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夢を与える
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夢を与えるの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.28pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全134件 21~40 2/7ページ
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筆者は芸能界にいたことがあるのかと錯覚するほど、芸能界で生きる夕子の葛藤を巧みに描いていた。いつ何時もTVの向こう側にいる不特定多数の人の理想であり続けるのは大変だ。精神が滅入ってしまう。夕子が"ゆーちゃん"を演じるのに疲れ、恋に溺れて転落していく過程は読み応えがあった。唯一残念だったのは、恋人である無名のダンサー・正晃が怪しげな友人に情事を撮影させようとした時に夕子が別れを考えなかったか説明されていない点だ。夕子はあれだけスキャンダルに敏感で賢いのに、なぜ考えなかったのか。それまでに何度も正晃を疑った瞬間があったのだから、別れを考えるのが自然ではないか。別れなかったからこその転落劇ではあるが、夕子が別れを考えなかった理由は説明して欲しかった。説明不足のため、彼女が恋人との別れを決断し再びスターダムへ戻るという展開もあったのではないかと思ってしまう。後味が悪い。 | ||||
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殆ど新品に近い状態で満足です。これからはこれに限ると思いました。又、ぜひ利用します。 | ||||
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小説を読む際に何を気にするか? 僕は『なんで?』と違和感を持った文を大事にする。 普通ではないコト、そういう部分にこそ作者の書きたい事が現れると思うので。 この小説で一番違和感を持ったのは、『契約期間の項には、半永久とあった』という部分だ。 変わり続ける子供に対して、『半永久』なんて契約はあり得ないわけで、僕はコレを『人間をモノ(将来的な価値を持っている商品)として扱う契約』だと読んだ。 モノ(タレント)として売り出す過程で、夕子は『人として学ぶコト』を普通の人より早かったり機会を失ったりしながら成長していく。確かにその過程はありがちなエピソードだ。でもとても丁寧に描きながら、緊迫のエンディングに向かう。 エンディングを解説で『ウエスタン』に例えていたが、同感! 僕は『居合切り』を思い出していた。 『売る側の代表:母』を一刀両断のもとに黙らせ、『買う側の代表:雑誌記者』に『あなた達が欲しがっている ”欲望にのみ動かされる” スキャンダルを売ることは出来るけど、やらないよ』と凄んでみせ、『人はテレビで見たいとは思わないだろう』という捨て台詞を吐かすシーンは圧巻だ。 しかし皮肉な事だ、『信頼』とか『夢を与える』という一見高尚な言葉は市場に出た瞬間、『一方的な不特定多数からの要求』に変わり果てるなんて。綿谷さんは、非常に冷徹に描いてみせたと思う。 | ||||
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すこし旧いこの作品を、さみしく読んだ。誰もが遣り場のない居心地の悪さに足掻く10代に身の丈以上の評価をうけ、「では私は?」の答えに辿り着くための内側を育てるべき時期には既に完成された「商品」の提示を求められた作家の、ぎりぎりの自画像。常に視点の定まらない三人称が描く人物は誰もが当時22歳のこの作家とおなじだけ幼なく、そしておそらく作家はこの幼ない内側を育てることのないまま30歳で「結婚」し、「肉の固まった」自身を甘やかし続けながら此世での帳尻を合わせてしまう。いま、主人公・夕子がどんな女性になっているか、もう綿矢さんには教えてもらえない。 | ||||
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タイトル通り「夢を与える」とはどういうことなのか?が、大きなテーマになっています。 主人公阿部夕子は、子どもの頃からモデルとしての生活をしています。 成長するにつれて、タレント「夕子」と個人「夕子」のギャップに悩みます。 と同時に、彼女は「隔離された」生活を強いられているがために、一般的な社会的知識と言う面で常識からかけ離れた存在になってしまいます。 限られた人間との接触と、仕事としての大勢の関係者という異常な世界で生きて行きます。 そして、子どもの頃に言われた「夢を与える」仕事について、その言葉の意味が理解できないまま忙しいタレント生活を送っています。 そうした息つく間もない生活から「大学受験」と言うドキュメント企画で、自由な時間が出来た時、ある事件が起きます。 言ってみれば、「純粋培養」の人間が、枠からはみ出た人間を見た時、その魅力に取りつかれてしまいます。 そこで起こった事件のために、彼女はタレントから脱落する危機に陥り、この時初めて「夢を与える」仕事の意味を理解します。 子どもの頃から、一般的な社会から切り離されて、精神的な成長・常識が備わらず、大きくなってしまった悲劇が起きてしまいます。 私たちは、テレビなどを通してタレントを見ています。 その「表と裏」をこうして見てみると、なかなか大変だなあと感じます。 その人生は、本当に「人間」として幸せなのだろうかとも思います。 小説は、大きな流れと共に、それぞれのエピソードで登場する、中学時代の男友達だったり、初めてキスをする女性タレントだったり、「死」を体感させてくれた女性だったりと、脇の人物設定が見事に活きています。 彼らの描写を通して、主人公の成長や性格が規定されて行くのが良く解ります。 素晴らしい小説でした。 | ||||
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この作家の小説は初めて読みましたが、私が小説に求める全てがあったと感じました。 現代的でポップな文体と時折散見される含蓄あるフレーズ…。 ただ若干不自然だと感じる設定もありました。 もっとも、この点は小説の価値を致命的に損なうものではないです。 本格的な恋愛小説を読みたい、という方にお薦めします。 | ||||
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蹴りたい背中という著者の圧倒的代表作があるが故に、どうしても比較してしまうのは致し方ない。それだけあの作品は綿矢りさの「アイデンティティ」であったからだ。 そのアイデンティティたる独特の表現力がこの作品にはあまりない。しっかりし過ぎている。確かに構成は理路整然。しかし、瑞々しさが失われてしまったような気がして悲しい。 一言で言えば、主人公夕子が芸能界で成長していく中で、恋愛に溺れて、築き上げた信頼や人気を一気に失っていくわけだが、ありがちでどこか雰囲気はどんよりと常に曇り空。 「夢をあたえるとは~」と、夕子は失ってから大切な事に気付く。しかしその過程は拙さを感じる。 母や父の設定やヒストリーもいまいちで、夕子の物語には深みすら与えていない。その変わった家族のバックグラウンドをもっと活かして欲しかった。 夕子はたくさんのものを失っただけだった。 | ||||
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淡々と読めました。 とくにおもしろいと思わなかったのに、心の中ではこの作品を欲してたらしく、二日に分けて断続的に惹き付けられて読んでしまったのが不思議。 作者の世界観がつまっている感じで 読み終わったあとしばしぼ~っとしてしまった 虚無感?なのか? | ||||
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申し分ないです。綿矢りさのファンとしては、不満はございません。 | ||||
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著者は、『かわいそうだね?』で大江健三郎賞を受賞した綿矢りさ。 (2012.10.20 初版発行) 幼いころからチャイルドモデルをして美しく健康に育ってゆく少女・阿部夕子。 中学入学と同時に母の勧めで大手タレント事務所に所属し、CM・連ドラ・CDデビューとブレイクし、急速に国民的な人気が高まってゆく。 高校生の夕子は深夜番組で見たダンサーに初恋をしたのが悲劇の前触れだった。 『蹴りたい背中』や『勝手にふるえてろ』のような快活さがないのが残念だ。 シナリオ構成自体は興味深いけれど、どこかありきたりな感じがしてならない。 最後のバッド・エンドへの運び方も何だかチープ…本作品で綿矢りさが“言いたかったこと”はなんだろうか、光と闇は渾然一体って感じだろうか。 “アイドル”という存在の儚く脆い部分を見せつけてくれたいい作品でもあった。 彼女らは、まず相手の期待通りの思想・言動が求められてゆく内に、自分とは何だったのか?こんな私がこんなことを言っていいのか?と自問自答を繰り返す。 これは小説の中だけじゃなくて、現実の世界でもそうなんだろうな。 きゃりー・ぱみゅぱみゅやローラ、Perfumeたちも同じ悩みを抱えていそう。 自分を商品と客観視してセルフプロデュースしていく、中々覚悟が要る仕事だ。 ───「自己推薦なんかじゃ、だめに決まってる。他の子と同じように勉強して合格しなくちゃだめ。阿部夕子が本当に人に夢を与える瞬間は、出演している役を演じているときじゃなくて、私自身の人生で、普通の理想の人生を歩んでいるときなんだから。私は私の人生自体で人に夢を与えてるの」(阿部夕子、p.194) | ||||
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私はこの本を読んで衝撃を受けました。共感できました。そして吐き気をもよおしました。作品の感想は2つほど。 第一に,作品のテーマは,「自尊心」の罪であると感じました(個人的にはこの作品は「山月記」に似ていると思います)。主人公は周りの反対を押し切り,ある男性と交際を続けます。それは,初めて彼女が自分の手で探し当てた,自分なりの答えでした。しかし彼女は若く,自分が手にしているものに価値を見いだせず,それらを振り切りました。その結果,彼女は深い後悔に至るのです。それは,自尊心の恥を知った瞬間でした(もちろん,現実の世界ではこれは成長の一過程なのですが。)。「自分らしさ」というか,プリミティブな部分が原因で,自らの評価を落としてしまうという経験は誰しもがあることではないでしょうか。作中,それがほぼ最悪といってよい状況で再現されます。これに私はしびれてしまったのでした。 第二に,綿矢りさに糾弾されている感じを受けました。筆者は,クライマックスに向けて主人公の功績を積み重ね,終盤,容赦なく,一気に,それを奪います。忠告してくれた大人たちの信頼が途切れたとき,私はとてつもない喪失感と,「大人たち」の冷酷さを味わいました。この後味の悪さについて,筆者は確信犯です。おそらく綿矢りさは,自らの作品を通して,自分の(また人間一般の)闇に対する自責の念,それへの回答を披露すると同時に,そのような感情に無関係(と筆者自身は想定している)な第三者に対する糾弾でもしたいのではないか。そんな悪魔的感想すら抱きました。 あまり万人受けする作品ではないと思います。いずれにせよ,本当に興味深く,いい意味でも悪い意味でも思い出に残る作品でした。 | ||||
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著名な文学賞を最年少記録で受賞した綿矢りさ本人が、骨身に味わったであろう――或いは今以て味わうことを強いられている――世間の醜さ、その経験が反映された作品であろうことは容易に想像がつく。作家自身の姿が背後に透けて見えるようで、遣り切れなくなる。 「夢を与える」とは、【大衆規範】に則り【大衆願望】に沿って自己の生を丸ごと匿名多数に供犠することだ。他人のわがままに操られて生きるということだ。誰でもない誰かが抱く何処にもいない誰かのイメージを生きるのであるから、それは必然的に嘘となる。他者の夢から自律的に自己の生を生きようとした者に対する制裁もまた、【大衆規範】に則った【大衆願望】に沿って下されることになる。匿名多数は、自分たちの好き勝手に、憧れ、祭り上げ、こき下ろし、使い捨て、破滅させる。大衆向け玩弄物であるのだから、そこに人格があるなどと慮ってやる義理はない。寧ろ、その玩具にも人格が備わっているということで破滅させる快楽は増幅されるのであるから、人格もまた【大衆願望】に奉仕する記号でしかない。 少女の稚拙な生真面目さは、【大衆規範】の醜悪さを知り尽くしボロボロになったかのようだ。しかしP.318から、【大衆願望】の呪縛を脱ぎ取った彼女の意趣返しは見事だ。彼女の感性は、一貫して生きている。 中学時代、同級生の男の子と過ごした潮の薫るあの瑞々しい時間が、いつか彼女に再び流れることはあるだろうか。 □ さて、匿名多数の我々読者は、作家 綿矢りさに対して、未だに夕子が受けたのと同じ眼差しを向けていないか。 | ||||
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わたしは傑作だと思います。 ただ、何かがリアルすぎて怖い。 最後の場面で、夕子が記者の手首をつかむ部分なんかオカルト級に怖い。 あまりに怖すぎて、この本を読んでのちシャワーで髪を洗う瞬間が恐ろしくなってしまいました。 なぜかわらべ歌「通りゃんせ」の歌詞が思い起こされたりして… 「行きはよいよい帰りは恐い」という部分です。おお、こわ。 ネット社会の恐ろしさを描いているとも思う。 『インストール』といい、デジタルネイティブ世代の作家ならではの展開だと思う。 それに父親不在の家庭。濃密すぎる母娘の絆。 「いい子」が母親の人生を、夢を肩代わりしてしまう。 与えるべき「夢」とは母の夢でもあったのでは。 母が頑なに守ろうとし歪めてしまった「夢」を追いかけるのが、娘にとって生きる糧にされてしまった悲劇。 子役とか、アイドルを見る目が変わりそうです。 文体も素晴らしいと思います。 独特かつテンポよく、わたしは一気に読んでしまいました。 つまんないって?う〜ん。同年代の時期に読んだら、つまらなかったかも。 おばはんになって、むしろ「社会派小説」として読んだ感想なのかも。 表紙から受ける印象からはまんまと裏切られましたね。 | ||||
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本はあまり読まないのでわかってないと言われればそれまでですがつまらなかったです。 出版社とか周りが直させないのでしょうか。 とりあえずある程度は売れるだろうという感じで出しちゃったんですかね。 逆に、まんまと他の作品も読んでみたくなりました。 | ||||
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こんなに長い文章、ご本人は書いてて退屈じゃなかったかな…? …などと、ふと顔を上げて考えてしまうくらい、読んでて退屈で退屈でしかたがなかった。 飛ばし飛ばしで一応は結末まで読んだが再び手に取る気にはなれない。 今では芸能界の裏事情を垣間見せつつ売るのが常套手段となってるし、近年はホームページからブログ、ツイッターへと、芸能人自らが生の声(文章)で情報発信できるようになった。 本書を読みながら、一体この作者は何年生まれで、この物語の年代設定はいつなのかと、ずっと「?」が頭の中をぐるぐるしていた。登場人物のネーミングも、白人とのハーフという設定も、主人公が所属するユニット名とか…モデルは1980年代なのだろうか?、とにかく古臭くて、もう読んでて寒くて寒くて…。 著者はモーニング娘。のOGや宇多田ヒカルさんと近い年齢じゃなかろうか? 芥川賞作家ならどんな芸能人にも取材できたろうし、自分と同世代のアイドルやタレント、その仕掛け人たる事務所や養成スクール、家族や兄弟などに、たくさん会って話を伺う…取材をしたのだろうか? 同世代の芸能人の口調やファッション、私生活、悩みや夢、そういった諸々を作品に反映させればよかったのに。女性誌やネットのゴシップ記事に負けないくらい、小説の内容も過激にしろというわけじゃないのに…。 | ||||
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オリンピックメダリストがインタビューで、 「国民の皆さんに感動を与えられた・・・」云々と言っていたのを聞いて(記憶あいまいです)、 その言葉の持つ、嫌らしさというか、押し付けがましい感じに引っかかった。 本人はそんなニュアンス込めてないんでしょうけど。 コメント慣れしてないから、”国民向けの”言葉を知らなかっただけなのか。。 とにかく、とんでもなく距離感・上下感を意識させる、この言葉。 芸能界で美少女タレントとしてブレイクしてしまった夕子の、 借り物のモチベーションというかお題目となっている言葉です。 最近もよくテレビで、幼い年齢の子役さんを見かけます、 その純粋培養っぷりと、大人の世界での立ち居振る舞いに、ゾッとするような事も。。 そんな人を化かすことが当たり前の世界で、 見た目美しい少女が何を思い、仕事をし、恋愛をし、転落していくのかを描いてます。プロットは結構単純。 芸能界という、特殊なひとつの舞台を描くのに終始追われて、あまり胸を打つ心理描写がなかった。 個人的には、むしろ両親を主人公にしたほうが、面白くなったかもなと。 彼女自身、芥川賞作家となり、作品が多くの人々に”消費”されるようになったわけで、 この距離感を掴みかねていた時期の作品なのかな。 やはり、何を書きたいのか、何を読者に与えたいのか、悩んでスランプ状態になってたと思わせる作品。 | ||||
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著者の作品はほとんど読んでいますが、 この『夢を与える』は、注目された芥川賞受賞、 その容姿と若さから「アイドル女流作家」みたいなイメージを押しつけられて メディアに追いかけまわされたり、ストーカーまがいのファンがいたりという 自らの状況とどこか重ねて書いたのではないかと思ってしまった。 (本人は主人公=自分説は完全に否定している) 作家の心理はなかなか分からないが、 自分の心の状態が反映されてしまうものなのではないか。 どうしようもなく落ち込んでいる時に、「青春爆笑小説」を書けるものなのか? と考えると、この時期著者も悩んでいたのかもしれないと思う。 女子高生のうっ屈した日常というだけでなく、 両親の状況、社会、会社、世間といったものがからんで 見渡す場所が学校と家以外に増えた分、どこか魅惑的な 「学校に閉じ込められた気になっている少女たち」の 微妙な心理が、前作、全前作に比べると上手く描かれていない。 それが、これまで読んだものと比べて魅力減、になっているように思う。 | ||||
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母親のエゴイズムと、そのエゴイズムの犠牲となった娘。 しかしその娘も愚かで、とくに読者の憐れみを誘うようには描かれていない。 私はこの小説を、母性神話(無償の愛を子供にそそぐ、とか)へのアンチテーゼ小説として読みました。 筋で言うと「芸能界残酷物語」なので、たしかに平凡ですが、作者はありふれた悲劇を、淡々と書こうとしたのだと思います。 筋も別に面白くはないし、主人公に感情移入したり、主人公がこの先どうなるんだろうと心配させれるように書かれてない(作者はあえてそうしていると思います)ので、確かに面白くはないけど、母性神話への堂々たる挑戦として、読後はおもしろいもの読んだ―という満足できました。 星4つにしたのは、「蹴りたい背中」とかに比べると、読むのにエネルギーが要ったから。 綿矢りささんは、最年少芥川賞受賞作家で、端麗な容姿もあいまって、話題になったけど、彼女の書く小説は相当ダークだと思います。 ちなみにタイトルの「夢を与える」は、完全なアイロニーです。この本を読む前に「インストール」と「蹴りたい背中」を読んでいた自分は、読み始める前から、きっとダークな、世の中の常識や思いこみに対して一太刀浴びせる内容だろうなーと思ってたら、当たってました。 | ||||
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作者の本は、 『蹴りたい背中』『インストール』と本作品で三冊読みました。 その中では、作家としての技量が最も熟しているように感じました。 ただ皆さん仰るように、描き尽くされた設定です。 私が残念だったのは、物語の初頭より主人公の破滅が読めているわけで、それでも最後まで読んだのは、主人公が割と聡明な観念を時折披露するからです。 以下ネタバレします。 にも関わらず、主人公は自分のセックスを初対面の人間に撮影させるような愚かな事件を起こす、全くのシラフで! それはあり得ないだろうと。 作者は、自身の賢さを主人公に反映させてしまったのか、それゆえ、愚かな主人公を描ききれなかったように思います。 また、大人を描くことはできていませんね、親がいつまでも三十代みたいでした。 賢い二十代女性の葛藤を描けば本領発揮できるはずで、背伸びをしないで、今しか描けないものを描いたほうがいいと思いました。 | ||||
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一人の人間の内面をひたすら掘り下げていく小説としてとにかく圧巻、重量級。面白い。 「蹴りたい背中」ではクラスメイトという狭く深い人間関係を描いたのとは逆。本作では幼くして芸能界という広く浅い人間関係に晒され続けた少女の内面の変遷をこれでもかと綴っている。大人社会に早くから馴染んでしまったためか、主人公の夕子の芸能界に群がる人たちや同年代のクラスメイトに当てられるまなざしは冷め切っている。中学生にして、未熟な新人の必死さを鬱陶しがるベテランの域に達しているのだ。それが後半、恋を経験してしまうことで、逆にそれまでの自分を見失って芸ができなくなり、脱落していくのがハイライト。前半と打って変わって性描写一色となる。どん底に落ちる中、クラスメイトの家を何年ぶりに訪れるも引越しで果たせないという寂しいエピソードがいい。 前作まであった過剰に文学的な表現は抑えて、綿密かつ執拗な心理描写に集中している。それは正解だと思う。一文一文が面白いのでつい先を読まされる。取材と掘り下げに長い時間がかかったんだろうなと感じさせるし、綿矢りさ、が書くこと自体にも意味がある。読み終わった後にタイトルがすべてをみごとに要約していて、思わず涙した。 近著の「かわいそうだね」では浮気を友情と正当化する男と女の対決、自分に対して興味を抱かない男にベタぼれしてしまう女、という本書でも披露されているプロットがよりエンターテイメントの形で掘り下げられていて、それも面白かった。 | ||||
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