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アフターダーク
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アフターダークの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.47pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全470件 401~420 21/24ページ
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話はたった一晩の出来事。登場人物はいずれも説明が無く ある意味でトルソーのような「顔」である。一人一人が何かを抱え込んでいて 何かをやろうとしている事はぼんやり感じるが それが何かは全て読者に委ねられている。いくつかの謎は提出されたままで答えは示されない。キリコの絵は 非常に抽象的だがどこか懐かしいのは 自分の持つ記憶に都合の良い抽象性があるからではないか。そんな響きがこの本にもある。読者は きっと 出てくる登場人物の中に 意識的か 若しくは無意識に自分に似た「顔」を探すに違いないと思う。村上春樹の読者の感想を読んでいると いつも感じるのだが 各読者が 本の登場人物に 自分若しくは自分にとって大切な人を 探しているケースがとても多い。村上春樹の登場人物は 必ず何かを抱え込んでいるが 読者もひたすら 自分の抱えているものと同じものを 本の中に探している人が多い。そんな読者にとって またしても トルソーの群像に満ちる本書は 一種のロールシャッハテストにも似て 各人が各人の読み方をすると思う。誠 村上春樹は 上手いなあと思う。誰もが何かを抱え込んでいる時代に 「あんただけじゃないよ」という 一種奇妙な優しさすら感じさせる そんな本です。読んでみて下さい。 | ||||
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二、三時間でさらっと読みました。自分に影響を与えた感じは強くない。でも、静かに何かが残っています。作者の意図をあれこれと指摘するような意見が多いですが、この小説に明確な作者の意図があるようには感じません。村上さんがいつも以上に媒体に徹しているように思えます。「ねじまき鳥」などを持ち出すひとが多いですね。作品は単体で読まれるべきだと思います。僕はこの小説が好きです。 | ||||
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今村上春樹さんの中にある物をできるだけ自然な形で取り出し、書き留めた感じの作品です。海辺のカフカが重厚な一枚の作品なら、こちらはスケッチ集といったような。かつて次のステップへ進むためにスプートニクの恋人を書いたように、アフターダークも新たな作品を生み出すためのステップではないでしょうか。おそらくこの何枚ものスケッチを元にして次の作品の方向を確認し、重厚な作品に繋げていってくれることでしょう。次回作に期待です。 | ||||
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先日書店で買い求めて、3時間くらいかけて読み終えました。『海辺のカフカ』という長編小説の後の作品だし、村上春樹の中編小説は良い悪いの意見が大きく分かれるような印象を受けていたので、読む前はそれほど期待しないようにしていました。しかし前もってそのような考えで読んでいたからか、この作品は期待以上に面白かったです。登場人物も魅力的だったし、何より読後はあたたかい気持ちになれました。村上春樹の小説はあらかた読みましたが、こんなにあたたかい気持になったのは初めてです。『アフターダーク』には、これまでのどの作品とも違った魅力があると思います。文体などは確かに変化しているけれど、紛れも無い「村上春樹」の小説であることを、読んでいてひしひしと感じました。この小説を読んでどう感じるかは人それぞれだと思います。私もざっと1回読んだだけなので、これからじっくり読んでいくと見方が変わるのかも。簡単そうに見えて一筋縄ではいかないような雰囲気の作品ですので…。ただ、まだ『アフターダーク』を読んでいない方には、読んでみて自分の心で判断して欲しい。そんな小説です。 | ||||
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今までの長編ような、読んだあとのどっぷりとくる何とも言えない良い疲労感がこの作品を読んだあとは全くありませんでした。何か予感めいているけれど、それが私の中では最後までひとつにならずにさらっと終わってしまった感じでした。誰かのレビューでも触れていましたが、「アンダーグラウンド」をきっかけとして、村上作品は多少なりとも窮屈になってしまった気がします。あるいは、村上作品の捉え方に自分がある意味で偏見を持ってしまっている気もします。(「社会的なテーマをきっと含んでいるんだろうな」みたいに。)ただ、マリがエリのベッドにもぐり込むシーンは、今までの村上作品を読んだ中では感じたことのないくらい切なく、優しい希望をはっきりと感じた気がします(じんわり涙が出ました)。そんな訳で、星4つ。 | ||||
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読み出してみて思う事は、「夜の都市」を主人公に想定しているのではないか?という事だ。冒頭の数行は、都市に生物的な形容を与えているし、何より「私たちの視点」が浮動性を持っているからだ(特に1章から2章への間は、会話の量からして、相当の時間が経過しているのにもかかわらず、「時計」は一分しか進まない。視点は同時に二つの場所に存在している。)。登場人物は入れ替わり立ち替わり現れ、それぞれのエピソードを展開し、また、それぞれのエピソードに干渉している。また、「時計」は、物語が一日(一晩?)という短い期間である事を印象づけている(この作品が物足りないと思われる方が居るならば、それは、作品のコンセプトが「一晩」という所にあるからだ。あまりに多くのものを詰め込み、多くの結論を出してしまうと、それはそれで違和感が生じる。)。文章に関して言えば、ストーリーの中心には形而上的な描写があるが(主に浅井エリに関する章)、基本的には紛れもないリアリズムだと思う。 | ||||
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村上春樹待望の新作。小説は時系列に沿って進められており、ほぼその時間の流れに沿って、ちょうど一晩かけて一気に読んだ。「神の子供たちはみな踊る」の中の「蜂蜜パイ」で、『これまでとは違った小説を書こうと思う』と語った筆者であるが、正直この小説はその変化の過程であり、これが完成系であるとは思いたくない。過去の作品にあるような、洒落た会話や比喩はところどころ見受けられ、また物語の終わりには「世界」と「個」との繋がりのようなものが感じられ、過去の村上作品で追い求められていたものが見つかったような気がして少し安心したような、安らかな気持ちになることが出来た。しかし、戯曲のような客観的な短い文体は「私たち」という一人称による視点の誘導を含めて、文体の実験としては面白い試みかと思ったが、まったく良いとは感じられなかった。筆者は簡素な表現によって読者の想像を求めたとのかも知れないが、これほどすばらしい文章を書ける筆者なのだから、筆者自身の文章をもっと味わいたかった、物足りなさが残ったという読後感が評価の理由となった。話の筋としても物語全体が収束しきっていないという印象が、筆者がそれを狙っていたのだとしても、好きになれなかった。大好きな、本当に大好きな作家なので、次回作に期待しています。 | ||||
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~暴力は、どんな無垢なものをも、それに対する強い防御と感覚をもたねば、怪我し損ね、傷つけ、奪い取ろうとしてきます。台風、地震、雷、交通事故、殺人、病気、金、もろもろのこと。子供たちがいま布団の中で、家の中で、門と壁と鍵に守られた中で、僕のささやかな力と、目に見えない者たちの守りの中で生かされていることを感じながら、明日消えてしま~~うともわからないはかない生き物である自分自身と、家族のことを思いながら、死と別れをよく心に刻み込んで、今を温かな光の心で接していきたいと、そんなふうに思いました。~ | ||||
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まだ一度しか読んでいないので分からないところが多い。とっつき安さと作品に込められたメッセージを受け止める作業は、必ずしもリンクしないと思う。この小説に出てくる主要人物の一人は、無名の青年→タカハシ→高橋と、人格化されていく。彼は、ナイーブで傷つきやすく、世の中を何とかいい方に変えていきたいと思っている、心優しき青年だ。彼のような人間が世の中に満ちあふれていれば、なんと幸せな世界となるのだろうか?一方、無情な暴力も闇として存在し、それに対してのカタルシスが訪れることは一切ない。人間の心の闇としてのデモーニッシュな部分も受容されるべきファクターとして、村上ワールドの予定調和の世界で展開されている。この予定調和が曲者だと思う。これは、作者が果たして読者に違和感をもたらすために故意に展開してるのだろうか?一度読んだだけでは分からなかった。 | ||||
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この小説を「村上春樹」の名前を伏せて読んだときに、果たして村上春樹が書いた小説だと理解できるだろうか?確かに主人公の一人高橋の台詞だけはまさに春樹らしいと言えるだろうが、それ以外の点については文体さえもが異なる、まさに「夜明け」というか変化の予兆とも言える作風。 だが、春樹の独特の童話のようなフィルターがすっぽり失われ、まるで凝った文章のミステリを読んでいる気分だった。文学作家の小説としては文章の存在感があまりに煩雑では無かろうか。元より春樹のキャラクターは現実離れした感が強いが、今作はそれすら悪い方向に働いているように感じられるし、軽薄な印象はどうしても拭えない。 ストーリーにおいても、要所要所がどうしても「仕様も無い」事ばかりでたまらないし、台詞ばかりで進み、地の文が印象に薄いのも、どうにも奇妙だ。いうなれば、戯曲を読んでいる感じであるのだけれど、地の文が嫌にしつこい感じでリズムも良くない、という事か。今後、この路線で村上春樹という小説家が進んでいくのなら、正直たまらないものはある。僕は村上春樹ファンだったからこそ、残念でならない。 | ||||
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25年という歳月に、今更ながら驚き、村上春樹氏のデビュー作を雑誌で読んだことが遙か彼方の事になった・・・・・・と、自分の来し方を思い返したりしました。真夜中12時少し前から夜明けまで、「私たち」という言葉に自然と引っぱられて、カメラの視点で19歳のマリに関わるいろいろなことを、つぶさに見ていくことになります。何かが起こりそうな予感めいた言葉が、私を突き動かしていきました。これまでの村上氏の描き方と異なるので、多少の違和感はあったものの、作中の“視点”に忠実に読んだつもりです。マリという、少し頑なで少しコンプレックスも持っている女の子が、一夜、関わる人々がマリに少しずつ影響を与えていくさまが興味深かったです。しかし、夜明けに向けて、彼女の心を一番揺さぶったのは、「高橋」。きちんと語る事ができるところまでいってないという、姉エリのことを、マリに再考させる契機になる人物と、ぽつぽつ話をする場面は、まさに青春。近づいてくる誰かを拒否しつつ、受容しつつ、話せる部分だけを話すということ、あったっけ、とそんなことまで思い出しました。夜明け前、マリがとった行動は、明らかにこれまでの姉への見方が変化したからだろうと思わされるものでした。何かが変わる気配をみせて、夜明けが来ます。この、朝の描写が、とても美しい。夜の闇を抜けて、カメラのような視点とともに辿ってきた物語は終わるけれど、始まりの予感が残されていることにほっとしました。状況の描写の連続なのに、こちらに感情を喚起させる村上氏の力量を、楽しむことができました。 | ||||
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正直、多少のわだかまりができました。しかし、言葉ではなく感覚で掴み取る「何か」が潜んでいるようです。何度でも読み返せる本になるかと思います。視点の変化が不可思議でよかったです。 | ||||
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文章のうまさ、ストーリーテリングの見事さはいつもどおり発揮されているが、問題は、「で、何が言いたいのか」だ。読者によってさまざまな読み方ができるのがよい作品だろうとは思う。とはいえ、その作品がまず読者の心の深いところに届かなくてはならない。読者は何かを考える材料を充分に与えられただろうか。主人公はだれか、それさえも明らかではない。ひょっとして主人公は読者か。 今回の作品は実験小説と呼べるだろう。登場人物の会話以外のいわゆる地の文は、シナリオのト書きのような文体で、読者の視線を誘導する役目しか果たさない。これは、読者が小説世界に迷い込むような仕掛けだ。著者は村上ワールドへ読者を招待する一方で、なるべく寡黙であろうとしている。実験は成功しているか。読者は出口を見つけることができるだろうか。 本を読み終わり、改めて「アフターダーク」というタイトルを思い起こしたとき、心に響くものがあれば、その試みは成功したといえるのだろう。正直言って、私の心に届くものは少なかった、が、新しい何かを感じさせる作品ではあった。「人にはそれぞれの戦場があるんだ」「人間いうのは、記憶を燃料にして生きていくものやないのかな」という登場人物の言葉が心に残った。これらをキーワードに、もう一度時間を置いて読み返してみようと思う。新しい発見があることを期待して。 | ||||
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すんなりと引き込まれ、あっという間に読み終わってしまいました。それほど自然な流れの中で描かれているのですが、実は不思議な時間の中に漂っていることに気付きます。ただ、自分の好きな映画に対してつかれた嘘がショックでした。そこが理解できないままでいます。 | ||||
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何ヶ月も前から予約して、待ちわびてた作品なのですが、この作品を読みながら、これ、ほんとにあの村上春樹が書いたの?って何度も表紙を見返しました。単に表現手法が今までと異なるという意味ではなくて、どうにも彼の美意識でもって精査され推敲された文章とは思えなかったからです。初期3部作のようにスタイリッシュでもなく、『ねじまき鳥』のように骨太のストーリーがあるわけでもなく、『ノルウェーの森』のようにムーディでもなく・・・そりゃ、どんな作家も変化していくのだから、昔の作品と同じような物を期待しても仕方ないのはわかってますが、レベル的にはどうしても上記のような名作と比較してしまってがっかりします。何より致命的なのは、ありとあらゆる登場人物に魅力が乏しすぎます。少なくとも、何度も何度も読み返したくなるような作品ではありませんでした。付け加えると、彼にとって実験的な位置づけであったとしても、これと同じような手法で書かれた小説は世の中にはごまんとあると思います。もっとコンパクトにして短編集の中のひとつであったなら、別の評価になったかも知れませんが。 | ||||
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一人称複数形という奇妙な形式で成功している作品を思い浮かべると、アゴタ・クリストフの『悪童日記』だろう。原題はLe grand cahier(大きなノート)。語り手である双子の兄弟「ぼくら」はナチス支配下のような東欧で、祖母のところへ疎開するところから始まり、過酷なサバイバルを日記につけるという設定だ。これは物語の構造そのものが一人称複数形にあっているという例だが、通常、一人称複数形というのは非常にあいまいさをもつ。つまり「私たち」に聞き手を含む場合と、含まない場合がある。話し手である「私」は不変要素だが、「私たち」がその「私」と聞き手である読者を含むのか、それとも含まないかのか。村上春樹はその隠れた要素をコントロールしながら読者の視点と作者の視点を使い分けて物語を進めていく。 『悪童日記』には固有名詞はいっさい登場しないが、『アフターダーク』も地名は明かされない。新宿っぽい感じもするし、渋谷っぽい感じもするし、まるで六本木のような描写もある。登場人物が「タカハシ」から「高橋」に変化したりするのも、最初から最後まで、作者である村上春樹と登場人物との距離感が意識され、計算されていると思う。実体のない純粋意識がひたすら観察するというのは、一人称複数で書かれた『ヘビトンボの季節に自殺した五姉妹』ジェフリー・ユージェニデスに似ているかもしれない。とにかく、村上春樹の「私たち」は無意識に仲間を要求しているような甘えは感じられない。しかし、主体の意識が「ぼく」という個人に限らないということを強く主張しているように感じる。『ねじまき鳥クロニクル』から社会へのかかわりを深めているが、安直に社会とのかかわりが一人称複数を選ばせたとはいえないまでも、これまでの歩みの中での必然ではあったんじゃないかと思う。 | ||||
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「身体代謝」,サンタフェ研究所を筆頭に研究が推し進められている「複雑系」のなかでも「自己組織化」と「創発」理論,「DM-3」・・を村上春樹 氏 は,「文節」と「論理」を用いて描こうとした,という感想が一つ.しかし,サンタフェ研究所が研究する「複雑系」のなかでも,スチューワート・カウフマン 氏 らが提唱している「自己組織化」と「創発」理論・・を「文筆」業の作家として「アフター・ダーク」のなかに「装置」として「組み込み」書かれてはいるが,しかし作品の全体としては,サンタフェ研究所が研究する「複雑系」の「創発」理論を「感性」と「調査」のみでは,「創発」理論を書ききれていない,という感想が一つ.では,村上春樹 氏が「アフター・ダーク」をいかにして書いたのか?という疑問が私のなかで発生する.その疑問の応えを示唆するテクストを私なりに思索してみた.「アフター・ダーク」を文学として,成立させているのは,“JAZZ”だ,という印象を,本作の「文節」と「論理」を読んで「アフター・ダーク」に「バタフライ・効果」としてみることを,私は拭えない.つまりは,即興で奏でる“JAZZ”が「アフター・ダーク」を文学作品として纏め上げているデジタル的一貫性がある,という感想が一つ.しかし,「闇」は「空間」を持っています.「闇」は,「沈黙」を内包しています.それ故に,「アフター・ダーク」を読んだ感想を私は私なりの印象をできるだけ「素直」に書いたつもりです.星3つは,僕にとってでは無く,私にとって確かな感想の数です. | ||||
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極端な評価は差し控えたいので。しかし心情的には★5であり、★0です。もし、小説的試み(既に多く触れられている人称や体言止め、地の文における<視点>などなど)を求めている人であれば、大いに楽しめる作品だと思います。それらの試みは作品にある種の緊迫感を持たせることに成功していると僕は思います。しかし、否応無く引きずり込まれる体験を求めている方には、残念ながら今のところ僕は肩をすくめてしまいます。因みに僕にとってのそれは、氏の作品であれば「国境の南、太陽の西」でしょうか。ですからこの読後感は決して量的な問題では無いと僕は思います。「国境~」も決して長い作品ではないですから。もしあなたが、読後にここにレヴューを書いて、誰かの参考になると、心から信じられる人であれば、この限りではありません。多分満足されると思います。 | ||||
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村上春樹本はせめて上下巻以上欲しい私にとっては、期待しすぎだったのか、さらっと終わってしまいました。もちろん、読みながら安心できる春樹節の箇所もあるんですけど、いっきに読んだあとの感じが私には物足りなかった気がします。村上春樹ビギナーさんにはいいと思いますが、春樹ファンの私は次にもっとがっつり読めるようなものを期待します! | ||||
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私は、角川書店から刊行された『THE ANSWER』という本の著者の鈴木剛介と申します。(次回作も角川書店から刊行されます)私はまだまだ駆け出しのひよっこですが、同じ専業作家として村上さんの最新作である本書を読み、「作者と読者の乖離」ということについて考えさせられました。デビュー作からページが剥がれ落ちるほどに繰り返し読んできた氏の作品は、恐らくは『アンダーグラウンド』により社会のダークサイドと深くコミットしたことを契機に、『海辺のカフカ』から作風が完全に変わりました。個人的には、『カフカ』と『アフターダーク』は、もう一度読みたいとは思えなくなりました。もともと氏はそんなことは考えずにこれまでやってきたのだと思いますが、私は「本」も商品として流通する以上、ある意味で作家も「サービス業」的な側面も持つ必要があると考えています。そのような意味で、『カフカ』と本書は、完全に読者のことは無視されて書かれているように感じました。村上作品が、10年後に、現代における(一昔前の作家である)「大江健三郎」さんのようなポジショニングになるのか、それとも若い世代に読み継がれていく作品群となりうるのか、ちょっといやらしいですが、そんな興味を持って今後の成り行きを見ていきたいと思っています。 | ||||
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