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(短編集)
道化師の蝶
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道化師の蝶の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.30pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全25件 1~20 1/2ページ
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筋を負えない、訳のわからない書。著者がもと物理系のポスドクで、研究費をもらえなくなって廃業して小説家に転じたという背景を考えると、本書は「アイデアを捕まえる事」に対する恨みつらみがテーマであるように思える。「アイデア」はどこから来るのか、いつ来るのか、どうすれば捕まえられるのか全くわからないものである。本書では「アイデア」を捕まえるためにまず「捕虫網」を作る。これはポスドクたちが今やっている研究を暗示する。今の研究からつぎのアイデアを捕まえなければならない。しかし道化の蝶を捕まえてもそれだけでは「アイデア」は生まれない。道化の蝶のオスとメスが出会ってポスドクの頭に卵を産まなければならないのである。それほど「アイデアを捕まえる」とは難しく、偶然性が強いものである、と著者は嘆いているのであろう。本書はポスドクという現代社会が生んだ階層の苦悩を描いたもので、「アイデア」の枯渇というものが多くの人々の悩みでもあることから、まさに文学といえるものであろう。 | ||||
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最初にお断りしておきますが、私はこの作品をAudibleで2倍速で聞いただけですので、この作品の正当な鑑賞をしたとはいえないと思います。その上での感想です。 最初にこの作品にどう向き合えばよいのかと戸惑っているうちに、何となくその枠組みができかけると、すぐにそれが崩され、また言葉を脳におさめるための枠組みを模索していると、また反転させられる。という具合に言葉の奔流に最後まで弄ばれる。作家の創作過程における無意識のうちの妄想を、何とか意識化し文字化したという印象。 少なくとも私は、こういう作品は初めてなので新鮮に感じたし、なるほど、作品を創作する際にこういう方法もあるのだと着想の独創性に感心しました。 脈略のない夢を見る面白さはあるが、ストーリーとしては全く面白くはない。 両立するのは難しいし作品としてどのようなバランスがよいのかわからないが、作者は前者の面白さを実験し追求しようとしているのかも知れない。 | ||||
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知的ぶって分かったふりをしなければいけない、そんな本です。 相対性理論が分かるというのと同じようなものです。 上辺で理解した気になるのは簡単だし多くの人が「理解している」というだろうけど本当に理解している人は極少数でちゃんと向き合った人だけだということです。 でもこの本は雰囲気を味わったり文節によってはなるほどと思わせてくれたりしますが、楽しい物語があるわけではないので意味がわからないから読み返そうと思わせない本です。 この本を一度で理解できる人は物書きやそれを目指している人、毎月数冊読む人など文章にちゃんと向き合っている人に限られると思います。 何度も読んで理解しようと努める人は相対性理論と同じで難解とか分からないという人よりも賢いと思われたい人や難しさを楽しめる人に限られます。 残りのほとんどの人は理解できないか、理解しているふりをすることになります。 この本自体の読み方を本文で解説していることと誰の視点に変わったかを意識することで少しは読みやすくなるかもしれません。 ちなみに私のこの本の感想は「なんだこれ」です。 隙間時間に少しずつ読んだことと視点が変わって混乱しても読み進めれば分かると曖昧なまま読んだ結果です。後半になると分かりやすくなるので、そこから思い返して作者の意図を読むことで後から勝手に解釈をして(読み返す気になるような物語ではないので)気持ち悪さを持ったまま読み終えてしまいました。 ようするに先入観なく簡単に読んではいけない本です。 逆に難しいという先入観をもって意識してしっかりと読むと楽しめる本だと思います。 | ||||
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どういう話かというあらすじを説明することは困難だし、またその意味もないでしょう。 奇人変人たちを語り部に、特殊な状況下で読む本の考案や、様々な実験小説などネタは十分に楽しめますが、主題はおそらく「読むという行為」そのものです。本書の読みにくさをネタにするなど人を食った態度も特徴です。 | ||||
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正直、表題だけなら星1つでいいと思う。 理解はできるし、話はわかるけど、こうしたいわゆるストーリーじゃない小説は好きじゃない。 いちようストーリーはあるけど、同時に一種の研究書のようなテイストの小説は私はまったく肌が合わない。 だから、読んでいるあいだは辛かった。 でも、もう一遍の『松ノ枝の記』は面白かった。 謎を追いかけたいった先にあった真実は思いがけないことで、そういう症候群があるのかと素直に驚き面白い。 だから星3つの価値は、むしろ『松ノ枝の記』のほうにある。 | ||||
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やはり賞をとった作品だけに、それなりの作品ではありました。 まずまずかな。 | ||||
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自分的には・・・オススメはいたしません。 この世界観にハマれる方がいらっしゃるのかは?ですが、それは読んで判断するしかないことなので・・・ | ||||
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『道化師の蝶』 寓意(アレゴリー)表現の解釈は、畢竟、読み手の如何に委ねられようというものです。 そして本作が現代の寓話であるとするならば、そこには現時のスリリングな諸課題が、 皮肉と諧謔に包めてたっぷりと含意されているに違いないのです。 (その幾つかの解釈には、出来た気もします) 道化師の蝶とは、ナボコフのドローイングの引用であるとのことで、 さまざまの理解を裏付けるための教養も試されてしまいます。 この作品がしかしこの時代を超えて、 どこまで通用するかは疑わしいように感じます。 | ||||
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この本、というより著者の作品は、読みやすい文章がない。 まるで外国文学を翻訳して日本語に無い言葉を それに近い言葉で無理に当てはめて書いたような印象。 この本がよく例えられている絵画に例えれば、文章は表現技法に例えられると思う。 この本はアブストラクトで描かれているように感じた。 いつも花の具象画を見てる人が、モダンアートの花の絵を見るような、 そんなわかりづらさを与える文章。 そして、その花にあたる、絵のモチーフは本・文章。 ここに読みづらさの理由・仕掛けがあるように思う。 内容には、前述の読みづらい文章までも内包した世界だという仕掛けがある。 読み手は絵の技術=文章力ではなく、モチーフによって引き込まれる。 今まで読んだ事の無い世界が広がっている不思議な世界。 文章が読み解き辛くとも、その面白さは変わらない。 つまり、モチーフにしている具象そのものは素晴らしいセンスで選び抜かれていると思う。 けれど、いかんせん、アブストラクトを普段見慣れない人間にとっては、 いかに素晴らしい世界がひろがっていようと、それは霧がかってはっきりとしない。 好んで見ないものにとっては苦痛ですらあるかもしれない。 私は少ない色、線で描いているのに、叙情的で説得力のある素晴らしい水墨画を知っている。 同じように、どこにでもある言葉、誰もが使ったことのある言葉だけで、 人々を新しい世界や感覚へ旅させることができる文章や本があるのを知っている。 私にとってこの本はモチーフは好きだが、手法が好きではない絵と同じ。 著者が書き方を好んで書いているのか、それともこうしか書けないのかは分からない。 が、そこが私にとっては、とても惜しい作品。 | ||||
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頭の中の観念を言葉にしてみると、考えていたものと違ってくる。あるいは、聞き手や読み手に伝わる内容が違ってくる。そういう言語表現の限界について著者が考えたことを、やや無理やり小説にしたような印象だ。 小論文やエッセイとして書いても読まれないから、あえて前衛小説の仮面をかぶせたように思える。もし同じことを考えた有名人がいれば、エッセイでも(少なくとも固定ファン層には)読まれるから、あえて小説にはしなかっただろう。 話の筋を完全に理解しようと思うと、おそらく疲れる。急な場面展開があるが、あまり気にせず先へ進んだ方がいいと思う。斜め読みのつもりで読んでも、それなりに収穫のある本ではある。 ところで「飛行機の中で本が読めない」という(おそらく著者の)悩みには、非常に共感する。私は深層意識の部分で緊張していることが原因と考えるが、物理学専攻の著者の考察が(作家だから当然だが)文系的すぎて面白い。 ただし、飛行機の中に乗客の着想が舞っているというイメージには反対。あんな狭い空間に縛り付けられて、たいした発想が得られるはずがない。だからカントら哲学者は机上ではなく歩きながら思考したわけで、私は詳しくないが脳科学では身体的運動が脳活動を活発にすることが定説のはず。 | ||||
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ボルヘス好きな人なら、許容範囲です。 | ||||
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芥川賞受賞作を手に取ったのだから、文学をしたい、と思っている。しかも何かと話題の今回の受賞作だ。主人公はアメリカ人の実業家、エイブラムスか、いや、エイブラムスは作家の友幸友幸を追跡した人物なんだけれどもその姿を友幸が描く小説世界に押し込めたのか、つまりこの小説は二層構造のバーチャル世界なのか、しかも使用者の殆どいない人工言語で描かれた(ことになっている)・・・と、この辺までは理解できる。 文学というのは情緒の世界だと私は思っているし、大抵の方も言葉は違えどそう言ってくださると思う。主人公は友幸友幸か、と狙いを定め、彼の情緒を読み取ってと行こうとするのだが、主人公は蝶のようにひらりひらりと浮遊を続け、一向につかまえどころがない。ここに至り、文学したいと思っていた私は頭を抱えてしまう。 そう、これは所謂文学じゃないんだ。自分はいま美術館めぐりをしている。そこに何か意味を持つらしい幾何学模様とか、難解な曼荼羅とかがあって・・・これは字句の芸術なのか、と選評の助けも借りて理解していく。あえて自分に引き寄せて理解しようとすれば、高校時代の数学の問題のようなものか。 A4サイズのドリルの1ページに、簡潔に書かれた問題が一つ。その問題の回答を導くために私は何行も記述していく。そしてある日、同級生のドリルに妙に既視感のある回答を見つける。問題が回答に結びつくまでに自分の脳が経験した高揚感、自分らしくぶっきらぼうに記載した回答プロセスを丸写ししたらしい同級生のおかしさ・・・。 多分、同級生は何もおかしくなく、数学を苦痛に思っていたのだろう。それと同じように、円城さんの高度な言葉遊びについていけなければ、なんだこれは、という感想しか残らない。私もどちらかというと、今回は同級生に近い。しかし、芸術的な浮遊を紡ぎながら高揚しているであろう円城さんのことは、ちょっと垣間見たつもりになれた。 | ||||
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私は、文芸春秋で本作を読んだので、同時収録されている作品は読んでいないので純粋なこの本のレビューではないかもしれません。 が、読み終わった後、何かしら残るものを感じたので、ここに書きます。 はっきり言うと、5分の1も理解せずに読破してしまいました。 しかし、理解は出来なかったのですが、何か、ほんわかとこの作品の発している香りは嗅いだ様な気がします。 単純に「良い」とか「悪い」、「面白い」、「つまらない」という二分化で評価できない作品なのです。 私は、今まで芥川賞受賞作を50作以上は読んでいるのですが、大体以下の分類に分けられます。 単純に面白かったもの。 単純につまらなかったもの。 普通なもの。 不愉快なもの。 意味不明なもの。 意味不明だけど、何か感じるもの。 意味不明で、かつ、不愉快なもの。 ・・・こんなもんでしょうか。 それで、本作「道化師の蝶」は、意味不明だけど、何か感じるもの・・・でした。 実は、このカテゴリーに入る小説と言うのは滅多にありません。 何で、意味も分かってないのに、何かを感じるのだ・・・と、言われれば、僕自身、返せる言葉が少ないですし・・・。 ただ、あくまで私個人は、この作品に今までの小説とは違う「何か」を感じたのも事実です。 人間と言うのは、矛盾した生き物です。 嫌いなんだけど、何か心のどこかで気になっていたり、好きなんだけど、冷たい態度を取ったり・・・対象は様々でしょうが、こういうアンヴィバレンツな感情をもった経験は誰でも一度はあるのではないでしょうか。 いわば、一種の二律背反的な解釈が成立する小説・・・それが、この「道化師の蝶」という作品なのです。 一つ一つの言語をパズルのピースみたいに当てはめていく・・・、そんな作業をしながら、組み合わせてみたら、いままで見たことも無いような小説、もしくは絵ができた・・・。 そんな感じで、言語を本来の意味の情報の伝達ではなく、新製品を作るみたいに、パーツとして考えていく・・・そんな小説のあり方もありだな、と、感じさせてくれる小説でした。 一度読んだら、充分な小説もありますが、この小説はそういう類の小説ではなさそうです。 つまり、評価の星3つと言うのも、4つになる可能性もあるし、5つにも6にも7にも100にも10000にもなる可能性があるのです。(時には1にもなるかもしれません・・・) 読み手の解釈で広がりが出てくる小説と言えるでしょう。 | ||||
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この小説のほんとうの値打ちは、やたら肩入れして「死んでいながら生きている猫を描こうとしている画期的小説!?」などと無闇に意気込んでいる川上弘美選手よりも、著者本人がいちばんよく分かっているのではないでしょうか。まあ世間がらあらあと騒ぎたてるような代物でないことは間違いありません。 私はともかく途中で居眠りはせずに最後まで紙上に乾いた視線を晒すだけの義理は果たしましたが、これは新しい文学的感興がむくむくと湧き起こるような瞬間は、ただの一度もありませんでした。 小説に因る人世の方法的制覇を目指して夢中で書いている本ご人はきっと楽しいのでしょうが、その醍醐味は架空の新種アルレキヌス・アルレキヌスよりも、春になれば郷里の里山に優雅に舞い飛ぶ超現実種のルエホドルフィア・ジャポニカを偏愛する私のような蝶保守的古典文学マニアをてんで満足させてくれはしませんでしたね。 文体やあらすじがどうのこうのと評しても意味がないので書きませんが、この醒めた唐人の寝言のような奇妙な日本語列を反芻していると、なぜか最近は誰も聴かなくなってしまったいにしえの現代音楽のことが思い出されてきました。 実際本作品には初めて12音音楽に挑んだかのシェーンベルクの懐かしい響きが聴こえてきますし、同時に芥川賞を受賞した田中選手の作品では新ウイーン学派の無調やノイズミュージックの乱入も散見されます。先駆する中原昌也の革命的な実験作も含めて、鴎外、漱石、芥川、荷風、谷崎、太宰、三島、大江、村上の正統派に反旗を翻そうとする「平成現代文学」がおそまきながら産声を上げようとしているのでしょうか。 | ||||
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好きと嫌いの二択しかない作品です まあまあ好きかも。なんてことはなくて、好きな人はハッキリと好きだと言えるし、嫌いな人は嫌いだとキッパリ言います 普段純文学に触れる機会が少ないためか最初の方は内容が理解出来ませんでした 何を言いたいのか、何を伝えたいのか 只とつとつと文字をなぞるだけ ひたすら「わたし」の語りが続きます 特に二章は会話も少なく、言語に関する論文や研究書を読んでいる錯覚を覚えました 三章の友幸友幸(おそらく)の記憶語りから面白くなってきて無心で読み進めました 所々聞き慣れない表現で疑問符を浮かべたりもしましたが面白かったです そこまでモチベーションが保てないと、つまらない作品と思ってしまうかとおもわれます 抽象的で曖昧かつ最後まで濁した表現なので、最後をハッキリとさせたい、どういうことなのか読了後にスッキリさせたいと思う人には向きません 友幸友幸とは記憶に寄生する蝶の名前の一つでA・A・エイブラムス氏が言うところの「着想」というのがこの蝶ってことなのでしょうか? ハッキリ出来ず、私はもやもやが残りました | ||||
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何の予備知識無しに一読してみたが、あまりの掴みどころのなさに面食らった。 言葉が複雑かつ、巧妙に絡みあっていて、難解な文章はどこか無機質だが美しく、まるで言葉で表す幾何学模様のようだ。 下手に理知的な頭で読むと混乱してきて先に進まない。 前衛的な絵画を見たり、現代音楽を聴いている感覚に似ている。 それこそが正に帯に書かれるような「現代言語表現の最前線!」だということなのだろう。 文学的に優れている作品であることに変わりはないのだが、純粋に物語を楽しむような種類の本ではなかったようだ。 | ||||
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どんな小説か、と訊ねられれば言葉につまる。どんなストーリーか、読んだそばから、折々のシーンのそれぞれの関連を忘れてしまっていた。 難解さがまた自分のような理解力のない人間にとって小説の総体をつかみにくく感じさせる その要素がこの作品の魅力でもあるのだろうけれど。 乱暴に単純に言えば、言葉についての考察を小説のかたちにまとめている本である 観念的と一言に言い切れない具体性はある はじめの数頁読んだとき、これ、小説なのか?という思いが何度かよぎった 自分はこういう小説には出会ったことが少ないので、良い(というかほんとに奇妙な)体験ができたと思う し 言葉がどうなりたち、どう発酵していき、どう伝わっていくか、などということを考える必要性をあまり感じなかった自分にとって興味深い内容だった 良くも悪くも教科書を丸暗記したような小説の結構ではないので、そういう本に惹かれる方は一読してみては | ||||
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話題の田中氏の作品より、実は芥川賞らしい作品だと思いました。 着想をつかまえて事業へ展開できることが事業家の技であるというくだりは、 現代日本がグローバルするさなかへの日本企業や政治家への課題のようにも思えました。 経済が冷え込むととかく着想をつかむ網を持った人がいなくなり、保守的になることが ありますが、そんなときにこの小説が選ばれたことは、月並みながら時代が彼の小説を欲しているのだと思います。 しかしながら、トモユキトモユキを探し続ける話は、いささか長くなりすぎ、中だるみ感を 受けました。 それと、手芸話は、作者の趣味らしいですが、 いまひとつ、共感できないかな? | ||||
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前半はすごく興味深く読んだ。 読みやすい文体と安部公房のような独特の世界観。 けれど、読み終わったあと、何も掴めなかった。 世界観は好きだが、ただでさえの独特な雰囲気、それに重ねたあえて不親切な展開。 なかなかうまく飲み込めず、私には消化できなかった。 こういう小説を面白いといえば、格好が良さそうなものだが、わからないものはわからないので正直にわからないと書く。 | ||||
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一言で言えば、非常に観念的で難解な作品です。 逆に言えば、だからこそ「芥川賞」なのかも知れません。 全体を通して、「言葉」「書くこと」を哲学的に突き詰めようとしているように思えます。 その哲学的なものを、ユーモアを交えながら書いているので、その瞬間、瞬間は非常に楽しく読むことが出来ます。 でも、結局、何を読んだのか解らない。 ですから、「難解」の一言です。 | ||||
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