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鏡影劇場
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鏡影劇場の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全8件 1~8 1/1ページ
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説明通りの良い状態です。 | ||||
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ギタリストの倉石学は、旅先のマドリードの古書店で奇妙なドイツ語の古文書を手にする。幾ページかの裏には楽譜が書かれていたために倉石は興味を持ち、大枚はたいて手に入れて帰国する。その文書は19世紀ドイツ浪漫派の作家E・T・A・ホフマンの行動をその妻ミーシャに告げる報告書のようだ。倉石の妻・麻里奈はドイツ文学者で学生時代からの友人・古閑沙帆にさらなる解読を相談するが、古い文書を前に沙帆は、自らのドイツ語の師匠にあたる本間鋭太に翻訳を託す……。 ------------------------- 本間栄太なる見知らぬ人物から作家・逢坂剛に送られてきた小説原稿を、逢坂氏が新潮社の編集者と相談して出版したものです。 本間栄太が古閑沙帆を介して倉石家から託された原稿の翻訳文があぶりだす、ホフマンとその周辺人物たちの知られざる行動がひとつの柱。そしてもうひとつの柱が、奇人である本間栄太を介して見えてくる倉石家の隠された過去という、二重のミステリーが展開していきます。 ホフマンという作家になじみがない読者は、陸続と登場するドイツの人物たちが繰り広げる19世紀初頭のヨーロッパ文壇・音楽界の物語を前にして、状況が呑み込めずに溺れてしまうかもしれません。この小説がそれを理由に読者を遠ざけるとしたら残念です。 しかし私は、これまでも博覧強記のイスパノフィロぶりを披露してきた逢坂剛氏ならではの、平易明快に文章に乗せて読ませる史実と虚構のないまぜとなった奇怪な物語を、大いに楽しみました。今回はスペイン関連の蘊蓄ではなく、ドイツ浪漫派の世界に遊ぶ物語ですが、独・西いずれも好物とする私にはうってつけの書です。 19世紀ドイツのホフマンと21世紀日本の倉石家の物語が交互に描かれるこの奇妙奇天烈な小説は、その結末68頁が袋綴じ仕様になっています。この袋の中はまさに迷宮。逢坂剛氏がこの小説の作者を訪ね歩く展開を見せると、摩訶不思議なまさにホフマン的な迷路へと読者は迷い込むことになります。 上下二段組みで700頁に喃々とする大部の書ですが、2週間とかからず読み終えることができました。 逢坂剛氏の、読者を惑乱させる練達の術を堪能しました。 . | ||||
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何もしらず読みました。かなり長かった。ホフマンが好きか、音楽やドイツ文学が好きじゃないと難しく読んでいて辛いですが、あいだにホフマンファンたちの現代の話も出てくるので読み切れました。ホフマンに興味が出て調べながら読み終えました。 | ||||
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逢坂剛の作品は、『カディスの星』以来、『百舌シリーズ』を除いてほとんど読んできた。 特に全7巻の「イベリア半島シリーズ」は圧巻で、これを書き終えて以降の彼の作品は、どこか力が抜けてしまっているようで、もう高齢だし力尽きたのかと感じていた。 そろそろ彼の新刊を読むのはやめようかとも。 しかし、どうだろう! この小説は、渾身の力作である。 スペインの古本屋で日本人ギタリストが入手した古文書を、ドイツ文学者に解読してもらうと、19世紀初頭のホフマンに関するものだった。 そもそもE.T.Aホフマンなんて、『ホフマン物語』と『くるみ割り人形』の原作者であることくらいしか知らない。 しかし、本書ではホフマンの人生が、ホフマン研究者並みに詳細に語られていく。 しかも、膨大な一次資料やこれまでの研究書なども渉猟されている。 ホフマンをめぐるこの古文書の謎と、それを発見した日本人ギタリストの周辺に潜む謎とが、複雑に絡み合っていく。 本書は、この小説の中で古文書解読を行う老ドイツ文学者が、逢坂剛の所に送りつけてきた持ち込み原稿という体裁をとっている。 そうした趣向も、一応は効いている。 が、それにしても、圧倒的なホフマン研究の深さに驚く。 逢坂剛自身が、ホフマンに関心を持って、これまで長期間にわたって調べ続けてきたに違いない。 彼は、スペイン研究者としてもかなりのもので、一次資料の収集もものすごいものだという。 が、そこにとどまらずホフマン研究においてもとは。 創作の才能がありすぎて学者に留まることはできなかっただろうとは思うが、学者になったとしても相当の業績を残せたのではと想像してしまった。 | ||||
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わたくしの敬愛する、人生最推しの作家、E.T.A.ホフマンに関する、逢坂剛先生の小説です。 伝記とかではなく小説です。 この作品、ホフマンの話のテイストとか構造とか文体とかを合わせてあるんですよ。 なので、ホフマンを読んだことがない読者には、正直言って「意味不明」だと思います。 ※ストーリーが意味不明というわけではなく、「なぜこの題材で」「なぜこの展開に」という点が不明ということです。 私は最初の1ページを読んだ瞬間に、文体を合わせてあることがわかって 「まって無理尊い」となって心停止しそうになりました。 マジでこの作品に出てくるホフマン推しの独文卒の主婦がまんま自分なんですよね。 私大学卒業後ずっと盗撮された?? とありえない疑いを抱くレベル。 でもそういう女性意外と多いんですねきっと。 吉田六郎先生を下敷きにしてるなと思って読んでたらやっぱり吉田六郎先生が出てきて、「神作家が同じレジェンド作家をレジェンドと仰いでいたことがわかった瞬間」のような興奮を覚えました。 逢坂先生がホフマン推しであるということ、そしてベストセラー作家になれば推しの本がハードカバーで出せるということがわかりました。 ホフマン読んだことがない人がどう思うかまったくわからないのですが、とりあえず私としては★1億個です! | ||||
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二百年前の古文書から訳出されたE・T・A・ホフマンの生涯の物語と、その古文書に関わった現在の登場人物たちの人間模様。その過去と現在の合わせ鏡のストーリーに、幾重にも錯綜して倒立する虚実の迷宮が、連綿と描き出される―。連続殺人が起こるわけでも、スリリングなアクションシーンが展開されるわけでもない、二段組み七百ページ近い大作を、ホフマンにもドイツ文学にも特に関心があるわけでもない筆者が、飽きることなく読まされてしまった。ベテラン作者の筆力と情熱を感じさせられる、読みごたえタップリの力作。 | ||||
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逢坂剛の作品は、「屠殺者グラナダに死す」以来全ての作品を読んでいる。この作品は珍しく東欧が舞台になっているホフマンに関わる部分とそれを翻訳、解説をする現在の話が混在して数々の謎が生まれる。作品に登場する人物も実在する人たちと作家創作の人たちとが混在している。よくもこれだけの事実を調べて作られたストーリーに感激した。650ページの2段書きは読み応えがあったが、袋綴じの結論は本書購入の上、各自読んで欲しい。 | ||||
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2019/8月に読んだ「百舌落とし」のレビューの最後で、「私は「禿鷹」はもう戻っては来ないのだろうか?」と書きましたが、その約1年後、江戸・火盗改を含む<法執行機関>が一切登場しない著者の作品を読むことになるとは思いませんでした(笑)。700ページに迫る大著ですが、「鏡影劇場」(逢坂剛 新潮社)を読み終えました。 法執行機関が登場しないとは言え、広義のスリラーですから、詳細とその仕掛けを語ることができません。 テーマは、ドイツの作家であり、音楽家、画家、裁判官(法執行機関だったか(笑))という官職でもあった「E.T.A.ホフマン」の生涯と言ってもいいのかもしれませんが、そこは逢坂剛。ただの「伝記小説」ではありません。 マドリードの古本屋で古い楽譜を手に入れたギタリスト・倉石。その楽譜の裏には、18世紀後半から19世紀初を「総合芸術家」として駆け抜けたホフマンについて、筆名不明のある人がホフマンの妻・ミーシャに宛て書いた報告書が書き綴られていました。 その報告書を解読しようとする二人の女性たち(沙帆と麻里奈)と伝説的なドイツ文学者・本間鋭太による<現在>とホフマンの報告書そのものの<過去>が、本間のところどころ饒舌な解説と共に交互に語られていきます。「謎」は多くあって一言では語れません。 巧みな構成、整然としていながら入り混じる時制、虚実皮膜、ホフマンが書いた(逢坂剛の過去の著作にも内在する)「浪漫派」の文学、そして著者が求めて止まない多くのファクター(スペイン、クラシック・ギター、東京、古書・・・)を「鵟の巣」のように張り巡らせる中、今回はその時代の<ドイツ>という「国家」と日本という「国家」、ドイツのある「血族」と日本の「血族」、ドイツの「文学」と日本の「文学」に横たわる、錯綜するミッシング・リンクを求めながら、読者は作者らしい「浪漫」溢れる結末へと導かれていくことになります。炸裂するは、文学という「無防備都市」に打ち込まれる「銀弾」のように愛しきシンクロ二シティ。 ダイナミックな、<入れ子>の仕掛けが構築されていますので、語るのは本当にこのぐらいにしておきたいと思います。 最後にいくつかの感想を(笑) 鏡影のように描かれる二人の女性(沙帆と麻里奈)がアンビバレンスを誘い、とても魅力的でした。 過去の著作で言えば、「岡坂神策シリーズ」や「イベリア・シリーズ」があってこそのこの作品だと思えますが、むしろその城門を軽々と突破して新しい傑作を物した著者に(言葉の最上の意味での)スタンディング・オベーションと感謝を。次回は、今回の失われたファクターでもある「西部劇」を背景として描きあげてほしいと思います。ページ数は、いくら長くとも構いません(笑) | ||||
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