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ミーナの行進
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ミーナの行進の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.43pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全87件 41~60 3/5ページ
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読み終えた瞬間、小さく拍手! 読了感はすこぶるよい!のですが、 内容を振り返ってみると、おばさんが、 芦屋で過ごした少女時代を振り返っただけだよね、と (これを言ってしまうと身も蓋もなくなりますが)。 リアルな世界を描きつつも、 芦屋の家にかつてあった動物園や、 少女が背中に乗り学校に通うコビトカバなど、 ファンタジックなところもあって、なんだかフワフワと 空を飛びながら読んでいるような軽やかさがありました。 著者の本を読んだのは、これが初めてですが、 また別の本も読んでみたいと思います(笑顔) | ||||
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昔、大切にしていた宝物を入れた箱を見つけた時のときめき、箱をあける瞬間の緊張感、そして、記憶の中の宝物に比べ、幾分色褪せてしまった宝物を目にした時の切なさ…いつかどこかで見たような、どこかで感じたようなそんな懐かしさに溢れたひだまりの匂いに包まれたこの世界に、いつしか愛おしげにページをめくっている自分がいました。 | ||||
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読んだ後、涙があふれて、暖かい気持ちになれて、 とてつもない希望が見えてくる、そんな物語でした。 中学1年生になる朋子は、シングルマザーである母が手に職をつけるため 1年間東京で勉強することになり、その間、 親戚のおうちに預けられることになりました。 芦屋にあるそのおうちは、今で言う超セレブ。17のお部屋を持つ洋館に、 お手伝いさんの米田さん、家主であり飲料会社の社長である伯父さんと、叔母さん、 伯父さんの母であるドイツ人の老婆、伯父さんとおばさんの子どものミーナ。 そして、ミーナを毎日小学校まで送迎するカバのポチ子、ポチ子のお世話をする小林さん。 ここの住人達は、時にすれ違いながらもお互いを思いやる愛にあふれ、 そんな家族の中で朋子はミーナと素敵な1年を過ごします。 ミーナは喘息を病み、小さな細い体で体力もないけれど 本をたくさん読み、素晴らしい想像力の持ち主。 朋子は、病弱なミーナに代わって、彼女の読みたい本を図書館に借りに行きます。 その図書館の司書であるとっくりさんが、朋子に語りかける言葉が、 とてもとても印象に残る言葉たちです。 小さなミーナは、やがて大きな力を蓄えて、一人で行進できるまでになっていきます。 そこまでの過程を見守るのが、読者の役目です。 | ||||
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2006年の小川洋子さんの作品ですが、これほど完璧にそれでいて控え目にやさしさと郷愁を歌い上げた作者の 想像力と大胆さに素直に感動させられた作品です。 病弱ながら裕福な家に生まれ、暖かい人々に見守られて育ったいとこのミーナと、その家に一年間だけあずけられた 主人公の日々が淡々と綴られます。センセーショナルな事件も大恋愛もありませんが、宝箱の中にそっとしまわれていたかのような 物語は、無条件に心に清涼感を与えてくれます。 二人が共に過ごした日々は、懐かしいお菓子と本と動物たちに囲まれ、家族は誰一人欠けることなく、永遠に続くかのような 幸せのマーチが鳴り響いているようです。 読めばきっと、幼いころの懐かしい人に会ったような気持ちになれると思います。 | ||||
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小川洋子さんの紡ぎだす言葉の美しさや、独特の世界に引き込まれ あっという間に読んでしまった1冊。 本書は岡山の少女、朋子が芦屋の洋館に住むいとこのミーナとその 家族のもとで1972年の1年間を過ごす物語だ。 読者は朋子の目線で、それぞれに心の置き場所が違うミーナ一家の 生活をのぞき見ることになる。 先日、機会があり、郷土の歴史家にお会いしたら、ミーナのモデルや 動物園は実在したとか。それがきっかけで期待いっぱいで購入した。 わたし自身、芦屋に住んでいるので地名・店名など、身近に感じる 部分も多いが、殺伐とした現代からは遠い夢のような話でもある。 美しい繊細な文章は、誰もが持つ少女時代の夢のような一瞬一瞬が 封じ込められているような気がした。特にミーナのマッチ箱のお話。 70年代を懐かしむ本としてもすごくいいと思う。 ただ、ストーリーに関しては「大きな感動が待っているはず!」と 期待しすぎてしまったわたしには正直、少し物足りなかった。 特に「誰も欠けてない...」などの表現は、読者をミスリーディング するのではないだろうか。 さらに言うなら、他の方も指摘されているが、西洋人みんなが クリスマスを祝うわけではない。この違和感を残念に感じた。 | ||||
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「博士の愛した数式」に感動して続いて手に取ってしまったが 期待が大きすぎたのか、いまいちとらえどころがなくて不完全燃焼的な本だった。 ミーナが元気に成長していて安心した。 | ||||
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岡山で暮らす少女が 芦屋ですごした1年の物語 懐かしくも ほのぼのした そういう世界をお楽しみください。 大人の事情の中で育つ子供の側面を 思いだすことができます。 | ||||
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とても素晴らしかったが、一つだけとても気になるところがあった。 ローザおばあさんのことだが、明らかにユダヤ系ドイツ人という設定になっているが、後半、クリスマス料理の采配をふるうという場面にびっくりしてしまった。 私は在米35年、ユダヤ系アメリカ人と結婚して30年以上になるが、ユダヤ人の家庭ではクリスマスを祝わない。クリスマスを祝うのはクリスチャンだけだ。キリスト教とユダヤ教は全く別である。ユダヤ人といってもいろいろで、熱心な信者もいれば、宗教色に全く関係なく生活している人もいるが、日本のように宗教に関係なく誰でもクリスマスを祝うということは絶対にありえない。 ローザおばあさんがクリスチャンの日本人と結婚していたというのなら話は別である。そういうケースはこちらでもあって、私達の友人にもそういう夫婦がいるが、彼らの場合は例えば子供が生まれたらどう育てようとか、それぞれの宗教上の祝日などどうしようかとか、結婚する前からよく話し合っておくようだ。たいてい、どちらか一方に決めるか、両方お祝いするかだが、両方する場合は例えばクリスマスツリーのてっぺんにユダヤ教の象徴である「デービッドの星」を飾ったりする。 ローザおばあさんの結婚について上のような示唆が全然ないところへ、突然彼女がクリスマスを祝うのが出てくるのはとってもおかしい。彼女はドイツでクリスマス料理など作ったことはないはず。たとえ、日本人と結婚して、日本式のクリスチャンじゃなくてもクリスマスを祝うといった習慣を知ったとしても、自ら率先して、クリスマスを祝うことはとても疑問だ。 オリンピックのテロを見ている場面で彼女の家族の運命があかされ、彼女がユダヤ人だとわかるのは話の筋に自然に入り込んでいると思うが、クリスマスの場面でそれがぶちこわしになった感があって、とても残念。色づけにちょっとナチスのことをいれてみたという感じになってしまう。 小川洋子さんはそういう意図は毛頭お持ちでないと思うが、ローザおばあさんのことを読むと、またしても、外国人は誰でもクリスマスを祝うという誤解を植えつけてしまうのではと危惧する。また、もし「ミーナの行進」が外国語に翻訳され、ユダヤ系の人に読まれたら、やはり、クリスマスの場面でギョっとしてしまうだろう。 | ||||
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中学1年生と小学6年生の従姉妹同士の少女たちの1972年の思い出を描いた小説。 悲劇的なことはほとんど起きない(飼っていたカバが死んだり、祖母が死んだりはあるが...)にもかかわらず、なぜか、物語の最初から物語の結末がどうなるのか、二人の少女たちの将来がどうなるのか、漠然とした不安感が漂う。 これは、彼女の小説の特徴なのだろうか。また、喪失感というか、何かが欠けている、失われている感覚もある。決して満たされていないということではなく、失われる予感というのか、そういう感じが不思議だ。 決して不快な感じではなく、むしろ彼女の魅力になっている。この小説も最後まで、結末がどうなるのか、ドキドキしながら読んでしまった。でも、この結末はちょっと安心した。 | ||||
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最初は本の分厚さに負けそうでしたが、杞憂に終わり2日ほどで読み終えました。 この時代の事はよく分かりませんが、私にも年下の可愛い従妹がいて、 もちろんミーナ程すごい境遇ではありませんが、都会に住んでいて何でも買ってもらえて、 小さい頃は遊びに行く度にすごく羨ましかった事を思い出しました。 ポチ子に乗って登校!?とかツッコミ所も満載でしたが、このお話だったらそれもアリですね。 最後は意外にあっさり別れてしまい、ただのいい思い出になっていくのかな・・・と 寂しい気持ちになりましたが、ちゃんと続いていて安心しました。 伯父さんの事とか最後まではっきりしなかった部分は残りますが、それはそれで 良かったのかなと思えます。 ポチ子、光線浴室、乳ボーロ、フレッシー、バレーボール、マッチ箱の物語・・・。 この物語に出てくる全ての物がきらきらしていて素敵な物語でした。 | ||||
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こんなに、穏やかで、物哀しく、キュートな物語は他にないと思う。 この本を読んでいると、周囲のせかせかした人々を可哀そうに思うほど。 そして、自分が異空間にトリップしたような感覚に陥る。 物語は、小学生の朋子が、母親の伯母の家に居候することになり、その体験を懐古したもの。兵庫の芦屋に位置するその洋館はあまりに豪華。元動物園だったという広い庭を所有し、ペットはカバの“ポチ子”だったり、プールあり、六甲山ホテルからのケイターあり、とにかく裕福な家庭。 そして、そこの娘がミーナでした。身体が弱くてすぐに発作を起こしたり、入退院を繰り返したりする女の子。ドイツ人のおばあさんの血を引いてるからか、 深い栗色の髪で、色白で「女の子なら誰もが、こんなふうにありたいと願うような美少女だった」そしてミーナはポチ子の背に乗って小学校に通っていました。想像するだけで、なんて、キュート。 他にも、食事の風景やダンディな伯父さんとのやりとり、小さなマッチ箱の秘密や、 “光線浴室”なる健康器具、などなど、ファンタジーあふれてて、でもそれが、まるで本当に実在していたかのような錯覚に陥る。その作風が、村上春樹のと似ているなあ、とさるきちは思ったりもする。 精神的に弱っていたさるきちをすくいあげてくれた本。ぎゅっと抱きしめたくなるような、そんな素敵な本です。 | ||||
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読んでいる間も、読み終わって名残惜しくて本をぱらぱらめくってる間も、ずっと幸福感に包まれている、そんな本。もう一度読み直してもやはり、読書中の幸福感は変わらない。 ほとんどの人が知らないうちに通過してしまう、無条件に愛され守られていた子供時代を、読者は知らず知らず反芻しているのだろう。 小川洋子作品独特の毒はないけれど、この作者の毒って、はっきり言って、たいしたことなかった。毒を失ったのじゃなくって、作家として成長してそんなところから抜け出したんだと思う。 作品がすばらしいのでつい褒め忘れてしまうけれど、装丁・挿画の寺田順三さんもすばらいい。本棚にずっと置いておくだろう1冊。 | ||||
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カバにのって小学校に通う、 体の弱いミーナが結局丈夫になって 貿易会社を営むお話。 丈夫になって以降は後日談ですが。 少年少女の成長物語ってほどのこともなく 結構ハイソな家庭の日常が 淡々と描かれている。 大した事件も起きないけど、 昔、私も共有した時間を感じさせる。 お盆で田舎に帰った効果をもたらしてくれる作品。 | ||||
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小説の主人公の少女たちとほぼ同世代(大阪万博のとき小6だった私の方が少し上だが)で、神戸市東灘区で育って芦屋にも時々買い物やプールで遊ぶためにしばしば出かけ、その後芦屋で暮らし、今は芦屋を離れて年1回程度帰省し、初詣は坂道を上って芦屋神社へ行く私にとって、山と海に挟まれた芦屋の街の空気と四季の移り変わりがヴィヴィッドに描きこまれたこのような作品は、芦屋への思いがかきたてられて胸が熱くなる。作品中に登場する開森橋や高座川、実名の推測がつくY小学校やY中学校、阪神芦屋駅の近くのA洋菓子店、山手のお屋敷町、そしてこれは東灘区にあるのだが甲南病院、等の様子が手にとるようにわかるだけに、心を芦屋に残してきた者にとって本作は格別だ。特に打出にある「とっくりさん」が司書を務めて本を貸し出してくれる芦屋市立図書館(インターネットで検索すると今は打出分室になっている)は受験のときにお世話になった施設で、本当に懐かしい。あの古い建物の、人を思索的にする雰囲気も的確に捉えられている。私が通っていた頃には図書館の近くの公園に鳥だったか猿だったかの動物の檻があったのを覚えている。今もあるのか知らないが、もしかするとあれがフレッシー動物園のヒントになったのでは? 少女と少年という違いはあるものの、1972年の阪神間という時代背景に共感できる本書は私にとってかけがえのない1冊であり、細雪の愛読者にその後の芦屋のたたずまいを伝える本として薦めたい。そういえば、カバのポチ子は戦前に阪急芦屋川駅の近くに来たことになる。細雪の四姉妹、特に三女(雪子)と四女(妙子)ならフレッシー動物園に遊びに行ったかも、と想像を膨らますだけで楽しいではないか。 | ||||
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淡々とした物語の中に自分の少女時代を思いだし、不覚にも涙がこばれてしまいました。誰の心にも去来する過去の思い出。それはなんともいえない、季節や匂いと共にふいに訪れては遠ざかっていく。二度と帰れる事のない青春期。主人公と共にタイムスリップしたような奇妙な、せつなさを感じました。今毎日の仕事や家庭に終われ、くたびれたおばさんになりつつある私にも確かにあった光輝く少女時代。思い出とは誰の心の中にある、甘くせつない幻のようなもの。それは色褪せる事のない残像となり一生を終えるまでけして消える事はないでしょう。 主人公の朋子の心にいつまでも残り忘れられない芦屋での思い出と同じように。 | ||||
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ノスタルジックな内容に、なぜかじんじん来ます。 そんなに凄いことが起きるわけではないのに。 ちょっとしたエピソードの積み重ねが心をつんつんとつつきます。 寺田さんの絵が、この本に彩を加えています。 とっくりさんが言います。 「何の本を読んだかは、どういきたかの証明でもあるんや。」 | ||||
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芦屋、西宮、苦楽園…私が長く親近感を抱く地名が次々出てきましたし、ミュンヘンオリンピックの 時が中2だったので、猫田、森田、横田、大古、南…懐かしい名前にジワーンとなりました。 余談ですが、女子バレーでは生沼さんが美形でしたよね。 小説も現実も、死や別れを避けて通ることはできず、もちろん川端康成さんの死もはっきり覚えて いますが、ポチ子を始め別れの場面もあり、悲しかったです。 入院を繰り返していたミーナまで逝ってしまうのではないかとドキドキしました。 けれども、なんだ、彼女ヨーロッパで颯爽と活躍中なんですね。 朋子も元気だし、ほっとする終わり方で、楽な気持ちで本を閉じることができました。 | ||||
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岡山から芦屋のいとこの家に預けられることになった朋子。いとこは1つ年下の美しくて読書が好きなミーナ。伯父さんはハンサムでフレッシーという清涼飲料を作っている会社の社長。おばあちゃんはローザと云いドイツ人。そこに伯母さん、お手伝いの米田さん、庭師の小林さん、コビトカバのポチ子が加わり楽しく暮らしていた。 ミーナの喘息、帰ってこない伯父さん、伯父さんとあまり仲が良くない留学中の龍一さんの帰国などさまざまな出来事があるが朋子の毎日は平穏に過ぎていく。そんな幼い頃の一ページを描いた作品。 作品の系統で云えば、博士の愛した数式の系統であると思う。しかしなにかとてつもなく悲しい出来事があるというわけでもなく、ただ幼い頃の、たった一年だけのきらめくような日々がつづられている、とでも云えば良いだろうか。 本作の中で私が一番印象に残っているのはミーナの書いたマッチ箱の物語だ。悲しかったり、おかしかったり、マッチ箱一つ一つに物語をかくミーナは、まるで綺麗な石を一つ一つ拾っていくような作業だと思った。 | ||||
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毎日これでもかと伝えられる陰惨な事件や 街なかで出くわす胸の悪くなるようなシーンばかりに囲まれていると、 この国はいったいどこへ行こうとしているのかと暗たんたる気分になる。 個人的にはめざしている国が悪いのだろうと考えているが、 ここはそれを述べる場所ではない。 だからこそ、 作者は1972年にまでさかのぼらなければならなかったのかもしれない。 この年、私は主人公の朋子と同じ中学1年生、 バレー部には入部希望者が殺到していた。 そう、札幌五輪での日の丸飛行隊の歓喜のあと、 夏のミュンヘンは間違いなく男子バレーの大会だった。 日本代表の森田淳悟さんのお宅が同じ市内だったので、 厚かましくも友人たちとサインをもらいに押しかけた記憶がある。 (いま思えば、幸運にもご不在だった。) で、『ミーナの行進』だ。 この小説ではご近所での火事騒動をのぞけば、ほとんど何も起こらない。 登場人物も皆いい人ばかり。 それでも人の死をもてあそんで涙を誘う最近はやりの作品群のように、 病弱な従妹のミーナが象徴するガラス細工のような幸福な時間が いつ壊されてしまうのかという不安が背後にずっと流れていて、 最後までハラハラもさせられる。 いずれにしても、この時代にこそふさわしい、 胸の奥がほんのりと暖かくなる素敵な作品である。 女性なら感激しそうなアイテムが随所にちりばめられているし、 最近ストレスがたまってるなぁという方はぜひ一読を──。 私は真っ先に、妻に勧めた(笑)。 | ||||
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本書の舞台となった街は、私の生まれ育った街であり、 本書の舞台となった時代に、私はちょうどミーナの年の頃だった。 つまり、あの時代のあの場所の空気を全身全霊で知る私にとって、 本書は思いっきりノスタルジィに浸れる素敵な1冊だった。 今は無きあの時代の芦屋の風景を幾度も私の内面に展開させてくれた筆者の見事な筆致に、 終始、読みながら賞賛の拍手を送りつづけたことをまずは述べたい。 そう、あの時代の開森橋から高座の滝へ続く、芦屋川沿いは小説の通りだった。 重い扉を開くとどこからともなくひんやりとした空気が漂った打出の図書館も、小説のままだった。 山の手の洋館の暮らしぶりも相当に上手く描ききれている。 小川洋子が描く小説が、ファンタジーでありながら現実から逸脱せず、多くの読者の心を掴むのは、 こうした小説の舞台を厳密に設定し、一糸たがうことなく再現してみせようとするその姿勢によるものだと気付かされ、その手腕に頭を垂れるしかなかった。 そして、あの優美な場所に「カバ」を登場させるという大胆な発想に、小川ファンタジーの真髄を見た気がした。 Y小学校につづくあの坂道を、少女を背中に乗せた小さなカバに登らせるなんて、一体誰が思いつくと言うのか。 奇想天外ともいえるその大胆さが彼女の小説に躍動感を与え、読者に迫る印象を残すことに成功していると言えるだろう。 この1冊によって、私の胸に大切にしまわれていた「聖地」が懐かしい場所としてだけではなく、小川の手によって一気に新しい世界の舞台として登場した。 読後、怖ろしい小説家だと驚嘆しきりだった。 回想から現実にフェードアウトしてゆく終わり方もかなり心憎い。 おかげでいつまでも心に残る1冊になってしまったではないか。 私的に思い出すだけでワクワクする最高のファンタジーであることは間違いない。 ぜひ、あの「時」を共有する人々に読んでもらい、この感動を分かち合いたいものである。 | ||||
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