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水中都市・デンドロカカリヤ
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水中都市・デンドロカカリヤの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.11pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全18件 1~18 1/1ページ
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「闖入者(ちんにゅうしゃ)」が、読みごたえがある。 民主主義という戦後日本への「闖入者」への一考察が実に面白く、著者の社会的な事象への深い関心が窺われる。 ” これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが ” ・・・この、ウインストン・チャーチルの言葉と共に味わうべき佳品と評し得よう。 | ||||
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知ってる人が居ないけど、好きな人は好き、レビューとかで本を選んでる人はたどり着かない本かも。 本を選ぶのは、表紙とかタイトルで直観購入するべきだ。 みんなデジタルに洗脳されてきているから気を付けて(笑) | ||||
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短編集です。 | ||||
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安部公房の初期作品は、伝えたいことを表すのではなく、抽象画を文字で描き読者が感じるものが作品の姿なのかもしれない。 しかし、そういった手法は安部の筆が極まった作品でなければ、読者に届くことは難しかったのではないだろうか。 壁ほど無機質な感じではないけれど、燃えつきた地図やカンガルーノートにくらべ、つめたい絵画のような作品が、この本には11作収められている。 | ||||
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著者が20代後半の頃の作品を集めた短編集。同時期に有名な『壁』も発表されており、勢いの良さを感じる。 本書には「闖入者」「プルートーのわな」「鉄砲屋」など、侵略系の作品が多いことが気になった。ブラックユーモアを込めて強者の余裕とずる賢さの表現が非常に巧み。 | ||||
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この書名を長い間誤解していた。デンドロカカリヤという名の水中都市の話かと思っていた。 全然違う。二つの短編のタイトルだった。未読の人は同じ誤解をするのでは。私だけかな。 1949年から52年にかけての作品11篇を収録する。 新潮文庫は同時期の作品をまとめてくれるので、読書の助けになる。この時期は観念的な作品が多く、やや難解だ。 それでも気に入った作品がいくつかある。 『デンドロカカリヤ』はコモン君(普通の人という意味か)が観葉植物になってしまう。 不条理な運命にあらがえない無力感が広がる。 『水中都市』おやじは酔うと魚になる。今いるここは水中なのか。幻想小説の逸品。 『プルートーのわな』イソップ寓話の残酷な現代的変奏曲だ。 『鉄砲屋』馬の目島にやってきた外国人は、鉄砲を大量に売りつけた。雁もどきという鳥が大量に渡ってくるから、撃ち落とせば大儲けできるというのだが。必要もない武器を買わされ、経済が破綻する。言うまでもなくアメリカの対日政策のメタファーだ。驚くべきことに、現代でも状況は変わっていない。 | ||||
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期待を裏切らない安部ワールドです。短編なので、1つ読んで余韻を噛みしめながらだったので、長いこと楽しめました。 | ||||
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安部公房の昭和20年代の短篇集。 デンドロカカリヤ・・・デンドロカカリヤという奇妙な植物に主人公のコモン君が変身してしまうという変な話。 手・・・主人公はかつて伝書鳩だったが、剥製にされ、腐ってしまって燃やされ、「平和の鳩」の像となり、溶解されてその一部が弾丸となり、平和の鳩の像を切った「手」という人間に撃ち込まれるという変な話。 空中楼閣・・・空中楼閣建設事務所の人員募集に惹かれた主人公は、事務所を探す。空中楼閣とは、天候コントロールのための気象台かもしれないし、国家世論統一のための観念的呼称なのかもしれない。 闖入者・・・ある日、狭いアパートにどやどやと家族連れがやってくる。抗おうしても多数決の暴力でことごとく否決され、力でも人数によって押さえつけられる。弁護士に相談に行くと、弁護士の家も闖入家族に襲われている。 など計11篇 | ||||
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少し前から安部公房を何十年ぶりかに再読していて、やはりいいなと思います。 とんでもないところへ連れてゆかれるというか、持ってゆかれるという、この妙な不安感と、 それでいて、しっかりした文体で、比喩や表現が豊かで、言葉の運びが軽妙だから、つい笑ってしまう。 そして、原因と結果の積み合わせの結果で(言葉をかえるならば、ごくごく実存主義的なやり方で) いつのまにか、思いもよらない結末へと導かれてゆく、不安まじりのなんとも言えない快感が好きです。 さて、初期短編集だそうです。いろいろな雑誌に掲載されたものを収録したようです。 短編の作品も全体のプロットや緊張感が長編小説と同じくしっかりしていて、それでいて言葉が簡潔で小気味がいいです。 他のレビューアーも書かれていましたが、読んで一番に感じたのはメタモルフォーゼ(変身)です。 またイソップとか、プルートとか、ギリシャ・ローマ神話や古代西洋古典で見た名称があちらこちらにちりばめられています。 べつにそういう予備知識なしに、現代社会にあてはめて読んでも、遜色はないと思いますが、 こういったテーマの作品ばかりを一冊にまとめた人はえらいと思いました。 ときに難解と言われるようですが、私は好きです。 | ||||
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安部公房は、「完璧な嘘」の構築に命がけだったと言ってもいい。 だが、完璧な嘘など存在するのだろうか。 完璧な嘘をつくろうとする自分は、いったい何者なのか。 こういった逡巡の痕が、『水中都市』にも顔を出す。 主人公の同僚が描いた三枚の絵画。二人の勤務する工場が、水に沈んでいる。 絵画に導かれるように、水中都市と化す世界。主人公に突きつけられる不条理。 「なぜ、こんな目に会うんだ。」 「君が現実を愛しているからさ。」 なんとも印象的な会話である。 この短編集におさめられた作品は、多くが1964年に書かれている。 『砂の女』(1962)と『燃えつきた地図』(1967)執筆の、間隙にあたる。 個人的な意見にすぎないが、 嘘を、嘘として提出するという方法論が、最も強く押し出された時期の作品群ではないだろうか。 設計図がはっきりと見え過ぎる作品は、文学上級者には毛嫌いされる。 だが、嘘としての潔さに見え隠れする、文学的テーマの奥深さには驚嘆せざるを得ないのだ。 ぜひとも、偏見を捨て、読んでみてもらいたい。 公房先生をはじめて読む場合にも、この短編集はもってこいである。 いきなり『箱男』や『密会』を手に取るよりも、これがいい。 長編であれば、『第四間氷期』あたりがいいだろう。 | ||||
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読んだのは云十年前だけど、その時から気味悪い小品として記憶の片隅に あった。民主党政権下で「在日外国人参政権」が実現しようかという状況下、 国民全部が「闖入者」の主人公のような恐怖を味わうことになるかもしれな い。地域によっては、日本人が「多数決」で劣勢になる事態も有り得るから だ。 | ||||
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安部公房の短編集。 全体的に不条理なストーリーが多く、他の小説(「砂の女」や「箱男」など)と比べると結末にも救いがない。また、ストーリーの底に流れる貧しさ、政治的な風刺を伴ったユーモアが強いという特徴を持っている。 たとえば、「資本家」と「労働者」、「富めるもの」と「貧しいもの」、「支配者」と「被支配者」など。寓話を元にしたものもあれば、現実への批判を物語を通して行っているものもある。 ある日突然、一人暮らしの男の部屋にやってきた家族が、さも当然のごとく居座り、「民主主義」を標榜して、すべてを多数決で決めることを「民主的生活」と呼んで家の主を搾取する『闖入者』は、読んでいるだけでも激しいストレスを感じるような迫力がある。 非現実的な物語でありながらも風刺的、それでいてユーモアと文学性を兼ね備えている。他の長編小説と比べると政治的意図が濃いのも、これらの小説が書かれた時代と作者の意図がそこからにじみ出ていて面白い。 | ||||
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「デンドロカカリヤ」。声に出してみるとよく分かるのだが、これらは非常に気持ちいいことばだ。発音の快感、というか。「デンドロカカリヤ」というタイトルをつけられた時点で、うわぁ負けだわ負け。と脊髄反射で敗北を認めそうな勢い。 あとは、「ユープケッチャ」とか「チチンデラヤパナ」だの。ついでに「ドンゴロス」(これは安部の造語ではない)とか。 「水中都市」は海底に変貌する街を描いた小品だが、そこから意味を汲み取ろうとする無駄な努力を放棄するならば、非常に映像的な一級のファンタジーとして迫ってくる。BGMはぜひとも小室等の「雨が空からふれば」で。NHK「みんなのうた」で放映されたサイケデリックなアニメーションとあわせて楽しめば「水中都市」を思い出さずにはいられないことは必至。Youtubeで鑑賞できるはずです。 「闖入者」は後の戯曲『友達』の原型となる短編だが、これは読むのがツラい。なんの救いもない展開もそうだが、説明口調の文体にげんなりさせられる。これが名品『友達』に昇華されるんだから、安部にとって演劇がいかに大きな意味を持ったかが痛感される。それが後期のエンターテイメント性の獲得にもつながるわけで。 そういえば藤子不二雄Bの漫画『魔太郎が来る!』に「闖入者」そっくりなお話がありましたネ。多分影響は大いにあるでしょうネ。 | ||||
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常に人間の存在の意義・曖昧さを問い掛ける作者の初期の短編集。作者特有の寓話性の高い作品が多いが、「メタモルフォセス=人間の存在の危うさの象徴」と捉えている印象を受けた。物語は寓話的なのに、登場人物の視線は舐めるように読者に絡み付く点は常の如く。 タイトル作「デンドロカカリヤ」は人間の植物化をかなり戯画的に扱ったものだし、「手」の主人公は鳩だが、軍用伝書鳩→手品用鳩→剥製→鳩の像→弾丸と変形を繰り返す。そして、変形は"必然"なのだ。「飢えた皮膚」は、飢えた男が有閑女を"皮膚が保護色になる"と脅かす話だが、最後の一頁で作品の解釈を転回させる秀作。二重の意味で変形を扱っている。「詩人の生涯」では、詩人の老母(39歳!)はジャケットに変形するが、極寒の中、息子の身体を包む。そして、詩集が完成すると...又しても二重の変形。そして、もう一つのタイトル作「水中都市」では、音信不通だった主人公の父が魚に変形し、街自身も水に覆われるという異形の世界が、ありふれた物語のように淡々と描かれる。 そんな中、「闖入者」は、主人公のアパートの部屋が突然見知らぬ大家族に乗っ取られるという不条理的冒頭から、民主主義の多数決と無関心が"個"を押し潰す様を戯画的に描いた、作者の作風を代表する秀作。「鉄砲屋」は無垢な島民を、自由主義が席巻する様を皮肉タップリに描いたもの。 「変形」をキーワードに、高度な小説技法で人間の存在の意義を問い掛けた傑作短編集。 | ||||
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シュールです。 私が気に入った作品は比較的シュールじゃない所で「闖入者」で、シュールな好みでいくと「水中都市」でしょうか?中でも1番好きな短編は「飢えた皮膚」です。もしかすると、この短編集の中で最も安部公房臭が低いかもしれませんが、とても気に入りました。あまりにシュールな展開や情景ですと、私の想像力が届かなくて(あくまで受け手の問題です)物語の中に入り込む楽しさは薄れますが、その事が象徴する《何か》を考えてみたくなり、その事について誰かと話してみたくなります。 鳩の銅像というか、それに付随する意識を主人公にしてみたり、コモン君という人物が植物に変身してみたり、とにかく展開も描写も飛び抜けてます。それでいて物語として破綻したりもしていませんし、破綻している様に思えて、何かあるのではないか?と思わせます。何故だか高橋源一郎の「さよなら、ギャングたち」を思い出しました。高橋さんの方が分かり易いけれど、でも初期の源一郎さんも私は好きです。 シュールな絵や、突飛な展開がお好きな方にオススメ致します。 | ||||
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~カフカと比較されることの多い安部公房。確かに日本人離れした発想、人間が植物へ、都市が水の中へ、そして世界が永遠の雪に閉ざされる。しかし明らかな社会批判が読み取れるメッセージ性の高い作品もあれば「飢えた皮膚」の様にまるで人を馬鹿にしたかのような肩すかしのエンディングも用意される。そして何より、「詩人の生涯」の静謐と叙情性。強烈なイメ~~ージと心底からのヒューマニズムを詩的なレベルで融合した、日本文学史上まれに見る名著にして、世界史的な名作とも申せましょう。~ | ||||
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このオムニバスの中に「闖入者」なる小品が描かれていますが、アノ時代、日本は民主主義-と言うか社会主義か?-を国民が謳歌してましたが、そのアンチテーゼとなったのがこの作品。「国民の志が高ければニッポンは良くなる!民主主義バンザイ!」と思い無垢だった中学生の時読んで凄まじい衝撃を受けました。即ち“数の暴力”…。 今の時代も、この静かな“暴力”が鬱々と潜んでいますが、あの時代に日本人の手でこのような作品が描かれたのは刮目すべきでしょう(海外でもこの作品が概ね好評だったような評論を高校時代に読んだような気が)。 | ||||
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ユニークな発想に基づき、実験的な方法で描かれた初期短編11編が収録されています。『水中都市』『デンドロカカリア』などは意味を探らずに、素直に楽しんで読んでください。ほかに『闖入者』等の民主主義を批判する作品など、面白い作品がたくさん収められています。 | ||||
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