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スキップの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.21pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全82件 41~60 3/5ページ
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いきなり17歳から42歳に……25年もの時間を"スキップ"してしまった"わたし"の物語。 これを読んで思ったことは、"時"を扱った物語のおもしろさですよね。 また、何の専門知識もないままに国語の先生になってしまったわたしは、わたしなりに一生懸命頑張って、素敵な国語の先生で在り続けます。わたしの記憶が17歳のところで止まっているという俄には信じられない話を、受け入れた夫と娘に助けられながら。 この"わたし"の授業がまた、理想的というか、憧れる授業なんですよ。成績重視ではなくて、学ぶことの楽しさ、あるいは国語の楽しさを最大限に引き出すような授業。というよりは、先生である"わたし"自身が楽しみ、それにつられるように生徒たちも楽しんでいく。最高ですよね。物語の中とはいえ。 もし私もこういう先生に出会えていたら……なんて、少しだけ、羨ましく思います。 | ||||
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この本の重要な主題は「自尊心」である。運命のいたずらによって環境の激変にさらされたものが、どのようにして自尊心を維持するか、それを17歳(であった)娘さんの目を通して描いたものである。主人公が女子高生(と女性教師)であることから、おそらく読者の男女比は圧倒的に女性が多いものと想像する。しかし、主題そのものは普遍的であり、だれが読んでも緻密な構成と品格のある描写に胸打たれることだろう。ひとつだけ、筆者が好きな場面をあげたい。ひとりの女子生徒が部活をやめたいと顧問の教師に打ち明ける。「おまえからバレーを取ったら何が残る」と訊かれ、その子はとっさに「私が残ります」と言い返す。そしてぶたれる。 多くのものを奪い取られていくのが生の定めであるとするならば、それでもなお「私は残る」と静かに言い切る力を養いたい。この本は、バブルを通過し、そしてそれによって損なわれることのもっとも少なかった精神によって生み出された稀有な傑作である。 | ||||
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女子高に通う17歳の「わたし」一ノ瀬真理子は、目覚めると、桜木真理子、夫と17歳の娘がいる42歳の国語教師になっていた――。 17歳の真理子が思い描いていた「明日」は、もはや取り戻せない過去のものとなっているのに、 彼女には、その「昨日」という過去の記憶さえもない。 ――でも、わたしは進む。わたしには今がある。 やりきれない思いを抱きながら、それでも前向きに「今日」を生きようとする真理子に、 自分にとっての「今」を痛烈に考えさせられました。 理不尽に押しつけられた現実のなかでも、後悔のないように今を生きなければ、と感じさせてくれる本だと思います。 | ||||
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時は1970年代。17歳の普通の高校生が、突然25年後に「スキップ」してしまう。 その世界で、42歳の自分は、結婚していて、もちろん子供もいる。しかも高校の教師。 それでも、不器用ながら、一歩一歩なれていき、25年後の世界の自分には負けないように、と思いながら生きていく― そんな物語。 「スキップ」「ターン」「リセット」の三部作だが、この作品が一番おもしろい。 物語の構成はもちろんのこと、主人公の一ノ瀬真理子のキャラクターが、いい味を出している。その生き様にほれぼれした人も少なくは無いはず・・・ 定番の時間を越える物語とは、また違う一面を出してくれた作品だと思う。 | ||||
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北村薫さんの小説を最初に読んだのは朝日新聞の連載小説「ひとがたながし」でした。中学時代の3人の女子生徒が中年になり、いまだ友情が続き、そしてそれぞれの人生がある。品が良く、せつなさと世代交代の兆しを感じさせる作品でいっぺんに好きになりました。 スキップは17歳の女子高生が25年と数十キロメーターの時空を越えて42歳になった自分の体に宿るストーリーです。しかも不可逆で。 17歳がいきなり42歳の体を背負い込み25年の時間をスキッピング(端折る)わけですから残酷です。そして、夫も娘(これまた17歳)もいるのです。でも、主人公真理子はその境遇に甘んじて生きてゆく意志を固めてゆきます。強く潔い女性です。生活、文化、流行など25年前とは随分違います。女性がみんな綺麗になったという言葉は端的です。横井庄一さんが長い年数のジャングル暮らしから保護された時「ここは日本じゃない」とつぶやいたのを思い出します。 42歳の真理子は高校の国語の教師ですので文化祭、体育祭、演劇などの学校行事が豊富に描かれています。 北村さんは埼玉県立春日部高校の教師でしたが、その職業が好きだったのと、生徒に慕われていたのがよく分かります。 ふと思うのですが「冬のソナタ」に中年の女性が夢中になったのは古き良き青春への回顧もあったのではないでしょうか。 | ||||
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主人公の葛藤や新しい世界での新鮮な驚きなどうまく表現されていたと思う。 少しずつ成長していく主人公がその後どうなっていったのか気になるところ。 ページ数も多いが文章がさらりと読ませるので気にならない。 薫という名前、主人公が女性ということもあって著者は女性かと勝手に思っていたが男性だった。また他の北村薫作品にも触れたくなった。 | ||||
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初めて読んだ北村さんの作品でした。 ずっと読みたくてやっと手にした一冊。 文庫本にしては分厚いので読むのに時間がかかるかなぁと思いましたが、 あっという間に読めてしまいました。 うとうとと寝ていて目を覚ますと、何年もの時を越えてしまっていた主人公。 突然の周りの世界の変化や、周囲の人々との関係の変化。 途中読んでいて胸がぎゅっと締め付けられるような場面がいくつもありました。 この主人公と同年代の方々の共感を得ていると聞きましたが、 学生の私の心にも響くものがありました。 もう一度読み返したくなるような、大切な本です。 | ||||
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もやもやして、何も確かなことがない年代。それゆえに不安で、危ういが、とても潔癖で、きれいで純真な年代、17才。 仕事に熟練し、家庭に恵まれ、自分のことを考えるよりは他人のことを考えられるようになり、確かに誰かに必要とされる年代、40代。 主人公の真理子はこの二つの年代をスキップする。それは二つの年代の読者を引きつける設定である。 私と同じようにまだ「若者」に属する人が読むと、未来の自分を覗き見てみたいという誰にでもありがちな欲求をそのままかなえてくれるような作品。逆に年齢を重ねた人なら、忘れかけていた、甘くさわやかだった自分の若い頃をにわかに思い起こさせる作品なのだろう。 「スキップ」は、どちらの年代に属す読者もひきつける確かな魅力を持った作品だと思う。 しかも現実には有り得ない設定を、いかにも本当らしく、舌を巻くような丁寧で精緻に描写しきっていることがまたすごい。 おもしろかったといえば、おもしろかった!!普段考えないようなことを、考えられたし、想像できたからだ。 しかし…北村さんの作品は時の三部作しか読んでいないので一概には言えないが、彼が描く主人公の、あまりにも潔癖できれいで、古きよき時代の大和撫子風、女学生風の調子が、どうしても、肌に合わない。 なんだろう、悪意や犯罪や欺瞞など、人間誰でも持っているはずの部分と、水と油のようにはじき合う対岸に主人公がいる。理想化されすぎた女性がそこにいる気がして、馴染めない不良な自分がいる。情景描写や展開にはリアリティがあるのに、主人公の調子のみが浮世離れしている気がして、私には付いていけないので、星3つで。きれい過ぎるのです。 | ||||
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意味としての世界、その中心にあるものは言葉にならない存在である。優れた物語は、その作品全てを貫く「創り手」の意志により、内在する全ての事象に意味の存在を確信させてくれる。全てのことが意味を持つこと、あるいは全てのことが持つ意味の意味。その確信を得たとき読者を満たす喜びは、まさに「世界の創り手」との出会いであり、彼の真理(ことば)の発見である。持って回った言い回しは止めよう。つまるところ、読書とはちょっとした神との出会いに他ならない。 物語を紡ぐということは確かに神の業だけれど、哀しいかな人間は神ではなく、自ら生み出した世界に対してさえも全能ではない。物語を結末に導くことに比べ、世界を壊すことの如何に簡単なことか。はっきり言ってしまおう。物語が結末に辿り着くことは、ある意味で奇跡に他ならない。けれど、だからこそ、その「どうしようもないこと」をはっきりと見据え、それに向けた明確な意志を持つ著者が紡ぐ物語は、神の似姿、人の限界と切望を明らかにするが故に、それ自体が紛れもない祈りとなる。 世界には理解できない、意味のわからないことが、確かにある。物語はこの前提から始まり、最終的に「信じる」という形で幕を下ろす。当然、一筋縄ではいかない。批判と検証、理性を動員した作業は究極的に「分からない」ことの存在を認めた上で「納得する」。それはけして盲目ではない。そこには「信じる」に足る理由、判断を下したわたし、その中心に結晶した自尊心がある。では、その対象とは。人それぞれに課せられる、時に極めて理不尽なそれの、信じるに足る意味とは何か。ミステリという言葉、本作はその本当の意味を教えてくれる、まさに”吹き込まれた”一冊である。 (限りなく★★★★★に近い) | ||||
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タイムスリップ+人格の入れ替わり、私が読んだ中では 東野圭吾の「秘密」に近いところにこの作品はあると思う。 タイムスリップ先が過去であれば、浅田次郎の「地下鉄に乗って」も近い作品と言えるのだろうが「スキップ」は過去ではなく未来へタイムスリップする。 そう、目新しいのはそこだ。 未来へタイムスリップする作品は案外少ないのである。 北村薫は、東野圭吾や浅田次郎ほどのストーリーテラーではない。 彼のめざすところはそこにはないのだと思う。 だから物語は淡々と明るいタッチで進み、ほろ苦い思いを胸に秘めながらも前向きに進んでいく。 さっきまで女子高生だった主人公は、43歳の高校教師としての毎日に没頭する。 北村薫らしさは、彼女を国語の先生と設定していること。 挿話として北村が得意としている日本の古典や文法が出てくるのでお勉強にもなった。 それから北村はわたしより二学年上の年齢であるため、主人公の高校時代はかなり懐かしい。 同世代の作家の作品を読むとこういうお得感があるのね、と思った。 でもね、同じように世代の近い ツイン村上(春樹&龍)とはどうもそりが合わない。 やはり相性というものがあるのだろう。 | ||||
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(いつの間にか、無駄に時間を重ねて来てしまった------) (あの時、もし、別の選択が出来たなら------) (自分には、もっと他の人生が送れたのでは------) 『スキップ』は一種の《タイムスリップもの》です。 ただ、この作品は、《タイムスリップもの》の定番ともいえる冒頭に挙げたような悔恨に対し、その逆回しの構造をもって毅然として向かいあうもの。いわば《反タイムスリップもの》なのだといえます。 《人生をやり直したくはならないのか》と問われ、主人公・真理子はこう答えます。 「途中で何があったか知りませんけど、結局、彼女が選んでここまで来たわけですよね。だったら、今のわたしが時間をもらってやりなおしても同じことになる筈です。ならなかったら、おかしい」 勿論、真理子は、後ろ向きの思いをカケラも持たない、《揺るがぬ信念の人》などではありません。そうでなければ、これは血の通わぬ偉人伝になってしまう。 誰もが抱えずにはいられない苦しみの中で、《それでも》そう言い切り、顔を上げ、止まる事なく歩んでいくのが、この小説の主人公・真理子という人間です。 それは例えば、時を《SKIP》してしまった直後の、真理子と(その娘である)美也子とのやりとりを見れば明らかだと思えます。 まずは人前で無様な真似は出来ないという《意地》で、続いてあまりにも納得のいかない《理不尽への怒り》で、それに流されるまいとする《理知》で-------そして、それをも突き崩された時には、全ての誇りと自尊心を懸けた「地団駄を踏むような思い」を込めた叫びで。 真理子は自分の中から引き出せるあらゆる力を振り絞り、事態と向かい合います。それが、真理子という人物です。 この本を読み、その《それでも》という意志が感じ取れた人は、主人公・真理子を好きにならずにはいられないと思います。 | ||||
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時空を超えるということでSFかな?と思いきやそうではない。 ありえない状況をそれでも受け容れて強く生きる主人公のお話。 最後の池ちゃんとの再会には涙が。 教え子に惚れられるなどちょっと?という場面もあったが 読後感はすっきりです。 | ||||
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SFっぽい気もしますが、読後感の爽やかさは 青春小説っぽい。と感じました。 これから何年か先にもう一度読み返したいと感 じる作品。あの日の自分はどうだったとか、思 い出に浸りたくなる。 キャラがみんな前向きで、強くて綺麗すぎると 感じるからちょっと全体的に物足りない気もし なくはない・・・でも面白い作品ですよ! 今を生きていく主人公にとても好感が持てますね。 | ||||
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冒頭だけだとケン・グリムウッド著の「リプレイ」を彷彿とさせられる。 しかし、他のSFものと本作品が一線を画していると感じられた点は、時間移動という論理には主眼がおかれていない点である。 時間に翻弄されず現状を受け止めて前向きに生きていこうとする主人公がひたむきで、強く、美しいと思った。 描写も非常に美しく、主人公や周りの人々が相乗効果でみな輝いていて、25年間という時間を失ってしまった主人公への悲壮感を勝っていた。 素敵な作品だと思いました。 | ||||
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プロローグの中盤から終わりにかけてがすごく好きです。 そしてスキップの瞬間。 なにか女の子特有の輝きと、これから物語が始まるワクワクドキドキ感。 すごく良かったです。 しかし、その後の分厚い中身はかなり渋い内容に。 個人的には嫌いではないが、若々しさはなく、おばさん向けの内容に思われる。 | ||||
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突き放している書き方をしてると思います。だめなもんはだめなんだ、こうだったらこうなんだ、というような。そこがスッキリとしてて、いいんですよね。たしか北村薫さんは、元教師でしたよね。さすがに、教師や学校の描写は群を抜いて精密で、すばらしいです。テーマが作品全体に溶け込んでいて、小説が意味を成している。「盤上の敵」のような完璧に計算されつくしたプロットでない分、想像の余地がたくさん残されている。 | ||||
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3部作の中で一番残酷な内容です。なんともやるせない気持ちが残ります。誰しも「人生をもう一度やりなおしたい」と思うことはあると思いますが、この作品はその全く逆といえます。印象に深く残り、考えさせられるすばらしい作品です。 | ||||
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うたた寝から目覚めたら、そこは25年後の世界だった。 さっきまで学生だったのに、教師として1学年上の授業をすることになった真理子。 部活の顧問、学生指導、テスト作成・・・・戸惑いの連発。 17歳の心を最大限に成長させて、42歳の自分を演じきらなければならない辛さ。 日常的な出来事なのにハラハラドキドキの連続で一気に物語にすい込まれます。 成長したり、朽ちていくものがある生身の人間ですが、 何年経っても変わらない“心の核”があるのだと気付かされます。 | ||||
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に読みました。この文庫本は1999年に出て、当時私も高校生だったので一気に話に引き込まれました。後で母も読みましたが、真理子さんと世代が近かったので母も楽しめたようです。だから親子で読める本だと思います。同世代の方に是非読んで欲しい本です。 | ||||
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主人公と同様に高校生の娘を持つ年齢として読んでみて、主人公とは逆に17才の高校時代にスリップしてしまいました。毎日を大人として生きなければいけない自分ですが、心の奥隅にはあの頃の自分がまだこんなにも元気にいたのだということを発見できました。大人と高校生の2つの立場で感情移入し、2倍ポロポロ泣けた作品です。 | ||||
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