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アフターダーク
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アフターダークの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.47pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全113件 1~20 1/6ページ
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でも、魂を震わせるような、涙がでてくるような感動はありませんが。 | ||||
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堤幸彦が映像化するとハマりそうな世界観。 | ||||
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ちょっと短く感じる作品です、続編があってもいいかも | ||||
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まるでかつてNHKで放送していた「ドキュメントにっぽん」の村上版といった感じ。あの男性アナウンサー(多分わかると思うが)の声で「私たちは~」が脳内再生されていた。例によって何とな~く実験的に仕上げた小説なんだろう。あんまり深く考えずに、さっと流し読みした(細かい描写の部分より、会話の内容のほうが意味があると思う) | ||||
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視点を変えて、因果関係のある登場人物を個別に描写した一晩のスケッチ。 唐突な出会い、何気ない話題に織り込むマニアックな知識やエピソード、風変わりな比喩、それらを駆使した饒舌な発言、それに呼応してくれる相手との会話・・・。 私が感じる「村上春樹の文法」が駆使された作品だと思う。ただ、人間関係と一緒に拡散したストーリー、各方面に枝を伸ばした結果、「それで?」という状態で消化不良になってしまう気がした。「まだ続きがあるだろう?」と思わずにはいられない。 | ||||
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妹マリは大学一年生、深夜に東京の繁華街のファ-ストフ-ド店で本を読んでいるのを姉エリの高校の同級生高橋が気づいて声をかける。それをきっかけに様々な事が介在して、マリは何人かの男女とこれまでの人生にない深いコミュニケ-ションを交わすことになる。ファ-ストフ-ド店で本を読んで徹夜するよりはドラマチックな一夜を過ごすこととなる。 エリの物語は、テレビ画面の世界に入り込んで戻って来るのはもちろん長い眠りも合理的解釈の対象にしてはならない。高橋とコオロギの推量を次のように解釈することにした。エリは与えられた役割を演じ続けることに倦むこと限界に達したため逃避的行動に出たと。 物語の語り手が「私たちの視線」になっているせいかもしれない。3態の「見ること」を思った。 1.良識:小説を読むとは物語を俯瞰的に見ることだから、マリの物語は、様々な縁が背景にあってそのことが起きるという当たり前なのだが通常忘れがちなことを教えてくれる。 2.教養:これは強調されているように思った。マリとの会話で語られる高橋の世界観・社会観。高橋は現実社会にしっかりとフォ-カスしつつ、ハワイの神話の長男のように世界を遠く見渡すことを捨てていない事が窺われる。 3.形而上学的あるいはオカルト的:これは強調されていない。優秀なIT専門家白川が何かを探究している行が唐突に登場するだけである。スピリチュアルフリ-クからすると残念なことに白川はマリのドラマを作る主要因となった暴行事件の加害者である。しかし強調していないことは、著者は探究を強く否定するスタンスでもないとも捉えられる。 | ||||
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深夜の都会には人生の罠が蔓延んでいる。事件性を持つものだってある。この物語の興味深い所は、その落とし穴にハマった人が主役ではない点だ。周りでは何かしらとてつもなくヤバイことが起きてるのに、またその罠が傍まで来てるのに、結果的に何も起こらない。まるで「日常を送る我々が、人生の落とし穴を偶然にも避けているだけに過ぎない。身の危険は、何時でも何処でも、大きく口を開けて待っている」と逆に言われてるかのようだ。 | ||||
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地の文が現在時制で統一され、読者の視点をカメラワークと見立てたような表現もあり、会話文に対しシナリオにおける台詞のように発話者名が冠されている箇所もあり、シナリオ風の小説と言える。レーゼシナリオに強い関心を抱いてきた私としては、このような作品が春樹のような(好き嫌いは別としても)超有名な作家によって書かれたことを嬉しく思ってしまう。ヒロインや法学生が活躍する俗世間のパートと姉等が出てくる静的なパートが交互に進行するのは「世界の終わりとハードボイルド〜」を思い出させるが、後者が表したい無意識界の描写は、その豊饒さにおいて「世界の終わり〜」に劣る。かといって、あっちが特に好きというわけじゃないんだけど。レーゼシナリオとシナリオライク・ノベルのボーダーラインと言えそうな作品。 | ||||
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ある一晩の夜が更けて、朝を迎えるまでの人間模様をどこか客観的な視点で場面を切り替えながら描いていく作品。 ストーリーは時間の経過と共に進んでいくが、 何がわかるわけでもなく、ある種淡々と進んでいく。 どこか皆孤独な登場人物達。 その孤独は、人に囲まれていようがそうでなかろうが、 誰しもが感じる孤独。 はたから見れば何も問題の無いように思える人も、 深夜の都会によって暗喩される心の闇の入り口は、すぐ近くにある。 誰しもがいつその闇に突然堕ちてしまうかはわからない。 そんな誰しもが孤独なこの世界で、 関わり合う距離感を計りながら皆生きている。 孤独な闇の世界でもがいて苦しんで、 それでもまた何食わぬ顔で朝がやってくるのが、 この世界への希望なのだと思う。 読後感は力が抜けて、 なんとなくすっとする。 少しずつ春の気配が漂ってくる2月の夜に読むのがお勧め。 | ||||
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読めば読むほどおもしろくて惹かれていったが、最後の所で気になる場面が描写されずに終わっていたのが少し残念だった。 ただ、色んな視点から描かれている物語としては純粋におもしろかったし、そこまで長くもなかったので読みやすかった。 | ||||
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仮面を被った人間がいる部屋で、美女がベッドで寝ている。その美女の周辺で様々な事件が起こる。― うーん。 作品のテーマは何であり、読者に何を伝えたいのか? 作者は意図的に、テーマを明確に定めなかったのか。それだと文章をただ書き連ねただけの小説となる。 「ノルウェイの森」と一緒で、伝わってくるものは何も無い。 ただその文章には、作者が持つ純文学特有の味わいがあり惰性で読んでしまう。 不思議と、無為に時間を過ごしたとは感じなかった。 | ||||
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何も収束させないで終わる。アフターダークもそういった類の作品。 読者としてはやり切れない。 村上春樹作品に対しては期待度もかなり高いので、放り投げられてしまうとどうして良いのか分からない。 理解できない自分に責任があるような気さえしてくる。 | ||||
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村上春樹の本はどう読んだらよいか、未だによくわからない。たった一晩の小さな出来事を、ファンタスティックに書いていく。そこには悪意も善意も織り交ぜて、解けきらない謎は人生そのもののよう。私たちは何度も目覚める。目覚めなくなるまで。そんな一夜の物語。 | ||||
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深夜零時を指し示すほんの少し前、都会にあるファミレスで熱心に本を読んでいる女性がいた。そんな彼女のもとに、ひとりの男性が近づいて声を掛ける。氏の実験的な作品という位置づけがなされているものであるのですが、この世界を受け入れるのには時間が掛かりそうです…。 「ねえ、僕らの人生は、明るいか暗いかだけで単純に分けられているわけじゃないんだ。そのあいだには陰影という中間地帯がある。その陰影の段階を認識し、理解するのが、健全な知性だ。そして健全な知性を獲得するには、それなりの時間と労力が必要とされる」 | ||||
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渋谷での夜(11:56PM)から朝(6:57AM)までの、ある少女と家で寝ているその姉を取り巻く物語。 この本は村上春樹のやや実験的な試みを読み取ることができる。 物語を語るのは、特定された誰でもない。 空から、空間から、壁から人々を見つめる、実体のない「視点」が物語る。 その視点の推移によって、読者は場面を同じように転換させる。 いつものように、はっきりとした結末はない。 彼の作品は今までだって明確な結末はなかった。 ファミレス、ラブホテル、売春、暴力、引きこもり、ドロップアウト、家庭。 こうして、この物語のキーワードを抜き出すと、現代の縮図が浮かび上がるようでもあり、見えにくかった物語のテーマも明らかになるような気がする。 実は今日だって、この物語と同じ様な事態が渋谷では展開していてもおかしくない。 いや、きっと似た様な状況が展開しているんだろう。 外見からは想像出来ないような暴力を働いたあとで、早朝にエリートらしき男はセブンイレブンで牛乳を手にする。 朝までバンドの練習をし続けた若者が、朝飯を仕入れるためにセブンイレブンで牛乳を手にする。 まったく異質なものが、とある一点で無意味に交わる。 二本に交錯した線は、その後も交わることはない。 都会には様々な線が入り乱れている。 そこ(渋谷)で朝まで過ごすことがあれば、まれにいろいろな線に交わることがある。 太い線、細い線、赤い線、グレーの線、歪んだ線。 深夜(アフターダーク)には、明るい光で見え難くなっている線が、それぞれ鈍い光を放ってうごめいている。 この本を読むとカーティス・フラーの「ファイブスポット・アフターダーク」を無性に聞きたくなる。 これが「ひしひしと」いいんだ。 | ||||
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実は1Q84があまりに話題になっているので、村上春樹を全く知らないことが少し恥ずかしくて、まずはこの本を読んでみました。もともと小説はあまり読まないので、これが村上春樹の世界なのかという特徴がわかりませんでした。感想としては、村上龍がハードなら、春樹はソフト。そんな印象を受けた。 | ||||
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プロの姿(技)を見ていると「簡単そうだな」と思ってしまうことがある。 野球やサッカー、スケートやゴルフなどのスポーツから、 楽器の演奏や、漫才などのお笑いまで。 しかし、それら全てを実際に行ってみると、 ほとんどのものが、驚くほどに出来ない。 頭の中のイメージとは全く異なり、できなさ加減に唖然とすることもある。 「アフターダーク」は、読みやすく、シンプルなストーリーだった。 そして、つい、思わず自分にも書けそうな、ある意味単調な話だなとも思った。 都市に暮らす人々、その中の出来事。それぞれの想い。 エリの深い眠りも、ただの夢の中のこと。 出会い、音楽、売春、暴力、夢、過去・・・。 どれも特別なものはない。 夜は徐々に深くなり、やがて朝を迎える。 人の数だけ物語があり、それがたまに交差する。 日常は、その繰り返しである。 しかし、小説においても、自分にもできそうという想いは、 見事に砕かれるのだろう。 | ||||
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『世界のハルキ』に大変失礼な感想を申し上げるのですが、私の読後感は、「村上春樹に憧れる作家志望の人が書いた小説みたいだな。」でした。 複数のシチュエーションをパラレルに進行させ、それらがだんだんとまとまりを持ち始めた時にある熱を帯びた塊のようなものが表面に現れてくる、私などは今までそこに氏の世界観を他の作品では感じたものでしたが、何と言いますか、本作品ではそれが極めてぼんやりとしか見えてこない気がしました。 ただそれは、新しい表現を目指そうとした村上氏の意図を私が読み取れないだけかもしれません。氏が何かのエッセイで語っていましたが、『読者の誤読の集積が作品を形作る』いう観点から見れば、こんな作品もあっていいとは思います。いずれにしても村上作品の中では異質だと思います。 林真理子氏は他の作家の作品解説で、『作家が自身について書く時は、自身の他の作品と異質でありながら本質をついている表現になる』と書いていました。もしかしたらこの作品で描いた世界が、村上春樹という『人間の』本質なのかもしれません。 | ||||
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この作品では、村上春樹はテレビ・カメラのような視点を地の文に導入し、読者と語り手の視線を統合しようとしている。例えば、以下の冒頭の一節のように。 「私たちは「デニーズ」の店内にいる。(中略)私たちは店内をひととおり見まわしたあとで、窓際の席に座った一人の女の子に目をとめる。どうして彼女なのだろう?なぜほかの誰かではないのだろう?その理由は分からない。しかしその女の子はなぜか私たちの視線をひきつける―とても自然に。」 語り手と読者の視線は本来全く別のものだ。だから、その溝を埋めようと思うと、勢い白々しく、また饒舌にならざるを得ない。その結果、テレビ・カメラのような透明な存在でなく、全く逆に、極めて不自然な「主体」に読者を強引に縛り付けなくてはならず、それが読み手の僕を窮屈にさせた。例えば、上の引用部では最後の「とても自然に」という部分に、作者の苦悩の後が透けてみえる。僕らの視線をデニーズにいる女の子に引っ張ることは、作家の「意図」であり、「自然」なことでも何でもないからだ。 また、この作品は、読者と語り手の境界の他にも、幽界(のようなもの)と現実、一般人の生活と犯罪の世界の間の、境界の薄さを行ったりきたりしようとしている。テレビの画面と内と外を使ったこの往復運動のアイデアは中々だったが、残念ながら、それ以外は陳腐なデキだった。(特に犯罪の描写。中国人の売春組織とかバイクに乗ったマフィアとか、わざとらしすぎませんかね。) カメラ・アイの導入にても、村上龍「海の向こうで戦争が始まる」やW.バロウズの方が鮮やかだった。アスリートのように一作一作、新しい試みをしようとする作者の姿勢は尊敬するけど、やっぱり三割バッターでも三振することはあるんだよね。相対評価では、これはそんな作品だと思う。 | ||||
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相変わらず読みやすい。読みやすくて分かりやすい文体だった。 比喩も凝っているとはいえ難解すぎることもない。 ただ、読みやすい割に作品を通して伝えたいことを読み取るのに苦労する。 村上春樹という作家を知らなければ、読みやすい文体に隠された本当に思考をめぐらせるべき部分に気づけるのかが疑問。 好きな人には堪らないといった感じだろうか? ただ、世の中の村上春樹好きの全てが本当に作品を理解できているのか?私の身の回りにもミーハーが多い気がする…… しかし、この人の作品の登場人物は、揃いも揃って考え方やら何やらが格好良すぎると思う。 | ||||
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