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夜の谷を行く
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夜の谷を行くの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全77件 21~40 2/4ページ
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連合赤軍についての知識は殆どなく読みました。 テーマがテーマなだけに、本来の読者層でない方も読まれている様子ですね。 だいぶ桐野節入ってますから、合う方にはよかったのではないかと。 正直考えさせられましたね。 これだけ大事件なら当然なのかもしれませんが、既に一般人な訳ですからね。 死ぬまで逃れられない過去ってとこでしょうか。 これ、この事件に限らず、大罪で服役した人は皆抱えている感情なのかもしれません。 吉村昭氏の著書でも殺人で服役した人が一般人として生活していくものありましたね。 タイトル何でしたか。。30年ほど前に読んだので思い出せませんが。 取り返しつかないって、こういう事だよなぁと。 本作自体はテーマも書き口も桐野氏らしくて好きでした。 | ||||
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桐野さんの作品は何作か読んで面白かったので、連合赤軍事件のことを書いたこの本を読みました。主人公の「言語化できない」という言葉が何度か出てきてどうしてもそこのひっかかってしまい、なぜわかってもらえなくても、説明しよう努力しないのだろうとそこばかり気になってしまいました。連合赤軍に入る強い情熱のようなものはこの本には書かれておらず、刑を終えて帰ってきて疎外感の中で孤独に生きていることに焦点が当てられてはいるのですが、自分が理想として目指そうとしていた社会とはどんなものだったのだろうか、そういうことが知りたかった私しには少し物足りないものでした。言語化しようとして欲しかったと思います。 | ||||
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. 私は、昭和37年(1962年)生まれなので、全共闘世代ではない。 子供の頃のかすかな記憶として、テレビで「東大安田講堂事件」(1969年)や「あさま山荘事件」(1972年)のニュース映像を視たように思うが、後から補完された部分も少なくないだろう。いずれにしろ、それは一種のスペクタクル映像として見ていただけで、その意味するところがわかっていたわけでないのは確かだ。 全共闘が敗北しさった後の私たちの世代は、「しらけ世代」とか「三無主義」などと呼ばれたし、事実そうした冷めた現実主義的個人主義に支配されていた。それは、まだ幼い頃に、時おりニュース報道されていた、過激派セクトによる「爆破テロ」「飛翔弾テロ」「内ゲバ」事件といったものによって醸成された、「反政府・政治運動」への嫌悪と軽蔑の情の故であったように思う。「左翼って、何をやってるんだ? 馬鹿馬鹿しい」一一そんな感情である。 また、「社会」や「(第三)世界」などといった大問題は、自分には縁のないものだと感じられたし、実際、いま思えば、日本がいちばん豊かな時代でもあったのだから、そうした社会問題に真剣に向き合う必要もなかった。 私は、アニメやマンガをで育ち、オタク的な趣味人として成長したし、その過程で本を読むようになり、ミステリ小説にハマり、その中で出逢ったのが、笠井潔という元全共闘の作家(小説家・評論家)であった。 私は、笠井潔の第1著作であるミステリ小説『バイバイ、エンジェル』に衝撃を受け、どっぷりとハマり、笠井潔のファンになった。彼の著作を片っ端から読む中で「左翼思想」「マルクス主義」「全共闘」といったことの知識を蓄積していきながらも、次第に笠井の言動の矛盾に反発を覚えるようになった。そして最後は「笠井潔葬送派」を名乗って、笠井の言動をネット上で批判するようになった(かつて笠井潔は「マルクス葬送派」を名乗っていた)。 笠井潔本人とは、それ以前に面識を得ていたから、私の声は確実に笠井本人に届いていたはずだし、それでも飽き足らず、笠井が当時選考員を努めていた「創元推理評論賞」(選考委員:笠井潔、法月綸太郎、巽昌章)に「地獄は地獄で洗え:笠井潔批判」を投じたりした。 もちろん落選し、笠井本人には黙殺されたが、選評で法月綸太郎から『これを読んだ笠井委員は、怒り心頭に発して、破門を言い渡したしたそうである。』という言葉をいただき、その選評について、私は自身のネット掲示板で「笠井潔のファンではあったけれど、弟子に入った憶えはないので、破門のしようはないだろう」という趣旨のコメントを付したりもした。私は、法月や巽とも面識があった。要は、立場は違っても、彼らとは同世代のミステリマニアだったのだ(同じ関西居住でもあった)。 当時、ブームのまっただ中にあった「新本格ミステリ」界隈に、年長者の小説家であり理論家として後から食い込み、いったんはミステリ界を理論的にリードするイデオローグとなった笠井潔も、その後、自らの奢りに発した、さまざまな「舌禍事件」を経て、ミステリ界から実質的に「葬送」されてしまい、私の10年余にわたった「笠井潔葬送派」としての仕事も、おのずと終焉を迎えた。私が、ミステリという文芸ジャンルに興味を失ったのも、笠井潔が日本のミステリ界から実質的に退場したからに他ならない。 しかしながら、笠井がいなかったなら、私が文芸評論書や思想哲学書といった硬派の書物に親しむ機会も、ずっと遅れていたことであろう。私がそれらを読みはじめたのは、笠井潔と対決するには、是非ともそのあたりの知識が必要だったからであり、いわば必要に駆られてのものであった。だがまた、その結果として、「社会」や「日本の歴史」や「世界状勢」について、私の窓は開かれもした。そして、こうした意味で、今の私があるのは、笠井潔のおかげだとも言えるのである。 ○ ○ ○ で、ここまでが前置き。 私が、本作『夜の谷を行く』を読んだのは、先日、ひさしぶりに笠井潔の評論集『例外状態の道化師 一一ポスト3・11文化論』が刊行され、そこに収められた9本の書評の一つが、本作を扱ったものだったからである。 『山岳ベースで行われた連合赤軍の「総括」と称する凄惨なリンチにより、十二人の仲間が次々に死んだ。アジトから逃げ出し、警察に逮捕されたメンバーの西田啓子は五年間の服役を終え、人目を忍んで慎ましく暮らしていた。しかし、ある日突然、元同志の熊谷から連絡が入り、決別したはずの過去に直面させられる。』(本書・「BOOK」データベースより) 笠井潔にとっては「連合赤軍事件」は、作家としての原点とも呼べるものなので、この作品に描かれたものに、どう反応するのか、そこに興味があった。 前述の『バイバイ、エンジェル』もそうだが、そのあとに刊行された笠井の最初の評論書『テロルの現象学』も、理想を追求していたはずの全共闘運動が、やがて本書で描かれる「山岳ベース事件」のようなグロテスクな様相を呈したあげく崩壊していったのは「何故なのか」を問うた作品だった。そして、笠井の解答は「観念が人に憑く」というものだった。 たしかに、かつての「左翼運動」には、そういった側面が強くあった。 本作でも間接的に描かれるとおり、「理想」が理論化され「教義」となり、それへの絶対服従と献身が求められた結果、人は人以上のものになることを求め、求められる中で、「建前と本音」の極端な乖離が発生して、一部の理論的指導者が教権的怪物と化し、人間を人間として扱わない「残酷な悲劇」をひき起したのである。 しかし、本作の画期性は、これまではいかにも「男性的=観念的」に扱われてきた「山岳ベース事件」あるいは「連合赤軍事件」について、「女性の視点」を持ち込んだ点にあろう。 そして、そこから浮かび上がってくるのは、本作で描かれた女性たちもまた多分に「悪しき観念化=悪しき男性化」を被っていた、という事実だ。そのために、いま聞けば、非人道的かつ馬鹿馬鹿しいような「計画」を、大真面目に実行しようとしていたのである。 本作のラストで描かれるエピソードは、そうした「観念性」に対立する「ひとつの救済の光」であろう。 「命」は、観念の桎梏から逃れるための、たしかな希望であり、この現実世界と個々をつなぐ「へその緒」のごとき、最後の頼みの綱なのである。 . | ||||
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桐野夏生の取材力が本領発揮されています。 あさま山荘事件を題材にした小説だと知って読み始めましたが、元死刑囚が実名で出てくるなどリアリティに引き込まれました、、 抱く女もとても面白かったので、またこういった事件や歴史を題材とした作品を書いて欲しいです。 事件の詳細をちゃんと予習してからもう一度読んだらより面白くなると思いました。 | ||||
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すらすらと読めた。連合赤軍については、複数の映像作品を過去に観た。何が行われていたのか何となく覚えている状態で読んだ。 啓子と和子の姉妹のやり取りが生き生きとしていて、作者はどんな取材をしたのか、どんな生き方をしてきたのか気になった。 桐野夏生作品は、「奴隷小説」を初めて読んで面白かった。そのため、この作品を新品購入した。 私は、失礼ながら桐野夏生さんの読み方を間違えていた。きりのなつおさんとわかり、勝手に男性かと思っていたが、検索して写真をみたら女性とわかり驚きつつ、納得もした。 また関連書籍をよみたい。 桐野作品もよみたい。 | ||||
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状態がひどい 中古みたいです。 やっぱり目で見て買うべきだな | ||||
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最後の1ページで大どんでん返しでした。この事件当時、社会人となったばかりで非常に印象深いものを覚えております。カップヌードルと二代思い出ですね。 | ||||
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以下、個人的感想。 著者の桐野さんは「世界観」を大事にしている人らしい。 自分の中で、確固とした独自の世界観を築ける人。世界観を維持し、常に再構築している人。 そういう人物・作家にしか、興味を覚えないと。(一言一句まで覚えてはいないが、確か以前、桐野さんはそのようなことを言っていたと思う) ちなみに、本作の世界観は、とてつもなく浅く、薄っぺらい。自分はそう感じた。 孤独なおばあちゃんの(どうでもいい)日々の暮らし。時折、適当なフラッシュバック。 よくあるあるの伏線と、結末。 何これ? 「東京島」のあの、壮大、壮絶な世界観は、どこへ行った? 本作の元ネタである、連合赤軍事件は、未だに全ては解明されていないし、今後もされないと思う。 それだけにこの事件を、桐野さんがどう捌き、どう見せてくれるのだろうかと、期待して読んだのだけど……。 本作では、連合赤軍事件の真相や、核たるもの、臨場感に、触れることもできていないと思う。 | ||||
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ノンフィクションのようなこの小説。 とても興味深く、読み進めました。 最後のオチは意外でしたが、この部分が一番、小説らしいなと感じさせられました。 | ||||
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人の考え方で正解は無いと思います。この本は、連合赤軍の行動とその後の話が主の小説です。私はこの係累の本は何冊か読了しました。読んでみてください。右と左・白と黒のついて考察できればと思います。 | ||||
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私はおもしろく読みました。 | ||||
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書くのが本当にうまいですね。。この本も素晴らしかったです。個人的にはバラカが一番の名作です。 | ||||
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著者と、作品テーマの見事なマツチング、面白い。最後の意外な、月末は、サスペンス。 | ||||
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連合赤軍の事件について詳しくないのですが、小説として楽しく読ませていただきました。結末はさすがだなと思います。啓子の過去の出来事に対する不調和な感情や、左翼運動に対する世代間での認識の差など、とてもリアルに描かれていると感じました。こういう形で、年数が経っても世の中に何かしら伝わっていくといいと思います。 | ||||
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好きな作家 | ||||
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西田啓子は63歳。40年前の連合赤軍が起こしたいわゆる山岳ベース大量リンチ殺人事件に関与し、死体遺棄などで5年服役した過去をひた隠し、社会の片隅で、孤独に耐えながら息をひそめて生きてきた。 しかし、連合赤軍の元指導者であり、死刑判決を受けた永田洋子の獄死をきっかけにするように、啓子の周囲が波立ち始める。 1970年代に吹き荒れた連合赤軍事件。中でも、この作品でところどころ描かれる、結果的に10名以上のいわば同志を死に至らしめた冬山の山岳ベースリンチ事件が社会に与えた衝撃はすさまじいものだった。 事件当時、私は小学生だったが、毎朝、新聞に掲載されているおぞましい写真や明らかにされる事実はとにかく驚愕の連続だった。仲間が仲間をなぶり殺し続ける日々というのは、想像を超える光景だ。 冬の山から次々と見つかる死体のニュースに、そしてその後判明するリンチ事件の経過に、とてつもない戦慄を受けたことを覚えている。 成人してから、高木彬光の「神曲地獄変」や当事者である坂口弘の著書などで、おおよその出来事を知ることができた。 個人的には、この山岳ベースリンチ事件についての知識がなければ、本作を読んでも本当の意味はよくわからないと思うので、是非、知識を得てから読んで欲しい。 40年もの歳月が経過し、刑務所で刑期を終え、償ったはず、と自分に言い聞かせていても、当然のことながら、世間も家族もそう簡単には許してくれない。 しかし、人生は続いていく。日々のささやかな楽しみも待っている。 本書では、啓子という架空の存在をとおして、現在の彼らの日常を非常にリアルに感じることができた。 本書の中で、啓子が何も知らない姪に「テロリスト。オウム真理教みたい」と言われて、「それは全く違う」と反論するところがある。一般の人からすれば、結果を見ればやはり「同じ」というとらえ方をして当然だろう。でも啓子の反論を聞いて、実際にあの連合赤軍事件に関わった犯人たちの多くも、少なくとも最初に信じた自分たちの思想は正しかったと今でも思っているのだろうか、また、今ではどうしているのだろうか、といろいろと感慨深かったです。 そして、最後の最後に、全く異質で新たな光が当たるような気分にさせてくれた作者の力量に感謝。 | ||||
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還暦を過ぎて一人で暮らす連合赤軍の兵士だった女性が主人公である。 ぼくには、この本が描きたかったのは、「普通の人」が重すぎる過去を背負ってしまったということ、ではないかと思えた。 「普通の人」ではない、と言えばその通りだが、還暦を過ぎた彼女の日常、そこで考えることは「普通の人」そのものである。 しかも、これまでに多くの文献を読んできたが、実際にも多くの連合赤軍の兵士たちは、「普通の人」たちであったと思う。 その普通の人が背負った重すぎる過去。 それを小説という手法で描く試みが、果たして成功したのだろうか。 かつて、桐野夏生の東電OL殺人事件を題材にした『グロテスク』を読んだ時に、佐野眞一のノンフィクションよりも小説という手法だからこそ、より本質に迫り得たのではないかと感じたことがある。 が、この小説では、そのような感想に至ることはなかった。 ドラマ的な筋立てによって、最後に救いがあるのだが、それによって救われたものがあると同時に、失われているものもあるような気がしたからかもしれない。 | ||||
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本書は連合赤軍事件のメンバーとして犯罪を犯し、逮捕され懲役刑に服した女性・西田啓子の事件後40年後の物語である。ただし啓子は実在人物ではなく、架空の人物である。 啓子は還暦を過ぎ、過去を隠してひっそりと孤独に暮らしている。交流のあるのは実妹・和子とその娘・佳絵のみ。啓子の毎日の生活は、現在の日本に多数存在する独居老人の生活を描写しているようでリアリティーがある。 ある日、そんな啓子の元へ活動家だった時代の知人・熊谷から電話がかかってきた。ちょうどその頃、姪が出来婚するという話が持ち上がり、和子母娘との間で啓子の過去を佳絵の婚約者に打ち明けるかを巡って諍いになる。このようにして、孤独だが平穏だった啓子の生活に波風が立ち始める。 評者は1961年生まれなので、連合赤軍あさま山荘事件をリアルタイムで見た世代である。あさま山荘事件とその後に発覚したリンチ殺人事件は、後年のオウム真理教事件に匹敵するような大きな社会事件だった。 単なる窃盗のような軽い犯罪ならともかく、このようにニュースで大きく取り上げられた重大犯罪を引き起こした人物は、服役し出所して何十年が経過しても、自分の過去から逃れることはできないのだろうと思う。罪を反省しようが正当化しようが、世間は決して事件を忘れてくれない。本書には過去との断絶に成功した藤川という啓子の友人女性が登場するが、それは例外である。殆どの当事者はそのような過去を背負い、身を潜めるようにして残りの人生を生きなければならない。希望というものの存在しない孤独な人生である。 本書では啓子に思いがけないところから希望が生まれる。良いエンディングだと思う。ほんの2頁だけ書いてそれで物語を終わりにしてしまうのは桐野さんらしい。 なお、本書では連合赤軍事件について評者の初めて聞く解釈が述べられているが、それが桐野さん独自の解釈なのか、証拠に基づく客観的真実なのかは、読者には分からない。また物語の途中で起きた東日本大震災がその後のストーリー展開にうまく生かされていないように思う。これらの点に難点を感じるので、星を一つ引かせてもらう。 | ||||
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巻末には20冊余りの参考文献が載せられています。 本作品ではルポルタージュと創作の両方が味わえます。 私は桐野夏生さんと同世代ですが、体育会系だったので学生運動とは無縁でしたので この本に描かれている真実に震撼するあまり、読み続ける事にメゲそうになりました。 しかし最後まで読んで良かったです。想像もできない生き方もあるんだなぁと。 スポーツジムや駐輪場でのやり取りとか、日常の些末なことを織り込んでいく 手法はこの著書にも生きています。 桐野氏の某雑誌へのインタビューによると、西田啓子は当初、サイパンへ行き そこで逮捕されるという筋書きだったそうですが、革命左派の元女性メンバーへの 取材により、連合赤軍の衝撃的な事実が判明し、本作のように書き換えたそうです。 同時代(1972年)を背景にした『抱く女』は20歳の女子大生、直子が主人公ですが やはり男たちに巻き込まれながら、暗い時代に自らの生き方を模索しつつ戦っています。 桐野さん自身もいつも戦う女性なんですね。 20歳と63歳、年齢も立場も異なる二人の女性をほぼ同時期に描いたことにも 桐野夏生氏の力量と矜持を感じました。 『夜の谷を行く』のクライマックスは最終章にあります。 孤独と沈黙と無理解の中で生きてきた西田啓子の人生に初めての希望の光が差します。 最後の数行で私は涙が溢れました。凄惨な事件の陰に、深い母性が感じられるのです。 「感動しろ」という押しつけがましさは全く無く、むしろ呆気ないくらいに スパッと終わってしまうところも桐野さんらしいです。 | ||||
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21世紀の新しい3.11&連合赤軍もの。2011年は3.11だけじゃない、2.5永田洋子獄中死もあった。ということで、主人公は永田に可愛がられた赤軍兵士西田啓子(wikiでは仮名g)63歳である。前科者が被災し、津波は自分の罪も洗い流してくれたように思う、真面目な被災者が怒り狂うであろう問題作。一応ミステリとして最後にどんでん返しがありますが、エンタメではなく、地味な文学な感じ?普通に小説として楽しむのなら、立松和平の『光の雨』の方が良い感じかな?桐野の総括「 赤軍は女性差別する幼稚な集団」は「異義ナシ」 | ||||
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