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アフターダーク
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アフターダークの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.47pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全470件 321~340 17/24ページ
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姉妹に、高橋君に、ホテルの従業員たちに、プログラマーに、バイクの中国人に、その他の人物に、少しずつ「自分」が含まれているような気がしました。自分は傷つけるものであり、傷を受けるものであり、裁くものであり、裁かれるものであり、愛を与えるものであり、求めるものであり・・・。現実はなかなか好転しないかもしれないけど、それでも何かを求めることで、ちょっとした何かが変わっていくのかも、そんなふうに感じました。誰かを真剣に抱きしめたのは、誰かに強く抱きしめられたのは、いつの頃だったでしょうか? | ||||
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同時代の空気を感じさせてくれる作品である。 「私達の視点」が導入されることで、そこに主体でもなく客体でもない 中空に読者は導かれる。多層的な因果性が巧みに語られ、 一点に向かい凝縮していく過程が楽しく、Jim Jarmuschの映画を思わせる。 ある種の予感を感じさせながら夜が明けるが、その後のカルマレース (というべきか?)も誰かの目線でライブリーに体感したいという感が残った。 | ||||
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「約束された場所で」のあとがきの結びが、そのまま登場人物のセリフになっていたことが印象的でした。地道なインタビューを重ね、それを本にまとめ、それから何年か考えてきたことの、総決算がここにあると思う。何かが間違っていたら、被告席に立っていたのは私たちだったかもしれない。こうしてる間にも、悪は静かに忍び寄ってくる。それはTVのようなどこにでもあるものかもしれないし、他の何かからかもしれない。あるいは、悪は私たちの中自身に、最初から含まれているのではないだろうか。そんなことを、哲学的に、演繹的に、ではなく現代のテーマに即して、書いている。ノルウェイの森とかとは少し違う話。 | ||||
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11:57から時間と並行して、複数の人が絡み合うこれ迄村上春樹の特徴でもある『僕』の一人称を止め『私たち』が小説を引っ張ってゆくしかし、『私たち』は視覚のみの参加であり、そこにいかなる暴力が生まれようとも止めることも、守ることも出来ない真夜中の『すかいらーく』や『アルファヴィル』(ラブホ)などで危険は境界線など持たず闇に紛れて潜んでいる多く登場する浅井エリ19歳と、眠り続けるエリの姉マリトロンボーンを弾くタカハシ19歳、眠れないサラリーマンの白川『アルファヴィル』のカオル・コオロギ・コムギ自覚しているいないも含めて、登場人物は何かから逃げている逃げても私たちの周囲には危険が蔓延る喪失感は村上春樹がもともと作風にあったものだが今回の作品では、そこに感性が消えてしまったように感じる故に、その潜む危険からもたらされる喪失感に輝きはない更に、伊坂幸太郎を読んだことがあると、こういう構成にキレが無くおやじ臭い小説にしか感じない設定に19歳を置くには、今の19歳が持つ喪失感と村上春樹が創り出した19歳に隔たりを感じるデビュー25周年、50代の感性を生かした作品のほうが読んでみたい装丁の重厚感から期待すると寂しい思いをします村上春樹にとって、サリン事件は本当に何かを抱え続ける大事件だったと今回の作風で改めて痛感しました | ||||
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「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」で2つの物語が平行しながら見事ならせん状の軌跡を見せるスタイルに陶酔させられたので、今回もと期待したけど、アフターダークは、感心させられるような構成や展開はなく物足りなかった。特にエリのシーンは、動きがなく静かすぎて退屈した。最後までそんな調子のエリにページをさきすぎかな。続編よりも、新編に期待します。 | ||||
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スプートニクの恋人あたりから自分の中の村上春樹離れがあり、その後の作品をまともに読んでいませんでしたが、今回久しぶりにハードカバーで購入し読了してみて、このサイトで多数の方々が批判されているようには感じませんでした。たしかに不完全、きっと続きがあるに違いない、と思わせる終わりで、まぁきっとあるんでしょうけれど登場人物たちの会話から見える人間の不安とか孤独とかいったものを、興味深く読みましたし、以前の村上春樹小説同様に登場人物をなんとなくこの人好きだな、と思っちゃいながら読める本でした。また、スガシカオとかセブンイレブンとかそういう現代俗っぽさキーワードには「村上春樹もこういう目線もってるんだなー」とちょっと変な安心感をもちましたけどね、私は。しかし、エリの部屋でのストーリーは正直うざったるくて、カメラ視点もよくわかりませんでしたし、二つのストーリーがもっとばっちり組み合わされたらストンとくる読後感があっただろう、とは思います。 | ||||
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異常な物語は、淡々と、いやに淡々と流れていく。それぞれに意味がありそうで、その実、たいして意味が無いようにも思える。でも、そういう出来事がひとつでも欠けてしまうと、その夜は構成されることはなかった。そんな気にさせられる物語である。村上春樹の作家としての裁量というのは、恐らくそういう物語のつむぎ方と、細部の細やかさにある。この物語を読むものが、どのようにこれらのエピソードを消化するのかはよく分からない。しかしどのようにも消化の仕様がある。つまり、自分の物語を発見できる仕掛けになっているのである。だから読者はそれに任せて自分の夜をすごせばいい。夜が明けると、そういう事情を消化して、ともあれ自分が再生できる仕掛けである。小説の勝利とは、そういうことを言うのではないか。 | ||||
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ずっと村上春樹のファンで、本作品も発売と同時に購入し読了しました。都会の深夜を舞台に、秘密を抱えて生きていく姿がそっと描かれていて、静かに心にしみわたるような作品であったと思います。しかしながら旧来の村上作品のような作品を期待して本を買っただけに、多くの方が批判されているように、内容には戸惑う事の方が多く、話の一つ一つが不完全で物足りなさを感じましたので、やや辛口な評価にしました。 | ||||
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今まで村上作品を読んでない人は文庫で初期の作品から読んで下さい。昔はすごかったんだから!この一作で村上さんを評価しないで下さい。 | ||||
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春樹さんの本といえば、読み終わるのがもったいなくてわざとのっそり読んだり、いやそんなことは言っていられん!と夢中になって読んでしまったりと、とにかく読む幸せがあった。ところが今回は時折読み返さないと進まない、読んでいてもいまいちのめり込めない、と今までの春樹本との違いを感じた。日が暮れてから朝が明けるまでのダークな時間に「私たち」という視点を軸に物語を覗き見る。僕はいない。自分の内心を語るべき人はおらず、そこでは私たちとして窺うだけである。視点は細切れに動きふれることもできない。そういう不安がのめりこめなかった理由なのかと思うけれど、多分それだけではないんだろうな。皆さんの読み方を見て自分では気づかなかった点や、見過ごした点を感じたのでもう一回読み直してみたいと思う。もしかしたら今回とは違う評価ができるのかも。 | ||||
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冒頭から「私たちは・・」と何かのアトラクションに招待されるような感じにドキドキして、何だろう何だろうと思っているうちに朝が来て、でもまた夜は来るし。もうフラフラです。おもしろかった。 | ||||
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おそらく、春樹さんにとって、この「アフターダーク」は、新たな表現方法への挑戦なのだろう。今までであれば観念的な叙述で表現していたものを、事実や情景を忠実に再現することによって表現するという一つの試み。 この小説が、映画のシナリオに見立てられているという話があるが、われわれの生きる日常=現実世界は、小説よりも、むしろ映画に近い。つまり、観念的な説明の付されない事実(例えば、会話だったり、情景だったり)がそこにあるだけだ。 われわれは、そうした現実世界において、観念的な言葉がなくても、目の前の事実から<観念的なあるもの>を感じ取って生きている。春樹さんは、きっとそれを再現したかったのではないだろうか。 そのほか、気になったのは、この小説の中で、エリは2つの世界を行き来するが、この2つの世界という概念と、今回の小説の中でたびたび出てくる「逃げられない」「逃げ切ることはできない」という概念とがどのようにリンクするのかということである。もしかすると、この2つは全く別のことを言っているのかとも思ったが、それでは何だかおもしろくないという気がするし、「逃げられない」という概念がこの小説の中で宙に浮いてしまうような気がしたのである。この点については、もう一度、小説を読み直して考えてみたい。 | ||||
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村上春樹は力のある作家だと思う(文章力) 前作のカフカは傑作でした しかし 今作において村上さんは素晴らしい導入部を描きながら 失敗していると思う 読者は自由なカメラとなり羽ばたこうとするが 村上氏が視点を規定しているため動きは封じられているのだ もしあのイントロを生かそうと思えば村上氏の文章が邪魔なのだ | ||||
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どう考えても、これから始まる物語のプロローグにしか過ぎない。物語の全体構成を示してから、この作品の位置づけを示したらどうだろうか?少なくとも、あと2冊は続編が期待できるが、全部書き下ろしてから発売したらどうか?まさか、生活に困っている訳でもあるまいに。。。また、主人公役は読者自身であるとでも言いたいのだろうか?それは著者の驕りではないか。いかにも村上春樹の作品に登場しそうな浅井エリがどうなっていくかが読者の期待である。 | ||||
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読む前はかなり気合いを入れて、(いままでの村上さんのイメージが頭の中にかなり強く残っていたから)緊張して読み始めました 時間と共に進んでいく物語・・・そこにひとり、またひとり、と絡まりながら、断片的ではあるけれど、細い糸を繋いだように話が流れていく印象を持ちました ところどころに音楽が効果的に表れ、朝の訪れと共に終わりを告げる・・・登場人物もそれぞれに個性的で人物像の違いがはっきりとうかがえました さらりとした、液体のように私の中を通って行った一冊でした この次は長編が読みたいです | ||||
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夜は明けるし、希望はある。おしゃれな会話のやりとりは期待を裏切らない。けれど何だか物足りない。俯瞰的なナレーションより、一人称で語られる「僕」の物語が読みたかった。ところで、白川をジョジョのキラヨシカゲをイメージして読んだのは僕だけだろうか。荒木ヒロヒコは絶対ムラカミハルキファンだと思う。 | ||||
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皆さん。ひょっとして、今作品には講談社の新手戦略として(下)あるいは(中・下)が隠されているのはないでしょうか。なぜならば、この作品を見る限り未だに、たぶん渋谷(ファミレス、ラブホテル、公園、コンビニ)と井の頭線沿線(エリ&マリの実家)と江古田(白川宅)しか、例の「カメラ」は移動していません。ジェイズ・バーから始まり、北海道、ノルウェー、ハワイ、湘南、ギリシャ、モンゴル、モノンハン、ロシア、四国etcへと連れて行ってくれた羊博士の生みの親がここで終わる小説を書くとは思えません。当然、マリも高橋も中国に行かなければならないし、白川は「皮剥ぎ」以上の宿命を負うべきでしょう。現代日本を代表すると言っても過言ではない小説家の新作に期待する、老若男女の読者に対して講談社どう対応するのか。お手並み拝見。 | ||||
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2つの世界が同時進行し、あとあと話が繋がっていく。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」と少し似た展開ですごくおもしろかった。最後数ページになって、もっと小説の世界にいたくて惜しいと思ってしまうほど。改めて、「村上春樹とは一体どんな人物なのか」と思わされ、本人に会ってみたい衝動に駆られた。村上春樹の本は、すべて、何気ない人間の日常の動作を「いとおしい」と感じさせてくれる唯一の作品であると思う。日常、欲しいものを買いあさり、すべて手に入れようとする私たちに、心が豊かであることの幸せを感じされてくれる。このアフターダークのなかで描かれている人物も描写を読む限り、とてもお洒落な若者ではない。しかしどこか、読み手を虜にさせる魅力を秘めている。ぜひぜひ一読して欲しい。 | ||||
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往年のJAZZファンは、JAZZをあまり好まない人たちからは、「眉間にしわを寄せてる偏屈おやじ」というイメージと言われるが今回の小説も、なんとなく、そんな感じで終わってしまった。JAZZファンとしては小説にでてくる曲を聴きながら楽しめたというオマケはあったものの、でも、最後まで「眉間のしわ」はそのままだった。作者のエッセイは本当に気軽に楽しくよめるのに。ただ、なんとなく渋谷の街の退廃したムードやその中で生きるということなど、非常に生き生きと描かれていたとは思います。次の作品を期待したい。 | ||||
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生きることの虚無感。そこに微かな光を差し込もうとするのにいつもその光は遮られる。いったいいつになったらこの虚無感から脱することができるのか。永い永い夜の暗闇。朝が来ることは知っているけれど、繰り返すこの夜に私はいつまで耐えられるのだろう。私がここに居るという感覚はいつも危うい。重力を感じ、自分の肉体を感じることももはや潰される恐怖でしかない。村上春樹の作品からは暗いものを一番強く感じてしまう。小説のなかの描写された現代社会と現実の現代社会のギャップは感じてしまうけれど、登場人物の根底を占める感情は変わっていないように思う。その感情が時代に合わせて少しだけ表現の仕方が変わってきているだけなのだ。その意味で村上作品の根底は変わっていない。希望のようなものは作品中に見出せなかったけれど、マリがいろんな人に出会い自分を再確認したことで、マリのこれからに希望を抱ける。 | ||||
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