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変身
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変身の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.08pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全390件 201~220 11/20ページ
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若い頃に読んだ作品で心にひっかかっていて、”もう一度読まねば”と考えていた中の一冊。 カフカの生涯に関し詳しい知識は持たないが、残されているカフカの写真を見ると、なんとも暗そうな表情に思える。カフカはこの作品を通じて一体何を伝えたかったのか?と改めて問いながら読んだ。 結局、今回の読み直しで頭に浮かんだテーマは月並みながら”疎外”という言葉であった。 朝起きてみたらどういうわけか虫になっていた主人公グレゴールは姿形はすっかり奇怪で醜悪になってしまったが、その心情にはまったく変わりはない。妹に対する心優しさを含めて家族への想いは変わらない。また支配人に使われるセールスマンとしての義務感にも変化はない。 しかるに家族を含めた周囲の人達のグレゴールを見る眼、そして対応はどんどん冷たくなってくる。そして最後グレゴールが死んだ後残された両親と妹は何もなかったかのように平穏な生活に戻る。 カフカの写真のイメージからも影響かもしれない。ただ”この世の生きにくさ”、’”人間関係のもろさ”、あるいは”むなしさ”をこのような簡潔な形で端的に描いた文学作品は確かに前代未聞だったのだろう。その強烈さがこの作品にはある。 しかるに一世代前と比べると今の日本では”疎外”あるいは”不条理”だとか”実存(主義)”などという言葉は余り聞かなくなってしまった、と感じている。 むしろ10数年前に米国に滞在していた際、娘の通っていたhigh schoolではliteratureの時間で結構カフカ、カミュ、サルトル等をexistentialism文学として読ませていたことを思いあわせると、西欧では思考訓練の一環あるいは思想上のテーマとして”疎外”という課題が引き継がれているのであろう。 今の日本では”疎外”といった深刻な捉え方は、やはり受けないのであろうか? | ||||
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もう語りつくされている事だろうが、本作の毒虫というのは文字通り虫とは限らない。 精神病になってしまった、大怪我をして寝たきりになってしまった…など突如として訪れた 身内の不幸と、それに伴い家族にのしかかる二次被害的な負担の事を言っているともとれる。 グレーゴルも好きで毒虫になったわけではない、ましてやある日目が覚めたら毒虫になってしまうという 作中で最も理不尽で不幸な目に遭っている人物なのだ。しかし、家族はただ毒虫になったグレーゴルを 怖がるばかりで彼の心中を察そうともしない。食事を与えることぐらいしかしないのだ。 何をしようとしても悪い方向に勘違いされてしまい、挙句の果てには虐待まがいの行為までグレーゴルに働いてしまう。 そして自分達はこの毒虫のせいで苦しんでいる被害者だと言いのけてしまう有様。 彼ら家族を酷いと思うだろうが、現実誰かに問題や欠陥が発生して家の中が滅茶苦茶になってしまった時 ほとんどの家庭ではこういう結論に行き着くのだろう。毒虫になった本人の気持ちなど知りもしないで。 原因がはっきりしている分早い話がそれを取り除いてしまえばいいということになる。 既に虫になったグレーゴルに人権などないのだ。そして彼はあっけなく死に絶え、彼のいなくなった家庭は 明るい方向へと向きだす。仮にも家族の一員が死んだにも関わらずそんな事など微塵も気にしていない様子を 見せる家族のラストでこの作品は終わる。 介護、引きこもり、障害といった現代における家庭環境が抱える現代進行形の問題にも充分に呼応する名作。 今の時代、毒虫は日に日に増えていく一方である。そしてそれだけ家庭内で差別を受ける毒虫は後を絶たないのだろう。 | ||||
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不条理でありながらリアルなカフカの世界が鮮やかに描かれていてとても読みやすい訳でした。 | ||||
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薄い割にはあまりページが進まないですね。 初心者や小説嫌いな人には向いてないのかもしれないです。 もう少し漢字が多ければよかったのかなと。 翻訳が少し悪かったのかもしれないですね。是非とも原本を読みたいです。 | ||||
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大学の息子の課題図書を探していました。すぐ手に入ったので、助かりました。 | ||||
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子供の頃から気にはなっていたけどどうしても読む気にはなれなかった著書をこの歳になって読んでみた。 男が“巨大な害虫(Ungeziefer)”に変身し、衰弱死するまでの描写がただ淡々と描かれているだけなので、自分の中に落とし込む為には少し時間がかかった。 まず読んだ直後の印象は、「何でこんな作品が何十年も名著として読み継がれているのか?」という疑問だった。 身も蓋もない極めてシンプルな経過であり、主人公の不条理に始まり不条理に終わっていくので、読了感は複雑である。大抵の人はそうなんじゃないかと思う。 はっきりしたヤマやオチは無く読み手任せなので、最初の印象から時間が経って、本作をどのように消化するかは、時代背景とか経験とか見る側の視点とかが大きく反映されると予想され、人によって大きく違うと思われる。 父の経営が破たんした時は一家にとって希望の存在であり、それが当たり前になった後も一家の大黒柱であった主人公。しかし、利益をもたらすものから百害しかないような存在に“変身”していしまった後の世間の反応は冷たい。というかそれ以前の問題だ。 そんな主人公に対する家族の驚愕や嫌悪との葛藤、最後のはっきりした決別へと至る感情の変遷は、判り易く、主人公・家族の両方の立場に容易に立たせてくれる。 また、自分が姿も味覚も習性も変わり、“毒虫”になった時、その取り返しもつかない深刻な現状への考えに至らず、昨日までのサラリーマンである自分の日常に対する不満を嘆きながらも、それまでのように仕事を続けようとするグレゴール。 しかし時が経ち、“変身”後の彼が快適に動けるようにと、家族が家具をすっかり取り除こうとした時の抵抗の姿から、かつての自分への執着が見え滑稽にも悲劇的にもとれる。しかし、家族を想い己の死に安堵する彼自身の内的部分に変わりはない。 一方、野垂れ死んでしまった兄とは対照的に、ラストは家族の美しい未来への希望の象徴して描かれている妹のグレーテの姿も印象的であり、主人公の変化によってもたらされたもう一つの“変身”のように感じられる。面白いことに、双方の本質は実際のところ何一つ変わっていないのにだ。 そうやって振り返ると本作は、家族のエゴとか介護問題とか社会の矛盾とか、大人になると色々なことを連想させる物語である。だからこそ、『そういうこと』を体験しない内に一度読んでおくと大人になってから発見があって面白いかも知れない。 そういう意味で、若者(子供)にもお勧めの本である。 | ||||
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「変身」目当てで。自分の年齢のせいか、老人介護の話にしか思えなかった。グレーゴルに対する家族の態度がだんだんとずさんに、雑になっていくのが悲しい。それにしても本作の翻訳は個人的にダメ。オフィス、セールスマン、マネージャー、コントロール、ベッドサイドなどなど、カタカナ語が頻出するので興ざめ。古典の新訳ってそういうことじゃないでしょうに。この程度の単語をきちんと日本語にできないような人に、こんな作品を任せるなんて。なにがピリオド奏法だか。カフカが泣いていますよ。 | ||||
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NHKの番組『100分de名著』などでも取り上げられ、現代の我々にも響く名著としてしばしば挙げられる本書。なんとなく、Audibleで見つけたので聴いてみることにしたのだが、最後の最後まで、私にはカフカの言いたかったことを理解することはできなかった。おそらくそれは、私自身がまだ若く、この物語に照らし合わせるべき経験を持ち合わせていないせいなのだろう。ただ、同時に、きっと彼は何か、自分の感じたやりきなさだとか悶々としたような感覚を、描こうとしていたのではないだろうか、そして我々にそれを突きつけてやりたかったのではないだろうか…そうも感じた。 全く得体の知れない強烈な感覚だけが残った。 或る日突然、気味の悪い虫に「変身」してしまう。 それは他者を傷つけ、不幸にし、自分は、彼らから身を隠すようにヒソヒソと生きる。 挙げ句の果てに、自分が死を持って皆の前から姿を消したことによってーと言ってもその死は彼らによってもたらされるのだがー彼らは幸せに暮らしていけるようになる。 「…はあ?」と言いたいくらい、ズドンとしたよく分からない何かを一方的に背負わされ、置き去りにされてしまったな、という感覚だ。 | ||||
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この小説が書かれたのは第一次大戦後の敗戦で苦境にあえいでいたドイツ。 挙国一致で頑張らなければいけない時期だがみな倦怠感が漂っており、作中の人物のように働きたがらない人も大勢いた。 しかしいつの時代も家族のため、社会のため働くのが大人であり、そうでない者は社会不適合者とされる。 内面にどんな重い物を抱えていたとしても、他人からすればそう見る。まるで汚いものを見るかのように、毒虫を見るかのように。 作者は小説のタイトル絵を書くイラストレーターに、毒虫の絵だけは描かないでくれといった。 毒虫と思っているのは実は主人公だけであり、外の人間は働かない人間を蔑んでいたにすぎない。 しかしその毒虫に甘んじていると、やがて美味しいものも美味しく感じられなくなるくらい一般常識が狂い、 信頼していた身内からも見捨てられる。 現在のニートだらけの日本でこそ読みたい本だと思う。 | ||||
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何を伝えたかったのかもよくわからず、あとがきを見ても判然としない。 プラハでカフカミュージアムや家を訪れて気づいたが、相当暗い時代背景を 知らなければ、理解できないようである。 また別の機会にチェコ人夫婦と 話す機会があったので、カフカについて聞いたが、よく知らないようだった。 これを高く評価している人は、何をもってそうしているのか、謎である。 単に名作だと言われてるから? | ||||
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東京喰種に出てきた台詞があるので読みたくなり購入しました。 ストーリーが面白いです。 | ||||
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中学生の時に大人に薦められて読んだ。 読めたけど、解らなかった。 当たり前だ。 社会人に為った今、染みる作品。 この作品が解る中高生。 少し恐い気がする。 | ||||
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奇妙な小説です。 物事についての言及が不完全であるため、様々な解釈を巡らせることができます。 異常な出来事が淡々とした文章でかかれていて、独特の雰囲気があります。 有名な作品ですので一読することをおすすめします。 | ||||
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人間は誰でも生まれながらにして虫であるか、虫に転落する可能性を秘めている。 その原因は先天、事故、病気、不仲、老い、などなど。 周囲がその人間を無価値とみなしてしまえば、その人間は虫でしかない。 虫になってしまったその人間がどれほど周囲を愛していようとも、どれほど周囲に貢献してきたとしても、それは関係ない。 重要なのは即物的な今、現在の貢献なのだ。 人間を極限まで否定的に捉えた作品であり、読後感の悪さはこの上ないものだ。 しかし、人間の闇の部分を鋭くエグり出した傑作であるのは間違いない。 | ||||
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むかし読んだような気がするが、記憶はない ある朝目が覚めたら、グレーゴルは一匹の 大きな虫になっていた、で始まる変身」は、何の 話なのだろうか、 書かれたのは、1912年プラハ、 プラハはどういうところだったろうか、 物理学ではアインシュタインが、相対性理論を 発表し、原始の存在が実証され、光が差してきた 時代、 さて世の中は、 年寄の当方は、虫になる、というのは、ある社 会をあらわす比喩のような気がする、 ドイツの哲学者のアドルノを最近読んだのだが、 野蛮の後にきた文明は、20世紀になって、あた らしい野蛮を生み出している、と この野蛮の時代の象徴ではないか、 さて、日本だが、 人々の生活形式は、すっかり商品、貨幣関 係の網の中に包摂されたので、この関係から 押し出されたり、その下層に沈殿する危険に、 毎日さらされている。 さいきんラジオできいたのだが、実直なサラ リーマンがまじめに勤め、いくらかの貯金を つくって、ゆっくりした老年を送ろうとしても ある日突然、リストラされたり、がんだと宣 告されたり、あるいは、 おれおれ詐欺にひっかかる危険が現代社会 には、充満している。 そういうときに、そういう時に実直なサラリー マンのザムサ・グレーゴルは、虫になるので ある。 病院のベッドで、塩気のない、おかゆをすす ったり、 老人ホームで、規則通りの毎日をすごしたり、 公園の片隅で息をひそめて眠ったり、 文字通り、虫になるのである。 | ||||
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多少使用感がありましたが価格が安かったので不満はありません。 | ||||
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白水社版の「変身」は、読みやすくて、面白かったです。 カフカの文章は、短編集より、「変身」の方がまとまっていた。 | ||||
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有名作品、”変身”ですが、何とも理解し難い小説だなぁというのが直感で感じたことでした。というのも単に主人公グレーゴルはある日の朝、突然毒虫になってしまい、その家族の一部始終を記載した作品で、出来事をたんとんと述べているだけなのである。 世間的に輝かしい人が一気に転落すること(ホリエモンみたいな)のメタファーなのかなぁと思いながら読んでいました。 物語としては、あまり進展のない退屈なものだと思います。 こんな人に勧めます。 1.古典文学の何が楽しいのかを考察したい。短い作品なのですぐに読み切れます。 2.たんたんとした物語にも登場人物の感情を考えるなど何か考察しながら読める人。 こんな人には勧めません。 1.物語は起承転結で揺れ動かないと楽しめない人。 2.毒虫になったグレーゴルの人間から毒虫になるまでの心理描写を期待している人。 | ||||
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有名作品、”変身”ですが、何とも理解し難い小説だなぁというのが直感で感じたことでした。というのも単に主人公グレーゴルはある日の朝、突然毒虫になってしまい、その家族の一部始終を記載した作品で、出来事をたんとんと述べているだけなのである。 世間的に輝かしい人が一気に転落すること(ホリエモンみたいな)のメタファーなのかなぁと思いながら読んでいました。 物語としては、あまり進展のない退屈なものだと思います。 こんな人に勧めます。 1.古典文学の何が楽しいのかを考察したい。短い作品なのですぐに読み切れます。 2.たんたんとした物語にも登場人物の感情を考えるなど何か考察しながら読める人。 こんな人には勧めません。 1.物語は起承転結で揺れ動かないと楽しめない人。 2.毒虫になったグレーゴルの人間から毒虫になるまでの心理描写を期待している人。 | ||||
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「ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目を覚ますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した。」 この有名な書き出しで始まる『変身』は、1912年に執筆され、1915年に出版された。 今から丁度100年ほど前だ。 著者カフカは、虫の創作小説を書きたかった訳ではない。 カフカ自身が、何を意図したのか、具体的には分かっておらず、複数の解釈があるようだ。 一家を経済的に支えてきた立場から突然に忌み嫌われる虫への変身、周囲や身内の変化など、一般社会で起きうる状況を描いた小説としても読める。 ちなみに、カフカは、『変身』について、失敗作だ(「とても読めたものではない結末、ほとんど細部にいたるまで不完全だ。」)とコメントしている。 確かに、短期間に一気に書きつけたような印象はある。 その一例か、グレーテについて、 「まだ十七歳の小娘(55ページ)」 「十六ばかりになる小娘(62ページ)」 と、若干一致しない表記がある。 ★旧新潮文庫版あとがき(高橋義孝) 「1883年7月3日プラハに生まれ、1924年6月3日、ウィーン近郊のキールリングで41歳で没した」、とあるが、正しくは40歳。 ★年譜(有村隆弘編) 1883年7月3日生まれ、1924年6月3日死去、41歳、とあるが、正しくは40歳。 | ||||
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