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Tetchy さんのレビュー一覧

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レビュー数1433

全1433件 901~920 46/72ページ

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No.533:
(7pt)

デミルの若書き

デミル1981年の作品。デミルの未訳作品がこうして講談社から発表される意義を高く買う。
しかしそれと書評とは別で、やはり約四半世紀前のデミルは若書きがどうしても目立ってしまい、ページ数の割には物語が雑だったという印象が残る。

まず一介の警部補であるバーク。彼に設定を盛り込みすぎだ。
最後の最後で実は○○のエージェントだった、なんていう隠しネタが披露されるのかと思っていたが、結局はただの、いや頭が切れる優秀な警部補に過ぎなかった。しかもこれがデミル作品の主人公とは思えぬほど、キャラクター像がはっきりしない。
事件全てを見据える冷静沈着な人物と設定したのが逆に仇になったようで、救出作戦の委員会メンバーそれぞれが私欲と自らの保身に腐心している様子を描写されているがゆえに人間くさく、バークよりもキャラクターが立っていた。特に突撃隊の隊長を務めるベリーニがこの中でも白眉だろう。
そして敵役のフリン。冒頭の神の啓示が降りてきたかのような不思議なエピソード、そして仲間うちから語られる伝説的なIRAのリーダーという触れ込みで登場した割にはラストの銃撃戦での活躍が全くと云っていいほどなく、むしろ突然の攻撃に右往左往する体たらくだ。結局彼の唯一の仕事は装甲車をバズーカで吹き飛ばしただけだった。
他のメンバーもあまりにも呆気なく、作者はむしろそれまであえて詳しく描写しなかったリアリーをここに至って縦横無尽に操り、フラストレーションを爆発させたかのようだった。

実際、ニューヨーク大聖堂籠城事件をテーマとして扱った本書は上下巻合わせて約1,070ページもあり、下巻の350ページ目でようやく銃撃戦の幕が開く。それまでは発端と犯人とネゴシエイター及びバークとの頭脳線を中心として物語が流れる。
これはアクション巨編としては読者にストイックさを要求する構成で、確かに途中、人質となったモーリーンとバクスターの数度の脱出劇が挟まれるものの、物語の持続性を保つのにはいささかエネルギーが欠けている。そういった意味でもエンターテインメント作家デミルとしての青さが目立つ。

そして最後のハッピーエンド。いや、ハッピーエンド自体は嫌いではない。ただ、何となく色々なことがうやむやにされた終わり方が非常に座り心地が悪い気持ちにさせられるのだ。
マーティンの結末の呆気なさ、そして冒頭で囚われの身となったシーラの行く末。これらが実に消化不良で幕を閉じる。これは最近の『王者のゲーム』でも見られた喉越しの悪さと全く一緒である。

確かに過程は読ませる。しかし小説とは結末よければ全て良し、つまり裏返せば結末が脆弱ならば過程が良くても全てが台無しになる、面白さは半減するのだ。7デミルだからこそ、期待値も高くなるわけで、最終的にはやはりデミルの若さ故の荒削りさが目立ったというのが正直な感想である。


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ニューヨーク大聖堂(下) (講談社文庫)
ネルソン・デミルニューヨーク大聖堂 についてのレビュー
No.532:
(7pt)

平均してこの点数

ミステリのアンソロジーとしては記念すべき13巻目ということで末尾には鮎川氏の未収録ショートショートミステリが5編収められている。殺し屋の依頼料が20万円だの、制服を着ていた大学生だのといった時代錯誤の表現があるのは否めないし、ショートコントのような結末もあえて収録しない方がよかったのではと思われたが、まあ、おまけ(マニアにとって見ればお宝だろうけど)ということで。

今回は特にラストの村瀬氏による「暖かな密室」が何といっても群を抜いていた。末期の癌で余命いくばくも無い妻のために昔彼女に学資の支援をした足長おじさん「Aさん」を夫が探し回るという設定で、日常の謎系でしかも導入部から結構泣かせる。結末は宮部みゆきの「サボテンの花」を髣髴させる人間味溢れるもので私が常々求めるトリックやロジックのみならずドラマ性のあるミステリの条件を完璧に満たしていた。

あと小説として読ませてくれたのは「黄昏の落とし物」と「紫陽花物語」ぐらいか。
前者は冒頭の社長が真夜中に川に何かが飛び込む音を聞いた話からてっきり出演者はこの社長だろうと思っていたのに、雑居ビルの管理人を中心に話が展開する辺りの演出も心憎い。冒頭のエピソードが最後の最後に結実するのも上手いし、主人公である刑事の無邪気に語る恐ろしい真相も良い。
後者はまず冒頭の和服の女性が乳母車に一輪の紫陽花を添えるという情景が非常に絵的でここでまず引き込まれた。アジサイ団地と呼ばれるその周辺で起きた神隠しの話だが、これを上手くスパイスにして怪奇譚を拵えている。ロジックの愉しみに浸れる好編だ。

純粋にミステリとして感心したのは「プロ達の夜会」。楽屋に人を入れてはいけない女優の謎を改行の多い文章でテンポよく読ませる。最初はこれがティーンズノベルのような軽薄さを感じさせられたが、結末を知るに至り、最後の仕掛けで納得。この鮮やかさゆえにシナリオのように読ませる効果を狙ったと穿った考えを持つに至った。

真相が解ったものの「遺体崩壊」はテンポのいい文章で途中不適切な表現があるが、小気味よかった。

その他は水準以下のように感じる。
それぞれ気づいた瑕疵を述べていくと、「死霊の手招き」は真相は見事だが、犯人だという証拠が無いのに勝手に犯人は自供するのが×。
「猫の手就職事件」は文字・内容ともに詰め込みすぎ。作者自身は正に科学的・心理的・物理的の多方面からロジックを畳み掛ける手並みに酔いしれているのだろうが作者の独り舞台に付き合わされたような徒労感だけが残った。
「水の記憶」は島田荘司氏の影響をもろに受けている。やたらに独り言の多い一人称は鼻につくだけ。結末は読ませるが総合的に私に向かなかった。
「クリスマスの密室」は「水の記憶」もそうだったが素人作家のシリーズ探偵に付き合わされているのが嫌。プロになってからやってほしい。押し付け気味のハート・ウォーム・ストーリーも気になる。
「ある山荘の殺人」も二人称叙述は臨場感出すために採用しているだろうが技量が伴っていなかった。

玉石混交という言葉があるが、今回も総括するとその一言に落ち着いてしまうようだ。選者の選択眼の眼力に衰えを感じてしまった。残念。


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本格推理〈13〉幻影の設計者たち (光文社文庫―文庫の雑誌)
鮎川哲也本格推理13 幻影の設計者たち についてのレビュー
No.531:
(4pt)

意外性を狙い過ぎて変になってませんか?

久々のカー作品。しかも昔『毒殺魔』という題名で創元推理文庫から出ており長らく絶版となっていた幻の作品の改訳版である。1996年に国書刊行会から出版された物の文庫版である。
幻の作品ということでイコール傑作という発想が浮かぶが果たしてそうではない。

物語はシンプルで、婚約者がある病理学者により稀代の毒殺魔であることを知らされる男が主人公である。毒殺魔であると告げられた直後に学者は銃で撃たれ、しかもそれは婚約者が誤射した弾だった。この偶然が主人公に、もしかしたら本当に毒殺魔ではないだろうか?という疑惑を持たせる。

ここら辺のストーリー展開は見事で、しかも彼自身が毒殺される恐れがあるという設定も面白い。
その後、誤射された弾は単なるかすり傷に過ぎなかったことが判るのだが、なんと学者は青酸カリを注射して(されて)死んでしまう。ここに至り作者はさらに婚約者が毒殺魔ではないかと畳み掛ける。

ここら辺は実にカーらしい展開なのだが、なんとももって回った文章が多く、読みにくいことこの上なかった。
文庫として手に入りやすくなった今はもとより、絶版本である本作を古本屋巡りの末に手に入れ、読み終えたとき、その人はどのような感想を得たのだろうか?
私ならば果てしない徒労感がずっしりとのしかかって来るに違いない。


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死が二人をわかつまで (ハヤカワミステリ文庫)
No.530:
(4pt)

題名が詩的なだけに勿体ない

アイリッシュ=ウールリッチの詩的で叙情的な文体はタイムリミット物のサスペンスに緊迫感だけではなく、美酒を片手に飲みながら物語を読んでいるような陶酔感を与え、豊穣な気分をもたらしてくれるのだが、それが曖昧模糊とした雰囲気を纏っているせいもあり、時には物語の進行を妨げるファクターにも成り得る。
本作はそれを実証したかのような作品だ。

今回アイリッシュが用意した設定はこのようなものだ。
仕事の帰り道で偶然出くわした自殺間際の女性を刑事ショーンは間一髪で助ける。事情を聴くと、父が死に直面しているのだという。父はひょんなことからある予言者と出逢い、彼の信望者となっていた。その預言者トムキンズは人智では説明できないような力を持っており、彼の予言は全て当たった。ある日、トムキンズは女性の父親ハーラン・リードに3週間後に獅子に喰われて死ぬという予言をする。その娘ジーンは夜が来るたびに死に近づく父に絶望し、川に身を投げようとしたというのだった。ショーンは上司マクマナスと共にハーラン・リードを予言から守ることを決意する。予言を阻止すべく必死の捜査、護衛が始まった。

どうだろう?
通常であればアイリッシュならではの独創的なプロットだと感嘆するのだが、今回は物語を構成するそれぞれの材料に無理を感じてしまうのだ。
まずジーンが川に身投げする動機があまりにも浅薄で頼りない。この自殺未遂がきっかけで警察に助けてもらうようになるのだから、結構重要な因子であるのだが、純文学的といおうか、何とも摑みどころのない動機ではないか。
次に“予言を阻止すべく警察が捜査・護衛に当たる”。実はここで私はかなり引いてしまった。
通常、警察とは事件が起きてから捜査に乗り出すものである。事件を未然に防ぐための予備捜査・予備護衛は警備会社とか小説では私立探偵の仕事になるだろう。ここのリアリティの無さでこの小説の内容には没頭する興味を80%は失ってしまった。

これ以降、物語は退屈を極めてしまった。アイリッシュのいつもの文体が事件の確信を直接に触れず、婉曲的に周囲を撫でつけているように感じ、もどかしくなり、また予言が現実となるその時までの主人公と親子3人の重圧感ある心理的駆け引きの模様は単純に暑苦しいだけである。

恐らく今まで読んだアイリッシュ=ウールリッチ作品の中にもこのように設定それ自体にリアリティが欠如していたものがあったかもしれない。しかし今までの作品にはその瑕疵を感じさせない「説得力」があったように思う。
今回はそれが無かった。詩的な題名も読後の今はもはや虚しく響くだけである。


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夜は千の目を持つ (創元推理文庫 M ア 1-4)
No.529:
(8pt)

美女と歩む心の旅路

ポール・ブレナー心の旅路、この小説を一言で称するならばこれに尽きるだろう。
帯に書かれている『将軍の娘』続編という謳い文句は全く正しくない。今回現れるポール・ブレナーは『将軍の娘』で登場した彼は別人のように精彩を欠く。作者自身がポールの人と為りを忘れているかのようだ。ブレナーがブレナーらしくなるのはマン大佐とのやり取りと最後の最後で権力に屈しない一人の捜査官として不撓不屈の戦いを繰り広げるあたり。これこそ『将軍の娘』で見せた凄腕ブレナーの面目躍如たる活躍なのだ。

上下巻合わせて1550ページを費やして書かれるこの物語の概要はこのようなものだ。
アメリカ陸軍基地で起きたキャンベル大尉“将軍の娘”殺害事件を解決したポール・ブレナーはその事件が基で退役し、年金生活を送っていた。そんな彼の元に元上司カール・ヘルマン大佐からある事件の調査の依頼が舞い込む。ヴェトナム戦争中に起きた軍隊内の殺人事件の真相を探ってほしいというのだ。当時殺害の一部始終を見ていたと証言するヴェトナム兵士の手紙が見つかったという知らせがCID―陸軍犯罪捜査部―の元へ入ったというのだった。ブレナーは渋々ながらもこの依頼を受け、かつてヴェトナム戦争で兵士として二度訪れた彼の地へ三度訪れるのだった。

つまりヴェトナムに訪れ、手紙の主を見つけ出し、真相を暴く、これだけの話に1550ページが費やされる。物語の骨子はこの事件だが、実は内容としてはヴェトナム戦争時代の兵士の回想、それもアメリカ側とヴェトナム側双方の苦い思い出がメインなのだ。
『誓約』でヴェトナム戦争の過ちを大胆に描いたデミルはこの作品を以ってヴェトナム戦争に対して総決算をつけたのだ。だからミステリというよりも冒頭で述べたような回想録というのがこの小説を評するに当たり最適だろう。もちろん冒頭のブレナーをそのままデミルに置き換えれるのは云わずもがなだ。

今更ながら気づかされた事だが、デミルの小説では物語の進行に凄腕の主人公+美人の助手が常に設定されていること。今回は特にそれが目立った。
というのもブレナーが元上司カール・ヘルマンの要請でヴェトナムに旅立ち、彼の地へ降り立つまでの顛末はなかなか物語に乗れず、実際作者の筆致も硬いような印象を受ける。これが上巻9章の233ページのスーザン・ウェバーとの邂逅からガラリと印象が変わる。会話にリズムが生まれ、デミル節ともいうべきウィットに溢れたセンテンスが怒濤のごとく現れるのだ。
このスーザンを最後の最後まで出演させることを作者が当初考えていたのか、判らないが恐らくは違うと思う。デミル自身、何か筆が乗らないと感じ、ここいらでブレナーに女でもあてがうか、おっ、調子が出てきたぞ、このスーザンを単にこれだけのために捨てるのは勿体無いな、よしスーザンをヴェトナムでの案内役に決めよう、さてそろそろヴェトナムの奥地へブレナーを送り込むか、しかし今からスーザンを排除してストーリーが進むだろうか、よし、決めたスーザンを政府機関のエージェントにしちゃおう、とこのような心の動きが行間から読み取れるのだ。
作者自身、ヴェトナムの奥地での戦争の傷跡を記していくのには心的負担を伴うのに違いない。この狂気の事実を語るためには一服の清涼剤、精神安定剤が必要だったのだろうし、そしてスーザンの役割は正にそれを担っている。スーザンはブレナーの、というよりデミルのセラピストだったのだろう。

今までミステリというよりもヴェトナム回想録だと述べてきたが、とはいえ、事件の真相は驚くに値する。
最後にかなりの修羅場が用意されている。複数の政府機関がそれぞれの定義における正義の名の下に丁々発止の駆け引きを繰り広げるあたりは息が詰まるほどだ。

旅は目的そのものよりも過程が大事、最後にデミルはブレナーの口からそう述べさせる。まさにこの小説の内容そのものを云い表している。


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アップ・カントリー〈下〉―兵士の帰還 (講談社文庫)
ネルソン・デミルアップ・カントリー についてのレビュー
No.528: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(9pt)

吉敷、男泣き

吉敷竹史シリーズの第一部完結編とでも云える本書、その中でもとりわけずっと謎めいた存在で登場していた元妻、加納通子との関係への総決算的作品となっている。

加納通子の生い立ちから述べられる本書は今までの『北の夕鶴2/3の殺人』、『羽衣伝説の記憶』、『飛鳥のガラスの靴』、そして『龍臥亭事件』全てを一貫して補完する形で、これらの作品の間に隠されたサイドストーリーを余すところなく、描いている。摑み処のない悪女といった感じの加納通子という女性が、今回ではじっくりと描かれる。
その描写は、「業」と表現されるある種呪われた血が流れている途轍もない生い立ちを以って語られるが故に匂い立つほどの存在感を醸し出している。この通子の物語は島田作品らしからぬあまりに世俗的な表現を多用しており、駅の売店やコンビニなどで売られている三流官能小説のテイストを備えており、正直辟易はした。

一方、吉敷側のストーリーは反りの合わない上司がある女性と食堂で話していることを偶然見かけたことをきっかけに、40年前の冤罪事件を自分の性に従い、解明しようとする物語である。
これは当時島田氏が手がけていた『秋好事件』の経験を活かしたもので、吉敷が冤罪事件の捜査で出くわす関係者の反応、やり取りは多分に自らが行った秋好事件の再調査での体験がそのまま反映されているのだろう。現実の世界での秋好事件が再審にならなかった無念をこの小説内で語られる恩田事件で晴らしているかのように感じた。

加納通子がこの恩田事件に冤罪であることを証明する決定的な証人であるという設定は結構盛り込みすぎだという印象が拭えなかった。というのも今まで島田氏が語った吉敷シリーズ3作と御手洗シリーズ1作に関わっている通子がさらに40年前の冤罪事件にも関わっているというのがいかにも作り物めいていて一人の人物に設定を詰め込みすぎだろうという印象が強くなってしまった。
恐らく作者もその辺を理解していたのだろう、通子の生い立ちに費やした筆はかなりのもので今まで日本各所に点在していた通子についてそれらを結ぶ線を無理なく仕上げようと腐心しているのが解った。最後に通子が鶏肉が苦手である理由がこの恩田事件によることだというエピソードはかなり秀逸で、これを持ってきたがために、通子が語られた当初から作者はこのストーリーを想定していたのではないかと思わされた。

そして吉敷。この男はシリーズを重ねるたびに存在感を増しており、しかも言葉遣いも心なしか変わってきているようだ。登場当初は単なる刑事に似つかわしいダンディという設定以外、何の特徴もなかったが通子の登場、上司との軋轢、殺人課での孤立という状況変化を経て、その人と成りがヴィヴィッドに浮き上がってきている。

今回、この600ページ前後の上下巻では島田氏の語りたいテーマがかなり網羅されているように思う。
冤罪事件、組織改革、記憶もしくは脳に対する研究。これらをモチーフに通子と吉敷のストーリーを仕上げる手腕は相変わらず凄まじさを感じる。
人物を語ることに重きを置いたこともあり、不可能犯罪的要素は薄められてはいるものの、やはり最後で切断された首の問題、殺人現場の不具合を論理的に解明するあたりは島田本格面目躍如といった感じだ。

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涙流れるままに〈上〉―吉敷竹史シリーズ〈15〉 (光文社文庫)
島田荘司涙流れるままに についてのレビュー
No.527:
(7pt)

タイトルはなぜ“アリバイ”?

やり手の興行マネージャー、マニングが売り出し中の女優キキ・ウォーカーの出演劇への入場演出として持ち出した黒豹が突如として逃げ出し、街の只中へ消えてしまった。その日が街の暗黒の日々の始まりだった。街の各所で女性の惨殺死体が発見される。死体の様子は明らかに獣が執拗に牙で噛み、爪で切り裂いた見るも無残な状態だった。しかしただ一人マニングだけは獣の仕業と見せかけた殺人事件だと頑なに信じるのだった。

今回もアイリッシュは上のような魅力的なシチュエーションを用意してくれた。1942年の作品だが、今を以ってもこのような設定の物語は出逢った事が無い。そしてアイリッシュが語る黒豹は詩的で美しく、そして強靭だ。
1章ごとに語られる女性の殺害譚は今までのアイリッシュ=ウールリッチの手法どおり、それ自体が一つの短編のように語られる。被殺人者の人となりを家族構成、今おかれている経済的な立場をしっかり描き、殺人に至る、なぜ殺人現場に行くことになったのか、居る事になったのかを入念に描くのだ。それは日常であり得る私・貴方の生活風景であり、またどこかにいる上流階級・下層階級の日常なのだ。これが抜群に上手い。

ここまで褒めていて何故星7つなのか。それは真相の呆気なさ故である。
各章で語られる殺人劇には第2被害者のコンチータまで死の直前まで豹が迫ってきたところまで描かれており、殺人後の現場調査も豹のいた形跡をはっきりと示している。これをどうにか上手く処理するために非常に突飛な結末を用意している。これが非常に戯画的でアイリッシュの設けた空間にそぐわない。
また今回は登場人物表に欠点があった。ミステリにおいて犯人というのは登場人物表に挙げられる人物でなくてはならない。今回の表は極限までに登場人物が絞られていた。途中疑いを掛けられる人物さえその名が無いほどだ。これはかなり痛い。

そしてとどめはタイトルの無意味さ。何故このタイトルなのかが最後になっても解らない。同じ「黒」シリーズとするならばやはり本作で最も相応しいのは『黒豹』・『黒い豹』・『黒い獣』とかだろう。
本作が他のアイリッシュ作品と比べてミステリファンの話題に上らないその訳を垣間見てしまった。


▼以下、ネタバレ感想
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黒いアリバイ (創元推理文庫 120-10)
ウィリアム・アイリッシュ黒いアリバイ についてのレビュー
No.526:
(9pt)

あと一歩で傑作

ページを繰る手が止まらないとは正にこのこと。デミルの面目躍如たる本作は一級のエンタテインメント小説だ。上下巻ともに700ページを超える海外小説で1日に100ページ読める小説なんてほとんどなく、このことからもデミルの筆致の冴えが他の作家の追随を許さないものであることが証明される。

しかし、「一級」のエンタテインメントであるが「超一級」のミステリではないことに留意したい。
最初の理由はネタバレ参照。

次にやはりこのデミルという作家は生粋のエンタテインメント作家であり、ミステリ作家ではない、いやミステリ作家にはなれないのだろうなということ。はっきり云ってこの物語は転がし方次第では第1級のミステリに成りえたのだ。
物語の構成として、なぜ若き日のハリールが見舞われたリビア空爆という災禍を第2部という前段で早々と語ってしまったのだろうか?

これはミステリ心ある作家ならば、このハリールというテロリストがアメリカで次々と起こす殺戮を淡々と述べていき、物語の起承転結の「転」の部分でリビア空爆の話を持っていくのではないか。そうすることでハリールの動機の不明さが引き立つし、下巻264ページで第1被害者となった軍人の妻が電話で語る被害者のミッシングリンクの真相、そしてハリールの訪米の目的が一段と戦慄を伴って読者の心中に突き刺さることは確実である。
ハリールの成す個々の殺人ごとにリビア空爆に対するハリールの内なる憤りを語るデミルの筆致を見るとどうしても冒頭に出す必要があったと判断したのかもしれないがこれは語り方の技法に過ぎなく、これを徐々に語ることで読者に徐々に動機を仄めかす事は出来たはずだ―クーンツならばこの手法も間違いなく取るだろう。そういった意味ではデミルはやはりエンタテインメント作家なんだなぁと強く思ってしまった。

しかし本作はデミル作品の中でも抜群の語り口の上手さが存分に発揮されている。読書中、これほど笑い声を上げて笑ったのも珍しい。
今回は特に『プラムアイランド』から引き続いての主役となる皮肉屋コーリーのキャラクタ性が前作よりもさらに磨きがかかったことが特に大きい。作者自身も彼を書くことに大いに愉しんでおり、大量殺戮テロ、暗い情念を抱えた暗殺者の連続殺人劇という重い題材にもかかわらず、コーリーの、ふざけながらも有能ぶりを発揮する仕事ぶり、休み無しでの業務の中でも何と新たな恋人を発掘し、業務中に婚約してしまうという逸脱ぶりに小説全体のムードはかなり陽気だ。
本作についてはデミルの作品をある程度読み通して―もちろん『プラムアイランド』も必ず―読了した上で読む方が魅力・愉悦は増す。それははっきり断言しよう。なぜなら私自身がそうだからだ。
一番最初に手にし、そのときはなかなか乗れず、やはり過去の作品から読もうと決めた当時の判断に間違いはなかった。特に作中に出てくる元KGBのボリスは『チャーム・スクール』の出身だし、コーリーがかつて通っていたイタリアンレストランで起きた発砲事件は『ゴールド・コースト』で語られているし、コーリーが気に入っているトラボルタ主演の映画はまさに『将軍の娘』のことだし、さらに穿った見方をすれば、冒頭の航空機の機内客大量虐殺を語る一連のストーリーは『超音速漂流』へのオマージュだろう。つまり本作はデミルにとっても作家活動の集大成的な意味合いがあるように思える。

だからこそ、先に述べた不満、特に最後の結末については消化不良だという思いが強くするのである。最近のデミル作品に感じるのはこの一歩カタルシスに届かない点。『スペンサーヴィル』の主人公が凄腕の情報員のわりに悪徳警察署長に騙される点、『プラムアイランド』の予想外の展開を見せる事が必ずしも読者の期待を良い意味で裏切っているとは云えない事、そして今回の結末。これらがどうも物語の設定とちぐはぐな印象を与えている。

勿体無い。非常に勿体無い。
でも面白かった。


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王者のゲーム(上) (講談社文庫)
ネルソン・デミル王者のゲーム についてのレビュー
No.525: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

御手洗潔の超人ぶり

収録された全4作品中、純粋にミステリと云える物は「IgE」と「ボストン幽霊絵画事件」の2作で残りの「SIVAD SELIM」と「さらば遠い輝き」は心温まる御手洗サーガのエピソードと云った所か。

「IgE」は実に島田氏らしい作品で御手洗の下に持ち込まれた二つの事件が見事に痴呆症の暴力団会長の殺害計画に結実するといったもの。
声楽の先生が好意を持った女生徒の失踪事件と川崎のファミリーレストランで3回も小児用の便器が壊される事件。これにTVで報じられる目黒の公園の木を切り倒そうとする悪戯事件が加わり、いつもどおりどうやって一つの事件に収束していくのだろうと不安になるが、これもまたいつもどおり無事収束する。島田荘司氏の奇抜な発想がこの作品全てに横溢していてページを繰る手を止まらせなかった。125ページ一気読みだった。

それに比べて「ボストン幽霊絵画事件」はタイトルにある幽霊絵画が全128ページ中100ページあたりで出てくるものだからタイトルと内容に違和感がずっとあって内容にのめり込めなかった。また外国を舞台にしたことで島田氏やたらカタカナ名を使い、しかも通常日本語に訳せる単語までがカタカナときてるものだから外国のミステリ以上にカタカナが多くて読みにくかったのも大きな一因だった。
これは松崎レオナのエピソードを扱った「さらば遠い輝き」でも同じで、島田氏はどうも外国を扱うと必要以上に外国を意識するのか、カタカナ表記が多くなり、物語のスピード感を削ぐ傾向にある。かつての電報がカタカナ表記で読みにくかったことに対し、現在では漢字まじりのひらがなに改善されたことを知らないわけではあるまいに、なぜ島田氏は変な気を回すのだろうか?
またこの作品については最後のオチに冒頭の看板狙撃事件の真相を持ってきたところにも不満がある。この真相は私のみならず、大方のミステリ読者には容易に予想できるものではないだろうか?これを物語のファイナル・ストライクに持ってくるのは、ちょっと自信過剰すぎないか?

残りの2作品について。
「SIVAD SELIM」は読書中、題名の意味が判ってしまったため、導入部の出来事から結末までが一気に解ってしまった。かといって物語の面白さが損なわれたわけではなく、私の好きな音楽を扱ったストーリーだったのでものすごく面白く読めた。御手洗が彼と友達だというのはあまりにも出来過ぎだなとは思うが、一種の夢物語と考えれば、それもまた一興。作者の夢が詰まった作品だ。
「さらば遠い輝き」は海外、今回はスウェーデンで活躍する御手洗の近況を交えたレオナの一夜の出来事を語ったもの。中で触れられる『異邦の騎士』のエピソードはかつて当作品を読んだ時の熱い思いを思い出させてくれたが、レオナの御手洗への未練を切なく描き、後味はなんともメランコリック。

総じて今回の作品は前半は無類に面白かったものの、後半は特にカタカナ表記の読みにくさが目に付き、ページを繰る手にブレーキがかかったのは事実。
しかし、御手洗の超人ぶりはちょっと理想を詰め込みすぎの感がする。
御手洗フリークの期待に応えるべく島田氏はちょっと道を踏み外してはいないだろうか。杞憂であればいいのだが。



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御手洗潔のメロディ (講談社文庫)
島田荘司御手洗潔のメロディ についてのレビュー
No.524:
(5pt)

怪奇小説というよりも残酷小説?

前2集に比べると質は落ちるか。
今振り返ると各短編集にはそれぞれテーマがあったように思う。
第1集は人肉趣味・エログロ趣味、第2集は皮肉な結末。
で、第3集はと云えば、双子物かとも思ったが、全体を通してみると双子物はさほど多くはなく、一貫してのテーマでは無かったように思う。

印象に残ったのは「生きている腸」と「墓地」と「壁の中の女」ぐらいか。
「生きている腸」はなんといっても死者から取り出したばかりの腸が生きているというアイデアがすごく、これがやがて一個の生物として動き出すという奇想を大いに評価したい。最後のオチに至る仕掛けは盆百だが、このアイデアだけで価値がある。
「墓地」はショートショートぐらいの小品だが、最後まで自分の死を信じない男の独白が結構シュールで好みである。
「壁の中の女」はネタバレ参照。

逆に不満が残ったものをあげていくと・・・。
まず「皺の手」。物語の軸が定まらず、失敗作だと思う。たぶん作者は青髭譚を書こうと思ったのだろうと思えるのだが、あの発端からなぜあのような手首を愛好するような奇妙な話に終わったのかが疑問。
「抱茗荷の説」も坂東真砂子氏を思わせる土俗的ホラーだが詰め込みすぎ。30ページで語るべき話ではないと思う。記憶の断絶が多すぎてちょっとわからなかった。
「嫋指」は乱歩の弟による作品。文章が読みにくく、独りよがりに過ぎる。

やっぱり第2集が一番面白かった。
怪奇小説というよりも残酷小説集の感が最後まで残った。鮎川氏の怪奇小説に対する考え方は前時代的だったと証明したに過ぎない選集だったのではないか。


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怪奇探偵小説集〈3〉 (ハルキ文庫)
鮎川哲也怪奇探偵小説集3 についてのレビュー
No.523:
(7pt)

光原氏、石持氏の応募作が入った貴重な一冊

このシリーズが始まった当初は本格ミステリに耽溺していたのでトリックやロジックの方ばかりに興味は向いていたが、もうこの歳にもなると、トリック・ロジックはもとより推理「小説」としての物語の部分を重視するようになった。そしてそれら物語に熟成したワインのような味わいをもたらせるのはなんといっても文章の力である。

今回はその文章力が非常に際立ったものがあった。全13編中、もっとも優れていたのはやはり現在作家として活躍している光原百合氏と石持浅海氏の2名の作品だった。これら「消えた指輪(ミッシング・リング)」と「地雷原突破」は文章のみならず物語としてもしっかりとしており、本格ミステリが奇想天外なトリックのみに支えられているのではないことを見事に証明してみせた。
光原氏の作品は所謂「日常の謎系」の作品でこの同趣向の作品である「僕の友人」、「店内消失」の中でも最も印象に残った。トリックの奇抜さは「店内消失」がこの3作品の中で最も大掛かりだが、読書中の愉悦、読後の余韻も含めてやはりダントツである(「僕の友人」は素人の拙い筆運びがそのまま出ている感じで、読んでいる最中に真相が見え隠れし、謎を謎として保てていないし、「店内消失」は架空の電話ボックスを設えるのはナイスアイデアだが、いささか懲りすぎ。)。
今回のベストはやはり石持氏の作品である。何百個とある音響地雷の中のたった1つの本物の地雷をどうやって犯人は踏ませることが出来たのか?このように事件の状況も他作者と違い、大人の小説とでも云おうか、レベルが1つ抜きん出ている。淡々としたやり取りで繰り広げられる推理劇は渋かった。

その他特に印象に残ったのを列記するとまず「南の島の殺人」。
次に「閉じ込められた男」。これは本書の冒頭を飾る1編で真相解明のヒント―寒い日でしかも停電だったのになぜ閉じ込められた男は布団に包まなかったのか―はツイストが効いてていい。ただ34歳のキャリアウーマンが無類の大きなぬいぐるみ好きという設定はトリックのために設えた人物設定というのが見え見えでちょっとあざとい。
それと「ホームにて」。よくある駅のプラットホームでの轢殺事故を殺人だと見破るのに回送列車を使用したのがミソ。この3編くらいか。


今回はなんと云っても光原氏、石持氏の作品に尽きる。これを読んで改めて彼らの作品を読もうと思った。明日の本格はここにあるといっても過言ではないだろう。


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本格推理〈12〉盤上の散歩者たち (光文社文庫―文庫の雑誌)
鮎川哲也本格推理12 盤上の散歩者たち についてのレビュー
No.522:
(7pt)

どうやら耐性が出来たみたい

耕平&来夢シリーズの第3弾。
今回は最初から怪物が続々と出てきたり、魔術が繰り広げられたり、また耕平も目覚めた力、「物体引き寄せ」を連発したりとファンタジー色をかなり前面に押し出しているのでバランスが前2作よりもよかったように思う。なんせ前2作は耕平のまだ小学生の美少女、来夢にのめり込みすぎてロリコン色が強く感じたのにどうしても同調できなかったし、歪んだ権力を翳す連中が魔力を行使するというのも漫画じみていたし、また一見青春物のような色合いを見せるストーリー展開に不意に入ってくる魑魅魍魎の出現や異世界へのリープが非常に心地悪かった。まあ3作目にして当方が慣れたというのも大いにあるだろう。

田中氏の文体も『銀英伝』や『創竜伝』のそれとは程遠いものの、水準はクリアしている。が、しかし比喩に以前も使われたモチーフを持ち出すのはちょっと空想の引き出しの枯渇を思わせる(「纐纈城」の例えはもういいって!!)。

次作『春の魔術』でシリーズは最後らしいがこれほど待ち遠しくないシリーズも珍しい。

白い迷宮 (講談社文庫)
田中芳樹白い迷宮 についてのレビュー
No.521:
(7pt)

スピード感溢れ、クイクイ進みますが…

落ちてきた漆喰壁を頭に受けたタウンゼントはその日、いつものように家に帰宅するが、管理人の驚きの表情が待っていた。管理人曰くは、もう3年も前に引越したのだという。不思議な気持ちで引越し先を訪れた彼を待ちうけていたのは妻の驚くべき言葉だった。実は彼は3年前に妻の下から失踪していたというのだ。半信半疑のうち、元の生活に戻り、勤務先に復帰したが、彼の帰りを付き纏う謎の影の存在を知る。あまつさえ銃口すら向ける謎の男はやがて彼の塒をつきとめ、襲撃する。執拗な追撃から辛くも逃げ切った彼は妻を実家に帰し、見知らぬ過去と対峙する決意を固めるのであった。

どうだろう、この導入部!アイリッシュならではのサスペンス溢れる設定ではなかろうか。
今回は叙情性よりもスピード感を重視した構成で、アイリッシュ特有の短編を連ねたような追撃劇、殺人劇は成りを潜め、謎の究明に着実に一歩一歩前進していく。だから200ページ足らずの長編にしては話の起伏は濃いのだ。冒頭に掲げた梗概は60ページ足らずの部分でしかない。現在の作家ならば、これだけで800ページ上下巻作品の上巻のラストまでに達するだろう。今回はこの展開の早さのおかげでページを繰る手がもどかしいほどだった。

裏に隠れた事件についてはアイリッシュらしからぬトリックの施されたもので、ちょっと驚いた。しかし縺れた糸を1本1本振り解いていくような筆致はサスペンスの王様の面目躍如といったところで緊張感が持続してよかった。


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黒いカーテン (創元推理文庫 120-1)
ウィリアム・アイリッシュ黒いカーテン についてのレビュー
No.520:
(8pt)

エンタテインメントと本格ミステリの小説作法の違い

ニューヨーク州の北東に浮かぶプラムアイランド。そこは動物疫病研究所の島、つまり細菌研究の島だった。折りしもそのプラムアイランドで働く研究所員夫婦がノーフォークの自宅で殺害される事件が発生する。細菌兵器の持ち出しが真っ先に疑われ、明日にも人類滅亡の危機が訪れるかもしれなかった。捜査で負った傷の療養でノーフォークに滞在していたニューヨーク市警殺人課の刑事ジョン・コーリーはこの夫婦と親しかったこともあり、地元警察署のマックスから捜査の協力を依頼されるのだった…。

デミルの筆致は今回も絶好調で、その勢いはいささかも衰えも見せない。皮肉屋ジョン・コーリーの斜に構えた態度も『将軍の娘』のブレナーを髣髴とさせる好漢である。
パートナーのベス・ペンローズは真面目を絵に描いたような刑事で女性的魅力に欠けていた。どうせジョンのペースに乗せられてラヴ・シーンの1つや2つ演じることになるのだろうと思っていたがこの予想は外れ、ラヴ・アフェアは無く、代わりに途中で登場する地元の歴史協会の会長を務めるエマがジョンの相手となる。

このエマの造詣が素晴らしい。歴史協会の会長がスレンダー美人でしかも恋多き女だったという設定は正に意表を突かれた。このエマの登場で物語に活力が与えられ、彩りが加えられたように思う。

さて、筆致は申し分なく、物語の展開もスピーディーかつ起伏に富んでおり、しかもハリケーンの最中のボート・チェイスシーンもあり、アクションシーンも迫力があり、正に云うところなし、と云いたい所だが実は自分の中ではどうも納得しきれないものがある。
細菌兵器を作り出しているのではないかと噂される研究所プラムアイランドというモチーフを設け、そこに勤める研究所員の殺害で大量殺害できる細菌の国外流出を示唆し、FBI、CIAの介入による妨害もありながら、それらが物語の前半で解決し、後半の早々で実はキャプテン・キッドの宝にあるのだという事件の真相を明かすあたり、デミルの小説作法に疑問がある。私ならば最後まで細菌の流出疑惑を持たせつつ、最後の犯人との対決で実は狙っていたのはキャプテン・キッドの宝なのだと明かすだろう。そっちの方が物語の緊張感も持続させ、最後のあっと驚く真相というインパクトも強いのだと思うのだ。しかしデミルはそうせず、隠れた真相を明かし、そこから犯人を追い詰める手法を取る。あくまでミステリ小説ではなくエンタテインメント小説の設定で物語を進めるのだ。これは好みの問題だといえばそれまでだが、やはり後者ではあの展開に不満が残る(ネタバレに詳述)。

とはいえ、読書中は至福の時間を過ごさせてくれた。上の不満はデミルだからこその高い要求をしてしまう結果なのだ。



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プラムアイランド 下  文春文庫 テ 6-13
ネルソン・デミルプラムアイランド についてのレビュー
No.519:
(8pt)

皮肉な結末と理解できないことの怖さ

前作はエログロ趣味の作品が多かったような印象があり、正直、途中で辟易したが、今回はその傾向は減じられており、「皮肉な結末」ものとでも云おうか、ちょっとしたスパイスを加えたものが多かった。収められた作品について傾向別に以下に述べていこう。

第1集によく見られたエログロ趣味・フリーク趣味の作品は今作品集では乱歩の「踊る一寸法師」、「赤い首の絵」ぐらいしかなかった。
前者を読むのは2回目だが、乱歩はやはり乱歩であるという認識を強くした次第。後者は剥ぎ取った顔を使って整形した女の執念を描いた作品で、ちょっと趣味じゃなかった。

皮肉な結末とでも云うべき一捻り加えた結末を備えた作品は「悪戯」、「決闘」、「魔像」の3作。
ポーの「黒猫」のオマージュとも云うべき「悪戯」、最後に泥沼の略奪愛劇が一大詐欺事件に変わる「決闘」、最後はありきたりだが、個展に必要な最後の写真のおぞましさが怖くていい「魔像」。これらはどれも出来はよく、好感が持てた。「決闘」は怪奇小説ではないかも?

幻想味が強く、観念的な趣向の作品は「幻のメリーゴーランド」、「壁の中の男」、「喉」、「蛞蝓妄想譜」。
この中では「壁の中の男」が今になってみると怖く感じる。かつての自分の恋人と同棲した親友を祝福するために最後の命の灯火を全て投じ、自分でデザインした家をプレゼントするがそれが恋人の気持ちを引き戻すことになり、嫉妬に狂う親友は恋人を殺してしまうという話だが、この建築家の体育会系の爽やかな口調、竹を割ったような性格が後に及ぼす悲劇から考えると、それと感じさせない悪意が秘められているようであとでゾクッとした。このカテゴリーでは他に比べると一番レベルが低いように思い、他の3作品は語るに及ばざるといった感じ。

純然たる怪異譚は「底無沼」、「葦」、「逗子物語」。
この中では短編集の末尾を飾る「逗子物語」が秀逸。趣向で云えば使い古された幽霊譚であるが、文章が格段に素晴らしいため、描写に寒気を感じさせる力があり、読んでいる最中に背筋が寒くなった。しかし、もっとも優れているのは最後の最後で幽霊に救いの手が差し伸べられるところ。逃げるように逗子を発つ主人公に付き纏う子供の幽霊。それに対し、あんな優しい言葉をかけるとは。本当にいい意味で裏切られ、胸を熱くした。また淡々とした文体が雨中の出来事を語る「底無沼」もいい。「葦」は素人が書いたような敬体と常体が入り混じった文章に最初は嫌悪を示したが、ありきたりながらも最後では少し感動した。結構このカテゴリーはレベルが高かった。

最後は奇妙な味とでも云うべき作品。「恋人を喰べる話」、「父を失う話」、「霧の夜」、「眠り男羅次郎」の4編。
「恋人を喰べる話」はまた人喰ものかと思ったがさにあらず、殺した恋人を埋めた庭から生えた無花果の実を恋人の血肉として食する、観念的だがストレートではないところに好感が持てた。「霧の夜」は昔小さい頃に読んだ怖い話に似ている。「眠り男羅次郎」は羅次郎という男が常人とは違うスピードの世界で生きているという設定が特殊。このアイデアから誰にも見えない衆人環視の中での殺人事件を描いた。

そして本作品集でもっとも怖かったのが「父を失う話」。文字通り突然父がいなくなる話なのだが、わずか7ページで繰り広げられるある日の出来事。その内容はネタバレにて。

こう並べてみると第1集に比べ、格段にヴァラエティに富んでいるのが判る。しかもレベルも高いものがそろっており、粒ぞろいといってもいいだろう。
あと残るは第3集のみ。さてどんな物語を読ませてくれるのだろうか。


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怪奇探偵小説集〈2〉 (ハルキ文庫)
鮎川哲也怪奇探偵小説集2 についてのレビュー
No.518:
(7pt)

昔の怪奇の定義とは?

戦前・戦後の探偵作家の怪奇短編を集めたもの。とはいえ、怪奇に対する考え方が現在と当時では明らかに違う。
現在では怪奇とは「何か説明のつかないもの・こと」であり、必ずしも怪異の正体や原因が明かされるわけではなく、むしろ怪奇現象の只中に放り出された形で終わるのに対し、この作品が収められている昭和初期では怪奇とは「恐ろしいもの・こと」や「途轍もなく気味悪いもの」であり、怪奇の正体をセンセーショナルに描く。粘着質の文体で以って執拗なまでにイメージを喚起させる手法が取られている。当時流行ったフリーク・ショーといった見世物小屋の舞台裏に光を当てて怪奇の正体を眼前に見せ付ける、これが現在の怪奇と決定的に異なるところだ。これはこの短編集の名前が怪奇「探偵」小説と銘打たれているからで、「探偵」と名のつく限りはその怪奇現象の謎は解かれなければならない。ほとんどが最後に論理的に怪奇が解決されていたのが特徴的だ。

18編の中には人食、死体愛好もしくは死体玩具主義、殺人願望、異常性欲など江戸川乱歩ばりの変態嗜好を扱った作品が並ぶ。秀逸だったのは「悪魔の舌」、「地図にない街」、「謎の女」の3編か。
「地図にない街」は都会に棲む乞食の世界をベースにある老人の企みを描くアイデアが良く、「謎の女」は平林初之輔の未完原稿を若き日の井上靖である冬木荒之輔が完成させたものだが、この冬木が創作した部分がこの作品の質を高めているのは誰もが認めることだろう。平林のパートでは単に逗留先で知り合った女と突然、東京で仮の夫婦生活をするという設定のみだったのを、冬木のパートではその設定を女の異常な性嗜好から起こる惨劇への序章へ結びつける力技に感服した。
しかしもっともよかったのは「悪魔の舌」。悪食及び人喰嗜好の描写の生々しさはもとより、それに加えてを最後の驚愕の真相を用意していたのが素晴らしい。伏線も活きており、この1編がこの短編集の牽引力を担っていたのは確か。

各編においては最後のオチが三流落語咄の域を脱していないものがあるのも事実で、「怪奇製造人」、「乳母車」、「幽霊妻」などがそれらに当たる。
また最後のオチが誰々の創作だったというのも目立った。
全作品を通じて思ったのは、これらは怪奇小説集というよりも残酷小説集の方が正鵠を射ている事。玉石混交の短編集だが、なぜか妙に惹きつけられた。②巻、③巻も愉しみだ。

怪奇探偵小説集〈1〉 (ハルキ文庫)
鮎川哲也怪奇探偵小説集1 についてのレビュー
No.517:
(4pt)

未読短編をみすみす見逃すわけにはいかなくて

東京創元社のドイル・コレクション第一集。
第一集に「王冠とダイヤモンド」、「まだらの紐」の2つの戯曲を冒頭に持ってくるあたり、かなりの冒険だが、試みとしては成功していない。これを純粋に愉しめるのは恐らく生粋のシャーロッキアンだけではなかろうか。戯曲はやはり芝居で観るから愉しいのであって、これをシナリオで読んで愉しめるのは彼らか好事家しかいないだろう。実はこの本を購入するのをずっと躊躇っていたのがこの戯曲が原因だった。
購入の動機となったのはコレクション第二集に収められた未読短編に触発されたからで本書も短編集未収録作品である「競技場バザー」、「ワトスンの推理法修業」、「ジェレミー伯父の家」、「田園の恐怖」を読むために他ならない。

既読の「消えた臨時列車」、「時計だらけの男」はほとんど内容を忘れており、新鮮な気持ちで読めた。前者は二人の男を乗せた臨時列車が目的地に着く前に消失するというもので、その事件が当時世間を騒がせていたフランス政府の醜聞に大きく関わっていたという構成は現在でも十分読むに値する設定だし、島田荘司氏の原点を見たような気がした。
後者は列車に駆け込み乗車をしたカップルと隣にいた男が途中で消失し、残っていたのは見知らぬ男の死体だったという事件の背景に隠れた人間模様を描いた作品。ホームズ物の長編に見られる事件解決後の事件に至る経緯を語る中篇のような話でドイルお得意のパターン。

こうして読むと第二集でもそうだが、ドイルは事件の故人や真犯人の手記で語らせるパターンが非常に多い。短編はほとんどがこの趣向である。量産作家であったが故のワンパターンに陥っていたのかもしれない。
ともあれ、コレクション中最も魅力のなかった第一集がこれで読了したので今後はまだ見ぬ傑作に巡り合う事を大いに期待したい。


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まだらの紐 ドイル傑作集 1 創元推理文庫
アーサー・コナン・ドイルまだらの紐 についてのレビュー
No.516:
(3pt)

どういう世界観で読むべきなのか?

なんとも評し難い作品だ。
ジャンルとしてはやはり夢枕獏氏のような伝奇に物になるのだろうか。

大学生と小学生の美少女という取合せがストーリーに潤いを与えるのならまだしも、どう考えてもロリコン大学生とありえないほど純粋な小学生との信頼関係には無理を感じる。魔力を備えたアイドル歌手やその父親が政財界のドンでしかも魔人というベタな設定に加え、ひょんなことから異世界に行き、その世界で出遭うのは二本足で歩く獣人や巨大カタツムリだったりと物語のベクトルが無秩序で理解に苦しむ。

主人公が守る美少女は熾天使の化身だという設定はまだ許せるものの、パラレルワールドにも行ってしまうという闇鍋のような設定にはノレなかった。菊池秀行氏のようにいっそ異世界に設定して物語を進める方がこちらもスイッチを切り換えて物語世界に埋没できるのだが。
作者が何を読者に仕掛けたいのか、読み取れなかった。

窓辺には夜の歌 (講談社文庫)
田中芳樹窓辺には夜の歌 についてのレビュー
No.515:
(3pt)

罵倒しているのは作品自身?

作りが荒っぽい。全てが中の上のサブキャラみたいな存在である。
結局主人公は何もしない―せいぜい、罵倒するぐらい―で悪役は勝手に倒れるしで、まるでクーンツの2級作品のようなお話だった。

最後の、耕平が和彦を罵倒する内容、「何もかも借り物」、「どれもこれも、できそこない」、「つぎはぎだらけ」は、実は作者がこの作品の最後に感じた感想そのままではなかっただろうか?
夏の魔術 (講談社文庫)
田中芳樹夏の魔術 についてのレビュー
No.514:
(10pt)

必読の傑作として強く勧めたい

素直に傑作と認めたい。

次から次に主人公を襲う危難や事故の原因を作った空軍の対応はもとより、自社のミスで事故が起こったであろうと憶測するがゆえに人道的手段よりも会社の損益を天秤にかけ、旅客機が帰着したときに起こるであろう脳挫傷被害者への保険負担、アマチュアパイロットがジャンボ機を操縦している事実から推測されるサンフランシスコ市街への被害に対する賠償金などを算盤に掛けて自社のジャンボ機の墜落を願う会社重役、それと対極を成すアメリカの正義を象徴するような絵に描いたヒーローとなるような筆頭パイロット、不撓不屈の精神で困難に立ち向かう主人公などハリウッド映画好みの人物設定が眼前としてあるのは否めないし、また彼らがこういったパニックストーリーにそれぞれ有機的に機能するように計算された配置を成されているのも盤上の将棋の駒のような動きをしているような感じもするが、これほど読者を楽しませるのにあれやこれやと試練を畳み掛け、葛藤する人間ドラマを盛り込んでいるのは正直素晴らしい。亜宇宙空間での事故に関する良質なシミュレーション小説としても評価は高いだろう。

なんせ今回ほどストーリー紹介の不要な小説も珍しい。最高水準のジャンボジェット機が空軍の訓練ミサイルのミスショットにより風穴を空けたまま、素人パイロットの操縦でサンフランシスコへの帰還を目指す。
このたった2行で十分だ。おそらく今後この小説のストーリーは忘れないだろう。久々ページを繰る手がもどかしい小説を読んだ。

しかしこれがデミルの小説であるとは恐らく思わないだろう。デミル特有のワイズクラックがここではそれほど強調されておらず、文学的風味も抹消され、小説のムードとしてはやはりパニック小説に徹しており、余計な挿話は挟まれていない。デミル一人ではここまで贅肉を削ぎ落としたストーリー展開はなかったろう。
当時トマス・ブロックがビッグ・ネームだったのかは寡聞にして知らないがなぜデミルの名が表出しなかったのか、すごく気になるところである。

超音速漂流 (文春文庫)