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ミーナの行進
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ミーナの行進の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.43pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全87件 61~80 4/5ページ
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「博士の愛した数式」で一気にブレイクした小川さんですが、我が家にはもうかなり前から何冊もありました。 私の最初の頃の小川さんの印象は、なんというか... 「見ちゃいけないものを平気で見せたりする女の子」。 きっと、この人はムシを分解してみたり、かさぶたをはがして、たら〜っと垂れる血をずっと見ているだろうな。 そんな思いがしていました。 ところが、「博士の愛した数式」では、『この人、もしかして子どもでも産んだ?』と思えるほど柔らかな視点で驚かされました。 本を閉じた時、幸せな満足感いっぱいのため息をついて、いい本見つけちゃった。と思ったものの、あっという間に世の中に知れ渡れ、ちょっと残念な気持ちにすらなりました。 「ミーナの行進」は、「博士」と同様、温かさいっぱいのお話です。 ミーナの細く、柔らかな髪が、ゆるい風に舞う様子まで、目に浮かんでくるような美しい描写。 トモコがあこがれの人と話す時、かけられる言葉への罪悪感を覚えつつも、押さえられない小さなときめきの描写。 図書館の匂い。ドイツ人という、お屋敷のおばあさんの描写....。 なんて、小川さんは表現が上手な人なんでしょう。 このお話もきっと、「映画にしてみたい。映画で、緑や風を表現してみたい。」と思う監督が多くいるだろうけれど、映画化してほしくないなー。 | ||||
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このせりふは、主人公の朋子がいつもはこころがそれぞれのところへいってしまっている親友ミーナの家族が揃って海水浴へいった貴重な幸福すぎたある夏の日の写真をみてつぶやく言葉です。 小川洋子さん独特の世界が静かに柔らかに展開されるなかで、この言葉でもう切なくてたまらなくなってしまいました。私の年代(40歳です)になると、祖父が逝き、祖母が逝き、子供が親離れをしていき、兄弟が不通になっていきます。その代わりに、得るものも確かに多いのですが、子供の頃に大切だったものとは明らかに違います。 その愛おしさを思うと、この朋子の大丈夫、と言った言葉が本当に自分の胸に本当に響くのです。 子供の頃に、いろいろへんてこだったことが実は当たり前のことだったり、普通だったことがとても贅沢なことだったりしたことに思いが巡る、これまでに最も心に静かにそっと深く深く響いた作品の一つです。 | ||||
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時代は大阪万博、ミュウヘンオリンピックがあった昭和のよき時代。 中学一年の主人公が、従姉妹のミーナが住む芦屋の豪邸ですごした、 思い出深い1年間の話。 虚弱とはいえ、小学校に“カバ”に乗って通学するミーナ。 昭和のお金持ち生活が、破格過ぎておもしろい♪ 家族みんながそれぞれに、小さな悲しみや寂しさ不満を抱えつつも、 心を保ってお互いを思いやっている姿がほのぼのとして、安心感を与えてくれます。 生まれているはずもないのに、記憶のどこかで同じような体験をした覚えがあるような ノスタルジックな想いにさせられる一冊。 | ||||
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小川洋子さんは「博士の愛した数式」しか読んだことがありません。あちらもよかったですが、私はこちらの方がハマりました。 初めの方のおじさんに連れられて初めて「クレープシュゼット」を食べるシーン。私の子供時代、外食はまだまだイベントになるくらいの贅沢でした。幼い頃に喫茶店に入ってクリームソーダやパフェを食べたことなど、今でも鮮明に覚えています。初めて「クレープシュゼット」を目にした朋子の描写が、その時のさくらんぼの味やソーダの鮮やかな緑色を瞬時に頭の中に蘇らせてくれました。 途中まではノスタルジックなムードで進むのですが、ミュンヘンオリンピックの日本男子バレーへの傾倒あたりから、物語がダイナミックに動き始めます。ミュンヘンオリンピックの記憶はありませんが、ちょうど映画「ミュンヘン」を見た直後だったせいもあるのでしょうか、とても臨場感がありました。 ○○さんのデートシーンをミーナが目にしないように奮闘したり、おじさんのいるマンションまで行っちゃったり…。私もすっかり、自分が小さく世界が大きかった頃、友達とケンカしちゃった程度のことが世界の終わりのように思えた小さい女の子に帰ってしまいました。 前の方が書いておられた「大人の童話」という言葉が本当にピッタリですね! | ||||
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2006年谷崎潤一郎賞受賞作、「博士の愛した数式」の小川洋子さんの作品です。 家庭の事情で芦屋の伯母さんの家に預けられることになった中学1年生の朋子が、そこに住む人々と過ごした1年間の日々の物語です。 ミーナと使用人の小林さんとポチ子の威風堂々とした行進(・・・本のタイトルはここからきています)。 江坂ロイヤルマンションの駐車場に停まる伯父さんのベンツ、ポチ子の死、水曜日の青年、とっくりさんとの別れ・・・ 切なくなるような出来事もありましたが、朋子がミーナと過ごした日々は、美しい思い出となりました。 この物語のような、ゆったりとした時間の流れの中に、身をおきたくなりました。 そして、私もポチ子の背中にまたがってみたくなりました♪ とっくりさんが朋子に言った「何の本を読んだかは、どう生きたかの証明でもあるんや。」という言葉・・・ へ〜って思いました。 | ||||
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小川洋子さんの文と寺田順三さんのイラストが絶妙なハーモニーを奏でている。 小川さんのひんやりとした文体が、何かもの哀しくて、それなのにほのぼのしている。 年代的にドンぴしゃりの人は懐かしくてたまらない気持ちになるだろう。 私自身は、ミュンヘンオリンピックのことなどピンとこないことも多かったが、 ミーナがマッチ箱のイラストをモチーフにお語を創ってストックしていたというエピソードと お話そのもの(実際に何話か登場する) そして寺田さんが描くマッチ箱にノックアウトされた。 おそらく小川さんの夢がいっぱい詰まった物語で、実際にはありそうもないような 内容もあるのだけれど、それを信じさせるだけの筆力はさすが。 | ||||
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母子家庭に育った朋子は小学校を卒業後、母と離れて芦屋の伯母夫婦のもとから中学に通うことになった。一緒に暮らすのは、フレッシーという清涼飲料水メーカーの社長でもある伯父、ドイツ人の祖母、そして喘息を持病にかかえる従妹ミーナ。 これは今から30年以上も前、1972年の春から一年間の朋子の成長の記録。 中学一年生という子供と大人の間に位置する年頃に、朋子は様々なことに触れていきます。川端康成の自殺のニュースに心震わせたり、ミュンヘン五輪で金メダルを目指す日本男子バレーボールチームをテレビで熱く応援したり、パレスチナゲリラによるイスラエル人選手虐殺事件に心痛めたり、ジャコビニ流星雨を待って人生初の徹夜をしたり。さらには、気立てがよくてダンディな伯父の秘密や、それを知っていながらあえて触れようとしない家族の姿を目の当たりにしていきます。 世の中が清く正しいことに満ち溢れているわけではないことにうすうす感づいていく朋子は、どうにももどかしく思いながらも、人生は白黒つけることだけがすべてではないことを学んでいくかのようです。 小川洋子の筆づかいはそうした少女の成長過程を、激しく外界へほとばしるような抵抗の物語としてではなく、また内界へと陰にこもる苦悩の物語としてでもなく、恬淡とした回想記として描いていきます。物語に大きな上下の振幅がないぶん、食い足りないと思う向きもあるかもしれません。 しかし、私は自身が70年代に中学時代を送っているだけに、あの時代の自分を包んでいた空気のようなものを、この小説の中に懐かしく感じ取ったような気がしているのです。 一人で人生を切り開くにはまだ幼すぎ、それでも今から振り返れば自分の人生が緒につく瞬間のようなものを確かな手ごたえとして感じたあの頃。そうした自分の記憶に思いを馳せることのできた書であったということはいえるのです。 | ||||
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淡々として美しい文章は相変わらず。 その文章をひたすら楽しむとこの作品は終わってしまいます。 少し足りないな、と思うのは、作者が本来持つ残酷さ。 「妊娠カレンダー」からずっと受け継がれてきたその美しい残酷さ、 みたいなものは「博士…」からなりをひそめているようです。 「博士…」は、それでも抜群のバランスでもって名作たりえましたが、 本作は美しいだけに収まってしまっているようで、少し残念です。 | ||||
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イラストも素敵だし、なんと言っても 著者の温かみのある書き方に ほのぼのとした気持ちにさせられました。 昭和40年代後半と言えば、まだ 日本が経済的に成長しつつあったころ。 その時代に、思春期を共に過ごした少女と従姉妹。 裕福な家庭に育った従姉妹の家に、1年間居候することになった少女が観察した家族の姿が 実に 人間味を持って書かれています。 本の終わり方が なんとなく唐突で物足りない感じがしましたが、読む価値は十分あると思います。 従姉妹のミーナがマッチ箱の中に書いていく小さなストーリーも可愛くて読むのが楽しかったです。 | ||||
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悪い話ではない、というか悪い話になりようがない。 登場人物は全員善人だし、こまやかなもの、ひそやかなものたちへの愛情を書かせたら並ぶもののない作者なのだから、こういう本を出せば売れるに決まっているようなものだ。 しかし、だからこそ点が辛くなってしまう。「博士の愛した数式」という素晴らしい小説を書いた後に、さらにこの小説を書く必要があるのだろうか?この作家にはもっともっと冒険をしてほしいのだ。 「ムーミン」と「アンネ」と「博士」を足して3で割ったような本。それだけ聞いたらいい本だと思うし、実際いい本なんだけど、小川洋子のポテンシャルから相対評価したら星2つが妥当ではないかと思う。 エピソードとしてたびたび登場するマッチ箱に潜んだ物語はどれも切なく悲しいものばかりだけど、本筋があまりに健全なだけに、バランスを取るために差し込んだのかとうがった見方をしてしまった。 | ||||
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この本を読んでいる間、どれほどの幸福感と不安感を味わえたことだろう。 ハンサムで大金持ちの叔父様の芦屋の邸宅での一年間。 13歳の朋子がひとつ年下の感性豊かな従妹の美少女ミーナと過ごす日々は、「ミュンヘンオリンピックの男子バレーボール」への熱中や、「異性への憧れ」など、ごく普通の少女達と同じような日常が詳細に描かれていて、かつて少女だった人だれにでも、なつかしく温かい気持ちを思い出させるものとなっている。 その一方、ミーナの喘息発作や彼女がマッチ箱の図案から紡ぎだす美しく奇妙な物語の数々が不安な通低音となって読者を小川洋子独特の世界へと導く。 先の展開が全然読めず、最後まで不安と緊張と幸福感を味わえました。 そして、ユーモアもたっぷりなのです。 文章も素晴らしい。 文学好きの方はもうとっくに読んでいらっしゃるでしょうが、「赤毛のアン」以来少女小説から離れてしまった人にもおすすめです。 私は83歳の母のために買いました。 | ||||
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「ミーナの行進」は、13歳の少女がおばの家に預けられ聡明で美しく病弱なひとつ年下の従妹と暮らした一年間の物語。 コビトカバが出てくる。従妹のミーナの住む芦屋の洋館にはカバのポチコのための池があり、喘息持ちのミーナはそのコビトカバのポチコに乗って小学校へ登校するのだ。ミーナは排気ガスに弱くひどく車に酔う。芦屋の急な坂道を歩く体力がない。父親の手作りの鞍をポチコに取りつけてミーナは星座をしてその鞍に座る。庭師の老人小林さんがポチ子のタッセルをひいて小学校までの行進が始まる。 コビトカバが登場する時点で、悲しい気配を感じてしまう。カバのポチ子のユーモラスな表情の描写になぜだかさびしくなるのだ。夜、庭のベンチに頭をのせて夜空を眺めているポチ子… 登場する人々の各々の孤独が淡々とした日常の中に語られていく。それぞれが孤独ゆえに、心の触れあう瞬間を少女たちは愛おしみながら小さな物語を紡いでいく。 小川洋子の小説はいつも力が抜けていて、それでいながらぐいぐいと読者を引き込む魅力にあふれていて期待を裏切らない。 力んでいないところがいい。 さらりと寂しい。 すっきりと美しい。 | ||||
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帯に「ぼくは、この作品に出会えた幸せを、いま噛みしめています」とありますが、まさにこのとおりのあたたかみのあるお話でした。芦屋の洋館に住む病弱で聡明なミーナと彼女をとりまく人々。とくに、書き出しがすばらしくてセンチメンタルなのに憂鬱じゃない、これから素敵なおとぎばなしでもはじまるような、子供のころ以来経験しなかったような期待でいっぱいになりました。繰り返しよんで、この洋館の人々を語り手の朋子のように自分の心に住まわせてしまいたいほどのなつかしさ。そして、挿画がすばらしいのです。この本にぴったり、美しさと懐かしさを封じ込めて、時間のとまったような、かつポップでかわいい絵です。本と同時に挿絵も十分楽しめます。年齢、性別を問わず、すべてのかたに。 | ||||
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1972年頃のことを覚えている人なら、当時のことを懐かしく思い出すことだろう。 私は当時の記憶はないのだが、それでも何となく懐かしい感じを覚えてしまう。 それは主人公の朋子が当時の様子を回想しながら書いているという形式のためだろう。 朋子の視点から見た、芦屋の豪邸、病弱ないとこのミーナと過ごした時間、淡い恋など、夢のような出来事も含めて、郷愁たっぷりに書かれている。 子供から大人まで、誰もが楽しめるいい作品だと思う。 | ||||
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家に私設動物園を作ってしまうほどの上流家庭のおじさん家に、1年間お世話になるストーリーだ。病弱なミーナが、家族みんなから全力で守られているようすが、さりげなく書かれている。そこに、昭和の理想の上流家庭を見出している。視点人物が家族の一人だと自慢めいてイヤらしいが、たまたまお世話になる姪という設定にしたのが良かった。 少女らしい恋や、少女らしい熱中が、健康的に秘めやかに語られていた。思い出が宝石のように輝いていた。父親の不倫が一家に影を落とすことも含め、家族の絆をぬくもりを持って描いた落ち着きある作品。 | ||||
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読んでよかったぁ。やっぱり。 ぬくもりを感じられる本でした。 岡山から芦屋で暮らすことになった中学生の朋子。 ポチ子(さて?ポチ子って?)と一緒に小学校に通うミーナ。 双子のような二人のおばあさま方。小林さん。 叔母様。叔父様。龍一さん。 かけることのない家族。 従姉妹の朋子が芦屋の洋館で過ごした一年のお話がベース。です。 マッチ箱。バレーボール。彗星。の、エピソード。 秘密?のとっくりさん、水曜日。 読んでからのお楽しみ! それから、装幀・挿画がすばらしい。 色に感じるものがあるんだけど。ね。かわいいよ。 ここにも、じ〜んっと。とどいてくるモノがありますよぉ。 また、みんなに会うために読みたい本。 安心できる本ですわ。ん! | ||||
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母と二人暮しの朋子は、母が洋裁の腕をみがくために1年間洋裁 学校に通うことになったので、その間伯母のところへ預けられることに なった。伯母の家族、そこで働く人たち。そしてすてきな家。決して 忘れることのできないできごとを、あざやかに描いた作品。 伯父さん、伯母さん、ローザおばあさん、米田さん、小林さん、そして ミーナ、朋子。みんなひとつの輪になっているような、確かなつながり が感じられる。どの登場人物も、とてもすてきな人たちばかりだ。朋子 が1年の間に得たたくさんの思い出は何物にも替え難い。ミーナと同じ ものを見て同じものに感動したことは、生涯忘れることはないだろう。 こんなにすてきな思い出を持っている朋子を、とてもうらやましいと 思う。1972年から1973年の出来事として書いているが、この 時期私もミーナや朋子と同じように、ミュンヘンオリンピックのバレー ボールを見て感激していた。だから、彼女たちに共感できることがたく さんあった。そういう意味ではとても懐かしいものも感じた。心温ま る、すてきな作品だった。 | ||||
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「芦屋」行ったことがないのでよく分からないが、こんな風変わりな一家がありえたような町なのだろうか。 大きな洋館に住む裕福な一家。 ドイツ人のおばあさん。 ハーフのハンサムな会社社長の伯父さん。 酒と煙草と活字の誤植探しに暇をつぶす伯母さん。 家事を一切切り盛りし、家庭内の権限をもっている家政婦のおばあさん。 喘息がひどく、カバのポチ子に乗って学校に通う従妹のミーナ。 そこに一年間預けられた母子家庭の少女。 非現実的な家庭の話であるが、そこで語られるエピソードは生き生きとしている。 喘息の苦しさ。 ミュンヘンオリンピックの日本男子バレーボールチームに熱中した話。 ジャコビニ流星雨を見に夜中に出かけた話。 同時代であったものには、懐かしい記憶となって蘇り、 知らない世代にも自分たちの体験のような気持ちにさせてくれるはず。 おとなたちへのおとぎ話である。 そしてマッチ箱の絵につけた寓話がそれだけでキラリと印象的。 最後があまりに都合よくまとめ上げた感じがするので、星一つ減 | ||||
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主人公といとこのミーナがともに暮らした一年間。 二人の少女の成長、それを温かく見守る家族の姿をユーモラスに描く、 伸びやかで質の良い成長物語です。 全編があたたかい光に包まれているような 幸福と安心に満ちています。 本編中に悪意がまったく描かれることがなく、 穏やかな気持ちで読み終えることができ、 こんなに気持ちの良い本は久しぶり♪ 「ミーナの行進」というタイトルの意味がわかった時には ミーナの確かな成長に私までもが誇らしい気持ちになりました。 いつまでも家族の生活をのぞいていたかった。 素敵な本に出会えました。 | ||||
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岡山に住む母子家庭の少女、朋子が母の都合で1972年3月からの1年間、芦屋にある大きな会社の社長を務める伯父の邸宅で過ごすなかで起こる様々なできごとを、現在から回想するというかたちで語られる作品だ。朋子のひとつ年下のミーナや邸宅内に住む個性豊かな人々との交流がとてもいきいきと描かれていて、良質のホームドラマを見ているような感覚になった。とくにミュンヘンオリンピックの男子バレーボールのくだりなどは、小川さんの思い入れもあるようなタッチで、実に能弁に語られている。折々に挟まれる、ミーナのマッチ箱のイラスト童話は、イソップの寓話のような世界で、これだけでもひとつの作品集として成り立つような出来映えだ。 朋子が過ごしたこの1年は、30年を経た現在でも、彼女の中ではついこの間のことのように思い出されるのである。実に穏やかで心温まる佳作である。 | ||||
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