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僕が殺した人と僕を殺した人
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僕が殺した人と僕を殺した人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.17pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全18件 1~18 1/1ページ
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ずっと気になっていた小説。四人の少年たちの経験した夏ということで、「スタンバイミー」と設定は似ていますが、それぞれの歩む道には大きな違いが。作者の文章に引き込まれる力が強く、一気に読めました。 | ||||
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タイトルからミステリーを期待しましたが、ミステリー要素はそれほど深くなく、 むしろ台湾版スタンド・バイ・ミーとして読ませる小説になっています。 台湾に生きる3人の少年たちが、湿度と温度をもった空気の中で、生き生きと描かれています。 まぁ、登場人物の名前とか、読みにくさは最初ありますが、それが気にならなくなっていきます。 時代背景もありますが、少年たちがとにかく逞しい。 日本人の感性とは異なる部分(やたら乱暴)も多々ありますが、生命として弾けるようなまぶしさを放っています。 文章の疾走感が、個人的には好きです。 | ||||
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小川洋子さんの帯の煽りが気になり手に取ったが、読みだすとグイグイ引き込まれて一気に読み終えた。 台湾での少年時代の描写は本当に活き活きしていて頭の中に台湾の雑多な景色が浮かんできて映画を観てるよう。それぞれ影ある家庭環境のもと育まれていく友情はそれだけで十分に一つのストーリーであるが、そこに現代が加わることで更に深みが出ている気がする。 それは、この小説のもう一つの魅力である過去と現在の対比。その対比を際立たせる漢字の使い方と主語の入れ替え。このコントラストを主語の入れ替えを巧みにぼかしながら段階的に切り替えていくことで、どんどん読み進んでしまう流れになっていと思う。こういうパズル的な文章の書き方は推理小説的でもあるかな?と思ったらやっぱりそっち系の作家さんなんですね。 作者は私と同世代かな?出てくるアーティストが全て私のリアルタイムでちょっと楽しかった。一つ難をいうなら引用した小説をネタバレ的に説明するのはちょっとどうかと… あと皆さんご指摘の通り、私もスタンド・バイ・ミーが思い浮かびました。 | ||||
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恥ずかしながら直木賞受賞作の『流』は読んでいません。そっちを本棚の肥やしにして、こちらを先に読んでしまいました。 で、結論ですが、面白かったです。内容が深いし、台湾を舞台にこれだけのものが書けるのはこの著者を置いて他にいないでしょう。 ただ、米国で犯した犯罪については、その直接の理由や動機が最後までよくわかりません。なので、純然たる謎解きのためのミステリー小説として読むのはちょっと違う気がしました。 | ||||
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ページを捲る間ももどかしく、『僕が殺した人と僕を殺した人』(東山彰良著、文藝春秋)を一気に読み通してしまいました。 本作品の魅力は、3つにまとめることができます。第1は、ストーリーの運びに緩みがなく、しかも、意外性に満ちた展開がいくつも用意されていること。第2は、途中で語り手が交替したことを読者に気づかせない工夫が凝らされていること。第3は、文体が引き締まっていること。 1984年の台湾・台北での出来事と、2015年のアメリカ・デトロイトでの出来事が時空を超えて絡み合いながら、物語が展開していきます。 「こうして、ぼくたちは共謀して喧嘩の理由をすりかえることに成功したのだった。それは中一の夏休みが終わるほんの二日前のことで、いまふりかえると、ぼくたちの人生はここから大きく狂いはじめたんだ」。 「考えてみれば、一九八四年の夏休み前後の三カ月がぼくとジェイを結びつけた。アメリカへ渡った両親においてきぼりを食ったぼくは、ジェイのおじいさんのかわりに布袋劇(ポウテヒ)をやり、バスケットシューズを万引きし、ブレイクダンスの練習に夢中になり、ジェイにキスをされ、そのせいで殴りあい、また仲直りをした。ジェイはジェイでたった三カ月のあいだにぼくにキスをし、そのせいで殴りあい、師範大学の学生に権力のなんたるかを教わり、その男とキスをし、そして継父に殴られて入院した。アガンだってそうだ。母親が男をつくって家を出、転校し、大好きだった父親は目も当てられないほど落ちぶれ、弟はアガンが殺したいほど憎んでいる男(=継父)にすっかり懐いている。そして、ぼくは十四歳になった」。 2015年冬、少年ばかりを7人も手にかけた連続殺人鬼「サックマン」がデトロイトで逮捕されます。その「サックマン」を、31年前、わたしはよく知っていたのです。 「その静かな視線に射すくめられて、わたしはしばらく動けなかった。記憶にある面影と、あまり変わっていないように思えた。削げ落ちてしまった頬は、二年前の昏睡から目覚めたころのままだった。落ちくぼんだ目に宿る光は曖昧で、長年にわたる投薬とリハビリテーションの限界を感じさせた。長机の上でゆるく組みあわせた両手も、十四歳のころの華奢な印象を留めている。わたしのために獰猛なコブラと戦い、わたしのために間違いを正そうとしたこの手が、アメリカで血に汚れてしまったなんて、にわかには信じられなかった」。 「軽い眩暈を覚えた。時空が水飴みたいにゆがみ、わたしたちがばらばらに歩んできた三十年の歳月が煙のように消え去る。わたしの手首に巻かれているオメガの秒針が止まり、そのかわり一九八五年に止まったまま放っておかれた時間がふたたび動きだす。カチ、カチ、カチ、と音を立てながら」。 期待を裏切らない一冊です。 | ||||
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タイトルに惹かれて読み始めたが、テンポの良い文体に引き込まれる。期待以上な面白さ。 | ||||
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誰が殺人鬼なのか、が最大の謎ではない。 いつ、誰が、誰を、どのように想ったのか。 それこそが最大の謎、自分が知りたかったことだったのだと読了後に、涙があふれた。 これほどきれいなものが、ミステリーの核として隠されていたことに、ただただ驚きを禁じ得なかった。 こんなミステリーは読んだことがない。 思わず、台北で舞台となった街を歩いてしまった。 こんな体験は久しぶりだった。 | ||||
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作者の作品としては「流」及び「罪の終わり」(駄作)に続いて本作を読んだ。作者自身の「ルーツ」探しやミステリ的趣向を織り込んだ「流」のスケールの大きさには感心したが、本作には失望させられた。あるインタビューで、作者が「台湾出身という出自と私の作品とは関係ない」、と豪語するのを聞いた記憶があるが、何の事はない、"台湾依存"の作家である事を自ら露呈した駄作である。 物語は、大人になってからアメリカでシリアル・キラーとなる人物とその弁護士(冒頭でアメリカ人名が紹介される)とその仲間達(全て外省人)が台湾で過ごした少年時代の思い出を綴ったものだが、構成・アイデアに何の工夫もない。「流」を読んだ日本人が、スケールの大きさの前に、まず感じるのは北京語での野卑な会話と猥雑な台湾社会の雰囲気であろう。本作も遊びや喧嘩や仲直りを繰り返す台湾の少年達の野卑な姿の描写で成り立っていて、一見、独特の凄みが漂っている様だが、これを日本を舞台にして執筆する程の筆力がない事を作者自身が自覚している様で困りものある。少年時代の仲間意識が犯罪に繋がるのは良くある事だが、単なる犯罪と"殺人"との間には自ずと一線が画される。少年達がこの一線を越えてしまう辺りの心理描写が本作の肝の筈なのに、そこが非常にお手軽で、台湾でならあり得ると思わせてしまう点が非常に弱い(台湾の方にも失礼だろう)。 冒頭でアメリカ人名で記されたシリアル・キラーと弁護士とが各々どの少年に当るかという点をミステリ的趣向としたかったのかも知れないが、意外性が全くなくてこれまた失望した。本作を読むと、「流」は作者自身の「ルーツ」探しが絡んでいるため例外的な傑作となったという印象が濃厚である。早く、"台湾依存"を脱皮して欲しい所。 | ||||
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1980年代半ばの台湾を舞台に、躍動する3人の少年たちの青春が物語の主流です。少年たちは家族のことで様々な問題を抱えてはいるものの、エネルギーに満ち溢れ、お互いに笑い合い喧嘩し、その時代を逞しく生きていきます。その感性にやや共感できないことはあるものの、その経験が彼らのその後の人生に大きな影響を与えます。 その約30年後に、アメリカでサックマンと呼ばれる連続少年殺害犯が逮捕されます。その正体は誰か、殺人犯の心境とは等、それが後半にかけて明らかにされていきます。ミステリーではありませんが、ミステリー的な手法も織り込まれています。苦い少年時代の思い出の上に、大人になった彼らの現実が重なり、切なく哀しい青春小説です。 | ||||
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某番組で紹介されていて、タイトルと表紙が興味深かったので購入。 この作者の作品を読むのは、これが初めて。 読んでみると、正直意味不明で疲れた。台湾を舞台にしているためか、まず言葉や描写にストレス。 ストーリーも展開しそうで、同じところをぐるぐる回っている感があり、最後まで入り込めない。 何より、登場人物の心理がよくわからない。 なぜケンカするのか、なぜ殺人を犯したのか、まるでわからないし、共鳴もできない。 最初は丁寧に読んでいたが、だんだんわかんなくなってきて、最後は表面をなぞるだけ。 自分が気付いていないだけで、何か深い核心があるのかもしれないが、 そこまで辿り着けず、興味喪失。 ストーリもお面白いとは思えず、もう一度読もうとも思えない。 ある程度難しい小説を読みなれている人には、楽しめるのかもしれないが、 僕は平易な言葉でつづられる小説が好みなので、文体や表現スタイルが自分には合わなかったか。 (僕は、あえて平易な言葉を使って、深く表現している文章が好みなので・・・) でもまあ、いすれもう一度読んでみようと思うかもしれないので、期待も込めて評価1ではなく、評価2 | ||||
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直木賞受賞の「流」の続編的な作品。 しかし「流」を読んでなくても楽しめるのじゃないかな。 日本在住の作者が日本語で執筆した作品だが一流の作家と翻訳者の手で世に出た上質な外国小説のようなタッチだった。 ’80年代中盤に台北で暮らす13歳の少年達が描くストーリーはとても読みやすかった。 当時の台北への作者のノスタルジーも良く伝わって来た。 台湾でもこの本は売れてるんじゃないかな。作者はこの本を北京語でも書いてるのだろうか。 (以下ネタバレあり) 進行する過去と今のストーリーに於いての一人称が別の人物だったということがわかった時には驚きと同時に戸惑いもあった。 読んでる最中にはそれも一興かなと思っていたが、この手法は本当に必要だっただろうか。 この手法を使わなくても十分に面白いストーリーになったのではないかなと思いもした。 賛否両論があるだろうけど。 読みながら思い出してたのはあの作品。 映画にもなったスティーブン・キング作の「スタンド・バイ・ミー」。 年齢的には数年後のスタンド・バイ・ミー。 取り返せない過去、修正できない過去。 青少年時代の苦くもある想い出という共通項。 本作では苦すぎてるけど。 東山彰良さんは今後さらにすごい作品を書いてくれるのじゃないかなという気持ちを抱かせれくれる作家です。期待しています。 | ||||
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この作者の本を初めて読みました。タイトルから、ミステリーかと思って読み始めたのですが、文学作品ですね。舞台の、台北の風俗が生き生きと描かれていて魅力的です。牛肉麺が食べたくなりますし、関羽廟とか蛇の店とか蚕の話とか、情景が浮かんでくるような見事な文章で最高です。それはいいのですが、対しての、アメリカでの話にどうもリアリティを感じられませんでした。無理に話を広げなくてもよかったのでは・・・?。でも最後まで楽しく読みました。他の作品も読んでみたいです。 | ||||
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夢中で読みました。 この評価を選んだ理由は、外国のお話で、(しかも良くある台湾ものにありがちではありますがそれに反して)中立的で、読みやすく、リズムもよく、各エピソードにも説得力があるところです。 特に比喩的な描写が嫌味でなく端正なところにしびれました。 登場人物たちほどではないにしろ自分の周りや過去にも共通するような問題がちりばめられていたのも惹き込まれました。 個人的には自分も漫画作品のAKIRAが大好きでしたし今も大好きだからということがあります。以前は物語遊びに熱中もしました。ですのでわくわくしながら自分の物語のように読んでいたら。。。定石なのかもしれませんが、推理小説に読み慣れていなかったのでその後の展開に衝撃を受けてしまいました。 主に過去が舞台ですが、ネットのいたるところ、ユーチューブやニコニコなどでも物語にならない物語が今も沢山生まれていると思います。 同じように現実の行き違いも。 だれにも打ち明けられない秘密も。 おすすめしたいけど出来ない人に教えてあげたかったです。 キラキラしていて、質実で、しかし儚く、辛かったけれど美しい物語でした。 世の中は確実にきれい事ではできていないけれど、美しいことに対する憧れなしでは私たちは存在できないんだと強く思いました。 どんな年代の方にも爪あとを残してくれると思います。 何歳の方でも、いつ読んで損なしだと考えます。 しかし読後は妙に爽やかでしたのでそのへんでの躊躇はしなくて大丈夫ですよ。 次の作品にがっかりしないか心配になるくらい気に入りました。 「流」もすごく良かったですが、個人的には「流」より好きです。 説教がましいところがないのがいいのかな。とにかく誰に対しても薦めたいです。強いてどちらかというと若者より大人にでしょうか。挫折を知っている方には特に。 勇気がでました。 とりとめがありませんが申し訳ありません。 以上です。 | ||||
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東山彰良は、心の機微を繊細に表現する事が、とても上手いと思う。作品の空気感は、彼独自のものだし、このレベルの作品をコンスタントに書ける作家は日本にはいないと思う。 | ||||
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やはり、東山彰良はすごい。 現実と過去が折り重なりながら紡がれる物語は、遠い台湾とアメリカを舞台としながらも、 いやというほど切実で、煌めくようなノスタルジーに溢れている。 『ミスティック・リバー』を彷彿とさせる、フーダニット・ミステリという堅牢な建物を、 流麗な言葉で装飾した。 最初の頁から最後まで、読んでいる間じゅう、私は幸せだった。 | ||||
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連続殺人事件からビリーミリガンを思い出させる漫画好きで妄想好きな多重人格者の話でした。 幼少期に子供の感情をあまりにも押さえ込むような躾をしてはならないと聞いたことがありますが、お兄さんの死や友人の関わりなどいろんな面から抑圧され、爆発してしまったような印象を受けました。 子供にも子供の世界がありますし、大人にも大人の世界があります。 いろんな不運も重なり罪を重ね、傷つき壊れてしまったシーンが重くのし掛かってきました。 読んでいくにつれて少しでも軽くしてあげたい気持ちが起こりましたがどうしようもない展開で、虚しさばかり残りました。 | ||||
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目も眩むような友情の輝かしい少年時代と、何かを得るけれど何かを失っていく大人への成長。これは決して相反することでは無く地続きに、永遠に存在していて、世界を敵にまわしても手を離さなければ強く感じる事ができる。 今作はフォーカスもメッセージもはっきりしている。 東山作品らしく『僕ころ』も最後の1ページを閉じたあと前向きに生きる登場人物たちの姿が思い浮かぶ。 やっぱり東山彰良すごいと思わせてくれる、作家としての矜持も垣間見られる傑作。 | ||||
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東山彰良の本は『流』に続いて2冊目。『流』がとても良かったから他の作品も読んでみようかと思ったけど、台湾が舞台の『流』を越える面白さはなかなか無いように思えて読んでなかった。そして出た新刊『僕が殺した人と僕を殺した人』。 現代版、あるいは台湾版のスタンドバイミー。 私自身が台北に住んでいた頃時々訪れていた小南門が舞台で、私が大好きだった植物園でブレイクダンスの練習に明け暮れた少年たち。懐かしさともあいまって、残酷な運命と予想を覆す展開に一気に引き込まれた。 外省人の物語だから、エドワードヤンの『牯嶺街少年殺人事件』と地理的にも空気感も近いんだな、と。 電車の中で読んでいて、あまりにも悲しい少年たちのストーリーに涙が溢れそうになり、顔がゆがんでしまった。 | ||||
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