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(短編集)

道化師の蝶



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【この小説が収録されている参考書籍】
道化師の蝶
道化師の蝶 (講談社文庫)

道化師の蝶の評価: 3.30/5点 レビュー 73件。 Eランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.30pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全73件 21~40 2/4ページ
No.53:
(5pt)

とってもきれいでロマンティックな小説!! とか書いたらいかにも陳腐!!!

表題作だけ読んでこれを書きだしてしまってはほんとうはいけないのかもしれないけれど、なによりきれいでうつくしくって感動的で。芥川賞の銓衡会で授賞が決まりそうになって退席し、のちに退任した石原慎太郎の最後っ屁のような会見も印象的だったけれど、ほんとうにほんとうにほんとうに、とろけちゃうようにうっとりしちゃう良質な小説ではないか。文章だって読みやすくってリズミカル。逆にこれがむつかしいわからないで務まるほどの銓衡委員など願いさげだし、なによりはっきりいってどこもむつかしいところはないしよくわかる作品なのに、この程度で難解だ読者を考えてないとのたまうアマゾンのレビュアーなんかは読書に向いてないんだと思う。いっそ本なんか読まなきゃいいのに。荒唐無稽なところなんてひとつもなくて、ちゃんと読めばどういう作品だったのか、なにも評論家きどりで解説しようなんてしなくてもあらすじくらいは説明できるし、よっぽどこれくらいのことがわからないような人間ばかりが量産されていく日本の国語教育にはあきれかえってしまうわけだけれど、作家先生からして無能なのでなにを嘆いたっていまさらなのだ。これのひとつまえに読んだ小島信夫の短篇『馬 または政治』のほうがわけのわからなさでいったら勝っているのに、これだって新潮文庫ほかに収録されて、初期の代表作になっているわけだし、この五十年で日本人の読解力が相対的にさがったのかしら、なんてのはまったくの見当違いで、もちろん小島信夫の短篇にケチをつけた批評家だっていたのだし、それこそむつかしいわからないと投げた読者だっていただろう。とはいえ文章が読めない馬鹿でもレビューを書きこめるアマゾンがあるかないかは大きくて、それによって変な先入観でも抱かれてしまったら著者にしてみればやるせないだろう。ただほんとうに、これがわからないといわれちゃ、書いている当人からしたらほんと、せつないくらい虚しくなっちゃって書くということが馬鹿馬鹿しくなっちゃうんじゃないだろうか。
道化師の蝶Amazon書評・レビュー:道化師の蝶より
4062175614
No.52:
(3pt)

好きじゃないけど、『松ノ枝の記』は嫌いじゃい

正直、表題だけなら星1つでいいと思う。 理解はできるし、話はわかるけど、こうしたいわゆるストーリーじゃない小説は好きじゃない。 いちようストーリーはあるけど、同時に一種の研究書のようなテイストの小説は私はまったく肌が合わない。 だから、読んでいるあいだは辛かった。 でも、もう一遍の『松ノ枝の記』は面白かった。 謎を追いかけたいった先にあった真実は思いがけないことで、そういう症候群があるのかと素直に驚き面白い。 だから星3つの価値は、むしろ『松ノ枝の記』のほうにある。
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4062175614
No.51:
(1pt)

小説というよりはポエム

です。 いかにも文藝とか芥川賞って感じの作品です。 結局何? というのが今の感想。 SFのデビュー作のほうが斬新で良かったですし、 あの作品は心に引っかかります。 でも、 小説家なら、難解というのを売りにするはやめてほしいし 難解なのをありがたがる読者も馬鹿だと思う。 ちゃんと理解できないので、私自身が読者としては適してないのでしょう。
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4062930072
No.50:
(1pt)

興味湧かず・・

買ってはみたものの全く興味湧かず1ページも開いていません。 受賞作と言うだけで衝動買いして後悔!
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4062175614
No.49:
(4pt)

言語の迷宮へ

蝶に始まり蝶に収斂していく、美しい物語である。 芥川賞なぞ取ってしまっているので、いささか不安だったが、読み始めると いつもの円城塔で安心した。 円城塔作品としては比較的わかりやすい部類に入るので、入門書として読んでみるのもいいかもしれない
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4062175614
No.48:
(4pt)

言葉を巡る物語

芥川賞を受賞した作品だけあって難解です。 ですがこの本に収録されている2編が言葉を巡ると言うテーマを理解した後に、 再読するとまるでパズルのピースが埋まっていくかのような不思議な魅力に気がつきます。 解説でもあげているように、まるで自分も登場人物の一人になった気持ちです。 ですがテーマが難解ですので万人にはオススメは出来ませんが、 あらすじなどに惹かれた方は是非とも手にとっていただきたい。 そんな不思議な魅力に満ち溢れている作品です。
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4062930072
No.47:
(5pt)

文庫になっていない作品の文庫化を!!

文庫になっていない作品の文庫化を!! ☆評価・・。 取り急ぎ・・文庫になっていない作品の文庫化を!!
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4062930072
No.46:
(5pt)

コメント

道化師の蝶、松の枝の記のどちらもとても楽しかった。 松の枝の記で自分も文章を書こうと思った。
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No.45:
(4pt)

表紙が綺麗

あまり小説を読みませんが、表紙が奇麗だったので買いました。 前のページの内容もすぐにあやふやになる私には、なんというか刹那的に読めて良かったと思います。 文章が美しいとか知的とか面白味があるかと言うと少し物足りないんですが、 でも自由というかふわふわして何でもありで結構楽しかったです。 深く何も考えずに読んだので、たぶん本当の楽しみ方はしてませんが、、。
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No.44:
(3pt)

芥川賞だけに

やはり賞をとった作品だけに、それなりの作品ではありました。 まずまずかな。
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No.43:
(3pt)

評価は分かれる作品

自分的には・・・オススメはいたしません。 この世界観にハマれる方がいらっしゃるのかは?ですが、それは読んで判断するしかないことなので・・・
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No.42:
(3pt)

道化師の寓意

『道化師の蝶』 寓意(アレゴリー)表現の解釈は、畢竟、読み手の如何に委ねられようというものです。 そして本作が現代の寓話であるとするならば、そこには現時のスリリングな諸課題が、 皮肉と諧謔に包めてたっぷりと含意されているに違いないのです。 (その幾つかの解釈には、出来た気もします) 道化師の蝶とは、ナボコフのドローイングの引用であるとのことで、 さまざまの理解を裏付けるための教養も試されてしまいます。 この作品がしかしこの時代を超えて、 どこまで通用するかは疑わしいように感じます。
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No.41:
(4pt)

かぎりなく「自分濃度が薄い小説」

「不機嫌メガネ男子」との異名を図らずも勝ち取った
田中慎弥さんの芥川受賞作品『共喰い』を読むために

文藝春秋3月号をそもそも買ったのである。

でも序盤のほうで、町や川の描写を読み続けるのに
飽きてしまい読むのを放棄してしまった。

純文学が好きと言いながら、描写にあまり関心がない(自分がんばれよ)。
話自体は好きだから、そのうち読む。

で、
すっかり手をつけずに放置しているのも
もったいないから、今頃になって、もう一人の芥川受賞者、
円城氏の『道化師の蝶』をなんとなく読んでみた。

私がいままで(おもに日陰で)生きてきた中で
言えることは、

自分にとっての良い発見はいつも
自分の興味の範囲外に転がっているということだ。

思っていたよりずっと興味深い小説で、食い入るように読んだ。

最初は
「言語のナンタラをナンタラしてある、とにかく専門的で難解な実験小説」
との噂を聞いていたので敬遠していた。

そんなものは高尚な弁論を得意とする教養人同志が
土下座する庶民の頭を踏んづけながら
楽しく読むのが正しいと思っていた。

(そして、そんな庶民様の土下座している足の指をお拭きするのが
私をはじめとする奈落底の住民である)

学問的な解釈で納得するのは難しいとしても、
文体がわかりやすいので、
とりあえず何が書いてあるかはわかる。

要は、
非常に多くの言語を会得し、その言語で書いた文章を残しては
次の町へと姿をくらますある小説家の
行方と素性を探るという内容だ。

この小説には「わたし」が複数出てくる。

観念的なことではなく、実際に章ごとに違う人物が「わたし」と交代して語るのだが、
よくある「語り手バトンタッチ制」小説とは異なる点がある。

その「わたし」たちは、登場人物の誰かであることは間違いないのだが、
わざわざ名前を名乗らないし、
まるで「まったく名乗る必要もない」というように淡々と話を進める。

だからといえど、神視点と呼ばれる、ただの出来事俯瞰文章でもない。

その人物がつけた「記録」の集合といえば一番近いだろう。

軟弱精神嫌悪家でおなじみの石原東京都知事さまは
この小説を「一人よがりで、読まされる読者がかわいそう」と評していたが、

少なくとも近年食傷ぎみとされる「軟弱ボクチン」パターンの小説ではない。

かぎりなく「自分濃度が薄い小説」といえる。
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4062175614
No.40:
(2pt)

ネタバレ全開でいきます。

まず、読みにくい。
章をまたぐごとに主役が交代するのだけど、一人称がすべて『わたし』なうえ、2章の出だしが『さてこそ以上』などという意味不明の連語(作者自身もあとでそう言っている)なので、交代がわかりずらい。
その他、登場人物が男から女になったり、蝶になったり、外国の作家であったり。
予備知識なしで読むと、随所で立ち止まることになるのは当然だろう。
特に、エイブラム氏が女に変わるという部分、これが『道化師の蝶』のスタンスを強く表しているだろう。
なぜ、性別が変わったのか?
答えは『別に、登場人物の性別が変わってもいいではないか。性別が変わらないものだと、誰が決めた?』という事だろう。
こうやって、わかりやすく煙に巻くことで、あとの細かいことは全部『別に理由はない。そうだから、そうなのだ』というゴリ押しが可能になる。
友幸友幸が蝶だった、というオチは、まあいいと思う。
だけど、なぜ友幸友幸が外国で織物を習っていたのか?
受付をしていたのか?
こういった部分に、深い意味がないのだろう。
おそらく、『着想を捕まえる網』だから『編み物』という、アミという部分が共通しているだけのことだ。
様々な所で、必然性のない出来事が起こるけど、それらは別に深い意味などないだろう。
友幸友幸という名前、なぜロリータの主人公と似せているのか?
それも、ナボコフ(ロリータの作者)が蝶にはまっていたから、というだけの事だろう。

『その地で書いた文章を、その地でしか読み返せぬように』などのセリフ、一見すれば『ほほお、一流の作家の考えっぽいなあ』などと思う人もいるかもしれないけど、そんな人はいない。
円城塔氏も、そんな感覚はないだろう。
適当に、それっぽいことを書いてみただけ。
この作品に出てくる『着想を捕まえる』という話題は、すべてが現実の思考とはかけ離れた、『それっぽい』だけの会話なのだ。
あー、わかるわかる、と共感できる人などいないだろう。
想像上のクリエイティブだから、クリエイティブではない人には魅力的な会話に見えるのかもしれない。
芥川賞の選考委員の顔ぶれを考えれば、円城塔氏の狙いはあながち上手いのかも。

私自身、この小説の感想として

''1、一見、意味不明に見えて
''2、読みこめば深い味わいが出てくるように思えて
''3、実は何も中身はない

という結論に至った。

ようするに、登場人物が着想(蝶)を捕まえるという会話をしていて、登場人物の1人が実は着想そのものだった、というだけの話。
それ以上でも以下でもない。
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4062175614
No.39:
(1pt)

村上春樹を思い切り下手糞にしたような作品

この物語をどう説明していいかもまったくわからない 私の頭のレベルが低く作家のレベルの高いのだろう・・・ よほど文学を読みこなせるだけの自信がある人だけに購入をおススメします 私個人は最初から最後まで何が何だかサッパリ意味不明だった・・・ ある意味利己的な自分の世界を、あれだけ読みやすく、しかも面白く書く村上春樹は天才だと感じたくらいだね この本を読み終えた感想は・・・
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No.38:
(2pt)

難解な作品

作家は何を目的に作品を創り出すのだろう。読者は何を求めて作品を手にするのだろう。小説は芸術作品であると同時にエンターテインメントでもある。読者は何時間かをその作品に費やし何がしかの感想を記憶の中に加える。毎年新人に送られる芥川賞は、これからの日本文学を担うであろう作家の作品にあたえられることから、読書好きの私の楽しみのひとつである。
しかしながら、私はこの作品を最後まで読むことができなかった。物語を追跡できないのである。文章が単純に連続しているだけで、主題が読み取れないのである。学生の下手な日本語訳を読んでいるような錯覚さえおぼえる。確かにこのような文体形式の作品は新しいのかもしれない。私を含む普通の読者には難しい。次のページを繰るのが楽しくて仕方がない物語が読みたかった。
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No.37:
(5pt)

文学賞も捨てたもんじゃないな。

タイトルから想起される通り、胡蝶の夢とか、バタフライ・エフェクトを小説のモチーフにしてみました、といった掌編。
個人的には視点が滑らかに移り変わっていく語りのトリックから、エッシャーの騙し絵を連想した。

本作はデビュー作の『Self-Reference engine』あたりに比べればわりとシンプルな構成で読みやすいと思う。
まぁ、結末で謎解きがされるとか、オープン・エンディングでいくつかの解釈ができるという類のリーダブルな小説ではないけれども。

一応謎の作家を追跡するというプロットの軸らしきものはあるが、閉じた円環というかウロボロスの蛇が連なって尻尾を飲み込んでゆくような仕掛けになっているので、ストーリーの起承転結を追えばいいという読み方には馴染まないだろう。
作者のくり出す語り=騙りの詐術に翻弄され、様々なイメージの連なり(架空の蝶・スパイス・刺繍・言葉・数式)の美しさに酔いしれる、そんな読み方で楽しめばいいと思う。

本作が一種の言語遊戯だというのはその通りだが、それを楽しめるかどうかはあくまで読み手の側の問題かと思う。
「衒学的で鼻持ちならない文章だ」式の評価が出てくるのは止むを得ないにしても、円城氏が小説という表現の可能性を存分に使い尽くすだけの技量の持ち主であるのは間違いないだろう。

たしか円城氏はインタビューで「純文学リーグ向けにはいくらか平易に書くように意識している」主旨のことを言っていたように記憶しているが、それでも本作が芥川賞をとったのは快挙だと思う。正直なところ、これまで芥川賞の選考に関心を持ったことはほとんどなく、優れた作品がきちんと評価されるような仕組みではないと感じていた。今回の受賞で、芥川賞を少しは見直してもいいかという気にさせられた。

ご本人は作品が難解といわれることに当惑気味のようだが、SFにせよ純文学にせよ既存のジャンル小説の枠に収まりにくい作風なので、芥川賞作家になったとはいっても、広く人気を博すような書き手にはならないだろうと思っていた。ところが新作の『屍者の帝国』は20万部突破だそうで、一気にメジャーになったのには驚いた。盟友であった故伊藤計劃の遺作を引き継いだという経緯も関係あるのだろうが、珍しくかなり直球のSFだとか。その気になればエンタテインメントの枠組み内でも書けるということか? 今のところ未読なので、非常に楽しみにしている。
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No.36:
(3pt)

言葉の迷路

この本、というより著者の作品は、読みやすい文章がない。
まるで外国文学を翻訳して日本語に無い言葉を
それに近い言葉で無理に当てはめて書いたような印象。

この本がよく例えられている絵画に例えれば、文章は表現技法に例えられると思う。
この本はアブストラクトで描かれているように感じた。
いつも花の具象画を見てる人が、モダンアートの花の絵を見るような、
そんなわかりづらさを与える文章。

そして、その花にあたる、絵のモチーフは本・文章。
ここに読みづらさの理由・仕掛けがあるように思う。
内容には、前述の読みづらい文章までも内包した世界だという仕掛けがある。
読み手は絵の技術=文章力ではなく、モチーフによって引き込まれる。
今まで読んだ事の無い世界が広がっている不思議な世界。
文章が読み解き辛くとも、その面白さは変わらない。
つまり、モチーフにしている具象そのものは素晴らしいセンスで選び抜かれていると思う。

けれど、いかんせん、アブストラクトを普段見慣れない人間にとっては、
いかに素晴らしい世界がひろがっていようと、それは霧がかってはっきりとしない。
好んで見ないものにとっては苦痛ですらあるかもしれない。

私は少ない色、線で描いているのに、叙情的で説得力のある素晴らしい水墨画を知っている。
同じように、どこにでもある言葉、誰もが使ったことのある言葉だけで、
人々を新しい世界や感覚へ旅させることができる文章や本があるのを知っている。

私にとってこの本はモチーフは好きだが、手法が好きではない絵と同じ。
著者が書き方を好んで書いているのか、それともこうしか書けないのかは分からない。
が、そこが私にとっては、とても惜しい作品。
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No.35:
(4pt)

Fabula de scribendo fabulas? 小説を書くことについての小説?

レビューの長さの関係上、とりあえず、この場では表題作の「道化師の蝶」について述べることにする。
この作品、ストーリー/プロットやテーマ性などにおける小説の約束事に対する問題意識の故なのか、
それらにはかなり捻りが加えられていて、それが難解さにもつながっているが、
かといって純粋な言葉の遊戯に自閉している訳でもない。
むしろ「言葉」と「概念・事物」との関係性がテーマとして設定してあり、
それに基づいて作品全体が極めて明確な構成意識によって周到に構成されている。
加えてそのテーマが「作家が作品を書く行為」にもリンクしていくメタ作品、という趣もある。
ストーリー自体は一応、「冒頭の作品内小説の作者は誰か?」という、
まさにストーリー展開の原動力として要請された謎を追求する形で進む。

さて、物質的な網で架空の蝶を捕まえて経済的成功を企むという作品内小説の筋は、
文学に対する資本主義的発想の、いかにも意地の悪いパロディのという印象があるが、
言葉の網で、言葉になる前の着想・インスピレーション、という蝶を捕まえる、という営み自体は、
架空の物語を編む物書きのみならず、真実の把握を試みる学者にも、それから
言葉にならない感情を表現したいと悩むごく一般の人間にもごく自然にあてはまることだろう。
さて、ここで作品の重要な主題として現れるのは、以下の疑問だ。
「どんな言葉なら、確かな、真なる着想を捕えることができるのだろう?」
それは、書き手が随意に振る舞えて、「思うところをそのまま表現できる」理想的人工言語なのか。
いやいや、言葉以前のものを理想的な状態で捕まえるとかそういう問題ではなくて、
むしろ土地や歴史に根ざした自然言語の模様をなぞり、
言葉のテクスチュアを織る行為そのもののなかで、
着想の卵は孵化し、やがて蝶へと羽化するのだろうか。
とはいえ、固有の自然やら文化やらの堆積をくぐりながら模様を追う作業は時に重苦しい。
作品内小説の作者と目される『友幸友幸』もその不自由さは折に触れて吐露していて、
だからこそ、彼女はひとつ所には長く留まらず、放浪のうちに生を送るようだ。
しかしその土地土地それぞれが持つ匂いの多彩さ、
テクスチュアに用いる技法や模様の種類の恐ろしいほどの豊穣を楽しんでいるようでもある。
ただしその多様さは、決して一つの真なる模様に収斂せしめられようとはしないし、
真なるものに近づくための前提となる経験の蓄積というプロセスとか
記憶というものを、はなから問題にしていない。
だから当然ながら彼女は日々作りだす文字の連なりに執着することも、
それが文学作品と呼ばれるかどうかも顧慮せず、
いわんや経済的なサイクルに乗っかるかどうかを期待することもない。
しかし彼女は、少なくとも蝶を求める者にとっては、
金の恵みをもたらす蝶と同様に探索すべき対象であるようだ。

移動と変化と忘却を人生とする彼女は、しかし誰とめぐりあうことを望むのだろうか。
それが叶ったとするなら、そのときは蝶が繁殖するような時なのか。

「作者の意図」などというものをこの種の作品から穿鑿するのは、
それこそ作者の仕掛けた罠に進んで嵌まりに行くようなものだが、
それでもこの点につき少々思いを致すならば、
思考・概念・感性などの普遍性よりは個別性・固有性を志向し、しかも常にそれを越境移動し続けることを
作家の宿命として提示するとともに、
小説家の作為・人為じたいを自虐的に皮肉っている、ということになるのだろうか。

ともあれ、テーマと噛み合った形で非常に精緻に組み立てられた作品であり、
抑制された文体にもまさに玲瓏たる風骨が感じられた点、これらはすなおに評価したい。
ただ、「言語と事物」の関係性という問題を、このような高踏的な手法で表現するのも一つの方法ではあるが、
それをもっと現実のに生きる人々の切実さとリンクさせて読者の心に響かせることができたはず、とも思う。
これはもはや個人的好みの領域ではあるが、
「言語」という、哲学的理論的対象として扱うことができる一方で
我々一人一人が個別の人生を背負った「自分」として成立するという事態にもダイレクトに関わる問題を、
どこまでも思弁的な装いのもとに展開させてしまったことはやはり勿体ないと感じられ、若干憾みが残る。
ここまでを記すにあたって、「小説」なる一ジャンル名を用いて本作品を呼称するのにどうも逡巡させられたのも、
その辺りが一因のようである。(よって星4つ)

★                                 ★

  (以下、作品の結末に関わる記述があるので注意)

★                                 ★

それにしても、そもそもあの小説を書いたのは、以前その言語を用いる「国」にいた彼女自身なのか、
時と世界を自由に行き来できるらしい「男」なのか、
あるいは、堅固なものに固着し、小説の作者を仮構することで
翻訳者の立場におさまろうとしたのかもしれないエージェントなのか、という問いは、
それが作品内世界の中に生まれ落ちることになった理由や動機とともに、結局開かれたままのようだ。
ただともかくも、この小説を介して人工言語の荒涼たる森に導かれた友幸友幸は、
この罠ともいえる世界でも見事に手仕事をやってのける。
それは蝶を捕まえる網でありながら、
実質的に蝶を捕獲状態から解放し、誰にも捕まえなどさせないことを運命づけるもの。

彼女が「第一の網」を制作したことで、
「現実世界」を微妙にずらしつつトレースした無活用ラテン語の言語世界に包含される作品内小説の世界でも混乱が生じ、
益体もない人工物の蝶で溢れかえる結果になっていたのだけれど、
その網が作中終盤、作品内小説が再度語りなおされる場面にて
少々捕獲能力に劣る網にすり替えられることで、そうした混乱状態の発生は食い止められ、
その世界に孤独に閉じ込められたほんものの蝶も、雄にめぐり会い繁殖できた模様である。
この実り少ない世界でも、新たな着想が生じ、文字として現実化するようになるのかもしれない。
このすり替えは、A氏が蝶を決して捕えられないにもかかわらず永遠の探索を続ける、
という呪いの発動をもまた意味すると思われるのだが。
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4062175614
No.34:
(4pt)

偶然性の問題

道化師の蝶だけでのレビューになりますが、個人的にはこの作品は神話=言葉が
生成される、その偶然性をひたすらに扱ったような小説だと思いました。
もちろんここで言う生成とは、
完成など無くてひたすらその過程の中にいるというような作中の台詞が指すように、
素材の集まりやコードの置換、変換、人称性の薄れ、音の連なりや意味の消失など
様々な事象が幾度となくほつれたり、
また再び縫いあげられたりという終わりの無いうねりのことだと思います。
ラストの方に挿入されたいくつもの蝶が粉々にされるシーンは、
そうした偶然性が人為によってすり減り、
輝きを失ってしまうような瞬間を示唆しているようにも思えました。
この本についてボルヘス的という意見を何度か見ましたが、
この本を読んだときにはやはり現代思想的、もっと言えば記号論的に作られ、
寓話化された世界観という印象を受けました。
そういう意味では幻想小説に近いのだろうかと思いますが、
わたし自身SFは恥ずかしながらあまり読まないので、
著者がSF畑の人だと言われても正直この作品だけではよくわかりませんでした。
また、数学的という言葉については、私自身全くに暗い分野ですので、
この小説が、そうした考え方で成り立っているのかどうかは全く判断がつきません。
そうした点はともかくとして、個人的には芥川賞にふさわしい小説だと思いますが、
個人的には同じ論考をするならばアサッテの人のように、
内面に入りこむような小説の方が好きなので私の嗜好とは少し合いませんでした。
道化師の蝶Amazon書評・レビュー:道化師の蝶より
4062175614

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