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坂の途中の家
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坂の途中の家の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.73pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全95件 1~20 1/5ページ
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三回以上読み返している。 その度に戦慄する。 2人の女性の孤独と彼女らを追いつめて来た透明な悪意とに。わたしには子どもがいない。 しかし、この母親たちに子どももいない自分がこんなにも感情移入するのは何故なんだろうと思いながら読んでいた。 そして今回ようやくわかった気がする。 わたしが築いて来た社会的連続性を優しく巧妙に断ち切り、怒鳴りもせず暴力も振るわずにゆっくりと確実に自尊心を奪うパートナーとの生活。 訪れる人は整ったインテリアを褒め、わたしも何一つ欠けているものなどないかのように振る舞う。しかしわたしの手の中には砂粒さえないのだ。 コミュニケーションを取ろうとすればするほど言語はすれ違い、弱った時を見透かすように崖の端で蹴られる。怪我をして自信をなくし、暴力を振るった主に養われ労られ、社会は日に日に遠くなる。 暴力の形も色もさまざまで、自分以外の人には見えない。 自分でもそれが暴力であることをこの主人公のように否定し続けて来た。 ただ、この小説は突きつけて来る。 「あなたは本当に今のようなあなただったの?」 「何に怯えているの?」 「どうしてそんなに無力感に打ちひしがれているの?」 と。 家庭という密室にて、自己愛性人格障害やモラルハラスメントに相対して苦しむ、あるいはカサンドラ症候群の女性たちには辛い小説かもしれない。 しかし「自分自身で思考すること」を取り戻すきっかけにはなるかもしれない。 | ||||
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この人の家を私は知っている。あの坂の途中の家だ。 裁判員裁判の補充裁判員になった主人公は、被告人に自分を重ね合わせてしまう。年齢も性別も家庭環境も近いからだ。 この私も重ね合わせてしまった。年齢も性別も家庭環境も全然違うのに。 自分は子どもにこんなことしなかったか。自分は子どもになぜあんなことしたのだろう。 一行読んでは反省し、一行読んでは後悔し、一行読んではため息を吐く。なかなか前に進まない500ページだった。 描写が細かい。心理描写だけでなく、料理の描写も。この描写の細かさが、作品にリアリティーを与える。作者は名文家である。 ラスト。被告人に判決が下る。じっと見守る主人公。あれほど肩入れしていた被告人への思い。主人公は納得したか。主人公自身は吹っ切れたのか、自分の置かれた境遇に。夫と姑と愛娘とどう切り結んでいくのか。たやすいことだ。愛すればいい、などと言って済ませられるか。いや、大丈夫。たぶん大丈夫。人間はそこを乗り越える力を秘めているのだから。 | ||||
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登場人物の感情をリアルに感じる。男、女、全て人間の根底はミソジニー。男は自分が優位に立てる女しか結婚相手に選ばない。女は男に選ばれる事が性でありマウント。でも2人の生活が始まれば憎しみの感情が徐々に溢れ出して…。ミソジニー意識は細胞に、原子から組み込まれている。ミソジニー意識が強い男が結婚しミソジニーを受け入れ理解し武器に出来ない女が結婚する。女がミソジニーから解放されるには見せ物になること。エンターテイメントで活躍する女性達はミソジニーの遥か彼方に君臨している。男と女の性質に耐えられる自信は到底なく、自分を貶める感情を知る位なら下級国民の自分はひとりの方が遥かに幸せ。 | ||||
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ただの小説とはわかっているのだけど 生後10か月の子がいる私にとってひとつひとつの描写がリアルにとらえられて、重すぎた。 序盤の公判2日目まで読み、以降、進められなかった。 怖いくらい心の中に重くのしかかってくるのはさすが角田光代さん…。 | ||||
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心理描写が詳細すぎて読んでいて苦しくなるほどでした。 あの愛し方でしか実母と夫は主人公を愛せなかった、そこに1番印象に残りました。 私の母親も子供(私)を常に小馬鹿にして自分が常に優位に立ちたがる人です。自分と同じコンプレックスをもつ子供(私)に対して必要以上に蔑む。自分より先を行くことを許せなかったのだと思います。 そんな母親に気をつかっていた私は、今なぜか同居という道を選んでいます。考える事を放棄した結果なのでしょうね。 角田先生の作品を初めて読みましたが、他の本も読んでみようと思います。 | ||||
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私もまたドラマに出てくる母親とそっくりな独善的な母を持ったので、主人公や被告人の女性の気持ちがありありと想像できます。こんな母親にだけはなるまいと何度も決意して子供を産んではみたものの、結局どうしていいかわからなかったのも全く同じです。 私の父は子育てに関してとても厳しい人で優しい言葉をかけてもらったことはほとんどと言っていいほどなかったけど、母に向かって「子供を何のために育てているのかわからないのか。一人前の大人になって1人で生きていけるようにするためだ」と繰り返し言って聞かせていたことだけは覚えています。子供心に優しい親だったら良かったのにと泣きながら思ったものでしたが、自分が60歳になった今となっては、あの時の父の言葉は正しかったと、子供にとってそれ以上に大切な子育てはないと確信しています。それこそが深い父の愛情であったことも。 このドラマは母の気持ちに焦点を当てていますが、もしも子供達が大きくなって立派に独り立ちできるためにはどうすればいいかを皆んなで話し合える家族であったなら、こんな事件は起こらなかったのではないかと私はそう考えてしまいました。 | ||||
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家庭を持ち子を育てるという人生最大のイベントを、妻・母親・女性の肩にのみ背負わせる日本社会の宿痾。それを個人レベルに落とし込められた刑事事件被告と裁判員となった女性との表裏近接性が。 | ||||
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始めは『紙の月』や『森に眠る魚』のように 30代から40代くらいの女性の懊悩が角田さんらしく緻密に描かれていて、ドラマを観るようだと読み進めていました。しかし、だんだん重くなり里沙子のへり下りの仕方がその原因だろうと思うようになりました。 何故悪くないのに謝る? 何故ビールを飲むのに気遣う? 何故子どもに機嫌を取る?なぜ何故ナゼの はてなマークが彼女にたくさん付くように。 そしてそれは 常日頃なぜ?と思う自分に向けられてもいて なぜ私はここで謝っちゃうんだろうと。 何でなんだろう。 裁判員制度を題材にはしているけど 里沙子の生き方女性の在り方 パートナーとの関係、様々に問題提起がなされていると思いました。 同化して自分に侵入されるのがいちばん怖いことでもあるので 事実としては分かりませんが 裁判員制度に伴って事前研修や適性検査など実施して欲しいし、そうじゃ無いのに制度ありきで登用されるなら それは絶対いやだと改めて思いました。 | ||||
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角田さんの本好きでほかにもたくさん読んでます。対岸の彼女とか空中庭園とか。 普通の主婦が補欠の裁判員に選ばれ裁判傍聴するうち虐待する主婦の気持ち感情に重なり 自分の事のように裁判見聞きするようになる。。。描写が丁寧で主婦の日常と人間関係軋轢 姑近所の人の人間関係が浮き彫りになりどんな平凡な人間でも1歩間違うと子供を虐待してしまうかもしれないという危惧がある話。裁判の部分がすごく長く見ていてしんどい部分もあったけどよみごたえがありました あわせてwowwow柴崎コウさん主演でドラマ化されててドラマの方も面白いです 心理的に凄く重く考えさせられます。。。 | ||||
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【私の雑要約】 乳幼児虐待死させた母親の事件の裁判員に選ばれた主婦が、裁判を通して被告人と色々な感じで共感。シンクロ率爆上がりで暴走モード突入 この本、突き刺さってきて痛い痛い 追い詰められていく母親のくだりの話しで、夫の悪行?が出てくるのだが身に覚えがあることがあってゾワゾワする。 論理的に考えると、夫の対処法としては間違えていないと思うが、感情問題としてはそれが不正解という たぶん、日本中どの夫もちょっとは引っ掛かるぞ なんで、すべての夫に読んで欲しい本です 逆に結婚に対する夢無くすから、独身男性には読んで欲しくない本です。 | ||||
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夫も、夫の家族も本当にうちとそっくりで会話もよく似ています。 特に子供の小さい頃の主人公の心理は私そのままです。 夫に見せたらよくある家庭なんだね。って言われたのですがそうなのかな。 | ||||
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奥さんこんだけしっかり家事してくれてるなら「ありがとう」「信頼してるよ」だろ。こういう男(変わり者)は離婚切り出されても一生理由解らずなんだろうな。お互い言いたい事を言わない夫婦なのが根源に感じた。読後感が良い意味でストレス。 | ||||
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主人公が被害妄想過ぎる、との感想がいくつかあるが、それが肝ですよ。 ちょっと自信のない、けどどこにでもいる1人の女の人が犯罪加害者の女性に深く自分を重ねていくうちに自分なのか相手なのかわからなくなるほどに投影同一化が進んでいく、そういう人間の脆さみたいなものが描かれた小説です。 だから、夫が自分に悪意があるに違いない、と確信した後に夫があっさりと再就職に同意するシーンなんかがあるわけです。ああ、この人の病的な妄想だったのか、でも、本当に?と読者も一体何がほんとうなのかわからなくなっていく、という秀逸な読書体験ができるお話です。 | ||||
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興味深かったです。 主人公の母親や夫の言葉も、モラルハラスメントと見てよいのでしょうか? 小さな暴言一つ一つは騒ぐ程の事ではなくとも、積み重なれば「お前は駄目な人間」と烙印を押されるのも同然なのだと思いました。立場が強い相手になら尚の事。 私は未婚で子供もいませんが、主人公の焦り、恐怖、怒りを一緒に感じる事が出来ました。読む価値がある小説だと思います。 | ||||
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賛同する女性も多いことだろうが、男に言わせてもらえばこんなややこしい女と結婚を望む男はいない。結婚してからじゃ遅い。ではどうすればいいのか?両親との折り合いが悪い女には近づくな結婚するなと作者はちゃんと教えてくれています。男子諸君、肝に銘じるように。裁判員が6人とは知りませんでした。勝手に12人と思い込んでいました。 | ||||
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角田さんの小説はほとんど読んでいますが、その中でもだんとつと言っていいほど、読んでいて苦しくなる作品でした。 私は結婚もしていないし、子どももいませんが、それなのに、主人公の気持ちが痛いほどよくわかる。自分はどこかおかしいのではないかという恐怖。普通の人が普通に出来ることが自分にはできない、その劣等感と周囲には理解してもらえないという疎外感。 しかし、本書の最も恐ろしいところは、それらが全て主人公の思い込みである可能性も含んでいることだと思います。 普段、私が何気なく発している言葉が、もしかしたら誰かを深く傷つけているのではないか?今目の前の人が発している言葉は、本当に私が受け取った通りの意味なのか? そのことにとてつもない恐怖を感じました。 なぜ、読んでしまったのだろう。なぜ、知ってしまったのだろう。 | ||||
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面白くてノンストップで聞きました。 そして2回聞きました。 | ||||
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前半は子育て中の女性なら感情移入しやすく、すぐに物語へ入り込める面白さがあると思います。 後半、被告人の印象が変わってるくと主人公と同じくモヤモヤした気持ちになりました。結局、事件が起こった過程、被告人がどうして虐待に至ったのか、主人公の夫は本当に妻を見下していたかったのか。。。真実がわからないまま終了。主人公は元の生活に戻れなくなり、読み終わっても自分ならどうするのだろうと重ねて考えさせられました。 虐待への警鐘がテーマかと思いきや、男女差別(夫婦間や、息子、娘の扱いの差)の問題のほうが印象に残った気がします。 女性はもちろん、妻が最近怒りっぽくて原因がわからない男性にもおすすめです。読んでみたら何か気づくことがあるかもせれません。 年配の人には理解しがたいかも。物語にでてくる年配の裁判員たちと同じように 。 | ||||
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ぞくぞくした | ||||
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幼児虐待と紙一重のワンオペ育児の闇にぞっとしました。いわゆる「毒親」育ちといわれるような、おそらく親や大人に大事にされたという経験の自覚がないまま親になってしまった人が次の世代にその傷をー巧妙に愛という名の元にー伝えてしまう実によくある現象など、興味深い内容で、読み手それぞれに我が身・親や子やパートナーとの関係を顧みて何かひっかかるところがあるのではと思う、とても怖い本でした。 最後の振り仮りが答えで、主人公の夫との関係は主人公と母親の関係のある種の再現なのでは(夫にそのようなふるまいを許してしまうのは主人公が十分に自分のために闘ってこなかったことに由来するのではないか?)と感じました。 「本来いるべき場所におらず、考えることも、決めることも放棄して、気楽さと不安を覚えながら動こうとしない、このなじみぶかい感覚。(中略)何が窮屈なのか考えることもせずに(後略)」というところ、これは必ずしも親子や夫婦関係だけにとどまらず、例えばリーダーシップを取ること(多勢と異なる意見をあえて表明することなども含む)への恐れや回避にもつながっているように感じました。主人公が協議の場での空気を読んで自分の意見を人前で言うことを避ける自信のなさが、最初は理解できなくて少々イライラしながら見守っていましたが、次第に痛々しく、またその根底にあるものが解きほぐされていく過程を応援したくなってきました。 少し気がかりなのは、保健師らの訪問が脅威になって最も求めている心理的助けが十分に得られなかったことで、 子どもの育ち(娘はもしかしたら軽度の発達障害があるかもしれない。さらにもしかしたらこれは疲れ果てた母親が時々無視したり放置したりすることへの反応かもしれない)に対する支援を主人公は自ら求めることなく奮闘していくのかなということ、これは親が子どものとてつもない癇癪に惑い向き合っていくなかで双方育っていくような別の話を読めたらと思いました。 | ||||
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