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博士の愛した数式
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博士の愛した数式の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.32pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全88件 41~60 3/5ページ
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序盤、人物の肉付けはちょっと強引じゃないかなあとか、1 + 2 + … + 10 = 55 の解き方を考えるところはちょっと不自然なんじゃ、と気になったところはいくつかあったけれど、全体的におもしろかった。 28が完全数(約数をすべて足すとその数になる、28 = 1 + 2 + 4 + 7 + 14)であることや、220 と 284 が友愛数(220 の約数を足すと 284 に、284 の約数を足すと 220 になる)であることの神秘、数学の持つ崇高さを賛美する博士の語り口や私の詩的な響きが本書の魅力のひとつだろう。 オイラーの等式についての描写はさすがに大げさで気になったけど。「私」が図書館で調べたところ、 「果ての果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡潔な奇跡を描き、一点に着地する。どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙から π が e の元に舞い下り、恥ずかしがり屋の i と握手をする。彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているのだが、一人の人間が1つだけ足算をした途端、何の前触れもなく世界が転換する。すべてが0に抱き留められる。 オイラーの公式は暗闇に光る一筋の流星だった。暗黒の洞窟に刻まれた詩の一行だった。(p.197)」 オイラーの式は数学初心者の語り手が作品中に触れるもっとも高級な数式だし、ファインマン曰く「我々の至宝」かつ「すべての数学のなかでもっとも素晴らしい公式」とのことなので、ここは最上級の賛美を送る場面なわけだけど、それでも大げさだなあ、という感はある。 それから、「別に家政婦に頼まないでも、未亡人が博士のお世話すれば?」。杖をついているから難しい、ということなのかな。頼んだ仕事って料理と掃除くらいなんだけど。 作品の本当に些細な部分にイチャモンつけてばかりとしまったけれど、文章・構成ともにうまいなあと思うところはたくさんあった。 | ||||
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『目に見えない世界が、目に見える世界を支えているという実感が必要だった。 厳かに暗闇を貫く、幅も面積もない、無限にのびてゆく一本の真実の直線。 その直線こそが、私に微かな安らぎをもたらした』 小説の中盤にあるこの文章の中に、この物語のテーマが一番よく表されていると感じる。 数学が気高く、美しいのは、そこに目には見えない真実があるからである。 そしてその真実にこそ、神がつくられた世界の本当の姿がある。 もしそのことを少しでも理解し、感じることができれば、人の心はどれだけ勇気づけられるだろう。 記憶障害のある孤独な老人、シングルマザーの家政婦とその息子。登場人物たちは目に見える世界にあっては、 あまりにも小さく、無力で、か弱いものたちだ。しかしそこに通う愛情は目に見えないが、数学と同じように美しい。 人の心は数学の高みにほど昇ることはできないかもしれないが、少なくとも数学と同じ方向をむくことはできる。 ただなぜ星が3つでしかないかというと、私がとても大きなミスを犯してしまったからだ。 小川洋子さんの作品を読む順番を間違えてしまった。私は近刊の『猫を抱いて象と泳ぐ』から、読んでしまったのだ。 こちらの小説では、目には見えない美しさというテーマがさらに見事に結晶化されている。 そのためどうしても両者を比較してしまい、こちらの小説が若干見劣りするように感じてしまった。 | ||||
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何かこうピンとこない作品でした。数字アレルギーだからかもしれないですけど…響いてくるものがなかった。そもそも家政婦が仕事場に自分の子どもを連れてきていいのか?という倫理的な問題が私には難しい。下手をつると「そんなやつおらんやろ〜」的な世界になってしまいます。読むよりは映画で見たほうがよかったのかもしれません。 | ||||
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最近読んだある講評のようなものでこの本を目にした。そういえば、数年前話題になっていたっけ?今なら安いだろうからまぁ読んでみようかという気持ちでこの本を手にすることになった。まず最初に断っておくが、私はこの本は賞賛を浴びるほどの本ではないと思う。ただ、キレイな日本語であり、中学生や高校生が読書感想文とかで利用する本としてはうってつけの本であると感じました。しかし、もはや青春を通り越した私には本として物足りない感は否めない。腑に落ちない点が2点。まず、小学生と博士の奇妙な人間関係。私の中で、祖父のようないわゆる”おじいちゃん”というものは、小学生の頃の私にとってはあくまで『会いに行けば一番多くのおこづかいをくれる親戚の一人』であり、それ以上では決してなく、祖父のような年配の方の歴史に立ち入るようなことはなかったし、正直興味もなかった。(今は違う)少し冷たいかもしれないが、多くの人にとって幼少期に相対する老人というものはそういう存在ではないだろうか。しかし、この物語では見知らぬ老人であり、かつ、記憶に障害のある老人に積極的に関わる小学生として主人公の息子が登場する。この小学生と自分の小学生時代を照らし合わせるとかなりの違和感を感じ得ない。次に私が、疑問に感じたのは本書における数学の扱い方である。本書では、数学の雑学のような知識が本の中にところどころ散りばめられている。私も知らないことがたくさんあったし、『へぇ〜』と思うこともたくさんあったように思う。おそらく、小川さんは巻末の数学者の方に熱心な取材をされたのだろう。ただ、本の中に散りばめられたものは、パズルのピースのような役割に終始し、知識の枠を決して逸脱できず、そこに論理は見られなかった。もちろん、小説なのだからそれでいいのかもしれないが、オイラーの公式について熱心に調べる場面があったものの、最後までこの式はボカされ、モヤッとしたままでその役割を終えている。おそらく、オイラーの公式について著者自身が理解できなかったのだろうが、あえて理解できなかったことを本の中でメインピースの一つとして登場させることは、小説自体をいびつにするピースになってしまっている。ちょっと期待しすぎた感があったのでがっかり感がありましたが、気晴らしにカフェでほっと一息つきながらメルヘンな世界に浸りたいという方にはオススメなのかもしれません。 | ||||
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数字アレルギーな私は少々退屈な部分がありました。数式が出てくると困ったことに内容が頭に入ってこないんですよね。主人公は凛としたシングルマザーで素敵です。息子のルート君も利口な子なんだけど、この親子出来すぎなんですよね。綺麗にまとまりすぎてるんです。普段から推理ものやミステリーばかり読んでるせいか複雑に考えすぎたようで博士とは実は親子なんじゃないか、博士が子供を大切にするのは過去に何かあったのではないか等色々想像しながら読み進めましたが最後まで特に何もなかったです。美しい話だと思うけど淡々としてたのが私には合わず1度読んだらもういいかな。 | ||||
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記憶を80分しか維持できない博士との交流。その中でお互いが必要な存在になっていく過程は奇跡のようで心温まります。しかし、全体的にストーリーや物語の展開はかなりあっさり。良くも悪くもサラッと読めてしまいました。 | ||||
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楽しめませんでした。もう少し大人になったら評価も変わってくるかな。でも博士は凄く想像しやすい人物で早い段階で感情移入出来ました。 | ||||
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文系の私でも分かりやすかったんですけど…ー。他の媒体で展開が分かっていたのでストーリーの流れが単調で飽きてきました。。今どき安心して子供たちに薦められる珍しい小説でさすが本屋大賞受賞作 | ||||
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面白く読めるし、扱っている数学のテーマが簡単なので、数学が苦手な方でも「数学って何となくだけどすごいな」と思える点ではよい作品だと言える。ただ記憶を失うくだりで、設定に矛盾点がみられるので、どこか悲しい気分になってしまう。設定も「数学」的な論理できちんとして欲しかった。映画と合わせてどうぞ。 | ||||
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この作品のタイトルはなおしてほしい。それか、章をもっと分けてほしい。「これは伏線なんとちゃうのん?」と思って、意味ありげな描写やセリフを常に念頭に読みながら、小川さんの読みやすい文章に乗せられていくと、完全に肩すかしを食らいます。それよりも○○賞受賞!!とか「泣ける!!」みたいな紹介をされるとどんでん返しを期待してしまうので、過剰で間違った宣伝もやめてほしいです。この本を読んでる間ずっと「ホーキング、宇宙を語る」を思い出しました。 | ||||
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あまりドラマチックな展開はないけれど、数学博士と若い母親とその息子のほんわかした心の交流が描かれます。読後感悪くないです。私は文系で数学は苦手科目でしたが、楽しい数学(数字)うんちくがたくさんあって楽しめました。(数学が得意な人、詳しいひとにはどうなんでしょう?)素数が好きというのはおおいに共感でき、読みながらニヤニヤできました。 | ||||
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数学、記憶が80分しか持たない、家政婦、子供好き、恋愛関係(ほとんど)なしと、興味深いキーワードがたくさんありながらも、これらをこれほどうまく小説としてまとめるのは結構難しいのではないかと思う。また、この設定だと、もっとどろどろとした小説になりそうなところを、著者はあえて、ハートウォーミングなストーリーに仕立てたところがポイントだと思う。また、非常に視覚的な一面も持っているので、映画化されたのだろう。ただ、劇的なシーンはさほどないので、映画では結構脚色されているのでは??と思った。この作品は、完成度はそれなりに高いが、たとえば、未亡人と先生の過去、ルートの考えなど気になる部分は結構あった。 | ||||
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たくさん出てくる数式が、小説のスパイスのようにキリッと効いていました。数式を愛する博士は、記憶が80分しか持たないとか、体中にメモを貼り付けているなど、まったく普通じゃないのにもかかわらず、なんだか身近に感じました。ああいう人、身近にもいる気がします。不器用で、外見もいけてなくて、近寄りがたい。でもきちんと向き合えば、いいところもいっぱいあって、ほっておけない。美しい文章と、数式のスパイス、博士のルートを愛する気持ち、ルートとルート母が博士と想う気持ちに、心がほんわかしました。 | ||||
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遅ればせながら読んでみた。こういう小説を読むと、小説家は選ばれた人がなるべき職業であり、特別な創造力が必要な職業なんだろうなと思ってしまう。タイトルだけではなく、表紙裏の作品紹介にも「奇跡の愛の物語」という言葉が使われているが、この「愛」という言葉を言い換えれば「美しさ」になるのだと思う。数字の美しさと美しい愛。そう思ってみれば、綺麗で美しいが、語り手である家政婦の私や彼女の息子の年齢を考えれば不自然とも思える彼女達と博士の交流も納得がいくような気がする。20代に過ぎない私が何故これ程献身的なのか、10歳に過ぎない息子が何故これ程人の心を読めるのかが、小説中では殆んど説明されていない。彼女の生い立ちが簡単に綴られているだけだ。きっと、作者はこれらの説明を、作品中不必要なものとしてわざと省略したに違いない。理由は、美しい物語に不必要なエピソードだからだ。美しさに不要な要素を全て切り落としたこの作品、「小説」としては非常に完成度が高い。素晴らしい作品だと思う。ただ、この小説を素晴らしいと感じることと、好き嫌いは別だ。感動もしなかったし、好きになれない。あまりにも綺麗で美しすぎるからだ。 | ||||
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小川氏の小説家としての才能、そして彼女が小説に求めている核はここでも健在です。しかし、「薬指の標本」のような作品に認められた、背徳的なエロスとかタナトス、あるいはじわじわとした恐怖のようなものは、全く剥ぎ取られている。剥ぎ取られた後に残ったものは何か。それは「生」あるいは「命」の切なくなるような受け渡しと、さしい喪失の物語か。記憶を80分しか維持することのできない数学者という突飛な人物を主人公にして、静かな珠玉の名作に仕立て上げた手腕は確か。数学はつけたしではなく、それも数論という分野の持つ特殊さと純粋さを作品は見事に吸収し消化している。 | ||||
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偏屈だけど子供にはめっぽう優しい数学博士の記憶は80分しか持たない。あっけにとられるようなどんでん返しがあるわけではないけど、年老いた数学者と若い家政婦とその息子との触れ合いが温かみのある言葉で綴られており、ページを読み進めると共に、それがじわじわと伝わってくる。少し切なくてかなり温かいお話。 | ||||
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恋愛小説にのめり込めない。 同じ理由で、この純愛小説には、のめり込めなかった。 文学の形を借りた江夏物語だと言うなら話は別だが。 家政婦の私とその息子のルートが、どうしてそんなに深い思い入れを博士に寄せるのかが、今十歩理解できず。 むしろ、「義弟」と言う非日常用語を多用する未亡人と博士の関係の方が泣けました。 私とルートの思いで締めくくられたエンディングの後、「未亡人はどうしたのだろう」とそればかりが気になった。 | ||||
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この話のおもしろいところは、題名にも出てくる数学の話。「素数」「完全数」「自然数」「三角数」など、聞いたことがあるようなないような数学の専門用語がたくさん出てくる。果ては「オイラーの法則」「フェルマーの最終定理」なんて難解な問題まで持ち出してくる。しかし元数学教授のおじいさんが知識のない主婦と子供に説明するわけだからおのずと分かりやすい解説になる。こんな小説の中に出てくる「知識的な内容」は読んだ後のお徳感を感じさせる。しかし内容にちょっと新鮮味がない。記憶の話とか、数学の話とか、今までにはない題材を使った工夫は見られるけど、「母子家庭」とか、「子供と老人の交流」とか、感情に訴えかけるテーマや、全体的な流れは今までにどこかで見たことがあるような印象を否めない。本のキャッチコピーにもなっている「あまりに悲しく暖かい軌跡の愛の物語」というのには、もううんざり。ちょっと辛口かもしれませんが、この本が人気があったのは、そんな心温まる話がブームだからだったんじゃないかなと思います。この作品に文学的な評価は求められません。でも、童話をけなすことができないように、この作品は”大人向けの”ファンタジーとしては佳作なのではないかと思います。 | ||||
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素直に読むと、心温まり、読み終わった後も良い気持ちが残りました。が、天邪鬼なので。穿った見方ですが、「今」の時代に合わせて作られた本という気がしてなりませんでした。「数式」にこだわらなくても、同じような印象の小説はできたと思います。小川洋子さんの本は、この本しか読んだ事がないのでわかりませんが、いつか、どこかで読んだ(観た)物語の印象が強いです。 | ||||
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サイ・シモンの「フェルマーの最終定理」を読了した直後に読んだ作品だ。「フェルマーの最終定理」からの引用の多さには驚かされた。巻末の参考文献欄に同書名を載せているとは言え、これは少々やり過ぎではないのか。そのことが気になり過ぎ、作品そのもが様々な作品の切り合わせのように感じられ、作品に身を任せ素直に楽しむ気が失せてしまった。作品全体に漂う物憂げでモノクロームな雰囲気は好ましく、それだけに過剰な引用から生まれた違和感が残念でならない。 | ||||
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