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アフターダーク
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アフターダークの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.47pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全470件 381~400 20/24ページ
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アフターダークを読んで裏切られたと感じた人は多いと思います。みなさまの貴重なレヴューをすべて拝見しましたが、それは求めているものの違いのような気がしました。無力感と深い喪失を抱え再生へともがく中年の姿が読みたければ「国境~」あたりが、喪失とノスタルジーならば「ノルウェイ」「スプートニク」あたりが、スピード感ならば「世界の終わり」三部作あたりがよいのではないかと想像します。でも、アフターダークにはそういうのがないから、違う!って思うのもすっごくわかる。カメラ視点はしつこい感じだし、村上語もいい加減うんざり。こんな風にいきっこないうますぎる展開とか。でも、もし帰ってこない直子や鼠やあの頃の「僕」が登場する物語だったら? 島本さんはまだ寒い車の中で泣いてるし、ミュウもどこかで高級車を運転してる。そして、もうきっとそこから動けないのです。だから、カフカ君とか青年少女が中心の展開になったのではないでしょうか?「風の歌~」が世にでたとき、誰が「アフターダーク」が同じ作者によってつくられると想像できたでしょうか?よく分からない凝り過ぎた文体とか、無理のある会話運びとか痛いとこはあるようにも思うけど、1970年代にあれほど固執したおじさん(失礼!スミマセン"")が、ようやく2000年を受け入れ始めているのです。もちろん、勝手な想像です。でも、本当の意味で変わり始めている気もするんです。明らかに”丸く”なったし、全体のトーンが明るくなっています。異論反論はあると思いますが、読む価値はあると思います。自分が村上春樹に何を求めているのか、村上春樹自身は何を求めているのか~って。何かつまらないぼやきしか言えてないぞ...スミマセン。。。 | ||||
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今までと文章の感じが違ったけど、やはり村上春樹の作品だなぁと。とりあえず、長さが足りない。長ければいいってわけじゃないけど。あまりにも、さっぱりと終わってしまって、残念です。 | ||||
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『世界の終わり……』や『羊をめぐる冒険』など、かつての「村上春樹」を愛読した人なら、この作品に対して違和感を覚えるだろう。「あの村上春樹は、どこへ行ったの?」と。でも、この作品はまぐれもなく、村上春樹の作品だ。体言止めや「~いる。~いる。」といった文章が続くと、普通は悪文になるのだけれど、にもかかわらず悪文にならず、むしろ名文となっているところは、やはり村上春樹ゆえだろう。正直言って、昔から村上春樹が好きだった私には、この作品、あまり面白くなかった。それでも星5つつけたのは、いままで停滞がちだった村上春樹(『神の子どもたちはみな踊る』『海辺のカフカ』)が、新たな方向へと歩み出しそうな雰囲気を、この作品から感じたから。 しかし、あとどのくらい待てば、夜が明けるのだろう。 それまで待ちきれない春樹ファンも、いままでアンチ春樹だった人も、読んでみてください。 | ||||
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アフターダークを読んで裏切られたと感じた人は多いと思います。みなさまの貴重なレヴューをすべて拝見しましたが、それは求めているものの違いのような気がしました。無力感と深い喪失を抱え再生へともがく中年の姿が読みたければ「国境~」あたりが、喪失とノスタルジーならば「ノルウェイ」「スプートニク」あたりが、スピード感ならば「世界の終わり」三部作あたりがよいのではないかと想像します。でも、アフターダークにはそういうのがないから、違う!って思うのもすっごくわかる。カメラ視点はしつこい感じだし、村上語もいい加減うんざり。こんな風にいきっこないうますぎる展開とか。でも、もし帰ってこない直子や鼠やあの頃の「僕」が登場する物語だったら? 島本さんはまだ寒い車の中で泣いてるし、ミュウもどこかで高級車を運転してる。そして、もうきっとそこから動けないのです。だから、カフカ君とか青年少女が中心の展開になったのではないでしょうか?「風の歌~」が世にでたとき、誰が「アフターダーク」が同じ作者によってつくられると想像できたでしょうか?よく分からない凝り過ぎた文体とか、無理のある会話運びとか痛いとこはあるようにも思うけど、1970年代にあれほど固執したおじさん(失礼!スミマセン"")が、ようやく2000年を受け入れ始めているのです。もちろん、勝手な想像です。でも、本当の意味で変わり始めている気もするんです。明らかに”丸く”なったし、全体のトーンが明るくなっています。異論反論はあると思いますが、読む価値はあると思います。自分が村上春樹に何を求めているのか、村上春樹自身は何を求めているのか~って。何かつまらないぼやきしか言えてないぞ...スミマセン。。。 | ||||
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アフターダークを読んで裏切られたと感じた人は多いと思います。みなさまの貴重なレヴューをすべて拝見しましたが、それは求めているものの違いのような気がしました。無力感と深い喪失を抱え再生へともがく中年の姿が読みたければ「国境~」あたりが、喪失とノスタルジーならば「ノルウェイ」「スプートニク」あたりが、スピード感ならば「世界の終わり」三部作あたりがよいのではないかと想像します。でも、アフターダークにはそういうのがないから、違う!って思うのもすっごくわかる。カメラ視点はしつこい感じだし、村上語もいい加減うんざり。こんな風にいきっこないうますぎる展開とか。でも、もし帰ってこない直子や鼠やあの頃の「僕」が登場する物語だったら? 島本さんはまだ寒い車の中で泣いてるし、ミュウもどこかで高級車を運転してる。そして、もうきっとそこから動けないのです。だから、カフカ君とか青年少女が中心の展開になったのではないでしょうか?「風の歌~」が世にでたとき、誰が「アフターダーク」が同じ作者によってつくられると想像できたでしょうか?よく分からない凝り過ぎた文体とか、無理のある会話運びとか痛いとこはあるようにも思うけど、1970年代にあれほど固執したおじさん(失礼!スミマセン"")が、ようやく2000年を受け入れ始めているのです。もちろん、勝手な想像です。でも、本当の意味で変わり始めている気もするんです。明らかに”丸く”なったし、全体のトーンが明るくなっています。異論反論はあると思いますが、読む価値はあると思います。自分が村上春樹に何を求めているのか、村上春樹自身は何を求めているのか~って。何かつまらないぼやきしか言えてないぞ...スミマセン。。。 | ||||
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やさしく、ステキなお話だと思いました。評価の高い初期の作品には今ひとつ世界観がなじめなかった私には、こういった小説が合っているようです。あのころの話はなかなかフツーには読めないです。「アフターダーク」は静かな夜を過ごす優しい人々の話です。私は心がぽっと温かくなりました。ところで、カオルさんが今ひとつイメージわかなかったんですが、今朝、アジャコングさんをテレビで見て「これや!」と思いました。 | ||||
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地の文がほとんどなく、会話で展開されていくストーリーは、さらさらと読みやすく、あっという間に読み終わり、あれっ?バラバラに展開された全てのものが結びつき、ねじれながら展開していくのが村上春樹の作品と決めてかかっていたので、予兆のみで終わってしまった結末には、肩透かしを食らったような気分になりました。他の小説家が書いたものなら、合格点に面白い。でも、村上春樹に求めているものとしては・・・。読み終わってから、辻褄合わせに考えたこと。これは、夜中から朝が来るまでの7時間足らずの出来事を、ドキュメンタリー風に切り取っただけのもので、なんの結末へも向かうつもりはなかった。その後の時間については、読者がそれぞれ想像出来るようにわざと放り投げるように終わりにしたのではないかということ。それとも、現代を切り取ろうとするには、村上春樹が歳を取りすぎて、俯瞰しての視点という手法を取らざるを得なかった。はたまた、「僕」という一人称での小説は得意だが、女性の視点を描くには深みがない。苦手?重要な主人公の一人に19歳のマリを据えたことにより内容が希薄になってしまった。いずれにしても、夜中にファミレスで2時間程度を潰すにはもってこいの小説。なかなか寝付けない時、ふと夜中に目が醒めたとき、ザーザー音を立てるテレビの画面を見て、戯れに想像するような、小さな作品。 | ||||
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村上春樹は、「ノルウェイの森」で心ならずも踏み込んでしまった迷宮から未だに脱出できず、彷徨い続けているかのようである。 生還を待ちわびる読者にもたらされた前作「海辺のカフカ」は、異常ともいうべきキャンペーンもあり商業的には大成功を収めたようであるが、その文学的惨状が大方の「村上離れ」を加速してしまったことも否定できない事実であろう。 さて、残念ながら、本作こそはという儚い期待も木っ端微塵に打ち砕かれてしまう。 そこにあるのは、寂寞たる既視感のみであると言っても過言ではない。 仮に、初めての読者であれば、村上春樹の名声に首を傾げることになるのは必定。 それにしても、派手な広告こそ慎んだとはいえ、このようなものを臆面もなく売りに出す編集者と出版社の罪は限りなく深いと言わざるを得ない。 「昔は良かったのに。」と言うのは旧来の読者にありがちな常套句ではあるが、せめて、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」や「羊をめぐる冒険」の水準を保持してくれることを願ったのが「木に拠りて魚を求む」行為であったとすれば、自らの不明を恥じるほかない。 | ||||
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短いのであっという間に読めた1冊今、現在の日本の都会に生きている人々をの一晩を 温かく痛みを持ってひそやかに切り取った小品。読んだあと 自分の生活や日々通り過ぎる街を思い出して確認しました。 | ||||
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村上春樹が新たな境地を模索している。そう思わせる作品だ。きわめて純粋な観察者としての視点を通して、客体化された物語を語り手として書き進めている。主体的でないその文体は、多くの村上ファンを失望させているのかもしれないし、これまでの村上作品とは比べ物にならないほど、物語の細部が、何も解決されていない。これまでの村上作品では、さまざまな物語中のナゾが、見事に融和して解決され、それが読者にとっては爽快な読後感となっていたことであろう。あるいは「何も解決されていない」状況を残すことで、かえって作品を忘れがたいものとしている作品もあった。このアフターダークでは、そのような作品とはなっていないので、これまでの村上ファンには物足りないであろう。あるいは、断片的なスケッチのようなものかもしれない。画家が、精密なスケッチを繰り返し、そのパーツを組み合わせて大作を書き上げるように、純粋な観察者として状況を精密にスケッチをし、さまざまな状況を組み合わせて、より大きな物語が出来上がるのかもしれない。そのための試みならば、大いに歓迎したいものである。もちろん、私にとってはこのアフターダークだけでも、ひとつの物語として、十分なものである。上に書いたようなこれまでの村上作品から予測するものとは異なったものだが、すべてを書き尽くすよりもより多くのものを、読後に残している。 | ||||
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「納屋を焼く」「象の消滅」「沈黙」などと同じく、普段意識されていない闇の世界との関係性がテーマになっているように感じた。だが、上記3作品のほうが遥かに遠く、深くまで、闇の世界を探索していると思う。誰も知らないところで起こる、誰も気づかない決定的な変化。名もなき人々、誰からも注目されない人々の、声なき声…それらを描き出そうとする視座は、この作品にも十分に感じられた。だが「ねじまき鳥」以後、村上作品に闇の深遠さへの到達距離を求めてきた自分にとって、今作は手応えがなかった。3人称だとか、カメラの視点だとか、そうした表層のテクニックがそんなに重要なのだろうか。不自然なだけで、逆に意識の妨げになった。もしかしたら、自意識を持ち続けて読ませるための装置なのかもしれないが…。…と、読んだ直後には思っていたが、時間の経過とともに新たに感じることがあったので追加します。この作品は今までの作品で言えば「蜂蜜パイ」に一番近いのではないだろうか。闇を描きつつ、最終的に光のあるほうへと読者を誘うという意味において。殺人の低年齢化など、混迷の度合いを深める日本社会の中で、たとえ微かなものでも光を見出そうと、もしくは光があることを期待しようと、著者は必死で模索しているのではないだろうか。そう思って内容を思い返してみると、新たな手応えが感じられる。現実の混沌をより混沌としたものとして描く作家が多いなか、村上春樹の視点はその先を行っているのかもしれない。 | ||||
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ひきこませる文章でした。が、ストーリーはちょっと読者無視。読んだあとに、期待はずれでザンネンの気分だったのですが、読書後3日ほど夢に小説のシーンがでてきます。精神的に深くささるテーマだったのでしょうか?個人的に「風の歌を聴け」が好きなので、このテは好きでした。ネズミと彼がダブりました。 | ||||
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私の中で一番好きな作家。村上春樹。今回もやはり発売と同時に購入。3時間程度で読了。感想は、これが普通の小説家の小説だったら、うん、いい小説だなぁと満足するところなのだが、村上春樹の小説となると、やはりかなり期待していたので、失望してしまった。もっと深い、ドストエフスキーのような長くて深い小説を期待していたのだが、まるで短編映画のようなサラッとした小説だった。いいように考えると、文体は変化しているので、きっと次の小説のための新しい技術を試しているんだろう。まぁ、でも、個人的な意見としては、これから購入を考えている人は、買う必要はないと思う。次の作品が出た後に、そして次の小説が面白ければ、読めばいいと思う。 | ||||
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読み終わっても体の奥にじわりと残る、あの心地よい読後感が今回の作品では微塵も感じられなかった。つまらない映画の長大な予告編を文字に起こしたみたいな作品だった。とにかく登場人物である若者たちにリアリティーのかけらも感じなかった。もちろん、そうしたリアル感のない若者の存在もある種の小説的世界には必要な場合もあるだろうけど、その小説世界に入って行けないのだからどうしようもない。一人一人が思わせぶりで、何かの予兆だけを残し、小説が終わってしまった。この話から何か教訓めいたものが引き出されるのかな。 ああ、できれば村上さんの実年齢に近い、初期の「僕」の感覚をもった主人公を中心にした物語を、もう一度読んでみたい。 しかし、こんなにつまらない話を退屈させずに最後まで読み通させる村上春樹の力量は、やはりすごいんだろうなあ。 | ||||
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明治末期ならば閉塞感に対し、島田清次郎の熱さや葛西善蔵の諦観で対処した。が現代東京は、熱くも諦観にもリアルはなく、もちろん癒しにもなく、ただ閉塞感の中で戸惑いつつも、欠点が長所でもあるそんな当たり前の性質をもつ身近な人との、ちょっとした出会いからしか閉塞感の脱出はないし、また時に脱出し、時に脱出できないしという現実を受け入れながら、魅力はないが、あった方がいいだろうといった各駅停車のようなライフスタイルを再構築している等身大の読者を多少デフォルメした社会小説。「わたしたち」という表現には、誰もが内包している、実は個にさほどのこだわりのないテレビやインターネットといったマスメディアに依存した人々の、総体的な観点と心境を感じる。そしてその犠牲者として世間価値に無意識に踊らされていた姉が価値の再生へ向けて冬眠、いや充電をし、いままでの価値観に違和感を感じつつも地道にでももちろんアヤフヤさのど真ん中で「個らしいもの」を確立していく妹たちの、孤独前提の価値観を構築している様子をタンタンと見せ、メッセージ性を隠すことで、読者は春樹の世界観に現実の自分らもいることを実感するから、かえって説得力がでている。登場人物と読者の垣根がとっばらわれた、実生活と物語が実感で調和できる位置を示唆した参加共住型小説とも言える。無機質な交換不可能性の一切ないデニーズやラブホテル。言葉と物語の希薄なセックスといった刹那的ゆえ浅い快楽に囲まれた可視的な環境までもイビツになっている現状に対し国民作家という立場から、精一杯の再生プロセスメッセージになっていると思う。しかし現代版夏目漱石だけにどうしてもマジメさが鼻につき、必死にマジメさを隠しても、本質は明治文壇の系譜的人生、自我模索小説から今回も一切はみ出ていない。つまり芸術という基準からいえば? | ||||
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読みやすい。その一言につきると思います。理解しやすい。お馬鹿なあたしは、情景がうまく想像出来なかったり、前に書いてあった事の記憶があやふやになって、途中前後して読んだりするのですが、この本に限っては、一切ありませんでした。とにかくさらりと読めます。裏を返せば、それほど話が入り組んでいないとうこと。後読感としては、自分の好きな春樹さんの短編一つよりも軽い。こう、後まで引きずる思いがなかった。他の人も書いてらっしゃいますが、かなり・・・な感じです。長編なんですよね。。。うーん。。。読者としての自分が春樹サンの物語の構造に慣れて新鮮みをかんじなくなったと言えば、そうなんですが。。。なんて言うかね、、、出題と回答を一緒に渡されちゃった感じ。。考える余地を与えてくれない。「世界の終わり~」が自分は一番好きなんですが、一緒に考えてる感があったんですよ。それがもうない気がする。「世界の終わりは~」何だか分からないけど、書かなきゃいけない事があるから、どうなるか分かんないけど書く。って感じがしたんだけど。今回は、これをこうしてこうつなげて、こう終わろうみたいなのが、読んでて分かっちゃった感じ。宿題やってないのに、答え合わせだけしてる。みたいな感じかな。。。 | ||||
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春樹さんを知っているかたなら、当然のごとく買うだろうので、説明は不用だと思います。ここでは、中高生といった若い方に一言申し上げます。 結論からいえば、アフターダークを読む前に次の二冊(村上春樹著)は読んでください。1,ノルウェイの森2,ねじまき鳥クロニクル そして、この二冊を読み終わってから、アフターダークを読んでもらえると、「ああ、この作者は新境地に挑んでいる最中なんだな」と肌で感じることができます。 特にして欲しくないのは、アフターダークだけを読んで、「なんだよ、ムラカミハルキってツマンネーよな」なんて、言うことです。 あなたが私の推薦した本をよんだら、、この作品よりも、もっとずっと引き込まれることをお約束します。 もちろん、この本も「それなりに」はおもしろいのですが、若い人が求めるものではないと、私は思います。 こんな風に考えるといいかと思います。 昔、イチローはもっと上手に打てる打法を研究していましたが、研究中は色々試していたので、以前よりもダメになってしまいました。 しかし、色々試してみて、打法が完成したら、打率が4割近くになり、ビシバシ打てるようになりました。 さらに、完成した打法だけではなくて、以前の打法でも上手に打てるようになったとさ・・ とにかく、(初めて春樹さんの本を読む方は)アフターダークを読む前に上の二冊を読むか。 あるいは、アフターダークを読んでから、図書館に行って、ノルウェイの森とねじまき鳥クロニクルを有無をいわずに借りてきてください。そして、ノルウェイの森は(できれば)夜の9時前に・・いや8時かな? 読んでください。(眠れなくて学校に遅刻すると悪いので) 以上、うだうだ言ってきましたが、「春樹さんは、こんなんじゃねーよ。もっともっとスゲーんだゼ」ということです。 ・・しつこいようですが、アフターダークだけ読んで、彼の作品を読むことを中止することは「絶対に」やめてください! | ||||
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村上春樹という作家が、50代にしてさらに前に進もうとしているのだという事実に背中を押された気がします。変化した文体、多様なVoice、視点の移り変わり。いくつもの新たな試みが盛り込まれ、読者の期待は裏切られることでしょう。好むと好まざるとにかかわらず、村上さんは、もうそこにはいないのです。こめられたメッセージは明快なものから暗示的なものまで両極ですが、「魂の午前三時」を乗り越えて、新しい一日を踏み出すための滋養に満ちた本であることだけは確かです。僕が保証します(笑)本作品は、ボリューム的には丁度「スプートニク」程度の小品であり、次なる大作へのステップとして位置づけられるものでしょう。おそらくは。 | ||||
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それが何処にでもあるたった一晩のモノガタリを切り取っただけのものであったとしても、或いは何らかの策略や意図があったのだとしても、そんなことはどうでもいいような気持ちになるのは、その筆圧の所為なのかも知れないと思う。受け止め方がさまざまであるのは当然のことで、それこそ個人的である方がより好ましいと感じるのは私だけであろうか。すべては「視点」の問題だ。視点はアチラガワにもコチラガワにも在り得る。点と点が繋がるかそうでないかは重要なことがらではないように思う。「点」は純粋に永遠に「点」であっても良いのであるし、多くの人が望むように線になっても良い。奔放で注意深いその筆圧に、多くを望んではいけない。それはただ其処にあり、これだけ多くの想像力をかきたて、確かなものとして君臨しているのだから。 | ||||
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うーん、正直言うと厳しい作品。今までの春樹作品というと、緻密に計算された文を構築している所が好きだった。例えば、「ねじまき鳥~」では、「井戸」はフロイトのいう「イド」、(快楽主義)の暗喩であるなど・・他にも沢山あるのだが、今回はそういった緻密さは感じられなかった。「わたしたち~」のエリの部分は極論なくてもいい。会話ばかりの、シナリオ調で進む本作は25年を意識しすぎた、やっつけ仕事的にもみえなくない。村上春樹を愛するからこそ、今回の作品は残念だった。 | ||||
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