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アフターダーク
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アフターダークの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.47pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全470件 41~60 3/24ページ
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言葉多くて、内容が無い、結論が無い、感動が無い、考えるようなところが無い。 | ||||
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本作品は、題名こそ「アフターダーク=闇の後」となっていますが、実際に描かれるのは、東京のある一日のうち、深夜から朝までの約7時間の闇の時間帯です。 この深夜の時間帯に、マリと高橋という男女二人が再会し、心を通わせ始めます。 また、ラブホテルの一室で、コールガールの中国人女性が、客に殴打され、衣服を奪われるという事件が起きます。 この事件の犯人、白川という人物は、なぜそんな事件を起こしたのか分からず、大きな謎です。 そして、一番の謎といえば、マリの姉、エリでしょう。 彼女は、数ヶ月の間、ほとんど眠ったままなのです。 読者は、神の視点で、エリの部屋の様子を描写するというシーンが、物語の所々に挟み込まれているのに、不思議な印象を持つこととなるでしょう。 人間は、昼間活動し、悩みや苦しみを乗り越えて生活していきます。 それに対して、本作品で描かれる闇の時間帯に、人間は眠り、休息を取ります。 昼間のような悩みや苦しみからは、一旦解放されるのです。 しかし、夜が明ければ、また、新しい「生活」という営みが待っていて、どんな苦難があるか分かりません。 こうしてみると、人間は、昼と夜という二つの世界を生きているとも言えるのではないでしょうか。 でも、マリや高橋、白川のように、夜活動する人間もいるし、昼間も眠っているエリにしてみれば、夜の眠りは、果たして休息と呼べるのか…。 本作品では、人間が住む二つの世界のうち、夜の世界で起きたことを描くことで、人間は、昼の世界だけを生きているのではない、夜の世界も含めて、その人の人生というものが形づけられているのだ、ということを強調したかったのではないかと感じています。 マリとエリの姉妹や高橋、それに白川。 彼らに今後どんな人生が待ち受けているのか、とても興味の沸いてくる物語。 深い余韻が印象的な作品でした。 | ||||
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視点を変えて、因果関係のある登場人物を個別に描写した一晩のスケッチ。 唐突な出会い、何気ない話題に織り込むマニアックな知識やエピソード、風変わりな比喩、それらを駆使した饒舌な発言、それに呼応してくれる相手との会話・・・。 私が感じる「村上春樹の文法」が駆使された作品だと思う。ただ、人間関係と一緒に拡散したストーリー、各方面に枝を伸ばした結果、「それで?」という状態で消化不良になってしまう気がした。「まだ続きがあるだろう?」と思わずにはいられない。 | ||||
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何が良いのかわからないという書評があまりにも多い為、個人的な解釈になりますが解説します。 書評ではなく、個人的な解説なので激しくネタバレします。 まだ作品を未読の方は以下は読まない方がいいと思います。 誰にも見えないところで頑張っていたエリは心に トラブルを抱え、こちら側の世界(現実の世界)から逃避した。 エリを見つめる仮面の男はエリの抱えている心のトラブルの象徴であり、 感情を持たないアルファヴィルの世界の住人。 心のトラブルを解決出来ない限り、エリは起きる事なく感情のない世界の住人となってしまうだろう。 現実的に頑張ってきたマリも心にトラブルを抱え夜の街に逃避する。 白川が起こした事件は現実的な世界で犯した罪。 システマティックに生きる白川は記号と化した現代社会に生きるアルファヴィルと同じ世界の住人。 仮面の男、エリ、白川が持つ同じブランドの鉛筆はあちら側の世界(アルファヴィル)の住人である事の象徴。 どれだけ時間が経過しても、みんなが忘れても犯した罪に対する罰からは逃れられない。 自分という存在は危うく、代替可能であり誰しもがどのような状況で立場が入れ替わるかもわからない。 立場が変われば白川が犯した罪を高橋が犯す可能性もあり、 状況が変われば19歳の中国人が受けた暴行をマリが受ける可能性もある。 中国人が受けた現実的な傷、マリが抱えた精神的な傷。立場が違う現実的な差異でしかない。 どんなに酷い状況でも人間は記憶があれば生きていけると伝えるコオロギ。 エリの抱えたトラブルは高橋というフィルターを通しマリに理解できる形状へ変化し伝わっていく。 思い出して、と伝えるコオロギ。大事な事を思い出す事により向き合える様になるというコオロギの示唆。 エリの抱える心のトラブルを感じる事ができたマリは、熱いお茶と少しの睡眠で休息を得て、 自分の心も解きほぐすことが出来るという確信を手にいれる。 だから深夜のファミレスで本を読むという逃避が辛くなる。本の中身に意味はない。だから明かされない。 そして同時にエリと向き合う事が出来ると確信し、帰宅を急ぐ。 こちら側とあちら側を繋いでいるものは脆弱であり、エリはもう戻れないかもしれない。 画面の歪みと共にこちら側とあちら側の世界の繋がりは断たれた。 マリはエリの苦悩を理解し向き合う事により、エリは感情のない世界の住人ではなく、 こちらの世界でただ眠っているだけの人間となった。 ただまだ心のトラブルは解決していない。だが唇がほんの少し動く。 これからマリと共に心のトラブルを解決していく事ができるという良い予感はある。 高橋が浴びせられた脅迫は高橋には何の関係もない。ただの災厄。 距離を取る事により逃げる事ができた。本当に逃げる事ができたのだろうか? きっと逃げ切れていない。いつかまた色んな立場で災厄は襲ってくる。 白川に対する制裁は必ず夜に起こるだろう。闇は災いの象徴。明るい昼間は幸福の象徴。 きっとまた辛い時間(after dark )は来るだろう。after darkは複数の意味を持ち始める。 でも今はまだ大丈夫。太陽の下で幸福な時間を手に入れることができる。 まだ辛い事が起きるまでには十分時間がある。 そして、例えどんなに辛い状況でも人間は思い出があればきっと生きていけるんだよ。 自分の中にある憧憬や原風景を文学という器に当て嵌め、読者の共感を得て作家としての地位を築いた作者が、 成熟した今の年齢から伝える事が出来る、若い人へ対するメッセージだと思います。 死ぬほど辛い事が起こったあとの精神状態でこの本を読んだ私は、読後に涙が止まりませんでした。 ダンス・ダンス・ダンス以来の衝撃でした。 現代社会自体が既にアルファヴィルの世界なんだと受け取れる表現もあり、 本当にまだまだ沢山考察したくなる素晴らしい作品だと思います。 | ||||
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著者の作品は好きでほとんど読んでいるが、本作は例外的につまらない。 具体的は文章の手法などは分からないが、著者特有の文章の〝まるみ〟がまったく感じられず、 想像力がまったく働かなかった。 話も終始暗い。 初めて村上春樹の作品を読む方には まず、おすすめできない作品だと思う。 (読む価値がない、とまでは思わない) | ||||
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妹マリは大学一年生、深夜に東京の繁華街のファ-ストフ-ド店で本を読んでいるのを姉エリの高校の同級生高橋が気づいて声をかける。それをきっかけに様々な事が介在して、マリは何人かの男女とこれまでの人生にない深いコミュニケ-ションを交わすことになる。ファ-ストフ-ド店で本を読んで徹夜するよりはドラマチックな一夜を過ごすこととなる。 エリの物語は、テレビ画面の世界に入り込んで戻って来るのはもちろん長い眠りも合理的解釈の対象にしてはならない。高橋とコオロギの推量を次のように解釈することにした。エリは与えられた役割を演じ続けることに倦むこと限界に達したため逃避的行動に出たと。 物語の語り手が「私たちの視線」になっているせいかもしれない。3態の「見ること」を思った。 1.良識:小説を読むとは物語を俯瞰的に見ることだから、マリの物語は、様々な縁が背景にあってそのことが起きるという当たり前なのだが通常忘れがちなことを教えてくれる。 2.教養:これは強調されているように思った。マリとの会話で語られる高橋の世界観・社会観。高橋は現実社会にしっかりとフォ-カスしつつ、ハワイの神話の長男のように世界を遠く見渡すことを捨てていない事が窺われる。 3.形而上学的あるいはオカルト的:これは強調されていない。優秀なIT専門家白川が何かを探究している行が唐突に登場するだけである。スピリチュアルフリ-クからすると残念なことに白川はマリのドラマを作る主要因となった暴行事件の加害者である。しかし強調していないことは、著者は探究を強く否定するスタンスでもないとも捉えられる。 | ||||
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引きずり込まれる魅力はあるんですが、重いのです。 絶対体調が悪いときには読んではいけません。心まで壊されてしまいます。 村上文学の一つの頂点だここにあるような気がします。 来年体調が良いときにもう一度読みたいと思います。 | ||||
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村上春樹はほとんど読んでいますし、割合に熱心なファンのつもりですが、これはあんまり。 この作品の意味や意義の点からつまらないというより、 単純におもしろくない、文章も下手くそでなんとなく読みにくいです。 それでも村上春樹らしくすいすい読めますが、 読んだ後で「ああ、時間の無駄だったな」と思った初めての作品です。 | ||||
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村上作品の中で一番好きな本。 村上春樹だからと言って全てが好きなわけではない。 「孤独」の視点が色々な角度から表現されている。素晴らしい。 ノルウェイやカフカは読むスピードもイマイチでレビューを 書くほどでもないのだが、この本を読んで作家としての彼に感服した。 村上小説として一番好きだ。孤独とは何ぞや、ただそれにつきる。 周りでは難しいという声が多かったが、人生で相当苦労していると 実に容易に感じ取れるのである。 また、哲学好きであればそれ相応に感じ取る事ができるだろう。 | ||||
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天使の涙、恋する惑星を少し思い出しました。村上春樹さんの作品は私は好きなので合う人には合うし合わない人にはあわないんだろうなーという感想です。 | ||||
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今まで大した理由もなく村木春樹作品を読んできませんでしたが、友人の勧めでとりあえず平積みされてたこれを買って読みました。 感想としては、正直何が書きたいのかよくわかりませんしつまらなかったです。私の読解力のなさなら仕方ありませんが伏線らしきもの引っ張ってるのに最後の最後まで放りっぱなし。各章での視点の変化の意味も解りません。 読む前に各賞を取っていてメディアでも取り上げられている作者の作品と自分の中で勝手にハードルを上げていたせいもあってか、今後この方の作品を読もうと思えない程ひどい作品だと思います。 | ||||
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序盤に興味が惹かれなかったので、この本は4年程前に一度トライしましたが、挫折しました。 最近最初から読み直し、最後まで読み切り、始めてこの本の良さが分かりました。 終盤で何故か号泣してしまいました。おそらく私にも姉がいて、共感する部分があったからだと思います。(私の姉は寝たきりではないですが。) | ||||
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と思わざるを得ないほど面白くない内容でした。姉さんはいったいどうしたっていうのさ?が最後まで判らなかった・・というか最初から何を書きたいのか作者も判らないままに書きだしてしまったような最後でした。村上氏はこのあたりの時期不調だったのでしょうか?別に読まなくても構わないほど村上春樹の歴史には記録の必要が無い作品でしょう。 | ||||
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村上春樹は(いわゆる)小説を書く気は端っから無いのでしょう。哲学、心理学、社会学、生理学、に関して、彼の考えていることを我々に提示する手段として “小説”というカテゴリーを使うことにしたのでしょう。ですから、彼の作品には“明確な入口” 、“明確な出口” はないのです。なにせ、そこにあるのは、人を楽しませようとして紡いだ物語ではなく、彼の意見、あるいは彼の心、そのものだからです。 音楽家が最初にメロディーを作り、しかる後に自分の内面から湧出してくる詩(うた)を当てはめると、何かしっくりこない、いずい(居辛い)感じになり、ただ、それが不思議な味わいにもなります・・・・・彼の作品の魅力のひとつは、これに類した感じのような気がします。 この作品は、(原因は不明だが)姉との間に大きな確執を生んでしまった主人公(妹)達二人が 別々の空間に入り込んでしまい(実話:「レナードの朝」、に少し類似かも?)、それぞれが “心の復活への入口” に到達するまでの心の変遷の時間経過を、主人公を取り巻く人々との、ちょっとした物語に乗せて提示している。 ただ、彼が本当に言いたいのは ―― 自分達は、今いる三次元の空間がすべてであると、つい誤解してしまいがちであるが、宇宙の始まり、すなわち“完璧な無”からビッグ・バン(or God?)により、できた空間が三次元で完結している根拠は何もなく、むしろ “多次元” と考えるほうが自然で、その次元と、我々の今いる三次元空間とは薄皮一枚もない仕切りでつながっているかもしれないのです、―― という彼一流の教示かもしれません・・・・・・。 ところで、この作品中に出てくる「ある愛の詩」の記述は、彼がわざと記したのかもしれませんが、ハッピーエンドではなく、主人公の女性ジェニーは病気で亡くなってしまう美しい恋物語です・・・“愛とは決して後悔しないこと”・・・という美しい台詞があります・・・・・。 | ||||
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いま「1Q84」を読んでいる途中ですが、 長いので、一旦箸休め的にこちらを読んでみました。 2004年ということなので10年前に書かれた作品ですね。 各センテンスのはじめに、 時計のイラストで時刻の進みが示されます。 深夜12時少し前に始まり、朝の7時前までで終わります。 少しづつ、時間の進行と共に様々なことが起こります。 真夜中の都会(多分、渋谷か)の眠らない(眠れない)人々の 繰り広げる奇妙なストーリーです。 主人公の若い姉妹は、やがて心を回復していくようです。 個人的にはITプログラマーの白川がその後、 どうなったのか気になりました。 深夜労働と家族とのすれ違いの果てに、 心を麻痺させて、闇社会とのトラブルの果てに 彼をどこに運んでいくのか。。。 TV画面の中の男が見つめているような気がしました。 | ||||
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村上春樹は近年、神のようになってしまい、そしてもしかしたら批評というものもしにくくなっているのかも知れないと思ったりもするのだが、なに、面白いか面白くないで判断すればいいのである。たかが物語であるのだから。 この作品は2004年の出版であるが、記憶する限りそう評価されたわけではないと思う。そして(物語の内容の割には)静謐な印象の残る語り口で、読み終わってシンとした気持ちが残った。 主人公は、浅井マリとエリの姉妹。エリは物語の間中眠っていて目覚めない。そしてそれに絡む、マリとエリの知人の男、高橋。高橋のバイト先のラブホテル従業員のカオル、コムギ、コオロギ。ホテルで問題を起こした客の白川。白川が簒奪した中国人少女、またそれを管理する中国人の男。 また眠るエリ、またこの物語を見つめる視点、それは我々読者?それとも神の眼?その視点の立場で物語が語られているから、静謐な感じがするのかも知れない。なにもかもはるか遠方にある光景という印象があるのである。こういう物語を書くムラカミは、私は好きであると宣言しておこう。神になった作家としてではなく。 | ||||
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こちらとあちらを隔てる境界は薄っぺらい紙切れ一枚のように頼りないもの。あるいは境界なんてものはないのかもしれない。あちら側の存在である(ように見える)中国人娼婦の少女に対してマリが強いシンパシーを感じたように。 「逃げ切れない」 物語の終盤で繰り返される言葉。白川に向けてだけでなく、私たちすべてに対する闇の世界からの警告のように響く。 私たちは「逃げ切れない」 闇は影法師のように私たちの足元に常に付きまとって離れない。でも簡単に飲み込まれるわけにはいかない。飲み込まれないための確実な方策などたぶんないだろう。 私たちにできることは、マリとコオロギの会話に出てくるように、ただ「森の鍛冶屋さんみたいに、こつこつと」 日々を営むことなのかもしれない。孤独であっても、誰にも認められなくても。 | ||||
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本に何かを求めたい人は、読まないほうがいいと思います・ 何も残らない・・・・ | ||||
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まあ全部見てないだけど(笑)大体見たけど後味悪いね。あとサラサラ読めないよね。ネタとか難しい所もあるし。最後のシーン最高!映画化ってされた? | ||||
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深夜の都会には人生の罠が蔓延んでいる。事件性を持つものだってある。この物語の興味深い所は、その落とし穴にハマった人が主役ではない点だ。周りでは何かしらとてつもなくヤバイことが起きてるのに、またその罠が傍まで来てるのに、結果的に何も起こらない。まるで「日常を送る我々が、人生の落とし穴を偶然にも避けているだけに過ぎない。身の危険は、何時でも何処でも、大きく口を開けて待っている」と逆に言われてるかのようだ。 | ||||
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