言及し、社会にコミットすることを問うてきたが、本作では「責任」ではなく「意思」によって社会に関与し、そのために自分を変革することを模索している。変われない自分に諦念しながら「やれやれ」などと社会を呪ったりしてはいない。多崎つくるは、幾人かの友人に支えられて、自らの意思によって、社会にしがみつこうとする。 それは、今までにない突き抜け方だ。 色彩を持たず、仲間はずれになった多崎つくるは、いかにして自分と向き合い、自分を、色彩を取り戻すのか。その、過程には現代人が普遍的に見失いつつある、魂の葛藤が描かれている。 | ||||
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主人公である多崎つくるが、人生のある一点を経てから、「自分の本当の気持ち」に蓋をして生きるようになる。蓋をしている間は、主人公自身、そのことに気付かない。 しかし、ある女性との出会いをきっかけに、蓋をしている自分の姿に気が付いた。 そうして彼の「巡礼の旅」が始まる。旅に出るのは、主人公自身が望み選んだことだ。旅の行く先は、ネタバレになるので本書を読んで確かめてほしい。後悔はしないはずである。いや、しないでほしいというのがレビュアーの希望だ。 | ||||
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本作品において言えることは、全ての物語が中途半端であるということ。 灰田の存在、緑川の存在、シロに起こった出来事、過去の話、全てにおいて中途半端。 また、ガールフレンドの発言内容もいまいち理解できない上、つくるとの会話は、単に オウム返しをしているだけである。 そして、抽象的な表現があまりにも多い。抽象的な内容を理解しようと想像してみるが、 そこに芸術性は感じられない。 村上春樹さんの言いたいことを、そのまま表現したのかな?と感じる作品である。 個人的に理解しかねるのは、友達4人が、過去につくるに対して行った行動について。 16年後の現在、つくるに対してアカ、アオ、クロが、当時の説明を行ったが、何故 そうなるの?という内容だった。クロに関しては何となく理解できたが、アカ、アオの 考えは良くわからない。 結局、本作品を読んで得たものは何もない。少なくとも私には合わない作品だった。 本作品において、リアリティが無いと書く方が多いが全くその通りである。たが、内容 にファンタジーといった要素も無い。 ここまでハズレの作品を読んだのは、数年ぶりである。 | ||||
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この作家の、人と人との繋がり方、男女の繋がり方が 自分自身には極めてリアルで、苦しいような感情に流されるように 読みました。 個人個人の生は、かけがいのないものであるけれど、 絶対的な孤独を抱えながら繋がろうとするそのこと自体から、 人生や世界とのかかわりの真実が現れてくると感じました。 大文字の言葉から小文字を見るのではなく、 小文字の生きていく軌跡から大文字の真実を浮かび上がらせていく。 恋愛をするとき、男性はこのように行動し、女性はこのように言葉を選び行動する。 そのリアルさにどんな恋愛小説よりも震撼した。 この作家は、やはり只者ではない。 唯一の存在である。 ドストエフスキーのような作品を書きたいというその思いが、 この時代とシンクロして、朧に形を現していく。 スリリングな作家と作品である。 | ||||
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しかし、これは不吉な作品である。 「1Q84」をbook3まで読んだとき、私は何故か三島由紀夫の「豊饒の海」が連想されてならなかった。したがって、もしbook4が発売されるならば、それは聖書的世界に、さらに日本性を強く打ちこんだものになるだろうとも思った。 その予感は、ある意味当たったと言えると思う。 現代日本に生きる我々は、仏教とキリスト教に挟み撃ちされて生きている。 ・・・しかし、春樹氏の場合、(出生のためなのか?)理由はよくわからないけれども、 この作品で、無意識に仏教世界への回帰を果たしているように思える。 そこにはもはや、現代文学が問題とするビルドゥンスクと言ったような問題は、存在しないかのようにすら思える。 ただ、人は人として、ものはものとして、性は性としてそこにあるだけなのだった。 もし、読者が赤、青、白、黒、そして沙羅の仏教的意味合いを解読できないのであれば、この作品の面白さはわからないだろうと思う。 この作品は、ミステリーとしては不十分と言うか破綻しているけれども、そもそも日本において、ミステリーとはなんぞや?とすら思わせる「怪談」なのである。 が、ただよくない予感がするのは、才能に疲れたピアニスト緑川が、「あと1か月の命だ」とはっきり予告するくだりと、最後に沙羅に去られた(?)主人公が死を思うシーンである。 この「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が、村上春樹のスワン・ソングとならないよう心から祈る。 | ||||
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『国境の南、太陽の西』や『ノルウェイの森』の路線に連なる、リアリズム小説で、おそらく『1Q84』で非リアリズム方向にかなり傾いた彼の意識を揺り戻すために書かれたような気もする。そういう意味では、初めて村上作品を読む人にとっては非常に読み易いかもしれないし、単純に感動して涙(過去作品で流し得る涙とは別種の)を流すような読者ありうる作品だろう。ただし、この本でファンになったところで『ねじ巻き鳥』で井戸に放り込まれて行き場を失うだろうが・・・。 確かに、初期4部作ファンも、ねじまき・世界の終わり・カフカ系統のファンも、期待を裏切られる形にはなるとは思うが、あくまでも小説は書かれた瞬間に小説家からは独立したものだとするのならば、この小説は優れた小説だと断言して良いと思う。 ただ、これだけ注目され、騒がれ、過去に大量の傑作があることによって、妙な先入観が入り、純粋に作品単体を評価できなくなっている読者は多いだろう。 しかし、少なくともこの小説で表現されていることは、3.11以降の日本、あるいはグローバル化・価値観が多様化し、混迷化する世界の中で我々自身の心に「駅(=ターミナル)」を「つくる」必要があるということだろう。少なくとも私はそう読んだ。 | ||||
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村上春樹作品は20年程前に初めて読み(その際、私は19歳で2つ年上のガールフレンドから羊をめぐる冒険を進められ、貸してもらったのが始まりでした。)以来、全ての作品を読ませていただいています。 今回の作品もそうですが、過去の作品も含めて言えること。それはどれだけ共感出来る(自分と重ね合わせる)部分があるかにより随分と作品のニュアンスが変化し、言葉の読み取り方、感じ方が変わってくると言うことです。 今回の作品に関して評価が分かれている様ですが、『つまらない、駄作』と思われた方は恐らくある意味で平穏無事な生活(それをつまらない人生とまでは言いませんが)を送られている幸福な方々なのだと感じます。 この作品の中に自分の分身である部分を見付け、過去や未来の自分(主に過去との対比になると思いますが)と重ね合わせながら読んで行けた方の評価は自ずと高評価になるのは当然だと思います。私を含め、その方々が波乱万丈で不幸な人生を送っているかと言われれば、それはそのポイントによって感じ方は変わりますよね。 一度読んだ作品を5年後、10年後にもう一度読んでみると評価は変化します。それは村上春樹作品ではないどの小説にも起こり得ますが、この作品は特にその色が濃いのだと皆様の評価を拝見し、面白く感じました。 | ||||
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名古屋郊外の高校を卒業して一人東京の大学に進学して先日まで東京で暮らしていた40男でしたので 過剰な宣伝に踊らされてノルウェイ、ダンス3以来の読書をしてみました 因に先週まで藤沢周平、松本清張を読んでいました いやぁー、相変わらずフワッとしてました 観念部分8割というかリアルと夢の能書きにゲンナリしました このような者たちに身近感が無いのでセリフの物言いに始終違和感が (リーガル・ハイSPを途中で挟んだせいもある?) 好きだっただの絞殺されただのレクサスは造語だの「ふぅ〜ん。で?」という印象で 自分が味わってきた過ぎし日の方がセレナーデになっています 文体というか展開が大正時代な感じで、大正時代の自己否定な鉄道設計士が主人公だと思わせます しかし、大学後輩との微妙な関係とかありますが、100万部の方が読みますか 装丁の抽象性の通り万人受けは皆無と判断しますが とりあえず今週の東野圭吾最新刊で口直ししたいと思います | ||||
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これまでの村上春樹の作品のなかで、最高傑作の1つだろうと思う。 読み進めながら、ときに『ノルウェイの森』や『ねじまき鳥』を読んだときの印象が思い起こされる。それから『ダンスダンスダンス』も。 彼の小説を読みながら、胸が熱くなったり、涙がこぼれそうになったりしたことは あまりなかったように思う。けれども、この本はそんな感情を起こさせる。 主題は、「人生に生きる意味はあるか」だと思う。 それに対して村上春樹は、作品を通して「イエス」と言っている。 私にはそう思える。 久しぶりに何度か読み直したい本に出合った。 蛇足:このページ数の小説は通常1500円の値付けだが、1700円をつけたところに出版業界の今後が少し見える。 | ||||
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さらって読めます、リーダビリティ高いです。いつも通りの、主人公は悪くないけどいろいろなタイミングが重なって損なわれるけど、最終的にみんな許しますよ、という話し。主人公にとって都合の良い彼女が出てきて物語を前に進める原動力を与えてくれますが、何故彼女がそんなに主人公に惹かれてしまうのか謎。で、もちろん主人公がそれを受け入れるのも謎。 と、ネガティブな意見もありますが、もちろん面白く読みました。いつも通りの春樹さん節でぐいぐい読めますよ。 灰田くんはどうなったのかなぁ。続き出るのかなぁ。「ねじまき鳥」や「1Q84」商法みたいにしばらくしてしらっと続編出てもおかしくない結末。「羊」の頃から同じだけど、読みたくさせるチカラ強いです。 | ||||
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あくまで個人的な話… 村上春樹の作品は人を落ち込ませもするし、元気にもする。それは人の本質を描いているから。人の痛いところを余すところなく描いているから。人の欲望を包み隠さずえがいているから。そう思います。 主人公に名前がついたことで、より自分に身近なものと感じた。 数ある村上春樹作品の中でもよりリアリティーが感じられる作品。より人を落ち込ませ、より人を元気にする力をもった作品。 抽象が具体へ一歩進んだ、村上春樹らしくもあり、らしくなくもある作品。 私は大好きです。自分自信を見つめなおさせられ反省し、いきる活力をもらいました。 | ||||
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とてもよかったことをいくつか。(ネタばれかも) ・ピアノへの憧憬 ・世代的に共感できる点が多かった ・他にも、親しみ(半・憧れ)のある地名が出てきて良かった ・つくる君の立ち直り ・いくつか出てくる、心象を表現することの難しさ (理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない、の流れか) ・つくる君のお父さんの名づけのエピソード ・フィンランドのくだり。缶ビールを思わず開けました ・フィンランドで思い出された情景 ・新宿駅のくだり ・最後の1ページ 鼻についたり、引っかかった箇所もいくつかありますが、書いてもしょうがないので割愛させていただきます。 本人が、いつの間にか長くなっていた、というのも分かるような感じの荒々しさ(粗さ?)も 感じました。 彼の作品をもともと好きな人は、なるほど、今回はこういう感じなのか、ふむふむ、とか言って読めばいいと思います。もう読みません、という人も見かけましたが、今回はささっと書きました、っていう 感じだし、そういう意味でもおもしろかったのでは?ファンを裏切らないために書こう、ということを村上春樹さんご本人は思っていても、ある種の作家というのは、そういうものではない筈なので、こういうことは仕方ないのかもしれないな、とか思っちゃいました。 というか、ハルキストの方たちは、本当に村上春樹さんの作品がすきなんだなーと感心しました。 ファンじゃないんだけど、村上春樹って読んだほうがいい?っていう人も、誰とも話せない何かがあるなーっていう人は読んだらいいのかな、と思う。最近は特に自分自身も世間も、すべてがオープンであることが、良い状態、という強迫観念が、感染しすぎっている(この作品は、そうではない、ということを言いながら、沙羅という女性によって明らかにしようとする、という矛盾があるんだけども。ああいう矛盾した人が自分に関わってくる、というのも、この世界の真実だよね)。 そんでもって、おもしろい本を読みたい!っていう人は、予備知識無く読んだら、どきどきしながら この作品は読める、作品だと思います。 読後、その人は言うでしょう、「よく、わかんなかった」もしくは、「オチが、なーんだ」って感じとか。 本をつくる、と、駅をつくる、が違うのはそこのところ。 駅はバリアフリーにも配慮して、使う人すべてに等しく安全でなければならない。 でも本は違います。誰にとっても安全な本なんてない。 もっと言えば、毎回おもしろく、自分にあう読書なんてない。 理解できない人間がいるのと同じで、理解できない本がある。 誰と誰が気が合うのかなんて、誰にも分からないことなので、 それぞれ自分のやり方で、その人に言葉や何かを投げてコミュニケーションとるわけですよね。 読書、というのは、そんなもので、 誰にとっても有用な読書、というのはないんですから。 村上春樹さんの本は、その世界にはいると、ハードボイルド・ワンダーランドに入っていける、 という装置が仕掛けられているのが特長だと私は思っているのですが、 その装置、という意味では、今回もカチッと作用しました。 だけれども、3点なのは、それでもやっぱり粗いところが感じられたからですが、 流れとしてはとても気持ちよく夢中になって読めました。 | ||||
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一通り読んでみてやはり著者村上春樹のストーリーテラーとしてのレベルの高さ、センスの高さを感じ取ることができます。色を持つ4人とそれに関わる多崎つくるの物語は、どこかしら不思議な点を感じさせます。そして誰にでも訪れるであろう人間関係の不和とそこからの復帰が今回の主要テーマで、読む人を選ぶ趣はあるものの、やはり著者の人間観察の鋭さと、根底を流れる精神の奥深さを感じさせます。今回の作品は物語的な面白さを追求したというよりは、何が言いたいのかに重きを置いた作品であるといえる、とそう思います。その点を探りながら読んでみると、著者の考え、言いたいことが理解できるのではないでしょうか。 | ||||
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