■スポンサードリンク
変身
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
変身の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.07pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全385件 221~240 12/20ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
カフカらしい作品が出てくる作品集です。 翻訳は一番新しい版で行われています。 目を惹くのはやはり有名な「変身」でしょう。 何事もなかったであろう日常が 虫への変化により激しく変わってしまうこと。 まともな生活すら送れなくなるもどかしさ そして、最後はですが ラストは何かと賛否が出そうな気がします。 どんなものかはぜひ読んでみてくださいとしかいえません。 他の作品では ある発言が引き金で生きている世界が 一瞬で暗転する「判決」もあります。 これも人生を表現しているのかもしれませんね。 解釈がいろいろと取れるので、 絶対的なものがいい!という人には向きませんが 面白い作品がそろっています。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
なぜ虫になったか、自分で考えられる作品でした 学校の課題でしたが読書嫌いでも、楽しめました | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
いい作品に説明は愚問 どう感じるかが収穫。 おもろい人やなーと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
カフカはこの変身で何を描こうとしたのか? それは、多面的な人間という生き物の弱さと非情さ。 それを分かりやすくするために(読む人によっては様々だと思うが) 奇怪な生き物に主人公を貶めたのだ。 あれだけ家族のために身を粉にして働いてきたグレーゴル。 しかし一たび姿が違ってしまえば、厄介者として、 臭いものに蓋をするような扱いになる。 最後、グレーゴルが息を引き取るや否や家族は安堵し、ピクニックへと出かけてゆく。 果たしてこの家族が異常だと我々読者は言えるだろうか? もしこの家族と同じ状況になったなら、我々は毒虫になった親兄弟を嫌悪せず、 心から寄り添い合うことが出来るだろうか? ピクニックとまでにはならないにしても、 きっと悲しみと同時に安堵する心持ちになることだろう。 超高齢化社会に突入した日本は、今まさにこの変身の時代になったのだと思う。 弱さと非情さゆえの事件が日々表沙汰になってきている現実。 自分だけは違うという甘さを捨て、 いまこそ我々はカフカを読むことによって、人間の弱さと非情さの面を理解し、 その上で優しさという包容力を学んでいくしかないのだ。 しかし、そこには精神的な努力と忍耐が必要なのは言うまでもないことであろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
カフカの絶望名言集が面白かったので、昔読んだきりだった『変身』に、あらためて挑戦してみた。 昔は「難解」という印象が強かったけど、今回はとてもすんなり読めた。 昔は「虫になるってどういう意味?」とひっかかったけど、今回はすごく感情移入できた。 グレーゴルが死んだ後の、家族の明るい再出発がたまらなかった……。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
グレーゴルは存在価値が虫同然になってしまったのか?虫同然にされてしまったのか? 人間が不条理である以上、カフカの問いかけは色褪せないと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
『変身』は、「ある朝、グレーゴル・ザムザが不安な夢から目を覚ましたところ、ベッドのなかで、自分が途方もない虫に変わっているのに気がついた」という出だしから始まる、とても有名な小説です。奇怪な話ですが、この小説で描かれている事態は、ある意味現実よりも生々しいかもしれないと思いました。 グレーゴルは自分が虫に変身したということに、まったく動揺しません。グレーゴルは変身した後でも、まずは日課である自分の仕事を気にかけます。一方、グレーゴルの家族は、グレーゴルの変身に激しく動揺します。話が進むうちにグレーゴルは家の外に出なくなり、家族にとってますます厄介な存在になります。 自分の変身を気にせず自分の仕事を第一に考えたり、衰弱して家の外に出られなくなったりするグレーゴルは、現代人の様々な問題を体現していると思います。(野暮な例としては、いわゆる社畜とか、ひきこもりとか、介護とか。) 「人間が虫になったりはしないかもしれないが、虫のような人間にはなるだろう。しばしば虫のように扱われ、おびえながら触角をのばして辺りをうかがっているものだ。追いまわされ、逃げまどい、ほうほうのていで片隅に這いこみ、息を殺している」という池内氏の巻末解説は、とても的を射ていると思いました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
物語としては完成度が低いと思う。文学としてはどうか知らない。翻訳も分かりづらいと感じた。おそらく原書で読めば、星4つくらいにはなると思う。 なぜ星5つがこんなにも多いのか本当に不思議。有名な文学作家の書いた作品で、代表作の一つという先入観から?と疑ってしまった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
1時間程度で読める短編。 朝目覚めたら主人公が巨大な虫になった、 と書き出しからビックリ。 その後の状況説明は、具体的ながらも淡々としているため、 かえって滑稽な感じがして、もしかしてこれは喜劇なのだろうかと思った。 しかし、まったく主人公の事態は好転しない。 それどころか、主人公の変身の結果、迷惑を被った家族がどんどんやつれていき、 伴い、主人公自身も衰弱していく様も、まったく変わらないテンポ感で淡々と描かれている。 読み進めると段々つらくなってくる。 そして最後に主人公の死によって解放され、晴れ晴れとした気持ちを取り戻した家族。 その描写もあっさりとし過ぎていて、落ちがあるのかないのかも良くわからない。 何と言ってよいか分からない。シュールすぎて、ある意味衝撃的な作品。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
探し回って、なかなかなかった課題図書。早くアマゾンで頼むべきだった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
虫になったグレゴール本人が,さほど焦らない所に狂気を感じた.数年後に再読したい. | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
当時高校生だった私は読書が好きではなく、夏休みの宿題として感想文を書かなければならなかった為、仕方なく家にあった「変身」を手に取った。読み返してみて、こんな内容だったのかと感じたので当時は全部読んでいなかったと思われる。 感想としては、最期の展開には圧倒されてしまった。まさかこんな結末で物語が終わってしまうとは思いもよらなかった。 途中まで読んでいたときは、家族愛について書かれている物語だと思っていた。しかし、結末を迎えてもう何を伝えたかったのかワケが分からなくなった。 そこで一度頭を整理して考えてみた。 人は誰しも避けたいものがある。もしそれが大切なものであった場合、どうやって向き合っていくのかということ。 『避けたいものは自分自身を投影するものである』 もし明日自分に対する世間の風当たりが変わったとしたら、どのような感情で意思決定をし行動するか。 『自分自身と他者との分離』 奇想天外な内容ではあるが、現実に突然【虫】に変身するようなことは日常茶飯事である。 いじめ問題、病気、人間関係の孤立、破産、借金、職を失うetc… この物語では虫を除外して幸せになる為に意思決定をしたが、グレゴールの家族の目線ではなくて、グレゴール本人の目線で、「虫」になったときにどのようなあり方で自分をコントロールしていくかということを考えさせられました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読書と言えばもっぱら、ドラえもんの科学本や図鑑、良くて星新一くらいの次男が、夏休みの宿題の「お勧め本紹介カード」に書く本選びに悩んでいる時、夫が本棚にある古い版の小説「変身」を勧めてきた。次男なりにがんばって読んだが、頭の中が???だらけになってしまい、紹介文などかける状態でなくなっていたので、Amazonで見つけた絵本版の本書を手に入れ、手渡した。 ビジュアル世代の息子たち、この本がイメージの扉を開いたようで、カフカの世界について親子での会話が盛り上がった。版画の持つ、光と影の世界が醸し出す心理描写が、文章の力を超えて心に入り込む一冊です。ネット古書で良い状態で入手できラッキーでした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
グレーゴルが働いていたときは、彼に依存していた両親、妹もグレーゴルが虫になってからは普通に働いていた。 つまり、彼らは彼に依存してしまっていて依存がなくなったと考えれば良かったのかもしれない。 グレーゴルは家族のために犠牲になったのかもしれない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ストーリーは諸先輩方々のレビューの通り。 初めて読んだのは中学生位の頃だったと思うが再読。 今回読み終えての私観であるが、主人公の立場を通し、 3・11震災後の日本国家の在り方を想起させられた。 多くの人々が自己、家族、ひいては社会にあって働きあった日常。 しかし突如襲った災害によって、我々はかつてない種々の不安と傷み悲しみを負った。 否、まだ負い続けているとぼくは云いたい。 災後3年も経った今でさえ不充な生活を強いられ、 言葉にすらできず助けを求めている人々が多く存在する日本の実際。 これを為政者はどう説明できる、 リセットと忘却に任せて良いのであろうか・・・ 勿論、社会国家の援助が全てではない事は当然である。 主人公と家族、下宿人、政婦の筆致に災後日本の縮図を覚える。 この書を通じ個人と国家の相関意義を問わずにはいられない気持ちに駆られた。 読感に正解など存在しないし、人それぞれ多種多様であるべき。 是非、今の時代に読み味わって頂きたい作品。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
とっても気に入りました!! よい買い物をしたと喜んでおります。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この作品の主人公グレーゴルが見舞われた悲劇はまさに不条理そのものである。 家族の為を思い、「我」を抑え身を粉にして一心に働いていたのに、ある日突然虫になってしまったことによって かつて自分へ向けられていた家族の尊敬の感情は徐々に消え失せてゆき、どんどん邪険に扱われるようになる。 そして最後には、まるで最初から存在しなかったものかのように、家族たちの心から消失する。 グレーゴルは一体どんないわれがあってこんな仕打ちを受けたのか。 結局、家族にとってグレーゴルとは、自分たちの生活を支えてくれている存在でしかなく、 グレーゴルに価値を持たせていたのは唯一「働く」ということだけだったということか。 ここに、近代社会に生きる男の孤独感、疎外感を痛感する。これは現代にも通じるものである。 しかし、グレーゴルが最後に「感動と愛情とをもって家の人たちのことを思いかえす。」と語ったのが印象的である。 考えてみれば、虫になる以前人間として働いていた頃の彼の願いは、家族が自立することであった。 そしてグレーゴルが虫になってしまってから、差し当たって明日の暮らしをどうにかする必要のある家族は めいめい仕事を見つけ、父はかつての威厳のある姿に戻り、母も仕事を始め、妹は一人前の娘となった。 結果的にグレーゴルの願いは奇妙な形で実現することとなったのである。 だからこそ、グレーゴルは死の間際に「感動と愛情とをもって」家族を思い返し、静かに息を引き取ったのではないだろうか。 とすると、「我」を抑え遮二無二働いていた頃のグレーゴルと、虫になってからのグレーゴルとは 大して差がないのではないだろうか。むしろ、苦労のない分虫のほうがマシかもしれない……。 とまあ、色々と考えさせられるが、解釈は本当に人それぞれ、無数に存在すると思う。 時代を超え、読者の想像力を無限に掻き立てるこの作品は、まさしく海外文学最高傑作の一つと言っても過言ではないだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
恥ずかしながら初めて読了した。『城』と『審判』は読んだことはあったが高校の読書感想文の肥やしでしかすぎないとバカにしていたからだが。で実際に読了したら100ページにも満たない分量の短編ながらやはりカフカであった。期待を裏切らない作品だった。 カフカの作品の特徴として物語の初めと終わりがとにかく鋭利な刃物で切り落としたように切断されているのだと思う。『城』の主人公は理由もわからず仕事に呼ばれたはずの城から拒絶。『審判』の主人公もやはり理由もわからず裁判沙汰になる。そしてこの『変身』の主人公はやはり理由もわからず身体が毒虫になっているという。設定がどれも荒唐無稽であるが,人の生涯なんて多かれ少なかれそうではないのか? ある時気がついたら生を受け周囲が作り出した環境の中に放り込まれている。そういう意味においてこのような始まり方の小説というのは、実は荒唐無稽ではなくこの上もなくリアルな事象なのである。そして小説の中のやり取りもこれまた非常にリアルで行動も心理描写も並大抵の作家もどきでは真似することもできないだろう。 当然のことながら毒虫は隠喩である。初め自分は毒虫であるグレゴール・ザムザを登校拒否・出社拒否した引きこもりと思った。しかし途中からは介護老人を思い起こさせた。そして次の瞬間には手に余ったペットにも思えてきた。多分どれにも当てはまるのだろう。自分はまだ子供を持ったことがないから分からないが,ある日突然引きこもりになった子供を抱えた親は,息子と毒虫という親愛に思う感情と忌み嫌う感情に挟まれて逃れられない感情の迷宮をさ迷うだろうと思う。しかし毒虫を介護老人に見た時自分は自分の幼い頃の祖母を思った。確かに自分はこういう感情を持っていたのだ。そして手に余ったペット(熱帯魚)なのだが,引越しを考えていた時に熱帯魚が全滅したことにホッとしたのだった。そして自分はこの作品を読み始めた時に毒虫と化したグレゴール・ザムザを笑ったのだ。そして読後は虚しい読了感。きっと熱帯魚も祖母もベッドの上や砂利の上でグレゴール・ザムザような気持ちで周りを見て薄れ行く記憶の中で寂しく逝ったに違いないのだと考えるとなんともやりきれない思いがした。もちろん毒虫をユダヤ人の立場に置き換えてもあてはまるだろう。ナチスの強制収容所職員の感情は,なんとか口減らしをしたくてたまらずわざと過酷な状況にユダヤ人を置いて自然死させようとしていたのだから。 星を5つにしたいところだが4にするのは5以上と思ってもらいたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
古い本だが綺麗に扱ってあってとてもよかった。気にいっている。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
商会でセールスマンとして勤め、両親と妹を養っているグレゴール・ザムザ。 ある朝目覚めると、突然大きな毒虫になってしまっていた。 両親は泣き、妹は果敢に毒虫の彼の世話をしはじめる。 グレゴールは意識だけはそのままで「家族思いで、みなに労りの気持ちを持ち続け」ている。 しかし、意思を伝える手段が全くなく、家族は彼をどうあつかったらいいかわからない。 毒虫になったグレゴールが自分の体の機能一つ一つに苦労したり、慣れていく様子が事細かに書かれ、あわせて家族に対する優しい気持ちも独白の形で述べられます。 にもかかわらず、毒虫のグレゴールに慣れようと努力していた家族が、だんだんい疲れていく様子が悲しくやるせない物語です。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!