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坂の途中の家
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坂の途中の家の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.72pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全90件 61~80 4/5ページ
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| これまでの角田光代の作品、「空中庭園」「対岸の彼女」「八日目の蝉」などに出てくる主人公というのは、至って普通そうに見えるが、しかし実は大きな問題と違う価値観を孕んでいる人たち。今回の作品はそれを更に具体化し、私たちに疑問を投げかけてくる、とても考えさせられる作品でした。 多くの人が、対岸の彼女や八日目の蝉を始め、今回の作品でも「感情移入できない」「理解できない」と言っても過言でないと思います。私も、子供がいるわけでもなければ、この作品の人間たちの感情を全く理解できるわけではないです。しかし、それは自分が見ていない世界や価値観であって、存在していないものではない。決して水穂や里沙子のような、「ひどい」と思われる母親が、いないわけではない。ありえなくもない。そういった受け入れ難くも現に存在するかもしれない価値観に、この作品は光を当て、私たちに疑問を投げかけてきます。「もしかしたら、水穂は自分のことかもしれない。」と。 確かに、結末があっさりしているように見えるが、そこがかえって、この本の中の問題だけでなく、私たちの生活の中にも、この作品の中で出てくるような「陰」が隠れており、それを皆軽く装っているだけなのだと、言っているように感じました。 重くて辛い話でしたが、沢山のことを考えさせてくれる、素晴らしい作品である、と私は思い、五つ星をつけました。 | ||||
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| 子供を虐待死させた事件の補充裁判員に選ばれた主人公は、被告人と同じ、娘を持つ母親だ。 物語は裁判が進むに連れ、主人公が心理的に追い込まれていく様子を、ありがちなモチーフを散りばめて綴られている。 主人公のそれまでの生活も、 『坂の途中』や『補充』といった位置付けが、欠陥では無いが、信じることだけで構築されていた中途半端な幸福感の中に暮らしていたことを予見させる。 それが裁判員となったことで、どんどん気付かされてしまい、視野が狭められていく。 裁判員制度は選ばれたという表現を使うから、自分を過大評価してしまう人がいるらしい。 主人公もこの時点でアメを貰っているから、自分が経験したことの無い特殊な環境にいるのに、馴染みのある人々や、 自分と同じ母親である被告人の言葉に心を支配されていくのだろう。 よく理解できるから耳に入るし、思考力があるから、こだわるほどに考えてしまう。 つまり、彼女の知性が偏った結果がムチになってしまうのだ。 調書を読みこなす自信も、現場写真やイラストを見る自信も無い自分だが、今回は角田光代という真綿に首を絞められたままで結末を迎えた。 今日もそろそろお母さんたちが、子供を乗せた自転車で街を駆け抜ける時間だ。 みなさん、ご安全に! | ||||
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| 主人公の里沙子の、心理描写、こどもに対する複雑な思い、自分自身が娘を育ててきて いろいろなことが思い出され あまりにも苦しくて苦しくて 読み進むことがなかなかできず ようやく読み終わり、胸のなかのどっしりとした重みをどうしたらいいやら ・・・ 自分自身、暴力と罵倒のなかで育ちました。だから実家とは疎遠です。 でも 親は今は罪滅ぼしのつもりか、経済的援助をしてくれてます。そのことにも自分に嫌悪感を感じます。 私はこどもをうむつもりはまったくありませんでした。 暴力で育てられた自分はきっと同じことをする、確信がありました。 被告人の女性も、里沙子も実家とはうまくいっていません。 そのことも 身に染みてあらためて苦しくなりました。 娘を産んだ以上 責任をもって育てなければいけない その思いが、「かわいい」「いとおしい」と思う以上に大きい。 娘が中学生になったいまも その気持ちはあります。 小さいころ保育園から帰り、ぐずる娘にいらいらして手がでたこともありました。 虐待まがいのこともしました。 今 中学生になった娘に あのころはごめん、と謝っています。 でももう遅いような気がしてなりません。 3歳児くらいまでのお子さんを育てるお母さんの環境がお母さんにとっても お子さんにとってもおだやかなものであるよう、まわりのケアが充実していくよう願ってやみません。 | ||||
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| 怖い怖い。裁判員になったような気がした。ものすごいバーチャルリアリティー。 それに、犯罪のテーマもハマりすぎ。ちょうどこの前、しつけのために親が子供を置き去りにする事件があった。現代に恐ろしくリンクした小説だ。 角田さん、小説家としてのりまくっている。文学賞もあらかた取りきってしまったし、出版するたびに『代表作』クラスの迫力作品ばかりだ。 | ||||
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| 補欠裁判員に選ばれた子持ちの主婦(33歳、夫あり、娘3歳)が、 自分と同じような環境の被告が子供を殺した事件を通して、 自分と重ねて考えていく、という物語です。 角田光代さんの本は好きです。 私は「紙の月」より良かったです。 この後の主人公(里沙子)もまた知りたくなりました。 うちは子供がいませんが、私も専業主婦だからか、 主人公の気持ちに共感することができました。 子育てだけの問題でなく、妻(被告や主人公)と夫、妻と義母・義家族、妻とその母・家族、 との関係性が深く書かれています。 また裁判員になったらどんな状態なのか、ということも垣間見えます。 子育てと裁判員については、私は「大変なんだなー」と疑似体験し、 子育て中の親御さんや裁判員になった人に、今後労いの気持ちを持てそうです。 対夫、対義母・義家族、対母・家族に関しては、深く考えましたし、 だらだらと長い描写だとは思いませんでした。 被告とそれらの関係と、主人公とそれらの関係を書こうと思ったら、 このようになると思うし、それができる角田さんがやっぱりスゴイと思いました。 おそらく、被告や主人公と同じ生い立ちでないと理解できないかもしれません。 もしくはそういう人たちが、夫・義母・母と同じ側(性格)の人かもしれません。 また、被告と主人公と自分も同じなのに、気づいていない人たちも多いと思います。 気づいていないと、何が原因なのか分からずに家庭崩壊していってしまうのではないかと。 今回テーマになっている部分(最後に分かりますが)は、 これからの世の中で重要なことだと思います。 暴力、あきらかな暴言、分かりやすいイジメ、それらも辛いですが、それらは表面化しやすいです。 人に話しても共感や同情を得やすい。 そうでない今回のようなことは、気づいている人が今はあまりにも少ないと思う。 カウンセリングの世界では常識的なことだったりするし、今後一般的になってくるんじゃないでしょうか。 その最後に分かることは、途中で主人公の夫に対して、私は気づいていました。 だけど、主人公の母と絡めて最後にそうまとめるか、と思い、やっぱり上手いと思いました。 私自身、母に同じようなことを感じたことがあるのに、そこまで思いが至りませんでした、 純文学ですからね。読みやすい大衆文学とは違います。 それでも読みやすい方だったと思います。 私は入り込んで、すぐに読み終えました。 被告や主人公側から見るだけでなく、 自分が主人公の夫や主人公の母のようになってはいないか? と気をつけるのにも、良い機会になる本だと思います。 これって反対に、奥さんが(今回の夫の立場で)旦那さんに同じことしてる場合もあると思います。 | ||||
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| この本を読んだこの気持ち、「面白い」とか「のめり込む」とかそういう言葉で片付けられるものじゃないです。 苦しくて、重たくて、感情移入しすぎて・・・。つまんないのとは別の理由で、読むのにこんなに時間のかかった本も久しぶりでした。 角田さんはこの作品で「会話というコミュニケーションの曖昧さ、言葉で伝えることの難しさ」と描きたかったと仰っていました。 同じことを聞いても、人によってこんなにも受け取り方が違うのかと感じたし、 もし自分がこの事件の裁判員だったらどんな判決を下すかな?と考えてみても、読み終えた今になってもその答えを出せずにいます。 里沙子は事件に触れるうちに自らの境遇をも犯人に照らし合わせてしまい、その重圧から負のスパイラルに陥っていきます。 やがては自分は子供を愛しているのかとすら疑問を抱き、離婚まで考え・・・・。 でもこんな風に自分自身を照らし合わせてしまうのは里沙子だけでなく、読者自身にもあてはまること。 私は日々の生活の中で無理をしてはいないか? 逆に家族に無理はさせてはいないか? ・・・この本を読んだことは、それを考えるいい機会にもなりました。 | ||||
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| 大変失礼ですが、お子さんのいない筆者の作品とは思えないほど子どもの描写や母親の内面を捉えています。綺麗事じゃなく、誰にも言えない心の動きを文字にしてます。 私も現在1歳児の母で、生後2カ月から子どもを預け復職しました。当時は完全キャパオーバーでイライラしっぱなし。夫にはおろか、ママ友にも人格を疑われそうなので言えない真っ黒な気持ちを角田さんにバッチリ言い当てられてしまったような、そんな気持ちで読む手が止まりませんでした。 最高に面白いのですが、その後の主人公の動向が気になりスッキリしないので、星を一個減らします。 | ||||
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| シンプルに概ね読者を満足させてくれる良書で、宣伝文句は決して誇大ではないかと。 晩婚化、少子化が進んでいるとはいえ、今後もマジョリティ派であろう子育て世代の母親とその周囲の環境が題材になっており、導入に難儀する方はほとんどないと思う。 細かいことだが、主人公が「補充」裁判員として選出されたという点も周囲をグラつかせる要因となっていて面白い。いい意味で著者の計算高さを感じる。 1つの事件を通して各々の登場人物の視点が入り混じるので、次は何?というハラハラ感を強く抱かせる。評者の稚拙な表現で伝わるかは分からないが、例えるならば、アスタリスク(*)の各々の線のようにすべての線は一度交わるのに、些末な認識の違いによりあらぬ方向に向かって交わりが解消されるという歯痒い展開になる。こうも人間同士の共感はもろいものか…。と。 読み手の心理を揺動させる作品だったので読後に適度な疲労感を覚えたが、これも著者の計算の内か。だとしたらあっぱれ。機会があれば他作にもあたりたい。 | ||||
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| 角田さんの小説は好きで、今回も内容をあまり知らないで読み始めました。 主人公の理沙子、被告の水穂は他人とは思えず、読みながら苦しくなってしまいました。 自分一人で子育てをしなくてはならないという重圧感、孤独感は味わった者でないとわかりません。 可愛い、という気持ちはもちろんあります。 でも、ある時、ふと思うのです。 「この子がいなかったらどんなに楽か」と。 もちろん、すぐ否定し、そんな気持ちはなかったことにしてしまいますが、感じたことは事実で、それが自分への嫌悪感になるのです。 理沙子の母乳の件でも、私と同じだったことで、ものすごく共感しました。 母乳が出ると言われれば、いろんなことを試しましたし、出の悪い自分を責めてノイローゼのようになりました。 育児書と違う、というだけで、子供の成長が悪いのではないか、と悩み、ハイハイが遅い、と言ってはどうかしてしまうくらい苦しみました。 私が彼女たちと違っていたのは、周りに何でも言える友人がいたこと、先輩の彼女たちには本当に助けられました。 彼女たちにもそういう人たちが周りにいたら違う形になっていたのではないでしょうか? でも、一歩間違えば彼女たちのようになっていたと思うと、読んでいる間、不眠になってしまいました。 頭の中で子育て中の事がグルグル渦巻きました。 忘れた、と思っていた事柄が次々思い出され、苦しくてたまりませんでした。 それだけ母親の心は悲鳴を上げているのです。 この小説を読んだ方が、そんな母親の孤独や悩みを理解してくれることを望みます。 本人は何気ない一言でも、当事者にとっては心が壊れそうになることもあるのです。 水穂のように追いつめられることは誰にでもあります。 つらいけど、素晴らしい小説に会えたこと、感謝しながら読み終えました。 | ||||
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| 角田光代さんの待望の新刊。 主人公里沙子の心理描写で話が進められていますが、 裁判が進むにつれて、 被告人水穂の境遇や心理に自分自身を投影している里沙子の様子、 こんな人、現実的にいるなと思うリアルな人物描写や、心理描写に 違和感なくぐいぐい引き込まれ、いつのまにか自分をも重ね合わせている ことに息苦しさを覚えるほどでした。 一見したところ、ふつうにみえる夫婦や親子関係に他人からは窺い知れない、 当事者同士ですら無意識に行ってしまっている歪んだ愛情表現を 見事に描ききっていると思います。 昨今クローズアップされている母親と娘の関係ですが、 こちらも考えさせられるような描写がいくつもありました。 フィクションでありながら、現実社会には誰にでも起こりうるのではと 思われる身近な人間間の関係性を見事に描ききっている点でも圧巻です。 | ||||
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| 主人公がマイナス思考すぎる、全体的に重苦しい、という意見を聞くのですが、 <孤育て>状態の私にとっては、作中の重苦しさは、育児中に常に感じていた息苦しさそのもので、最終的には主人公が自分で考えを纏められ、裁判という場で発表できた、痛快な小説でした。 主人公目線の一本調子で読み進められる一方で、登場人物の設定や、細部の構成が見事で、読み返すたびに違った発見があって、巧いなあと思ってしまいます。 周りに求められていることを敏感に感じ取る、それを全うしなければならないと思う、模範的でありたい、諍いを恐れる、察してほしい… 里沙子や水穂が、夫や裁判員たちや、読者からもズレていってしまうのは、こうした無垢な<女の子>らしさが原因なんだと思います。 ともすれば、ご都合主義やフェミニズム的な話になりそうですが、 角田先生が書いたからこそ、意味のあるテーマだったと思います。 子育て中の方はぜひ。 | ||||
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| 子を持つ親の一人として、子育てにおける苦悩、焦り、悩みや喜びと後悔がリアルに描かれ、それが自身の経験を思い出させ、読んでいて非常に息苦しさを感じるほどです。 自分ではどうにも抑えようがない苛立ちによって子どもに冷たく当たってしまい、後から冷静に振り返ると、なぜそんな小さな子どもに対してそんなにイライラする必要があったのかと罪悪感にとらわれ、次はもっと優しく接してあげようと思っているのに、さっき思ったばかりの思いが新たな苛立ちで消え、また罪悪感に陥る。 「良き親であろう、善き人であろうと思いつつ、余裕がなくなるとすぐにかっとして、その怒りをコントロールできなくなる。いつもならたしかに持っているはずの思いやりや気遣いがとたんにできなくなる。」 そしてそのことは本人も「わかってるんだけどね」。 分かってるんだけど・・ この心の動きがとてもリアルで、その気持ちがストレートに伝わります。 だからこそ、本作は読んでいて苦しくなる。 主人公里沙子は裁判員裁判の補充裁判員として、我が子を殺したとされる母親をめぐる裁判で彼女の境遇に触れるうち、ある種の恐怖を感じる。 この事件は何もかも特殊に思えるけど、実はそうではなく、もっと自分たちと近しいことなのではないかと感じていることでこわくなる。自身の子どもに対する日々の実情に重ね合わせ、本件が決して他人ごとではないと感じさせられ、ますます苦しくなっていく里沙子と気持ちに自分自身がシンクロし、こちらまで息苦しくなってしまうのです。 読後感は決してすっきりとしたものではありません。もやもやしたものが残ります。 それは本書がとてもリアルだからかもしれません。 | ||||
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| あっという間に読みきりました。子育て母の孤独に正面から向き合った内容も素晴らしいけどそれで終わらず、幅広くジェンダー論まで、考えさせられることが多かったです。 | ||||
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| まだ途中までしか読んでいないのに気持ちが高ぶって書いてしまいました。レビューの中には、角田さんにはお子さんがいないから母親の気持ちが分からないのだろう、というようなものがありましたが、そんなことはありません。子供に腹を立てて無視してしまい、ひどい自己嫌悪におそわれ、これも虐待なのだろうかと思ったり、産後母乳のことで追いつめられたり・・・どれも自分のことのように思えました。そのつもりでなくても、母親は色んな立場の人たちから追いつめられるのです。そのほとんどが、悪意なく放たれた言葉だと分かってはいても、母親の孤独が深いとやはり落ち込み追いつめられます。看護士、保健師、保育士、園長、家族、同僚。主人公と同じように自分の子供が赤ちゃんだった頃を思い出しながら読んでいます。 読み終えて・・・乳児が母親によって死に至らしめられたことよりも、心理的に追いつめられることに戦慄を覚えました。モラハラってこういうことなのか、と。我が子を死なせた妻と離婚するつもりはない、という夫。これは怖いと思いました。そして、他人からは決して理解されないという絶望感。自分には気持ちを吐き出せる親友なり同僚がいて救われたと気付きました。傷つけるのも人なら、ほんの細やかな言動で救ってくれるのも人。自分以外のお母さんたちはみんな優しく、子供を感情的に怒鳴ることもなければ、箸の持ち方、服のたたみ方、文字の教え方も上手く、栄養たっぷりの手作りの食事をあげてるんだろうなと、本気で母親は考えてしまいます。また、ちょっとした言葉がそれを助長してしまうのです。もっとそれを知って欲しいです。そうしたらこの登場人物のように追いつめられる母親が減るのでは? | ||||
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| 極めて今日的な社会問題を的確に描いた作品でした。 裁判員という特殊な事象に誰の身に降りかかるかという不安を誰しもが抱いているし、そこに被告の立場にもなりうるかもしれない二重の重圧の中で裁判員裁判に臨んだヒロインの恐怖にも似た感情は読者にも十二分に伝わるものがあります。 | ||||
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| 多くの方の感想にあるように、かなり感情移入できる小説。特に、主人公と同じ境遇の人だけでなく、立場の違う人や実際子育ての経験のない人でも、容易に感情移入出来てしまうところが凄いです。それは、題材が大きな社会問題であることや、何より作者の舞台設定や文章力、表現力の巧みさに関係するものだと思います。 子育てに追われる普通の主婦の理沙子は、事もあろうに自らと同年代の母親が被告の乳幼児虐待死事件の補充裁判員に選出されてしまう。裁判が進むにつれて、事件の背景や経緯が自らの環境と徐々にシンクロし、我が子への愛情に疑問を持ったり、自己否定等で精神のバランスが大きく崩れていきます。そのあたりが実にサスペンスフルで、主人公が裁判の判断と自らの気持ちにどう決着をつけるのかがドキドキします。 また、事件は決して許されるものではありません。が、そこには様々な事情があって一方的に言えるものでもない場合がある等、いろいろと考えさせられました。 | ||||
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| 母親となった者ならば、感じざるを得ない「既視感」。それを、これほど深く精緻な描写で語られると、単なる感情移入で読み進んでいくだけでは済まされないような気に すらなった。 誰に? 主人公である理沙子に。被告人席の水穂に。理沙子の夫の陽一郎に、陽一郎の父母に。そして理沙子と同じく裁判員制度に参加している人々に。 誰しもがごくごく普通の市井の人々だ。被告人本人、そしてその家族ですら、きっと。 世の全ての人々にある歪んだ優越感、悲壮感、そして心から手に入れたいと願う平凡な日々の幸福感が、後半猛烈なスピードで様々な登場人物の口から吐かれていく。それを、主人公理沙子の思考を通して丁寧に折り畳まれていく。 この折り畳んでいく過程を男性読者がどう感情移入できるのかは、正直わからないと思った。 それは「母性」云々という話ではない。女性の社会進出によって、選択肢の少なくない昨今の「育児」という現実問題は、男性の想像力を遥かに超えた壮絶なものが ある。今、話題になっている「日本、死ね」というツイートも一体男性のどれほどが一緒に声をあげて闘う事を望んでいるのか? 「育児」は、「家庭」は、今も尚、女性だけが「母性」「良妻賢母」の名の下に背負うべきだ、という考えは実はもっと根深いのかもしれない。 主人公理沙子のこれからの選択肢がいかようにも考えられるラストもよかった。 | ||||
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| これは、私が書いた文章なのかと、そう錯覚した。 現在、自分も乳児を育てている。 とても可愛く、愛しく、虐待などは、もちろんしたことがない。 だけど、育児ってそれだけじゃない。 オムツを変えても、母乳を与えても、抱いてあやし続けても泣き止まないときがある。 一日中、家にいるにも関わらず、夕方ふと気がつくと、部屋はぐちゃぐちゃ。洗濯もまだだ。先に、夕食の準備をしなくちゃ、と、そんなときに限って、またぐずりだす。 手をあげたりしたことはないが、そんなとき、心の中で、ものすごく汚い言葉で、乳児をののしっているときがある。 毎日、報道され続ける虐待のニュース。 それを見るたび、感じる怒り。 だけど、少しだけ思う。 この人、辛かったんだろうな、と。 虐待する人の気持ちが、少しでもわかるって、私はおかしいんじゃないだろうか。 昨日、悪態をついた自分と、虐待をした人とは、実はそんなに違わないんじゃないか。 そんなふうに考えて、そんな自分が、怖かった。 この本で、主人公が被告人の女にシンクロするように、自分は主人公に強くシンクロした。 そして、自分でもわからなかった自分のきもちが、そこには書かれていた。言葉になり、ああ、そういうことだったのか、と、すとんと落ちた。 主人公にとって、公判が人生に影響を与えたように、この本は私に、それを与えた。 今後、幾度も、この本を読み返すことになるのだろう。 | ||||
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| 初めっから終わりまで、もやもやとしてじりじりとして釈然としない、「反撃したいんだけど、糸口が掴めず、口を閉ざさざるを得ない」気持ち悪さにどっぷりと移入した。 終盤で、それは「彼の愛し方」であり、「母の愛し方」であるという「答え」の提示がなかったら、読後引っ張っただろう。 提示してくれたのがとても親切だと思ったw↑の様な愛は要らないが、それは「愛なんだ」というのが酷く理不尽に思えた。 夫が恐ろしく思えると共に、相手を見て態度を変える「子供」も恐ろしく感じてしまったのは、自分は子を持っていないからだろう。 自分の「普通」に疑いを持たない、善良な他の裁判員にも「恐ろしさ」を感じた。 丸々全部楽しませて頂きました。 | ||||
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| 角田光代さんの作品は、出版されたら即読む。そして読み出したら止まらず、数日どころか一日で読んでしまう。今回もそうだった。 裁判員裁判を題材にした社会は小説、と紹介されていたが、相手が女性だというだけで、無意識に巧妙に相手を貶め、自信をなくさせていく、ある種類の男性たちの存在の印象が強く残った。「私の中の彼女」でも同じことを感じた。 角田光代さんの小説は、物語だが現実感が強い。どこかの街でこの人たちが間違いなく暮らしている、と思わせる。だから、面白いし、こわい。 | ||||
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