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悪人
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悪人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.01pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全407件 381~400 20/21ページ
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本当に素晴らしい作品でした。 最初は単行本の厚さに「読みきれるかな」と不安に思いましたが、読み始めてみたら面白くて、四日間で読了しました。ストーリー展開が「面白い」。人間の描写・心理が「面白い」。エンタメ的要素を持ちながら、人間の業のようなものを描いている。社会の矛盾のようなものを描いている。そして何より、人間の魂の力強さのようなものを描いている。「悪人」を描きながらも、人間への讃歌になっている。マスコミに追いかけられるお婆さんと、バスの運転手の交流の場面、最高です。他にも、いくつもの場面が、一つ一つそれぞれ魅力的な人間ドラマになっています。味わいのある短編が、いくつも繋がっているような作品とも言えるかもしれません。贅沢極まりないです。この作品に出会えて良かった! | ||||
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傑作です。吉田修一は、パークライフ以来、ずっと読み続けていますが、この作品で突然変異をおこしたようです。これほど「凄み」を感じた作品は久しぶりです。序盤の、石橋佳乃視点のパートは、不愉快極まりなく、のろのろと読んでいたのですが、清水祐一パートに入ってからは、一気に入りこみました。この本の中に、老人を足かせに地方の町に縛りつけられた、感情の表し方を知らない、祐一が確かに存在しました。地方の閉塞感、気だるい空気、見えない鎖のようなもの…あの吉田修一が、こういう世界を、人間を描ききるとは思いませんでした。佳乃の父親の激白部分や、祖母の「正しいことをやらんね」という語りかけには涙を禁じ得ませんでした。これは、この作家にとって、大きい分岐点となる作品です。この若さで、これだけのものを世に出してくる、吉田修一恐るべし、という一冊です。これまでのところ、大きく引き離して今年のナンバー1です。 | ||||
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凄いな、この本は、、、。読み始めてひとときも中座する事なく一気に読了した。傑作である。恐らく今年世に出た小説群の中でも読む者の心を鷲掴みにするといった点では屈指の作品ではないか。本の帯にある“なぜ、事件は起きたのか?”“なぜ、ふたりは逃げ続けるのか?”“そして悪人とはいったい誰なのか?”とのフレーズが見事にこの作品を読み取るキーワードになっている。冒頭から、今作の登場人物たちのぐだぐだとした満たされない日常生活の中で湧き起こる儚い嘘と悪意の心理描写の上手さにぐっと引き込まれ、ある「悲劇」が起こった後は人間の深淵に潜む「業」の様なものを読んでいくのかと思いきや、物語は第3章で劇的に変貌する。変えたのは馬込光代の存在。彼女の登場で、物語は儚くも美しい純愛路線に大きく舵を取る。世の時流に乗る事などまるで諦めていた生きベタなふたり、生まれて初めて出逢った真に心を許せる者たちの、安っぽいラブホテルでのあまりに痛切な抱擁と逃避行の道行きでの魂の絶叫に、ページをめくりつつ胸が張り裂けそうになる。ラスト、なんとも切なくやるせない気持ちになりながらも、今作に登場する傷ついた者たちの絶望の「闇」の彼方に見える魂の救済を思わせる様な一筋の光明が救いと信じたい。 | ||||
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デビュー作から読み続けている吉田修一、10年目の新境地。セクシャルマイノリティや、ネット経由恋愛や、バイオレンスや、連作短編や、写真家とのコラボレートや、女性ファッション誌の連載やら、意欲と挑戦心はあるのにここんとこ作者が迷走しているように思っていたのですが、そこへ来て放ったグランドスラムがこの『悪人』。並々ならぬ作者の意欲を感じた、力作です。九州の地方都市で若い女性が殺される事件が起きて、誰が犯人か、という発端から「悪人とはいったい誰か」と考えさせられるエンディングまで、否応なく惹きつけられました。愛に飢えている人、自分の現状に満たされない人、幸福感を感じられない人、金銭的に困窮している人。立場や年齢こそ異なれども、多くの人は、自分の境遇に完全には満足をしていない。そこから脱したくて伸ばした手が、期せずして不幸を掴んでしまった人たちがこの作品にはたくさん登場します。読んでるうちに読者はすべての登場人物に向き合うことになりますが、最後に祐一が光代へ取った行動の、そのやさしさが、特に自分にはたまらなくこたえました。今年読んで最もインパクトがあった本、文句なしの第一位です。 | ||||
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人殺しでも善人、人殺しではないが悪人、こんな紙一重の世界は自分の生活の鼻先に存在していると実感した。この小説を読んでいる時、人を殺してしまった、人を殺さざるをえなかった人間の気持ちが理解できてしまうくらいに感情移入してしまった。それにしても吉田修一はいつの間にかこんな凄い小説を書くようになっていたんだね!(「パレード」以来ひさびさに読みました。) | ||||
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吉田修一氏の作品を初めて読んだ.厚さに圧倒されながら,結局2日で読み終わった.最初のうちは,何でこんな無口で暗くって惨めな男の話に,つきあわされるのかとちょっと気が乗らなかった.そのうち殺人事件に関係した人々に次々焦点があてられ,渦がぐるぐる回って,最後に作者が言いたかったことにたどり着いたような気がした.「悪人」の言葉にこめられた清水祐一の孤独感と人としての深い優しさがじわじわ心に沁みてくる.市井に地味に生きる家族にも生きてく苦労があり,気持ちが食い違っていく孤独がある.本当の「悪人」とは誰か,そんなことを考えさせてくれた. | ||||
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現実の事件を取り込んだり 現実にあった事件を連想させたりして ”これ フィクションだよな?” 何度か確認してしまった。そのくらい 現実味のある作品。タイトルは悪人だが 実際には悪人は出てこない。全くの善人とはいえないが 普通のひとだ。 その普通のひとが 何かの間違いで(?)殺人事件に絡んでいく。重なる偶然(?) 少しずつずれて 間違った歯車が噛み合い 事件に突き進む。それぞれの立場から見た真実。 ほんのわずか 何かが違えば起きなかった事件。現実の事件も きっと そうなんだろう。それぞれの真実・思惑の違いが 取り返しのつかない大きな溝を生むのだろう。心理学者は 現実世界を生き抜くために人間は嘘をつくという。直接の嘘でなくとも真実を言わないことで 結果的に嘘をつくという。嘘をつく負担から逃れるために 知らないうちに自分で自分に嘘をつくという。作品に登場する人物の嘘。 自分を守る(?)ための嘘が自分を追い詰める。読み終わって 重苦しいものが残る。 著者から たくさんの宿題を受け取った気がする。重い作品には救いを求めたくなるのだが この作品にはそれがない。甘さを拒否したのだろう。その分 読後感が悪いのは否めないが 面白いことは確かだ。事件というのはすぐ其処にあり 他人事ではない。 | ||||
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ありそうな話だったので、感情移入ができました。 そんな中で健気に生きている人々に共感を得ることも出来た。ストーリーの中で体感出来た人生は、良い経験になりました。 | ||||
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正直なところ、読後感があまりよくなかった。この作者特有の、ただ通りすぎていったに過ぎないような余韻を残す作風を好んでいた自分にとって、この「悪人」は人物の描写がまるでデッサンのように生き生きしていてそれぞれの孤独感や焦燥感が痛々しいほどに感じられてしまった。それは、過去に見た「君と僕の虹色の世界」という映画に少し似ている気がした。でも読んでいて全く飽きることなく一気に読めたので好みではないが面白かったと思う。 | ||||
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初めて読みました、吉田修一、凄い作家さんです。しかし、娘が殺されて、怒り狂う父親とわんわん泣いて泣いて、でも最後は立ち直る母親、母親に捨てられた孫を一生懸命育てたお婆チャン、私に言わせれば、あとの登場人物は、「悪人」です。特に金持ちのボンボン野郎、スパナで一発殴ってやりたい!出会い系で殺されてしまう娘さんも、いったい何で出会い系なんだよ!ほいほい変な男について行くな!若い時は恋愛で見栄をはりたくなるのだろうけれども、そういう恋愛は幸せに結びつかないとみんなにわかってほしいと思いました。祐一だって、こんなに優しい子だったら、もっといい人生があっただろうに。というところで一番の悪人は子供をおきざりにして、男と逃げた母親か! | ||||
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吉田修一の小説を読むのは初めて。ぐいぐい引き込まれ、2日で読了しました。冒頭で殺人事件が起こり、その一点へ向けて関係者がそれぞれ自分の視点で語り出すという方法論はさほど新しくはないのでしょうが、「出会い系」を介し、つながりのなかったはずの人間関係につながりを見るという現代的な切り口や、地方に住む若者のいいようのない絶望感、なにが「悪人」なのか、というタイトルへの疑問も含め、最後の頁まで目を離せませんでした。ほかの作品もぜひ読んでみたいと思います。 | ||||
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“吉田修一はエンタメでも充分通用する”ってことが証明された作品。この力量は、桐野夏生、宮部みゆきに比肩する。しかもエンタメとして閉じていない。これまでの短編にも見られたように、吉田修一には“時代を写し取る力”がある。それは、本作で言えば、病棟の廊下のサイン、サウナの男たち、岸壁に打ち寄せられたゴミ...といった現実の断片の秀逸なスケッチだったり、一主人公ではなく複数の登場人物たちの叙述から現実の関係性を浮かび上がらせる手法だったりするが、この長編は、こうしたリアリティーをベースに、万人が満足できるような読み物としての面白さが加わっている。 メディアで表面的に日々消費されていく事件、あるいはメディアを賑わせることなど一生ない市井の人々、そこにピンスポットを当てて深く掘り下げているのが、この小説の魅力だ。「一人の人間がこの世からおらんようになるってことは、ピラミッドの頂点の石がなくなるんじゃなくて、底辺の石が一個なくなることなんやなぁ」「今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎったい。(中略)失うものもなければ、欲しいものもない。だけんやろ、自分を余裕のある人間っち思い込んで、失ったり、欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした目で眺めとる」といった言葉が心に突き刺さるし、「人の匂い」が「情報」に置き換えられないってことこそが人間の可能性なんだと思う。 「事件に至る」のではなく「事件から始まる」という構成も、ニュースで取り上げたらおしまいっていうメディア発想のアンチテーゼになっているし、“冒頭で女が死んじゃってこの先どうなるの?”って読者の戸惑い、興味に十二分に答えていく手腕も見事。 それにしても福岡、長崎、佐賀のロケーション、距離感がうまく書き込まれているよなぁ(長崎出身の福山雅治を出す小技とか)。これ、西日本新聞(=ブロック紙三社)の連載小説だったらドンピシャだったね。 | ||||
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悪い人っていないと思うんだ。いい人もいないんだ。犯罪をテレビのニュースで見ていてもわたしは最近そうおもう。ひとりの人間が、イコール、オール・悪い人もしくはオール・いい人か?自分で自分を100パーセントいい人、と言えますか?いえないでしょ?ひとりの人間のなかに、いい人のときと悪い人のときがあるんだと私は思ってる。ひとりの人間の染色体に、いい人の染色体と悪い人の染色体があるんじゃないかなーあ。そういうのを書いてくれたのかなー、あたしの代わりに。とさえ、思ってしまう。かゆいところに手が届く小説を、書くね、ヨシダシュウイチさんは。かいてしまうから余計にかゆくなるんだけどね。九州弁が、両親の実家を思い出せてGOOD。 | ||||
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ヘルス嬢、出会い系の女の子、世間体を考えると少しためらってしまうような相手に対して、そんな事まったく関係なく突き進む主人公祐一。もう娘が殺されてるのに、殺した相手は出会い系でない事を祈る父親。私も普段、見栄や世間体に流されてるので、この本には本当に考えさせられた。祐一の最後の行動は最高の愛の形ですよね。 | ||||
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不条理、不義理、無秩序などの言葉があふれる今日、自分が正しいと思ったことを実行できる人がどのくらいいるのだろうか。私は・・・どうだろう?自信がない。この小説には正しい人が沢山登場する。そして、己が正しいと思った行動を取る。羨ましいと思った。 | ||||
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私は、この作品を朝日新聞の連載で読んでいました。元保険会社勤務の私は『保険外交員』という言葉を見た瞬間に「あー、殺されちゃうんだろうな」と思いながら読み始めたのを思い出します。読み進めるうちに『祐一』のイメージが私の大好きな俳優の谷 和憲さん(JUNONボーイ)に似てるなと思い、そう思うと一番『悪人』に近いであろう『祐一』に恋に似た気持ちを抱き毎日夕刊が届くのを楽しみにしてました。特に『光代』が初めて『祐一』と会うときに自ら声をかけられず目が合ったのだから・・と相手が声をかけてくるかに身を任せそして声をかけてくれた・・という瞬間がまるで『私』を選んでくれたと思う位の胸の高鳴りを覚えました。だからと言って自分が『光代』に感情移入したのかというとそうではなく、誰か一人に感情移入するのではないが何故だか引き込まれる・・というのがこの本の特徴ではないかと思います。是非、映画化して『愛ルケ』を超えて欲しいと思います!! | ||||
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九州北部で起こった1つの殺人事件をめぐって、物語は淡々と進行していきます。この本の登場人物に極悪非道な人間は一人としていません。本当にどこにでもいそうな人が、ほんのちょっとした見栄やお金や欲望のために、殺してしまう、殺されてしまうという日常の中に潜む危険性をつよく感じます。一体、何が悪かったのでしょうか?敢えていうなら、間が悪かったとしか言えないむなしさがあります。しかし、最後にみせる主人公のやさしさに一条の光が見えます。 | ||||
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芥川賞受賞作を読んで以来、吉田修一は大好きな作家の一人だったが、あれ、こんなおもしろい、というか、すごい作家だったけ?と驚きながら一挙に読んだ。。多様な視点が交差する長編、といえばやはり『パレード』が想起されるが、本書で展開された視点=語りの活写ぶりの見事さやプロット構成の卓越した技術を知った後では、あれは実に不器用な小説だったなと感じてしまう。恐ろしくスピーディな「カメラ・ワーク」でありながら物語の進行を追うのに苦労することのない鮮明な、どころか読み出したらとまらない身震いするような場面が次々と続き、重厚な記述ではないのにもかかわらず、なぜか個々の人物の行動や心理や訪れる出来事が非常に詳細にリアルに描かれている。ケータイから始まる物語、といえばやはり『東京湾景』が想起されるが、しかしケータイから始まる「事件」や「純愛」を説得的に構築する創作力は本書ではじめて達成されたのではないか。結局のところ「トラウマっ子」とか「負け犬」の空騒ぎじゃん、と解読されかねない(説明)要素をふんだんに盛り込みながら、しかしそのような「社会問題」とは違う小説的な次元において著者は人間模様の美醜や幸福や悲哀を書き綴った。本当にすばらしい。「悪人」。本書の主題であるそれはカッコつきであるべきだろう。カッコつきではないベタな悪人も少なからず登場し、また様々な成り行き上、悪人である一面を見せてしまう普通の人びともたびたび姿を見せるが、しかしメインの悪人はあくまでも「悪人」である。そのカッコのつき方が本書の読後に圧倒的な余韻をもたらす。私たち「善人」の「善」はどこかにいるはずの「悪人」の「悪」によって何とか成り立っているのかもしれない。そんな風に想像した。 | ||||
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新聞連載小説など近頃は読んだことがなかったが朝日に本作と桐野夏生の「メタボラ」が夕刊、朝刊に連載されていてたまたま読み出したらこれが面白くて毎日、新聞を開けるのが楽しみであった。新聞の連載期限のせいなのか両作とも結末はあっけなく終わってしまったような感じだったが、これを機に吉田修一の「最後の息子」「パークライフ」と読んでみた。 まあなんと「悪人」は作家としての腕を上げたことか。とても同じ作家とは思えない。ほんとうに新境地をひらいたのかもしれない。今までのふわふわした捕まえどころのないような感じが本作でついに、地に着いた表現を獲得したのではないか。 新たに単行本となったので再度読み直してみたいとは思うが、新聞連載時の見事な挿絵がない「文章」だけで読むのがちょっと不安ではある。「メタボラ」も同。 | ||||
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「最後の息子」を読んだときは衝撃でした。「悪人」は「最後の息子」のときほどのインパクトはなかったけれど、今までのいくつかの作品と同様、九州弁があたたかくてぐいぐい読んでしまいました。謎解きの手法は古いけど、表現はとても新鮮だ、と思います。 | ||||
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