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夢を与える
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夢を与えるの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.28pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全40件 1~20 1/2ページ
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主要な登場人物が全員身勝手なので、読むと嫌な気持ちになりますが、それを狙った小説かもしれません。 承認欲求が強い母親に押されて小さい時に芸能界入りした少女が潰れていく有様を描いています。 | ||||
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誰にだって人生のストーリーはあるけれど、それが知り合い以外にも知れ渡る世界はやはり厳しい世界というべきかなあ。文章は会話が少なく読みづらさもあったけど、和訳したような言い回しが気になった。 | ||||
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私は芸能活動はしたことないが、母娘関係で微妙に共感できるところがあり、重みを感じる作品でした。 文章はアッサリしているので読みやすいのですが、情景描写に用いられる言葉が夕子ちゃんのイメージと合っていない部分があり、若干の違和感。 (以下直接ではないがネタバレ有) あとは登場人物(特に家族)が皆自分勝手なのがリアルだなあと。 終盤、私はあなた達のために尽くしてきたのにあなた達は勝手ばかり、と母親が喚いていましたが、 そもそもあなたのワガママで生んだ娘を自分のいいようにしてきたくせに何を偉そうなことを…と怒りが湧いてきたり。 その辺りは流石うまいなぁと感じました。 夕子ちゃんが母親や事務所からの重圧から逃れるように、恋愛に溺れて傍目から見たら明らかに危険な人達とつるんで堕ちていく様子は読んでいて辛くなる。 忙しくて同年代の仲のいい友達が全くいない分、相手ができたらその人が世界の全てと思い込んでしまうんですね。 例え怪しいところがあったとしても、愛を感じなくなっても、本人を目の前にすると冷静さを失ってしまうよね… このあたりの心情が理解できないと、それまでの夕子ちゃんは理性的だったのに??と戸惑ってしまう読者もいるのかもと思いました。 個人的には夕子ちゃんがもう少し立ち直るところを読みたかったな。 | ||||
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本当に本人が書いた?という感想がまず始めに。蹴りたい背中やこの後に出ているかわいそうだね?などと比較してこの作品だけが文体がガラッと変わっていますね。しかも、良くなっていればいいけれどつまらなくなっている。 作者本人はどこのインタビューで芥川賞受賞後スランプになり、編集者のOKが出なくて本が出せなかったと言っていましたが…。苦しい中文体を変え、淡々と語ることにしたのか?だけど正直読んでいてつまらない。子供のアイドルの成長を描き文章は長々と続く。描写は精密で正確だけど、それがどうした?という感じですぐ飽きてしまう。結果、最初の100ページくらいを読んで詰みました。 それから1年以上経ち、どこかで最後の3割くらいは面白い、という話を聞いて再び本を開きました。最後の100ページだけを読みました。 以下、ネタバレを含みます。 最終的に、主人公はアイドルながらも恋に落ち、それが流出したことで芸能人生をほとんど終えました。好きだった男はそれほど主人公のことは愛しておらず、恋も終わりました。 物語の最後、主人公が全てを失った絶望をひしひしと描いています。これは、私は綿矢りさ本人の心境を現したのではないかと思います。彼女は賞を取って日本一有名な若手作家になりました。多額の印税も入ったでしょう。 しかし多くの人に知られ、天才ともてはやされ、プレッシャーを受け、書けなくなった。好きだった作家という仕事も、手に入れたファンも、全てを失うかもしれないという絶望を感じたでしょう。それを描いたのだと思います。 そう考えると、この後味の悪い奇妙な物語もどこか重みを持ってくるような気がします。 だけどその後また綿矢りさは復活したからね。良かったじゃない。文体も元に戻った。これを書いている時は結構深刻な鬱だったのかもしれない。 そして最後の方に、 夢を与えるとは、他人の夢であり続けること。夢を与える側は夢を見てはいけない。恋をして夢を見た私は初めて自分の人生をむさぼり、仕事でできた信頼の手を離してしまった。 というような文がある。自分らしく生きることと、仕事で功績を出すことがもし相反する場合、自分ならどうするだろう?なんだか恐ろしくなった。 作者ももしかしたら、自分の描きたい小説と編集者に求められる小説が相反して悩んだのかもしれない。 いずれにせよ、作者の当時の心情を反映した作品だと思う。 しかし、この綺麗な文章、そして深く考え抜かれた言葉とストーリーを22歳くらいで書いたと思うと、本当に世の中に天才っているんだね、と思わざるを得ませんね。 | ||||
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前の二作品のごとく、未成年が主人公、不良に当たるというか、規格外な感じに描くのはお決まりのよう、 おそらくそういう性格が好きなのだろう、アウトサイダー的にも思う、芸能界はサラリーマンできない人がいくようなところだとよく言われるし、格好の舞台です。真ん中が読みずらい、ページ数が増えた分だぶついた感があるかもです、小説はどこかで切り上げることが必要なようで、 そこに醍醐味があり、驚くべきストーリーがあったりと思うのですが、、言葉自体が稚拙です、これは仕方ないのか、今の時代なのか、言葉の美しさ活字の機微みたいなものってかんじない、、、昔横光利一読んで子供たちの表現にほかにないものを感じたんだけど、綿矢さんもそんなのを文字の組み合わせがあると思う、才能だと思う。肉体に関する表現がいまいちな点はあると思う、心の葛藤は正直わかるわという何とも言えない自分自身の後悔も含めて正直さをうかがえると思う、なんかそういう意味でどこかつぱった作品なのかなって思う。上々でる。どんどん切っていく感じ孤立感というかを増していくラストは残虐さのあるもので飛ばして読めた、なんだろう、やはり才能ある人だと思う。 | ||||
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筆者は芸能界にいたことがあるのかと錯覚するほど、芸能界で生きる夕子の葛藤を巧みに描いていた。いつ何時もTVの向こう側にいる不特定多数の人の理想であり続けるのは大変だ。精神が滅入ってしまう。夕子が"ゆーちゃん"を演じるのに疲れ、恋に溺れて転落していく過程は読み応えがあった。唯一残念だったのは、恋人である無名のダンサー・正晃が怪しげな友人に情事を撮影させようとした時に夕子が別れを考えなかったか説明されていない点だ。夕子はあれだけスキャンダルに敏感で賢いのに、なぜ考えなかったのか。それまでに何度も正晃を疑った瞬間があったのだから、別れを考えるのが自然ではないか。別れなかったからこその転落劇ではあるが、夕子が別れを考えなかった理由は説明して欲しかった。説明不足のため、彼女が恋人との別れを決断し再びスターダムへ戻るという展開もあったのではないかと思ってしまう。後味が悪い。 | ||||
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すこし旧いこの作品を、さみしく読んだ。誰もが遣り場のない居心地の悪さに足掻く10代に身の丈以上の評価をうけ、「では私は?」の答えに辿り着くための内側を育てるべき時期には既に完成された「商品」の提示を求められた作家の、ぎりぎりの自画像。常に視点の定まらない三人称が描く人物は誰もが当時22歳のこの作家とおなじだけ幼なく、そしておそらく作家はこの幼ない内側を育てることのないまま30歳で「結婚」し、「肉の固まった」自身を甘やかし続けながら此世での帳尻を合わせてしまう。いま、主人公・夕子がどんな女性になっているか、もう綿矢さんには教えてもらえない。 | ||||
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淡々と読めました。 とくにおもしろいと思わなかったのに、心の中ではこの作品を欲してたらしく、二日に分けて断続的に惹き付けられて読んでしまったのが不思議。 作者の世界観がつまっている感じで 読み終わったあとしばしぼ~っとしてしまった 虚無感?なのか? | ||||
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著者は、『かわいそうだね?』で大江健三郎賞を受賞した綿矢りさ。 (2012.10.20 初版発行) 幼いころからチャイルドモデルをして美しく健康に育ってゆく少女・阿部夕子。 中学入学と同時に母の勧めで大手タレント事務所に所属し、CM・連ドラ・CDデビューとブレイクし、急速に国民的な人気が高まってゆく。 高校生の夕子は深夜番組で見たダンサーに初恋をしたのが悲劇の前触れだった。 『蹴りたい背中』や『勝手にふるえてろ』のような快活さがないのが残念だ。 シナリオ構成自体は興味深いけれど、どこかありきたりな感じがしてならない。 最後のバッド・エンドへの運び方も何だかチープ…本作品で綿矢りさが“言いたかったこと”はなんだろうか、光と闇は渾然一体って感じだろうか。 “アイドル”という存在の儚く脆い部分を見せつけてくれたいい作品でもあった。 彼女らは、まず相手の期待通りの思想・言動が求められてゆく内に、自分とは何だったのか?こんな私がこんなことを言っていいのか?と自問自答を繰り返す。 これは小説の中だけじゃなくて、現実の世界でもそうなんだろうな。 きゃりー・ぱみゅぱみゅやローラ、Perfumeたちも同じ悩みを抱えていそう。 自分を商品と客観視してセルフプロデュースしていく、中々覚悟が要る仕事だ。 ───「自己推薦なんかじゃ、だめに決まってる。他の子と同じように勉強して合格しなくちゃだめ。阿部夕子が本当に人に夢を与える瞬間は、出演している役を演じているときじゃなくて、私自身の人生で、普通の理想の人生を歩んでいるときなんだから。私は私の人生自体で人に夢を与えてるの」(阿部夕子、p.194) | ||||
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著名な文学賞を最年少記録で受賞した綿矢りさ本人が、骨身に味わったであろう――或いは今以て味わうことを強いられている――世間の醜さ、その経験が反映された作品であろうことは容易に想像がつく。作家自身の姿が背後に透けて見えるようで、遣り切れなくなる。 「夢を与える」とは、【大衆規範】に則り【大衆願望】に沿って自己の生を丸ごと匿名多数に供犠することだ。他人のわがままに操られて生きるということだ。誰でもない誰かが抱く何処にもいない誰かのイメージを生きるのであるから、それは必然的に嘘となる。他者の夢から自律的に自己の生を生きようとした者に対する制裁もまた、【大衆規範】に則った【大衆願望】に沿って下されることになる。匿名多数は、自分たちの好き勝手に、憧れ、祭り上げ、こき下ろし、使い捨て、破滅させる。大衆向け玩弄物であるのだから、そこに人格があるなどと慮ってやる義理はない。寧ろ、その玩具にも人格が備わっているということで破滅させる快楽は増幅されるのであるから、人格もまた【大衆願望】に奉仕する記号でしかない。 少女の稚拙な生真面目さは、【大衆規範】の醜悪さを知り尽くしボロボロになったかのようだ。しかしP.318から、【大衆願望】の呪縛を脱ぎ取った彼女の意趣返しは見事だ。彼女の感性は、一貫して生きている。 中学時代、同級生の男の子と過ごした潮の薫るあの瑞々しい時間が、いつか彼女に再び流れることはあるだろうか。 □ さて、匿名多数の我々読者は、作家 綿矢りさに対して、未だに夕子が受けたのと同じ眼差しを向けていないか。 | ||||
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著者の作品はほとんど読んでいますが、 この『夢を与える』は、注目された芥川賞受賞、 その容姿と若さから「アイドル女流作家」みたいなイメージを押しつけられて メディアに追いかけまわされたり、ストーカーまがいのファンがいたりという 自らの状況とどこか重ねて書いたのではないかと思ってしまった。 (本人は主人公=自分説は完全に否定している) 作家の心理はなかなか分からないが、 自分の心の状態が反映されてしまうものなのではないか。 どうしようもなく落ち込んでいる時に、「青春爆笑小説」を書けるものなのか? と考えると、この時期著者も悩んでいたのかもしれないと思う。 女子高生のうっ屈した日常というだけでなく、 両親の状況、社会、会社、世間といったものがからんで 見渡す場所が学校と家以外に増えた分、どこか魅惑的な 「学校に閉じ込められた気になっている少女たち」の 微妙な心理が、前作、全前作に比べると上手く描かれていない。 それが、これまで読んだものと比べて魅力減、になっているように思う。 | ||||
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作者の本は、 『蹴りたい背中』『インストール』と本作品で三冊読みました。 その中では、作家としての技量が最も熟しているように感じました。 ただ皆さん仰るように、描き尽くされた設定です。 私が残念だったのは、物語の初頭より主人公の破滅が読めているわけで、それでも最後まで読んだのは、主人公が割と聡明な観念を時折披露するからです。 以下ネタバレします。 にも関わらず、主人公は自分のセックスを初対面の人間に撮影させるような愚かな事件を起こす、全くのシラフで! それはあり得ないだろうと。 作者は、自身の賢さを主人公に反映させてしまったのか、それゆえ、愚かな主人公を描ききれなかったように思います。 また、大人を描くことはできていませんね、親がいつまでも三十代みたいでした。 賢い二十代女性の葛藤を描けば本領発揮できるはずで、背伸びをしないで、今しか描けないものを描いたほうがいいと思いました。 | ||||
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綿矢さんの作品はこれが初めてだ。 「他の女の子より早く老けるだろう」 「夢を与える」という著書と反対の絶望的な文句の帯が気になって、 ようやく最近、手にした。 「ほんとう」の事はわからない疑心暗鬼な状態を 客観的な視点から描く事でひどく冷たく淡々としたものを感じる。 なのでペーパーバックの軽薄な翻訳のようにも思うかもしれない。 しかし、絵空事の物語かと思えば、 読み進めていくうちに残る「?」な気持ちはなんだろう? それは多数の人々が抱える不安に当てはめる事ができる。 少なくとも本を読んだ事で感じる違和感は 私の「心の奥に閉じ込めた不安」を呼び覚ませた。 良い事ではないが、これは現実であり、それを受け止めるか、 目を伏せるかはその人次第である。 娯楽として読むには勧めないが、 やはり読んでみて、味わってみるのも経験かと思う一冊。 | ||||
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私は綿矢りさが好きなので、最後まで一気に読めましたが、 設定から展開から何か古臭いし(アイドルがスキャンダルで崩れてく話? それに猥褻映像流出なんて珍しくもなんともないです)、 未整理であったり放置の部分も多々あり、 お世辞にも完成されてるとは言えない作品でした。 前作郡のような、傷付きやすい10代のモソモソした一人言みたいな境地から、 新たにどこかへ飛び立とうとして、墜落してしまったんだなーという感じ。 この人はこの人なりの世界観が絶対あると思うのですが、 それはこんな社会派もどきみたいな作品にはない。 変に大衆に迎合せず、また昔のようにノビノビ書いて欲しいです | ||||
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淡々と物語が進んでいくのですが、なぜか中だるみすることなく最後まで読めてしまう。構成がうまいな、と感心しちゃう。特に大きな抑揚もないんです、それなのに、ページ毎に起承転結が為されているというか、前に前にと、読み進みたくなるのですね。 語り手は、夕子。彼女は幼稚園の時から広告のモデルデビューを果たし、チーズのCMに抜擢。以後、どんどん活躍の場を広げ人気を博します。マネージャーの母との二人三脚で、芸能活動に励む夕子。フランス人の父トーマも彼女を大切に想い、応援している。愛のある家庭です。 でもね、実は、話は夕子が生まれる前、幹子とトーマの確執から始まっているのです。 仲のよい三人家族。一見そうなのに、両親のココロの内には、その喧嘩の“しこり”はまだ残っているのね。それが夫婦破綻にもつながっていくのです。そんな状況の中で、仕事と学業の両立、多忙な芸能活動の日々、、、本書はちっちゃな“ゆーちゃん”が大人へと変貌する成長物語なのでした。 ラストはちょっぴり陳腐だけど、面白くすんなり読めた一冊でした。 | ||||
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「綿矢りさみたい」と言われたことがあるのに全くもてなかった私は、綿矢りさが清純派として男の人からちやほやされるのを見て、かなり嫉妬してました。でも作家としての才能は感じていたし、年齢の近い女の子作家だから、好きな作家のひとりでした。 そんな私はこの作品を読んですごく悲しくなりました。本人は否定していますが、本人の芥川賞受賞後の孤独とスランプを書いたようにしか思えないです。彼女の苦しみと悲しみが伝わってきて、時々読みたくなくなりました。題名の下手くそさ、彼女独特の表現やうまい直喩の衰退、ベタな表現、ありがちで安っぽいおフランス信仰、など作家としての劣化が感じられたのも、すごく悲しかったです。 わりと絶望的だけど主人公を完全に死なせてないラストは、綿矢りさの「もう私、書きたくない!」という叫びのようでもあり、「苦しいけど作家を続けたい」という意志の顕れでもあるしょう。 若い女の子が気持ち悪い変態や周囲のプレッシャー、自分の名誉や地位目当てによってくるゲス野郎などに耐えるのは辛いと思います。特に作家になるような人はデリケートですから尚更です。 でも綿矢りさは専業作家というプロです。辛さを乗り越えていい作品を書く、力をキープする努力をすべきだったのです。ところが作家としての鍛錬をサボったみたいで、この作品は「頑張ったけどダメでした」という作品ではなく、作家としての努力の痕跡が見られない作品です。「辛い人生だけど頑張った」的な素人のエッセイ並みのものです。 綿矢りささん、色々辛いでしょうが、プロとして芥川賞作家としてもっと頑張って下さい。でなきゃ「プロの美人作家」ではなく「世間を甘く見たただのアイドル作家」で終わるでしょう。あなたを応援してます。 | ||||
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「芸能界を生きる」という話の題材があまり面白くない。著者の作品は、「インストール」「蹴りたい背中」と読んできたが、それらは、受賞作品だけあり、それなりに良かったと思うのだが、今回のは今ひとつかな。ただ長いだけで、盛り上がりに欠けるような気がする。最後の結末は、多少、心は動かされたが・・・。 | ||||
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芥川賞受賞作家ではあるが、内容は作者の年齢が若いこともあり、それほどのものではない。 デビュー作の「インストール」が大した出来ではなかったので、それよりはましではある。 金原ひとみ同様、一発屋で終わってしまった印象が強い作家である。 後味が悪い作品であるとのことなので期待して読んだが、これよりも後味の悪い小説は山ほど読んでいるため、思ったほどの後味の悪さは感じなかった。 芥川賞作家の作品であると思って読むと、大したことはないと感じるかもしれないが、内容はそれほど悪い出来ではないので、芸能人の主人公が男絡みで、転落していく話に興味を持ったならば、読んでみるのも良いのかもしれない。 | ||||
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途中まではそこそこ面白く読めたのですが、 最後は読んでいて辛くなりました。 辛くなるとは、切ない気持ちとかそういうものではなく、 「ちょっとあり得ないだろ」とか「え、どうして?」といった 疑問点ばっかりが浮かび、読んでいて「辛い」という意味 です。 | ||||
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なぜなら最後まで読んでいないから。 三人称はあまり面白くないですね。 次回に期待。 | ||||
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