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小説



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【この小説が収録されている参考書籍】
小説

小説の評価: 3.78/5点 レビュー 27件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.78pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全27件 21~27 2/2ページ
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No.7:
(5pt)

泣いた。心が救われた。

通勤時に小説を読んでいる方、誰かに会うより小説を読んでいたい方、本屋に行くだけで癒されている方、飲み会より小説を味わいたい方、夜に寝る前に読書を嗜む方、この小説に出会えることを願ってます。
小説Amazon書評・レビュー:小説より
4065373263
No.6:
(4pt)

想像と創造を二度考える

この世の中でもっとも尊敬する、あるいは憧れる職業は「小説家」です。
2025年本屋大賞にノミネートされたいたことから、この小説を手に取りました。野崎まどさんの作品を読む
のはこれが初めてでした。
クオリティの高さは感じましたが、読み終えた後しっくりきませんでした。
もちろん作風に対する好みはあるので、個人的な感想の域を出ないのを承知でいいますと、「小説論」と
「物語」がうまく融合しきれていないように感じました。
いっそのこと、「小説」のテーマ本にされていた方が、ストンと腑に落ちただろうなぁと思います。
特に、語り手である主人公の内海集司が吐いた、 ”読むだけではダメなのか?” は多くの読者への問い
かけであり、修辞法でそれもアリだよと教えてくれているところに妙味があります。
もう一人の主人公である外崎真が小説を ”書く” 才を評価されていくところの対比と、心の揺れは見事
に描かれています。レビュータイトルとした「想像」と「創造」についていうと、小説家はストレート
にそれを体現できる人です。かたや読者の私たちは、想像という虚構の世界を一人で楽しむことはでき
ても、外部に対して表現する創造ができません。
単純に考えると、虚構の世界を小説という形で表現できる小説家と読者とでは創造力という点において
雲泥の差があります。
だけども再考するなら、たとえ外に発信はできなくても、小説を読みながら、脳内で自在にストーリー
を解釈したり、感情移入したりすること自体が、創造なのかもしれません。
そのようなことを本書を読んで感じることができたのは、野崎さんの筆力によるものです。

そのいっぽう、物語としての小説は途中から方向性を見失っていくかのようで、最後の着地に無理やり
もっていったという印象がぬぐえませんでした。
平野啓一郎さんのように、テーマ本は『分人主義』、それを物語で表したのは『ある男』といった具合
に分けた方が著者のメッセージが伝わり易かったのではないでしょうか?
小説Amazon書評・レビュー:小説より
4065373263
No.5:
(3pt)

次作に期待

中盤までは間違いなく面白かった。
 自分も物語を読むことを人生の中心に置いているので、主人公に共感できる部分もあった。
 読書を人生の目的にするのはもちろん構わないのだが、結局趣味というのは程度問題で、人生の骨格になるのは生活することであり、それには働いて賃金を稼ぐことや老後のために貯金することも含まれる。それを阻害するほどに、趣味の本を買うお金にも困るほどに、労働が難しいくらいに、本にのめり込んでしまえば、それは問題になる。人生のバランスを欠く。
 昔問題になったオンラインゲーム依存症もオンラインゲームを趣味にすること自体ではなく、生活ができないほどにオンラインゲームにのめり込んでしまうことが問題だ。
 後半の唐突なファンタジー展開にはかなり置いてけぼりにされたが、主人公と友人の物語としては感動はあった。
 しかし、主題となる小説の意義や読むだけではいけないのかという問いに対しての答えは、あまり関心を抱けなかった。
 勿論、この本を読んで『答えを得た』という風に感じた人を否定するものではないが、自らの人生の主題となる趣味への意義くらい自分で考えてもいいのでは? と思う。
 自分は物語が好きで、結局どのジャンルでも物語は文字で構成されるものだから、媒体がアニメだろうが映画だろうがゲームだろうが小説だろうが関係ないのだけれど、特に今回の主題に限って言うなら小説を読む理由なんて『自分にとって面白いから』で十分ではないのか?
 面白く感じないなら、別に小説を読む必要なんてない。
 昨今若者はどんどん長文が苦手になっていると聞く。それが楽しいのなら、運動するのでも、旅行に行くのでも、恋愛するのでも、別に趣味はなんでもいいと思う。
 大事なのは自分にとって楽しいことで人生を満たしていくことだし、その趣味に依存し過ぎて生活を破壊するくらいに信奉することは避けることだ。
 この本を読んでも別に万人にとっての正解が小説を読むこととも思えない。好きにすればいい。

 自分は野崎まどの作品だとバビロンのⅡが一番好きで、作者の特徴は積み重ねて積み重ねて、終盤で一気にひっくり返したり、伏線を回収したりする物語の気持ちよさだと思うんだけど、最後のぶっ飛び方があまりにも荒唐無稽だったり、観念的だったりすると気持ちよくノれなくなってしまう。それがイヤなカタチで発露したのが正解するカドだったと思うんだけど、今作もファンタジー要素にそのケを感じた。
 積み重ねからのぶっ飛びに納得感がありながらも、新天地に至ったみたいな感覚になる、例えば『know』みたいな作品がもう一度読みたい。
 野崎まどでしか味わえないものがあると思っているので、次作に期待。
小説Amazon書評・レビュー:小説より
4065373263
No.4:
(5pt)

ハレルヤ! 虚構の物語としての〝小説〟讃歌に、胸がじんとしびれましたわ。

話の半ばくらいまではとても好感を持って頁をめくってたんだけど、真ん中辺りから終盤にかけて、話が途方もない幻想的な雰囲気になってきて、よく分からなくなりました。

作品の終盤は、エンデの『はてしない物語』の風味あり、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』っぽい描写ありと、それこそ色んな物語、あまたの〝小説〟がぐるぐる、ぐるぐると渦巻いてるみたいなね、そんな目眩く思いへと誘(いざな)われました。

本作品で特に好きなのは、小学六年生の内海集司(うつみ しゅうじ)と外崎真(とのさき まこと)が、トールキンの『ホビットの冒険』の物語に心奪われ、時の経つのも忘れて読み耽るシーン。
私も、まさに小学六年生の時、友達と三人で訪ねた〈図書館のおじさん〉の家から借りてきた『ホビットの冒険』の単行本!あの素晴らしい物語と挿し絵(寺島竜一氏の手になるもの)に夢中になった思い出が強烈で、今でもよく覚えているものですから、それとよく似たこの場面には、何か既視感(デジャ・ビュ)のようなものを覚えたですね。このワンシーンが読めただけでも、本書を読んだ甲斐がありました。

話の途中からは、ほんと、なんだか夢の中をたゆたっているみたいな心持ちになりましたし、理解しづらいところもたくさんありましたが、「本書を手に取って良かった!」と、そう感じましたね。不思議な、得難い読書体験でした。
小説Amazon書評・レビュー:小説より
4065373263
No.3:
(5pt)

新作

11年前から読み続けてる作者
5年待った、読んだ。
色褪せない世界が迎えてくれた、それだけで本作が良いと思った
小説Amazon書評・レビュー:小説より
4065373263
No.2:
(5pt)

“まだ嘘が無い頃、人生は一回きりだった。”

2024年、いちばん読んでよかった小説は、『小説』でした。

「小説とは何なのか」という途方もない問いに、真正面から向き合って、一つ明確な答えを出す物語。
「答えは君次第」とか「みんなそれぞれの解釈がある」とか、そんなぬるいことはしない。きちんとちゃんと明確な答えを出す。すごい。潔い。カッコいい。

小説を読み続ける/小説を読んだことのあるすべての人を肯定する一冊でした。
小説Amazon書評・レビュー:小説より
4065373263
No.1:
(2pt)

「小説を読む意味は何か?」というテーマは悪く無いのだけどいささか観念論に走り過ぎている感が

講談社タイガで発表していた「バビロン」が停まってから妙に寡作となった野崎まどの新作。

物語の方は墨田区で病院を経営する医師の息子として生まれた内海集司が小学校の図書館で別のクラスの児童である外崎から「竜馬がゆく」の感想を尋ねられた場面から始まる。

単純に「面白かった」と伝えるだけでは「竜馬がゆく」という作品の面白さを伝えきれないがクラスが異なる事で大した付き合いもない外崎に細々と語る義理も無いと思った集司は黙って「竜馬がゆく」の1巻を貸すがその一冊が外崎の思いもよらない読書欲を刺激する事に。

そんな形で付き合う事になった二人はある日教師から学校の近所に有名な小説家が住んでいるという話を聞きつけて大胆にもその家に忍び込む事に。敷地内に侵入したは良いがその先を考えていなかった二人は結局呼び鈴を鳴らすが出てきたのはモジャモジャ髭の得体のしれない男だった。

言葉に詰まった集司の横で髭の男に対して外崎が投げ掛けた「小説って書けるんですか?」という問い掛けを切っ掛けとして集司と外崎、そして名前もよく分からないモジャモジャ髭の小説家の先生との付き合いが始まるが……

うーん?野崎まどを追って10年以上は経つと思うのだけど、随分と作風が変わったなあという印象。作風が変化しているという印象は前作の「タイタン」でも感じ取れたけどもメディアワークス文庫や電撃文庫で発表していた頃とも「バビロン」とも明確に路線を切り替えて来た……といえば聞こえは良いかもしれんが率直に言うと観念論くさい。

物語の方は医師の息子として一方的な期待を寄せてくる父親を喜ばせる為に本を読み始めた内海集司とひょんな切っ掛けで知り合う事になった異常な集中力で本を読む以外は何かにつけて集司に頼りっきりの外崎という二人が本名すらよく分からないモジャモジャ髭の先生と関りあいになりながら長い付き合いを続けていく様を追っている。

218ページの本文のうち135ページ目まではおよそ「助走」と言って構わないかもしれない。文才の片鱗は見せながらもパッとしなかった外崎が高校の頃に髭先生に見せて貰った原稿にあてられて「小説を書きたい」と志す様になるまで傍で支え続けた集司が30歳近くになって外崎が初めて受賞するまでは完全に二人の関係を読者に印象付ける為にあったのだと言って良いかと。

外崎が社会に認められた事で集司が初めて自分が抱えていた想いに気付き、そのありったけを外崎にぶつけてしまった瞬間からこの物語は加速を始める。

「小説を読んで何かしたいと言ったか」
「小説から得た物で現実を変えたいと言ったか」
「俺は読みたいだけだ」
「駄目なのか」
「それじゃ駄目なのか」
「読むだけじゃ駄目なのか」

……集司が外崎に投げ掛けた問いは長い付き合いを続けた友人にぶっすりと突き刺さるのだけど、より深く突き刺さるのは読者の方じゃ無いかと。少なくとも自分は、読んで偉そうに感想もどきを吐き出すだけで自分では書こうとしない俺にはぶっすりと刺さったぞ?

上で後半まで延々と助走が続くと申し上げたが、逆に言うとこの集司が想いを吐露する場面の効果を最大化するという意味で二人の長い付き合いは語られる必要があったと思ったしこの場面を味わえただけでも本作を読む意味はあると思う。

そこから先は集司に思い切り感情移入して「酷い事を言ってしまった、どうしよう」と蒼ざめながら読む羽目になったのだが……ここから物語は思わぬ方向へ。

姿を消した外崎を追って集司ははるかアイルランドまで飛ぶのだけども、話がここからティル・ナ・ノーグに代表されるケルト神話の世界にぶっ飛んでいくので正直面食らった。サスペンスからユーモアものまで幅広い作品を書いてきた野崎まどだけどリアリティラインは割と安定した作家だと思っていただけにシームレスにファンタジーの世界へと飛んで行っちゃうとは予想外。

いや、面食らうという意味ではこの作品最初から文体が異様にシームレスなのである。冒頭の芥川龍之介の世界から小学生の集司の視点に飛び、そこから時間が巻き戻って集司の父親の話が始まったりと意図的に読者を振り回す様なスタイルなので慣れていないときつい……いや、むしろ野崎まどの文章とはこうであると固定観念に囚われている分、既存の読者の方が文体についていくのにキツい部分があるかも。

この四方八方に振り回されるような物語の果てに集司とその視点を借りている読者は「小説とは何か?」「小説を読む意味は何か?」という問答へと誘われる訳だが……まあ、観念論の世界が一方的に展開されるので「これ『小説』なんだろうか?」といよいよ目を白黒させる羽目に。

観念論めいた問答が好きという人も世の中にはいる事を否定するものでは無いし、どうしても抽象的な論議を交わす場面が避けられないという作品もあるのだろうけど野崎まどがこういった世界に旅立ってしまうとは思ってもみなかった。

メディアワークス文庫で発表していた諸作品や「バビロン」のイメージで手に取ったら相当に頭を抱えそうな作品。野崎まどの進むべき方向ってこれだったのかなあ、これで良いんだろうか、と読み終わって不安になってきた事だけは申し上げない訳にはいかないだろう。
小説Amazon書評・レビュー:小説より
4065373263

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