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それまでの明日
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それまでの明日の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.69pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全60件 41~60 3/3ページ
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前作の内容は全て忘れてしまい比較できないが、全体的に物足りないという感想。叙情がほとんどなく、ハードボイルドとしては今一歩といいたい。しかし、展開はきびきびして、一人称の語り口はテンポが良く好ましい。いつになるか判らないが長生きして次作をものして欲しい。 | ||||
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内容が面白いか、駄作か?といったら正直答えるのがつらくなりますが、懐かしい人に合えた、それも全く変わらずに。と思うと嬉しくなります。14年も経っているのに頑固としか言いようのないほど変わらない「探偵沢村」にはマンネリよりも安堵感を感じました。 すでに古典の域に近いハードボイルド独特の文体もより懐かしさを助長しているかもしれません。PCもケータイもなんにも使えなくてもいいです、煙草をどこでも吸っていてもいいです。時代の流れなのか健康でクリーンになり、スマホ手放さず最新の情報に慣れすぎてしまっている今日この頃の私には、この14年前のこのスタイルが新鮮に見えました。沢村はこのままでいて欲しい。時々のぞき見させてくれれば。 次に会えるのはいつかな。 | ||||
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14年ぶりの新刊という事で味わいながら読んだが、やはり冒頭から暫く読んでみて、タイムスリップに入り込んだ錯覚を覚え、やがて沢崎の小説世界へ誘われていくのが快感となる。時代の流れで携帯電話が出てくるが、沢崎は持たない。いや頑なに持たない世界で物語を展開しようとしている。ちょうど寅さんにテレホンカードが似合わないように・・・・。 原節(ぶし)というか、話の本筋とは関係ない会話文等に、成程と思わせる。「先輩たちからは、子供ができるとなかなか大きくなってくれないように思うものだが、いったん中学に入ると、あっという間に、大学を卒業したり、大人になってしまうもんだと脅されていますがね」。――この男が自信にあふれたような言動をとるのは、いつも彼の自信の無さが原因だった。等々。 読んでいて既視感も覚えた。「隠蔽捜査」の主人公・竜崎に似ている。勿論「隠蔽」の方が後発で、内容も全く別なのだが、互いに何が有ってもブレないところが清々しい。さて、文章の味、はたまた主人公の生き様までは絶賛なのだが、肝心の物語はどうなのか。 やはり玄人受けと云うのだろうか、一見向きではないなと思った。先の読めない展開から、どう発展していくのかと思ったが、終始、こぢんまりとした世界で、成り立ってしまった。ただファンとしては錦織、橋爪、それに相良まで登場してくれたのが嬉しい。次巻が出たら、また読ませる何かを持っている。 | ||||
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本書の発売を知ったときはまさにわが目を疑い、ついで狂喜とともに購入、読み始めた。 著者はいま72歳、沢崎がいつのまにか私の同い年の54歳。感情移入をさけ、温かい人間関係に背をむけることがかなりむつかしくなってくる年代だ。むしろそういったものに支えられていないと人生が歩みにくい(少なくとも私は)。 沢崎が父性愛のようなものに傾いても仕方がないと思う。著者も沢崎のようなメンタリティを維持していくことが困難になったのかもしれない。 新作を発表していただいたことには感謝。沢崎復活の瞬間に同時代人として立ち会えたことには大いなる喜びを感じる。 54歳にもなれば人間はこうなるものだということをまさに描いておられるのかもしれない。 震災後のエピソードの長編第六作を期待してまちたい | ||||
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14年待たされたかいはありました。 著者の作品を初めて読むかたは出版された順番に読むことをお勧めします。 | ||||
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うーむ…懐かしい沢崎。 しかし設定にこだわりすぎて物語の面白さをないがしろにしてしまった感が強い。 それはそれで職人芸なのだが…。 これが最後の作品になったらちょっと悲しい。 | ||||
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もはや、どうこうという問題ではなく14年ぶりに読めた事に感激です。寧ろ次はどう繋がるのか気になります! | ||||
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日本のレイモンド・チャンドラーの予想もしなかった新作が読めただけでも、久しぶりに古い友人に会えたような嬉しさがある。平凡な比喩的表現や登場人物による説明シーンなど、今までの練りに練った構成、切れのある文体ではない(書いている本人もわかっていると思われる)が、キャラクターの魅力はさすが。 | ||||
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「・・・なのだ」「・・・したまえ」等、そのまま実写化したらギャグにしかならないような翻訳調の台詞回しに、ああ確かに読んだことのあるシリーズだという記憶がぼんやりとよみがえりました。 もちろん作品的には独立しており、過去の作品を読み返さなくても支障はないのですが、ところどころそれを知らないともどかしい部分もありました。 一番魅力的な登場人物は、介護をするヤクザものでした。出番が少ないのが残念です。 ともあれ、カムバック歓迎です。 おかえりなさい。 | ||||
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14年待っただけのことあり。緻密な構成、緊密な文章、すべてに満足。ただただこの作品に会えたことを感謝です。 | ||||
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原寮の14年ぶりの長編小説「それまでの明日」を貪り、いや、じっくりと読み終わり、嗚呼終わってしまったみたいな感覚に襲われた。 「ミステリマガジン」3月号の特集でその待望の新作が3月に刊行される事を知り、まるで部屋の大掃除で古い書棚を整理していたら本と本の間に挟みながらいつしかその存在を忘れていた封筒に入ったへそくりを十数年ぶりに見つけたような(って、まるで、ハードボイルドらしくないが~笑)、そんな驚きと喜びを覚えながら静かに発売日を待っていた。 で、実際に読み始めると、「ミステリマガジン」にも掲載されていた第1章からぐんぐん引き込まれた。 ハードボイルドならではの自嘲的思索的な考察に極めてシニカルなでも洒落っ気のある会話の妙、そして洞察力あるディテール描写に文学性薫る硬質感。1章の最後の2行で見事に読者の心を鷲掴みしノワールな世界に誘う巧さ。 本来ならオモシロ本って一気読みしてしまうものなのだが、今回は逸る気持ちを落ち着かせ、時間を掛けてじっくり読んだ。 我らが沢崎の帰還に14年間の渇きを癒そうと思いつつも、果たして次はいつ逢う事が出来るのかとの想いが去来し、一気に読み切る事に躊躇したからだ。 結果として、それは本書の読み方としては良かったと思える。醸成された原寮ワールドにどっぷりと浸る事が出来たから。 錦織や橋爪らとのへらず口なやり取りも相変わらず魅せる、読ませる。 でも、正直、ミステリやサスペンスとしての劇的な展開を期待した方には物足らない部分もあるかも知れない。 確かに、死体や銀行強盗、危ないスジモノたちは登場するものの、それらは飽くまで探偵の仕事の中で不可欠な味付け程度の役割しか与えられていない。 その代り、強く意識させるのは、沢崎と彼を取り巻く人物たちの人間ドラマ。原寮の言葉を借りるなら、沢崎の探偵人生の中に踏み込んできている人間たちとのドラマである。 「ミステリマガジン」誌上で原寮は語っている。 “ハードボイルドに専念して良いものを書きたい、人間同士のぶつかり合いや良い台詞を書きたい。その思いを胸に意識して取り組んでいたら14年の年月が過ぎてしまった”と。 思えば、これまでも、原寮は作品の中で人間と人間、社会と人間の関わり合いを描いてきた。今回は親と子である。 終盤、なんかロバート・B・パーカーの「初秋」みたいだなと感じながらも、新たな沢崎ワールドの誕生を好意的に受け止めたい。 そして、現代を描く作家として避けては通れない未曾有のあの大惨事。 今作は東日本大震災を挟んでそれが起こるまでの物語であり、次作は震災後の物語になると言う。 正しくそれが起こる瞬間で物語が結ばれたあと、次なる沢崎の帰還はいつになるのか分からないが、その時が来るまで静かに待ちたい。 | ||||
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「このミス」が20周年となった2008年に出版された別冊、「もっとすごい、このミス・・・」に掲載されていた当著者のインタビュー記事中に、新作はもうほぼ出来上がっているというような文章があり、その時からでもまさか10年待つとは思わなかった。その待望の新作、ワクワクしながら、しかしじっくりとページを繰る。まず何より文章がいい。一つ一つの言葉が丁寧に選ばれており、滑らかに運ばれる。難しい言葉が使われている訳でもないのに、品位ある雰囲気に覆われている。カタカナ語の使用は最小限、携帯電話を携帯とは縮めず、ましてやスマホとは絶対言わない。主人公の性格に合わせた描写だと感じる。 物語は静かに滑り出す。初冬の空気が漂うようなピンと張った緊張感、そして事件は突然起こる。そこからハードボイルドというよりは推理小説のように謎が次々と提示される。この辺りはテンポ早くどんどん展開していく。そして本筋の筈だった最初の流れが一段落したところから物語は姿を変え、主人公と主人公を取り囲む人物たちの‘生きざま’を巡る話になる。ここの部分は過去からのいきさつや説明が多く、地味だしスムーズでない。そもそも生きざまと大げさに言うほどのことが語られていない訳で、この点が他のレビュアーさん同様、物足りなさと違和感を覚えるところである。また(ネタバレ)最後に東日本大震災が起こり、何かを暗示するような形で物語は終わる。この終わり方も何故?ではある。 本作、全体を通して正直手放しで絶賛とはいかない内容ではあった。しかし私は読んで良かったと思っている。ただストーリーを追うだけではない読書の楽しさが確実にあった。後半部分は少し時間を空けもう一度読み返してみようと思っている。その時に違った感想が出てくると予感させられるだけでも価値がある。そして皆さん同様、願わくは次作がそう遠くなく読めることを期待したい。 | ||||
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前作を読んだ時は、自分も喫煙者だったせいか特に気がつかなかったが、煙草を吸うシーンが多いのが気になった。 | ||||
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ここに感想を寄せられた方々はまず例外なく原尞のこのシリーズの熱烈なファンなのではないかと思います。かくいうわたしもその一人で、多くの皆さんと同様にもう原尞の新作を読むことを半ば諦めていました。それが14年ぶりの突然の新作発表! あわててアマゾンさんに注文を出したというのもみなさんと同じだと思います。またこの新作を読み終わって何となく戸惑いのようなものを感じていらっしゃるのも皆さん同じなのではないかと推察します。前作の時代設定からほぼ10年が経過しているのに、主人公の沢崎や彼を取り巻くおなじみのメンバーの間だけ時間が止まっているように感じられる、という感想を寄せておられる方もいらっしゃいましたね。そういう面も確かにあります。しかしそれはこうしたシリーズものではある程度許容されないとシリーズそのものが成り立たなくなってしまうことが多く、作品に破綻をもたらすような性格のものでなければ許容されて致し方のない問題だとも思います。しかしそうした点を除外しても、この作品は弱いなぁというのが偽らざる感想でした。ただ申し添えるなら、小説を読んでこれだけああでもない、こうでもないと考えたのは久しぶりでした。それは原尞とこのシリーズの持つ力であることは間違いないと思います。ではどうして「弱い」と感じたのか、わたしなりの分析を書き込ませて下さい。 そもそも論で申し訳ないのですが、ハードボイルドとはどういう小説のことか? これはスタイルから定義されることが多いのではないかと思います。まず一人称で書かれていること、語り手である主人公の目に映ったものだけが独特のリズムを持った皮肉っぽい文体で書き込まれ、さらに主人公はそこに一切自分の感想のようなものを差し挟まない。さらに付け加えられるべき重要点は主人公は絶対に譲れないモラルコードのようなものを持っており、その点に関する限り全く妥協がないこと、などでしょうか。しかし、わたしはハードボイルドをその構造から押さえておく必要もあるのではないかと思うのです。まず都会の片隅に事務所を構える私立探偵がいます。「都会の片隅」というのが重要で、名前と勤務先を言えば大体のことが分かってしまうような、共同体がまだ充分機能している地方都市ではハードボイルドは成立しません。ここに何か裏のありそうな調査依頼が持ち込まれます。この段階で一頻りのやりとりがあった後、主人公は捜査に乗り出すのですが、思わぬ事件に巻き込まれます。そしてその進行過程でさらに1つ、2つの事件に巻き込まれます。こうして、物語は主線・主旋律はあるものの複線化、複々線化してゆき、何本かの糸が絡まり合うようにして進行してゆきます。ハードボイルドが「巻き込まれ型の物語だ」といわれる所以です。次第にもつれた糸が解れるように副旋律は解消していき、最後に主線・主旋律に解決が与えられて物語は終わり、主人公は特に感想を述べることもなくまたいつもの孤独な日常に帰って行く、これがハードボイルドの大体の構造ではないかと思います。とくにアッと驚くようなどんでん返しはないことが普通で、その一方で主人公には何も語らせない裏側で、著者の世界観や人生観が強く織り込まれることになります。ここで物語として重要なのは、副旋律がいかに面白くても、主線・主旋律がしっかりしていないと物語としての魅力・完成度が半減してしまうという点です。 そう考えると、わたしも含めて多くのファンが今回の作品に物足りなさを感じている理由が明らかになるのではないかと思います。主線・主旋律がしっかりしない、というよりそもそも主線たりうる問題なのか、という点に帰結します。名前の明かされない紳士の持ち込んだ問題は、彼の社会的・経済的な力をもってすれば、何も場末の探偵に依頼しなければならないような調査内容ではありませんし、海津青年の問題にしても彼がどうすべきか迷っているのは事実としても、事実関係は、彼が口外しないというだけで、1年前には分かっていました。複線の役割を果たす問題も、特に複雑といえる程の問題ではなく、またその捜査過程で登場人物たちが妙に素直に回答してくれるのも気になりますね。本来どこの馬の骨とも分からない探偵など、聞き取り以前に門前払いを食わされるのが関の山なのではないでしょうか。そうした社会的評価をくぐり抜けてどうやって情報を入手していくか、というのも本来は魅力のひとつであったはずです。つまり、本作品はハードボイルドとしての体裁は忠実い整えつつも、その構成要素一つひとつがいかにも弱いといわざるを得ないと思うのです。 原尞は我が国ではじめてハードボイルドとしての体裁のととのったハードボイルド小説を書いたひとである、といっても過言ではないと思います。当然のように沢山のファンがおり、新刊が発行されるのを多くのファンが心待ちにしていました。期待が大きかった分、肩すかしを喰った感があるのですが、充分楽しませてもらったことは事実です。原尞のことになると、書きたいことは山ほどあるのですが、とにかくもう1作書いて欲しいというお願いをして、感想とさせていただきます。 | ||||
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初めて沢崎さんに会ったのは高校生の時です。あれから30年近く経ち、寡作である原さんの新作の情報もたまにきこえてくるだけで、自分の人生に追われる年月を過ごすなか、偶然こうして原さんの新作を読むことができたことは、何だか信じられない気持ちです。先ほど読了し、わたしの記憶のなかの沢崎さんと何一つ変わっていないことが分かりました。これが小説というフィクションのよさでしょう。著者が登場人物を「生かして」くれさえいれば読者はいつでもその人に会うことができる。小説のなかで生き続ける沢崎さんはいつまでもクールでカッコいい憧れの大人です。その沢崎さんを産み出した原さんの筆致も驚くべきことに全くどこも変わっていません。原さんの真骨頂である静かにカタルシスが漂う読後感に浸りながら、原さんの本に夢中で乗り過ごした電車から慌てて飛び降りた在りし日のことを懐かしく思い出しています。 | ||||
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まず何より、待ちに待った(ほぼ諦めていたとも言える)原尞の新作に出合えたことが喜ばしい。 もちろん一気読みなどせず(^-^)味わうように読ませていただいた。 ミステリー色は薄くなったが、懐かしいメンバーの登場シーンは頬が緩んでしまう。しかしどうだろう、その他の人物とのやり取りのシーンでは沢崎の存在が少し浮いてくるような気がしたのだ。この14年間の世の中の変動は凄まじかった。 そしてそれ以前の14~5年間、沢崎が登場したころからの移り変わりも尋常なものではなかった。それがこのリアリティを持っていたはずの(ケータイ電話を持たない)沢崎の存在がファンタジーに感じられてきたのだ。沢崎の半径3mだけが時間停止している。 若竹七海の女探偵葉村晶の方が今日的でハードボイルドだと思った方はいないだろうか? 探偵は物語の中で決してそんな存在ではなかったはずだ。もちろん作者がチャンドラーが好きなことは理解している。 しかし、マーロウはマーロウの生きていた時代の中でアーチャーはアーチャーの時代の中で取り残された存在ではなかったはずだ(もう昔のことで記憶が定かではありませんが)。 また物語の終わりは震災で終わっている。 それからもう現実の世界は7年たち、未だにケータイを使っているものでさえ探さなければいけない状態になっている。 もう不自然な設定に力を使わなくていいではないか、次回は愚痴りながらも是非普通にスマホを持っている沢崎の登場を願っている(もちろん使い方はほとんど理解してない設定で結構である)。 時代はもっともっと不公平で過酷な状況になっている、事件はよりパーソナルで深刻で残酷なものが溢れている(少なくともそんなものがクローズアップされる世界になっている)その中で沢崎は決して時代遅れにならないで輝いて欲しいと願うばかりである。 もっと動きが欲しい。 ストーリーにも探偵自身の行動にも(事務所の電話に制約されなければずっと自然で動きが出てくるはずだ、電話代行サービスなんかやめてそのおねーちゃんと付き合えばいいじゃないか)。 スタイルのためのスタイルになってほしくないのである。 本来なら新作を読めたというだけで★5つにしたいところだが・・・これでは終わらないことを願って★★★1/2 | ||||
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探偵沢崎シリーズ、まさかの新作! 前作『愚か者死すべし』に続いて、ミステリ的な要素は少なめで、小さな事件が沢崎の周囲で絡み合う展開。 初期三部作を期待すると地味に感じてしまうかも。 原りょう版『ロング・グッドバイ』を目指して書かれたらしいけれど、それにしては作品世界にあまり広がりを感じなかった。 何というか、「事件に関係することしか起こらない」というか、悪い意味でテンポが良すぎるというか……。 あまりに待たされすぎて、時おり過去作をひもといては沢崎シリーズへの乾きと飢えを癒やすような状態がだったので、 こちらの吸収率が異常に高かっただかけもしれないけれど。 それでも400ページを一気に読ませる筆力はさすがのひと言。錦織をはじめ、お馴染みのメンツたちとのやりとりも楽しい。 | ||||
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デビュー当時から原さんを読み続けている読者の一人ですが、前作を読み終えた後、あと15年は待つ事になると、自分なりに思っておりましたが、1年早く出版された事を嬉しく感じております。 次回作も愉しみですが、これからまた15年後になると私も70歳に手が届く事になりますが、老後の愉しみにとっておきたいと考えております。 | ||||
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14年ぶりの沢崎の物語。渡辺探偵事務所に現れた紳士の依頼から物語が始まる。登場人物は様々で、前からの腐れ縁の暴力団の橋爪や、錦織警部も登場する。 とにかくこの小説内での空気感を待っていた。新宿に沢崎がもどってきた。それだけでうれしい。特徴的な比喩表現なども健在だ。題名の意味はラストにわかる。続きの”それからの明日”がすぐに出そうで楽しみだ。 | ||||
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「そして夜は甦る」からの30年来の大ファンです。14年ぶりの沢崎さん、本当に感激です! この30年、恐ろしいばかりに世の中が変わりました。「私が殺した少女」では喫茶店やファミレスの公衆電話に散々振り回されたのがスマホの時代になり、日本中が嫌煙状態になって両切りのピースが吸える場はかなり限られてしまい、愛車ブルーバードも販売が終了してしまいました。 それでも、内容紹介にもあるように、「時代がどれだけ変わろうと、この男だけは変わらない」。原さんがジャズピアニストということで先入観があるのかもしれませんが、どの作品もジャズが通奏低音に流れているような、この雰囲気! 本書で初めて沢崎シリーズを読んだ方は、多少人間関係が理解しづらい部分もあるかと思いますが、それでも充分堪能できる作品です。 本書の割と早い時点で「民主党の官房長官」と書かれてあり、「あれ?何で?」と思いながら読み進めていたのですが、ラストで東日本大震災が起こり、沢崎さんが(無事でしたが)呆然とするところで話が終わります。なぜ、震災から7年経つ今、震災前が舞台の話にしたのか?あえてそういう設定にしたのなら、震災後の話の構想が、原さんの頭にあるのか?そうだとしたら、次作がとても楽しみです。(何年後かはわかりませんが) | ||||
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