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アフターダーク
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アフターダークの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.47pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全470件 101~120 6/24ページ
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春樹さんの小説(翻訳でなく自作のほう)はほとんど全部読んできたけれど、本作品は唯一読了できなかった作品でした。 冒頭シーンは悪くないと思ったのですが、すべて現在形で書かれる部分で挫折してしまいました。 内容云々でなく、残念ながら「文体注射」が効かなかったみたい。 ごめんね、ハルキさん。 『海辺のカフカ』にも少々現在形の語りが出てきて、そこも少し違和感を感じた。 (カフカは好きでしたよ) だからもともと私はそれが苦手なのでしょう。 実験的な文体である気がしました。 現在形が続く文体が気にならない人ならいいんじゃないかな? | ||||
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初めて村上春樹作品を読ませていただきましたが、とても面白かったです。 眠れずに夜中1時から読み始め、朝5時に読み終えましたが、物語の時間経過と 並行して読むことになったため、より印象深かったのかもしれません。 不可解な点もなく、自分の中ではしっくりとエンディングを迎えることが出来ました。 冒頭、前に一度だけ会ったことがある女の子にそんなにペラペラと喋るだろうかと いう違和感が少しありましたが。。。 折角なら、ちょっと家に帰りたくないなぁと思った夜に渋谷のファミレスで一気に 読んで始発で帰るとかしたかったな。 | ||||
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『世界のハルキ』に大変失礼な感想を申し上げるのですが、私の読後感は、「村上春樹に憧れる作家志望の人が書いた小説みたいだな。」でした。 複数のシチュエーションをパラレルに進行させ、それらがだんだんとまとまりを持ち始めた時にある熱を帯びた塊のようなものが表面に現れてくる、私などは今までそこに氏の世界観を他の作品では感じたものでしたが、何と言いますか、本作品ではそれが極めてぼんやりとしか見えてこない気がしました。 ただそれは、新しい表現を目指そうとした村上氏の意図を私が読み取れないだけかもしれません。氏が何かのエッセイで語っていましたが、『読者の誤読の集積が作品を形作る』いう観点から見れば、こんな作品もあっていいとは思います。いずれにしても村上作品の中では異質だと思います。 林真理子氏は他の作家の作品解説で、『作家が自身について書く時は、自身の他の作品と異質でありながら本質をついている表現になる』と書いていました。もしかしたらこの作品で描いた世界が、村上春樹という『人間の』本質なのかもしれません。 | ||||
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皆さんのレビュー、どれを読んでも納得できます。 あえて言うとすれば、タイトル通りです… | ||||
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この作品では、村上春樹はテレビ・カメラのような視点を地の文に導入し、読者と語り手の視線を統合しようとしている。例えば、以下の冒頭の一節のように。 「私たちは「デニーズ」の店内にいる。(中略)私たちは店内をひととおり見まわしたあとで、窓際の席に座った一人の女の子に目をとめる。どうして彼女なのだろう?なぜほかの誰かではないのだろう?その理由は分からない。しかしその女の子はなぜか私たちの視線をひきつける―とても自然に。」 語り手と読者の視線は本来全く別のものだ。だから、その溝を埋めようと思うと、勢い白々しく、また饒舌にならざるを得ない。その結果、テレビ・カメラのような透明な存在でなく、全く逆に、極めて不自然な「主体」に読者を強引に縛り付けなくてはならず、それが読み手の僕を窮屈にさせた。例えば、上の引用部では最後の「とても自然に」という部分に、作者の苦悩の後が透けてみえる。僕らの視線をデニーズにいる女の子に引っ張ることは、作家の「意図」であり、「自然」なことでも何でもないからだ。 また、この作品は、読者と語り手の境界の他にも、幽界(のようなもの)と現実、一般人の生活と犯罪の世界の間の、境界の薄さを行ったりきたりしようとしている。テレビの画面と内と外を使ったこの往復運動のアイデアは中々だったが、残念ながら、それ以外は陳腐なデキだった。(特に犯罪の描写。中国人の売春組織とかバイクに乗ったマフィアとか、わざとらしすぎませんかね。) カメラ・アイの導入にても、村上龍「海の向こうで戦争が始まる」やW.バロウズの方が鮮やかだった。アスリートのように一作一作、新しい試みをしようとする作者の姿勢は尊敬するけど、やっぱり三割バッターでも三振することはあるんだよね。相対評価では、これはそんな作品だと思う。 | ||||
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ファミレスで女子大生のマリが深夜、ひとりで本を読んでいる。そこに姉の知り合いの高橋がやってくる。彼はマリともちょっとだけ知り合いだ。ジャズの名曲『ファイブスポット・アフターダーク』の話をする。これから深夜の5人の物語が始まるのだ。みんな、何とかしなくてはならない過去がある。 マリは最近は姉とうまくいっていない。美貌で白雪姫のような姉に対して、自分は取り柄のない平凡な女の子。いじめられもしたが、勉強はがんばってまもなく中国に留学するところだ。あねにぎゅっと抱きしめられたことを思い出した。 高橋は母が病死し、そのとき父が刑務所にはいっていたため、一時的な孤児になった。父とはうまくいかないので、一人暮らしをしている。 姉のエリは昏々と眠り続けている。子供の頃からモデルをやったりして周囲に合わせすぎたため、自分がなくなってしまったらしい。 しかし都会にも朝がやってくる。「いまのところまだ何も書き込まれていない一枚の白紙のようなものだ。」とはいうものの、昼間に何かが解決されるのだろうか。また夜になると何か変るのだろうか。 | ||||
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比較的初期の作品 風の歌、ダンスダンスダンス、ノルウェイの森、ねじまき鳥 などの文体に慣れていたので 最初の一ページを読んだときに あれっ? って思いました。 僕の視点は一切出てこないのが一番の新鮮さでした。 不可解なほど「僕」の心理の深層に深く入る事は無くて 三人称が紡ぎ出す人間模様が すっきりと描かれている印象を持ちました。 なおかつ一晩の出来事を一見ハッピーエンドの着地点まで描ききった作品で 今までの村上さんには無かったテイストがあります。 いろんな書評から判断するに あえてこの様なテイストを目指しているとの事なので ますます進化するであろう 今後の作品が楽しみです。 好みとしては 現時点で 「僕」視点の作品の方なので ☆は4つにしました。 | ||||
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この作品をあまり高く評価していない人たちがいらっしゃるようですが、村上さんのイスラエルにおける卵と壁のスピーチを聴いた(知った)あとに改めて読むとこの本の価値が見えてくるのではないでしょうか? そしてそれはこの作品の登場人物に現実味が感じられないという指摘への返答も兼ねているのではないでしょうか? | ||||
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流石にこれでは読者に対して解釈を丸投げしているだけのように思う。 変に偉そうな調子の文体はアリだとは思うが、私は好きにはなれない。 ラブホテルでの少女と従業員のやり取りの場面など、 雰囲気的には悪しからぬ場面もあっただけに、全体的な脈絡の訳分からなさは残念。 さてこういう感想を抱く読者の僕の頭が足りないのか、それとも……。 | ||||
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終わってしまいました。深夜に始まり夜明けに終わる群像チックな物語です。村上作品では珍しく、収束というものがあまりなかったように思えます。結果的に春樹さんの言いたいことはわかりませんでした。それでも読み終えた後すっきりした気持ちになれたのはやはり春樹さんの実力というほかないでしょう。物語としてではイマイチ足りないものがありますが、春樹的な世界観に浸りたいと言う人なら一読してみる価値は十分にあると思います。少々甘口ですが、星を四つ。 | ||||
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時刻は間もなく深夜零時。デニーズでひとり本を読む若い女性マリに、高橋と名乗る青年が声をかけてくる。彼はマリの姉エリの友人でマリにもかつて会ったことがあるという。 この二人の出会いが、さらに何人かの人間を巻き込む深夜のドラマを生んでいく…。 久しぶりに村上春樹の、しかも決して新しくはない小説を手にしたのは、スペイン人の友人がスペイン語訳のこの本を読み始めたからです。今、海外で最も広く知られる現代日本人作家である村上春樹。いくつか彼の作品に目を通しておくのは、今後外国の友人や取引先との会話の糸口をみつける助けになるかもしれない、そんな実利的な目的で読み始めました。 想像していたよりも読みやすい作品でした。 私が思うにこの物語が描かんとするのは、人間の孤独、他人との埋めがたい距離感でしょう。その痛ましいほどの寂寥感は、都会の夜を舞台にして、見事に描かれていると思います。 そんな寂しさの中でも人間はささやかな思い出を紡いで、記憶のかけらを自分の中に積み上げていく。人生におけるそのことの大切さがコオロギという名の登場人物が口にする次の言葉からも伺えます。 「人間ゆうのは、記憶を燃料にして生きていくものなんやないかな。(中略)もしそういう燃料が私になかったとしたら、もし記憶の引き出しみたいなものが自分の中になかったとしたら、私はとうの昔にぽきんと二つに折れてたと思う。」(250〜251頁) この小説は会話の分量が多いのが特徴です。現代の日本の若者にしてはエリや高橋がことのほか冗舌で論理だった物言いをするところが現実離れしている気がしないでもありません。ヨーロッパかアメリカの、明快な発言を常に求められる文化圏の若者たちのような人物たちには、それこそ距離を感じてしまうのですが、そこが村上春樹の作品を翻訳可能性の高い、海外の読者によって受容されやすいものとしているのかもしれません。 | ||||
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この小説は、今までの村上作品とは一線を画す作品である。以下に、二点だけ述べることにする。 まず、この小説は、主に第三者的視点によって描かれている。要するに、この小説には、"僕"が登場しない。それどころか、主人公が男ではなくて、女の子になっている。これは、村上作品としては異例のことである。 "僕"の漂わせる諦観や時代への批判といったものは、姿を見せない。確かに"僕"に似たような人物は出てくるが、羊シリーズの"僕"やノルウェイの森の"わたなべ"と較べると、薄っぺらくみえてしまう。 端的に言うと、登場人物たちの内面に深みを感じることが出来ないのだ。"突撃隊"、"永沢"、"鼠"、"みどり"、"J"といった個性的な登場人物は出てこない。そして、それが要因となり、我々読者が村上作品を読んだ後に残る一種のカタルシスのようなものを得ることが出来ず、物足りなさを感じるのではないだろうか。 次に、この小説は、場面設定が他の村上作品と較べてあまりにも違う。村上作品といえば、綺麗にアイロンがけされたシャツ、読んでいるだけで食べたくなるようなサンドウィッチとコーヒー(もしくは、紅茶)、お洒落なcafeやバーといった彼の趣味や世界観を感じさせるようなアイテム群が登場するが、この小説にはそれがない。代わりに出てくるのは、デニーズのチキンサラダ、セブンイレブンの牛乳、ラブホetcとチープなものしか出てこない。極めつけは、場面設定が夜の歌舞伎町という点にあるであろう。この小説を読んでも、例えば、ノルウェイの森の醸し出すある種の雰囲気を感じることは出来なかった。 村上春樹は、この小説である種の"実験"のようなことをしたかったのではないかと思う。場面設定といい、主人公の設定といい、その他いくつかの点についても新しい試みが見られた。 おそらく、村上春樹がこの小説で描きたかったのは、"現代日本社会"であると思う。それは、例えば、「店(デニーズ)はどこをとっても、交換可能な匿名的事物によって成立している。」という一文に、村上春樹が現代日本社会をどのように捉えているのかが如実に顕れているように思える。 | ||||
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相変わらず読みやすい。読みやすくて分かりやすい文体だった。 比喩も凝っているとはいえ難解すぎることもない。 ただ、読みやすい割に作品を通して伝えたいことを読み取るのに苦労する。 村上春樹という作家を知らなければ、読みやすい文体に隠された本当に思考をめぐらせるべき部分に気づけるのかが疑問。 好きな人には堪らないといった感じだろうか? ただ、世の中の村上春樹好きの全てが本当に作品を理解できているのか?私の身の回りにもミーハーが多い気がする…… しかし、この人の作品の登場人物は、揃いも揃って考え方やら何やらが格好良すぎると思う。 | ||||
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私は「ねじまき鳥クロニクル」が最高傑作という人間です。 短編なら「沈黙」 村上春樹の作品で表現されている世界はすべて共通していると思います。 話が深い、浅い、心に残る言葉があるか、ないか、など…技術的な問題、 その違いで作品個々の評価が分かれるだけであって、 根底にあるテーマはどの作品を読んでも同じだと感じます。 「アフターダーク」を読んでも「カフカ」を読んでも新しいものには何も出会えませんでした。 それは、私がそれまでに同じような彼の小説を読んでいるからだと思います。 しかし、そのことが作品の評価を下げることはありません。 すべてのすぐれた作家、ミュージシャン、画家、映画監督… なんでもいいですが、結局、1人の人間が表現できる世界は1人につき1つだけだと思います。 評価を下げるのは、読んでいる途中に「これは過去の作品における…だ」とあからさまに感じるときです。 いままで通り、自分が得意な楽器で同じような曲を書くことをやめ、 新しい楽器で物語を奏でたからでしょうか? アフターダークは長編というより村上春樹小説の概略といった感じがしました。 新しい試みにより、登場人物の影は表面にとどまり、深み(暗闇)にたどり着けないまま終わりました。 この作品自体は非常に薄味で、全作品を読んでいる人間は、 これをきっかけに、 「ねじまき鳥」を「ノルウェイ」をまた読んでみようか、と思うのではないでしょうか? 答えはどの作品を読んでも見つからないですが、読書後、心に残る言葉にできない感情が村上春樹の魅力だと思います。 蛇足ではありますが、 この小説で私は村上龍の「ライン」という小説を思い出しました。 「ライン」がいつもの村上龍節でありながら強烈なインパクトを残したのに対して、 いつもの村上春樹節でありながらボンヤリとした世界を提供した「アフターダーク」の評価は決して高くありません。 しかし、この先も村上春樹が新しい楽器で物語を奏で続けるなら、 今後は、違う角度から、彼の表現する世界が見えてくるのではないかと感じました。 そして、それは、過去の作品にも新しい視点を加えることにもなると思います。 カフカは過去のスタイルの清算。 アフターダークは分岐点としての意味を持つのではないでしょうか? これからの村上春樹が楽しみです。 | ||||
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読むのしんどかったなぁ。 こういうのやらないほうがいいよ、春樹くん。 | ||||
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たくさんの人物の物語が同時進行していく。 はじめはその関係がわからないが、次第に明らかになっていく。 この本に出でくる登場人物はどれも人物像、考えがしっかりしていて魅力的であり、誰が主人公でもおかしくないほどである。 そのそれぞれの物語は完結はしない。この本は物語の序章をオムニバスで展開した作品である。 | ||||
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薄っぺらで面白くありませんでした。 登場人物らの話し方が独特で不自然なので(いつも通り) 村上ワールドが大好きな人はそれだけで楽しめるんじゃないかと思います。 話自体や登場人物の完成度には期待しないほうがいいかも。 | ||||
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冒頭、アラン・ロブ=グリエの小説を思わせる、しつこいまでの情景描写から入っていく。その意味では、この小説の主人公は視点を共有する読者なのかもしれない。そして、ファミレスで出会う若い女性と男性を中心に、その姉、ホテルに置き去りにされた中国人売春婦とホテルの経営者、顔のない男などがからみあって、時間が進行する。 村上にとって、大きなターニングポイントとなったのは、阪神大震災と地下鉄サリン事件だった。これまで、村上は個人の内部にある「やみくろ」を相手にしてきた。でも、実際には「やみくろ」は地下に存在し、本当にそこから出てきて人を陥れる。だとすれば、作家として村上は現実にコミットしていく必要性を感じることになる。その結果が、「アンダーグラウンド」とその続編であり、「神の子供たちはみな踊る」であり、「ねじまき鳥クロニクル」におけるノモンハン事件であった。 その中でも、「アフターダーク」は「神の子供たちはみな踊る」をもう一歩進めたものといえる。地震が起きた時間、みんなは何をしていたのか、そのことがあの連作短編集を支えていたのだとすれば、「アフターダーク」は任意の深夜を切り取ったとき、それぞれの人生はどうなっているのか、ということになる。 結論じみたことを言ってしまえば、本書の中には罠も用意されており、100%ハッピーエンドとはいかない。それでも、人が前に進む意思が少しでもあれば、何とかやっていける。闇はまたやってくるのだけれども。人は闇から出ることだってできるし、そうした強い存在でもあるし、同時にまた闇は何度もやってくるしぶとい存在でもある。その一つの断面を小説にして見せたということになる。 それにしても、文庫化された同じ村上の「若い読者のための短編小説案内」(文春文庫)を読んでいて、村上が第三の新人と呼ばれていた作家たちの本を読みこんでいるということを読んで、なるほどなっていうのはあった。第三の新人といえば、遠藤周作、吉行淳之介、安岡章太郎、小島信夫といった、戦後すぐに登場してきた作家であり、当時は戦前の大家に比べて小ぶりな、個人の内面にポイントを置いた作家という評価だった(らしい)。だが、彼らはしぶとく生き残る。彼らが持つ内面の哀しみといったものは、確かに村上に共通するのかもしれない。何より、彼らの持つ世界が外から見る以上に深く広い世界だったということになる。でも村上は、そのことを理解しつつ、そこからもう一歩先に行きたい、そういう欲があったとも思う。そのことが、「アフターダーク」につながる一連の作品になっているのではないか、そう思う。 それでもなお、あえて言えば、「アフターダーク」は長編小説というよりも、とても長い短編小説という気がしてならない。時間の流れがそうさせるのかもしれないのだけれど、それにしても。野球のピッチャーで言えば、今回の先発で、新しい変化球を試してみました、みたいな。そこそこ手応えを感じたので、次の先発では、もっと有効に使ってみたい、というところだ。 | ||||
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独特の世界観。 この、わけのわからない状況がなぜか 物語の世界へどっぷりとつかっていく入口。 想像力をかきたてられる情景描写。 深夜のファミレスで一人本を読む行為。 一度やってみたいものです。 彼の描く女性の飾らないところが好き。 どこか素直な所があります。 現実の世界であり、そうではない部分も垣間見える。 その微妙なバランスがなんとも心地いいと感じました。 真夜中って、こうであって欲しいような気がします。 | ||||
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深夜という限られた時間帯での場面展開にひきつけられる。あちら側とこちら側はどう違うのか、顔のない男と白川の関係性はどうなのか、そこにエリは関わっているのかいないのか・・・奇妙な物語だ。なんたって読後にあたたかい玉子焼きを食べたくなるんだから。 「たくさん歩いて、ゆっくり水を飲めばいいのね」「そうじゃなくて」と彼は言う。「ゆっくり歩いて、たくさん水を飲むんだ」「とくにどっちでもいいみたいだけど」 | ||||
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