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アフターダーク
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アフターダークの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.47pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全470件 121~140 7/24ページ
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あの読んだ後、心にジワーッと広がる春樹ワールドなるものを期待して読んで見たが、これまでのものとはまったく違う印象を受けた。時間を追いって様々な視点からものごとが進んで行く書き方には変わりはないが、最終的にそれぞれの謎がクリアになることはなかった。これは己の解釈で合点してくれということなのだろうか?難しい。 | ||||
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私は多くを期待せずにこの作品を手にした。 きっと初期の作品を凌駕するほどの意外感や 共感は得られないだろうと無意識のうちに 決めつけていたからだと思う。 読み進めても登場人物や設定に共感する ところが少なく、所々流し読みしてしまった。 読み終えた後ももう一度最初から読み直して みようかという気は起きなかった。 真夜中に焦点を当てた設定は悪くないと思ったが、 率直に言ってしまうと新鮮さがない。 私が本レビューで言いたいことは、 氏の作品に興味を抱いてこの作品を手に取った方が、 こんなものかと興味を失ってしまったとしたら あまりにもったいない、ということだ。 | ||||
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村上春樹氏の現代社会に対する疑念・思想をふんだんに盛り込んだ秀作。読み込めば、我々がどうやってこの社会に対処していくべきかの氏の意見も見えてくるだろう。 法律・IT経済・TVメディアなどの合理性を追求したが故の根本的な欠陥が、暗闇となって陽のあたる時間帯すら凌駕しようとしている。 幼い少女をも広告塔として飲み込むメディア業界によって、四六時中、心に闇を持つようになってしまったエリは、闇を前にもはや眠ることしかできない。 異常なコンピュータ業界の労働によって自我を失いつつある白川は、彼自身が闇社会に対して一線を超えてしまったことすら認識できていない。 かつてはコオロギの例のように、借金逃亡などの明確であった闇社会が、バイクの男が通り過ぎるようにすぐ傍まで来ていることに、我々は気が付かなくてはならない。 闇に対処できるのは、アルファヴィルで行われる単なる交わりではなく、エリ・マリが暗闇のエレベーターで抱擁したような、心の通った行為だけなのではないか。 現代社会の問題に対して、我々が現実的できることは非常に少ないが、構造の原理を見渡し心持ちを正すことはできると思う。自分もこれを機会に山の頂まで登るかどうかを改めて考えてみたい。 本作品はストーリの結論を求めないことで、敢えて「売れる要素」を排除しているように感じます。一般受けしないことは、氏や編集の人もわかっての事でしょう。 本に結論(ストーリー性)・娯楽のみを求める人にはオススメしませんが、元々、現代社会の構造に多少の疑問を感じるような方で、これを機会に見つめなおしたいという方には間違いなくオススメです。 | ||||
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読むこちら側の問題でもあるのでしょうが、氏の作品が昔に比べて「しなやかさ」のようなものを失ってしまっているような気がしてなりません。もちろん、これは仮に「失って」という語を用いただけで、きっとなにかを得た結果の変化だとは思います。意匠やテクスト性に富んだ分、「読み物」としての軽やかさや節操の無さが削ぎ落とされたのでしょうか。かつて氏の書くものを求めていた自分がいたことの証しでもあるとは思うのですが、新しい若い読者はこういった作品を、かつての自分のように読むのでしょうか、あるいはそういった意味では現役を退いている大江健三郎のような作家に氏が既になっているのでしょうか。 | ||||
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主人公はエリとマリ。対照的な二人の姉妹が二つの物語を紡ぎだしてゆく。 主人公が「アルファヴィル」と言う映画に言及した部分からは、現代社会に対する警告や風刺が読み取れる。「アルファヴィル」の世界では、人は深い感情を持ってはいけないらしい。そこでは、おそらく人々は深く感動することも、大笑いすることも、泣くことも許されず、ただ淡々と毎日のルーティンワークをこなしていくのだろう。これは、現代社会にも当てはまるのではないだろうか。人々は、忙しさにかまけて、深い感情を持つことができなくなってしまっているとも考えられる。そういう意味で、「アルファヴィル」の記述は、非常に印象的である。 エリが眠っているうちにテレビの中の世界に行ってしまう場面も心に残る。エリは美人で、雑誌のモデルなどもしていたという。それがある夜、テレビの向こう側の世界に行ってしまう。夜…誰にでもそれはやって来る。だが、時に暗く、深い落とし穴のようなものがそこには存在する。どんな品行方正で真面目な人間であろうと、そこに落ちてしまう可能性はある。それはたとえば刑務所であったり、犯罪者の世界、あるいはテレビの向こうの芸能界であるかもしれない。この作品を読む限りでは、著者はテレビに出たり、モデルをすることを良いイメージとしてとらえてはいないようだ。一度そこに深く足を踏み入れてしまうと、二度と戻ることはできない。その中で暗い人生を送るしかないのだろう。村上は、それをエリがテレビの向こう側に引き込まれてしまうと言う描写で表したかったのだと思われる。しかし、エリはまた元の世界に帰ってくることができた。それは、彼女がまだ芸能界(あるいは、向こう側の世界)にそんなに深く入り込んでいなかったからだと考えられる。難解な作品ではあるが、読みごたえもあると思う。 | ||||
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なにかをうまくやることと、何かを本当にクリエイトすることのあいだには、大きな違いがあるんだ。 僕らの人生は、明るいか暗いかだけで単純にわけられているんじゃないんだ。 そのあいだには陰影という中間地帯がある。その陰影の段階を認識し、理解するのが、 健全な知性だ。そして、健全な知性を獲得するには、それなりの時間と労力が必要とされる。 なるほどなあ〜〜と思った作中の文章であります。 | ||||
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初めて村上春樹の小説を読んだのですが・・・ 終わり方が物凄い中途半端なんですが。 それとも余韻を楽しむものなのかなあ。 僕にはよく分かりませんでした。 | ||||
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人は作品に自分の価値観を投影する。自分が正しいと思った論理でも一面を照らしているに過ぎない。ゆえに、人によってはステレオ化された社会を描いている様にしか見えないのだろう。(それは自分がその価値観に縛られているからなのだが) 私は、この作品に現代社会を見出した。(といっても、10年前と通じている部分はあるのだが) マックスウェーバーの近代の合理化社会を切り口にして読み解いてみると面白い。「合法的支配支配がもつ平等主義の原理および規律のに基づく効率性は、逆らいがたい力として全ての文化諸系類型を圧倒してゆく。この合法的支配に触れた諸文化社会は、さまざまに抵抗を試みながらも、この普遍的な合理化の軌道にひきこまれていく。」 私達は合理化社会の前では一切の感情にとらわれず、人格は存在しない。 そして、現在の国際化の中では、法が大切となり、いよいよ私達を捕らえようとしている。 そう考えると、かれが弁護士を目指した理由は何だったのか!?あのサラリーマンは常に何を考えているのか!?最後、家に視点を移したときの描写が意味するところは何なのか! ほかにも切り口がある。 私は村上春樹が綿密に計算し、描き出した現代の警句と受け止めた。 | ||||
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初の村上春樹でしたが読後の気持ち「何これ?」スッキリしなかったです。 想像の余地を残す作品言い方を変えれば「意味の無いものが好き」が好きな読者は気に入るかもしれない。 | ||||
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「ダンス・ダンス・ダンス」以降、システムに逆らう生き方と村上春樹は袂をわかったように信じていた。これを初版で読んだときにも、その頃は何だかあまりぴんと来なかった。今はあざといくらいにそれが強調されていることがわかる。「この人生は僕の人生だったのかもしれない」ということを。 高橋が言う「二つの世界を隔てる壁なんてものは、実際には存在しないのかもしれない (単行本P.137)」 コオロギが言う「私らの立っている地面いうのはね、しっかりしてるように見えて、ちょっと何かがあったら、すとーんと下まで抜けてしまうもんやねん (単行本P.227)」。 システムは「タコのようなもの」と露骨に形容され、「どこまで逃げても逃げられない」というメッセージが届き続ける。コオロギの信じる「輪廻」とは違う形かもしれないが、僕らは互いにつながっている。右手が裁きを下し、左手がそれを受けいれる。 | ||||
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マリを主人公としたリアルな世界と、眠っている姉の心の中の世界ではないかと思われた別世界が交互に描かれる。「世界の終わりと〜」などで描いている2つの世界が最後に交差する様をこの作品でも描きたかったのではないかと想像しました。 個人的にも2度この作品は読みましたが難解だと思う。文学ですので意味を求めてはいませんが、どこかスッキリとしないところがある作品だと思います。 | ||||
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村上文学の大きな特色は、二つの異なる世界を同時進行させながら、どこかにスポット的な同期ポイントがあり、最終的にその二つの世界が融合していく、というストーリー展開だと思います。 その特色はこの作品でも基本的には踏襲されていますが、その視点が異なっています。 この作品の世界観は、ジム・キャリー主演の映画で「トゥルーマンショー」というのがありましたが、これに近いのではないでしょうか。 とにかく読むのはスムーズですが、解釈は非常に難しい小説です。 | ||||
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よくストーリーがしりちょんぼで中途半端だとか 謎が残ったとか一部で酷評された作品ですけど 俺は村上春樹作品の中では一番好きですね。 高橋とマリというキャラクターが魅力的だし 現代が舞台だけあって他の古い作品に比べて 同世代に生きる人間として共感し易い。 あと謎っていうのは全て解き明かさないと 納得できなかったり怒る人がいますけど 俺はそうは思わない。 謎が残ったとしても色々、想像したり、解釈したりで それはそれで色んな楽しみ方があると思うんです。 それにハッピーエンド、大円団を迎えて終わるより 惜しまれるくらいの短さで終わるほうが ダラダラ続けるよりすっきりしてて 良い場合もあると思いますよ。少なくても この作品にはそれが当てはまると思う。 | ||||
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エリとマリ。 同じ屋根の下で生まれ育ちながら、一方は「白雪姫」、他方は「羊飼いの娘」。 「今から、眠るから」と言ったきり、 白く透き通る様な顔のまま、寝むり続けている「白雪姫」。 深夜のファミレスで、熱心に分厚い本を読んでいる最中、中国語が話せるからと言うだけでラブホテルに連れて行かれ、暴行を受けた中国人女性の介護をする「羊飼いの娘」。 「村上ワールド」は今でも色あせずに健在。 | ||||
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平易な文体、難解な世界、という点ではいつもと同じです。 直感で解る人は解るし、解らない人はどれだけ頭をひねってもほとんど理解できないという点も同じです。 だけど今回は決定的に異なることがあります。 いつも語り部は『僕』でしたが、『私たち』に変わりました。 もちろん不自然ではないけれど、村上文学を読み慣れてるつもりの僕でもかなり驚きました。 僕たち読者を何処かへ連れて行こうとした意図があったのでしょうか。 いずれにしても今後の展開が楽しみです。 それともうひとつ、あまりに素敵な言葉であったため引用させてもらいます。 『ゆっくり歩け、たくさん水を飲め』 僕も昨日から実践(しようと)していますが、どちらも意外に難しいですよ。 | ||||
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ひさびさに村上春樹小説を読みましたが、 『こういう手できたかぁ!』って感じです! すっかり意表を衝かれてしまうこの手口こそが、 まさしく村上春樹独特の不可思議な魅力。 春樹ワールドそのものではないでしょうか。 スピリチュアル的というなら、たぶんとてもスピリチュアル的でもあるし。 語り手についての謎の部分を確かめたくて、読み終えてもなお、 わたしには謎が解けず、もう一度振り出しに戻って確かめてみたり。 深いです。重いです。 表紙に書かれているごとく、本書を足がかりに新たな小説世界へと 広がっていきそう。 その入り口へと案内されるにすぎないのでは? と思われてなりません。 いうならば、この作品は“序章”です。 こういうず〜んと沁み込んでくる作品を読んだ後は、 しばらく放心状態に近い思考に陥ります。 心(あるいは思考能力)だけ神隠しにでもあったように、 小説の世界に何度も何度も引き摺られてしまうのです。 すごいパワーなのですね。 読後の意見がはっきりと分かれる作品のようですが、 どのような評価を受けようと、村上春樹ファンならばなおさら、 読みたくなってしまうのではないかしら……。 かなり謎の多く残る作品には違いありません。 あなたなら、どう読み解きますか? | ||||
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むう。村上 春樹さんの実験的作品。 しばらくぶりに読んでみましたが、とっかかりが少ないです。私は春樹さんに好意的な方だと思いますが、この作品の目指す所がワカラナイ。 固有名詞の含有率を高くした事で、文章からの、あるいは文体(3人称多数というか、神の視点ですらなく、あえて名づけるなら「映画カメラ的」視点)からもヒロガリを狭めた、想像する遊びの部分が(今までの村上 春樹作品と比べて)極端に少なく、まるで春樹さんの後追いの作家さんが書いた小説の様です。 ストーリーとしても特に起伏が少なく感じました。残念。時間を空けての2度目の通読でも特に評価に変わりなし。残念。 | ||||
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『海辺のカフカ』とは反対に、 物語性を極限まで削ぎ落としてみたら、 やはり面白くはならなかったという感じ。 エリがこんこんと眠り続ける理由や、 画面の中の透明なマスクをつけた男の存在、 白川が中国人娼婦を殴るに至った過程など、 本書には思わせぶりな設定がいくつもあって、 これらについては結局、何の説明も与えられないままなのだが、 かといって、謎本を誘発するような面白さや惹き込まれる感じもなく、 ただ思いつきで中途半端に放り出されただけという印象が強い。 本書がダメな理由は、ほかにもいくつかある。 まず、高橋が初登場する場面で、 ファミレスのチキンが体に良くない理由をマリが説明すると、 高橋が、「わお!」「ジョージ・オーウェル風チキンサラダ」 などと反応するのだが(p.14)、 実際にこんな男がいたら、単なるバカである(笑)。 ほとんど初対面に近いのにこんな反応を見せる男とは、 一刻たりとも一緒に居たくないと思うのが普通だろうし、 何よりも、今までは音楽をやっていて、 これからは司法試験に向けて法律を勉強しようかという、 20歳そこそこの男の語彙や教養の中に、 「ジョージ・オーウェル」が平気な顔で入っていることの 不自然さに気づけない村上春樹は、 やはり脇が甘過ぎると言わざるを得ない。 また、コオロギがマリにする打ち明け話にしても、 宮部みゆきの『火車』の迫力には到底及ばないのだが、 これはおそらく、彼女が逃げている理由が曖昧なままぼかされていて、 結局は作者もよく考え抜いてはいないらしい、 という印象を与えてしまうせいだろう。 同様に、この街が具体的にはどこなのかをはっきり書いたほうが、 (渋谷のようではあるが、とくにどことは書かれていない) 少しは話に深みが出たのではないかという気がする。 | ||||
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わけのわからないところが多いけど、なんかいいんです。 19歳の女の子が夜の街で出会う個性的な人々。 いつもと違う出来事。 そこからの成長。 19歳の頃にもがいていた自分を思い出しました。 | ||||
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評価はあまりよくないと聞いたが、一応読んでみた。 実際読んでみてはじめから(村上春樹っぽくない文体だな〜)と思った。 読み終わると何一つ解決していないことに物足りなさを感じた。 しかし、もうすこしじっくり読んでみると何か得られるものがあるのかもしれないのかなあ。と思ったりもした。 また、視点をかえて読んでみたいと思う。 | ||||
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