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Tetchy さんのレビュー一覧
Tetchyさんのページへレビュー数1418件
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戦前・戦後の探偵作家の怪奇短編を集めたもの。とはいえ、怪奇に対する考え方が現在と当時では明らかに違う。
現在では怪奇とは「何か説明のつかないもの・こと」であり、必ずしも怪異の正体や原因が明かされるわけではなく、むしろ怪奇現象の只中に放り出された形で終わるのに対し、この作品が収められている昭和初期では怪奇とは「恐ろしいもの・こと」や「途轍もなく気味悪いもの」であり、怪奇の正体をセンセーショナルに描く。粘着質の文体で以って執拗なまでにイメージを喚起させる手法が取られている。当時流行ったフリーク・ショーといった見世物小屋の舞台裏に光を当てて怪奇の正体を眼前に見せ付ける、これが現在の怪奇と決定的に異なるところだ。これはこの短編集の名前が怪奇「探偵」小説と銘打たれているからで、「探偵」と名のつく限りはその怪奇現象の謎は解かれなければならない。ほとんどが最後に論理的に怪奇が解決されていたのが特徴的だ。 18編の中には人食、死体愛好もしくは死体玩具主義、殺人願望、異常性欲など江戸川乱歩ばりの変態嗜好を扱った作品が並ぶ。秀逸だったのは「悪魔の舌」、「地図にない街」、「謎の女」の3編か。 「地図にない街」は都会に棲む乞食の世界をベースにある老人の企みを描くアイデアが良く、「謎の女」は平林初之輔の未完原稿を若き日の井上靖である冬木荒之輔が完成させたものだが、この冬木が創作した部分がこの作品の質を高めているのは誰もが認めることだろう。平林のパートでは単に逗留先で知り合った女と突然、東京で仮の夫婦生活をするという設定のみだったのを、冬木のパートではその設定を女の異常な性嗜好から起こる惨劇への序章へ結びつける力技に感服した。 しかしもっともよかったのは「悪魔の舌」。悪食及び人喰嗜好の描写の生々しさはもとより、それに加えてを最後の驚愕の真相を用意していたのが素晴らしい。伏線も活きており、この1編がこの短編集の牽引力を担っていたのは確か。 各編においては最後のオチが三流落語咄の域を脱していないものがあるのも事実で、「怪奇製造人」、「乳母車」、「幽霊妻」などがそれらに当たる。 また最後のオチが誰々の創作だったというのも目立った。 全作品を通じて思ったのは、これらは怪奇小説集というよりも残酷小説集の方が正鵠を射ている事。玉石混交の短編集だが、なぜか妙に惹きつけられた。②巻、③巻も愉しみだ。 |
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東京創元社のドイル・コレクション第一集。
第一集に「王冠とダイヤモンド」、「まだらの紐」の2つの戯曲を冒頭に持ってくるあたり、かなりの冒険だが、試みとしては成功していない。これを純粋に愉しめるのは恐らく生粋のシャーロッキアンだけではなかろうか。戯曲はやはり芝居で観るから愉しいのであって、これをシナリオで読んで愉しめるのは彼らか好事家しかいないだろう。実はこの本を購入するのをずっと躊躇っていたのがこの戯曲が原因だった。 購入の動機となったのはコレクション第二集に収められた未読短編に触発されたからで本書も短編集未収録作品である「競技場バザー」、「ワトスンの推理法修業」、「ジェレミー伯父の家」、「田園の恐怖」を読むために他ならない。 既読の「消えた臨時列車」、「時計だらけの男」はほとんど内容を忘れており、新鮮な気持ちで読めた。前者は二人の男を乗せた臨時列車が目的地に着く前に消失するというもので、その事件が当時世間を騒がせていたフランス政府の醜聞に大きく関わっていたという構成は現在でも十分読むに値する設定だし、島田荘司氏の原点を見たような気がした。 後者は列車に駆け込み乗車をしたカップルと隣にいた男が途中で消失し、残っていたのは見知らぬ男の死体だったという事件の背景に隠れた人間模様を描いた作品。ホームズ物の長編に見られる事件解決後の事件に至る経緯を語る中篇のような話でドイルお得意のパターン。 こうして読むと第二集でもそうだが、ドイルは事件の故人や真犯人の手記で語らせるパターンが非常に多い。短編はほとんどがこの趣向である。量産作家であったが故のワンパターンに陥っていたのかもしれない。 ともあれ、コレクション中最も魅力のなかった第一集がこれで読了したので今後はまだ見ぬ傑作に巡り合う事を大いに期待したい。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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なんとも評し難い作品だ。
ジャンルとしてはやはり夢枕獏氏のような伝奇に物になるのだろうか。 大学生と小学生の美少女という取合せがストーリーに潤いを与えるのならまだしも、どう考えてもロリコン大学生とありえないほど純粋な小学生との信頼関係には無理を感じる。魔力を備えたアイドル歌手やその父親が政財界のドンでしかも魔人というベタな設定に加え、ひょんなことから異世界に行き、その世界で出遭うのは二本足で歩く獣人や巨大カタツムリだったりと物語のベクトルが無秩序で理解に苦しむ。 主人公が守る美少女は熾天使の化身だという設定はまだ許せるものの、パラレルワールドにも行ってしまうという闇鍋のような設定にはノレなかった。菊池秀行氏のようにいっそ異世界に設定して物語を進める方がこちらもスイッチを切り換えて物語世界に埋没できるのだが。 作者が何を読者に仕掛けたいのか、読み取れなかった。 |
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作りが荒っぽい。全てが中の上のサブキャラみたいな存在である。
結局主人公は何もしない―せいぜい、罵倒するぐらい―で悪役は勝手に倒れるしで、まるでクーンツの2級作品のようなお話だった。 最後の、耕平が和彦を罵倒する内容、「何もかも借り物」、「どれもこれも、できそこない」、「つぎはぎだらけ」は、実は作者がこの作品の最後に感じた感想そのままではなかっただろうか? |
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素直に傑作と認めたい。
次から次に主人公を襲う危難や事故の原因を作った空軍の対応はもとより、自社のミスで事故が起こったであろうと憶測するがゆえに人道的手段よりも会社の損益を天秤にかけ、旅客機が帰着したときに起こるであろう脳挫傷被害者への保険負担、アマチュアパイロットがジャンボ機を操縦している事実から推測されるサンフランシスコ市街への被害に対する賠償金などを算盤に掛けて自社のジャンボ機の墜落を願う会社重役、それと対極を成すアメリカの正義を象徴するような絵に描いたヒーローとなるような筆頭パイロット、不撓不屈の精神で困難に立ち向かう主人公などハリウッド映画好みの人物設定が眼前としてあるのは否めないし、また彼らがこういったパニックストーリーにそれぞれ有機的に機能するように計算された配置を成されているのも盤上の将棋の駒のような動きをしているような感じもするが、これほど読者を楽しませるのにあれやこれやと試練を畳み掛け、葛藤する人間ドラマを盛り込んでいるのは正直素晴らしい。亜宇宙空間での事故に関する良質なシミュレーション小説としても評価は高いだろう。 なんせ今回ほどストーリー紹介の不要な小説も珍しい。最高水準のジャンボジェット機が空軍の訓練ミサイルのミスショットにより風穴を空けたまま、素人パイロットの操縦でサンフランシスコへの帰還を目指す。 このたった2行で十分だ。おそらく今後この小説のストーリーは忘れないだろう。久々ページを繰る手がもどかしい小説を読んだ。 しかしこれがデミルの小説であるとは恐らく思わないだろう。デミル特有のワイズクラックがここではそれほど強調されておらず、文学的風味も抹消され、小説のムードとしてはやはりパニック小説に徹しており、余計な挿話は挟まれていない。デミル一人ではここまで贅肉を削ぎ落としたストーリー展開はなかったろう。 当時トマス・ブロックがビッグ・ネームだったのかは寡聞にして知らないがなぜデミルの名が表出しなかったのか、すごく気になるところである。 |
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ドイルのホームズ物でない短編集。東京創元社はドイル・コレクションと銘打ってシリーズで5集刊行した。これはその第2集。
収録作品のうち、「大空の恐怖」、「北極星号の船長」、「樽工場の怪」、「青の洞窟の恐怖」、「革の漏斗」は新潮文庫の『ドイル傑作選』シリーズで既読だが、その他6編は未読作品で今回購入の動機となったのもこれらが気になったため。 今回収められた作品は大きく分けて3つに大別できると思う。①「怪物譚」と②「超常現象物」と③「奇妙な味物」。①は初めの方に収められている「大空の恐怖」、「北極星号の船長」、「樽工場の怪」、「青の洞窟の恐怖」の4編が該当し、②は「革の漏斗」、「銀の斧」、「ヴェールの向こう」、「火あそび」、「寄生体」の4編、③は「深き淵より」、「いかにしてそれは起こったか」、「ジョン・バリントン・カウルズ」の3編が当たる。 ①はそれぞれ高空領域、北極、未開の島、洞窟と未知の領域が多く潜んでいた時代において誰も見たことのない怪物が潜んでいる、誰も遭遇したことのない奇怪な現象に囚われるといった古式ゆかしい形式のお話。②は過去の因縁がを宿した物や降霊会によって起こる奇怪な現象といった内容でこれも特に目新しいものでもない。③は偶然によって起こる出来事や皮肉な結末、悪女譚といった理屈を超越した話。これも19世紀ごろでは斬新だったのだろうが、今となっては・・・という域を脱していない。 総合的に判断すると、一昔前の怪奇短編集と評せざるを得ない。個人的には最後に読んだ「寄生体」が興味本位でかけられた催眠術が次第に主人公の主体性を乗っ取られていく様子をつぶさに語っており、現代にも通じる怖さを持っていると感じた。特にラストの主人公が催眠術師を殺害しに行ったときに当人が既に亡くなっていたこと、道中、教授仲間の一人とすれ違ったことが色々な想像を巡らさせられ、手法としても優れていたように思う。 またホームズ物がワトスンの手記であるように基本的にこれらの短編もドイルは誰かの手記、日記といった一人称記述物の体裁を取っており、おそらく作者自身、これが作品にリアリティをもたらすものだと考えているようだ。確かにクライマックスまで徐々に徐々に盛り上げていく効果はある。 今回の短編集シリーズは多分にコレクターズ・アイテムになるであろうが、まあ、「五十年後」といった優れた作品もあることだし、ドイル作品コンプリートの一環としてこれから付き合っていこう。 |
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今回収められた作品は4編。目玉は表題作の「鯉沼家の悲劇」、横溝正史の未完短編を岡田鯱彦、岡村雄輔がそれぞれ補完させた「病院横丁の首縊りの家」、そして狩久氏の短編「見えない足跡」「共犯者」の2編。
「鯉沼家の悲劇」は序盤、田舎の旧家の因縁めいた話が訥々と語られる辺り、横溝正史作品を髣髴させ、むごたらしい悲劇の幕開けを今か今かと忸怩たる思いで焦らされたが、最初の殺人があってからあれよあれよとこちらが推理する暇を与えずに鯉沼家の人々が次々と死んでいき、解決も呆気なく、ぽかんとしてる間に終わってしまい、いささか消化不良。恐らく作者は当初並々ならぬ決意で作品を著そうと思っていたのだが、最後の方で枚数制限のため、駆け足で物語を閉じてしまった、もしくはなかなか進まぬストーリー展開に作者自身が飽きてしまったために力業で結末まで持っていったのかのどちらかで作品を終わらせてしまったのだろう。 狩氏の短編は今となってはもはやヴァリエーションの1つに過ぎないもの。両編のメイントリックはどちらも平凡なものだったが「見えない足跡」は最後に探偵役の推理が二重構造になっていたのが救い。「共犯者」は真相を知った後のまゆりの行動に力点が置かれていたが、古さは否めなかった。 結論を云えば、前作の「硝子の家」がそれぞれ強烈な光を放つ作品だったの対し、今回は小粒だった。やっぱり「幻の名作」というものはそうあるものではないのだろう。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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世間一般では「デミルのハーレクインノベル」と評されている一種の恋愛物。退役軍人として故郷スペンサーヴィルに帰ったキースとかつての恋人アニーとの変わらぬ愛情とそれを陰湿な嫌がらせで阻む彼女の夫、狂気の悪徳警察署長バクスターとの戦い。
今回は物語としては非常にシンプルである。この単純な図式ゆえに上下巻各400ページも費やす事に冗長さを感じたのだ。 まずキースとアニーとの邂逅までが長い。優秀な国家安全保障会議の一員まで務めた退役軍人キースが、昔の恋人と逢うまでに他人の眼を気にしすぎてウジウジ独白を繰り返す日々が訥々と綴られるのが、情けなく感じた。そしてあくまで悪人であるバクスターに対してストイックに負け犬根性的な対応をするのにも軍隊にいたときの凄腕ぶりとは対照的であるし、一度ワシントンに呼ばれるのも物語のエピソードとしては必要だったがあまりにも長く悪戯にページ数を稼いでいるようにしか思えなかった。 さらにアニーとの駆け落ちに関しても逃亡経路やホテルの泊まり方、自車の隠し方など軍人時代の経験を基に微に入り細を穿つような慎重ぶりを発揮するのにもかかわらず、呆気なくバクスターの取り付けた発信機で不意打ちを食らうなど、元栄え抜きの軍人ならそのくらい調べとけよッ!と思わず突っ込みを入れたくなった。キースという人物の設定に対してあまりにアンバランスなストーリー展開なのだ。 またバクスターの、妻に対する歪んだ愛情も、虚勢張りの小心者という設定までは納得できるものの、片や数々の修羅場を潜り抜けてきた軍人を相手に先手先手を取ったり、キース以上に勘が鋭いといったところなどもやはり人物設定とストーリー展開とが融合していないという印象を受けた。 以上述べたように今回はバランスの悪さが目立ち、結構批判的な眼で読んでいたのだが、最後の、キースのアニー奪還劇はかの『チャーム・スクール』を髣髴させる緊迫感をもたらしてくれ、カタルシスも得られた。7ツ星謹呈というよりも8ツ星までは届かないというのが正直な感想だ。 さて、前回気付いたトゥロー作品の特徴がデミルにもあるのかという話だが、これは五分五分だといったところか。トゥローの決めゼリフは正に小説向けのセリフで華やかさをまとっているがデミルは短いセリフで物語の継続を促すセリフであり、章の引き締めというよりも次章への触媒となっている。だからトゥローの場合は各章の最後のセリフが心に刻まれるがデミルはあまり気付かされなかった。 どちらも文巧者だが、比べてみるとこのように結構違いがあるのが解り、これもまた発見だった。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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トゥローの描く架空の郡、キンドル郡を舞台にしたリーガルサスペンスは過去に登場した弁護士、判事、検事らが重層的に混在して登場し、さながら一大サーガを展開しているようだ。主役が各作品で違うため、それら主人公達から描かれるレギュラー出演者も各々の主観が入り、面白い。その描写は第1作から終始一貫して登場人物らの性格は変えず、違和感なく物語に入り込めるのがトゥローの素晴らしい所だ。
特にサンディ・スターンは今までのシリーズ全てに顔を出しており、自叙伝『ハーヴァード・ロー・スクール』に彼のモデルになる人物(名前もそのまま)を作者は高く評価していることからこのキンドル郡サーガにおいてなくてはならない人物だと捉えているようだ。 今回はキンドル郡の法曹界に蔓延る贈収賄事件の一斉摘発がテーマ。贈収賄に関わる判事ら、特に首席裁判官であるブレンダン・トゥーイを摘発せんとセネット判事はその中心人物の一人、ロビー・フェヴァー弁護士を囮としてFBI捜査官と共に手練手管を使って証拠を掴み、容疑者の連鎖の綱からトゥーイを捕まえようと企む。FBIのハイテク機器を駆使して判事らの証言を取得する中、実はロビーが無免許弁護士だったと判明する。捜査も大詰めの中、セネットは不退転の決意で捜査の続行を決意するのだが...。 主人公は題名にもあるとおり、囮となる弁護士ロビー。プレイボーイで口達者な一筋縄でいかない曲者弁護士として描かれるが、彼の根底にあるのはルー・ゲーリック病に冒され、日々衰弱していく妻ロレインへの愛だった。プレイボーイである彼が妻への献身のため、FBIの囮となる事を了承する、一見ありえない設定だが、これをトゥローは実に説得力豊かに描いていく。特にロビーの秘書として付き添うFBI女捜査官イーヴォンの眼を通して幾度となく語られるロビーの妻の看病シーンはとてもこの物語のサイド・ストーリーとは思えぬほどの濃密さである。 実際、今回の登場人物で最も印象に残るのは捜査の中心人物セネットでもなく、囮弁護士のロビーでもなく、また時に狂言回しとして使われるイーヴォンでもなく、このロレインだった。特にロレインがイーヴォンに語る、ロビーへの愛。これが綺麗事ではなく、寝たきりの身でさえロビーの体が欲しくて堪らないという動物的本能の吐露だというのが実に激しく胸を打つ。本当の夫婦とはこれほどまでに愛や肉欲が深いのかと感嘆した。最後の幕引きもやはり夫への愛に満ち足りている。恐らくロレインの眼には笑顔で手を差し伸べるロビーの姿が映ったことだろう。 2つ星を減点にしたのには二つ理由がある。まずイーヴォンの性格にあまり感情移入出来なかった事。頑固な禁欲主義者という設定から隠れレズビアンだったという移行はあるものの最後まで魅力を感じなかった。嫌っていたロビーに徐々に心を開いていくのは寧ろ物語の常道であるから特に語る事はない。 もう一つはロビーが無免許弁護士だったという設定。これは捜査の致命的な打撃になったがその後、これによって捜査が大幅に沈滞する事も無かった。何故この設定を持ってきたのか納得いかない。物語の起伏を持たせる因子としてはあざとく、寧ろ不要だったのではなかったのだろうか? さて、今回気付いたトゥロー作品の特徴がある。それは各章の終わりを決めゼリフで括る事。これが非常に効果的で、物語を段階的に引き締め、心に印象を強く残すのだ。さらに登場人物に決めゼリフを云わせることで徐々に彼らの性格付けを読者の心に浸透させていくのだ。もしかしたらデミルもそうかもしれない。注意して読んでみよう。 書きたい事は実はまだまだ沢山ある。セネットという人物の、正義を旗印にかかげているのならば何でもしてもよいといった倣岸な性格付けの見事さ、クラザーズ判事を化け物じみた威厳の持ち主として設定したことでこの物語への介入が更に深まった事、贈賄の証拠を掴むまでの数々の駆け引きはアイリッシュの長編を髣髴させるそれ自体が1つの短編のようである事などなど。しかしこういう濃厚な作品を十全に語る事は非常に難しい。ここに書かれない千にも渡る数々の感想は胸に秘めておこう。 後に出た『死刑判決』を先に読んだ御蔭でジリアン・サリヴァンという人物を実に深く心にとどめることが出来た。今回では単なる贈賄事件に関わった判事の一人としてしか描かれず、登場人物表にも載っていない。もし先にこの作品を読んでいたら『死刑判決』でのサリヴァンの復活は再度想起させられる事はなかっただろう。 トゥロー作品は刊行順に読む必要はない。いや寧ろ、最新作から第1作へ遡って読む方がキンドル郡を愉しく歩けるのかもしれない。 |
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打率は5割といったところ。野球の記録ならば大記録だろうが、アンソロジーでは上のような点数になる。
今回の作品の中では「キャンプでの出来事」と「暗い箱の中で」が良かった。前者はキャンプに同行した友人が遠く離れた人にメッセージを伝えるといった稚気溢れる好編で、真相はアンフェアぎりぎりだが、小説として愉しめたのが大きい。後者は現在現役ミステリ作家である石持浅海氏のアマチュアデビュー作で停止したエレヴェーターの中で起こった殺人を扱ったもの。昨年好評を持って迎えられた『月の扉』のように閉鎖された極小空間で限定された人物で織り成される設定でこの頃から現在の萌芽が垣間見れるのが興味深い。主人公が一介のサラリーマンに過ぎないのも、今の作者の姿勢がそのまま現れている。 その他笑い話のような「イエス/NO」、クリスティの『オリエント急行の殺人』を髣髴とさせる「黄金の指」、ショートショート並に短いながらも強い印象を残す「この世の鬼」などがよかった。 最後の3編はガチガチの本格過ぎてパズル以外何物でもないという印象が強い。とくに最後の「つなひき」はあまりにも高等すぎ、また作中作も冗長で途中でどうでも良くなってしまった。 前巻が良かっただけに今回の一種退行したような作品群に失望を禁じえない。 |
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場末のダンスクラブで舞台ダンサーを夢見ながらも、挫折感に打ちのめされる毎日を送るブリッキー。いつもの仕事を終えたある夜、彼女の後を追う奇妙な男性に逢う。彼の名はクィン。彼はある富豪の家の現金を盗んだというのだ。
最初は心を開かなかった彼女は彼が同じ街の出身でしかも隣り同士だった事を知り、二人で故郷に帰ってやり直すよう促す。それをするにはまず盗んだ現金を返して身を綺麗にしてからだという事になり、富豪の家に戻る事になる。その富豪の家で遭遇したのは屋敷の主人の遺体だった。このままでは帰れない!このままでは殺人の容疑まで受けてしまう!なんとしても二人が旅立つ6:00までには犯人を捜し出し、身の潔白を証明するのだ。かくして二人の夜の捜索行が始まった。残された時間はわずか5時間…。 上の梗概を読んでいると筋が通っているように思うが、別に殺人の容疑を晴らすのはクィンの指紋を消せばいいのであって、犯人を捜す必要はないと思うのだがどうだろう?つまりはこの設定に無理を感じ、どうもノレなかった。 今までのアイリッシュのタイムリミット・サスペンスと違い、この探索行に至るまでの前置きが非常に長く、それに至るまでにニューヨークという大都会に呑まれた若い男女のウジウジとした心境が語られ、なんとも陰鬱なムードが延々と続くのが疎ましい。この話はタイムリミット・サスペンスの意匠を纏った若い二人の挫折からの再生物語であるわけだが、もっと説得力のある設定が欲しかった。あまりに観念的だ。やはり自分が好きなのは『幻の女』や『喪服のランデヴー』に見られるアイリッシュ・パターンとも云うべき容疑者・被害者一人一人を描くエピソードの短編小説的畳みかけであり、この作品も犯人の探索行における複数の容疑者を追い詰めるエピソードがもっとも面白かった。 最後に怒涛の如く真相を話すクィンの姿が冒頭の優柔不断さと180°変わっているのに違和感を覚えたし、この物語の締め方の性急さも気になる。世評ほどでは…というのが正直な気持ちだ。 |
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トゥロー久々の作品は冤罪裁判をテーマに扱った重厚な作品。
重厚といってもそれは本の厚みであり、内容は今までの作品とは違って暗いトーンがあるわけではない。もしかしたらいつも出ている文藝春秋じゃなくて講談社からによるフォントや字組みの違いからくるのかもしれないが、今回はクイクイ読めた。今までの経験上、トゥローを読むときは1時間に40ページぐらいしか読めなかったように思うのだが、今回は60ページ強をコンスタントに読めた。 発端は死刑執行を間際に控えた殺人犯ロミーが無実を訴え、再審を要求する所から始まる。その裁判の公選弁護士として選ばれたのはアーサー・レイヴン。30も半ばを過ぎているのにも関わらず、いまだ独身で本人も自身の人間的魅力に疑問を持ち、異性に対し、奥手な性格。しかし仕事に懸ける情熱は人一倍。彼は当時有罪の判決を下した元判事ジリアンと接触し、事件の詳細を調べる。やがてある人物からの衝撃的な告白を聞き、ロミーの無罪を勝ち取るべく奔走する。迎え討つは当事ロミーを有罪へ追いやった次期キンドル群検事候補と名高い“怖れ知らず”のミュリエルとミュリエルの不倫相手であり、ロミーから自白を勝ち取った刑事ラリーの二人だった。二転三転する衝撃の事実、果たしてロミーは有罪か無罪か、裁判の行方は? 原題は“Reversible Errors”。これは法律用語で「破棄事由となる誤り」という意味で控訴審で一審判決を大いに覆すような重大な誤りを指す。この題名が非常に素晴らしい(翻って邦題の何というショボさ。いくらトゥローの既訳作品の題名が漢字四文字が多いとはいえ、これはひど過ぎ!凡百のリーガル・サスペンス作品と何ら変わらんではないか!!)。 文庫の帯にもあったがこれが単純に法律用語の意味を指すのではなく、アーサー、ジリアン、ミュリエル、ラリーら主人公四人の現在における過去の、元に戻すことが出来る過ちを指している。 この四人の中でもっとも印象的だったのがやはりジリアン。ロミーに有罪判決を下した判事であり、それを覆そうとするアーサーと恋仲になるという、この二律背反なセッティングが極めて興味深い。しかもヘロイン中毒という強烈な性格付けもしており、最後の最後までアーサーにはそれを隠している。最後にその事実が途轍もない一撃となって裁判を揺さぶるわけだが、この辺りの設定の妙はトゥローならではだ。 またラリーも印象が強いキャラクター。決して己の主義を曲げず、一途なまでにミュリエルを愛し、ミュリエルのためなら決定的な証拠を破棄することも辞さない不器用さが男の悲哀と共に語られ、最後には敗北者となる。 しかし、もっとも感動的だったのは主人公四人が高潔であったこと。彼ら彼女らは決して自分の立場が不利になる事実、真相、証拠が現れてももみ消そうとはせずに、開示する。そして法の下に従っていかに自分たちに有利に働かせるかと試行錯誤する。これは法曹界では当たり前であるのだろうが、新鮮であり清々しい。鑑定結果を引き裂いたラリーは実は最も私たちに近いのかもしれない。また主人公四人以外の登場人物もそれぞれの人物造型がしっかりとしており、名前で誰が誰だか判らなくなる事も皆無であった。 今回は上下巻800ページ弱あるにもかかわらず、上巻241ページで真犯人がわかってびっくりした。それ以降、どう物語が展開するのか心配したがやはりトゥロー、二転三転四転五転の展開を見せ、新たなる真相をも準備してくれた。彼ら四人の特異な人生を語るに加え、アクロバティックなロジックを組み込むこの贅沢さ!また中に散りばめられた警句や描写など心に残る物が数多くあり、ここでは書き切れない。満腹状態だ。 最後に最も印象に残った一文を書き出して終わることにしよう。この文章は今後私の人生で大きな力になることだろう。 “自らやった過ちは歴史に残らないほど取るに足らないもの、そう考えると楽になる” ▼以下、ネタバレ感想 |
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同シリーズの前巻とはうってかわって珠玉の短編集であった。特に文章の巧い作者が多いのが特徴で、単なるパズル小説に堕しておらず、小説として、読物としての結構がしっかりしていた。
13作品中「手首を持ち歩く男」、「エジプト人がやってきた」、「飢えた天使」が白眉で次点で「ダイエットな密室」、「紫陽花の呟き」、「夏の幻想」、「冷たい鍵」を推す。 「手首を持ち歩く男」は全てが間然無く納まり、最後に冒頭のプロローグが二重の意味を持っている事を示して終わるのが心憎い。今回は次点の「ダイエットな密室」もそうだが、最後に心憎いオチを用意している辺りが今までの作品よりも頭1つ抜き出ている。 現在ミステリ作家として活躍する大倉崇裕氏の「エジプト人がやってきた」も前代未聞のトリックでよくこんなの書けたなぁとしばらく呆然した。それぞれに散りばめられた布石には気付いてはいたが、それらが最後のオチにこんな形で納まるのかと非常に感心した。今までのこのシリーズの中でトップに推す面白さである。 「飢えた天使」も現在ミステリ漫画の原作者として活躍する城平京氏の作品で、まず文章が非常にしっかりしており、読み応えがある。最後のペシミスティックな終わり方といい、ストイックな物語運びが非常にツボに嵌った。 次点の作品も通常の同シリーズでは1、2を争う出来だが、今回は相手が悪すぎたという思いが強い。それぞれの作品の文章もしっかりしており、クイズの正解だけではない何かを胸に残す。 その他残念だったいくつかの短編について。「鉛筆を削る男」は最後の真相が最も純文学的で抽象的だったのががっかりした。これを真相とするならばそれまで繰り広げられた他の推理を選んだ方がマシだった。 読者への挑戦が挟まれた「肖像画」はちょっと奇抜すぎる。驚愕の真相を狙ったのは買うが、ちょっと極端に行き過ぎた感がある。 しかしこの感想を書くにあたり、大体今までのシリーズではほぼ内容を忘れていたのが7割はあったのに対し、今回はほとんど全てが内容を憶えている。これは私にとって最もインパクトが強かった事を意味する。このシリーズ、ここからが本統の真価を発揮するのかもしれない。次巻も愉しみだ。 |
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この本格推理シリーズにおいて初めて『このミス』’98年版にランクインしたアンソロジー。2004年現在、この作品以外にランクインしたこのシリーズの本はない。そういった背景からかなり興味深く読んだ。
本書には3つの作品と3つの評論が掲載され、3つの作品はそれぞれ長編、中編、短編となっている。 まず表題作の『硝子の家』。一番初めに驚いたのは昭和25年に書かれた本作が平成の世においても読みやすかった事。また風景描写に違和感が無かったことだ。作者島久平氏の筆致は隙が無く、しかも読み易い。 この作品においては4つの殺人が成されるわけだが、それらが全て何らかの形で『ガラス』が関わっているのが特徴。4つの殺人の内、加戸雲子(しかし、なんというネーミングだろう…)に成された遠隔殺人については容易にトリックは判ったが、大峯幸之進と黒部医師の殺人のトリックはあまりこちらのカタルシスを誘わなかった。 しかし、一番最後に明かされる大峯幸一郎の殺人は密室が成立する真相が非常に面白かった。なぜ被害者は自ら密室を作ったのか?それは犯人を再び入室させたくなかったから。ではなぜ被害者は犯人を二度と入れさせまいとしたのか? このロジックの畳掛け、そして身の凍る、これならば絶対に犯人の入室させたくないであろうという理由が平成の現代においても読んだことの無いほどのおぞましい内容で脱帽した。しかもこの真相も『ガラス』に纏わるもので、題名にダブルミーニングを持たせている。この作品の評価は☆☆☆☆であった。 次の中編『離れた家』。これは自宅で男友達を読んでトランプに興じていた女性が突如消え、10キロ以上離れた家に現れる、それも死体となって…。題名はこのメインの謎による。このメイントリックについては解ったが、そこに隠された二重三重のどんでん返しは解らなかった、というよりも解る人は存在しないのではないかというぐらい複雑さを極めている。 鮎川哲也氏の序文に寄れば元々短編だったのを複雑すぎて解りにくいという事で中編に改稿してもらったのが本作で、鮎川氏が短編のままだと掲載を躊躇したのも頷ける話だ。真相部分に付されたタイムスケジュール表がなければ30%ぐらいしか理解できなかっただろう。これは☆☆☆といった所。 しかし最後の短編『鬼面の犯罪』は☆のみ。天城氏の作品はその文体のペダンチックさがどうも私には性に合わなく、内容の10%―事件の謎と解明の部分だけ―しか理解できない。最後に付されたあとがきもこの傾向はあり、気障な印象を受け、苦手だ。 第2部として掲載されたヴァン・ダインの『探偵小説作法二十則』、ノックスの『探偵小説十戒』はなぜ載せられたのか、意図が不明である。現代本格の下においてはその内容はもはや古典的であり、失笑を禁じえない。この論文に基づいて本格をものする人が果たしているのだろうか? 全体を通してみればやはり表題作の『硝子の家』が突出しているといった感じで、後は前述の通りである。これらを総合的に評価して星7つが妥当といった所か。 |
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ウールリッチの未完原稿をローレンス・ブロックが後を継いで完成させた本書。
生活に絶望した女、マデリンは以前からある古びた拳銃で自殺をしようとしていた。しかし、その拳銃からは弾は発射されず、自殺は失敗するが、それを勝ち得た生と信じた彼女は喜びのダンスを踊る最中に拳銃を落としてしまい、その拍子に屋外へ誤射してしまう。果てして弾丸は通りすがりの若い女に直撃し、彼女は絶命する。目撃者はおらず、誰かが通りがかりの車が殺して去ったという言葉が証言となり、彼女は容疑の外へ。マデリンは自分が命を奪った女、スタアの無念を思い、彼女の生前の願いを適えようとする。それはかつて幸せな結婚生活を奪った女とかつて幸せな結婚生活を築いた夫の命を奪うことだった。 設定は正にウールリッチらしく、流れるような文章で陰鬱な状況が語られる。特に冒頭の誤射の殺人の容疑からマデリンが外れるあたりの都合のいい件(くだり)はウールリッチそのものだ。ウールリッチはその設定の面白さを愉しむことに意味があり、この辺のおかしさは気にならず、むしろウールリッチ・テイストに酔ってしまった。 しかし、詩のように流れる優美なウールリッチ節はその後、成りを潜めるかのように文章が前よりも論理的で整然としているのが見受けられた。解説では冒頭と結末の方をブロックが補綴し、中間はほとんどウールリッチの手になるものだとのことだったが、私は読書の最中、ブロック自身が、物語のムードを継承しつつ、自身の作家としての矜持も保ちながら書いていると思っていた。違うとなれば、ほとんど区別がつかないわけで、ブロックの練達の筆巧者ぶりに全く以って脱帽である。 プロットとしては最後の一撃については結構驚かされたものの、読み進むにつれ、いささか使い古された手法であったと気付く。しかしそこはブロック。前に散りばめた布石を固め打ちして、設定の弱さを上手くカヴァーしている。特に最後にマデリンがデリックを撃たない場面は下手な三文芝居に堕さないぎりぎりのところで踏みとどまったという感があり、また最後の結末について読者に複雑な想いを抱かせる辺り、憎らしいほどである。 しかも、冒頭の一文、「はじめに、音楽があった」に呼応する形で終わる、これが非常に巧い!!はじめにある音楽と最後に聞く音楽は全くその意味が異なり、相反するものである。この冒頭文及び結末がブロックの追記によるもので、これによって物語としては一クラス上に行った感がある。 筆を進めるに連れ、ここいらの始まりと終わりのアレンジはやはりブロックの作家としての矜持を覗かせる心憎い演出で、この二つの、云わば物語にとって最も肝心要の部分において最高の仕事をした、それだけでブロックの手腕は評価に値するのである。 |
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カー作品の欠点が如実に現れた作品である。
それはまず建物や敷地の配置が全く解らない、つまり風景描写が非常に独り善がりで単に説明的であり、読者に伝えようという気がしない点だ。読書をするに当たってはやはり読者は作者の書かれた内容を想像して風景を思い浮かべるのだが、これが全く思い浮かばない。 解らないまま、物語を読み進めるのでこれで小説の理解は約50%程度まで落ちる。これは敷地のレイアウトを付けてくれると非常に助かるのだが・・・。 そしてやはり一番大きいのが機械的トリックを説明しているのにそれが図解されていない事。どうにかこういう風にやったんだろうなとは想像はつくが、はっきり云って十分理解しているとは到底思えない。これは正に推理小説のカタルシスであるから致命的だ。ここでほぼ90%は興趣が殺がれた。 しかし、前回『眠れるスフィンクス』はノレたのに、今回なぜノレなかったのか。やはりそれは前者がトリックよりもロジック、ミスリードの妙で読ませたのに対し、こっちはやはり足跡の無い砂浜で鈍器で殴られたような死体があるという不可能状況を設定したトリックミステリであるからだろう。こういうミステリではやはり周囲の位置関係、人員配置、登場人物のアリバイなどが重要なのに、前に述べたような欠点があれば全然物語として成立しないのである。 ただ今回もなかなかに面白い趣向が凝らしてあった。人間というものの不思議さ―特に趣味趣向の多彩さ―に後期のカーは結構魅せられていたのだと思う。 今回は現代翻訳家が訳したというだけあって期待したのだが、非常に残念だった。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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デミルの作品がアメリカで受ける。これはよく考えたらすごいことだと思う。
自身ヴェトナム戦争を経験し、その時の軍隊経験を基に軍隊を舞台にしたミステリを物しているが、軍隊に向ける眼差しの厳しさは半端じゃない。『誓約』のときもそうだったが、今回扱われているテーマは被害者である将軍の娘が基地のほとんどの将校と体の関係を持っている淫売として描かれ、しかもそのセックス描写についても手を抜かず、ポルノ小説を読んでいるかのごとくである。通常高潔とされる将校を嘲笑っており、よほど自分の軍人時代に人間の卑しさ、醜さを観たのだろうと思う。 今回はこの将軍の娘のレイプ殺害事件の真相をブレナーという陸軍犯罪捜査部の准尉がかつての愛した相手シンシアと共に、階級を超えて縦横無尽に駆けずり回り、明らかにするという内容。しかもFBIの介入が成されるまでのわずか4日間半で解決しなければならないというタイムリミット的サスペンスまで加えているのが贅沢だ。しかも外部機関による解決は先述の基地内部の将校全てが肉体関係を持っている事を開示させる危険性も孕んでいるというスキャンダラスな内容である。 レイプ事件然り、またこの事件のシチュエーションを起こさせた前段の事件の内容然り、確固として存在する軍の縦割り社会の壁然り、扱う題材はかなりハードで陰鬱なのだが、デミルの筆は相変わらず洒脱で軽妙ささえ感じる。しかし、こういうシリアスシーンでの心理的駆け引きの薄氷を踏むような危うさでの緊張感はかっちり押さえており、読者の心をジェットコースターのように上へ下へ引き摺りまわし、その手はページを繰るのも止められない。 今日本当は読み終わる予定ではなかったのだが、やはり最後が気になり、読んでしまった。デミルマジックにまんまと引っかかったのだ。 しかしこれほどの人物を登場させ、その全てに区別がついたというのはすさまじい。デミルの今まで読んだ作品で人物が混同したことがない。 今、私は極上の作家に出逢っている、そんな感慨が沸沸と湧き上がってくるのである。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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実にウールリッチらしい佳作。
結婚を間際に控えた花婿が一夜の情事から他の女と遊んでしまう。これが彼にとって破局の始まりだった。その後彼女は彼をゆすり続け、とうとう彼は逆上し、首を締めてしまう。そしてそれから見えない警察の魔の手を恐れるようになり、辺鄙な街へ移り住んでは新たに現れる彼を取巻く不信な人物達に彼を捕まえに来た警察の一派だという見えない恐怖の手に絡まれていく。 この恐怖は私にも判る。何も事なきを得て人生を重ねてきた者や犯罪めいたことが日常茶飯事として起きている者にとってはわからないかもしれない。 人は何がしか社会の中で匿名性を求める。それで安心を得ているのだが、一度普通人のレールを外れると実はもうかつてのようには戻れなくなる。その事は今後も心に澱のように溜まり、折に触れ想起されるのだ。安定を求めるが故、侠気に走る主人公マーシャル。エリート街道を進む人間の脆さがここに描かれている。 最後のエピローグはウールリッチ特有の皮肉だ。しかし、この物語はウールリッチでなくても誰かが紡いだ話である。しかし題名は秀逸。 そう、誰もが何がしかの“恐怖”を抱き、生きているのだ。それに打ち勝つ者もいれば打ちひしがれる者もいる。それが人生なのだ。 |
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タイトルの意味は「花嫁修業学校」。しかしこの穏やかなタイトルとは裏腹に内容は骨太の大傑作。ロシアという閉鎖的な大空間においてありとあらゆる人々の人生が錯綜し、壮大なる絵画を描く。
発端はロシアを旅行中のアメリカ人青年がふとしたことから迷い込んだ森林の中に建設された「チャーム・スクール」からの脱走兵との邂逅から始まる。冒頭のここら辺の文体は牧歌的だがこの青年がやがて大使館にこの存在の一報を入れたその瞬間から物凄い緊張感を纏って進行する。 「チャーム・スクール」―それはベトナム戦争などで捕虜となったアメリカ兵をインストラクターとし、アメリカ人としての教育をロシア人に施し、アメリカへスパイとして潜入させるための学校。やがては世界各地の民族に対しても同様の学校を作り、ロシア人で世界を支配しようと画策する。 この物語はこの「チャーム・スクール」を設定し、そしてこれを一介のアメリカ人青年から大使館へ電話させたという構成をとったことでほぼ80%完成したといってもいいだろう。 通常の作家なら通俗的に超人的な能力を持つ凄腕のスパイを配し、ハリウッド映画ばりにアクションシーンをふんだんに盛り込んで銃撃シーン、格闘シーン、爆発シーンを連続させて「チャーム・スクール」に捕らえられているアメリカ人捕虜の救出、黒幕の抹殺、そして施設の壊滅を派手派手しく描く所だが、やはりデミルはデミルである。おいそれとそう簡単にはそういった手法を採らない。 まずは大使館や外交官といった特権階級の人間でさえ、ロシアでは外出するのも捕虜として捉えられる事と紙一重である事をこの電話に対しての主人公二人の活動を通じて詳細に緊張感をもって描く。この作品は一貫してそういった緊張感が張り詰めている。 ロシア、そしてロシア人というのは資本主義社会では到底考えられない自分勝手な哲学、主義が横行し、憚らないのだと読者の胸に刻み込むように描かれる―しかし、アメリカ人作家の手によるロシアの描写であるから情報としては一面的である事を忘れてはならない。過剰に書いてあるだろう事は推測できるから全てを鵜呑みにしてはいけないだろう―。 そういった背景を緻密な描写を丹念に重ねながら、チャーム・スクールの調査、侵入の困難さを少しでも触れれば切れそうな張り詰めた糸のような緊張感の下、確かな筆致で描く。 しかし、ここで私はここでかなり不安だった。外出さえもがこれほど困難なロシアの中でしかもチャーム・スクールを難攻不落の要塞の如く描いて物語が発展するのかと。チャーム・スクールにどうやって潜入するのか?捕虜たちをどう救出するのか?しかも上巻の最後ではこの主人公二人はロシアから強制帰国を命じられ、ロシアを離れようとするのだ。 まず前者の私の問いに対して、デミルは全く私の想像を超えた設定を持ち込む。それは主人公二人をロシア側が誘拐し、しかもチャーム・スクールにてインストラクターに仕立てようとすることだった。これには全く以って脱帽。しかもこの一種アクロバティックなプロットが上巻の彼らの行動、ストーリー展開の中で無理なく納得させられるようになっているのだから、見事としか云いようが無い。 さらに作者はここから読者を新たな世界へ導く。戦争捕虜というものが―特にロシアにおける―、どのような仕打ちを受けるのか、これを淡々と冷酷に詳述する。その後、主人公二人はチャーム・スクールの内状を人々の出会いを交え、知っていく。実は物語としてもっとも面白く感じたのはここだった。特にホリスがチャーム・スクールで再会するかつての戦友、彼がもう何処が本統の居場所なのかわからなくなったよと述懐する場面、またベトナム戦争で撃墜された時に捕虜として捕らえられていた副パイロットの心情を彼らによって教えられ、ホリスが長年抱えていたしこりを氷解させる場面はこの作品の中でのベストシーンだ。 物語はその後ホリスの、ロシアで長年一緒に勤務した悪友セスの潜入作戦を経て、脱出劇と壊滅劇が繰り広げられる。ここで明かされる前述の後者の問いの答えは非常にショッキングなもので、後味は悪い。特にチャーム・スクールに好まざるべくいるアメリカ人捕虜たちのストーリーが語られた後となっては。 デミルは登場人物一人一人に哲学をしっかりと設定する。そして彼らがその己の規範に従い、時には呪縛を感じながらも行動する。一人一人が脈打つ実在の人間のようだ。 この小説は単なるエスピオナージュ、スパイ小説ではない。人生讃歌である。誰一人として単なる主人公の引き立て役の駒で終わっていない。そういっても過言ではないだろう。特に最後に杓子定規な正義が成されなかった点。ここに人生を生きることの難しさとデミルのアイロニーを感じた。 一人でも多くの人がこの作品を読むことを期待する。 |
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島田荘司氏の御手洗シリーズでもなく吉敷シリーズでもないノン・シリーズ。今までこれらのノン・シリーズには作者の手遊(てすさ)びであり、正に作品自体もその域を脱していなかったのだが、これはなかなかに面白かった。
老人ホームに住む中でも人生の落伍者である「青い稲妻」チーム。彼らの趣味はゲートボールであったがこれが何度やっても上手くならず全戦全敗を記録していた。そんな矢先、この老人ホームのオーナーが失踪し、明らかにヤクザと思われる集団がこのホームに乗り込んでくる。彼らはオーナーからこのホームを買い上げたというのだ。しかもこのホームを潰し、レジャーランドを建設しようと企む。彼らは悪質な悪戯をしかけ、老人たちを追い払おうとするが、ひょんなことから滞在の延長をしたければゲートボールで勝負し、勝ったらその条件を飲むという展開になる。老人たちの運命をかけたこの試合に「青い稲妻」チームが借り出されることとなったのだが…、というのが大筋。 この小説は殺人事件が起こるものの、明らかに作者得意の本格推理ではない。殺人事件はあくまで物語の1つの因子であり、中心ではない。ここでは「青い稲妻」チームの個性的な面々の日常とホームの存続を賭けたゲートボールの白熱した試合、そしてクライマックスで繰り広げられるかつて一流の素人レーサーだった老人たちの華麗なるカーチェイスが主になっており、老人たちの再生と青春の復活がメインテーマなのだ。 しかし、島田氏は他の本格推理作家と一線を隔し、無類のストーリーテリング振りを発揮する。ゲートボールのルール自体知らない私に手に汗握るゲーム展開を叙述し、しかもそれらがするすると頭に入っていくのだ。 この筆力は只事ではない。またクライマックスのカーチェイスシーンは車好き、特にポルシェ心酔者である島田氏の独壇場である。 しかしこれらの場面を活き活きとしているのは「青い稲妻」チームの面々が個性ある人物としてきちんと描かれているのに他ならない。 正にこれは意外な掘り出し物である。普段、本を読まない人に薦めたい、そんな作品だ。 |
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