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変身
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変身の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.07pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全385件 281~300 15/20ページ
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ある朝、夢から目覚めると自分が寝床の中でひっぴきの巨大な虫に変わっているのを発見する主人公。 謎は解明されぬまま、日々が過ぎていく…。 外形が変化することによって周囲の態度は豹変し、暗い闇の中へ葬り去られてしまう。 毒虫は「排除されるもの」のメタファーだったのではないでしょうか。 | ||||
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ある朝、起きたら甲殻をしょった虫になっていた。 不可解。不条理。不可思議。 どういう言葉がいいか分からない。 作品が、何を目的としているかはわからない。 存在の基盤の稀弱さを語っているのだろうか。 カミュの異邦人と同じような文脈を感じた。 ちなみに、カフカとは、チェコ語で、カラスとのこと。 | ||||
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仄暗い部屋から明かりの下の家族を見つめる虫。 グレーゴルという人間はいつ死んでしまったのか。 読解力の乏しい方には厳しいかもしれません。 | ||||
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もし自分がそうなったらどうしよう、と思わせるような恐ろしい話です。どうしようもないやるせなさがひしひしと伝わってきます。ただ翻訳が下手なので、状況の伝わらないところが山ほどあり、若い人は読めないと思いました。 | ||||
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以前、テレビ番組で紹介されていて、想定が面白いって思ったから読みました。何ていっても朝起きたら自分が虫ですから。虫になって本人かなり悩んでます。家族も困惑していますが、案外と虫になった息子を受け入れようとしています。でも、盛り上がりにかけるストーリーと、最後は中途半端に死んで終わりです。何が名作なのか不明です。気になっても、読まないことをお奨めします。 | ||||
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私は頭が良くないのでこの作品の意味が理解できませんでしたが、 好きな作品のひとつです。この作品を読む際には純粋に小説として読みましたので 突然、虫になってしまいその理由が最後まで明かされない、主人公は虫になったのに 平然としているなど、在来の小説にはないシュールな設定に挽き込まれました。 文章も間怠っこくないのでサクサク読めました。 展開の一部に、人間であることを尊重し部屋をそのままにしとく母と、 虫として生きやすくするために部屋をかたずけようとする妹のシーンは、おもわず考えさせられる場面 でした。 これからこの本を読まれる方は私のように難しく考えず気楽にこの作品を楽しまれてはいかがでしょうか。 | ||||
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物語の構成が極めてシンプルなせいか、サクサク読める。 読書速度に悩む私ですら二時間掛からずに読み終えられた。 読書通の方なら一時間掛からずに読めるのではないだろうか。 読書感想文に追われている生徒さんにもオススメである。とにかく読み終えるのが楽。 タップリ見積もっても三時間は掛からない筈。 肝心の内容についてだが、好みは分かれると思われる。 一方通行の上に救いようのない話なので、突き放される感覚を味わう読者も多いことだろう。 私個人はグレーゴル・ザムザの思考・行動・運命に変に共感するところがあった。 物語の最後の一行がひときわ不条理に感じられた。多分、これが良いのだろう。 なおグレーゴルを『毒虫』だと断定する記述は本文中にはない。 何ゆえ『毒虫』とされているのだろう。『衛生害虫』を『毒虫』と呼ぶのには語弊がある気がする。 | ||||
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細かなストーリーの展開も忘れてしまうほど久々に読みました。 そのためかいろんな先入観なしに、今までの自分自身の経験に引きつけて読むことが出来ました。 ある日突然巨大な毒虫になってしまったグレーゴル・ザムザですが、彼は3年前の父親の事業の失敗を経て一家全体を背負って立っていました。 彼の「変身」は確かにショックですが、まるで神様が「ごくろうさん!良く頑張ったね。ゆっくり休みな。」と言っているかのようです。 何故なら、父親も母親も妹も彼に頼ることなく働くようになり、将来に向かって歩き始めるからです。 それまでの家族やその他の人たちの反応は、冷た過ぎるかも知れません。 でも、世の中ってそんなものでしょう。 とは言うものの、解っていながらグレーゴルがもう一度人間に戻ったらなあと思いもしました。 | ||||
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前々から読んでみたくて漸く手にしたのだが、救いがなく悲しい気持ちになった。 元々稼ぎ頭だったのに、いきなりある日虫になってしまい、今までどおり家族のことを大切に思っているのに家族からは巨大なおぞましい虫としてしか認識されなくなっていく。それが、時間とともにエスカレートしていく様がリアルに描かれている。最終的に命を落とすのも家族によってであり、現在働いて一家を養っている立場の人間として読むと何とも胸が痛む内容であった。 | ||||
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フランスのマルセル・プルースト、イギリスのジェイムズ・ジョイス、そしてドイツのフランツ・カフカが、二十世紀の文学を変えた三大文豪だと言われている。カフカがトーマス・マンよりも上かどうか疑問はあるものの、少なくともそれまでにはなかった作品を提示したという功績に関しては、とりわけ純文学の世界ではほとんど絶対的な評価を獲得している。 カフカが文学にもたらした革命は「意味の脱臼」であると言われている。それまでの文学においては、物語の推移は意味によって連結されていた。作品は意味によって支えられていなければならなかった。ところがカフカはその意味を作品から取り去った。不条理文学と呼ばれるその作品は、唐突な展開と説明の脱落によって、今でいう「シュール」な雰囲気に満ちている。 ある朝主人公のグレゴール・ザムザが目を覚ますと、一匹の巨大な毒虫に変わっていたという有名かつ衝撃的な冒頭。その理由が全く分からないまま迎える死と、何事もなかったかのように再開される日常。その無意味な結末は、冒頭の無意味な変身よりも、そしていかなる有意味な結末よりもはるかに衝撃的である。 「意味の脱臼」をすれば不条理文学が出来上がるというわけではない。無意味な文章をいくら書き並べても、無意味な作品が出来上がるだけである。本書『変身』が読み継がれているのは、メタレベルにおいて「無意味という意味」が成立しているからにほかなるまい。画期的なだけに二番煎じを許さない本作は、小作品ながらダイヤモンドの輝きを持つ名作であると思う。 | ||||
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有名な本ということで読みたかったが、やっと25歳で読む機会がありました。 微妙な件(くだり)や表現などは、その時代や文化などに多少理解があれば もっとその描写が鮮明に思い描けるんだろうと思った。 なので、今後読み返しても非常に色々な発見があるような気がする本。 無意味に冷静すぎる虫に変身した主人公。 よく考えると、変身というきれいな語感よりも、『変態』の方が適していると思う。 だって、毒虫に変わって、干からびて、人間扱いももちろんされずに 孤独のままよくわからずに息を引き取ってしまう哀れさ。。。 非常に発想力豊かで面白い本だと思います。 | ||||
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起きたら虫になっていた、という奇天烈極まりない設定。 しかも慌てるのではなく、冷静にその状況を見つめる。 この物語の悲惨なところは、家族のために骨身を削って働いていた男が虫に変身してしまったことにより、邪魔者扱いされていくという事だ。 これを読んで私が感じたのは、世間で働くお父さん達の状況だ。 若く才気溢れていた若者が徐々に老いていき、家での居場所が無くなるという状況を、たった一晩のうちに成し遂げたのがこの「変身」な気がした。 勿論カフカにそんなつもりはないだろうが・・・ 「ある戦いの描写」に関しては、まったくもって理解不能でした。 こんな難解なものを21歳で書き上げたというのですからカフカって男は尋常じゃない。 | ||||
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本書を初めて読んだ頃から、今日に至るまで私はひたすら想像した、毒虫とは何だろうか、と。強大なゴキブリを想像することは出来ても、ムカデは怖くて想像出来ない。そう考える、その時に悪夢は始まっている。 短い作品なので何度か読み返した。 中学生だった私は、毒虫をカメムシのような無のものと想像した。しかし違うとも思った。むしろゴキブリをイメージした。ただゴキブリが大嫌いだったからだ。 私の想像は、私自身の中にある悪夢をひたすら探す。 そして悪夢の中に浸って行く。読み始めたら読者は主人公を人として認識しているはずなのだが、次第に人では無く悪夢そのものに醜悪に変わって行く。 読み返す度に新しい悪夢が始まり、読了する度に、悪夢から覚めたときの嫌な感じが残る。 しかもまた読み直して見たいと思わせる中毒性のある性(たち)の悪い夢だ。 | ||||
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初めてカフカの「変身」を読んだのはおそらく中学生の頃。 今でも憶えているのだが黄色いカバーの文庫本(たぶん新潮社?)だった。 結局、なんとも不可解きわまる内容で、とりあえず読了したものの、その後何度か手には取っても再読することがないまま、その文庫本はどこかにいってしまった。 典型的なカフカの読後リアクション? 時は流れて・・・。 最近の「新訳ブーム」に乗っかって手にした本書。 比較的すんなり読み通せたのは、「いま、息をしている言葉」(新古典文庫のキャッチコピー?)による新訳だからか? それとも、30年の歳月を経た僕自身の変化か? 本書の解説によると、当時手にした「変身」と本書では底本が別である、とのこと。その違いか? いずれにせよ「意味不明」の誉れ高い?カフカの代表的作品たちであり、確かに極めてカフカ的な作品たち、しかも好都合?にも短編ばかりが収められている本書。 このご時世にカフカを読むなら、本書から始めるのが良いかも。■ | ||||
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20世紀の「超」有名な重要作品。カフカの「変身」の池内紀による21世紀新訳ヴァージョンです。新訳はやはり読みやすく、改めてこんなにおかしな傑作な小説だったのかと、再確認! 数十年ぶりに読み返してみれば、新訳だからというわけでもないでしょうが、100年近くも前に書かれたとは思われないほど、「この本はこんなにも、現代的な作品だったのか」ということです。こりゃストレスの溜まったサラリーマンの出社拒否症状の裏返しじゃないかとか、引きこもり人生のエピローグじゃないかとかいろいろと想像が出来ます。 最後は悲しくも可笑しい悲喜劇には違いないですね。グレーゴルが死んでしまってからというもの、なに?この家族たちの生き生きとしたこと! | ||||
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有名というだけで何気なく読み始めた本書。内容的には暗いグロテスクなものですが、何もかもがさらりと書かれているせいか非常に読みやすかったです。 私は根っからの理系人間なので、何をどう解釈してよいやら…という感じで、この本が有名な訳もよくわかりませんが、自分の身の回りにあてはめてみたときに色々と考えさせられました。 特に感じたのは「思いやり」の大切さ。登場人物皆の身勝手さに目が行ったのは、最近立て続けに育児関連の本を読んでいたせいかも知れませんが…。 | ||||
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この作品を私は、学校内で強制的に書かされる読書感想文のため、推薦図書として頻繁に目にした。 今となっては無数に存在する解釈も納得できるし、自分なりに理解もできる。 ただ、はっきり言ってまだ「殺那的」に生きている学生の時期に、この作品を理解できる者がどの程度いるのだとも思う。 作品をそのまま解釈するだけではSF的駄小説。深い理解を得ようとして、はじめて一級品の作品となる。 素晴らしい作品だと思うけれど、これが何らかの形で理解できてしまう学生は若さがなくて嫌だなぁ、なんて思ったりもする。 | ||||
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以下書くことは、人から聞いた話である。 グレゴール・ザムザはなぜ、毒虫にならなければならなかったのか。 彼は一家を養っていた。グレゴールからしたら、養っている家族のほうが、お邪魔虫であり、寄生虫のようなものであったはずだ。彼には罪はなかった。罪があるとすれば、家族を邪魔者と、――たとえそれが潜在意識の中でしかなかったとしても、――考えてしまっていたこと、かもしれない。グレゴールは、自分の意志とは無関係に、結果的に、家族を救った、と言える。ひたすら養われていた一方だった彼らは、いわば、生ける屍のようなものだった。グレゴールの死により、彼らは、息を吹き返した。本当に、生きはじめることが出来た。聖書の言葉を借りれば、一粒の麦が地に落ちて、多くの実を結んだのである。そう、グレゴールは、メタモルフォーゼされた、イエス・キリストなのだ。 以下は、私が考えたことである。 誰かに養われる、というのは、後ろめたい気持ちが伴う。グレゴールには、家族が抱いていた、そんな後ろめたさを察する優しさが必要だったのではないか。彼にその優しさがあったならば、彼は毒虫にもならず、死なずにすんだかも知れない。家族全員、助け合って生きていく道も開けたかもしれない。当たり前のことだけれど、私たちは、一人では生きていけない。迷惑を掛け合いながら、お互い助け合っていかなければ、生きる道は開けない。カフカ自身は、こんな、お説教くさいことを言いたかったわけではあるまい。ただ、生まれてこの方、迷惑をかけっぱなしの私は、そんな風に考えさせられたまでの話である。 以下は、私の戯言である。 九頭見和夫氏は、本作「変身」と太宰治の短篇小説「花火」とを比較し、太宰が「変身」を翻案し、「花火」を創作した可能性がある、と指摘している。「変身」を「花火」に〈変身〉させてしまった太宰。〈変身〉。太宰は、〈変身〉願望を根強く持っていた、と私は思う。町田康さんは、人の肉体を〈宿〉にたとえ、不滅の〈魂〉が、〈宿〉から〈宿〉へ泊り歩く寓話を、「宿屋めぐり」に書いた。太宰の人生そのものが、〈宿屋めぐり〉だったのではないか、と私は考えている。 太宰の創作した作品が〈宿〉であり、太宰の〈魂〉は作品という名の〈宿〉から〈宿〉へと旅を続けていったのではないか。芭蕉が、〈旅人〉と呼ばれんとして、つまりは、名もない〈旅人〉と呼ばれんとして、漂泊の旅を続けたように。それは、〈自分〉を〈他人〉へと、一歩、また一歩、と近づける努力である。それは、彼が究極のモットーとした、〈己を愛するがごとく、汝の隣人を愛せ〉に通ずる努力だった、と私は思いたい。私の文章は、まったく、論理的でないかもしれない。しかし、人は、論理だけで生きているわけではない。盗人にも三分の理、という。私にあるのは、どうやら、これだけらしい。 | ||||
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朝起きるとザムザ君が虫になってるという、言わずと知れたカフカの代表作。さまざまな解釈があると思いますが、僕は他の作品同様テーマは『孤独』や『疎外』だと思います。ある心境に達するともはや人間は虫になってしまうといったかんじでしょうか。短いですがとても深い内容で、何度読んでも飽きません。しかし、いくらなんでもザムザは可哀想です。虫になったことではありません。一家を支えていたザムザが邪魔者となり慕っていた妹にも見捨てられ、孤独の内に死に、一家は再出発の希望を抱く。ある種の効力を発揮していた者も、不要になると捨てられてしまう、なんだかホッカイロみたいな扱いです。しかも僕の大好きなカフカ特有の無駄な長台詞や比喩、シュールな展開(出だしは死ぬほどシュールですが)がほとんど無いので、☆4つにしました。 | ||||
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主人公はある日、職を失い、家族の信頼を失う。 働くべく前の職場に行っても追い返され、努力しても新しい職にもつけない。 やがて家族の中で「こいつはうちに居ない」ことにされる。 部屋から出ることも、家族の輪に入ることもできない。 うっかり人前にでてしまうと、とんでもないことをしたかのように言われる。 あげく、こんななら出て行くのが当然のように扱われ見殺しにされる。 死ぬ前に出て行けばよかったのか、出て行けば何とかなったのか。 これはそう言う話。 「毒虫になった」てのはきっかけでそれは「失業した」「病気になった」「ぼけた」など言い換えることができる。何かがきっかけで家族が家族でなくなるとどういうことになるか。 毒虫から立ち直るのにこの家族は何もしない。毒虫として扱うだけ。 結果、主人公は死に家族はすっきりとふたたび「きれいな家族」として暮らして行く。 いや、恐ろしい話だけど「毒虫になる」を文字通りとらなければ現実にありそうなホラー。 | ||||
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