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(短編集)
道化師の蝶
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道化師の蝶の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.30pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全73件 1~20 1/4ページ
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風景描写とややアロバティックな設定に感心した。 今度は、長編を読みたい。 翻訳されやすそうな作家と感じた。 | ||||
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選考委員の皆さんが本作を難しいとおっしゃる・・・。 発表当時、流行していたいわゆる『ループもの』の中でも、本作は美しく、良質。そしてとてもわかりやすい。はっきり言って簡単な方である。 選考委員の高名なる文士の方々は『STEINS;GATE』とか『魔法少女まどか☆マギカ』とか『涼宮ハルヒの憂鬱』とか見ないんだろうなぁ〜と思わず苦笑い。 | ||||
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筋を負えない、訳のわからない書。著者がもと物理系のポスドクで、研究費をもらえなくなって廃業して小説家に転じたという背景を考えると、本書は「アイデアを捕まえる事」に対する恨みつらみがテーマであるように思える。「アイデア」はどこから来るのか、いつ来るのか、どうすれば捕まえられるのか全くわからないものである。本書では「アイデア」を捕まえるためにまず「捕虫網」を作る。これはポスドクたちが今やっている研究を暗示する。今の研究からつぎのアイデアを捕まえなければならない。しかし道化の蝶を捕まえてもそれだけでは「アイデア」は生まれない。道化の蝶のオスとメスが出会ってポスドクの頭に卵を産まなければならないのである。それほど「アイデアを捕まえる」とは難しく、偶然性が強いものである、と著者は嘆いているのであろう。本書はポスドクという現代社会が生んだ階層の苦悩を描いたもので、「アイデア」の枯渇というものが多くの人々の悩みでもあることから、まさに文学といえるものであろう。 | ||||
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この作品はまさに著者の脳の働きを具現化したもの。 壊れたパソコンがただひたすらに脈絡のない文章を出力したかのような作品。 論理が破綻していようがいまいがそんなことにお構いはしないし、そもそも普段から他人の心とは接点もない。 普段から世の中に理解されない自分の脳が織りなす澱のようなものを言葉の選択でカモフラージュして何か意味があるように思わせ、他人が理解に苦しんでいるのを独り陰でほくそ笑んでいる。 いくら様々なものを揃えていても、備えていても、正しい使い方が分からないのであれば人の世で何の役にも立たないし、誰の救いにもならない。 人の心を揺さぶるのが文学であるとすればこれも文学と言えるのかもしれないが、選者も含め少々性根が悪すぎる。 | ||||
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空想と現実、過去と未来を行き来しながら、書物またその成り立ちを描写している作品?世界観が高度すぎて正直よくわからなかった | ||||
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『道化師の蝶』(円城塔著、講談社文庫)は、従来の小説の枠から大きく逸脱した作品だが、私には面白く読めました。 作品に負けず劣らず面白いのは、芥川賞選考委員たちの選評です。この作品の異端ぶりがよく分かるからです。Kは、「作品の中にはいって行くのが誠に難しい作品だった」、もう一人のKは、「日常の言葉では語り難いことを、どうにか日常の言葉で語ろうとしつづけているこの作者の作品は、読むことも大変に困難です」、Tは、「(受賞に一票を投じたのは)決して断じて、この作品を理解したからではない」、Mは、「私には読み取れない何かがある」と語り、Iに至っては、「こうした言葉の綾とりみたいなできの悪いゲームに付き合わされる読者は気の毒というよりない。こんな一人よがりの作品がどれほどの読者に小説なる読みものとしてまかり通るかははなはだ疑わしい」と辛辣です。一方、好意的なのは、Yの、「この小説の向こうに、知的好奇心を刺激する興味深い世界が広がっているのが、はっきりと解る」、Oの、「描かれた着想の一つ一つはどれも、『銀線細工の技法』により織られた網で捕獲したもののように、魅惑的だった」、Sの、「(妄想小説と括れる本作は)そこまで『わからん』作品ではない。こういう『やり過ぎ』を歓迎する度量がなければ、日本文学には身辺雑記とエンタメしか残らない。いや、この作品だって、コストパフォーマンスの高いエンタメに仕上がっている」と、明らかに少数派に止まっています。 こういう賛否両論が巻き起こったことを知り、著者の円城塔は、にんまりとほくそ笑んでいるのではないでしょうか。 希代の多言語作家、友幸友幸の小説『猫の下で読むに限る』を翻訳した「わたし」は、A・A・エイブラムス私設記念館に雇われて、「生年不明。生地不明。世界各地を転々とし、現在のところ生死不明」の友幸友幸の追跡調査を任務とする多くのエージェント(人員)の一人だが、「A・A・エイブラムス私設記念館は、ただ網を振り回し捕獲物を郵送せよとエージェントに求める他は一切の説明を行わず、業務は個人の意思に任せると扉を閉て切っている。・・・(エージェントの)募集要項は英国諜報機関よろしく堂々と公表されている。必須事項の欄を埋めて古式ゆかしく郵送すると、捕虫網が一つ送られてくる。わたしの場合は、千米ドルと、捕まえたものを送れというぶっきら棒な指令書も添えられてきた」。銀線細工の技法で織られた小さな銀色の捕虫網は、着想を捕まえるためのものなのです。私がここまで書いてきたことが本当に正しいのか、自信がなくなってしまいました。 何人もの「わたし」が登場し、時と場所と状況が瞬時に入れ替わり、物語の展開は行き当たりばったりで、いったいどこに辿り着くのやら――というはちゃめちゃぶりです。こういう読み手を翻弄する小説が存在してもいいのでは、と私は考えています。 | ||||
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楽しめばいいんです。文学だ、なにか高尚なことが書いてあるんだ、と騙されることなく。 エクリチュール論だの、言語論であり、フィクション論だのといった島田雅彦さん達の言葉を真にうけてはいけません。賢く見られたいつまらない見栄からの言葉、あるいは小説に対して怠け者になった老人をだますための言葉にすぎません。 そもそも、「論」というのは明示的に「なになにはこれこれである」と主張して、それを誰にでも理解可能なように提示するべきもので、それはこの小説から一番遠いものなんじゃないでしょうか? だからといって、「詩的な言葉、美しい文章が不思議なイメージをつくっていて、理解できないけど楽しい」という、身に沁みない楽しみかたにこだわる必要もありません。わたしには、この小説の言葉は「詩からはとても遠い」という気がするのです。一つ一つの言葉は結構具体的な対象を具体的な狙いを持って選択されているということです。一文一文が本当に軽い。これは現代のニッポン文学の特徴だし、この作品も例外ではないと。 たとえば、V章の最後のあたりに「鋼鉄製の鳥が飛ぶのへ引き寄せられる」とか、訳の分からない箇所がでてきて「もうダメ」とか思いかけたけど、これって単に「飛行機」のことでしょ。この類、この程度のことしか文章のレベルではやってない。構造のレヴェルは結構入り組んでいるぶん、文章のもつ情報は負荷を下げているんだとここで気づいたんです。 本作が芥川賞受賞作でなく、ジャンル作家の作品で「2011 ベスト本格ミステリー10」に収録されていたなら「ああ、入り組んだ倒叙もんだ」とおもって、ここまで「わからない、わからない、なにかすごいことが書いてある」とはならずに、デヴィット・リンチの「マルホランドドライブ」や「ツインピークス」みたいに接するんじゃないですか?そうやって楽しめばいいんです。少なくとも私はそう楽しみました。 手掛かりとしては、明確な章立て(章毎の導入部が非常に大事)があるので、この章ごとの「わたし」って誰だろう?から始めてみればいいんじゃないでしょうか。その「わたし」と措定される人物は、エイブラムス同様に性別なんかも固定していないけれど、日本語が「繰り返し語られ直すエピソードが、互いに食い違いを見せるたび、文法の方が変化していく言語(IV章)」でない以上そのその都度必ずやヒント、言及がなされていて「フェアな態度で晦渋」に書いてあります(円城さんが目指しておられるだろう作家R.A.ラファティ、彼の長編の晦渋ぶり(ジョークのキレも)はこんなもんじゃありません)。 作家ナボコフ(たまたまこの小説に登場しますが、それはクスグリです。わからなくても全然問題ない。つまるところこの作家にはクスグリしかないのです。浅薄な知識・見識を糊塗するために難解な外見を装う。それを「かろみ」と受けれない狭量な態度はいけません)の文学講義でいう「よき読者」に必要とされるの以下の四つです。 7 読者は想像力をもたなければならない。 8 読者は記憶力をもたなければならない。 9 読者は辞書をもたなければならない。 10 読者はなんらかの芸術的センスをもっていなければならない。 入り組んでいで記憶、想像しにくければメモ、ノートをとり、分からないことがあれば調べるんです(台所ではなく辞書で!)。そうやって注意深く文章を追い、無矛盾(なんらかの統一性)が実現するよう何度も行ったり来たり、仮説をたて、ひっくり返され、また新たな鍵を見つけることを愉しむんです。たとえ、芥川賞の選考委員である石原慎太郎先生や、黒井先生がそうしていなかったとしても。良き読者となってみるんです。そんな風に手間をかけて楽しでどうしていけないんでしょう?ゲームなら時間をかけてレヴェルをあげ、地図を書くことを厭わないのに。 「既に見てきたように、『猫の下で読むに限る』から数学的な内容を読み取ることはできそうになく(II章)」とあるのは、この作品が文芸誌の読者を想定していて(おそらく芥川賞候補にあがることを強く意識して)、今作は数学・物理なしで楽しめますよというサジェスチョンだと思えます。多くのひと(愉しみには少しばかりの手間はまあ付き物だと考える)に言葉と観念だけでこれだけ楽しめるんですよと示してみせたちょっとした作品(おそらくこの作家の最良の部分ではない)だと思う次第です。そして、「なんらかの統一性」に「書くこと(読むことよりも)のなんたるか」を据えてみるのも読む人の楽しみ方のひとつ、自由だとも。 | ||||
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非常に魅力があり大変満足しています。次作に期待しています。良かったです。 | ||||
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この小説家は「円城塔」という名前に込められた意味ですでに完成していて、そのなぞ解きを作品が超えることがない。 小説とは高等な「嘘」なのだが「架空」とは違うはず。 | ||||
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円城塔作品としては異例の読み易さにまず驚いた。ひょっとしてまさか普通の小説なのかと言う疑問が浮かんだが、そんな事はなく、やはりいつもの内容が理解出来ない円城塔だった。ただし、何となく具体的な映像が頭に浮かび何かを理解出来そうであり、遊びめいた言葉の使用が洗練されて美しく、読み手に対して優しい感じはした。連作2篇のうち「松ノ枝の記」の方がより一層とっつき易いと思う。 あえて想像するなら、この作品は円城塔が芥川賞を狙って書いたのではないかと思う。ハードなSFらしさをオブウラートに包み、一見叙情的な美しい言葉でより読み易く受け入れられるように書いているのだ。だが彼の作品の本質は変わらず、通常の小説のように何らかの意味ある内容を求めると理解不能となってしまう。恐らく難解な現代詩とか抽象絵画を鑑賞するつもりで読むといいのである。 | ||||
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最初にお断りしておきますが、私はこの作品をAudibleで2倍速で聞いただけですので、この作品の正当な鑑賞をしたとはいえないと思います。その上での感想です。 最初にこの作品にどう向き合えばよいのかと戸惑っているうちに、何となくその枠組みができかけると、すぐにそれが崩され、また言葉を脳におさめるための枠組みを模索していると、また反転させられる。という具合に言葉の奔流に最後まで弄ばれる。作家の創作過程における無意識のうちの妄想を、何とか意識化し文字化したという印象。 少なくとも私は、こういう作品は初めてなので新鮮に感じたし、なるほど、作品を創作する際にこういう方法もあるのだと着想の独創性に感心しました。 脈略のない夢を見る面白さはあるが、ストーリーとしては全く面白くはない。 両立するのは難しいし作品としてどのようなバランスがよいのかわからないが、作者は前者の面白さを実験し追求しようとしているのかも知れない。 | ||||
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友人に勧められて買いました。不思議な読書感を味わいました。おもしろかったです。 | ||||
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知的ぶって分かったふりをしなければいけない、そんな本です。 相対性理論が分かるというのと同じようなものです。 上辺で理解した気になるのは簡単だし多くの人が「理解している」というだろうけど本当に理解している人は極少数でちゃんと向き合った人だけだということです。 でもこの本は雰囲気を味わったり文節によってはなるほどと思わせてくれたりしますが、楽しい物語があるわけではないので意味がわからないから読み返そうと思わせない本です。 この本を一度で理解できる人は物書きやそれを目指している人、毎月数冊読む人など文章にちゃんと向き合っている人に限られると思います。 何度も読んで理解しようと努める人は相対性理論と同じで難解とか分からないという人よりも賢いと思われたい人や難しさを楽しめる人に限られます。 残りのほとんどの人は理解できないか、理解しているふりをすることになります。 この本自体の読み方を本文で解説していることと誰の視点に変わったかを意識することで少しは読みやすくなるかもしれません。 ちなみに私のこの本の感想は「なんだこれ」です。 隙間時間に少しずつ読んだことと視点が変わって混乱しても読み進めれば分かると曖昧なまま読んだ結果です。後半になると分かりやすくなるので、そこから思い返して作者の意図を読むことで後から勝手に解釈をして(読み返す気になるような物語ではないので)気持ち悪さを持ったまま読み終えてしまいました。 ようするに先入観なく簡単に読んではいけない本です。 逆に難しいという先入観をもって意識してしっかりと読むと楽しめる本だと思います。 | ||||
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この作者普通の書き手ではない。 とりあえず分かりそうで分からない。 いや分からないようで分かりそうでもある。 そんなかゆいところに手が届きそうで届かない、 いや届いてないようで届いているような絶妙な感じ。 感想すらなんとも堂々めぐりになってしまうが、 それがまたこの人の狙いどころなのかもしれない。 でもひとつ言えるのは、新しい。 小説が飽和している現在、 新しいというのはただそれだけで素晴らしいことだと思う。 | ||||
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どういう話かというあらすじを説明することは困難だし、またその意味もないでしょう。 奇人変人たちを語り部に、特殊な状況下で読む本の考案や、様々な実験小説などネタは十分に楽しめますが、主題はおそらく「読むという行為」そのものです。本書の読みにくさをネタにするなど人を食った態度も特徴です。 | ||||
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芥川賞ということで楽しみに読んだのですが、言葉の羅列、私には難しかったです | ||||
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そもそも作者が、わかりやすいものは書かないぞと決心しているような文章である。私には主語が具体的に何を指しているのかすらほとんどわからない。述語は一応文法の形をなしているが、意味にならないというか、わざと矛盾させているように見える。 シュールレアリズムの人たちがやっていた遊びに、数人の人がそれぞれ別個に主語、動詞、形容詞、目的語、副詞などを書いて合わせた一文にすると不思議な文章ができる、というのがある。要するに言葉遊びなのだが、それが延々と繋がるとこうなるのかも知れない。短編なら面白いかもしれないが、これは私には長すぎた。 | ||||
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個人的には、非常に脳を揺さぶられる感があり、とても楽しめた。 時空を飛んで、鏡の中を行き来するようなそんな錯覚を覚えるような、話の展開。 年に一冊くらいこんな本に巡り合えたらどんなにか楽しいか。 良作だと思いました。 | ||||
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表題作が芥川賞受賞作品ということで読んでみた。本書は表題作を含む2作品からなる。円城塔の作品は、わざと主題にからむことを省略することで、読者にいろいろ考えてもらおうとしているのではないかと感じた。もしそうだとしたら、読者に教養を提供しているのかもしれないが、読みにくくなっているのも事実。慣れれば作者の意図を理解しやすくなるのだろうが、理解する前に挫折するケースも多いと思う。読み手を限定してしまうのは少し残念ではある。 以下、個別の作品の感想。 ◎道化師の蝶 不思議な物語。きちんと理解したわけではないので私個人の解釈であるが、“わたし”が、様々な視点だったり人物というかオブジェクトになるので、なかなかわかりづらい。例えるなら、宇宙から地球を見ていたのが、視点がぐっと日本に近づき、東京の街を歩いている人が見え、その人の体内に忍び込むかのように“わたし”が動いているようだ。そのようなズームインとズームアウトを繰り返しながら日本と米国を往復するかのような動きも加わった感じがする。私の書いていることをわけが分からないと思うだろうが、わけが分からないのを表現したのだから、わけが分からないのは仕方がないと思う。と同時に、このわけが分からないレビューを読んで共感している人もいらっしゃると思う。また、蝶は“わたし”であり、“わたし”が追っているもの(対象)でもある。存在が確定していない蝶ではあるが、それが“わたし”の正体なのだと思った。 ◎松ノ枝の記 こちらはまだ読みやすい。表題作と比較してのことではあるけれど。私と、私が訳した作品の作者、私とやり取りする彼女の存在を整理できれば、この作品を楽しめると思う。主題は別のところにあるのかもしれないが、私の読解力で分かったのはこの程度。もっと精進が必要だと思いました。 | ||||
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ストーリーを楽しもうと読み始めると裏切られる。 世界観と雰囲気を味わう作品。 | ||||
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