僕が殺した人と僕を殺した人
- 青春ミステリ (357)
※以下のグループに登録されています。
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点7.50pt |
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この作者さんは、直木賞受賞作の「流」に次いで2作目でしたが、二番煎じという感じは否めませんでした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
2017年に発表された書き下ろし長編小説。連続殺人から物語は始まるのだが、ストーリーの中心は、13歳から14歳へ、子どもから大人に変わりゆく3人の中学生たちの喜びと悩みの物語である。だからといって、分かりやすい成長物語という訳ではない。 | ||||
| ||||
|
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ずっと気になっていた小説。四人の少年たちの経験した夏ということで、「スタンバイミー」と設定は似ていますが、それぞれの歩む道には大きな違いが。作者の文章に引き込まれる力が強く、一気に読めました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
タイトルからミステリーを期待しましたが、ミステリー要素はそれほど深くなく、 むしろ台湾版スタンド・バイ・ミーとして読ませる小説になっています。 台湾に生きる3人の少年たちが、湿度と温度をもった空気の中で、生き生きと描かれています。 まぁ、登場人物の名前とか、読みにくさは最初ありますが、それが気にならなくなっていきます。 時代背景もありますが、少年たちがとにかく逞しい。 日本人の感性とは異なる部分(やたら乱暴)も多々ありますが、生命として弾けるようなまぶしさを放っています。 文章の疾走感が、個人的には好きです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
小川洋子さんの帯の煽りが気になり手に取ったが、読みだすとグイグイ引き込まれて一気に読み終えた。 台湾での少年時代の描写は本当に活き活きしていて頭の中に台湾の雑多な景色が浮かんできて映画を観てるよう。それぞれ影ある家庭環境のもと育まれていく友情はそれだけで十分に一つのストーリーであるが、そこに現代が加わることで更に深みが出ている気がする。 それは、この小説のもう一つの魅力である過去と現在の対比。その対比を際立たせる漢字の使い方と主語の入れ替え。このコントラストを主語の入れ替えを巧みにぼかしながら段階的に切り替えていくことで、どんどん読み進んでしまう流れになっていと思う。こういうパズル的な文章の書き方は推理小説的でもあるかな?と思ったらやっぱりそっち系の作家さんなんですね。 作者は私と同世代かな?出てくるアーティストが全て私のリアルタイムでちょっと楽しかった。一つ難をいうなら引用した小説をネタバレ的に説明するのはちょっとどうかと… あと皆さんご指摘の通り、私もスタンド・バイ・ミーが思い浮かびました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
恥ずかしながら直木賞受賞作の『流』は読んでいません。そっちを本棚の肥やしにして、こちらを先に読んでしまいました。 で、結論ですが、面白かったです。内容が深いし、台湾を舞台にこれだけのものが書けるのはこの著者を置いて他にいないでしょう。 ただ、米国で犯した犯罪については、その直接の理由や動機が最後までよくわかりません。なので、純然たる謎解きのためのミステリー小説として読むのはちょっと違う気がしました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ページを捲る間ももどかしく、『僕が殺した人と僕を殺した人』(東山彰良著、文藝春秋)を一気に読み通してしまいました。 本作品の魅力は、3つにまとめることができます。第1は、ストーリーの運びに緩みがなく、しかも、意外性に満ちた展開がいくつも用意されていること。第2は、途中で語り手が交替したことを読者に気づかせない工夫が凝らされていること。第3は、文体が引き締まっていること。 1984年の台湾・台北での出来事と、2015年のアメリカ・デトロイトでの出来事が時空を超えて絡み合いながら、物語が展開していきます。 「こうして、ぼくたちは共謀して喧嘩の理由をすりかえることに成功したのだった。それは中一の夏休みが終わるほんの二日前のことで、いまふりかえると、ぼくたちの人生はここから大きく狂いはじめたんだ」。 「考えてみれば、一九八四年の夏休み前後の三カ月がぼくとジェイを結びつけた。アメリカへ渡った両親においてきぼりを食ったぼくは、ジェイのおじいさんのかわりに布袋劇(ポウテヒ)をやり、バスケットシューズを万引きし、ブレイクダンスの練習に夢中になり、ジェイにキスをされ、そのせいで殴りあい、また仲直りをした。ジェイはジェイでたった三カ月のあいだにぼくにキスをし、そのせいで殴りあい、師範大学の学生に権力のなんたるかを教わり、その男とキスをし、そして継父に殴られて入院した。アガンだってそうだ。母親が男をつくって家を出、転校し、大好きだった父親は目も当てられないほど落ちぶれ、弟はアガンが殺したいほど憎んでいる男(=継父)にすっかり懐いている。そして、ぼくは十四歳になった」。 2015年冬、少年ばかりを7人も手にかけた連続殺人鬼「サックマン」がデトロイトで逮捕されます。その「サックマン」を、31年前、わたしはよく知っていたのです。 「その静かな視線に射すくめられて、わたしはしばらく動けなかった。記憶にある面影と、あまり変わっていないように思えた。削げ落ちてしまった頬は、二年前の昏睡から目覚めたころのままだった。落ちくぼんだ目に宿る光は曖昧で、長年にわたる投薬とリハビリテーションの限界を感じさせた。長机の上でゆるく組みあわせた両手も、十四歳のころの華奢な印象を留めている。わたしのために獰猛なコブラと戦い、わたしのために間違いを正そうとしたこの手が、アメリカで血に汚れてしまったなんて、にわかには信じられなかった」。 「軽い眩暈を覚えた。時空が水飴みたいにゆがみ、わたしたちがばらばらに歩んできた三十年の歳月が煙のように消え去る。わたしの手首に巻かれているオメガの秒針が止まり、そのかわり一九八五年に止まったまま放っておかれた時間がふたたび動きだす。カチ、カチ、カチ、と音を立てながら」。 期待を裏切らない一冊です。 | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 18件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|