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永遠と横道世之介
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永遠と横道世之介の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.19pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全191件 1~20 1/10ページ
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人生のバイブルです。 生き疲れて、ちょっと心がもつれたときに読んでいます。 自分の人生でも、どこかで世之介と出会っているような気がして、振り返ってしまいます。しかし、どこにでもいそうで、どこにもいないのが、世之介の魅力なのかもしれません。 続編もありますが、まずはこの一冊だけでも完結しているので、気楽に読んでほしいです。 | ||||
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本書は、横道世之介シリーズの完結編であり、38歳から39歳にかけてのカメラマンの 日常生活を描く。舞台は、2007年9月~2008年8月の東京吉祥寺と鎌倉。最後は15年 後の2023年の出来事で締めくくられる。 連載はコロナ禍であったが、それへの言及はないものの、人とのつながり(死者も含 めて)や日常の細部について思いをめぐらせるように物語は進行していく。その中で、 主人公の元彼女と今彼女が人生の1日について同じような感想をもらすのが印象的。 「どんな境遇であっても、こんな1日があれば、自分の人生は満足であると思えるよ うな1日」。本書を読み終え、そんな1日を過ごす、あるいは積み重ねていくように と促された。またその内容が、E.フロム『正気の社会』(中公バックス)の人生観と 通底しているようにも思えた。たとえば、次の一節。 我々の希望のうちの多くのものが裏切られる。人生には苦痛と努力が伴う。(略) 一方、幸福な愛のひと時や、ある晴れた朝に息を吸い込んだり、散歩したり、新鮮な 空気を嗅いだりする喜びが、人生に含まれるすべての苦痛や努力に値しないとは誰に も言えないだろう。(351頁)(表記一部変更) なお、本書を読む1日の喜びは、「人生に含まれるすべての苦痛や努力に値しないと は誰にも言えないだろう」といった感想をもっていただけるような1冊である。 | ||||
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まず良かったのが、九州から東京に来た大学一年生・横道世之介(よこみち よのすけ)、十八歳のキャラクター。のんびりとしたマイペースの性格。友人と付き合う姿だとか、失敗にめげないお調子者のところだとか。世之介の言動に、心がなごみましたわ。 登場人物のキャラってことでは、与謝野祥子(よさの しょうこ)もインパクトあったなあ。当初の印象からすると、まあ、信じられないほど変わっていく彼女の変身ぶりには、びっくりしました。拍手したくなりました。 話の構成という点で印象に残ったんは、突然、話が二十数年後へと飛ぶシーン。何ヵ所かあるそのシーンでは、世之介と関わりを持った登場人物たちの未来の風景が描かれるんだけど、このシーンで彼らが世之介のことを思い出すくだりがとっても良くて‥‥。目頭が熱くなって、もう、たまらんかったです。 | ||||
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上下巻を読み終わり、どうしても言いたいこと。 高良健吾くんゴメン。 なぜか今回は世之介役。 堺雅人さんの顔しか浮かんでこなかった。 その他、映画化、ドラマ化の際の配役ばかり頭に浮かんで仕方なかった。 笑っては泣かされ、泣かされては笑うの波状攻撃。 ふんわりとした各人の最期よりも、至る経緯こそが重かったが、 それでも重く悲しくし過ぎないラストがシリーズ通してのスタイルなんだろう。 それがだから後を引いてしまう。 それが本当に罪だと唸ってしまう。 | ||||
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このシリーズは電子書籍で 全部持っています。 心に住み着いてしまうような 不思議な癒やしの世之介… 紙の本でも欲しくて購入。 中古ですがとてもきれいな状態でした。 | ||||
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一つ一つの話はまぁ普通だがありがちでもある。また時代も場所もよくわかり懐かしい。まったりとした時間にまったり読むにはいい。しかし続編の展開が全く読めない。 | ||||
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吉田修一の作品が好きで、全て読んでいる。横道世之介シリーズも。ただ、読んだことを思い返せない。 今作品。いきなりここから読んでもしっかりと成立するので、とても読み易かった。ちゃんと笑いも泣ける所もありで、寅さんを観ているよう。 マンネリ化するくらいまで、毎年のように出して欲しい。 | ||||
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酷い内容という訳でないけど、つまらなくて挫折した。先が気になるようなのでも、夢中になって読んでしまうでもない。 場面がコロコロ切り替わるから、それも入り込めない原因でもあるかな。最後だけ見たら死んでて、少し戻って見たけど、帽子を拾った後は普通に電車に乗って生きてたようで、わけがわからないけど、もういいや。ちなみに千春という本命がいるのに、祥子に好きっていうのイラついた。 | ||||
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. 2008(平成20)年、3月。横道世之介はカメラマンでもありながら、東京・吉祥寺にある下宿屋ドーミーを内縁の妻・あけみちゃんと営んでいる。これは、世之介の、なんということはない日々を綴った物語の後編。 ---------------------- 上巻では2007年の9月から翌2008年の2月までが、そして下巻では引き続き2008年8月までの半年間が描かれます。 なんということはない、つまり波風のないかに見えた世之介と登場人物たちの生活でしたが、エバと咲子の新婚カップルにちょっとした波乱が起こります。ドーミーの下宿人の面々が若い夫婦を精神面で支える展開の中で、サザエさんちやちびまる子ちゃんちにしか見られないと彼らが称していた「普通の家族」の相貌は失われていくかに見えます。 ですがそれもほんのいっときのこと。 エピローグ的に描かれるエバ/咲子んちの様相もまた、「今日も昨日も明後日もまったく代わり映えがしないのである」(169頁)という描写そのままです。 そしてその代わり映えがしない日々の背後に、確かにいっとき、世之介と一緒に歩んだ時間がある。そのことをこの世之介シリーズ(『 横道世之介』 』(2009年)、『 続 横道世之介』 』=文庫化に際して『 おかえり横道世之介』 』に改題)は一貫して描いてきています。 世之介が2023年にどうしているかは、私を含め、このシリーズを読んできた読者はすでに承知していることですが、それでも読了後はやはり、一抹の寂しさと同時に、世之介と関わることのできた人々の幸福を改めて噛み締めないではいられません。 正編から10年以上に渡って読み継いできましたが、「人生における人との出会いの意味を反芻したくなる小説」という最初の印象が、この第3編まで変わることのない小説でした。 ------------------------ この小説に関連して、以下の作品を紹介しておきます。 ◆サンドウィッチマン『 敗者復活』 』(幻冬舎) :『永遠と横道世之介 下』の2008年6月の章(206頁)で、コメディアンを目指していた下宿人の礼二さんがM−1グランプリの予選からチェックして「今年はこの東北出身のコンビがいいんだよ」と力説する場面があります。この東北出身のコンビとは十中八九、サンドウィッチマンのことでしょう。 2008年9月に出版された『敗者復活』は、2007年度M−1グランプリで、敗者復活戦を経て見事チャンピオンに輝いたサンドウィッチマンの二人が、仙台商業高校時代から優勝直後までを語ったエッセイです。若者たちが夢をかなえる道程をとても楽しく読める一冊です。 ◆映画『 きょうのできごと』 』(2004年) :横道世之介の物語は、作者の吉田修一氏自身が「この物語、筆者自ら言うのもあれだが、シリーズを通して、ほとんどストーリーらしきストーリーがなく、もっと言えば、起承転結はもちろん、伏線があって最後に回収などという手の込んだ仕掛けもないのである」(『永遠と横道世之介 上』50頁)――と身も蓋もなく宣言しています。 映画『きょうのできごと』もまた、見る人の多くが、「何も起きない一日」「淡々とした日常」を描いていると評しています。そこに拍子抜けした思いを抱く観客も多かったのでしょうが、私はこの、なんということはない一日が人生にとって後のち、愛おしい日々に変わることを知っているせいか、この映画が本当に好きでたまりません。 . | ||||
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. 2007(平成19)年、9月。39歳の横道世之介はカメラマンでもありながら、東京・吉祥寺にある下宿屋ドーミーを内縁の妻・あけみちゃんと営んでいる。これは、世之介の、なんということはない日々を綴った物語だ。 ---------------------- あの横道世之介が三度の登場です。 『 横道世之介』 』(2009年)では、大学進学のために故郷長崎から上京した彼の1年間が、そして続編の『 続 横道世之介』 』(2019年)(文庫化に際して『 おかえり横道世之介』 』に改題)では、卒業後にアルバイト暮らしを送っている24歳のころの世之介が描かれました。 「この物語、筆者自ら言うのもあれだが、シリーズを通して、ほとんどストーリーらしきストーリーがなく、もっと言えば、起承転結はもちろん、伏線があって最後に回収などという手の込んだ仕掛けもないのである」(50頁)――と身も蓋もない宣言が作者・吉田修一によってなされるのですが、第3編は、曲がりなりにもカメラマンとして仕事をこなしながら、愛するあけみちゃんと、ちょっと変わった下宿人たちとの、まったりした人間関係が淡々と語られていきます。 上巻は2007年9月から2008年2月までの半年が綴られます。世之介は修学旅行に同行して記念写真を撮る仕事で知己を得た先生から、その引きこもり息子を下宿で預かってくれと頼まれます。また、かつて横領罪で業界を追われた先輩カメラマンと久方ぶりの再会を果たし、新たに写真の仕事を任されるようになります。 一癖も二癖もある登場人物たちが出てきますが、だからといって世之介が大きく激しく人生の方針転換を求められる、というほどの波乱万丈はありません。新たな人間関係によって、ゆっくり、ほんのわずかにだけ人生が動く、そんなどこにでもありそうな物語が進むのです。 どんな人生だったらいいのか? と尋ねられた世之介がこう言います。 「俺だったら、こう思いたいかなー。『あー、いっぱい笑った。あー、いっぱい働いた。いっぱいサボって、そんでもって、いっぱい生きたなー』って」(346頁) さて、下巻で世之介はどんな風に 笑って、働いて、サボって、そんでもって生きるのでしょうか。下巻に進むのが楽しみです。 . | ||||
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今、読み終わりました。読み終わらないようにグズグズ読んでいましたが、ついに読み終わってしまいました。世之介とお別れしたような気持ちでとても寂しいです。 少し時間が経ったら、「新宿駅東口の駅前広場をふらふらと歩いてくる」あたりから読み直そうと思います。 | ||||
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普通の大学生の日常生活でした。 大人になってから振り返ると時間を無駄に使って過ごしてたなとわかりますが、当時はこんなもんかなって思ってました。結局、学生時代の友達って生活が変わると全然合わなくなりますね。でもそれぞれはなんかやってて、生活は続いていく。当たり前なんだけど、ふと思い返すきっかけになりました。 | ||||
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下巻もすごく良い。 脇を固める登場人物たちもみんな応援する気分にさせる力量に感服。 世之介の他人との関わり方がとても魅力的で、それゆえ周囲の人も生き生きと描き出されていく。 特別なことではない日常がとても大切ということを改めて感じさせてくれる良書である。 15年後必要だったかな。 さみしいな。 ご両親と同時に二千花の両親もどんな気持ちか考えると辛すぎる。 | ||||
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久しぶりすぎて、すっかり前作の内容忘れていたけど、そういえばこんな穏やかな気持ちになれる主人公だったのを思い出した。 (著者も書いているが、シリーズではあるが前作を読んでいる必要は特にない) どこにでもいるようでどこにでもいるわけでもない主人公をはじめ同棲の彼女もいっしょに住んでいる「ドーミー吉祥寺の南」の面々も魅力的。 さらに時代をさかのぼっての登場人物たちの関係者の描き方も良い。 本当に読んでいて楽しい。 刺激的という方向性ではないが、本を読むという魅力を十分に楽しめる内容である。 | ||||
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そうめんをつるつると食べるような感覚の文章なんだけど 薬味がいっぱい 最後は効いてる七味で ツ〜ンときたような みんなに薦めたい 大事なことがいっぱい詰まっている 流石の吉田修一 | ||||
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なんと美しい人生だったのか。感動するシーンがあって、涙が流れましたが、その涙が乾かないうちにまた涙が流れてしまったくらい、ひとつひとつのエピソードが美しすぎました。二千花ちゃんの気持ちが痛いほどわかる。 | ||||
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読み進める内に、「永遠と横道世之介」そうきたか!とタイトルが腑に落ちました。もともと一作目から世之介の人生にはリミットがあることはわかっていました。 だからといって波瀾万丈でなく、いろんな人と、笑ったり泣いたりと何気ない日常が描かれます。これが何故だか面白いエピソードばかりなのです。 特に二千花との回想シーンと現在が同時進行で絡み合って進むのが面白い。そして、切ない。「人生は一人で使うには長い、その余りを誰かのために使えたら贅沢だ。」との言葉には共感しました。世之介自身がそんな生き方だったなと思えました。 今回で完結しましたが、横道世之介シリーズが自分の傍らにあってよかったと思います。 | ||||
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大学入学後の青年を描いた小説。日常をあたたかく、ほのぼのと描く。読んでいて気持ちがいい。 | ||||
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また世之助に会える!そう喜び勇んで手にした本書。相変わらず世之介はいいやつです。そんな世之介もアラフォーになっていました。 私は学生時代は寮に入っていました。ですから舞台となる「ドーミー吉祥寺の南」での生活の楽しさも味わうことができました。 第一作(大学生)、第二作(25歳)そして、本作と安定の面白さです。そして世之介をめぐる人情劇場が笑いと時に切なさを与えてくれます。 「誰に出会うかなんてなかなか自分じゃ選べないじゃん。だったらせっかく会えた誰かを大切にした方がいいんじゃないかな」 「結局幸せはその低いところにあるような気がするんですよね。」 どちらも心にささった言葉です。 何か等身大の、普通の、大したことない自分で読んでいけるんですよね。ハラハラドキドキはしないのだけれど安心して読み進めることができます。 後編も楽しみです。 | ||||
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「ここに横道世之介という人が住んでいたんです」 世之介と同居するあけみの祖母が始めた下宿屋「ド-ミー吉祥寺の南」。 そこで世之介と同時期に同じ空間で生きた人々の何でもない一日一日。 「のんびりしていようがいまいが、一日というのは始まっては終わる。そして気が付けば1年が経っている。それでも中には『ああ、満足、大満足』と言いたくなるような一日もあって、そんな一日が次はいつくるのだろうと思いながら人は生きていくのかもしれない」 本書はそんな物語。 頼りなくお調子者だけど、そばにいるとホッとする。 そんななんでもない一日のような存在、それが横道世之介なのです。 物語は、舞台となるドーミーに暮らす人達の時代に留まらず、そこから時代を遡り、その親の世代の物語が挿入され、次へ次へと引き継がれていくそれぞれの一日が描かれており、だからこそ、本書を読むと、しっかり生きなきゃ、という気持ちににもなります。 もちろん、リラックスの精神を忘れずにね。リラックスしている人が、一番カッコいいのだから。 | ||||
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