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我らが少女A
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我らが少女Aの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全37件 21~37 2/2ページ
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12年前の未解決事件の関係者が殺されたことがきっかけとなり、被害者家族やその関係者達は否応なくその過去に囚われていく。合田雄一郎シリーズの最新作ですが、純粋な警察小説やミステリーではありません。 合田達関係者の内奥や心理をひたすら掘り下げていく物語。500頁以上の長編乍ら、展開は起伏に乏しく派手な事も起きない。ただ人々の記憶が徐々に掘り起こされ、過去の感情が炙り出されると共に、未解決事件の真相が形作られる様は、ドラマチックでした。 | ||||
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改めて凄い作家だな、と思う。 半径数キロに及ばない人間関係をひたすら緻密に掘り下げて核心に迫っていく様は、それ自体が刑事の所業だと思う。 物語は2017年のとある日、元俳優志望の風俗嬢、上田朱美が同棲していた男に殺されたところから始まる。それ自体は謎を孕んでいるわけではないが、男の証言によって、朱美と12年前の未解決の殺人事件の新たな繋がりが明らかとなり、そこから物語が回り始める。クリスマスの朝の公園での元美術教師殺し。その家族とそれを取り巻く当時の関係者ーー殺された教師の孫娘で、朱美の同級生の真弓、同じく同級生の浅井、小野、そして、事件の捜査責任者であった合田。朱美ー少女Aーの死をきっかけに、当時の記憶が呼び覚まされ、深く掘り下げられていく。殺された美術教師は何を考えていたのか、当時の同級生らは何を見ていたのか、少女Aはどのような人間だったのか、そして、誰が殺したのか。 ただ、この小説の凄まじい点は単に謎解きに終始していない点にある。むしろ、当時と現在の事件をきっかけに登場人物一人ひとりの記憶が薄皮を一枚一枚ピンセットで剥ぐように明らかにされ、その中で少女Aと当時の事件を取り巻く状況が朧げに浮かび上がってくる。その意味で例えば横山秀夫が書くような刑事小説とは一線を画している。刑事の情念そのものよりも、事件により明らかにされる周辺の人物の情念ーーそれぞれが肚の奥に、意図して、または意図せず閉じ込めていた昏い記憶と感情の機微。それは、読者に近い分、読み手の精神をキリキリとさせる。 「リヴィエラを撃て」の書評で、誰かが高村薫を「数キロメートル先から精密射撃をするような描写」と書いていたが、まさしくそのような小説だったと思う。そのような意味で高村薫の昔ながらのファンとしては満足できる重厚感と緻密さだったと思う。 最後に数点だけーー ー浅井忍が「マークスの山」に出て来るマークスと被る。最後の一言は爽やかながら、その顛末は察するに救いようがない。 ー玉置の登場には面食らった。まさか途中から真犯人登場、的なチープな展開になるのではと一寸危惧したが全くの杞憂だった。 ー手紙の下りだけは納得がいっていない。そんな重要な事実が12年経ってようやく掘り起こされるとは。ここだけは微かなしこりが残る。 ただ、いずれにせよ、高村薫ファンが待っていた待望の合田刑事最新作であったことは間違いない。次は本庁に戻った合田が刑事として最後にどういう事件と向き合うのか。数年後を楽しみにしつつ星5。 | ||||
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ストーリー展開を一緒に先取りしていくような快感 | ||||
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高村作品の特徴であるディテール(場面の詳細描写)がこの作品でも秀逸で、フィクションでありながら、つい現実の事件のような錯覚に陥り、知らぬ間に引き込まれてしまう。正直、年寄りにはゲームのことは感覚外のことだが、今の若者にはこういうこともあるのかなと思わせてしまう。どんな人生も「時間」の関数として流れていることを考えさせてくれる作品でした。因みに合田が時々訪れる松戸市矢切の野菜農家が学生アルバイトを雇って収穫している話は事実です。 | ||||
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武蔵野の美しい描写も味わい深いものがあります。 何よりもそれ以上に登場人物の過去と現在の描写が素晴らしく、それらを読むことでそれぞれの登場人物の人生を追体験しているような気分になります。 個人的に今年の最良の読書経験の1つになりました。 | ||||
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現代日本文学の最高峰の一人だと私が信じる高村薫の待望の新作である。一作ごとに工夫を凝らし、新しい境地を切り開く氏の奮闘には頭が下がる。本作は2005年から2017年にかけての日本社会と人間を描いた物語である。 「冷血」(2012年)以来久しぶりに合田雄一郎が登場する。50半ばを越えて彼は武蔵野にある警察大学の教授となって後進を教えている。彼には痛恨の未解決事件があった。12年前の元美術教師殺人事件だが、ガールズバー務めの27歳の女性が同棲相手に殺されたことがきっかけで再捜査が始まった。彼女の残した言葉から事件の現場に当時15歳の彼女・少女Aがいたのではとの疑いが浮上したのである。 犯罪を扱っているが犯人探しに著者の関心はない。少女Aと、そのまわりにいた少年少女たちの過去の行状と現在が洗い出される。育った家庭環境はさまざまながら、それぞれが抑圧や孤独を感じながら大人になっていく。学校や家庭の束縛から逃がれて、悪い仲間とつるんで危険な遊びに興じる者、ゲームの世界に没入する者、あるいは部活に入れ込む者。親には子どもの内面が見えていない。その家庭にも歪みや軋みが見え隠れしている。 まるで細密画のごとき精緻な描写に驚く。ADHD、エバンゲリオン、駅員の業務、少年非行、がん治療についての詳細な記述には感嘆しかない。背景となる時代の世相はケーキ店の名前や商品にいたるまで実名で取り上げられている。もちろん登場人物の心理や家庭の状況を赤裸々にあばく。感情を排した、硬質の乾いた文体でディテールを緻密に描く。その緻密な記述が積み重なって、息遣いがわかるほどに人物が立ち上がり、2005年から2017年までの時代が読者の眼前に再現される。その結果、作品全体に日本のこの時代の空気が漂うことになる。リーマン・ショック、大震災、原発事故と続く、出口のないもどかしい時代の閉塞感とも言えるもの。そこで必死に生きようとする人たちの群れを私は高村薫の新作から感じたのであった。 この作品は刑事が犯人を突き止める話ではない。警察小説でもミステリーでもない。主人公である合田雄一郎は捜査に加わらず、何も行動しないのだ。むしろ家族小説、あるいはダークな青春小説かもしれない。否、死者のまわりにいた人々の15年間を克明に記すことで、高村薫はこの時代と人間を描こうとしたのだ。最終章に至って登場人物たちはそれぞれに安らぎを得るのだが、そこに著者の人間への優しいまなざしを私は感じた。高村薫の新たな代表作の登場を喜びたい。 | ||||
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刑事合田シリーズ。そうですか、合田刑事はもう一線から身を引かれ、後輩の指導ですか。。。その刑事合田の時系列が現在と回想を行き来し、未解決事件を描き出します。 | ||||
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「子を産む女の声が地を這って伝わって夜陰へ滲み込んでゆくにつれ、生き物たちのある者は近くで根源的な自然の営みが起きているのを察して息を殺し、ある者は生命の波動のようなものと共振するのか。」これは高村氏の前作「土の記」のなかの描写。もうひとつ。「数万本もの杉や土や生き物たちの集合の記憶がこの皮膚に滲み込み、ひたひたと細胞を満たしながら何事かを人間に知らせてゆくとでもいうのだろうか。」引用すればきりがないが、ここで氏の文体(スタイル)はあるひとつの高みに到達した。自然と対峙する人間ではなく、自然のなかの人間の営みへの憧憬と安息が文体に昇華されている。それは読むものを引き込み、絶え間ない雨の音が実は生存の不安の息遣いであることすら忘れさせてくれ、その先に悲劇は起こる。今回の「我らが少女A」の舞台装置は「冷血」を引くが、文体は「土の記」。その書き出し。「早春のそこには、見渡す限り黒々と起こされた黒ぼく土の畑地と、新芽にはまだ遠い灰白色の雑木林と、人影のない戸建て住宅の混じり合う平坦な風景が広がる。」かつて大岡昇平は「武蔵野夫人」で、「はけ」という地質に注目した。地質や地形がそこで暮らす人間に与える影響に関して「はけ」をその象徴として描いた。その方法が長い時を隔ててこの高村氏の作品に蘇った、と思った。それほど今回の作品では「野川公園」とその周辺が重要な位置を占めている。そしてことの顛末は多摩駅の若い駅員小野雄太の視線を通して語られる。もちろん、小野雄太の視線の先には武蔵野の自然などありえない。あるのはSNSの世界。5~7インチの画面の先にある「つぶやき」。しかし、その小さな画面に「現在」が露出する。登場する若者は「それぞれが苛立ち、何かを渇望している、と。」そして「一人の男が思い付きでインスタにアップした朱美の写真は、当人にとってはすでに過去でも、不特定多数の目に触れて次々に共有されながら、なお一部の人々の情動を誘い続ける。」これはどうでもいいことと言ってしまえばそれで終わりの世界。しかし、高村氏はこのSNSの流れに「現在」を見ている。「現在」とは、「どこにも着地できない宙吊りの状態をここまで続けてきた」親の世代の感慨であろうし、浅井忍のゲーマーとしての生き方。あるいは殺された朱美と同じ時間を共有したことのある真弓の現実からの浸食。しかしそれらすべての背景には武蔵野の「自然」が息づいている。どんなに世界が狭まろうとも、人間の営みは少しずつ前に向かっている。その思いに励まされる小説だ。 | ||||
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数十年前の昔、池袋の文芸坐辺りでアラン・レネの映画を観ているときの感覚を想い出す。それは他人の夢を見せられているような感覚である。幾人もの夢のカタログのページをめくるような感覚。移り行く風景。心の変化。場面転換。脳内スペーストラベル。心象から心象への旅を通して、次第に明らかにされてゆく12年前の殺人事件とその真相。 あまりに久々に手に取った高村作品は、やはり巷間に溢れる凡百のミステリーとは格段の別物であった。気高くさえ感じられる文体の凄み。観察眼の精緻。人間内部の幾層もの意識の深部へ沈潜して照射してゆく光の明るさ。彼らを囲繞する世界の仄暗さ。季節の匂い。風の触感。様々な言い尽くせぬ表現方法を総動員した小説作法は、やはり高村流と言うべき感性の豊かさによって編まれているかに見える。 ミステリの畑から長らく遠ざかっていた高村文学が、また再び合田雄一郎とともに帰ってきた。同棲相手に殺害された少女の掌から零れ落ちた絵の具のチューブが、12年前の武蔵野に置き去りにされた未解決殺人事件の記憶に結び付く。合田は、警察大学校の教授として教鞭をとる。驚くべき立場だが、また翌春には捜査畑に帰ってゆくという立場で、過去の事件を現在の捜査責任者へ積極的に協力をしてゆく。 しかしこの小説の主人公は合田ではない。彼ですら登場人物の一人でしかない。ここでは誰もが主人公である。巷間に埋もれる小市民たちでありながら12年前の事件に関わったことで、現在の状況にいくばくかの影響を感じつつ、始まった再捜査の状況にそれぞれに再び関わってゆく人間たちの数だけ生まれ、終息する悲喜劇でもある。 フーダニット・ミステリでありながら大がかりな犯罪を扱っているわけではないが、多くの人の生活や時間が見事に事件に絡んでゆく様子が素晴らしい。ADHDの少年の意識の入れ替わりや、浮き沈みする記憶、彼の運動力が物語を掻き回す状況のメリハリも本書を一つの個性な作品として際立たせる。 なおこの作品は2017年夏から一年間、日々連載された新聞小説である。連載時、日替わりで交代したという挿画家たちへの作家からの謝辞があとがきで表されている。単行本化された小説のページを、いくつもの異なる挿画が彩るという計らいも嬉しい。東京都下の事件を描きながら世界レベルの芸術性と、挿画も含めた美しい風景たちを混在させる素敵な本である。読後にぎゅっと心で抱きしめたくなるような物語でもある。 | ||||
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合田雄一郎も57歳。若者とカードゲームに興じたり、角が取れた感がある。まだまだ目は離せない。 読む者を息詰まらせる筆致は影を潜めた。 | ||||
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マークスなどで好きになった作家。本屋で少し立ち読みして久しぶりに買った。一気に読み終わって忍の最後の言葉だけが残った感じ。あ、そうか、被害者は最後に、え、空?と言ったんじゃないかと気がついたとき、物語の全体がビシッと決まって、不思議と泣けてきました。人の記憶や思考はおぼろげなものなんですね。自分の頭の中を探検したくなりました。 | ||||
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本作品は「合田」ものではあるが、作品の流れとしては「土の記」の延長線上にあるものと考える。主役は「地域」であるからだ。野川かとも思ったが、野川の源流にも、野川公園の先の野川にも触れていないので、やはりこのエリアが主役なのだろう。このエリアはどんなエリアか。バブル時期にも都心から近い距離圏にも係らず開発から免れ、広大な敷地をかかえ、その後は警察学校や外語大といった公的施設に利用されてはいるが、行ってみれば皆空の広さに驚くであろう。武蔵野公園や野川公園は私が37年前に免許センターに行った際に初めて触れたが、その時のままだ。そして何よりも著者の母校ICUがその中央に鎮座する。本作品の野川の描写を読むと、自転車で野川沿いを走っているのは正に著者ではないのかと錯覚しそうになる。 そして作者はこのエリアに12年前の事件を甦らせるような試みを行う。人と人の関係、人の心中の奥底を徹底的に掘り下げることで、バーチャルな現実が浮かび上がる。 作家は何を欲望したのだろうか。時間と空間を切り取ろうしたのではないか。そして何かを残そうとしたのに違いない。 私もまた野川沿いをクロスバイクで走ろうと思う。この作品で自身の中に何が残ったのか確認するために。 | ||||
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合田雄一郎と聞いて手が伸びる衝動を抑えるのに苦労し、精神を病んでいる登場人物の読みにくい独白と、必要を越えた専門的知識や風景描写に長々と付き合わされるのに閉口しながらも、それらはすべて必要な文章だったと読了時にのしかかってくる重厚さに納得してしまう。とまれ、主人公達と共に歳を重ね、いつしか彼らの年齢を追い越し、そして追い抜かれてみて、あらてめて時の流れを痛感するが、若さとはそれ自体強い磁場であり、抗いがたい魅力にほかならない。結果として、本作読了直後にも関わらず、捜査一課に白スニーカーで颯爽と登場した、底堅い日陰の石の一つの頃の雄一郎をまた、読み返している。 | ||||
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この本の主人公は合田雄一郎という警官です。この主人公が登場する小説には、他に『マークスの山』『照柿』『レディ・ジョーカー』『太陽を曳く馬』『冷血』があります。最初の小説では、若手の警官として登場し(たしか、白いスニーカーを履いていたように記憶しています)、作品ごとに徐々に年齢が変化しており、この本では50代です。犯罪に対する捜査が描かれていますが、読者は犯人が誰なのか推理しながら読むような作品ではありません。 犯人はほとんど最初から明白なことが多く、著者はその捜査の過程を淡々と描いていきますが、本書ではこうした高村流が益々極まっているように思います。小説の中で”劇的なこと”は何も生じません。過去に起こった犯罪に対する思いが、それぞれの関係者の中で揺らぎ、その揺らぎが共有されたり、新たな揺らぎを生み出したりする様子が描かれるのみです。しかし、小さな石を積み上げていって巨大な建築物を作るように、細やかな日常的な事実をこつこつと積み上げていくことで、著者は人間という存在の普遍的なありようを描き出そうと試みているのではないかと思います。そして、『神は細部に宿る』という言葉がぴったりくるような高村流に、私はなんとも言えない吸引力を感じます。(劇的なことは生じないと書きましたが、むしろ一見細やかに見える日常的な心の揺らぎこそ、本当は劇的なことなのかもしれません) それから主人公の合田さんは過去の作品と比べて、人間らしい揺らぎを感じさせることが多かったような印象です。過去の作品の中では、すべてを捨てて犯罪に肉薄していく様子が印象的で、そうした執念や迫力が魅力的であった一方で、何がこの人をここまで突き動かすのかが読者の私には腑に落ちず、近寄りがたい印象も受けたのですが、この『我らが少女A』では、合田さんの他者(友人や同僚や犯罪に巻き込まれた人たち)への思いが素直に表現されている場面が多かったように感じます。これまでの作品に感じたものが合田雄一郎への憧れであったのに対して、この作品ではむしろ合田さんへの親しみを強く感じました。 50代を迎えて合田さんも少しずつ変わっていらっしゃるのでしょう。変化された合田さんが、今度はどのような捜査をされるのか、次回作に期待したいと思います。 | ||||
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高村薫も天童荒太と同じように、長編が出るとすぐに買うのだが、読み始めるのに決意が要って、なかなか手が伸びない作家である。 が、この作品は先週発売されたばかりだから、すぐに手が伸びた。 珍しいことである。 天童荒太の『ムーンライト・ダイバー』で免疫ができていたのかもしれない。 それにしても、このタイトルは一体なんだ。 そう思いつつ、読み始めた。 12年前のクリスマスの早朝、高校の美術教員を定年退職した画家が、毎朝写生に行く公園で死んでいた。 そこから話が始まるのだが、その先生に絵を習っていた当時中学生だった少女が、12年後に同棲していたつまらない男に、つまらない理由で殺される。 そして、その殺した男が警察で言うには、彼女は12年前の老女の死亡した現場から絵具を1つ持ってきたということを、語るとはなしに話したのを聞いたことがあると・・・。 そこから特命班が動き出す。 そして、12年前の人間模様を再度調べ始める。 久しぶりに登場した合田雄一郎は、12年前の捜査本部の責任者で、今は12年前の現場にほど近い多磨駅近くの警察大学の教官という設定である。 それにしても、中学生・高校生たちの描写は大したものである。 ゲームの世界、そしてADHDの少年の頭の中。 よく書けるものだ。 それから、『晴子情話』や『新リア王』で福澤彰之の一人語りで多用される「ああいや」という言葉、そして『冷血』の中で」少女の一人語りに多用される「いいえ」という言葉が、本書でもリズムを決めていく。 まあ、いわゆる高村節が全開なのである。 だが、12年前の事件の再捜査で、人間模様を一から描くような捜査を警察は果たしておこなうだろうか。 そういう疑問はあると言えばある。 それでも、ここまで引っ張ってくれれば、愛読者としては文句はない。 本作は明確なミステリーでもないし、なぞ解きという訳でもない。 だからこそ、最後にタイトルに込められた意味が伝わってきたのだった。 | ||||
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何より美しいのは、髙村さんの言葉による武蔵野の情景描写。氏がかつて通った大学が近く、武蔵野への思いは強いと語るだけあって、季節折々の描写はまさに眼前に景色が立ち上がるほど。 そして、関係者それぞれの些細な日常を描きながら、そこに潜む諦めや寄る辺なさといったものが、髙村さんならではのユーモラスかつ絶妙な比喩表現をもって語られる文章そのものに心酔。 髙村さんならではの乾いた硬質な文体は健在だけど、マークスから二十数年、若かった合田も57歳になり彼の思考過程にも変化が。「合田は私である」と著者自らが言うように、それは髙村さん自身の変化なのか文体も前ほど尖った印象が薄れているように思う。盟友加納祐介との仲にも病気や老いといった要素が入り込み、確実に年を取った二人のこれからも気になるところ。 マークスのようなミステリー色や、照柿、冷血のような雄一郎の内面世界の彷徨を期待すると肩透かしの作品かもしれないが、雄一郎vs.犯人という構図ではなく、雄一郎も含めた事件関係者たちの人間そのもののを描くドラマとして、しみじみと心に染み入る作品でした。 ところで、雄一郎が警視庁に異動になったということは、次作を期待していいんです | ||||
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私が尊敬してやまない、現代日本を代表する作家、高村薫女史の新作がついに発表になった。題名は「我らが少女A」、かつては光り輝いていた女優志望の少女Aが社会の底辺で27、8という歳で無惨にも殺される、そのAが生前同棲相手に語っていたある事がお宮入りした12年前の未解決殺人事件を揺り起こし、その事件の周囲にいた人物たちに再び静かな波紋を与えていく物語となっている。 前回の長編「土の記」から一転して、合田雄一郎を主人公とする警察小説シリーズに戻り、またその前のニュージャーナリズム的小説「冷血」とは一味違った、本格的クライムノベルへと回帰している。また、コアなファンには義兄にして微妙な同性愛的対象である加納祐介が冒頭から顔を見せるのも嬉しいところ。 とは言うものの、毎日新聞に一年間連載された小説であるにもかかわらず、物語は起伏に乏しく、終盤の盛り上がりも、あっと驚くようなどんでん返しもない。普通の犯罪小説や推理小説の面白さを期待しては完全に裏切られることになる。いみじくも作中で女史はこう語っている。 「小説や映画で、名探偵が得々として真犯人はおまえだと言い放つのとは違って、本ものの事件が暴く事実の一つひとつ、現実の一つひとつが自分たち身近な人間の皮膚を剥ぎ、臓腑をえぐる。何か新しい事実が分かっても、少しも嬉しくない。真相など分からないほうがいい。(p522-3)」 まあつまるところ、徹底したリアリズムによる社会描写と露悪気味とさえいえる個人の深層心理の追求という、二十世紀三部作以降ファン離れを加速させることになった「ついて来れる人だけついてきなさい」の高村薫主義は今回も全く揺らぐことなく貫かれているわけである。 だから私のような高村薫中毒者が単行本をむさぼる様に読むには格好の小説ではあったのだが、もし私がファンでもない単なる新聞読者であったなら、一年間も辛抱強く読んできて結末がこれか、と怒ると思う。 女史の深い洞察と取材力、ADHDの少年を別件で逮捕するという危ない橋を渡る胆力、そして強靭な文章と物語の構成力は健在ゆえ、小説として一級品であることは間違いない。だからこの作品の賛否両論が分かれるとすればまさしくこの、新聞連載小説にしてこれか、という読者サービス精神の欠如という一点だと思う。まあ「新リア王」の時にも全く動じなかった高村薫女史のことだから、今後もこの線は譲らないとは思うが。 とにもかくにも高村薫の文章に飢えていたものには嬉しい一冊であったし、私も昔武蔵境に住んでいた事があるので多摩を中心とした物語にはとても郷愁を誘う物語でもあった。 | ||||
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