ビコーズ



※タグの編集はログイン後行えます

【この小説が収録されている参考書籍】
オスダメ平均点

0.00pt (10max) / 0件

7.00pt (10max) / 1件

Amazon平均点

5.00pt ( 5max) / 1件

楽天平均点

0.00pt ( 5max) / 0件

みんなの オススメpt
  自由に投票してください!!
0pt
サイト内ランク []-
ミステリ成分 []
  この作品はミステリ?
  自由に投票してください!!

0.00pt

0.00pt

0.00pt

0.00pt

←非ミステリ

ミステリ→

↑現実的

↓幻想的

初公開日(参考)1986年03月
分類

長編小説

閲覧回数1,722回
お気に入りにされた回数0
読書済みに登録された回数1

■このページのURL

■報告関係
※気になる点がありましたらお知らせください。

ビコーズ (光文社文庫)

1988年04月30日 ビコーズ (光文社文庫)

「もしわたしたちが、いつかおとなになることだけのためにうまれてきたのなら」海岸道路を走る車の中で映子は19歳のぼくにささやいた。その情熱をこの先ずっと、20歳をすぎても30歳をすぎても求めつづける勇気がぼくにあるだろうか。―10年前に起こした心中事件は何だったのか?気鋭の著者が放つ長編恋愛小説。 (「BOOK」データベースより)




書評・レビュー点数毎のグラフです平均点0.00pt

ビコーズの総合評価:10.00/10点レビュー 1件。-ランク


■スポンサードリンク


サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!

現在レビューがありません


※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

No.1:
(5pt)

(2022年―第9冊)佐藤正午の1986年の小説

主人公の「ぼく」はデビュー作で賞を取って間もない29歳の作家。だが次回作が書けずに焦燥感を募らせている。水商売についている由紀子と今はつきあっているが、必ずしもその関係はうまくいっていない。そんなとき、19歳のころには仲のよかった寺井に呼び出される。寺井の彼女・映子をきかっけにしたある事件を10年前に起こしたため、ぼくと寺井は疎遠になっていた……。

-------------------
今や直木賞作家となった佐藤正午の、1986年に出版された比較的初期の長編小説です。
 主人公の若き作家はデビュー後の印税で享楽的生活を送った様子を『放蕩記』なる小説にしていますし、執筆途中で行き詰まった次回作の筋書きは『リボルバー』そっくりです。つまり「ぼく」は佐藤正午自身のオルターエゴとおぼしき人物です。
 時代背景は、長嶋茂雄の監督就任発表から10年後ですから、1984年(昭和59年)でしょう。携帯電話もSNSもない時代に、10年前に別れたきりの映子を探すという物語のなんと謎めいていることか。
 もちろんこれはミステリ小説ではないので、謎解きが主眼ではありません。“あの出来事”から10年経った今の自分の行き詰まった感覚のもどかしさをじっくり300頁かけてじっくり味わう、昭和の青年小説といえるでしょう。

 この当時から佐藤正午の文章のリーダビリティは大変高いものです。すいすいと2日間で読み通してしまいました。

「あの頃とはもうちがうんですよ。ぼくは大人です。十年の間に諦めることも耐えることも覚えました」
「あんたなんのために十歳も年をとったの。ただ大人になるためかい。したいことをせずに我慢できる大人になるためかい」
 主人公と叔母のこの会話(140頁)が胸を衝きます。

 また映子が読んでいた童話の次の一節も胸に沁み入ります。
「もしわたしたちが、いつかおとなになることだけのためにうまれてきたのなら、あたまが大きくなるにつれて、わたしたちのあたまのなかには、ふるいかんがえが、とてもかんたんに住みつきます」(145頁)

 大人になることが何を意味するのか。それを考えあぐねている20代の若者たちの足踏みする様子に、思い当たる節が私自身にもあるだけに、ひどく心揺さぶられる気持ちがしました。

.
ビコーズ (光文社文庫)Amazon書評・レビュー:ビコーズ (光文社文庫)より
4334707424



その他、Amazon書評・レビューが 1件あります。
Amazon書評・レビューを見る     


スポンサードリンク