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赤毛のレドメイン家
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【この小説が収録されている参考書籍】
赤毛のレドメイン家の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.83pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全42件 1~20 1/3ページ
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前半は冗長過ぎ。 景色の美しさや恋心の描写が長々、まあ美しい文章なんだとは思うけど、事件捜査は一向に進展が無いのでイライラ。正直、我慢して読み進めました。 しかし、後半は怒涛の展開。 こちらのイラつきも作者の思う壺だったことを知らされます。最後は、見事に翻弄された満足感(?)を味わえました。 ちなみに、最後の手記はいかにも乱歩が好みそうな。。。 | ||||
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久しぶりに読んだ探偵小説 江戸川乱歩が大絶賛したことがわかりました おすすめします | ||||
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1年くらい前に新訳をKindleで読んで非常に感動したので今回紙の本も買って再読。以下ネタバレありです。刑事マーク・ブレンドンが仕事一筋で、女性との恋愛経験が不足していることなどしっかり描かれている。18歳にしか見えない絶世の美女ジェニーと運命的な出会いをはたす。ジェニーが怪しいのは誰でもわかることだか、まさかあの人が○○しているとは、前回は気付けなかった。今回じっくり読むと、ロバート・レドメインは髭面の大男で、戦争に行って活躍して大尉になっており、戦争神経症のせいで血の気が多く、激高しやすい性質であることが描写されている。かたやマイケル・ペンディーンは兵役検査に不合格。からだが丈夫ではなく、後援施設で勤務するという。ここで見事に読者は騙される。容姿に関しても、ジェニーから口髭、顎髭、頬髭、長髪の写真を見せられただけ。しかも眼鏡をかけていた。 | ||||
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もう何十年も前に読んでいますが、新訳になったとのことで再読。 登場人物が少ないので、最後のほうはなんとなく結末はわかってしまうのですが、、 作者は田園小説作家で有名な人物。その自然描写、人間描写に酔えます。 (物語前半のダートムアはホームズの「バスカビル家の犬」の舞台ですし) これを推理小説として読まずに、物語として評価すればよいのではないでしょうか。 旧訳とは比較していませんが、すらすら読めたのは訳者様の賜物でしょうか。 | ||||
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イギリス南部の、ダートムアの海よりの場所で、二人の男が、失踪し、二人がいたと思われる場所には血痕や、死体を引きずったあとが残っていて、失踪した二人のうち一人が、”大きな袋を持って、バイクで失踪場所から港のある街まで移動したのが目撃される。 ……つまり、失踪した二人のうち一人がもうひとりを殺して運び去ったと見られる。 ……だが、男がたどり着いたと見られる海岸には、死体がなかった。 ……更にその後、殺人を犯したと思われる男の兄弟二人のところに、次々にその男が現れて、その兄弟を殺す。 ……その動機は何なのか? ……果たして事件の真相は? ………トリックにはいくつか難点がありますが、犯罪そのものの奇抜さと、犯人と真相の意外さは、秀逸です。 いつも、推理小説は、犯人がわからないまま結末で“そういうことか"とわかることが多いけど、この話は、250ページくらいで、犯人がなんとなく分かりました。 ……それと、まわりくどい表現が多く、それを省けば3分の2くらいに短く出来るような内容だと思います。 ……筋とトリックは、しっかりしてて、面白いので、表現の回りくどいのを我慢すれば、結構面白い。 ……この本を読む途中で、同じフィルポッツの推理小説を何冊か買いました。 ……本格推理小説の金字塔みたいに言われているけど、納得しないでもないです。 | ||||
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後にヴァン・ダインが二十則で禁止した恋愛要素を大胆に取り入れた、1922年の傑作。 ノックスの十戒にはこの恋愛則はないが、英国には本書や『トレント最後の事件』のような恋愛を絡めた傑作があったからか。 とは言え、個人的には『トレント最後の事件』はあまり面白く感じなかったのだが、本書のほうは初読時も面白く感じたし、意外にも今回の再読でも楽しめた。 全体の構図を覚えていたのに楽しく読めたというのは、小説として優れているのだろう。 扉の文に気になることが書かれていた。 本書を乱歩が高く評価したのは有名だが、彼曰く、読後しばらく経ってから、さらに印象が変わると述べていたという。 舞台がイギリスからイタリアに移るまでの中休み期間、ジェニーは近くロンドンへ来た時にマークに連絡すると書いた手紙を出していたにもかかわらず、彼女はそれをすっぽかした。後にマークがジェニーと再会した際も、犯人が捕まってから事件を解説した際も、この件は最後まで言及されなかった。あるいはここからなにがしかを読み取れるのであろうか。そうは思えないのだが……。 前半と後半でがらりと印象が変わるというのが本書でよく言われることで、ピーター・ガンズがいよいよ登場して、事件の様相を大きく変えるのと合わせて、前半は英国ダートムア、後半は北イタリアのコモ湖周辺と舞台も様変わりする。 北イタリアの景観と合わせて、この辺りでは政権に反して密輸業者が暗躍していて、住民(著者も?)は彼らに好意的であることや、登場人物のひとり、ジュセッペが、国には恨みがあると発言したりもするが、もちろん推理小説として社会情勢に切り込んでいくわけではない。 しかし本書が発表された1922年というのは、まさにムッソリーニがエマニュエル3世と組んで政権を掌握した年である。 ちなみに、フィルポッツが本書を発表した1922年は、アガサ・クリスティが『スタイルズ荘の怪事件』でデビューした次の年だが、何らかの影響があったのかどうか。 よく知られているように、素人時代のクリスティがフィルポッツからアドバイスを貰ったことがあった。しかしフィルポッツのクリスティ評もその逆も読んだことがない。あれば読んでみたいものだ。 | ||||
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『赤毛のレドメイン家』はずいぶん昔に読んで、その当時はあまり感心しなかった記憶があるのだが、最近喜国雅彦の『本格力』を読んだら、喜国氏も初読のときは感心しなかったが、再読してみたら面白かったと書いていたので、私も再チャレンジすることにした次第。 で、手に入れたのがこの集英社文庫版なのだが、第2章の途中まで読んで、翻訳のひどさに閉口した。翻訳臭が強くて、日本語としてこなれていないし、美しくないのだ。 そこで地元の図書館で創元推理文庫版(武藤崇恵訳)を借りて比較したら、武藤訳のほうがはるかに優れていた。 というわけで、集英社文庫版は途中放棄し、創元推理文庫版を読むことにした。これから読まれる方は創元推理文庫版を手に取ることをお勧めする。 | ||||
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面白かったです。古典ミステリの名作と言うことで、私の母も学生時代に読んだと言っていました。母も楽しんだようです。 舞台は第一次世界大戦直後ですが、古さを感じさせません。人物の心の動きが自然で好感が持てます。老兄弟が特に魅力的で、彼らに危機が迫るとハラハラしました。 長い小説で、楽しみが続くのが嬉しかったです。新訳は読みやすかったと思います。 同作家の「だれがコマドリを殺したのか」もダウンロードしてみました。どうやら、この作者は絶世の美男美女と犯罪を扱うのがお得意のようです。 | ||||
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英国ではむしろ田園小説作家として有名だったイーデン・フィルポッツの1922年作品です。昔、学校の図書室にあった子供向けにリライトされた推理小説を読みつくしてしまい、小学校6年で無理をして手に取った大人向け?ミステリの2冊目がこれでした。ちなみに1冊目はブッシュ作「完全殺人事件」でした。久しぶりに再読してみましたが、結論からいうととてもおもしろく、現在の基準からみてもなかなかの作品だと感じました。古典ミステリと考えるとさらに評価は上がります。 夫を殺された美しい妻ジェニーに一目惚れしてしまったロンドン警視庁の刑事がその恋ゆえに目が曇ってしまい、読者の目から見ても明らかにわかる愚かなミスを連発、このあたりはじりじりしながら読んでしまいました。警視庁一の有能な刑事という設定ですが、とてもそうは思えません。そういう意味では、トリックや推理重視のミステリ・ファンには物足りないでしょう。また、他のレビューアさんも書いていらっしゃいますが、最後の殺人は十分に阻止できたと思いますし、むざむざ死なせることはなかったと思います。それに、犯人がつかまった時点で、読者には犯行の動機や真相はわかってしまうので、その後の犯人の手記はなくてもよかったと思い、冗長に感じてしまいました。 ただ、発表当時のことを考えると、その頃の作品ではコリンズの「月長石」や「白衣の女」などロマンスをまじえたメロドラマ的なサスペンスがほとんどで、それを思うと画期的な作品だったと思います。この時代ですでに今で言うサイコパスを扱っていたのは驚きです。悪魔のようなそして美貌の犯人というのは異様だと同時にとても魅力的です。 また、「誰がコマドリを殺したのか?」でもそうでしたが、悠長でクラシックな話だと思って読んでいたら、クライマックスで追跡劇のアクション・シーンがあったりして盛り上がるのは意外で、構成もうまいと思います。「レドメイン家」でも、犯人が最後の犠牲者をつけ狙い、探偵たちがそれを阻止しようと奔走するところは手に汗握ってハラハラしてしまいました。 自分が持っているのは1970年発行の創元推理文庫ですが、同じく宇野利泰氏の翻訳で現在も出版されているものは内容は変わっていないのでしょうか?もしそのままだとしたら、今の読者にはかなり古めかしいと思います。漢字の使い方も気になりました。現在なら普通に漢字で書くところがひらがなになっていて返って読みにくいものが多く、それなのにやたらとむずかしい漢字があったりします。たとえば、「おなじ」「いちおう」「あいだ」「もの」「うえ」「うわさ」「いちだん」「みえた」などがひらがななのに、「怯懦」「豪奢」「一縷」「鏝」「鬱蒼」などの漢字があります。当時の出版物では何か漢字の使い方の基準が違っていたのでしょうか。 初めて読まれる方には「コマドリ」も翻訳されている武藤崇恵さん訳の創元推理文庫の新訳をおすすめします。2019年版ですし、この方の翻訳は美しいです。 | ||||
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トリックは面白いと思いました。しかしながら、トリックだけを読みたいのならば、なぞなぞでもやってればよいのでは?小説である限り結末に至るまでの過程も面白くなければならない。装飾過剰なセリフ、ニーチェ的?な犯人にも探偵のじいさんにもなんら魅力を感じない。緊張感あるサスペンスもなし。高評価してる人は「古典で名作」だと巷で言われているからなんとなく高評価にしているだけで、実は皆あくびを噛み殺しながら読んでいるのでは? | ||||
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小説を読むというより絵画を見るよう。細密な筆先で描きこまれた雄大な風景画。荒野、海原、岩壁、田園、湖畔…。神の摂理によって刻々と姿をかえる大自然の風景が、美しく悠々と描写されるなか、そこで生をいとなむ人間の描写もまた丹念である。 風景は物体に反射した光線が、網膜にうつす光の理学。しかし人間の思考や感情は、その光を曲げ歪め、詐術や魔術のカンバスを、そこに立ちあがらせる。第一の探偵の恋愛の光彩にくらんだ目に映った風景から、第二の探偵の透徹な視力が、翳った犯罪の描線をあぶり出す鮮やかな反転。そして第三は、神の手になる風景に、背徳のスティグマを黒々と刻みこもうとする犯人の視座。暗黒の宇宙から嘲笑うように地上を睥睨する、その終幕の何と蠱惑的なことか…。 乱歩が「三転する万華鏡のような」と言い表した名画。古典ミステリのなかでも、ひときわ美しく雄大な高峰を屹立させている。 | ||||
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はっきり申し上げて訳者様のファンです。 以前、「誰がコマドリをころしたのか?」を拝読し、昔読んでいたにもかかわらず、訳のうまさに感激しました。 どっぷり「物語」に入り込めました。 今回の「赤毛のレドメイン家」も以前のバージョンの本は持っていたのですが、ずっとこの訳者様で読みたいと思っていて、やっとの刊行!すぐに予約しました。 前の訳者様がダメだとは言いません。 しかし武藤さん(訳者様)の訳は、ほんと「ちょっとしたところ」が上手なんです。 歌手で言うなら松任谷由実さんみたいに、書かれている「情景」が香ってくるような、というか、自分がそこに立っているような訳を提供してくださいます。 松任谷由実さんも、歌は決して上手ではないけれど、聞くと、歌がキャンバスに描かれたようなそんな感じがするのですが、この訳者様もそんな感じ。 特に最初の「釣りをしているときに、美人さんに出会う場面」(余り書くとネタバレになってしまうので、抽象的に書きますが)、その場の雰囲気と主人公の気持ちの動きがすごくよく感じ取れました。 もちろん感じ方にはそれぞれあるかとは存じますが、以前読まれたことがある方もぜひ一度、今回の版を手にとって見ていただきたい。 そう思います。 ※ちなみに、内容ですが「古典名作」と言われ、江戸川乱歩が絶賛しただけあり、犯人等は「今となっては」ありきたり、かもしれませんが、「古典」として読むと読み応えあります。 こういった作品を新たに夜に出してくださる東京創元社様、大好きです。ありがとうございます。 | ||||
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休暇でイギリスの湖畔に来ていた刑事が殺人事件に遭遇し・・・というお話。 この小説に関してはありきたりですが、やはり江戸川乱歩が絶賛した文章の威光が大きいというのがこの新訳を読んでの感想でありました。解説の杉江さんが書かれている技巧的な巧拙もありますし、自然の描写の比類なき美しさもありますが、乱歩の過剰気味な賛辞が今も昔も日本でだけ高評価をうけている大きな要因だと思いました。 以下ネタ割りなので未読の方は読まないでください。 私も若い頃に自分の遊ぶ金の為なら殺人も辞さないという人がおりましたが、今から100年くらい前にもただひたすら悪い事をする為に生きている人格を克明に描いている部分には圧倒されました。バルザックの「浮かれ女盛衰記」やサッカレーの「バリー・リンドン」やリチャード・スタークの悪党パーカーのシリーズまで、悪漢を描いた小説の系譜に連らなる小説だと感想を持ちました。 瀬戸川さんも「夜明けの睡魔」で最後の真犯人のモノローグに痺れたと書いてらっしゃいますが、私もこの時代からこういう人がいたのに結構驚きとそうであろうという納得を感じました。悪の為に生き、悪の為の死ぬという極悪人の肖像はなかなか凄いかも。 「人類が存在する限り、犯罪はまた様々に形を変えて存在する。そして犯罪者は知恵をつけていくから、我々もそれに対応しなくてはならない」という文章がありますが、正に今も形を変えて犯罪が横行しており、これからも続いていくのでしょう。残念ながら(私も正義かどうかは微妙なので人の事をとやかくいえないので)。 という訳で☆の数がこうしましたが、人によっては甘いとか厳しいとか賛否判れそうで。すいません。 今も読む価値のあるサスペンスの古典。機会があったら是非。 | ||||
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トリックの質ではなく、徐々に読み手に公正に犯人像を浮かび上がらせ、途中で、でも違うのでないかなどと思わせて、もう一度前の部分の確認に走らせ、いつまでたっても読み終えれない秀作である。納得! | ||||
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乱歩の言う第三の印象、読後数日たって現れてくる絢爛たる最後の輝きとは一体何なのか? そう思ってもう一度読んでみたが、ひょっとして犯人が最後に送りつけてきた物に細工がしてあって、受取人がそれに触れた後、死ぬという事なのか??? 以下、ネタバレが著しいので、この作品を数度は読んで十分自分なりに楽しんでから御読み下さい。 ##### ##### ##### ##### ##### ##### ##### ##### ##### ##### ##### ##### ##### ##### ##### ##### ##### ##### この作品は5回くらい読んだ。真相や小説全体の構成を知った上で自由に前後の解決部分と犯罪部分とを行き来して作者の書きぶりを読み比べるのも面白いと思う。(最初の殺人部分が終わったあたりでもうガンズの説明や犯人の告白を読み、アルバートの殺人劇を読み、ペンディゴの殺人劇を読むなど。) そうすると、ア)作者が読者に真相を悟られないようにどうごまかしたりボカしたりして書いているか、イ)犯人たちとガンズとの会話の心理闘争や犯人たちがブレンドンに言うセリフのいやらしい裏の意味がどう書かれているか、ウ)ガンズとブレンドンの会話でのボカし方やそらし方がよくわかるだろう。 現在の印象を書くと、やはり破綻している失敗作ということになる。「闇からの声」の方がいい。 1 ピーター・ガンズの犯人確定はアルバートが襲われる前に既に終わっており、アルバートは十分に守ることができたのに、なぜ守りを緩めたのかが極めて説得力を欠く。 a)ブレンドンがピストルで撃たれて死んだふりをし、夜になって戻って来た人間がドリアであることがブレンドンに知れた時点でドリアを逮捕して取調べていれば一緒にやってきた第二の人物も含め犯人は知れたはずであり、またアルバート殺害もなかったはず。ここで解決していたはずである。b) ガンズはアルバートのそばにあれほどつきっきりでいたにもかかわらず、真相の確証をつかみ犯人を知った後、ただただ逮捕状を受取りに行くという自分でする必要のない事柄のためだけに湖を渡って、信じていないブレンドンと犯人らとアルバートを残していくのである。これはガンズの人物像からしてありえない事である。逮捕状と警官などは呼び寄せれば済むし、あるいはアルバートを連れて行き、ブレンドンには犯人を告げて逃亡しないように見張れと言い残していけばよいはずである。または犯人らに用事を言いつけてしばらく遠くへやるようにアルバートに頼んでもよいはずだ。 ここに破綻を見ざるを得ない。 破綻ではないのだとすれば、ガンズは親友アルバートが殺害される事と何らかの目的を交換したとしか言えないのだが、WWI直後の1920年代当時の米国人として、余命少ない親友の生命を見捨ててでも「英国警視庁の自信ぶりを崩したかった」とでもいうのか? 2 アルバートの殺害部分はサスペンスを盛り上げる上でたいへんな効果を上げている。それが理由となって作者はアルバート殺害を犯人たちに許したのかもしれない。ただ、犯人のアルバート殺害は瀬戸際で防ぎ切り、そこで逆転し犯人が逮捕されるという展開でもサスペンス的には十分で、後の作品ではそういう展開になっているものがある(グOOOO殺人事件、OOO劇等)。 3 ペンディゴの死体を埋めた場所が干潮時は浜になる場所の浅い砂中であり、危険。また、ペンディゴの死体をすぐに埋めた後で血痕をつけて回ったとあるがその血はどこから持ってきたというのだろう。 推理小説がまだ半分純文学の一種であった時期の作品である。傑作「月長石」などと同種のものである。文章は自然のディティールまで描かれ、三つの惨劇の舞台が陰鬱な沼沢地、風の吹きつける崖の中腹と海岸、明るい陽光と植物の香りに包まれた風光明媚なイタリアの湖地方と切り替わっていき、犯人像に人間性の或る極端な型を見るという「犯罪者を描く小説」というようなものになっている。 とはいってもやはり俗っぽいのであり、描かれている人間像は本物の純文学と比べるとそれほど深いものではない。人生の破滅を描く「ボヴァリー夫人」(これも意外と俗っぽい)とも遠からず、というようなものである。映画「太陽がいっぱい」とも雰囲気が似ており、映画の脚本の原型というような仕上がりである。 犯罪者小説性と推理性と恋愛的部分が1/3ずつを占めているような本作はそのどの部分をとっても半端な出来であり、特に恋愛の部分は不出来なような気がする。犯人たちにとっても、犯罪目的を達するために同一の警察の捜査官を繰り返し繰り返し三つの殺人現場に巻き込む必要性などハナから無いのである。その場に警察関係者がいる必要性など犯行に全くないのだ。犯人たちの歪んだ自己陶酔的、反凡人的プライドと異常な嗜好が余計な行為を欲したというような説明だが、説得力はあまりない。ロバートを殺した後は、残る二人の老人をひっそりと目立たぬように始末すればそれで済むことだ。 試しに頭の中でブレンドンは登場させずに恋愛部分は全部カットして、殺人劇とガンズによる捜査だけにしてみたが、それはそれで普通の推理小説として成立するように思った。「探偵Aに恋をさせる、しかもたまたまではなく犯人たちの計画内の一部として恋をさせる」というプロットそのものにそもそも無理がありすぎた。 「闇からの声」では推理性を諦めることで犯罪者像の浮かび上がり方がより見事になり完成度が上がっている。 最後の部分の、「ガンズ、ペンディーンのふたりよりジェニーの方がはるかに凌駕する傑物だった」という文も、全然証明されていない。ジェニーは演技以外はあまり犯行に参加していないし、ジェニーがブレンドンを犯罪に利用しようと提案したと書いてあり破滅のきっかけとなったのだから、どういう風に傑物だったのか今ひとつ説得性に欠けている。「傑物だった」ではなく「異常な獣だった」なら意味も通るかもしれない。異常な性的嗜好も感じさせる。 | ||||
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古典の推理小説が好きな人におすすめします。 これの前にディクスン・カーの「三つの棺」「火刑法廷」を読んだのですが、凝りすぎていてそれほど面白いと思わなかったです。トリックが緻密な密室殺人で配置図が書いてあるようなものより、本書のように地図が描かれ冒険の旅に出るような物語が自分は好きなんだと思います。天才探偵より、人間味のある素人探偵がいいですね。まるでクロフツの「樽」を読んだ時のような興奮が味わえました。 100年近く前に書かれているのでトリックの斬新さ、犯人の意外性は期待通りではないかもしれませんが、読んでいて楽しい!と思える作品でした。 | ||||
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古典には、古典ならではの良さがある。 動機、構成、トリックetc. 書店に並ぶ新作に於いて古典と同等の趣向を用いていると、 つまらないな、と云う視点で評してしまうのは何故か。 古典ならではの初出と云うこともあるが、 それ以上に構成・文章力でしょうね。 現代でも読まされてしまう作品でしたので、☆5評価といたしました。 | ||||
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再読であるが定評通りの名作と思う。 (※以下ネタバレあり) 最初は中学時代に少年版で読んだのだが結末のあまりの意外さにショックを受けしばらくは落ち込むほどだった。その後クイーンやカーに夢中になった20代に大人版として本書を読もうとしたが途中で挫折してしまった。それから約30年以上経って3度目のチャレンジでようやく最後まで読み終えた。大体の犯人像は記憶していたので今回は登場人物の心理描写や伏線の張り方等に注目して読んだのだが読了後は予想に反してかなり圧倒された。それはパズルとしての推理小説としてではなく人間性のもろさに起因する一つの悲劇としてであった。特に後半の二人の探偵の会話、真犯人の最後の場面や告白等、人間性の記述として重い内容が探偵小説という形で表現されているような気がする。 老探偵ガンズのセリフ「…失敗のないのは探偵小説の探偵ぐらいのものだ…」(p238)とは裏腹に本作は名探偵の失敗がこれでもかとばかりに描かれていく。それはパズルの知恵比べといった高尚なものではなく人間心理の最も弱い部分である恋愛感情にからむものであり、主人公の探偵ブレンドンの過信が最後には罪深さにまで発展するという仕掛けになっている。 ブレンドンの役どころはロンドン警視庁の有名な探偵であり地元の住民や警察署長らから絶大な信頼と尊敬を受けている。ところがそのブレンドンの捜査方法は全く成果を上げず警察署長らはブレンドンの能力に疑問を感じ始める。それに対するブレンドンのセリフ「…ぼくは恥ずかしさでいっぱいなんです。たしかになにかを見おとしています…」(p105)は弱音や率直さばかりで不屈の闘志のようなものは感じられない。老探偵ガンズはブレンドンの過ちを一つ一つ指摘しブレンドンも次第に目を覚ましていくが最後の信念だけは決して曲げようとしない。それが真犯人の思うつぼであり独特のサスペンス、つまり「ブレンドンよ、早くそれに気がつかないと大変なことになるよ」という読者側の焦燥感を生み出すという探偵小説としては全く類を見ない展開となる。 「ブレンドンは…小学校の四年生が校長に呼びつけられたような気持を味わった」(p231)という文があるが、これを読んだときここまで書くかとも思ったのであるが、最後のブレンドンから老探偵ガンズへの手紙を読むと作者は一貫して主人公に対して厳罰を与えるつもりであった事がわかる。つまり単なるゲームの敗北ではなく人間心理の持つ本質的な弱さや罪深さを表わしたかったのではないだろうか。 なお、後半からは作者は真犯人像を隠そうとはしていないが、そのためか最も肝心なトリックが見えにくくなっている。これも作者の巧妙な仕掛けの一つであろうか。いずれにしても真犯人逮捕までに至る直前の展開は本作独特のサスペンスとなっており真犯人像も妖しい魅力が際立っていると思う。 | ||||
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ストーリーは楽しめるが、論理・心理的には穴だらけ。 本格ミステリではない。 文学的にも、それほど秀逸とは感じられなかった。 書かれた時代を考慮するにしても、難あり。 | ||||
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先頃(2015年春)、エディー・レドメインがオスカーを受賞した際に、「本当にレドメインって名前の人いるんだ!」と思い、こちらを10数年ぶりに再読しましたが、素晴らしい作品だと思います。プロットも、文章も、犯人も、動機も、文学的興味もパズル的興味も満足させてくれる秀作です。「乱歩がおすすめ」という前評判の高い作品ですが、確かに戦前の日本の読者をうならせたであろう内容です。他の翻訳バージョンは手に入りにくいようなのが惜しい名作です(私はこちらで読みました)。...と、ネタバレを避けて書評を書こうとすると、なんだか堂々巡りになってしまいますが、現在も一読の価値のある古典ミステリーとして心よりおすすめの一冊です。 | ||||
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