■スポンサードリンク
小説
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
小説の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.78pt | ||||||||
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全27件 1~20 1/2ページ
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 前半から中盤は引き込まれる。 謎めいた小説家と、主人公2人の学生時代は興味深いのだけど、加速度的に大人になって内容が薄くなっていく。 せっかくキャラ的に立っている現実社会が、ファンタジー混ぜたことによって色あせてしまった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| これは、「小説」を読む書く読んで心が意味を持ち、虚構が成立する。 だから、人は読み手と書き手に分かれたり混じったり。ただ、生きてるだけで意味がり心の内側があって世界が広がる。 最近、量子力学がもてはやされてると言っていいのか。でも、変な涙が後半止まらなくなり、内海くんと、外崎くんで笑い。 うん、生きてるだけでいいんだなって。励まされました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| なるほど、当たり前の話。小説とは虚構ってことでしょ。でももう少しロジカルに作って欲しかった。外崎と内海のタイムスリップも虚構ならではで小説ならではだが、ファンタジーになってしまってちょっと落胆。でも面白い小説ではあったと思う。私には刺さらなかったが。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 最後4分の1ほどで、いったいどこに連れて行くのかと思いながら、頁をめくる手がとまらず、最後は全く予想外の着地だった。壮大な嘘を読んで爽快な気分になった。これぞまさに小説。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 自分にとっての小説とは何なのかを考えさせられましたし、小説家の物語を書くことに対する想いと大変さを感じることも出来ました。小説家の方々が産み出した物語をただ楽しめている自分は幸せ者なのだと思いました。 でも正直この作品は読んでて面倒くさかったしそんなに面白く感じることもなかったです。自分は別に哲学的でもないし、もっと分かりやすい物語が好きだし、本を読んでて特に思い詰めることもないので読んでてイライラしました。 この本を読んで救われたと感じてる人もいるみたいだけど、ちょっとヤバいっすよ。本読んでる場合とちゃうで(笑) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 野崎まどのファンで、最新作ということで迷わず購入しました。ですが、これまでの作品にあったようなドキドキする展開や意外性があまり感じられず、読後感もやや淡白でした。 これまで読んだ野崎さんの作品の中では、正直一番刺さらなかったかもしれません。期待値が高かっただけに、少し残念でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 最後、なんかよく分からん部分、理解しきれない部分も多かったが、 それでもまあ面白かった、小説とは何かを考えた、それをフィクションで書いた、 というあたりでしか読めなかったが、まあそれでいいかなと。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 装丁を見てなんか芥川賞チックな読みにくい本かなと買いながらも敬遠して積ん読してましたが、今日手に取り一気に読破。(装丁の意味も読んでから納得‼︎) びっくりしました。 個人的にはクリスティのそして誰もいなくなった、みたいなすごすぎて読了後ぽかんとして拍手もできないみたいな感じになりました。 もう一回読み直したい。ラストにかけてのとこから。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 二人の主人公、内海と外崎の姿に『サルでも書けるマンガ教室(愛称サルマン)』の相原と竹熊のイメージがダブった。著者の野崎まどセンセイといえば異星人とのファーストコンタクトがテーマのアンソロジーしか読んでない。小説はこの「小説」がはじめて。ふたりに絡んでくる髭先生を始めとする"注目すべき人々"の群れの中にあって、印象深かったのが"孫(厳密に言えばそうじゃないけど此処は便宜的に)"の存在。後半から終盤にかけて顕になっていくツンデレぶりに、ラノベを出発点としたといわれる著者のヒトとナリが窺えるみたいだ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| この先がどうなるか気になりドンドン読み進めたくなったけど、ちょっと不思議な感じの話だった 自分が感じ物が正しいかも分からない だけど、こんな世界もあるんだと思えた | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 何のために小説を読むのか。文学は何のためにあるのか。世界の根源的なありようの中で、小説の言葉はどのような有用性を持つのか。 主題は哲学的だが、物語はわかりやすく具体的だ。そこがいい。 ただし、終盤につれてストーリーはシュールになり、ファンタジックになっていく。まるで村上春樹の小説みたいに。このへんは、読者によって評価のわかれるところだろう。私も、内海と外崎という二人の青年が最後までリアルに物語を紡いでいってもよかったのかな、という気がする。 付け足しだが、外村はどう見ても自閉スぺクトラム症候群の傾向が強いが、結局内海もおんなじだ。言語情報のアウトプットに真剣すぎるあまり、一言も書けないなんて。いい加減なことを書く自分を許せなくなるんだろうなあ。遊びで書けば楽になるのに。…ま、それができないから苦しいんだろうけどね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 文章がほぼ途切れないまま200ページ以上を語り抜く作品。小学生の2人組が大人になっていく物語なのかと思って読みはじめたが、宇宙の真理的な方向に向かっていく。純文学的な作風であるが、展開自体の突拍子のなさはエンタメ作品の展開である。小説を読む行為は素晴らしい。小説を生み出す行為も素晴らしい。そこに意味を見いだすことに意味があるのだと、気付かされる。また、内海と外崎が対になっていることに後で気がついた。そこに意味があったのかと。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 小説現代を図書館で借りて、半日で読破しました。ななめ読みですが、4分の3は、よかった。最後のストーリーの流れにはついていけなかった。読みやすい本ですが、初老の私にはよくわからないところもあります。若い方には、受けているのでしょう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 序盤は楽しく読めましたが、終盤は非現実的な雰囲気が強くあまりハマりませんでした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| ぜひ読んでほしい | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 物語が分かりやすく進行していくが、後半になるに連れ様相が変わり、今までに読んだことのない展開。読書家には面白く興味深い一冊。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 試し読みで良い文章書くなと思って買ったが、途中から疲れたのかそれともただの勢いで書いたのか急に下手になって、それから最後の方になるとやたらに力が入っていたように感じられた。 一つ気になったのは、主人公や登場人物の名前をフルネームで書いたり下の名前で書いたりあやふやになっていて、これが一人称でやるならともかく三人称なのだからする全くそうする必要がないことを理解していない所。 あと風景描写がやや希薄に感じた。一人称ならばともかく三人称なのに「あまり」という言葉を使うのは三人称でやる意味がない。事細かに書けというのではなくて、主観的な文章を使うのがナンセンス。この「あまり」は人によって違うのだから、どの程度なのかを明記しておくべきだった。その上で「登場人物からしてあまり~」とやるべきだったろう。 ストーリーは知らん。文章が下手になったところで読むに堪えなくなったので読むのを辞めた。帯に「最後の一行に全て濃縮される」みたいなことを書いてあったので最後の一行を読んだが、最後の行は「小説という」だけだったので、恐らく最後の段落と言いたかったのだろうと思う。段落も行も分からないようでは現代小説はもう読む価値はない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| この小説を読んでいて、何度も失笑する場面があった。(失笑とは笑いを我慢できずに吹き出してしまうことであり、決してネガティブな意味ではない。)小学生ながら既に達観した大人のような内海集司と、奇天烈な外崎がモジャ屋敷で髭先生や学校の先生とやり取りする場面は特にコミカルである。行間や改行を最小限に抑えた文調が軽妙なテンポを生み出し、機知に富んだ文章が随所に光っている。この軽快でフレッシュな文体から若い作家を想像したが、野崎まどは45、6歳だという。たしかに全体的に重厚で堅実な文章も見られ、ベテラン作家の熟練した技量も感じられる。 中学生、高校生になると外崎の文才が認められ、髭先生も二人への扱いを区別するようになる。このあたりでは内海のプライドの高さを思うと切なさを感じる場面である。 社会人になってからは二人とも世捨て人のように社会から孤立した生活を送る。内海は外崎の類稀なる文才を認め、小説家として成功するよう外崎を世話しながら発破をかけ続ける一方、自身は、最低限の生活水準をバイト収入でなんとか保ち、ほとんどの時間を小説を読むことに費やす。その小説との向き合い方には常人離れしたストイックさを感じるが、内海はこの頃から徐々に小説を読むことが現実逃避のように思えて罪悪感を抱くようになる。この辺りの描写は学生時代と比べると救いの光がなく、少々息苦しさを感じる。それでも外崎が文芸賞を受賞できたことは一縷の光であった。 内海と外崎が決裂する場面も非常に印象的であった。外崎の無邪気な「小説を書かないの?」という問いかけに内海が鬱積した思いを吐露する。ただただ小説を読むことは、そんなに駄目な事なのかと。正直、なぜにここまでに内海が拗れてしまったのかが気になった所でもある。 物語終盤にあたり内海が外崎を探し始めるところから、一気に哲学的かつファンタジー的な展開へと進む。宇宙やギリシャ神話、ケルト神話、古代寓話などが矢継ぎ早に展開され、それまでの内海、外崎の関係性にフォーカスしたヒューマンドラマから一転して著者の思想や主張が爆発したようなエッセイ的な色合いが強くなったように感じられた。「小説とは何か」「読むこととはどういうことなのか」の問いに対する著者の持論が凝縮されている。その内容は2度読みしてもなお意図を完全には汲み取れないほど深遠である。 終盤での別の著者が書いているのか?と思うほどガラッと世界観が転換することに対する戸惑いはあったものの、全体として非常に楽しめる小説であった。学生時代の二人がモジャ屋敷の書庫で小説に没頭している描写については、本当に微笑ましく、読書好きには羨ましくも感じられたことであろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 本が好きな2人がミステリアスに小説の本質に迫る。物語性と内面の両方を鋭く描写。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| おもしろかったーー、、、、。 本屋大賞2025にノミネートされていてタイトルも相まってきになったものの、「高校で友達がいない地味女が小説に救われたから編集者になって、その後も本がきっかけで人生豊かになって幸せみたいな小説だといやだな〜〜〜」と勝手に推測して腰が引けていたのですが、やはり小説ばかり読んできた身としては向かい合うか、、!と気合を入れて読み始めました。 全然違う、おもしろすぎる。 小説とか、お絵描きとか、ハンドメイドとか、あとはプロを目指す程でも無い趣味のスポーツとか、 お金にならない、高い社会的地位を得ることに繋がらないけどすきなものに、時間やお金を溶かしても誰も口出しする権利なんかないはずなのにそう行ってくれる人って親含めても周りにいないですよね。そんな人に寄り添ってくれる、お金にならない趣味を続けてもいいのか?にたいするアンサー本です。すきだからってYouTubeやインスタにアップしてお金稼ごうとか思わなくていいんだよな。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!




