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鳩の撃退法
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鳩の撃退法の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.22pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全99件 61~80 4/5ページ
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キッカケは直木賞作家だった。昨今、同賞に輝いた東山彰良は、朝日新聞の“この秋に読みたいミステリー”みたいな対談記事で、この『鳩の撃退法』をNO―1の推奨本として挙げていた。だが結果、ガッカリさせられた。 ひと言で言えば、これは自堕落な大長編ミステリーである。または僕のように飛ばし読みでも千ページ近くある小説を最後まで読んだ読者に対し無責任なクライム・サスペンスとも言える。何しろ最後まで数々の大きなナゾが残り、かつそうである事を語り手が言及さえしない始末である。しかも、作者自身がさんざん自らの小説について語るメタフィクションの体裁を取っているのにも関わらず。 そして、ミステリー・サスペンスが副次的になるような文学作品などでもない。村上春樹の小説のようにミステリーの未解明さやストーリーの無完結さが許されるような高い文芸性、哲学性などはほとんどない。 最大の謎は、倉田率いる――作中では本通り裏と呼ばれる――暴力団と偽札の関わりだ。作中ではただ3万円分の偽札(鳩)が、ある偶発的な出来事によって世に放たれ、それを倉田たちが追いかけるという事しか書かれていない。その関わりのヒントでさえ書かれておらず、これは本作のミステリーの核であるだけに致命的な欠落と言える 次に、なぜ房州老人が津田に莫大な遺産を譲ったのかという点がある。老人はデリヘル嬢の送迎ドライバーに落ちぶれた元直木賞作家、津田を心底軽蔑していて、そこには憎悪の裏返しとしての情愛さえ感じられない。これもまた筋の核なだけに、その動機の欠落は大きい。また、なぜ暴力団が津田から譲り受けた3千万を彼の名義で慈善団体に寄付させたのかも分からない。しかも当の津田は、この恐ろしく不可解な事態について考えようともしない。明快な筋があるのは、偽札(鳩)がどういう流れで倉田から津田の手に渡ったかという事だけだ。その筋立てはディテールが整った完成度の高いものだったが、それはミステリーの表面的要素に過ぎないものだ。 明らかにおかしな展開もある。津田はたった2枚の偽札が発覚しただけで残る3千万円の遺産全てに一切手をつけなくなる。たとえ真札が紛れていても、偽札がある以上、1枚でも使うのは危険だ。彼はそんな決断を下し、その末に倉田に偽札の出所だとバレ、身の安全のために全額を手放す事になる。大半の読者は、ここで津田にあきれるだろう。何てバカな男だろうと。ここで小説は大いに読者への牽引力を失う事になる。 なぜ、津田は3千万円の真偽を確かめなかったのだろう。なぜ1枚1枚、真札か偽札か確認していかなかったのだろうか。これだけの大金を手に入れたのなら、そこに偽札が何枚か混じっていても大抵の人はそうするだろう。方法は作中にもある通り、万札を券売機にかければいいだけの話だ。都市部であれば券売機はそこら中にあり、長期間、1枚ずつ時間と場所を変えながらやれば誰にも怪しまれる事はないだろう。3千万を手に入れるためであれば、そんな労力は無に等しい。 3千万に手をつけない筋にしたのは、おそらくその方が、筋にアップダウンがあってオモシロいと思ったからなのではないか。何しろ津田は3千万の遺産を与えられながら、そこに偶然偽札が紛れ込む事で全てを失う事になるのだから。まさに幸運と悪運の極致を味わったワケだ。要するに、これはストーリーをオモシロくするために主人公に不可解な行動を取らせる、典型的なご都合展開の1つに違いない。 全般的に言えば、無駄があまりに多く、優秀な作家なら300ページにまとめられるだろう。本作ではメタフィクションが最も注目されているが、それは作者自身、またはその文章自体に個性的な魅力がある時に限り輝きを放つスタイルである。作者はあの手この手で本作が事実だと見せかけているが、それならなぜ佐藤正午という実の作家名や実在の事件を用いなかったのか。フランスの作家、ウエルベックなどしょっちゅうやっている。作家がメタ・スタイルを極めたいのなら、それくらいの覚悟は必要になる。 ただ1人、本通り裏のボス、倉田健次郎だけが輝いていた。“静かなるドン”という呼び名が相応しいハードボイルドの悪玉原型と言える男だろう。極まった悪人とは、人の好奇心を駆り立てる。彼と幸地の友情劇がサブストーリーとしてあり、それこそがこの小説最大の牽引力だったに違いない。倉田が、友情か極道かの選択に迫られる事がテーマとしてあり、そのドラマには大いに胸を打たれた。■ | ||||
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最初のほうは「叙述トリック」かなと思ったのだが、だんだんくどさが鼻につくようになる。 この半分で書けるだろうし、「沼本」を「ぬもとです」と訂正するとかそういうのが繰り返されてうざい。 実験をしているようだがそれが成功しているとは思えない。 これはいわゆる推理小説で「誰がだれを殺そうとしったことか」となる例の一つ。 自動車の種類とか、カタカナのものの名前とか細かい手順とかがうるさい。 あと「神楽坂」とあるから東京だと思っていたら佐世保らしいが、佐世保に神楽坂があるのか? あと会話が抱腹絶倒とか書いている人がいたがひとつも笑えなかった。 ただ徒労感だけがある。 | ||||
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いかにも佐藤さんという感じの作品。 場面が行ったり来たりするので、最近の若い人は苦手かも。 私はとてもおもしろく読了しました。 しかし、佐藤正午さんの主人公の男には、なんとなくあこがれてしまします。 なんかよい意味でドライな感じで、あんなふうに生きることができたらよいと思います。 余談ですが、カーペットの場面は、ちょっとどきどきでした(笑)。 | ||||
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文学界で孤高を貫く作者の真骨頂の傑作である。「小説(家)とは何か」を追及し続ける作者の真摯な姿勢が如実に出た迷宮の様な作品である。本作の舞台背景には、一家三人神隠し事件と偽札事件があるのだが、それに対する解決は主眼ではなく、上述の作者の姿勢が主眼なのである。本作中には「作者と登場人物」とが一人二役で出て来る(勿論、私小説ではない)。この趣向は以前にもあったが、これに加え、小説家の私(=作者)の一人称の章(大半を占める)と私が書きかけの原稿の章とがカットバックで語られるという趣向がある。更に、その原稿の中身が登場人物としての私(=作者)と繋がっている(!)という多重構造の極みである。 良く言われる、小説における「事実と虚構(創作)」の問題を扱っている訳だが、過去に実際にあった事実(本作の場合は一家三人神隠し事件と偽札事件、しかも私が係っている)と過去に"あり得た"事実とを峻別し、後者をあたかも事実の如く描く事が小説家の役割という点が主旋律らしい。ここに、「小説家は虚構としての物語を創作しなければならないが、登場人物としての私(=作者)は事実を捻じ曲げて良いのか?」という懊悩が込められている点が奥深い。しかも、どうやら、小説における「登場人物と読者」の役割も追及しているらしい。目が眩む。これを和らげるためか、一人称の章では、Daigoの様(例えば、JFK=じゃあ二人で今夜...)な言葉遊び(文体実験?)も用いて、殊更、親しみ易い文章にするという気配りも見せている。一方、「小説家ぶる小説家は「小説を書いていると登場人物が勝手に動き出すと言いふらす傾向がある」」という批判を繰り出すかと思えば、「読まれない小説には意味があるのか?」という自嘲気味の言辞も飛び出す。 また、本作は「ピーターパン」をモチーフとしていて、そのテーマである「僕の声が"あなた"(読者)に届いて欲しい」という希求が込められている点が、上述の自嘲とは裏腹に、作者の本音の様でいて、これまた興味深い。文学好きの方に一読をお薦めしたい傑作である。 | ||||
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佐藤正午は大好きな作家なので、久々の新作に胸躍らせて読んだのですが・・・。 う~ん、これ、設定に無理がないでしょうか? 3400数枚の一万円札という大金のうち、一枚は偽札だと判明した。 だから、残りもそうかもしれないと考えるのは、当たり前です。 当たり前ですが、ほぼ無一文の「僕」であるなら、まずそれ、スーパーやコンビニで使うのでは!?だって、そんなところだったら、偽札かどうかなんて、レジの人、気にしませんもの。 それに、わたしなら任意に抜き出して、再度どこかで確かめますね。 話の筋より、そっちにイライラしてしまいました(笑)。 | ||||
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まっどろこしい 上下2巻の長編でも まったく 盛り上がりが最後までありません。 おなじような感想の人もいますね。 この作者のファンなら面白いのでしょうね。 女性のファンも多いのでしょう。 中年の元直木賞作家の女性遍歴 強調されすぎ もてない私にはちょっと不快な小説 | ||||
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上・下巻1000ページほどありますがスラスラテンポよく読めました。 めまぐるしくかわる視点についていくのが大変かとおもいきや 文章がおもしろいのでがっつりと心掴まれて 時間を忘れて没頭してしまいました。 不鮮明な話の稜線が読み進めていくに従ってハッキリと浮かび上がってくる快感。 ダメな主人公が魅力的ですね。 映像化するならダメな男をちゃんと魅力的に演じられるひとにやってほしい。 | ||||
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ピーターパンとウェンディを 読んでみますと、 冒頭だけでけっこう 構造のレトリックの ニンマリさせる部分がありますよ。 | ||||
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きっと好みの問題なのだと思います。 新潮社の中瀬ゆかりさんが推していて、初めてこの方の作品を読みました。 フィクションの世界のノンフィクションをもとに、作家がフィクションを書く…というお話で私には読みにくかった…。 最後も結局白黒はつかない謎を残して終わるので、(その旨、冒頭に断りがついていました。)ちょっとモヤモヤしました。 | ||||
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上巻ほどではないが、ストーリー展開が面白い。どうなるかハラハラさせられる。 | ||||
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とても面白かったです!最近読んだ本の中で一番面白いと言えます。 | ||||
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新聞で紹介されており気になったので図書館で借りました。 本文中にもそういった表現があり、作者自身承知のうえでまわりくどい文章を書いているのですが、伏線ですらない無駄な会話が多すぎて疲れます。 そういう作家性だから、好きな人にはたまらないのでしょうが、初心者が手を出すにはちょっとしんどい作品かなと思います。 上巻しか読まないでは寝覚めがわるいので下巻も読みますが、正直上巻の最後100ページくらいはほぼ飛ばし読みで済ませてしまいました。 言葉の取捨選択がきっちりできる作家なら1冊にまとまりそうなものですが。 | ||||
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いるのかな~、書きすぎにはならないと思うのに。 最近作者は「横道世之介」の構成展開を新聞で絶賛してたけど、 もう普通語りでは(普通に時系列で書いてもほんとうに語りはうまいのに) 技巧で満足できないんでしょうね。 直線縫いは論外と、ジグザグに縫った上で切り刻んで また裏表グチャグチャに縫いこんだら ちょっと穴が空いてるけどそれが味になってるアートファブリックのような。 語り手は途中から、群衆の中のひとりが画家の自画像という感じで、 ひょっこり顔を出すのだけど、時系列もいったりきたり、 登場人物の証言から読者はだんだん事件の真相を掌握できそうになるが 実際の老人の意図とか、ダムの心中の片割れとか、秀吉の確信の意味とか妻への献身の理由とか ケンジロウの寄付の理由とか、聞きただしたいことだらけである。 まあケンジロウは映画「Young Yakuza」の会長風といわれれば、なんとなくわかるんだけど。 また「いちんち」上下ででてました。 あと下の348ページ一行目句点抜け、 文庫化のときご注意願います。 | ||||
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ミステリーとして取り立ててトリッキーな訳ではない。 それでも、人称の使い方、時系列のテクニック、レトリック、力の入っていない描写力(自覚のある通り、官能小説部分だけには力が入っているが)はなかなかのモノ。少し噴き出してしまうところさえある。 | ||||
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「待ってました!」の佐藤正午。 上巻を読み終わり、こんな完璧な構成があるのかと。 緻密で独特な伏線が張り巡らされていますがあえて虚心坦懐に読まれることをおすすめします。 作者に身をゆだねるのがいいかも。 なまじに頭をつかうと失速の恐れありです。 読み終わるのがもったいなくてグズグズした一冊に久しぶりに出会いました。 至福の時間でした。 大いに余談ですが、最近の伊坂作品に物足りなさをかんじている向きにはとくにお薦めです。 | ||||
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この作者の作品を初めて読みました。新聞の書評を見て興味を持ちましたが、私には好みではなかったです。ダメ男のぐだぐだ話がいつになったら面白くなるのかと思いつつ読みましたが、最後までずっとそのままで上下巻1000ページ近くを読んで脱力です。この作者のファンの方には大好評のようですが、その他の方はお読みにならない方が良いと思います。 | ||||
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「鳩の撃退法」という紛らわしいタイトルは、鳩や鴉を撃退するハウツーものの本のようで、佐藤正午という作家を知らない新米書店員なら、そのようなコーナーへ置きそうだ。従って、このタイトルを見定めるのも楽しい。途中、鳩を三羽飛ばすとか、鳩だとか野良犬とか轢かれた死骸はクリーンセンター行きとかの描写が有るが、どう関連するか判らない。 やがて、一家3人が忽然と消えたり、ニセ札が出てきたり、私の好きなミステリーの世界に似てきて、俄然、興味が拡がる。話の展開が読めず、めまぐるしいストーリーだが、登場人物が活き活きしていて眼を閉じると本当に居るような存在感が有り、自由気ままに書かれているようだが、気が付くとその整合性が凄い。 別の場所でふたりが出会っていれば、幸せになれたはずだった。のだから、小説家は別の場所でふたりを出会わせるべきだろうな。という文章にニヤリとし、過去に実際あった事実(現実)と、過去にあり得た事実(虚構)が錯綜し、後半は編集者まで登場するプロットに茫然とする。 ただ8割りぐらい読んだ辺りでタイトルの意味が解るが、単純に「三羽の鳩が飛んだ」というタイトルではいけなかったのだろうか? | ||||
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断片的な情報はパズルのピースのようで、それが最後にある種の完成形を迎えますので、そういうパズル的な謎解きが好きな人向けですので、感動的な大団円とか、何らかのハッピーエンドのような感情に訴える物語を望む人には決して向きません。 何も解決しなくても、その背後にある意図をあれこれ考えるのを楽しめる人には面白い小説でしょう。 同じ人物が違う呼ばれ方で何度か登場したり、関連のある数字が登場したり、読んでいてきっとあの時の○○が××のきっかけだったんだろうな、と起きた出来事同士の関連が予測される箇所が複数あり、そういうことを予測しつつ先を読むのはなかなか楽しかったです。そして、そういった出来事が最終的には一つに繋がりますので、私は割とスッキリしました。 池を巡るものはどこかで落ち合わねばならぬ、と作中で引用する漱石の一文を実行したような小説です。 | ||||
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上巻からすぐに下巻に入りほぼ一気読み状態。「人名の呼び間違い」「家族の神隠し的失踪」「さらに夜逃げらしき行方不明者2人」「絡み合う男女関係」「ピーターパンの絵本と栞」「警察と裏社会からのプレッシャー」などなど小説を読むことの面白さを表現してくれた。 若干、東京編に蛇足感も残るが、実は現場から離れることで「2月28日」を浮かび上がらせる確信犯的手口は、まさに熟練の小説職人ならではの安定感。 ぜひ「鳩」とはなんであって「撃退法」はどうするのか、最後までお楽しみください。 | ||||
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もともと小説作法については定評のある作者ではあるが、どちらかというとギャンブル系無頼派短編小説家という印象が強かったが本作の出来はピカイチ。顔の前にブラッシュ・ボールを投げ込んでおいて、外角のボール球を振らせて、内角のシュートでボテボテの当りでゲッツー、みたいに読者は見事に手玉に取られてしまう。 ダメダメな男なのだがなぜか目が離せない主人公を結果的にはかくまってしまう何人もの女性たち。これでもか!というぐらいに張り巡らされた伏線の数々。過去と現在、事実と虚構を縦横無尽に行き来する構成。どうでもいいこだわりに見えるが、必ず後で効いてくる技巧。小説としての面白みをギュッと濃縮した極上の一冊。さあ、下巻ではどうはぐらかしてくれるのか。もう楽しみでならない。 | ||||
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