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- タイムトラベル (143)
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通勤電車の中で読むのに買いましたが、普通の作品です。キャパの小さい人には丁度良いかも知れません。 | ||||
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通勤電車の中で読むのに買いましたが、普通の作品です。キャパの小さい人には丁度良いかも知れません。 | ||||
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タイムスリップの話は好きです。 タイムスリップものは、スリップの理由とスリップ先の出来事が車の両輪となります。 スリップの理由は、タイムマシンのように計画的なものと、たまたま時空の裂け目に落ち込んだような偶発的なものに大別できます。 スリップ先での出来事は、歴史上の有名人物と出会って影響を与えるものか、市井の人物や風俗の活写に重きを置くものかに大別できます。 この作品は、理由部分では計画型を取っていますが、実質的には偶然型で、少し無理がありすぎたかなという感じでした。 出来事としては市井型で、よく書けていますが、昔のニューヨークにどれほどの興味を持てるかによって、読後感は大きく異なってきます。 私は、このキモの部分にあまり関心を抱けませんでした。 我が国の作品で言うなら、マイナス・ゼロより大江戸神仙伝に近く、この作品より大江戸神仙伝のほうがおもしろかったという感想です。 | ||||
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S・キングの最新作「11/22/63」が本書へのオマージュであることから、再々読してみた。 以前に読んだ時は、フィニイという作家はとことんノスタルジックな作家だと、そして、ほとんど現代を憎んでいる作家だと思っていたのだが、 大きな読み違いをしていたことに愕然とするとともに、改めてファンとなった。 上巻は、他のレビューにもあるように、1882年冬のNYの、人々の服装、馬車の描写がエンエンと続き、もどかしさと苛立ちを感じてしまう。フィニイ本人が「私の正確さへの努力は執念に近いものとなった」と述べているが(訳者あとがき)、読者も忍耐を強いられる。 そして、下巻に入り、急展開となり、ともすれば忘れられがちな布石が息を吹き返し、一挙に謎解きとなる。 全ての謎の発端であり、サイを過去への旅へ駆り立てる青い封筒の持ち主であるケイト。サイが19世紀に生きるジュリアにあっさりと(?)心奪われ、ケイトとの関係が「お互いにさっぱりした気分」となってしまうところ。さらに、逃避行の末、ジュリアを現代に連れてくるところは、ご都合主義ともいえるだろう。 ケイトは短時間とはいえ、一度はタイムトラベルに同行しているのだから尚更だ。 いっぽう、ジュリアがテレビや冷蔵庫に仰天するシーンも、はたして必要なのだろうか?と思ってしまう。 以上の疑問、読みづらさはあるものの、最後の数頁で共感とほろ苦さが胸を満たすこと、請け合いである。 最初に書いたように、「11/22/63」の後に再読した今回は、共感よりもほろ苦さのほうが、いや、はっきりとした「苦さ」が残った。 なぜなら、サイのタイムトラベルの成功に勢いづいた「プロジェクト」が次に企てたのはアメリカに利する歴史の改変、具体的には、キューバをアメリカに隷属させることだからだ。 それに対し、サイは叫ぶ:「ぼくはキューバのことで議論するつもりはない。(ケネディ暗殺の)真相がどうであれ、ぼくはただ、どんな人間にも、過去を変えて現在を作り替えるなどという神のような知恵はないと思うんだ。(略)今日までの成り行きを見てみるがいい」 「ぼくにわかるもんか!誰にだってわからないさ。ただしかし、ぼくにわかっているのは、どんなに重大な決定でも、皆と同じように何もわかってはいない人間によって行われているということだ。(略)しかも彼らは残りの99.9%を占めるわれわれの同意を求める必要さえないんだ」 本書は1970年刊だが、フィニイは執筆に8年間をかけており、執筆中にケネディ暗殺、ベトナム戦争、マーチン・ルサー・キング暗殺が起こっている。 勿論、サイの叫びは米国のみに向けられたものではなく、環境汚染の問題、世界的規模の異常気象などを考えあわせれば、畢竟、読後は苦い。 「花はどこへ行ったの」、「風に吹かれて」が否応なしに耳にこだまする。 キングがオマージュとしたのもむべなるかな。 フィニイは決して、単なる卓越したファンタジー作家でもなければ、ノスタルジックな作家でもない。 歴史の有り様と世界の行く末を見据え、「もう間に合わない」とつぶやきつつ、それでもなお、市井の人々の生きる喜びを筆の先から紡ぎ続けた作家なのである。 | ||||
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世に知られた名作タイムスリップ小説だが、覚悟して読んでもらいたいのは、時間旅行の準備が周到すぎるかに見えるほど、タイムスリップするまでの導入部が長い(上巻のほとんどが、その準備に費やされる)。 読みやすく展開が早い現代の日本の小説になれた読者には、辛抱がきかない人がいるかもしれない。 だが、それぞれの人物造形は見事で、過去の世界観も実にリアルだ。 タイムスリップから先の下巻は、一気に読めた。 推理小説の一面もあるが、その謎より、愛の物語としての切なさが胸に迫った。 | ||||
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