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愚行録
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愚行録の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.60pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全104件 61~80 4/6ページ
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【内容(ネタバレ禁止!)】 普通の人たちが重ねてしまう、自己顕示、手前勝手、勘定高さという愚行、さらに他人のゴシップを楽しみ、尾ひれまで付け、相手を貶めてしまうという愚行。そういった他愛のない愚行が、取り返しのつかない結果を生んでしまう、という恐ろしすぎる話…。 【ささった言葉】 ・愚か、という言葉に注意したい。善悪ではなく、是非でもなく、ただ愚かなのだ。悪なら断罪できる。非なら糾弾できる。しかし愚かであるということは…ただただ哀しい、と感じるのは私だけだろうか。(大矢博子によるあとがき) 【教訓】 取材形式で噂話の羅列であり、そのため一つ一つの事件に対し、ゴシップ趣味、言い訳、悪解釈が続々と…したがってろくな奴が出てこない…胸かきむしられ人間不審になりそうな作品で、若い人にはオススメできない。実際の人間は、この本に出てくるような、自分の得になることなら何でもやる、という奴らばかりではない、と声にして言いたい!…ストレス解消のはずが、かえってたまってしまう、という悪夢のような作品。だが、バラバラな情報が次第につながっていき、張り巡らされた伏線が最後に驚愕の事実につながる、というミステリー形式で、始めから終わりまでダレずに一気に読ませる筆力はすごい。湊かなえの『告白』、京極夏彦の『死ねばいいのに』を思わせる作品。 | ||||
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とてもおもしろかったので、貫井作品を購入しました。これは、かの「悪女について」を彷彿させるような展開で最後までおもしろかった! | ||||
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貫井さんの作品は、『崩れる』→『乱反射』→『慟哭』と読んで 未だに外れがない。ということで、今回は本作品を。 インタビュー的な感じで、どうなっていくのだろうと。 それにしても、この人は、本当に読ませる!! ストーリーの起伏は薄いのに、飽きずに読ませるのは本当にすごいな、と感心しています。 一番興味深く読んだのは、慶大内での内部生と外部生の話だったけど まさかそれがね……。w ああ、そう繋がっていくんだね、と途中でなんとなくわかってしまったけど それでも面白かったし、不気味な感じがありました。 評価は3.6位ですが、4にしておきました。ww | ||||
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『微笑む人』を読んだと話したらじゃあこれもぜひと薦められて読んだ本。なるほど……たしかに周囲の人々の証言で人間の愚かさや弱さやずるさが炙り出されていく様はさすが貫井さん、という感じ。でもエピソードの巧妙さでは『微笑む人』の方が上かな。この本を読んで、ああだから『微笑む人』のラストはああしたのかとちょっと納得したり。 | ||||
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ダラダラと被害者夫婦のことが語られ、実はあの人が犯人でしたといった感じでエンド 特にトリックがあるとかいうわけでもないので、自分のように合わなかった人間には 低い評価がつけられる作品だろう 犯人の動機がしょうもなさすぎるから愚行録なのだろうが、それだけのネタで300ページ 近い作品を読まされるのは勘弁である | ||||
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テレビで事故や事件に関する目撃者証言を視聴していると不快感を覚えることがあります。目撃者が神妙な表皮の下に何処か嬉しそうな表情を見せたり、冷静な声を取り繕いながらも何処か誇らしげな口調になったりするのが嫌なのですが、証言には客観的な事実などなく、分厚い色眼鏡を通してたっぷりに脚色された気持ち悪さばかりが目立つものも少なくないように思います。「人の知らないことを知っている自分を自慢したい。」「誰か他人について表現する際に、自分との比較を通して、他人を下に、自分を上に位置づけようとする。」そこまで酷くなくとも「他人のことを褒め、その上でその他人が自分を認めている、或いは自分に好意を持っていることを仄めかし、自分の位置づけを上げようとする。」 この小説の構成は、一家惨殺事件の被害者である田向夫妻の人となりを、複数の証言者が立体物の死角を無くして行く様に、徐々に明らかにして行くものです。これらの証言は、婦人の大学時代の友人からであったり、夫の会社の同僚からであったりするのですが、その証言がどれもが冒頭に似た不快感を感じさせます。 人間の自己承認願望は、私も含めて誰もが持ち合わせているものだと思いますが、本題にそれたところで(この場合被害者についての客観的事実の伝達が求められるシチュエーションにおいてでさえ)、自己主張しようとしている証言者の愚行を見るのが気持ち悪いのではないでしょうか。 地味ですが重みのあるなかなかに不愉快な読後感のある良作でした。 | ||||
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桐野夏生の「グロテスク」と同じ印象を受ける作品。 グロテスクは、Q女子高・Q大学(つまり、慶応)の人間関係。 もう一つ、グロテスクとの共通点(かな?)は、愚考録は、世田谷一家殺害事件をモデルにしていて、 グロテスクは、東電OL殺人事件という、実際にあった殺人事件をモデルにしてるってことかな。 (グロテスクの方が、かなり深く書き込んであるな、という印象ではありますが) 両作品とも、暗くて読後感は良くありませんが、私はけっこうこの手の本が好きです。 作者の文体も好きです。読みやすい。 私は、日本よりずっとずっとずーーーっと階級意識が高いイギリスにいたことがあるのですが、 それと比較したら、愚考録、グロテスクの階級意識なんて、「つまらない」ものだと思いますよ。 でもそれにこだわっちゃう人って、たくさんいるんですよね。 | ||||
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一家殺人事件が発生し、加害者、被害者、その周りの人々の「愚考」が描かれています。 半分くらいは、事件のルポとしてインタビュー形式で描かれているのですが、 ルポというよりは、「他人の悪口&噂話」です。 人の身勝手さや、プライドの高さなど現実的な「悪口&噂話」が面白い様な恥ずかしい様な。。。 | ||||
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幸せそうに見えた家族だったのに・・・ 一家四人惨殺という恐ろしい事件が起こった!彼らはいったいなぜ殺されなければならなかったのか? そして犯人は?さまざまな人たちの証言から浮かび上がってきた被害者の別の顔とは・・・? いろいろな角度からのさまざまな証言が、被害者の人間像を立体的に作り上げていく。次々に意外な 面が明らかになる。本人にとっては何気ない行動や言動でも、受け取る側にしてみれば悪意を含んだ ように感じることだってあるのだ。「理想的な家族」というイメージが、次第に崩壊していく。知らない ところで憎悪が生まれ、それが最悪の事態を引き起こしていく・・・。また、証言する側の感情にも 複雑な思いが渦巻いている。冷静に証言しているつもりでも、不満や嫉妬など悪の感情が見え隠れ している。人間のいやな面・・・負の面が、作者によって読み手に容赦なく突きつけられる。読んで いて思わず後ずさりしたくなるような場面もあった。「人間の本質はいったいどこにあるのか?」面白さ だけではなく、重い問題も含んだ作品だと思う。 | ||||
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ある一家が惨殺された。 犯人はだれなのか・・・? 『告白』のような独白形式で展開されていく物語。 個々の独白がどのようにつながっていくのかが面白いところ。 コイツは怪しい。コイツは嘘を言っているんじゃ? と疑りながら、まんまと騙されてしまう。 次々と登場してくるキャラクター、 語られるエピソードに計算のうまさを感じる。 個々の人間から語られる夫婦の人間像、 そして登場人物それぞれの「愚行」の数々。 読み終わって本を閉じたとき、 タイトルを見て思わず「うむ・・・」とうなってしまう。 しかしこれら愚行を引き起こした感情は、 人間だれしもが抱き得る感情である。 それが余計に恐ろしい。 | ||||
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愚かな行為は醜いものだ。嫉妬、怠惰、傲慢、色欲──といった人間のもつ愚かさを如実に表している。一人の人間に対しての印象は、十人十色。だからこそ、違う一面の愚かさを知り得る。好意を抱く者がいれば、悪意を滲ます者もいる。それらが徐々に私たち読者を蝕み、不快感をもらたす。ちりばめられた全ての愚行が綺麗にまとまったとき、一気に爽快感へと豹変する。この最悪の読後感が堪らない。なるたるものか。「慟哭」とは一風違った衝撃に包まれるだろう。この本は、何度も読んでみる価値があるかもしれない。 | ||||
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人間のおろかさ、と、人間の心の汚さ、とをひたすらに描いたミステリ風小説。 まず、すごいタイトルである。著者はあの『慟哭』を書いた貫井であるので、仕掛けがすごそうなことは想像がつく。 ある凄惨な事件に対するインタビュー録の形で話は進む。読み進めると、どうやらこの事件自体が「愚行」というわけでは無いらしいのである。インタビューは様々な語り手たちの言い分をくまなく拾い上げていき、事件の被害者たちの人物像がだんだん明らかになっていき・・・、といったあたりで、ええぇーっという事件が何気なく示され、続けて明らかにされていく恐ろしい現実。そして、タイトル通り、まさに愚かさから引き起こされる、あまりにも物悲しいやり切れない結末。 で・・・なんともひどい話である。 そもそも無知であることは、罪なのか? 頭が良くても、愚かな者は幸せにはなれないのか? ・・・などなど、重たいテーマを読者に突きつけたまま物語は終了するのだ。 本作は、いわゆるミステリでは、決して無い。所々挿入されるモノローグに関わる謎とか、最後のどんでん返しとか、ミステリ的な要素はあちこち書き込まれているものの、この作品の主体がそこにないのは明らかであろう。 貫井の他作品を読んで、おぉ、と感じたことがあるなら、本作も読むべし。 # ところで、作中、東京のK大とかW大がかなりやり玉に挙げられていますが、ちょっとここまでこき下ろしますかねー、という感じ(笑)。 # 貫井自身が実はその辺りの卒業で、自虐的に書いているのかなーとも推測したり・・・。 # 関係者じゃないと、さすがにここまで書けないよなぁ。謎です。 | ||||
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周りから見れば、幸せを絵に描いたような一家4人が 惨殺されるという、センセーショナルな事件を ルポライターがインタビューという形式を取り 惨殺された、夫や妻について語って行く。 ワイドショーが飛びつきそうな事件を、淡々と物語って行く様は こちらもワイドショーを見ているような錯覚を覚える。 一人の人間の良し悪しが、個人の捕らえ方でこうも違っているのは とても怖い。 人事では無いな…と思いつつ読ませられる。 人によってはその行為が「無邪気」であり、又は「悪意」に見える。 「デキる人」とも、反対に「頼りない」とも。 このとらえ方は、本当に人それぞれであると、妙に納得する。 個人のフィルターによって、同じ人物が別人のようになる。 インタビューの合間に、一人の女性のモノローグが挿入されていて コレが、一体何に繋がるのかが気になりながら読む進める。 最後に解き明かされる、この女性のモノローグは それになりに面白かった。 しかし、読み進む内に「違和感」が増幅してくる不思議な本だ。 それが最後の最後まで続き、モヤモヤが最後まで消えない。 この嫌な感じは、読んだ人にはわかるはず。 早稲田や慶応のOBや、内部者・外部者の話も デフォルメされているとはしても、それなりにリアルさを感じられた。 犯人が誰か…という観点で見ると、そこまで以外性はなくとも 作者の意図が別にあることを読者は理解できると思う。 まさにタイトルの「愚考録」 巧いなぁ…。 | ||||
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普通の小説でした。 一家4人が殺される事件の真相を、ルポライターのインタビュー形式で進んでいく小説です。 幸せな家族だと思われていた家族が、近所の人々、大学時代の友人等の証言によってその姿が暴かれていくという形です。 表題の愚行録とは、犯人の行動をさすのか、被害者の行動を指すのか、それとも、インタビューされる人の行動を指すのか。 何かについて評価を下すということは、評価されるそのものの評価というよりも、結局は自分にとってこうあってほしいという願望の現われに過ぎないのかもしれませんね。 | ||||
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都内で起きた幼い子ども二人を含む、一家惨殺事件。 殺された夫婦に関係の深かった人たちへのインタビューが ルポルタージュの形をとっており、その合間に女性の独白が 入っています。 本を読み進めていくうちに事件そのものよりも インタビューされる側の人たちの話しに 惹きこまれていきました。 それぞれの人が様々な立場から被害者夫婦を語っており、 それが実に面白い。 本作で共通しているのは話しの中に、ステータス、 現在の競争社会の中でのランク、地位とかいったものが すごくよく出てくること。 そして出てくる人たちはステータスとか地位とかいった ものを価値の最上位に位置づけている。 実際もそういう価値観が多数を占めていると思うのだが 読み手がどの程度その価値観を重視しているかによって 本作への共感度や評価、あるいは読後感の悪さの度合いに 関係しているのではないかと思う。 爽快感はないが自分を見つめなおす機会を与えてくれる 面白い本であった。 | ||||
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物語は「幼児虐待事件の記事」から始まります。 しかし、この作品はあくまで、一家惨殺事件の被害者夫婦の隣人・友人に対するインタビューが主軸です。 最終的には事件の全容・登場人物の人間関係などを把握することができます。 しかし本作の真骨頂はそこではなく、登場人物の人間性だと言えるでしょう。 本作は証言者たちによって田向夫妻の人間性を掘り下げる、というものではありません。むしろ、読めば読むほど「良い性格ではなさそうだけど、今いちはっきりしない」という風に感じました。 田向夫人に対して、ある人は「感じのいい人」と言い、ある人は「無邪気」だと言い、ある人は「ひどい人」だと言います。むろん、証言者たちの主観が入るので、当然ではあります。しかし、そこに私は証言者たちの自己主張をかなり強く感じました。彼らはあまりに事実を自分の都合が良い方に解釈しすぎているのではないか。まるで自分のコンプレックスをごまかすように。田向夫妻を評価する側の彼らは、自己を正当化させたいがために熱弁するのです。 この作品はただ話すだけの証言者たちを使って、非常にリアルな人間を描いているように感じます。田向夫妻という存在によって、彼らの見栄やプライドやコンプレックスがちらちら見え隠れしている。しかし、これは私達が普段の生活で少なからず感じていることではないでしょうか。人間は自分より下の人間がいることで安心し、優れたものには羨望または嫉妬してしまう。 ここまでリアルな人間性を描いた貫井さん…恐るべし… | ||||
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平和な一家四人が何者かに惨殺される事件が起き、 その夫婦の現在から過去に至る知人たちの語りで徐々に 彼らの肖像が明らかにされてゆくという構成。 宮部みゆきさんの「理由」、雰囲気は東野圭吾の「悪意」とも似ている。 同じ人物でも、見る人によって印象は様々。 色々な関係者の語りの中で描き出される殺された夫婦の姿が、 時には「素晴らしい」人であったり、「優しい人」であったり、 また時には「酷い人」であったり様々で、 どれにもとてもリアリティーがあって引き込まれていった。 人間の本性とでも言うべき強欲さやずる賢さが露になっても、 接する相手の立場や心理状態によってはそれが全く別のものに変化する。 目に見えないからこそ、感じたことが全てになってしまう。 彼女に憧れる女性、彼女に嫉妬する女性、彼女に恋心を抱く男性、 それぞれが創り出す彼女の姿は違っていても、どれも真実。 その複雑な構図を客観的に見ることが出来て、 人の心も、その姿も、何が本当で何が嘘かなんて誰にも分からない、 そういう怖さをしみじみと感じさせられた。 そして救いようのない"もうひとつの物語"も同様、 最後に読者の心にズシっと重たいものを残して終わり、 読後感はいい意味で「最悪」だ。 ミステリーとしての驚きや衝撃は無いが、 ただ人の心理を描いただけなのにものすごく強烈なインパクトがあり、 もっと知りたい、もっと読みたい、という気持ちにさせられた。 こういう作品は好きだ。やはり貫井さんはうまい。 シンプルな構成でここまで「読ませる」、その筆力もまたお見事だと思う。 | ||||
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こういうミステリもあるか、という1冊。 庶民のほんのちょっとした悪が積み重なるとこんなに大きな悪になってしまうという内容です。しょっぱなから「-44」章立てで始まるので、「0」で何が起きるか想定済み、そこまで予定調和でいながら読ませる筆力はさすが。偶然の産物のように書かれているが、加害者側の行為はどれもいつ自分が犯しても不思議ではないレベル(といっても私は犯さないですよ、たぶん)で、身近でいつ起きても、既に起きていてもおかしくない、目の前にある危機。被害者にも加害者にもなりうる。難しい題材・テーマだが、考えさせられる1冊だった。 貫井徳郎氏は、やっぱり思いこませ系の第一人者である、というのが本作を読んだ私の感想です。 序盤から中盤までですっかりと思いこまされてそのまま結末に至って愕然というのが、彼の狙いだと思いますが、頭から思いこませ系だと思って読んでいるので、ところどころにうまく散りばめられた真実が光って見えてしまい、残念ながら思いこまされずに読了しました。 とはいえ、トリックが弱いとかではなく、精巧なプロットは上出来です。私のように穿った見方をしなければ素直に楽しめる作品かと。読後感は決して良くはないですけど・・・。 | ||||
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一家惨殺事件が起こり、近所の人や過去の友人らがインタビュー形式でその家族の人を語っていく。 本の一頁目に、母親が子供を育児放棄して死なせた事件の新聞記事があり、それと一家惨殺事件とどういうつながりがあるのだろうと思いながら最後まで一気に読んだ。 まさに「愚行録」。 たった一つの事象、たった一人の人間を表すのに、語り手の感情がどう加わるかで良くも悪くも成り得る。物事は多面的であり、決して絶対的ではない。この「愚行録」という意味は、両親に虐待されながら生きてきた兄妹、人に語られることで人物像が見えてくる田向夫婦だけでなく、田向夫婦について語る人々全てを「愚行」と言っているのだろう。読みながら、「この人バカだなあ」って何人の人を思っただろう。でも人間みんな愚かな生きもの。自分もその愚かな一人です。 | ||||
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読みながら・読み終わってからいろんな感情が渦巻いたのですが、 書評家大矢博子氏の解説で全て書かれてしまっていました。 本筋からはずれますが、こんなに深く共感した解説は初めてですw 特に「しかし愚かであるというのは・・・・・・ただただ哀しい」という部分は、 正しく我意を得たり!でした。 ネタバレはないので、本屋で解説だけでも立ち読みしてみてください。 そのまま本書を手にしてレジに直行すること請け合いです。 登場人物たちの口調の細かい部分に個性がなく、その点でのっぺりした印象を持って しまったのが残念でした。(もちろん、彼らの人間性は充分以上に描かれていますが) それと、過去のレビューにもありましたが、オチが少々弱く意外性に乏しかった気がします。 その辺で★−1としました。 少々ケチをつけましたが、総合的には断然面白かったです。 貫井徳郎の作品は今回が初めてだったのですが、しばらく追いかけてみようかと思います。 (早速「慟哭」を買い求めて読んでます) | ||||
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