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ぼぎわんが、来る
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ぼぎわんが、来るの評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.96pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全196件 41~60 3/10ページ
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| 序盤の文章が子供の日記書きのように〈〜した。〜だった。〉の連続で少し読みづらかったのですが、展開がそこそこ面白かったのでなんとか読み終えられました。 二章目で視点を変えた手法が新鮮でしたが更にダークな展開となったのでこれはもしやバッドエンドで後味の悪いパターンかと思いましたが、三章で解決に向かう展開だったので最後はスッキリ出来ましたね。 ただぼぎわんのイメージがいまいち想像出来なくて怖さがあまり伝わらなかったのが残念でした。〈気づいたら大きな口が目の前に〉て言われても…ん〜?て感じでした。 | ||||
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| 冒頭の祖父とのやり取りが怖かったし、そういうよく分からないホラー要素が最後まで続いて怖かった。ちゃんとホラーしてるホラー小説だった。 | ||||
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| 「リング」以来、久しぶりに一気読みしました。 レビューでは「3部で失速」という意見が多くありましたが、3部も面白かったと思います。 「得たいの知れないものが来る」というホラー的な怖さは1部2部が圧倒的だと思いますが、「本当に怖いのは人間である」という部分が3部に感じました。(わかりにくくはあったけど) 人物の描き方は少し浅い部分もありましたが、そこそこ伏線回収もあり悪くなかったと思います。 シリーズ物だそうなので、次も読みたいと思いました。 | ||||
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| 田原一家を襲う怪物「ぼぎわん」の手練手管がとにかく怖い作品。 特に冒頭にも持ってこられている電話のシーンは後世語り継がれる素晴らしさであろう。ここだけで一読の価値があると言っても過言ではない。 ただ化物のホラー描写が良いだけでなく、化物が付け入る隙となった人の心の隙間の描き方も実に秀逸で、「人の怖さ」も感じることができるストーリーとなっている。長篇ならではのドラマ性が飽きず読みやすい本書の特長の一つである。 そしてある意味メインキャラクターである「ぼぎわん」、その起源についても民俗学的で説得力のある由来があって、それを知ればそれまでなんてことなく思えた台詞、要素が、全て一貫したテーマに繋がっていたのだなと理解できるだろう。私はそれを「親にとっての子、家父長制」そういったものと受け取ったが、それ以外の解釈も考えられる。まだ読んでいない方は、そこを意識して読んでみてほしい。 そうしたミステリ的な要素も楽しめる「ぼぎわんが、来る」だが、ただ一つ惜しい所として、怪物退治のシーン・台詞回しがチープという点がある。 一部の読者はここを指して「ラノベ的」と言うだろう、圧倒的な一人のキャラクターによる怪異調伏は人によって好みが分かれるところと思う。 そういうわけで若干尻すぼみになる本書だが、前・中盤の完成度は大賞の名に恥じぬ傑作であるため、ぜひ読んでほしい。 | ||||
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| 内容もさることながら、ナレーターもすごくよかったです。ぼぎわんの声がかなり不気味で良かった。 | ||||
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| 角川ホラーは昔からチェックしてますが、最近のはあんまり怖くないというか‥怖くなくても面白ければまだ良いと思うけど、って感じのが多い。最近読んだナキメサマよりは面白かったし、怖いとは思わなかったけど良く出来たホラー話とは思った。 そう考えると横溝正史の八つ墓村とかは時代背景もあると思うけど、すごかったなと。もちろん言い回しや会話が古くさいと感じる方もいると思うので、この本なんかは時代に合ったホラー小説として凄いとは思いますけどね。 300何ページも飽きずに展開し続けて伏線も回収するだけでも他の小説に比べれば素晴らしい小説だと思いました。 | ||||
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| 映画があまりにクソすぎてボヤいていた所、友人に原作を薦められて読みました。まったくの別物でとてもイイ作品でした。 読み途中、映画の記憶に引っ張られる事があったので、映画を見る前に読むベキだったと後悔。と言うか映画を観る必要がなかった。 | ||||
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| 「今日も本を読むYouTuber ベルです。」 のぞくぞくする本のお勧めで拝読いたしました。 映像化もされているって聞いて『来る』が思い浮かび、映画は未視聴でしたが面白い! 残穢以来の小説でのホラーでしたが登場人物が少ないものは良いですね。 推理系ホラーは登場人物が多いと内容が入ってこないポンコツです。 内容はタイトルの通りです。 人の闇っていいですね、隣にいたら嫌ですけど。 | ||||
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| すごく良い | ||||
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| お気に入りの作家が帯にコメントをだしていたので読みました。そこからどハマり。 大変読みやすかったです。 | ||||
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| 映画を観て久しぶりに面白かった ので内容が結構違う原作も見たくて 話のもって行き方が結構違うので どっちも面白かったです 最後の戦いが活字では伝わり 難かったですが、映画では はっきりしなかったぼぎわんの 容姿や正体がわかってよかった 琴子は、やはり松たか子の インパクトが強すぎるのと 映画の方が最後の戦いは 流れがよかった 色々、死ぬ人死なない人も 違うしそこでは登場しないなど あるので原作に忠実な映画も みたい、原作どうりなら琴子は 松たか子にはならないだろうし 野崎もムキムキな岡田ではない 好きな韓国映画の監督でも 観てみたいと思った 是非、両方観てもらいたい | ||||
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| 映画を観てから読んだのは正解だった。凄い。 | ||||
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| 文庫を読みました。 初めは良くある設定だけど、ジワジワ恐怖を誘う書き方をされています。怨霊というより妖怪が来ます。個人的には、第一部の喫茶店のシーンから一部の終わりまでが、今まで私が読んだことがない展開で怖い&面白かったです。最後の方は妖怪と戦うアクションです。 | ||||
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| 興味を持ったので原作を読んでみたくて購入しました。普段、ホラー系は怖いから見ないんだけど、 映画がダイナミックで好きだったので。 | ||||
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| 物語は皆様おっしゃる通り序盤は最高、後半のバトルはちょっと笑ってしまう けどまあレビューみてると作者の男性批判がかなり男性読者を苛つかせたみたいで笑ってしまった 作品の中での主張にそんなに苛ついてしまうのはお耳が痛いからじゃない?と邪推しちゃいますね ちょっとでもフェミだとすぐ噛みつくのもちょっとね笑 外面よくて本当はクズなんて普通にあるでしょ 育児やったつもりあるあるも、知識振りかざして机上の正論もうざいだけだし ただし、妻も全然好きではないし、妻だけが正しいようには書かれてないと思うけどね ミスリードな展開はとても良かったけど ただただ化け物が出ても能がないし 相対的には別に暇つぶしにはいいと思いますよ | ||||
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| Amazonで購入していないのにレビューするのもなんですけど。 まぁ、タイトルにある通りです。 低評価落とすにしても、的外れなレビューに不自然なほど「役に立った」がついているように感じたもんで。 (いつも思うけど、役に立ったを押下する人間が実際どんだけ作品に触れたかわかんないのって、つくづくアマゾンレビューの落とし穴よな) さて、まず、今このレビューを書いている私の立場としましては 最近になって今更アマプラで映画版を視聴→試し読み等で漫画版にも触れる(但しあくまで試し読み程度で漫画版は未読了)→本屋で見つけた原作小説を買ってこれまた最近サラッと軽めに読了 …とまぁこんな感じです。 最初に触れたのが、あの、良しにつけ悪しにつけインパクト強めの映画版ですので、感想がそっちに引っ張られるのはご了承ください。 なんて前置きした上で。 本作を端的に評価するならば、ポイントとなる点は三つ。 ・3章仕立てかつ各章ごとに語り手が変わる全体構成の特筆性の是非 ・1章主役、田原秀樹がクズと明らかになってから"人間の怖さ"にフォーカスを寄せていく、恐怖の質の変遷 ・"比嘉姉妹"という飛び道具 以下、順に追っていきましょう。 初めに。各章ごとに語り手が変わる構成についてですが。 ここに関しては、私は巷の"持ち上げ方"が不相応だと考えています。 映像メディアと違って、小説は文字表現故、フィクションながらアクチュアルな登場人物の内面への切り込みが可能です。 特にホラー小説ともなれば、視覚情報によるごまかしがきかないわけですから、登場人物の感じる恐怖をいかに煮詰めて読者に提示できるかは、死活問題なわけです。 その点本作は、恐怖描写がヘタってわけじゃないし、確かに怖いところはちゃんと怖いんですけれど、どうにも「読者と一緒になって恐怖体験をしていた筈の語り手が、その実恐怖の対象でもあった」ってトリックに評価が集約されがちな気がする、という指摘なんです。 著者のインタビューなんかを抜粋したWikipediaの紹介文がわかりやすいですね。 …〜本作では語り手たちのリアクションに重点を置いた描写が徹底されている〜… …〜「"今まで正義だと思っていた人間が、角度を変えてみた時に全くの別人に変わる"という人間の怖さ」を描き〜… 前者に関しては、私が前置きしたホラー小説の鉄則、そのトートロジーみたいなもんですよ。 もちろん、どんな怪奇現象を描くのかってのも重要です。 けど大前提として小説である以上、まして常人と怪奇が対峙するフォーマットなら尚更、恐怖を感じている側の描写に注力するなんてのは、当たり前のことではないかと。 ちょっと感じ悪いですけど、リアクションに重点を置く、何も本作に限った話じゃないというか、そういったホラー小説なんていっぱいあるのでは、なんて思うわけです。 で、後者に至ってはまさに"トリックの"評価で、純粋な"ホラーの"評価なのかと問われれば、疑問符がつく。それを禁じ得ない。 「なんじゃそりゃ、原理主義みたいなこと抜かしやがって」「そのトリックで恐怖を感じてるんだからいいだろ」なんて怒る人もいるかもしれません。自分でも大概老害じみてんなぁとは思います。 されど、こういったところに、昨今のホラーとサスペンスのジャンル分けの粗雑さというか、作り手が"合体"させるならまだしも、批評する側の"混同"を私は感じちゃうわけです。 本作はそのギミック、トリックを抜きにして語るなら、或いはそれを加点するにしても冷静に吟味するなら、手放しに絶賛するのは違うんじゃないかなぁ、というのが、少なからず私の本音です。 …なーんて長ったらしい愚痴を踏まえた上で、ここからようやっと本作を誉めます。 私は本作のトリック、その内容自体は評価しているんです。 "ホラー小説"として採点して然るべき批評家達の、そのトリックへの批評の向け方、扱いに不満があるだけで(わぁめんどくさい) どういうことかといいますと、それがまさしく、本作の肝、その二点目、恐怖の質の変遷についてです。 本作は初め、異質なモノが日常に忍び寄る、つくづく王道な怪奇譚の"てい"を取ります。 いやらしく1章では「恐怖の核は怪異にあるんだよ?」なんて顔して、次章から「いいや、怖いのはいつだって人間だ」なんて迫ってくるわけです。 そういった厭らしさがある。要はその"厭"をどう受け止めるかだと思うんですね。これは正味、賛否両論にもなる。 実際、良質な怪奇"ぼぎわん"を丁寧に描き込んでいるだけに、読者は混乱するわけです。 「え、え、ちょい待って、秀樹クズじゃね?うっわぁ…ひくわぁ…」なんてふうに。 この変遷の振り幅を"失速"と取るか、"転換"と取るかは、個人の感性に委ねられるでしょう。 低評価の理由にもなり得るし、高評価の理由にもなり得るというのが、私的な落とし所。 特に映画版だと、秀樹周りは最初っから「…ん?」と思わせるような映像的演出が顕著で、逆にいえば、原作では彼の異質さに、文字だけの描写故に気づきにくい作りになっているのです。 無論、この描写の制約こそ小説の醍醐味、そこを活かしている点、私はウンウン頷くわけですが。 一応「最初あんだけ『ホラー小説とは』なんて御高説たれてたじゃねぇか!」と突っ込まれるだろうことを鑑みて。 「ホラー小説としては首を傾げるけど、変遷の描写、その卒のなさは評価したい、いやする」というスタンスは、言い訳としてあげておきます。 (そもそも私は一言で本作を友人に勧めろ、と言われたら「ホラー小説じゃないけど面白いよ」なんて勧めるくらいの姿勢ですから) ※以下他レビューへの言及、余談中の余談なので興味ない方は飛ばしてどうぞ※ 身も蓋もないこと書いちゃえば、確かに本作はその毛色を途中で変える、要は作風が変わるタイプの作品なんですが。 それにしたって「フェミニズムガー」はいくらなんでもイチャモンが過ぎるので、ちょっとした苦言。 そも、男性が責められている、男社会が責められている、クズい男を描いてそれをちょっとキツく責めるだけで"フェミニズム"って、ちゃんちゃらおかしいですよ。 どうしてこういう人って、知らない分野に喧嘩を売ろうとするのか。 むしろ ・最終的な中心人物、野崎と真琴のパーソナリティが、結局は「子どもを持つ/持たない」みたいな旧来の家族主義に傾倒し、そのおセンチさでエモを誘おうとする試み。 ・人工中絶をただ恐怖として煽る、昨今の中絶権利獲得の動きに無体で無遠慮な演出。 ・母子家庭の悲叫を描いて尚、男と情事に溺れて沈む、テンプレートな"女寡"。 などなど、フェミニズム的な視点で真面目にみるなら、課題は結構あると思うんですけどね、本作って。 また、より詳細に件のレビューに突っ込ませてもらうなら。 …いや、ザラにいますやん、社会じゃ有能でも家庭だと恐ろしく無能、なんて男。 秀樹が臭わせる奢りや優越感は、現実問題、社会広範に男社会に内在していますし、だからこそ"秀樹の汚点"ではなく"男の汚点"として語られたのでしょう。或いはここら辺は先鋭的かもしれない。 そういう反省に無自覚だから「秀樹を一般化して男性全体を批判」なんてつらつら書けるのでしょう。 唐草(津田)じゃないですけど、鏡を見ろ、ですよ。 もし男性を一般化されて一緒くたに語られることに本当に憤慨できる身なら、同様に女性を一般化して「女ってやつは〜」と宣う流れに抗するフェミニズムを罵るのはおかしいでしょう。 他ならぬ件のレビュアーが、男の醜悪さの端緒を示しているという笑えないそれ。 言い過ぎですかねぇ、けれど、でなきゃフェミニズムが作品を台無しにしゅる!なんてしゅごいこと書けません。 前提としてそのイデオロギーが積み上げてきた歴史を無視しない範囲で、ですが、フェミニズムなんてシンプルに訳せば"男女平等主義"でしかないのに、それが作品を台無しにするって、あなた。 でもこういうこと書けば、いかに的外れでも「とにかくフェミニズムを非難した!」なんて喜んで「役に立った」を押す人がいるんでしょう。あぁ情けなや。 ※余談ここまで※ 最後に。 ここまで、まず私見バリバリに、今現在評価される向きにある本作の構成には懐疑的だと論じました。 次に、どちらかといえば中立的に、作風の変遷を論じました。そんな私ですが。 締めは比嘉姉妹について。 私見バリバリの全開に戻って、今度はかの要素を肯定的に論じて、レビューを終えたいと思います。 比嘉姉妹、または比嘉琴子は、メアリー・スーか否か。 ごほん、また他人のレビューに文句いってアレですけど、そもそもメアリー・スーって二次創作における出過ぎたオリジナルキャラクターを指すので、本作が"原作"である以上、そんなもの誕生する余地がないんですけどげふんげふん。 さておき、いいたいことはわかります。 つまりこの場合指摘されているのは、彼女は"デウス・エクス・マキナ"ではないのか、ということでしょう。 物語を解決する、都合のいい舞台装置になっているのではないか。 尤もな疑問だと思います。 しかして私は、先に言い訳しておいた通り、私見バリバリで答えます。 「いや、でもいいじゃん、国家権力すら手玉に取る最強霊媒師、琴子さん!」 ここに関してはもう、キャラの濃さの大勝利だと考えます!! …いえ、いきなり頭の悪いレビューになって申し訳ありません。 実際、真面目に論じるにしても、彼女は、または比嘉姉妹両名、本作の塩梅のいいスパイスになっていると思います。 1章で恐怖を煽り、2章でまた別の角度から恐怖を煽り、最後の最後で一縷の希望ともいえる怪奇への対抗手段を、派手なキャラでドンとぶち上げる。 これだって立派な演出です。 彼女らが飛び道具である理由は、そのキャラ故に、というより、この後シリーズ化されることで、描写に持続性と可変性を作者の手によって付与された点にこそありましょう。 それはもう確かに、ぶっちゃけズルだといえなくもないのですが、それも含めて"育つ"奥行きは持っている、とも評価できるのです。 或いは、最初に書いたように、この手の演出も確かに手垢のついたものではあり、故に件の比嘉姉妹を非難する人々の意見の肝心要としては、彼女らの人物造形に対しての非難というより、その濃い要素を挟む意義そのものについての疑問なのでしょう。 言葉を借りれば、それこそ「ラノベみたいな」という非難なのだと理解します。 しかして…或いはもっと厳密に小説文学を嗜む人間であれば、その手の"区分け"自体稚拙なものなのでしょうが…ラノベ的で何が悪いのか、という開き直りを、切に返したい私であります。 民俗学風怪奇による恐怖描写→人間の悪意の露呈による恐怖描写→最強女霊媒師登場、事態の解決へ この流れを指して「なんかラノベみたい」と評するまではわかります。わかりますが、その先がない。 なら、そこから先、何が問題なのか。その具体性を欠いたレビューこそが、まさに私がこの駄文をしたためるに至った"納得いかないレビュー"であり、判で押したように「最初はよかった」とだけ宣う半端への反論なのです。 まとめるなら。 ただぼんやりと抽象的なレビューに対しては如何ともし難く、反論するレビューも抽象的になったことは否めません。申し訳なし。 しかして、本作の良い点(興味深い点)、悪い点(世間で推されるほど長所ではない点)は、なんとはなし、羅列できたものと自負します。 後は実際に原作を手に取って読むもよし、漫画を読むもよし、話がもっと長引くからあまり触れなかったけどぶっちゃけ原作なんて及ばないほど"問題作"な映画を観るもよし。 作品に触れてもいないのに「役に立った」 そんな輩、そういないとは信じてますけどね。 まずはこの作品の持つパワー、ケイオスに触れてから、自分なりの具体的な感想を抱いてほしいなぁなんて偉そうな物言いでもって、筆を置かせていただきます。 お付き合いありがとうございました。 | ||||
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| ツイッターでバズり映画を見てこの本を購入。 映画とはだいぶ違いますね。それであっても映画と一緒で人間が一番怖いです。 | ||||
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| 映画を先に観てしまったので、純粋に作品のレビューになってないかも… 映画、相当面白かったです。 とくに小松菜奈と黒木華が良い味出してて、妻夫木聡のダメっぷりも良かった。 この3人の印象が強烈すぎて、読んでてもこの姿が脳裏から離れなかったです。 反対に松たか子は原作との乖離が大きく、完全に別人。 個人的には原作のほうのキャラクターのが好き。 ただ映画のクライマックスを飾る「そこまでやる?」というシーンが原作になくがっかり。 あの迫力を文字でどう描くのか気になってたので。 続編に出てくるシーンなのかなあ。 総じて面白かったので、続きも読んでみようかな、とは思ってます。 | ||||
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| ※ネタバレを多分に含みます 私は映画の「来る」を視聴後、元になったこちらを読みました。映画の来るは色々と説明不足なところがあり、映像の派手さと展開の壮大さで押し切ろうとしていた感じがありました。そのもやもやしたところが小説なら説明してくれるのでは……?と購入したところ、正解でした。映画では明かされなかったなぜぼぎわんが”来る”ことになったのか、その経緯を知ることができました。まぁその話に移る前に、やっぱり媒体が違うと面白さのポイントも変化するんだな、って思いました。映画では父の秀樹がイクメンアピールすることに必死で、その実育児をしている自分が好きという事実が序盤から分かっていました。しかし小説では章の終り頃に明かされるので、それまで読んでいた読者たちは驚かされます。こういった「えっ!?マジで!?」みたいな読書体験がそこらに散りばめられているのでぼぎわんが、来るはめっちゃ面白いです。 さて、自分が謎に思っていたぼぎわんはなぜ田原家にきたのか、という点なんですが、これは彼の祖母に起因しています。祖母は配偶者である夫、秀樹の祖父に暴力を振るわれていました。時代が時代、ということもあり、祖母はそんな祖父の暴力を我慢していましたが、あまりに行き過ぎた暴力は娘と息子を殺すにまで至ります。さすがに我が子を殺された祖母は我慢の限界がきて”魔導符”という本来とは逆の効力を発揮するお守りを使い、ぼぎわんを招き入れます。秀樹の家にぼぎわんがきたのはこうした経緯がありました。ちなみに祖父はぼぎわんと会ったことはあったようですがたぶん老衰で死んでいます。ですが祖母はぼぎわんに殺されています。 次に私が気になったのはそもそもぼぎわんは何でお山に人を連れていくのか、という点です。少し話はズレますが、少し昔の田舎では天候が悪いと不作の為餓死してしまう人がでました。それを未然に防ぐための方策として口減らしという手段がありました。呼びかけに答えるだけで人を連れていってくれる、姥捨て山のように山へ連れていくこともないので口減らしにはちょうどいい方法だったんですね。昔の田舎の農村とぼぎわんの間には奇妙な共存関係があったそうです。話はさらに脱線しますが、苦渋の決断でお山に行かせた親たちは、かの子らの幸福を願いその山を「こだから山」と名付けたそうです。話を戻しますが、ぼぎわんはなぜ人をお山に呼び込むのか、という点ですが、これは自分を増やすためです。人間は本能で子供を産み育て、次の時代に繋げますが、ぼぎわんも同様に次なるぼぎわんを産むために子供を食らうんですね。ぼぎわんが子供を食らうと、その子供が徐々にぼぎわん化するそうです。祖母、秀樹、香奈が襲われた後も惨劇が続いたのは”子供ではないからぼぎわんを産めない”という理由があったからなんですね。 しかしまぁ……ここまで論理的にオバケやら妖怪の正体を明かしてくれるってありがたいことです。しかも分かりやすく、それでいてエンターテインメントに富んだ謎解きをしてくれるんですからホラー大賞も頷けますね。映画だけでなく、小説も読めて本当によかったです。素晴らしい読書体験でした。 | ||||
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| 以下、ネタバレしています。 「ぼぎわん」は大きく分けて2つあると思う。 1つ目の「ぼぎわん」は、飢えた捨て子たち。 江戸時代以前からある石碑に「こたから」と書いてあったように 作中で言及されている通り、貧困や飢饉から子捨てがあった。 捨てられた子ども達の魂が集まって「ぼぎわん」になった。 「ぼぎわん」の正体が口だけであり、すぐ噛み付くのも飢えに関係あると思う。 作中での推察によると、「ぼぎわん」という音は、 宣教師の到来と共に伝わった「ブギーマン」が転訛したのではないかということ。 「ちがつり」は何かというと「Trick or Treat」ではという考察がネット上にあった。 字面はかなり違うが、ネイティブ発音なら「トゥカットゥリ」という感じでかなり近い。 家の戸の前で食べ物をねだるのだから、やはり飢えた子どものイメージにつながる。 ち=血、つり=吊りで不穏な連想をするように意図したのではないか。 ハロウィンで考えると、ケルト民族のドルイド教では10月31日にsamhain祭りがある。 samhainは、サウィンまたはサムハインなので「さむい」「さむわん」に通じる。 ハロウィンに子ども達が変装するのもブギーマンを模しているらしいので (近代の話ではあるが) この物語の裏テーマがハロウィンであることは可能性が高いと思う。 2つ目の「ぼぎわん」は、DV・児童虐待の被害者の苦しみが呼ぶ。 銀次が妻子を虐待し、少なくとも長女を殺し、長男の交通事故死の原因にもなっていた。 子宝温泉で香奈が目撃した、全身が火傷と痣だらけの女性。 秀樹が香奈に対しモラハラ夫であり、知紗も「パパは怖い匂いがするから嫌い」と言ったこと。 銀次が殺した長女も家具の角に頭をぶつけたのが死因だが 知沙も秀樹といるときに、テーブルの角に頭をぶつけ大怪我をしている。 銀次が子ども二人を死に至らしめたのは、飢饉や貧困ゆえではない。 妻や次女(秀樹の母)にも暴力を振るっており、 憂さ晴らし・支配欲・強者と弱者の確認のようなDV・児童虐待で、 理由がある飢饉や貧困ゆえの口減らしより、よほど恐ろしいとも言える。 銀次のせいで妻が銀次を魔導符で呪っていたから 秀樹は幼い頃から、2つ目の「ぼぎわん」に目をつけられていた。 香奈が秀樹を憎んだことで「ぼぎわん」を東京まで招いてしまったのだ。 現代社会に生きる私たちが恐るべきは、この2つ目の「ぼぎわん」だ。 エンディングから考えると、知沙の中には「ぼぎわん」が眠っており 将来、知沙や知沙の子がDV・児童虐待に遭ってしまった時に目覚めるのだろう。 | ||||
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